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情報所有館 : 公益財団法人中田俊男記念財団 牛乳博物館
高温殺菌した牛乳の保存や運搬に使用をした通箱である。特に蓋のアール型が特徴で、横55センチメートル×高さ33センチメートル×幅33センチメートルの木製になっている。当時飛行場に納入したもので通箱を必ず返却するようにと書いてある。年代:昭和19(1944)年頃
学校給食ミルクは脱脂粉乳を溶解して作った牛乳から始まった。当時、学童のコップに分注するために用いられたアルミ製のやかん。年代:昭和27(1952)年頃
三里塚御料牧場で飼育された牛から搾った牛乳はこのガラスミルカー(14リットル容)で衛生的に取り扱われ天皇家に献上された。年代:昭和40(1965)年頃のもの
ネパールで使用したヨーグルト素焼甕で深さ28センチメートル幅12センチメートルである。前の皿はヨーグルト素焼皿で、ヨ-グルトが白く付着している様子がわかる。素焼であったため、乳酸菌が付着していたことから各農家独自のヨーグルトの味が生まれた。
牛乳粥をつくる土鍋(インド製)である。容器の色彩及び模様がインド文化を象徴している。
牛乳缶の型、容量は様々で、缶に所有者の名前が刻印されている。(フィンランド製・(右側))・仔牛に飲ませる牛乳哺乳缶(4リットル容・ブリキであり、ベルギー製のもの・(左側))。年代:1912年頃代
お茶や牛乳を沸かすための牛型ケトル。カバーケトル(蓋が湯のみ)に注いでお茶や牛乳を飲んだといわれている。インド農民はこよなく牛を大切にしたという。(インド製)
牛乳輸送缶は使用目的により缶型・容量が定められている(一般的には30~40キログラム)。所有者の名前を刻印をしたり或いは装飾が加えられるなど、世界各地の輸送缶には特色がある。年代:1950年代
当初は手搾りであったが、ミルカーの採用により作業の効率化と衛生的に搾乳が出来るようになり日本では1958年頃から国産化された。種類は左側からサスぺント(懸吊)型及びフロア(床置)型である。年代:昭和35(1960)年代
陶器製で赤絵の哺乳瓶である。上流家庭において当初重湯を入れ哺乳に使ったもので、後に牛乳にも用いたといわれている。花模様の焼き物として特色がある。年代:幕末から明治時代