「三菱重工長崎造船所史料館」 に対する検索結果 : 64

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戦艦「武蔵」建造に使用した大型鋲締機

戦艦「武蔵」の建造に使用した特大型鋲打ハンマー及びジャムリベッター。戦前、通常の艦船で使用する鋲は最大径15ミ リで、稀に28ミリ程度であったが、武蔵では弾火薬庫床甲板・舷側甲板などに36から40ミリ径の鋲が多く使用され、しかも材質は高張力鋼であった。この 大型鋲締機を使用した鋲打作業は、4人がかりで行われた。「武蔵」に使用された鋲の総本数は650万本に上った。 年代:1942


戦艦「武蔵」(油絵)

第800番船、戦艦「武蔵」は軍艦建造技術の粋を集めて建造された、世界最大、最強の戦艦で、呉海軍工廠で建造された 「大和」と同型艦である。「大和」のドック建造に対して「武蔵」は船台建造であったため進水を大いに研究した。秘密裏に建造され、船台のガントリークレー ンには棕櫚縄の簾が取り付けられ内部を遮蔽した。レイテ海戦で昭和19年(1944)10月24日に戦没。「武蔵」絵画は藤瀬韶国画伯作。69,100排 水トン、水線長256m、150,000馬力、27ノット。起工:昭和13年3月、進水:昭和15年11月、竣工:昭和17年8月。 年代:1942


戦艦「武蔵」建造に使用した37斤(22kg)ハンマー

37斤つづみハンマーは、長崎造船所内立神鉄工場のぎょう鉄山形係の炉内で、灼熱した厚鋼鉄板の、水圧機で加工出来な い部分の加圧細工に使用された。このハンマーを用いる作業者には、腕力・腰力・脚力に優れた用力工を特に試験のうえ採用した。


戦艦「武蔵」の進水支綱切断の斧

戦前の海軍艦艇の進水では、支綱切断は進水作業の一環として造船所長が行うのが慣例であり、「武蔵」の場合は当時の小川 長崎造船所長により行われた。昭和15年(1940)11月1日進水。 年代:1940


護衛艦「はるかぜ」(写真)

第1444番船、護衛艦「はるかぜ」は戦後初めて建造された護衛艦である。上部構造に軽合金を採用、また高張力鋼を大幅 に採用している。基準排水量1,700トン、水線長106m、30,000馬力、30ノット。起工:昭和29年(1954)12月、進水:昭和30年9 月、竣工:昭和31年4月。 年代:1956


護衛艦「あまつかぜ」(写真)

第1580番船、護衛艦「あまつかぜ」は、日本初の対空ミサイル装置を搭載した護衛艦である。高度な電子機器を搭載、特 に対空戦における即応性が強化されている。基準排水量3,050トン、水線長131m、60,000馬力、33ノット。起工:昭和37年(1962)11 月、進水:昭和38年10月、竣工:昭和40年2月。 年代:1965


護衛艦「はたかぜ」(写真)

第1910番船、護衛艦「はたかぜ」は、対空ミサイル発射装置を前方に配置、後部にヘリコプターの発着甲板を備えている のが特徴である。主機関は異機種ガスタービンによるCOGAG方式が日本で初めて採用されている。基準排水量4,600トン、水線長150m、 72,000馬力、30ノット。起工:昭和58年(1983)5月、進水:昭和59年11月、竣工:昭和61年3月。 年代:1986


護衛艦「こんごう」(写真)

第2030番船、護衛艦「こんごう」はイージス武器システムを搭載した日本初の護衛艦である。また、乗員の居住性、長期 滞洋性についても向上対策が織り込まれる等あらゆる面で新機軸が採用され飛躍的に性能向上が図られている。基準排水量7,250トン、水線長161m、 100,000馬力、30ノット。起工:平成2年(1990)5月、進水:平成3年9月、竣工:平成5年3月。 年代:1993


構内徽章と構内腕章

所属、職務により記章の形、色が異なった。


永年勤続(工員)記章

勤続10年~25年の永年勤続記章は昭和初期まで贈られていた。勤続10年(黄)、15年(緑)、20年(青)、25年 (赤)。


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