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情報所有館 : 歯の博物館 

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江戸時代の歯草(歯周病)の治療についての本

歯周病は、江戸時代には口がくさくなるため「歯くさ」とか「走馬牙疳(そうまげかん)」と呼ばれた。歯くさの薬として、昆布、あかざ、白礬、茄子のへたの黒焼、乳香、甘草を粉にしてつけるとある。口中の臭きには、びゃくしを粉にして食後水にて用いて良しとある。このような「歯草」治療の教書として「広益秘事大全」「妙薬博物筌」などがある。


江戸時代口中医書の写本

奈良時代には、耳目口科として医科の一つであった。平安時代に、口科として独立し上流階級の人々を対象に治療をおこなっていた。鎌倉・室町時代には、朝廷や大名に仕えた口中医として金康安兼、本康宗硯などがいる。口中医は時代によって異なるが、江戸時代は、歯、口、喉、舌を治療対象にし、口中秘伝書数冊を検証すると入れ歯は作らなかったようである。


横浜開港後、アメリカ人歯科医・イーストレーキ

1865(慶應元)年10月に、アメリカ人歯科医W.C.イーストレーキが横浜居留地108番で開業したのが近代西洋歯科医学が伝来した最初である。従来、1860年に来日したと云われていたが新聞広告などにより1865年9月27日(西洋暦)に来日していることが分かった。その後、バーミンガム、レスノー、ウィン、アレキサンダー、エリオット、パーキンス、ギューリックなどが来日し、多くの日本人助手を養成し、当時始まった医術開業試験にその日本人助手たちが合格した。彼ら日本人歯科医は近代歯科医学を伝承したわけである。当館にはこれらの来日した外国人歯科医および伝承を受けた日本人歯科医の広告などがある。


歯の衛生週間などのポスター

1928(昭和3)年に日本歯科医師会は、第一回の“ムシ歯予防デー”を6月4日に実施した。日中戦争が始まり、健康な青年を兵隊として戦力にするため、5月2日~8日を健康週間とし、“護歯デー”とし5月4日に制定した。1949(昭和24)年、日本歯科医師会は6月1日~7日を“口腔衛生週間”と改称し、戦前は“ムシ歯予防デー”とした。これ等のポスターを見ることができる。


明治中期の歯みがきなどの看板

江戸時代の商品の宣伝広告は、引札(現代のチラシ)に平賀源内や式亭三馬などが宣伝文を書いた。看板は、商品の歯みがき粉の購買意欲を盛り上げる手段として制作された。暖簾、のぼりなどで商品を印象づけるために用いられた。看板は、文字より商品の絵、実物の模造を使用した方が効果的であった。


西洋の歯磨き粉容器

1800年頃の歯磨き剤は、陶材や金属の容器に入れて売られていた。入れ物の蓋に内容や特徴が表示してある。石鹸やビンロウなどを加えたものが散見される。


西洋の歯ブラシ

これらは1590年頃Antonio Perezによってスペインからフランスに伝わったとされている。歯ブラシは中国の発明でシルクロードを通ってヨーロッパに伝わったものとされている。柄は銀、象牙、動物の骨が使われている。彫刻のあるもの、両端に植毛されている物もある。当館には1800年頃のヨーロッパで使われた歯ブラシ類がある。銀製の歯ブラシなどを使った王侯、貴族たちの生活がうかがわれる。年代:1800年


外国の歯石除去器

当博物館には歯石除去器が展示してある。小さな携帯用のセットは上流階級の個人用のものである。柄の長いものは歯科医用である。ちなみにアメリカの歯石取りの値段は広告によれば、3シリングから6シリングと書いてある。独立前のイギリスの植民地時代でシリングを用いている。年代:1800年


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