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情報所有館 : 東京都水道歴史館 

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上水記(東京都指定有形文化財 古文書)

「上水記」は、玉川上水開削から137年後の寛政三年(1791)、幕府普請奉行上水方道方である、石野遠江守広通によってつくられた江戸上水に関する幕府の公式記録である。全十巻。玉川・神田、江戸の二大上水の概要から、市中配管状況や水路図、当時の水道料金など、江戸の繁栄や高い土木技術をうかがい知ることができる。江戸上水の歴史を今に伝える貴重な資料として、東京都指定有形文化財(古文書)の指定を受けている。年代:寛政3年[1791]


神田上水石樋(本郷給水所公苑内)

この石樋(石垣樋)は、昭和62年から平成元年にかけて発掘された神田上水幹線水路の一部を本郷給水所公苑に移築復原したものである。石樋の内部寸法は、上幅150cm、下幅120cm、石垣の高さ120~150cmで、長さ約180cm、幅60cm、厚さ30cm前後の蓋石がのせられている。年代:江戸時代


木樋

東京都千代田区丸の内三丁目遺跡、阿波徳島藩上屋敷跡より出土した木樋である。木樋の上部にある溝を潜らせるために、一段下げられた木樋を連結してつくられている。木樋の蓋は溝からの水が木樋に入らないように、一枚板が使用されている。木樋の結合部分には、組み合わせる樋がわかるように、絵印の刻みを入れるなど、江戸時代の人々の上水の知恵を今に見ることができる。東京都埋蔵文化財センターの発掘調査による。年代:江戸時代


上水井戸側(東京都指定埋蔵文化財)

昭和57年[1982]8月31日、千代田区内幸町一丁目2・3番より、千代田区教育委員会の調査で発掘された。実際には2/3くらいまでが地面に埋められていた。木の水道管である木樋を流れてきた上水を呼樋(竹筒)によりこの井戸に引き込んでため、人々はそれを汲んで、飲み水にしたり生活用水として使っていた。年代:江戸時代


普通鋳鉄管

継手:印籠(ソケット)継手 塗装:コールタール塗装焼付 使用時期:明治27年[1894]から昭和33年[1958]。但し、昭和8年[1933年]以降は高級鋳鉄管。明治30年[1897]製。中央区新富一丁目付近に付設したものである。口径150mm、管厚10mm。年代:明治30年[1897]


蛇体鉄柱式共用栓

共用栓は、水道利用の契約をした人だけが鍵を持ち、共同で使われていた。この共用栓は、水の出口が竜をかたどっている、蛇体鉄柱式共用栓で「蛇口」の語源とも言われている。この共用栓は消火栓も兼ねていた。いざというときに水道水を消火に使うシステムもヨーロッパに習ったものであった。高さ1045mm、幅330mm、奥行328mm。年代:明治時代~大正時代


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