「物流博物館」 に対する検索結果 : 21

情報所有館 : 物流博物館 

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1升ビン用の藁ツト(再現)

ビン類の輸送時には、破損を防ぐために藁ツトがクッションとして用いられていた。この資料は、藁ツトの一大生産地であっ た淡路島で生産に携わっていた方が、のちに再現製作したもの。藁は麦藁を用いている。瓶詰めと同様に、洋酒に用いられた方法を日本酒に取り入れたものと考 えられる。 年代:昭和時代


京都馬借の運搬用具(馬の背で運ぶ道具)

京都の馬借(ばしゃく)が江戸時代に使用したもの。馬借とは馬を使った運送業者のことで、京都周辺で古くから活躍して いた。この道具は馬の鞍の両側に取り付け、人を乗せたほか、荷物も運んだと思われる。必要のないときにはたたむこともできた。 この道具を使用することで、3人が馬に乗ることができたので、「三宝荒神鞍(さんぽうこうじんぐら)」と呼ばれた。 年代:江戸時代


内国通運会社の半纏

印半纏に内国通運の社章「Eマル通E」のマークが入っている。ちなみに、「Eマル通E」のマークは日本通運株式会社の前 身の内国通運会社および国際通株式会社が明治時代から使用していた社章であり、両脇にあるEの文字を配したのは前島密の発案と伝えられ、このEは ExpressのEであるといわれている。 年代:明治時代


石炭運搬用のオウコ(天秤棒)とパイスケ

門司港で使用されていた天秤棒とパイスケ。石炭の荷役に使用した。 年代:昭和時代


車石

京 都・大津間には牛車専用路として車石が敷設され、琵琶湖から大津に陸揚げされた荷物を牛車が運搬していた。花崗岩に車輪の溝が刻まれている石のレールであ る。 年代:江戸~明治初期


陶磁器の藁荷造り(美濃焼の湯飲み茶碗)

陶磁器の荷造りは、江戸時代以来1970年代頃まで、主に藁を使って行われてきた。藁荷造りでは、同一の複数の器物を 藁でからげたユニット(カラゲなどという)が最小単位となり、このようなカラゲを一つにまとめて荷造りが行われる。また、藁で太い縄を作り、これを甕など に巻きつける荷造り法もある。各産地ごとに形状には違いが見られるが、上記のような2つの方法は共通している。資料は美濃焼の湯飲み茶碗100個入りの梱 包。 年代:昭和時代


鉄道錦絵「新橋ステンション蒸気車鉄道図」と再現模型

歌川広重(三代)が描いた新橋駅停車場の荷物積卸場の錦絵。内国通運による鉄道貨物の取り扱い光景が描かれている。こ の錦絵の情景をいろいろな資料に基づき模型化した。(蒸気機関車・客車・貨車の色については確かな資料がないため推定により塗色) 年代:明治8年(1875)頃


菱垣廻船図

菱垣廻船は大坂-江戸間を往来した船で、大坂から多くの日用品などを江戸に運んだ。船体の舷(げん)側の垣立(かきだ つ)に木製の菱垣格子が施されていたことがその名の由来。この資料には菱垣廻船と航路図が描かれている。 年代:江戸時代


江戸三度飛脚所看板

三度飛脚の看板。民間の町飛脚は、商業の中心地、大坂で江戸時代初期に誕生した。当初、毎月三度大坂・江戸間を往復した ので三度飛脚といわれたが、のちには飛脚仲間の固有名詞のほかに、定期飛脚を意味する言葉としても用いられた。飛脚は書状・為替(かわせ)・金銭・荷物な どを運び、商業の発達とともに成長・発展した。のち、江戸の三度飛脚は定飛脚と称するようになるが、大阪では幕末まで三度飛脚と称した。 年代:江戸時代


上方下方抜状早遅調

民間の飛脚としては、江戸の定飛脚、京都の順番飛脚、大坂の三度飛脚が有名であるが、この三者は飛脚仲間として相互協力 をしていた。本史料は定飛脚が東海道筋の関所や川を効率良く通過するための走行予定表と思われる。3日から12日まで、所要日数に応じた各地点の通過予定 時刻が、上り・下りに分けて記されている。 年代:江戸時代


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