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情報所有館 : 東芝未来科学館 

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万能真空管「ソラ」

海軍の航空用万能五極管として1943年(昭和18)に日本無線のFM-2A05Aが制定された。これはテレフンケン社のNF-2に近い構造を持ち、万能管としての性能も優秀で、機械的に頑丈であったが、量産の点で問題があった。海軍は当社にも生産するようにと要求したが、当時の技術本部長西堀栄三郎(後の第一次南極越冬隊長)は製造の難しいことを理由に了承せず、当時すでに航空機用に使われ始めていた「RH-2」を原型とした「ソラ」の開発に成功し、納入した。年代:1943年


万能真空管「ソラ」組立作業教本

日本無線の万能真空菅(FM2A05A)は、量産が難しく絶対数が不足していた。その為、海軍からの依頼を受け、当社は航空機用として使われていたGT管(RH-2)を原型に、1943年(昭和18)に「ソラ」の開発に成功した。「ソラ」は大量生産できることを前提に設計され、材料も極度に不足している状況から「トタン屋根を剥しても作れる」ように考えられ、素人にもわかり易い製造マニュアルを作成して「新橋の芸者を集めてでも製造可能」と言う優れたものだった。年代:1943年


ガラス製水銀整流器

1947年(昭和22)に製作されたガラス製水銀整流器で、形状から「タコ」と呼ばれた。陰極は水銀溜であり、封入気体は主として陰極より蒸発する水銀蒸気である。この水銀整流器は点弧装置等の付属装置を必要とするため、余り出力電流の小さい範囲はセレン整流器などが使われ、20A以上が適用範囲である。また最大電流容量は当時の製作技術では400Aであるが、欠点はその構造上機械的に弱く、400A以上のものを製作することは困難であった。年代:1947年


日本初の5球スパー全波ラジオ受信機 ZS-1007

全波受信機は、超高級品であるという観念を打破しようと、小型で普及型として1948年年(昭和23)に発売された日本初のスーパーヘテロダイン式全波ラジオ受信機である。当時の米国と同じGT管シリーズを使用した世界標準の性能で、部品に対しても、バンド切換スイッチ、電解コンデンサー、スピーカー等の他、0,01μF程度のバイパスコンデンサーにはチタン酸バリウムの極めて小さなものを使うなど、積極的に最新の技術を取り入れている。年代:1948年


日本初の小型撹拌式免税洗濯機  P型

戦後の洗濯機の生産は、主に進駐軍向けとして再開されたが、価格も高く、とても庶民には手の届かない商品であった。そこで何とか日本の家庭に洗濯機を普及させようと、1952年(昭和27)に価格3万円を切る小型撹拌式洗濯機P型を発売した。また、その年の物品税(贅沢税)の改正で、消費電力が100W以下のこのモデルは日本で初めての免税洗濯機となり、「P型」の愛称で大ヒットした。翌年1953年(昭和28)は、電化元年と呼ばれている。年代:1952年


強制空冷3極送信管 8T71R 

1951年(昭和26)民間ラジオ放送の開始とともに、中波放送機用各種送信管の製作が盛んになり、陽極損失25kWの強制空冷三極管8T71R(文化放送50kW、NHK福岡、札幌の100kW放送機に使用)を完成した。この8T71Rは、RCA―5671と互換性を有する大型強制空冷3極管で、従来この種大型管では、試みられなかったトリウム・タングステン・フィラメントを使用し、グリッドを板封じにし、高周波の動作安定をはかってある。年代:1953年


東芝7吋テーブル型テレビセット 73A型

1953年(昭和28)2月1日のNHK東京テレビジョン局の開局で、わが国で初めてのテレビジョン本放送が開始された。テレビが珍しい時代から、家庭でテレビが使用される時代となり、この目的にそって作られたのが本機で、いわば家庭用の普及型小型テレビセットである。ブラウン管は、7インチ電磁型180C-B4を使用し、使用真空管は16球である。本機は小型にも拘らず、大型同様の性能を有し、家庭用としてのあらゆる条件を備えている。年代:1953年


テレビ用角型ブラウン管(静電集束) 14HP4

当社のブラウン管の歴史は1924年(大正13)に測定用ブラウン管を製作した時に始まった。浜松高等工業学校で進められた高柳健次郎博士の研究も、当社のブラウン管(光電管)を使用して行なわれた。戦後、1953年(昭和28)のテレビ放送の開始に備え、RCA社との技術提携やブラウン管製造部門の整備を行い、角型ブラウン管(電磁集束)14CP4の量産体制に入った。1954年(昭和29)に角型ブラウン管(静電集束)14HP4を完成し、テレビセット価格の低減に寄与した。年代:1954年


日本初の計数形電子計算機 TAC

当社が製作した最初の計数形電子計算機は、1954年(昭和29)3月に東京大学に納入したTAC(Tokyo Automatic Computer)である。当時、マツダ研究所では電子計算機の将来性に着目して、その研究を行なっていた。TACはブラウン管の静電的記憶装置を有し、真空管式の演算回路によるもので、長寿命の真空管7,000本、記憶装置のブラウン管16本、安定電源整流器、制御卓からなる12架1卓の実装回路設計であり、構造設計を完了して、東大に納入した。年代:1954年


日本初の自動車用シールドビーム電球

アメリカ製の自動車前照灯の反射鏡とレンズとを封じ込んだシールドビーム電球は、従来の前照灯に比べて格段の優れた点があるが、国内の状況はアメリカ製品のままでは不都合である。アメリカ製品は左側の対向車に対して眩しさを与えないようになっているが、日本では右側の対向車に対する必要があり、当社は1954年(昭和29)に日本初の全部左側通行用としたシールドビーム電球を発売した。明るく、耐久性が優れていたため、多くの自動車に使われた。年代:1954年


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