「公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館」 に対する検索結果 : 56件
情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館
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最初牛乳はブリキ缶容器(それ以前は柄杓で秤売)で配達された。始め蓋がなかったが、後に口が細くなり和紙、厚紙、コルク栓を用いるようになったが、ガラス瓶が使用されるようになると法律で禁止された。年代:明治14(1881)年代
日本において最初の牛乳瓶といわれ、瓶口の内側につけられた螺旋状凹凸の筋を合わせ回転させて開閉する仕組みが特色である。(90cc 5勺)年代: 明治30年代頃
牛乳取締規定により最初使用された長首牛乳瓶で、これは人工吹きの瓶で無色及び有色(青緑色等)のものであった。最初は瓶口に薄紙を捻り押し込み、その後、木栓、コルク栓を用いた。年代:明治36(1903)年代
牛乳を殺菌するようになると、瓶口を金具付の機械栓(瀬戸口・ニッケル等)を用いる瓶装になり、瓶には店名・殺菌法・容量等を浮彫にして牛乳の差別化を図った。年代:大正から昭和初期頃
太平洋戦争中ガラス瓶の資材が欠乏したので、各褐色雑瓶を粉砕した原料で作った黒褐色の広口牛乳瓶(180ミリリットル)である。数少ない非常に稀な瓶である。年代:昭和19(1944)年頃
牛乳営業取締規則(昭和8(1933)年)により広口瓶に統一され、キャップの打栓、掛け紙(セロハンからポリフード)で覆う(細菌の二次汚染防止)ように義務づけられた。瓶の形態は、丸瓶、6角瓶、角瓶で、容量は、180、200、900ミリリットル等がある。そして時代の経過により字型、色彩が多様化した。(紫フードは種類別牛乳をさす)。年代:昭和25(1950)年代頃
キャップは当初直径4.25センチメートル[写真]から3.41センチメートル(昭和9年)に統一された。文字は左書で、製造曜日、殺菌法、種類別、製造牛乳店などが明記され、時代の変遷により文面は変わったが、限られた紙面で常に牛乳の内容を解説した。年代:昭和3 (1928)年頃
牛乳瓶は180ミリリットル(1合)から200ミリリットル(栄養表示は100グラム単位が便利)に変わり、商品多様化により瓶のデザインも豊富になった。受箱は木製からプラスチック製に変化を見る事が出来る。帽子、集金袋は牛乳配達人の当時の用具である。年代:昭和40(1965)年代頃から
アメリカ・ヨーロッパ・アジア等の牛乳パック(一部瓶を含む)である。種類は牛乳、加工乳、乳飲料、はっ酵乳等。形態は屋根型、レンガ型。内容量は200・500・1000ミリリットル及びガロンのタイプである。各国の食習慣の特徴をみることが出来る。年代:1960年代のものから
アメリカ製の牛乳通箱で6本入れ(4.4リットル単位)である。重量があったので箱の隅は補強金具を装着している。横にあるのは藁で編んだ牛乳瓶(4本入れ)運搬具で農民の知恵を醸しだしている。
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