舞台照明用調光装置の系統化調査

Systematic Survey on the Dimming System for Stage Lighting


佐伯 隆夫 Takao Saeki


■要旨

 舞台照明とは、舞台上におけるあらゆる光の効果を指し、観客が舞台を見るに十分な明るさを与えるための照明や、舞台上の人物の心理や劇的状況の転換などを表現するための効果としての照明である。
舞台照明の歴史は、古代ギリシャ時代まで遡る。古代ギリシャでは、紀元前5世紀ごろにギリシャ悲劇が成立し、巨大劇場で演じられるまでに発達していった。この時の舞台照明はもちろん太陽光である。我が国でも神楽や能の舞台は屋外に造られ、太陽光の下で演じられていた。演劇における昼光照明の時代は実に永かった。古代ギリシャ時代の演劇から、明治の歌舞伎に至るまで実に24世紀にも及ぶ。
 自然光(太陽光)とともに人工光源が演劇に使われるようになったのは、16世紀末から17世紀初頭のイタリアの劇場で油灯やろうそくが使用されるようになった。さらに石油ランプの時代を経て、19世紀になるとガス灯の時代へと発展していく。舞台照明の発達が常に光源の開発に伴うことは歴史によって明らかであるが、白熱電球の発明は舞台照明に画期的な展開を示し、狭義な意味では舞台照明の歴史が1880年代に始まったともいえる。それは人為的に光を自由に制御できるようになったことにより、光を演出の要素として駆使し得るようになったからである。
 日本で最初に本格的な舞台照明設備が導入されたのは、1911年(明治44年)純欧風劇場として首都に出現した帝国劇場である。この時の調光装置はドイツのジーメンス社製のもので、調光器は金属抵抗器を使用し、舞台照明に適した操作機構を持った本格的なものであった。
 国産の調光装置が初めて大劇場に導入されたのは、1925年(大正14年)に開場した第三期歌舞伎座である。丸茂電機製作所により製作、納入された。その後明治座、京都南座、東京劇場などへ次々と納入され、ここから国産による舞台照明設備の時代が始まった。
 1934年(昭和9年)に開場した東京宝塚劇場に、我が国の舞台照明用調光装置の歴史の中でも特筆される成果である多分岐式調光変圧器が、世界に先駆けて丸茂電機製作所により開発、納入された。以来、我が国の舞台照明の調光方式は変圧器方式に変わり、第二次世界大戦をはさんで30年以上もの間この方式が主流となった。
 1958年アメリカのGE社(General Electric Company)で開発されたSCR(Silicon Controlled Rectifier)を使用したサイリスタ調光装置は、我が国でも1960年代には実用化され、1961年(昭和36年)NHK T- 101スタジオに初めて納入された。劇場では1963年(昭和38年)日生劇場、1966年(昭和41年)帝国劇場、国立劇場に納入され、その後全国の劇場、ホールに納入されるようになった。現在では操作機構の調光操作卓にコンピュータを使用し、より複雑で多彩な演出を可能にしている。また、近年舞台照明器具の光源がLEDに変わりつつあり、近い将来調光器が必要なくなり、全ての照明器具を制御信号によって調光やカラー制御をする時代が来るであろう。

 

 


■Abstract

 Stage lighting refers to any light effect on the stage, including lighting to provide sufficient light for the audience to see the stage, or as an effect to express the psychology of the characters on stage or dramatic turn of events.
 The history of stage lighting dates back to ancient Greece. Greek tragedy was developed around the 5th century B.C. in ancient Greece, and was performed in huge theaters. The type of stage lighting at that time was, of course, sunlight. Even in Japan, Kagura and Noh plays were performed outdoors under the sun. The history of the use of daylight in the theater is a long one. From the theatre of ancient Greece to the Kabuki theater of the Meiji era, the era of daylight illumination in theater has stretched across 24 centuries.
 Artificial light sources were used in conjunction with natural light (sunlight) for theatrical performances beginning with the use of oil lamps and candles in Italian theaters at the end of the 16th and beginning of the 17th century. The oil-lamp era transitioned to the era of gas lamps in the 19th century. History has demonstrated that the progress of stage lighting has always been accompanied by the development of light sources, and the invention of the incandescent light bulb marked a revolutionary development in stage lighting. In the strictest sense, the history of stage lighting can be seen to have begun in the 1880s, since light could be freely controlled artificially allowing it to be employed as an element in stage productions.
 The first fully-fledged stage lighting system in Japan was installed in 1911 at the Imperial Theatre, manifesting in the capital as a purely European-style form of theater. The dimming equipment at that time was manufactured by Siemens of Germany, and the dimmer was an authentic system that used metal resistors and had an operating mechanism suitable for stage lighting.
 The first domestically produced dimming system was installed in a large theater, the third Kabukiza, which opened in 1925. It was manufactured and delivered by Marumo Electric Works. Subsequent installations at the Meijiza Theater, the Kyoto Minamiza Theatre, and the Tokyo Gekijo Theatre ushered in the era of domestically produced stage lighting equipment.
 The Tokyo Takarazuka Theater opened in 1934, and Marumo Electric Works developed and delivered a multi-branch type dimming transformer, a notable achievement in the history of dimming equipment for stage lighting in Japan, ahead of any other company in the world. Since that time, the dimming system for stage lighting in Japan has been replaced by the transformer system, and this system became the mainstream for more than 30 years, spanning WWII.
 The Silicon Controlled Rectifier (SCR) dimming system developed by General Electric Company (GE) in the US in 1958 was put to practical use in Japan in the 1960s, and was delivered to NHK T-101 Studio for the first time in 1961. In theaters, SCR dimmers were delivered to the Nissay Theatre in 1963, the Imperial Theatre in 1966, and the National Theatre of Japan in 1966, and were subsequently delivered to theaters and halls throughout the country. Today, the dimmer control console in the operating mechanism uses a computer, enabling more complex and varied productions. Moreover, in recent years, the light source of stage lighting fixtures has been shifting to LED, and in the near future, dimmers and color control will no longer be required, with all lighting fixtures being dimmed by control signals.


■ Profile

佐伯 隆夫 Takao Saeki
国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員

1978年日本大学生産工学部電気工学科卒業
1978年丸茂電機株式会社入社 営業技術部技術課に配属
サンシャイン劇場舞台照明設備の設計、施工管理を担当
1993年営業技術部 設計課長
世田谷パブリックシアター、可児市文化創造センター、博多座などの舞台照明設備の設計に従事
2001年営業部 営業課長
帝国劇場、歌舞伎座、新橋演舞場、明治座、東京宝塚劇場、新国立劇場を担当する。
2011年営業部 営業統括課長
第五期歌舞伎座の舞台照明設備の担当として、設計から2013年の開場まで携わる
2014年営業部 営業部長
2015年営業本部 部長
2020年技術部 顧問
2023年国立科学博物館 主任調査員


 1 はじめに

 本報告書は、舞台照明における調光装置が国産化されてからどのような技術的発展を遂げてきたかという調査報告書であるが、特に世界に先駆けて独自に開発され、戦前から戦後における我が国の舞台照明用調光装置の主流であった多分岐式調光変圧器を中心に調査し、その後のサイリスタ調光装置、さらには近年のコンピュータ技術を駆使した調光装置について記述する。また、本筋とは少々ずれるが、舞台照明の発展は演劇や劇場の歴史と深い関係があるので、これらの歴史から舞台照明の歴史についても記述することとした。
 演劇の正確な起源は分かっていないが、一般に、古代の宗教的祭祀が発展したものではないかと考えられている。古代ギリシャ劇は紀元前550年頃から紀元前220年頃の古代ギリシャで花開いた演劇文化である。古代ローマでは、土着の宗教とギリシャ演劇が融合し、娯楽性の高い演劇が栄えていった1-3)
 古代日本でも『古事記』や『日本書紀』に演劇的行為についての記述がある。岩戸神楽の故事では、天の岩戸に隠れた天照大神の気を引くため、伏せた桶の上で天宇受売命(アメノウズメ)が踊っている。これが舞の一種である神楽の起源とみなされている1-1)。これらの演劇や芸能は、屋外に建てられた舞台において自然光の下で演じられていた。舞台照明の始まりである。舞台照明は、光を人為的に操作できるようになってから始まったと考えがちであるが、舞台に光が存在する限りすでに舞台照明であり、その効果が必ず演出上に影響を及ぼしていたのである。
 ギリシャ・ローマ時代に続くヨーロッパ中世は、戦乱に明け暮れ、演劇にも劇場建築にも暗黒の時代だった。その後14世紀末から15世紀にかけてイタリアを中心に、ルネサンス(文芸復興)の時代が到来する。1585年にヨーロッパで初めて有蓋劇場であるテアトロ・オリンピコがイタリアに完成する。有蓋劇場というのは、舞台ならびに観覧席が屋根を持った同一の建物内に含まれる劇場である。ここから舞台照明は人工照明の時代になっていくのであるが、イギリスではイタリアの劇場とは異なる道を歩む。16世紀末から17世紀初めにかけてロンドンに建設された劇場は、エリザベス朝劇場あるいはシェイクスピア劇場と呼ばれ、平土間の周囲を円形か多角形の多層の桟敷で取り囲み、平土間に舞台を設置し周りは立見席の土間であった1-5)。桟敷と舞台だけに屋根をかけ平土間は野外であったため、舞台照明は自然光によって行われていた。
 一方日本では、慶長の初め出雲の阿国により歌舞伎の原点である「念佛踊」が踊られ、1603年(慶長8年)には女歌舞伎の団体がいくつもでき諸国へ下って行った1-1)。初期の歌舞伎劇場は能舞台を模した構造になっており、客席は舞台の両袖にある桟敷席と舞台周辺の土間である。屋根があったのは舞台と桟敷席のみで、演者は土間に降り注ぐ太陽光の照り返しで演技していた。1723年(享保8年)には幕府より防火のため瓦葺および土蔵造りの塗家にすべき命が下り、その後瓦葺の屋根で覆われた全蓋式の芝居小屋が完成した1-2)。しかし、歌舞伎の公演は明るいうちが原則で、照明は2階桟敷席上部の高窓から取り込む太陽の光だけであるから、舞台も客席もかなり薄暗かった。芝居が延びて暗くなってきたときは、例外的にろうそくや灯油による人工照明を使用していた。
 電灯照明の時代になる以前、19世紀初頭から約60年の短い間、欧米ではガス照明の時代があった。約2世紀も続いた灯火照明に比べれば短命に終わったが、複数のガスバーナを開閉して調光操作する操作テーブルが登場した。現在の調光操作卓の先駆けである。しかし日本ではガスでの舞台照明の時代はほとんどなく、灯火の時代から一足飛びに電灯の時代へと移っていった1-4)
 次に登場するのが舞台照明の発展にとって大きな進歩をもたらす白熱電球である。白熱電球の登場により電気的調光操作が可能となり、光を自由に制御できるようになった。このことにより、それまでの舞台を観客から見えるようにする照明から、光を演出の要素として駆使できるようになった。ここから本格的に舞台照明用調光装置の歴史が始まるのである。
 まず、20世紀初頭にオームの法則から簡単に発想された抵抗式が考案され、水抵抗器と金属抵抗器が実用化された。金属抵抗器には舞台照明に適した操作機構が構築され、より本格的なものとなった。我が国では当初欧米からの輸入に頼っていたが、1924年に丸茂電機製作所により国産化され、以後日本の劇場には国産の調光装置が設置されるようになった。さらに、1934年には抵抗式の短所を克服する変圧器式を独自に開発し、舞台照明に適した操作機構を組み合わせた多分岐式調光変圧器を実用化した。この方式は、1960年代になってサイリスタ調光器が実用化されるまで、30年以上我が国の舞台照明用調光装置の主流であった。
 本報告書では、舞台照明設備というものが一般的に良く知られていないので、2章で舞台照明設備の概要を説明し、演目により異なる劇場形態、舞台照明設備の特徴を記述する。3章では舞台照明の歴史として、太陽光の時代から白熱灯の時代までを劇場の歴史を視野に入れながら説明する。4章では調光装置の始まりとして、水抵抗器、金属抵抗器時代、5章では一時代を築いた多分岐式調光変圧器を始めとする各種変圧器式調光装置について説明する。6章では半導体技術によるサイリスタ調光器、7章ではサイリスタ調光器における調光操作卓の進化について記述する。8章では負荷と調光器、または調光器とコントロールチャンネルを接続する回路選択機構について記述し、9章では現代の舞台照明の実態として、ムービングライトやLED照明器具の制御方法について記述する。
 本来、舞台照明設備の歴史や技術の系統化という点では、照明器具とそれらを制御する調光装置を関連付けて説明していくことが、舞台照明設備の本質を系統化することにつながると考えられる。しかし、舞台照明用照明器具に関する技術は光工学や色彩工学などが中心であり、調光装置の技術は電気・電子工学や機械工学が中心となる。また、舞台照明用照明器具は、その光の質や用途によって多種多様にわたるため、この度の系統化調査では調光装置に対象を絞って調査することとさせていただいた。


参考文献

1-1) 伊原敏郎『日本演劇史』早稲田大学出版部(1904)
1-2) 後藤慶二『日本劇場史 附 西洋劇場の話』岩波書店(1925)
1-3) カール・マンツィウス著 飯塚友一郎/訳『世界演劇史  第1巻』平凡社(1931)
1-4) 遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート (1988)
1-5) 吉井澄雄『照明家(あかりや)人生』早川書房 (2018)

江戸時代の歌舞伎劇場(芝居小屋)の内部

顔見世興行がおこなわれている歌舞伎劇場(芝居小屋)の様子。東西の桟敷席の上層には、採光のための「明障子」と「明障子」を開閉する窓番が描かれている。

江戸時代の歌舞伎劇場(芝居小屋)の内部

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 2 舞台照明設備の概要

2.1 舞台照明と舞台照明家

 舞台照明とは、「劇場の舞台で演じられる演劇や舞踊を、観客に効果的に見せるためにつくられる、演出を伴った照明のことである」と、やや大まかではあるが定義することができる。
日本では、江戸時代の歌舞伎の舞台において、ろうそくの明かりによって役者の姿や表情を見せる手法が用いられていたことなど、舞台照明に関わると思われる事例を散見することができるが2-1)、今日の舞台照明の礎となったのは、1911年に東京・有楽町に開場した帝国劇場に、電気による舞台照明設備が初めて導入されたことが、その嚆矢と考えられる。この時、帝国劇場に採用されたのは、当時最新の製品とされていたドイツ・ジーメンス社の照明設備であった2-3)
 “演出を伴った照明”については、日本における舞台照明の草分け的存在である工学博士・遠山静雄が、1933年の電気学会において提唱した、 舞台照明の目的を「視覚」「写実」「審美」「表現」の四つの項目に分類して考察した論文によって明確に示されている2-2)
 その詳細は『舞台照明学 上巻』に記述されているが、これを舞台照明家の岩城保は次のように簡潔に要約している2-7)

1)視覚: 光の明るさや角度を整えて舞台の見やすさを提供する
2)写実: 実在の光を模倣することにより場面設定を現実らしく見せる
3)審美: 光の方向や色の工夫により舞台を美しく見せる
4)表現: 光の色や明るさを使って心理的な感情などを表現する

 こうした考察を実際の舞台で具体化するために、多くの舞台照明家がさまざまな試みを繰り返し、経験を積み重ねる中で、それぞれ独自の方法論の獲得や技法の習得によって、今日では多彩な舞台照明による表現を生み出すに至っている。
 舞台照明づくりに携わる舞台照明家については、劇場への電気導入に伴い、当初は電気を扱う技術者として劇場に入り「電気屋さん」と呼ばれていたが、次第に上演される舞台作品に効果的な明かりを提供する役割を担うようになり、作品の世界を理解し、光学的な知識やデザインのセンスなどを併せ持つ「舞台照明家」という地位を確立してきたという経緯がある。
 今日では、舞台照明家は舞台芸術を成立させるために欠かすことのできない、重要な芸術的要素を担うスタッフとして認識されている。



2.2 舞台照明設備の基本

 舞台照明設備は、演劇場面を作るために必要な照明設備で、劇中における春夏秋冬の季節表現、あるいは朝、昼、夕、夜の時間表現、雨、雲、雪、雷などの自然現象による舞台上の情景描写、あるいは、ショー、コンサート公演における審美的舞台形成などの演出空間全域にわたる照明効果、さらに、出演者の心理描写表現、あるいは、観客の注視を求めるためのフォロースポットライトによる照明など、演出空間において不可欠の設備である2-4)

2.2.1 舞台照明設備の構成

舞台照明設備の内容は、劇場やホールの形態、舞台の規模、あるいは運営方法によって異なるが、一般に図2.1に示すように調光設備と負荷設備によって構成されている。

図2.1 舞台照明設備の構成

図2.1 舞台照明設備の構成1)



調光設備は、受電設備、調光器盤、調光操作卓などによるシステムによって構成される。
また、負荷設備は、コンセント設備と照明器具に分かれ、さらに照明器具はスポットライト、フラッドライト、効果器など、用途や器具の構造・特性によって分類することができる。

2.2.2 劇場の舞台照明設備の配置

劇場における一般的な舞台照明設備の配置の図解を図2.2に示す。

図2.2 劇場に設備された舞台照明設備の配置図

図2.2 劇場に設備された舞台照明設備の配置図2)

2.2.3 舞台照明設備の名称と役割

 図2.2に記された舞台照明設備の名称と役割について表2.1に示す。

表2.1 舞台照明設備の名称とその特徴と役割

表2.1 舞台照明設備の名称とその特徴と役割



2.3 劇場と舞台照明設備

 欧米から輸入される製品の模倣から始まった日本のメーカによる舞台照明機器の開発・製造は、舞台照明の歴史の動きと歩調を合わせるように、舞台芸術を支える産業として歩み出し、発展してきた。
 特に、日本が芸能として育んできた歌舞伎が必要とする花道や廻り舞台といった、欧米の劇場には見られない特殊な劇場機構や上演形態などは、製品開発や舞台照明設備設計にも大きな影響を与え、欧米とは異なった独自の技術開発や発想によって、劇場の舞台照明設備モデルがつくられ、今日に至っている。
近年、舞台用照明器具の光源としてLEDが採用されるようになり、白熱灯の調光を主体とした従来の考え方から、舞台照明に求められる技術的な基盤が大きく変化しようとしている。
舞台芸術を支えてきたこれまでの舞台照明設備開発の歴史を振り返ると同時に、舞台照明技術の一つの到達点でもある現在の劇場の舞台照明設備について概観し、こうした技術を歴史の上にどう位置づけていくのかを考察してみようと思う。
 まず、日本の特徴的な劇場について、舞台照明設備の観点から見ていきたい。
 劇場というのは、本来その舞台で上演される作品ジャンルによって、建築的な規模、内装などの意匠、舞台空間の広さや大きさ、劇場機構やさまざまな設備が決定されてくるものである。
 舞台照明設備についても例外ではなく、その劇場の舞台で上演される舞台作品が必要とする明かりを、過不足なく提供できるような設備・機器が設計されていなければならない。
 そうした意味では、通年歌舞伎が上演される、2013年に開場した第五期歌舞伎座(東京・中央区)の舞台照明設備はその典型と言えるだろう。
 1997年、東京・渋谷区に開場した新国立劇場[オペラパレス]は、日本でも根付いてきたオペラの上演を目的とした、欧米の劇場に劣らない機構・設備を備えたオペラハウスである。
 演劇の専門劇場として取り上げるPARCO劇場(東京・渋谷区)は、2020年に劇場が入る建物の建て替えによって新劇場として再開場した劇場で、最新の設備・機器の導入のみならず、今後主流になると予測されるLED光源の照明器具の採用に対応するためのシステム構築が図られている。
 日本の劇場建設の特徴の一つに、全国各地の自治体が主体となって建設される公共ホールがある。これらの公共ホールでは、前述したような特定のジャンルの舞台作品ではなく、さまざまなジャンルの舞台作品を地域住民へ提供するというコンセプトに基づいて劇場設計がおこなわれる。いわば多目的ホールとしての機能が求められ、劇場の機構・設備も多様な要求に応え得る内容が求められる。
 そうした事例の一つとして、2019年に開場した群馬県高崎市の「高崎芸術劇場」の大劇場を取り上げた。

2.3.1 近代劇場としての歌舞伎劇場

 日本では明治以降、欧米の舞台芸術や劇場に関する文化や技術がもたらされたが、日本には300年の歴史を持つ「歌舞伎」という芸能が存在していた。
 歌舞伎には、すでに演出、演技、舞台装置、衣裳などに完成された様式があり、上演の場である芝居小屋には、花道や迫り(せり)、盆など、独自の舞台機構が備わっていた。
 欧米からもたらされた近代劇場の概念や文化・技術に対して、歌舞伎の芝居の世界がこれをどう取り込んでいくのか、あるいは自らをどう変革していくのかということが大きなテーマとなった。
 いわば、芝居小屋が近代劇場としての歌舞伎劇場へと生まれ変わっていく歩みが始まったのである。
 舞台照明に関わる技術の発展は、そうした歌舞伎の歴史に大きく寄与していくことになる。その最新の成果が、2013年に開場した第五期歌舞伎座の舞台照明設備である。(図2.3,図2.4)

図2.3 第五期歌舞伎座の外観

図2.3 第五期歌舞伎座の外観3)

図2.4 歌舞伎劇場の客席正面

図2.4 歌舞伎劇場の客席正面4)


(1)歌舞伎劇場の特徴

歌舞伎劇場としての主な特徴を下記に示す。

○ 歌舞伎劇場のプロセニアム(客席と舞台の境にある額縁状の枠)は間口が広く、高さが低い横長である。
(歌舞伎座 間口:27.5 m 高さ:6.36 m)(図2.5)

図2.5 歌舞伎劇場のプロセニアム

図2.5 歌舞伎劇場のプロセニアム5)



〇舞台床に「盆」と呼ばれる廻り舞台や、盆の中に「迫り」と呼ばれる迫上がり装置があり、舞台装置の転換や俳優の登場、退場に使用される。

〇客席を縦に貫き舞台に至る「花道」と呼ばれる俳優が出入りする通路があり、舞台から三分の割合の位置を七三(しちさん)と呼び、ここに「すっぽん」と呼ばれる小型の迫上がり装置がある。すっぽんは幽霊や妖怪、妖術使いなど非現実的な役が登場するときに使用される。

〇花道の出入りの場所に「鳥屋(とや)」と呼ばれる小部屋があり、入口には「揚幕」と呼ばれる幕が掛かっている。揚幕はチャリンと音を立てて開け閉めされ、俳優の登場、退場を観客に知らせている。

〇舞台の上手(「かみて」と読み、客席から見て舞台の右側)と、下手(「しもて」と読み、客席から見て舞台の左側)に大臣柱がある。上手の大臣柱には、登場人物の心情などを語る義太夫のための床(ゆか)と呼ばれる場所があり、下手の大臣柱には、情景音楽を演奏する長唄と太鼓、鼓などによる効果音が演奏される「下座(げざ)」または「黒御簾(くろみす)」と呼ばれる演奏場所がある。

以上が主な歌舞伎劇場の特徴である。(図2.6)

図2.6 歌舞伎劇場の舞台図

図2.6 歌舞伎劇場の舞台図6)



(2)歌舞伎の舞台照明の特徴

 歌舞伎の舞台照明プランナー池田智哉が『舞台テレビジョン照明[知識編]』の中で、歌舞伎の舞台照明の特徴について丁寧に解説しているが、その内容を要約すると次のように述べることができる。
 歌舞伎照明の基本は、白色光で舞台全体が平面的に均一に見えるようにすることが要求される。これは、歌舞伎は平面的絵画美のように作られているため、錦絵のように陰影を持たないという原則があるためである。
 歌舞伎の衣裳や化粧もそのように構成されていて、衣裳は色彩と紋様が豪華で、写実を避けて象徴的な暗示で役柄や心情を表す優れたデザインがされている。これらの衣裳は、立体的な照明より平面的な照明の下で衣裳デザインの意図が発揮される。
 化粧についても、荒事の隈取は顔の血管を誇張した歌舞伎独特の化粧法で、隈自体が役の性格を示すと共に筋肉の隆起凹凸を描写して立体効果を表しているので、これに立体的な照明方法を与えると隈取の効果が無くなるため、基本的に平板な照明が要求される2-5)


(3)第五期歌舞伎座の舞台照明設備2-8)

 歌舞伎劇場舞台全体の舞台照明設備として、第五期歌舞伎座の舞台照明設備について、図2.7に示す。
 平面的で影を作らない歌舞伎照明の特徴を考慮した舞台照明設備は、舞台全体を均一に照明するボーダーライトの充実や衣裳や顔を明るく見せるフットライトの常設である。(図2.8)

図2.7 第五期歌舞伎座の断面図

図2.7 第五期歌舞伎座の断面図7)


図2.8 舞台上部の舞台照明設備

図2.8 舞台上部の舞台照明設備8)


 また、前明かりと言われる客席側から舞台へ照射し、俳優や舞台装置を明るく見せるフロントサイドスポットライト、バルコニースポットライト、シーリングスポットライトの充実や、俳優をやわらかい明かりで目立たせるランプフォロースポットライトなどがあげられる。このランプフォロースポットライトの操作は、一人で2台のスポットライトを操作することが伝統で職人技の域である。(図2.9〜図2.13)

図2.9 客席側からの前明かりをつくる照明設備 ①プロセニアムボーダーライト・⑥フットライト・⑨バルコニースポットライト・⑩フロントサイドスポットライト・⑫シーリングスポットライト

図2.9 客席側からの前明かりをつくる照明設備9)
①プロセニアムボーダーライト ⑥フットライト
⑨バルコニースポットライト
⑩フロントサイドスポットライト
⑫シーリングスポットライト


図2.10 フロントサイドスポットライト室の内部

図2.10 フロントサイドスポットライト室の内部10)
花道用ランプフォロースポットライトが常設される


図2.11 シーリングスポットライト室の内部

図2.11 シーリングスポットライト室の内部11)


図2.12 センターフォロースポットライト室の内部

図2.12 センターフォロースポットライト室の内部12)


図2.13 一人のオペレータによる2台のフォロースポットライト操作

図2.13 一人のオペレータによる2台のフォロースポットライト操作13)


 歌舞伎劇場ならではの舞台照明設備としては、花道用のフットライトや鳥屋口スポットライト、大臣柱上部に設置される大臣柱スポットライト、馬立ての上部に設置され舞台両サイド上部から照射する馬立てスポットライトがある。(図2.14〜図2.16)

図2.14 花道の舞台照明設備 ⑥フットライト・⑦花道フットライト・⑧鳥屋口スポットライト

図2.14 花道の舞台照明設備14)
⑥フットライト ⑦花道フットライト
⑧鳥屋口スポットライト


図2.15 大臣柱スポットライト<sup>15)</sup>

図2.15 大臣柱スポットライト15)


図2.16 馬立てスポットライト<sup>16)</sup>

図2.16 馬立てスポットライト16)

※ 馬立てとは、張り物(木枠にベニヤ板や布を張り、背景などを描いた大道具)や切り出し(立木や岩などを描き、その形に切り出した装置)を立てて収納しておく枠組みで、舞台の袖奥(舞台の両サイドの奥)につくられ ている。



 第五期歌舞伎座の調光装置は、サイリスタ調光器とリモートコントロールスポットライトも制御できるフォーカシングの機能を備えた調光操作卓で構成され、光ケーブルによるネットワークも構築されている。(図2.17〜図2.19)


図2.17 定式幕の色に塗装されたサイリスタ調光器盤<sup>17)</sup>

図2.17 定式幕の色に塗装されたサイリスタ調光器盤17)


図2.18 ネットワークパッチラック<sup>18)</sup>

図2.18 ネットワークパッチラック18)


図2.19 フォーカシングの機能を備えた調光操作卓<sup>19)</sup>

図2.19 フォーカシングの機能を備えた調光操作卓19)


職人技への手助け

 このコラムは、筆者が第五期歌舞伎座に納入したランプフォロースポットライトを開発した時の経緯を、『日本照明家協会誌』2018年1月号(公益社団法人日本照明家協会発行)に執筆し、掲載された文章を、一部修正・加筆したものです。

 「職人技」を辞書で調べると、“熟達した職人のなせる業” や“秀でた職人だからこそできる技” などと記述されています。
 舞台照明の世界でも、アークスポットライト時代のフォロー操作などは、職人技と言われてきましたが現在でも歌舞伎などでよく使われるランプフォロースポットライトでのフォロー操作も、職人技といってもいいのではないでしょうか。
 まず、一人で2台のスポットライトを扱い、動きの異なる二人の役者を同時にフォローします。これだけでもすごいと思いますが、なんと、両足を使って2台のスポットの調光もこなします。「ケトバシ」と呼ばれる調光装置(大きなフェーダが2本付いたものや、スライダックを改造したもの)を、足袋を履いた足の指先で器用に使いこなし、場面に合わせた調光操作をしていきます。
 また、歌舞伎のフォロースポットライトの明かりは、周りの明かりの雰囲気に馴染ませ、スポットライトが当たっていると観客に意識させないような明かりなので、スポットを当てるほうからすると非常に見えにくく、我々素人では役者に当たっているかわからなくなりますが、彼らは絶対に役者から明かりを外しません。これはもう立派な職人技だと思います。
 今回、平成25年4月に開場した第五期歌舞伎座の舞台照明設備を担当する中で、この職人技への手助けをするべく、ランプフォロースポットライトの新規開発・設計に臨みました。
 まず、第四期の歌舞伎座ではどのようにランプフォローをしているのか見に行きました。
 それほど広くない操作室に、年代物の古いスポットライトが置かれていました。そこで驚いたのは、調光するのに必要な「ケトバシ」が見当たりません。どのように調光するのか聞くと、フォーカス棒を回して調光しているとのこと。早速スポットライトの中を開けてみると、フォーカス棒に歯車をつけ、その歯車でボリュームを回していました。昔、丸茂電機の保守担当者に改造してもらったらしいと言っていました。
確かにフォーカス棒を持ってフォローするので、それを回して調光できれば役者のフォロー操作に集中できることになります。第五期歌舞伎座ではこの方式を採用することにしました。
 また、第五期歌舞伎座のセンタースポットライト室から、舞台までは35mほどの距離があります。舞台の明るさは第四期よりも明るくなると思われるので、フォロースポットライトも、当然現状のものより明るくなければなりません。一般的に考えるとランプ容量を上げれば明るくなると思いますが、第四期では1.5 kW を使用していたのに対して、第五期では1 kW を使用することにしました。これは器具効率が上がったことも影響していますが、フォロースポットライトならではの限定された使い方からきています。
 フォロースポットライトは、フォーカスを非常に絞った状態で使います。フォーカスを絞っていくとランプのフィラメントが投影されますが、フォロースポットライトとしては、ここから少し戻してフィラメントがボケたところで使用します。
 フォーカスを開いていくと、1 kW は急激に暗くなりますが、ここまで絞ると1.5kWも1kWも明るさはほとんど変わりませんでした。つまり、フォロースポットとしての限定された使い方では、1.5 kW を使う必要がないということでした。
 また、明かりの形は、周りに影響しない小判型の明かりが求められましたが、これはフィラメントの幅が狭いランプを使用し、さらにハレーション防止のため、ランプの上部と下部に黒塗りを施した専用ランプを製作することになりました。
 第五期歌舞伎座には、この他にも職人技を手助けするための工夫が盛り込まれたフォロースポットライトが設備されていますが、やはり最後は照明スタッフの職人技がものをいうことになります。

新橋演舞場のフォロースポットライト操作室

新橋演舞場のフォロースポットライト操作室。オペレータは椅子に座り、2 台のスポットライトを両手で操作しながら、足元の「ケトバシ」のフェーダを足の指先で動かして、調光操作をおこなっていた。



2.3.2 本格的なオペラ劇場 

 新国立劇場[オペラパレス]

 ヨーロッパを発祥とするオペラの上演を目的とし、欧米のオペラ劇場をモデルに最新の劇場機構・設備が導入されている。
 1997年の開場以来、海外の劇場との提携公演や、劇場制作のオペラ作品の上演など、世界のオペラ界の動向を視野に入れ、日本におけるオペラ文化の普及に力を注ぐ劇場である。(図2.20)

図2.20 新国立劇場[オペラパレス]<sup>20)</sup>

図2.20 新国立劇場[オペラパレス]20)


(1)オペラ劇場の特徴2-6)

 オペラ劇場としての特徴を下記に示す。

〇オペラ劇場のプロセニアムは歌舞伎劇場とは対照的に、間口が狭く、高さが高いプロセニアムである。(新国立劇場[オペラパレス]の舞台間口:16.38 m 高さ:12.5 m)(図2.21)
また、建築構造上のプロセニアムの内側に、照明機構を組み込んだ第二のプロセニアム(インナーポータル)とも言うべきポータルブリッジ、ポータルタワーが舞台前方に設備されている。これは上演作品の規模に相応して幅や高さが調整できるものである。

図2.21 オペラ劇場の舞台<sup>21)</sup>

図2.21 オペラ劇場の舞台21)


〇舞台は主舞台のほかに、舞台装置をあらかじめ完全な形でセットしておくことにより、舞台転換の時間的短縮と能率化・省力化が図れる左右二面の側舞台と、加えて透視図法的遠距離感を必要とする作品には欠かせない奥舞台の三面からなり、これらはいずれも主舞台とほぼ同等の広さを要している。側舞台には移動床(スライディングデッキ)があり、主舞台を沈下し、移動床をスライドさせて舞台装置の転換を行う。
また、奥舞台には回転舞台が装備され、あらかじめセットされた舞台装置を任意に回転させながら前進することができる。
さらに、主舞台には舞台転換の能率化と演出上、舞台美術上の効果を狙った迫り機構が備えられている。(図2.22)

図2.22 新国立劇場[オペラパレス]の平面図<sup>22)</sup>

図2.22 新国立劇場[オペラパレス]の平面図22)


〇オペラ・バレエの上演に欠かせない設備として、オーケストラの演奏場所であるオーケストラピットが設けられている。オーケストラピットは、舞台と客席との間にあるので、視覚的に邪魔にならず、舞台上の歌手の歌声とオーケストラピットで演奏される音楽が観客に理想的に届くよう音響効果を考えた配置となっている。
 また、オーケストラピットは、オーケストラ奏者最大120名程度の編成を収容できるスペースが確保されている。(図2.23)

図2.23 オーケストラピット<sup>23)</sup>

図2.23 オーケストラピット23)


(2)オペラ・バレエ照明の特徴

 オペラやバレエはヨーロッパを中心に発展してきた芸能であるため、舞台装置は立体的で大きな舞台装置が使用される。したがって照明手法としても、舞台装置や人物の立体感を出すため、明るさと影の部分のコントラストを強調するなど、写実的な表現が用いられる。(図2.24,図2.25)

図2.24 バレエの舞台<sup>24)</sup>(新国立劇場バレエ団公演『ジゼル』 撮影:鹿摩隆司)

図2.24 バレエの舞台24)
新国立劇場バレエ団公演『ジゼル』 撮影:鹿摩隆司


図2.25 オペラの舞台<sup>25)</sup>

図2.25 オペラの舞台25)
2018 年新国立劇場公演『トスカ』 撮影:寺司正彦


(3)新国立劇場[オペラパレス]の舞台照明設備

 オペラ劇場の舞台照明設備として、新国立劇場[オペラパレス]の舞台照明設備を図2.26の新国立劇場[オペラパレス]断面図に示す。

図2.26 新国立劇場[オペラパレス]の断面図<sup>26)</sup>

図2.26 新国立劇場[オペラパレス]の断面図26)


 新国立劇場[オペラパレス]の舞台照明設備の特徴は、舞台上部の照明機材を演目ごとに吊り変えることなく運用できる配置となっている。これはいくつかの演目を日替わりで上演するレパートリーシステムを考慮し、可能な限り照明機材を共有化することで、多種のオペラ・バレエ公演に対応するよう考えられている。
 照明設備としては、インナーポータルを構成するポータルブリッジとポータルタワーの照明設備の充実や、舞台上部の照明ブリッジへの照明回路の充実が挙げられる。(図2.27〜図2.31)

図2.27 ポータルブリッジとポータルタワー<sup>27)</sup>

図2.27 ポータルブリッジとポータルタワー27)


図2.28 上手ポータルタワースポットライト<sup>28)</sup>

図2.28 上手ポータルタワースポットライト28)


図2.29 ポータルブリッジスポットライト<sup>29)</sup>

図2.29 ポータルブリッジスポットライト29)


図2.30 舞台上部の照明ブリッジ<sup>30)</sup>

図2.30 舞台上部の照明ブリッジ30)


図2.31 照明ブリッジ<sup>31)</sup>

図2.31 照明ブリッジ31)


 また、バレエ公演で多用されるタワースポットライト(舞台の上手、下手に設備される梯子状の照明設備)が、上手、下手それぞれに4基あり、前後の位置と高さを自由に設定することができる。(図2.32)

図2.32 上手タワースポットライト<sup>32)</sup>

図2.32 上手タワースポットライト32)


図2.33 調光室<sup>33)</sup>

図2.33 調光室33)


2.3.3 フレキシブルで機能性を備えた演劇専用劇場 PARCO劇場2-9)

 1973年、「西武劇場」として開場し、1985年「PARCO劇場」に改称された後、劇場が入る建物の建て替えに伴い2020年に新劇場として再開場した演劇の上演を主体とした劇場である。(図2.34)

図2.34 PARCO 劇場ロビーホワイエ<sup>34)</sup>

図2.34 PARCO 劇場ロビーホワイエ34)


 西武劇場としての開場以来、若い劇作家や演出家などの才能をいち早く見出し、演劇史に残る数々の優れた舞台を創り出すなど、演劇文化を牽引する劇場として知られている。
 そうした歴史を継承・発展させていくために、新劇場の舞台照明設備には将来の技術開発を想定した最新のシステムが構築されている。


(1)演劇専用劇場の特徴

 台詞を主体とした演劇は、自由自在に演出され、演出によって求められる舞台の構造や機構が異なるため、劇場形式はプロセニアム形式もプロセニアムを持たないオープン形式も用いられる。
 しかし、演劇専用劇場に共通しているのは、観客席が小さく舞台間口が狭いことであり、演技者と観客が近いことである。演劇は俳優の表情や繊細な演技を間近で見ることに醍醐味があるので、客席数は300席~800席程度の劇場が多いようである。(図2.35)

図2.35 客席から見た舞台<sup>35)</sup>⑧フロントサイドスポットライト

図2.35 客席から見た舞台35)
⑧フロントサイドスポットライト


(2)演劇の照明の特徴

 演劇の照明の特徴としては、立体的な舞台装置が多いので、基本的に立体的な写実的照明である。また、舞台と観客が近いのでより繊細な照明が要求され、光によって観客の視線と意識を集中させる部分と、見える必要がない部分のコントラストで情景描写や心理描写を表現することである。(図2.36)

図2.36 演劇の舞台<sup>36)</sup>(ニットキャップシアター公演『カムサリ』 舞台照明:葛西健一 撮影:小川峻毅)

図2.36 演劇の舞台36)
ニットキャップシアター公演『カムサリ』 舞台照明:葛西健一 撮影:小川峻毅


(3)PARCO劇場の舞台照明設備

 演劇専用ホールの舞台照明設備として、PARCO劇場の舞台照明設備を、図2.37のPARCO劇場断面図に示す。

図2.37 PARCO 劇場の断面図<sup>37)</sup>

No. 舞台照明設備の名称
照明ブリッジ
サスペンションスポットライト
アッパーホリゾントライト
ロアーホリゾントライト
サイドサスペンションスポットライト
トーメンタルスポットライト
客席サスペンションスポットライト
フロントサイドスポットライト
キャットウォークスポットライト
バルコニースポットライト
シーリングスポットライト
センターフォロースポットライト

図2.37 PARCO 劇場の断面図37)


 舞台照明設備の特徴としては、演劇の照明が基本的に立体的な写実照明であるため、舞台全体を均一に照射するボーダーライトは常設されず、舞台上部の照明ブリッジに設備されるサスペンションスポットライトの充実や、舞台奥のホリゾント幕に背景色を染めるホリゾントライトの常設。また、フロントサイドスポットライト、シーリングスポットライト、バルコニースポットライトによる前明かりの充実などが挙げられる。(図2.38〜図2.40)

図2.38 舞台上部の舞台照明設備<sup>38)</sup>①照明ブリッジ・②サスペンションスポットライト・③アッパーホリゾントライト・⑧フロントサイドスポットライト・⑪シーリングスポットライト

図2.38 舞台上部の舞台照明設備38)
①照明ブリッジ ②サスペンションスポットライト
③アッパーホリゾントライト ⑧フロントサイドスポットライト
⑪シーリングスポットライト


図2.39 照明ブリッジとサスペンションスポットライト<sup>39)</sup>

図2.39 照明ブリッジとサスペンションスポットライト39)


図2.40 舞台から見た舞台照明設備<sup>40)</sup>⑧フロントサイドスポットライト・⑪シーリングスポットライト

図2.40 舞台から見た舞台照明設備40)
⑧フロントサイドスポットライト
⑪シーリングスポットライト


 PARCO劇場の調光装置としては、調光操作卓とサイリスタ調光器で構成され、調光器は将来のLED化を見据え、移動型調光器を主体とした分散型調光設備である。(図2.41,図2.42)

図2.41 調光室の調光操作卓<sup>41)</sup>

図2.41 調光室の調光操作卓41)


図2.42 移動型調光器<sup>42)</sup>

図2.42 移動型調光器42)


2.3.4 多目的ホールとしての大劇場

 (高崎芸術劇場 大劇場)2-10)

 高崎市民の誇りとして親しまれてきた高崎市民オーケストラは、今日では群馬交響楽団として、日本国内だけでなく海外でも、その音楽性の豊かさと優れた演奏技術が高く評価されている。そうした群馬交響楽団に象徴される高崎市の文化の伝統を継承しながら、新しい時代を切り拓く文化の創造と発信をコンセプトに「高崎芸術劇場」が2019年に開場した。大劇場はさまざまな音楽や舞台芸術に対応する多目的ホールである。(図2.43)

図2.43 高崎芸術劇場の外観<sup>43)</sup>

図2.43 高崎芸術劇場の外観43)


(1)多目的ホールとしての特徴

〇多目的ホールでは、オペラやバレエ、ミュージカル、演劇などの舞台芸術はもとより、歌舞伎や日本舞踊といった日本の伝統芸能、クラシックからロックまで幅広いジャンルのコンサートやライブなど、さまざまな舞台公演が提供され、さらには映画上映や講演会、祝典行事といった催し物などに利用されるため、その目的に応じた舞台空間をつくる必要がある。このため舞台のプロセニアムには間口、高さが可変できる機構が設備されている。(図2.44)

図2.44 多目的ホールの舞台<sup>44)</sup>

図2.44 多目的ホールの舞台44)


〇多目的ホールの最も大きな特徴は、クラシックコンサートの上演には必要不可欠である舞台上の演奏音を効果的に客席に伝えるための音響反射板が設置できることである。(図2.45)
音響反射板の格納方法としては、高崎芸術劇場のように舞台上部に吊り込む方法が一般的であるが、NHKホール(東京・渋谷区)のように舞台奥に格納する方法や、東京文化会館(東京・台東区)のように迫りを利用して舞台下に格納する方法などがある。

図2.45 コンサートのために音響反射板を設置した舞台<sup>45)</sup>

図2.45 コンサートのために音響反射板を設置した舞台45)


〇オペラやバレエ公演の時にオーケストラピットが構成でき、昇降させることにより客席にも前舞台としても使用できる機構が設備されている。


(2)高崎芸術劇場(大劇場)の舞台照明設備

 多目的ホールとしての高崎芸術劇場(大劇場)の舞台照明設備を、図2.46高崎芸術劇場(大劇場)の断面図に示す。

図2.46 高崎芸術劇場(大劇場)の断面図<sup>46)</sup>

No. 舞台照明設備の名称
プロセニアムサスペンションスポットライト
ボーダ−ライト
サスペンションスポットライト
アッパーホリゾントライト
ロアーホリゾントライト
音響反射板ライト
音響反射板(収納時)
トーメンタルスポットライト
フットライト
花道フットライト
コンダクタースポットライト
フロントサイドスポットライト
バルコニースポットライト
シーリングスポットライト
センターフォロースポットライト
調光操作卓

図2.46 高崎芸術劇場(大劇場)の断面図46)


 照明設備としては、幅広い公演に対応するためボーダーライトやホリゾントライトが常設され、これらの照明器具はLED器具で設備されている。また、舞台上部のサスペンションスポットライトや前明かりのフロントサイドスポットライト、シーリングスポットライト、バルコニースポットライト、センターフォロースポットライトの充実などである。(図2.47〜図2.49)

図2.47 舞台上部の舞台照明設備<sup>47)</sup>②ボーダーライト・③サスペンションスポットライト・④アッパーホリゾントライト・⑤ロアーホリゾントライト・⑪フロントサイドスポットライト・⑬シーリングスポットライト

図2.47 舞台上部の舞台照明設備47)
②ボーダーライト ③サスペンションスポットライト
④アッパーホリゾントライト ⑤ロアーホリゾントライト
⑪フロントサイドスポットライト ⑬シーリングスポットライト


図2.48 舞台から見た客席側の舞台照明設備<sup>48)</sup>①プロセニアムサスペンションスポットライト・⑪フロントサイドスポットライト・⑬シーリングスポットライト

図2.48 舞台から見た客席側の舞台照明設備48)
①プロセニアムサスペンションスポットライト
⑪フロントサイドスポットライト ⑬シーリングスポットライト


図2.49 センターフォロースポットライト<sup>49)</sup>

図2.49 センターフォロースポットライト49)


 調光装置としては、サイリスタ調光器と調光操作卓で構成され、光ケーブルによるネットワークが構築されている。(図2.50)

図2.50 調光室の調光操作卓<sup>50)</sup>

図2.50 調光室の調光操作卓50)



第2章 図・写真引用

1) 丸茂電機株式会社 資料
2) 作図:滝善光
3) 株式会社歌舞伎座より提供
4) 丸茂電機株式会社 写真資料
5) 株式会社歌舞伎座より提供
6) 作図:滝善光
7) 丸茂電機株式会社 資料
8) 丸茂電機株式会社 写真資料
9) 丸茂電機株式会社 写真資料
10) 丸茂電機株式会社 写真資料
11) 丸茂電機株式会社 写真資料
12) 丸茂電機株式会社 写真資料
13) 歌舞伎座照明部より提供
14) 丸茂電機株式会社 写真資料
15) 丸茂電機株式会社 写真資料
16) 丸茂電機株式会社 写真資料
17) 丸茂電機株式会社 写真資料
18) 丸茂電機株式会社 写真資料
19) 丸茂電機株式会社 写真資料
20) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
21) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
22) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
23) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
24) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
新国立劇場バレエ団公演『ジゼル』(撮影:鹿摩隆司)
25) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
2018年新国立劇場公演『トスカ』(撮影:寺司正彦)
26) 東芝ライテック株式会社より提供された断面図に著者が加筆
27) 丸茂電機株式会社 写真資料
28) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
29) 丸茂電機株式会社 写真資料
30) 丸茂電機株式会社 写真資料
31) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
32) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
33) 公益財団法人 新国立劇場運営財団より提供
34) 丸茂電機株式会社 写真資料
35) 丸茂電機株式会社 写真資料
36) 公益社団法人 日本照明家協会より提供 ニットキャップシアター公演『カムサリ』
(舞台照明:葛西健一 撮影:小川峻毅)
37) 丸茂電機株式会社 資料
38) 丸茂電機株式会社 写真資料
39) 丸茂電機株式会社 写真資料
40) 丸茂電機株式会社 写真資料
41) 丸茂電機株式会社 写真資料
42) 丸茂電機株式会社 写真資料
43) 丸茂電機株式会社 写真資料
44) 丸茂電機株式会社 写真資料
45) 丸茂電機株式会社 写真資料
46) 丸茂電機株式会社 資料
47) 丸茂電機株式会社 写真資料
48) 丸茂電機株式会社 写真資料
49) 丸茂電機株式会社 写真資料
50) 丸茂電機株式会社 写真資料

第2章 参考文献

2-1)式亭三馬 編『戲場訓蒙図彙』(1803)
2-2)『電気学会雑誌』社団法人電気学会 第54巻546号(1934)
2-3)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.262, pp.281-290(1988)
2-4)劇場等演出空間電気設備指針』社団法人電気設備学会 p.17(1999)
2-5)池田智哉「歌舞伎の照明」『舞台テレビジョン照明[知識編]』公益社団法人日本照明家協会 pp.129-131(2018)
2-6)立田雄士「オペラの照明」『舞台テレビジョン照明[知識編]』公益社団法人日本照明家協会 pp.55-62(2018)
2-7)岩城保『新・舞台照明講座』レクラム社 pp.84-101(2022)
2-8)丸茂電機株式会社 ライティングデータシート No.297 第五期歌舞伎座
2-9)丸茂電機株式会社 ライティングデータシート No.315 ARCO劇場
2-10)丸茂電機株式会社 ライティングデータシート No.314 高崎芸術劇場

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 3 舞台照明の歴史

 舞台照明の歴史は、演劇や劇場の歴史と深い関係にあり古代ギリシャ時代まで遡る。当時の劇場は丘陵地の斜面を利用した石造りの劇場で、芝居やコーラスは太陽光の下で行われていた。この太陽光の時代は長く16世紀末全蓋式の劇場ができるまで続いた。全蓋式の劇場では人工照明が使われ油灯やろうそくが使われた。19世紀になると石油ランプやガス灯が登場する。舞台照明の発達は常に光源の開発に伴うことになるが、19世紀末の白熱電球の発明は演劇における演出効果や舞台照明技術に画期的な発展をもたらした。


3.1 太陽光の時代

3.1.1 ギリシャ・ローマ時代の劇場

 演劇は、古代の宗教的祭祀が発展したものではないかと考えられているが、ギリシャの演劇は、ディオニソス(豊穣と葡萄酒の神)崇拝に伴う神聖な祭礼に起源すると言われている。当時の人々は、これらの祭礼で行われる合唱や舞踊をするために、地面を固く平坦に踏みならし、石でその輪郭に輪を描いた。この円形の場所がオーケストラと呼ばれ、民衆はそのまわりをとり囲んだ。その後、木造の腰掛のついた桟敷が傾斜面やオーケストラの周囲に設けられ観覧席となり、これがギリシャ劇場の原形となった。
 これらの劇場は、木造だったため現存していない。現在見ることのできる最も古い劇場は、紀元前四世紀後半にギリシャのアテネにつくられた、石造りのディオニソス劇場である。当時の劇場は、ゆるやかに傾斜した山腹に好んで建てられ、劇場の形態は木造の劇場を踏襲し、円形のオーケストラの周囲に石材を階段状に積み上げたすり鉢状の観覧席があった3-3)。(図3.1)

図3.1 ディオニソス劇場の遺跡<sup>1)</sup>

図3.1 ディオニソス劇場の遺跡1)


 当時の演技の中心はオーケストラにおける合唱と舞踊であったが、しだいに俳優の台詞や演技に中心が移り、その演技場所としてオーケストラの一端に舞台が構成された。さらに戯曲が複雑になり登場人物も増えると、俳優の衣裳や仮面を替える場所が必要になり楽屋(スケネ)が造られ、その前面に柱や扉を設けて装飾壁とし、そのまま固定した背景として使われるようになった。
 ローマ劇場もこれと同じような構造をしているが、ローマ時代には演劇が純宗教的性質を失い、演技の中心が舞台に移るにつれてオーケストラは広い面積が不要となり、舞台がその半分を占めるようになった。そのためオーケストラは半円になり、さらにオーケストラには元老院議員などの高官たちの場所が割り当てられ、観覧席も観客から舞台が見やすいように半円になった。またローマ劇場の大きな特徴は、ギリシャ劇場が斜面の地形を利用して構築されたのに対し、ローマ劇場は平地にも建造されたことである3-3)。(図3.2)

図3.2 オランジ劇場全景<sup>2)</sup>

図3.2 オランジ劇場全景2)


 この時代の照明は太陽光であるが、自然の地形を利用した劇場が非常に多いため、太陽光の直射する方向、その季節、一日の時間経過を、ここで上演する演劇の演出に応用するというのは困難であったと思われる。また、舞台照明家遠山静雄の著書『舞台照明学 上巻』3-7)にゲルホイザー(M. F. Gerhäuser)が調査したギリシャ劇場の方位が載っているが、舞台が南面している劇場は非常に少なく、北向き、または北西、北北東向きが多い結果になっていた。これは、舞台は太陽光の直射のない天空拡散光と、床面などの周囲からの反射光によって照明されていた劇場が多かったといえる。

3.1.2 イギリスのシェイクスピア劇場

 16世紀末から17世紀初めにかけて、ロンドンに多くの劇場が建設された。いわゆるエリザベス朝劇場、あるいはシェイクスピア劇場と称されるものである。劇作家で詩人のウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)が活躍していた時代である。
 ロンドンに初めて劇場が建てられたのは1576年で、それまでの巡業劇団は、宿屋の中庭の一隅に舞台を作り芝居を上演していた。観客は周りを取り囲む回廊の窓から観るか、中庭の土間で観ていたようである。(図3.3)

図3.3 宿屋の中庭<sup>3)</sup>

図3.3 宿屋の中庭3)


 初めての劇場は、建具職を商売にしている傍ら俳優も務めていたジェイムズ・バーベッジ(James Burbage)が宿屋の構造をそのまま踏襲した専用の劇場を建設し、ザ・シアター(劇場)と名付けた。バーベッジは清教徒からの演劇に対しての迫害や、ロンドン市当局の演劇興行の禁止から免れるため、この劇場をロンドン市郊外に建設した3-4)
 その後、ザ・ローズ(薔薇座)、ザ・スワン(白鳥座)、ザ・グローブ(地球座)、ザ・フォーチュン(運命座)、ザ・ホープ(希望座)などの劇場が建設された。(図3.4)

図3.4 ザ・スワン(白鳥座)の内部の絵<sup>4)</sup>

図3.4 ザ・スワン(白鳥座)の内部の絵4)


 また、これらの劇場に対して普通の私邸内に設けられ、少数の選ばれた高貴な観客のため、小規模であるが全て屋根付きの劇場があった。このような劇場は私設劇場(private theatre)と呼ばれ、これと区別するためにザ・グローブなどの屋外劇場を公衆劇場(public theatre)と呼んだ3-1)
 ザ・グローブ(地球座)に代表されるエリザベス朝時代の公衆劇場の構造は、外形は円形か八角形で、中に入ると幕のない舞台が中央まで張り出している。その舞台の周り三方が土間で立見席である。立見席には屋根がない。この舞台と立見席を屋根のある三階の桟敷席が取り巻いて劇場の外郭をなしている。このような様子は、宿屋の中庭を連想させるところから「中庭(yard)」と呼ばれたが、後にはその周囲が浅い穴のようにできているので、「平土間(pit)」と呼ばれるようになった。
 舞台の奥はさらにカーテンで仕切られた舞台があり、その上部に上部舞台(upper stage)と呼ばれる部分があった。前舞台と立見席には屋根がなかったので照明は自然光であった。(図3.5)

図3.5 ザ・グローブ(地球座)の内部<sup>5)</sup>

図3.5 ザ・グローブ(地球座)の内部5)


 エリザベス朝時代の劇場の方位は、遠山静雄の『舞台照明学 上巻』3-7)によると舞台は東、または東北向きであったと思われる。
 パブリックシアターの公演は午後に行われていたため、公演中は舞台にいっさい陽が射さなかった。したがって、イギリスにおけるパブリックシアターの舞台も太陽光の直射のない天空拡散光によって照明されていたと考えられる。

3.1.3 日本の歌舞伎劇場

 歌舞伎の誕生は、徳川家康が江戸に幕府を開く1603年(慶長8年)の春、京の都に出雲の阿国があらわれ「かぶき踊り」を踊ったことに始まるとされる。
 阿国は男のように髪を高く結い上げ、または断髪姿で男装して人々の前に現れた。
 南蛮風の派手な胴着や、覆面、大脇差し、金の瓢箪など姿かたちは異風であり、恋の小唄を歌いながら踊り戯れる阿国の姿は人々の心を魅了したのである。(図3.6)

図3.6 『阿國歌舞伎圖屏風』(京都国立博物館収蔵)<sup>6)</sup>

図3.6 『阿國歌舞伎圖屏風』(京都国立博物館収蔵)6)


 初期の歌舞伎劇場は、能舞台を模した形態をしていた。須田敦夫の初期歌舞伎劇場推定復元図によると、客席の中に張り出している「本舞台」と下手に伸びる「橋掛」によって構成されている。(図3.7)

図3.7 初期歌舞伎劇場推定復元図(須田敦夫)<sup>7)</sup>

図3.7 初期歌舞伎劇場推定復元図(須田敦夫)7)


 客席は舞台の上手、下手にある桟敷席と、本舞台を三方から囲むようにある土間である。
 劇場の外郭は竹矢来に筵を張ったものが多く、これを「切虎落(きりもがり)」という。屋根があったのは本舞台と橋掛そして桟敷席の上であり、土間には屋根がなかった。したがって、観客は舞台のまわりの土間に筵を敷いて座り、後方の人は立って日傘を差し、または、扇子をかざし陽を避けながら見物していた。この辺りはイギリスのシェイクスピア劇場とよく似ている3-7)
 初期の歌舞伎劇場においても、俳優は直射のない天空拡散光と土間に降り注ぐ太陽光の照り返しで演技していたのである。
 日本の歌舞伎劇場は、1718年(享保3年)江戸三座(幕府より歌舞伎興行を官許された芝居小屋で中村座・市村座・森田座がある)の嘆願により雨覆いとして板葺きを許され、さらに1723年(享保8年)幕府は、当時火災が頻繁にあったので防火のため瓦葺および土蔵造りの塗家にすることを命じた。これに対して興業者は、改築費用に窮することを口実に、禁止されていた二階桟敷を設けその収入をもって改築する費用にあてることを幕府に願いでて、これを許されたことにより、享保年間には江戸三座が全蓋式の防火構造に改築された3-2)。(図3.8)

図3.8 全蓋式の歌舞伎劇場<sup>8)</sup>

図3.8 全蓋式の歌舞伎劇場8)


 日本の歌舞伎劇場では、全蓋式になっても防火の観点から灯火の使用が禁止されていたため、上演は早朝から夕刻までであり、夜間の興行は江戸時代を通じて行われなかった。したがって舞台と客席への採光は、客席東西桟敷の上部に油障子を入れた「明障子(両窓)」からの外光によるものであった。また、明障子や外側の突き上げ式雨戸を開閉することにより、外光を調整し舞台の明暗を操作していた。この操作をしていたのは「窓番」と呼ばれる裏方である。図3.9の歌舞伎劇場の図に窓番らしき人が描かれている。このような形式は幕末まで続くことになる。

図3.9 窓番が描かれている歌舞伎劇場<sup>9)</sup>

図3.9 窓番が描かれている歌舞伎劇場9)


3.2 油灯・ろうそくの時代

3.2.1 ヨーロッパの全蓋式劇場

 ヨーロッパでは14世紀から15世紀にかけてイタリアを中心に、ギリシャ・ローマ時代の文化を復興しようとする文化運動ルネサンスが興り、1585年イタリアのヴィツェンツァに古代ローマの野外劇場を模した屋根付きの円形劇場「テアトロ・オリンピコ(Teatro Olimpico)」が建設された。(図3.10)
 開場当日の公演は午後7時半から午後11時まで行われたとのことなので、当然、人工照明が使われたものと思われる。

図3.10 テアトロ・オリンピコ<sup>10)</sup>

図3.10 テアトロ・オリンピコ10)


 同じ頃、フィレンツェの貴族や富豪たちの間では、遠近法で描かれた夢幻的な舞台装置や、場面を瞬時に転換する大掛かりな舞台機構を駆使したオペラの人気が急上昇した。
 貴族の邸宅の中の大きな部屋を改造して上演していたオペラは、やがてプロセニアムを作り、場面転換が可能な舞台スペースや、迫り、吊物装置などの舞台機構を備え、緞帳を使う、いわゆるイタリア式劇場へと進化する。(図3.11)

図3.11 イタリア式宮廷劇場<sup>11)</sup>

図3.11 イタリア式宮廷劇場11)


 ヨーロッパ各地の領主や貴族たちは、流行のオペラを自分の宮廷で上演しようと、芸術家や留学生をイタリアに派遣し宮廷内にオペラ劇場を建設した。こうしてオペラとイタリア式の宮廷劇場が、ヨーロッパ全土に広がっていった3-9)
 この頃の光源は、油灯とろうそくが使われていた。(図3.12,図3.13)

図3.12 油灯のシャンデリア<sup>12)</sup>

図3.12 油灯のシャンデリア12)


図3.13 ろうそくのシャンデリア<sup>13)</sup>

図3.13 ろうそくのシャンデリア13)


 1637年には建築家のサバッティニ(Nicola Sabbattini)により『劇場における背景ならびに機械製作の実際(Pratica di fabricar scene e machine ne’teatri)』というイタリア劇場の舞台技術の標準を示す著述が発行され、その中には灯火の設置や配置法、点灯法などが記載され、さらに調光方法や稲妻などの効果の方法が説明されている。
 図3.14 に調光方法の図を示すが、ブリキの筒を上下することにより明暗の操作をしていたようである。

図3.14 サバッティニの灯火の調光方法<sup>14)</sup>

図3.14 サバッティニの灯火の調光方法14)


 この書はイタリア劇場の舞台技術に関する手引きとして、当時の劇場建築家(舞台装置家を兼ねる)には大いに役立った3-7)
 当時の舞台の状況を描いた絵には、主要な照明として油灯のフットライトとろうそくのシャンデリアが描かれている。これらの絵から17世紀から19世紀に至る間、シャンデリアとフットライトが主要な舞台照明光源であったことがうかがえる。(図3.15 図3.16)

図3.15 「ザ・ウィッツ」の扉絵(17世紀イギリスの舞台)<sup>15)</sup>

図3.15 「ザ・ウィッツ」の扉絵
(17世紀イギリスの舞台)15)


図3.16 コメディー・フランセーズの舞台(推定1670年の舞台)<sup>16)</sup>

図3.16 コメディー・フランセーズの舞台
(推定1670年の舞台)16)


3.2.2 日本の灯火による舞台照明

 「昔はろうそくの光で芝居をしていた」と思い込んでいる人が多い。確かにヨーロッパでは前述のようにルネサンス以降、油灯とろうそくが主要な舞台照明の光源であったが、日本では前項で述べたように全蓋式の劇場になっても明障子からの外光による昼間興行が幕末まで続いた。この点ヨーロッパの劇場と趣を異にしている。
 しかし、当時の歌舞伎は幕間も長く、終演時間が夜に及ぶこともしばしばあったので、法令違反ではあるがろうそくを使用して芝居をすることも珍しくなかったようである。
 また、特例として灯火を使用したのは、11月の顔見世興行と2月の初午芝居である。
 江戸時代の俳優の雇用契約は11月から翌年の10月までの1年間であり、11月に新しい顔ぶれによる座組で開場し、その年の俳優の顔ぶれや作者の力量を披露するのが顔見世興行である。
 顔見世興行は一年のうちで最も重要な興行であったため、夜明け前から公演されたので灯火が使われた。(図3.17)

図3.17 顔見世興行の図「富十郎道成寺の舞台」<sup>17)</sup>

図3.17 顔見世興行の図「富十郎道成寺の舞台」17)


 また初午芝居とは、初午の日の昼の興行が終わった後に、下まわりの俳優や劇場の表方・裏方などを中心とした余興の芝居を行う習慣があり、観客にとってはおまけのようなものであった。当然夜になっての芝居であるので灯火が使われた3-6)。(図3.18)

図3.18 初午芝居の図<sup>18)</sup>

図3.18 初午芝居の図18)


 日本の舞台用灯火照明には、次のようなものがあった。
 図3.19は「燭台」と呼ばれる灯台で、舞台および花道の框に多数の受け台があり、そこに差し込んで使用した。
 図3.20は「差出し」と言い、「面あかり」とも呼ばれた。四角い浅い箱にろうそくを立て、長柄をつけて後見が持ち、主演俳優の顔の近くに差出して明るく見せるもので、現在のフォロースポットの役目を果たしていた。
 図3.21は「いざり」と呼ばれるもので、細長く浅い木箱にろうそくを並び立てて、使用するときだけ舞台鼻に置いて使用した。現在のフットライトの役目を果たしていた。

図3.19 燭台の図<sup>19)</sup>

図3.19 燭台の図19)

図3.20 差出しの図<sup>20)</sup>

図3.20 差出しの図20)

図3.21 いざりの図<sup>21)</sup>

図3.21 いざりの図21)

3.2.3 油灯とろうそくの欠点

 舞台照明において油灯とろうそくを使用していた期間は長く、17世紀から19世紀に至る約200年の間使われていた。この間改良はされてきたと思うが、油灯やろうそくの使用で最も辟易するのが煙の出ることと悪臭を発することであった。
 また、油灯やろうそくは人がいちいち点火しなければならないことと、油灯は油の取替えや灯芯の送り出し、ろうそくも取替えや芯切りをしなければならなかった。ろうそくは芯が燃えて灰になると灯火が暗くなるため、時々芯を切らなければならなかったのである。
 ヨーロッパの舞台では、芯切り役が上演中の舞台の姿をして登場し、巧妙な手つきでろうそくの芯を切った。
 図3.22では、芯切り役が右手に鋏を持ち、左手にスペアのろうそくを持っている。芯を切った後は煙が出ていないが、切る前のものは煙が立ち上っているのが分かる3-7)

図3.22 ヨーロッパの舞台における芯切り<sup>22)</sup>

図3.22 ヨーロッパの舞台における芯切り22)


 日本でも同じように、芯切り役が舞台の登場人物として描かれているものがある。
 図3.23は、市村羽左衛門が演じた『道成寺』であるが、所化二人が竹筒と箸を持って、芯切り役を演じている。
 普通は黒衣がその役を務めたと思われるが、ここではそれを兼任しているところがヨーロッパの舞台と通ずるところがある3-6)

図3.23 道成寺芯切図<sup>36)</sup>

図3.23 道成寺芯切図36)


3.3 石油ランプとガス灯

3.3.1 石油ランプ

 石油ランプも油灯の一種ではあるが、種油などの油灯に比べて特に明るい光源として一時代を画した。
 石油ランプがヨーロッパの劇場で使用されたのは、18世紀末から19世紀中頃ガス照明に変わるまでの短い間である。
 日本では、開国とともにもたらされた石油ランプは大変高価なものであり、一部の富豪や外国人相手の花街など特殊な場所でしか用いられず、一般庶民が買えるようになったのは後年になってからであった。
 日本で劇場に使用されたのは、1879年(明治12年)市村座の2月興行で、劇場内に洋灯(石油ランプ)が使用された。
 その後、いろいろな劇場で使用されたが、フットライトなどは変わらずろうそくを使用していた。
 図3.24に石油ランプの写真を示す。

図3.24 高山民芸館所蔵の石油ランプ<sup>24)</sup>

図3.24 高山民芸館所蔵の石油ランプ24)

図3.25 空気ランプと青籠<sup>25)</sup>

図3.25 空気ランプと青籠25)

 この絵は丸い芯の石油ランプで空気ランプと呼ばれていた。
 この石油ランプと青紙を貼った籠を竹竿に吊り、夜の場面では籠をランプにかぶせブルー舞台にして夜を表現していた3-5)

3.3.2 欧米の劇場におけるガス灯

 1792年イギリス人技師のウィリアム・マードック(William Murdock)が、石炭から出るガスによる照明の実験に成功し、1797年にはイギリスのマンチェスターでガス灯が設置された。
劇場で使用されるようになったガス灯は、初めは建物の外壁やホワイエ、階段室などに採用された。
 舞台に使用されるようになったのは1817年で、ドルリーレイン劇場が舞台客席ともにガス照明に切り替えている。
 1817年から1827年までの10年間でロンドンの主な劇場すべてに、一部、あるいは全面的にガス照明が取り入れられ、1850年頃までには全ヨーロッパおよびアメリカの劇場に普及していった。
 ガス灯が舞台照明にもたらした最も重要な進歩は、光量の調整を容易にしたことである。光量調整のためガスの量を制御するガステーブルが設備され、ガスを供給するパイプの噴出する口をいくつかのグループに分岐して、それぞれ各個のバルブあるいはストップコックの操作によってガス量が制御された。

図3.26 クレマンソン社製ガステーブル<sup>26)</sup>

図3.26 クレマンソン社製ガステーブル26)


 また、1860年頃以降電気スパークによる点火法が使われるようになり、暗転した後、遠方操作による再点灯が可能となった。
 図3.26にフランスのクレマンソン(Clémançon)社が1880年に造ったガステーブルを示す。
 舞台用照明設備としては、プロセニアムの両側上部にシャンデリア、舞台の前端にフットライト(図3.27)、舞台上部にガスバッテン(図3.28)、プロセニアム内側左右と書割り袖の陰にラダー、またはウイングと呼ばれる照明が設備されていた3-7)

図3.27 ガスフットライト<sup>27)</sup>

図3.27 ガスフットライト27)


図3.28 ガスバッテン(ボーダーライト)<sup>28)</sup>

図3.28 ガスバッテン(ボーダーライト)28)


3.3.3 日本の劇場におけるガス灯

 日本におけるガス事業は、1872年(明治5年)幕末から明治にかけて活躍した実業家、高島嘉右衛門がフランス人技師アンリ・プレグラン(Henri Pélegrin)の設計により、横浜瓦斯局工場とガス灯工事を完成させ、横浜の馬車道にガス灯を点灯させたことが始まりである。
 劇場にガス灯が使用されたのは、高島嘉右衛門が1874年(明治7年)7月横浜市住吉町に開場した湊座で、劇場の内外ともガス照明を行い、舞台にもガス灯が設備されていた。
 この湊座の内部に関しては、1876年(明治9年)に来日し、後に現在のギメ東洋美術館の元となるギメ宗教博物館を設立するエミール・ギメ(Émile Guimet)に同行した画家フェリックス・レガメ(Félix Régamey)が描いた絵が2枚ある。
 図3.29には、舞台前端にフットライトとしてガス灯が4灯描かれているが、舞台ではろうそくを使った差出しが描かれている。
 図3.30では、花道に3灯のガス灯が描かれている。また、この絵の右上に2枝のガス灯が吊ってあるのが見えるが、客席照明用のガス灯と思われる3-7)

図3.29 横浜湊座舞台のガス灯<sup>29)</sup>

図3.29 横浜湊座舞台のガス灯29)


図3.30 横浜湊座花道のガス灯<sup>30)</sup>

図3.30 横浜湊座花道のガス灯30)

 東京におけるガス事業は、1874年(明治7年)横浜のガス工事を設計したアンリ・プレグランの協力の下、東京会議所によって芝浜崎町に製造所を設け、金杉橋から京橋までの銀座通り沿いに85基のガス灯を点灯させたことから始まる。
 その後、ガス管埋設の区域をさらに拡げ、1878年(明治11年)6月開場の新富座にガス灯が使用された。(図3.31)

図3.31 新富座の内部<sup>31)</sup>

図3.31 新富座の内部31)


 新富座は、江戸三座の一つ森田座(守田座)が1872年(明治5年)に浅草猿若町から新富町へ移り、1875年(明治8年)新富座と改名した。
 翌年、火事により焼失するが、1878年(明治11年)日本最初の額縁式西洋舞台として新築開場した。
 しかし、ガス灯は客席には点灯されたが、舞台内部には使用されなかったと思われる。遠山静雄は『舞台照明学 上巻』3-7)の中で、「舞台内部に取付けられたガス設備については記録が見つからず、舞台上部には幕や雪籠などの道具が吊ってあって裸ガスの火を点ずることは危険であり、また幾枚かの新富座の舞台を描いた絵にはフットライトが描かれていないので、舞台内部におけるガス照明設備は行われなかったものと思う」と述べている。
 日本の劇場では、欧米の劇場のようにガステーブルによる調光制御は行われた記録がない。また明治後半には白熱電灯が普及してくるので、日本でのガス照明は舞台照明に普及することなく短命に終わった。



3.4 ライムライトとアーク灯

3.4.1 ライムライト

 ガスから白熱電灯に至る間にライムライトとアーク灯が存在したが、舞台照明において、それらは部分的な照明や効果的な照明に使用されたのであって、舞台照明全体がそれに代わったものではなかった。
 ライムライトは、石灰に酸素と水素の混合ガスの焔を吹きつけて、強烈な広いスペクトル帯を有する白色光を発するもので、1860年頃には前面にレンズをつけ、スポットライトとして劇場で広く使用されるようになった。(図3.32)
 ライムライトは、1880年代には白熱電灯の実用化および普及によって次第に廃れ、20世紀初頭には使用されなくなった。

図3.32 ライムライト<sup>32)</sup>

図3.32 ライムライト32)


3.4.2 アーク灯

 アーク灯は1808年イギリスのハンフリー・デーヴィー(Sir Humphry Davy)によって、2000個の電池を使って点灯する実験が公開された。その後発電機が開発されこれを電源に光源として普及していった。
 1860年には現在のスポットライトと同じ原理で、アークを灯体で包みレンズを通して投光する器具が開発された。(図3.33)

図3.33 初期のアークスポット<sup>33)</sup>

図3.33 初期のアークスポット33)


 しかし、アーク灯は両炭素棒の放電間隔を一定に保つ必要があるので操縦者がついていなければならず、また点灯中の騒音や、光のちらつきを生じやすい欠点があった。
 アーク灯もガス灯と同じように、初めは劇場の入口、階段室、ホワイエなどに使用され、やがて効果照明用に使用されるようになった。
 日本で初めてアーク灯が点灯したのは、1878年(明治11年)3月25日、電信中央局の開場祝賀会の開場となった虎ノ門の工部大学校(東大工学部の前身)の大ホールで、グローブ電池を電源としてアーク灯を点灯した。これが「電気の日」の由来になっている。
 また1882年(明治15年)大倉組は、アメリカGE社からアーク灯と発電機を輸入して、銀座二丁目の大倉組前の街路灯として点灯した。このアーク灯は、発電機と共に1883年(明治16年)京都祇園歌舞練場の前に移され、1884年(明治17年)これを大阪道頓堀の中座に移し、初めて劇場照明用として使用された。当時の中座の宣伝広告の中に、アーク灯を点灯した舞台と発電機の絵が掲載されている3-7)。(図3.34)

図3.34 中座の舞台と発電機<sup>34)</sup>

図3.34 中座の舞台と発電機34)


 アーク灯も舞台照明全体には使用されず、白熱電灯の普及によって次第に姿を消していったが、日光や夕陽、月光などの効果や強い光によって主役を際立たせるフォロースポットライトとしては昭和50年頃まで使われていた。(図3.35)

図3.35 アークスポットライト<sup>35)</sup>

図3.35 アークスポットライト35)


3.5 白熱電球の出現

 白熱電球の開発は、1802年アーク灯の発明者ハンフリー・ハーヴィーにより白金線の発光実験の公開から始まり、1879年トーマス・エジソン(Thomas Alva Edison)により実用的な白熱電球が発明された。
 1882年にミュンヘンで開かれた電気博覧会では、場内に仮設劇場が設けられて舞台はすべて白熱灯で設備され、ボーダーライト、フットライト、サイドライト、バンチライトなどの舞台照明用器具も設備された。その様子と照明器具を図3.36、図3.37に示す。

図3.36 ミュンヘン電気博覧会内の劇場<sup>36)</sup>

図3.36 ミュンヘン電気博覧会内の劇場36)


図3.37 劇場に使用された舞台照明器具<sup>37)</sup>

図3.37 劇場に使用された舞台照明器具37)


 図3.36で舞台の袖から照明係が操作している様子が描かれているが、この調光装置を拡大した絵が図3.38で、後の抵抗式調光装置の端緒を示すものである。
 1880年代には、欧米の主だった劇場の舞台照明設備は、白熱電灯によって設備されている。

図3.38 劇場に使用された調光装置<sup>38)</sup>

図3.38 劇場に使用された調光装置38)


 日本の劇場で初めて白熱電灯を使用した劇場は、1889年(明治22年)銀座木挽町に建てられた初代歌舞伎座である。(図3.39)

図3.39 初代歌舞伎座外観<sup>39)</sup>

図3.39 初代歌舞伎座外観39)


 歌舞伎座は、演劇改良運動に熱心であった福地桜痴が、資金面で千葉勝五郎の協力を得て建設した。外壁が煉瓦造りで外観は純洋風であったが、場内は従来の歌舞伎劇場の様式を踏襲していた。
 場内の照明は、客席に16燭(1燭=1.0067 cd)の白熱灯が36灯ついた豪奢なシャンデリアがあり、昼間は電気が送電されず、夕方時間になると芝居の最中でも送電されると急に点灯したようである。それまでは畳が見えない程薄暗い場内であるがシャンデリアが点灯すると畳の目が見えるといってお客が喜んだという3-5)。(図3.40)

図3.40 初代歌舞伎座場内図<sup>40)</sup>

図3.40 初代歌舞伎座場内図40)


 しかし舞台照明としては、欧米のような白熱電灯の舞台照明用器具が設備されたわけではなく、欧米と比べると我が国の舞台照明設備はまだまだ未熟であったと言える。
 その後、日本の劇場に本格的な舞台照明設備が備えられるのは、1911年(明治44年)の帝国劇場開場まで待たねばならなかった。


第3章 図・写真引用

                                        
1)カール・マンツィウス著 飯塚友一郎/訳『世界演劇史 第1巻』平凡社 p.206(1930)
2)カール・マンツィウス著 飯塚友一郎/訳『世界演劇史 第1巻』平凡社 p.306(1930)
3)カール・マンツィウス著 飯塚友一郎/訳『世界演劇史 第3巻』平凡社  p.8(1931)
4)https://ja.wikipedia.org/wiki/スワン座 Wikipedia(2023.11.11)
5)日本照明家協会編『舞台・テレビジョン照明2』p.65(1986)
6)https://ja.wikipedia.org/wiki/出雲阿国 Wikipedia(2023.11.11)
7)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.42(1988)
8)神戸市立博物館より提供「中村座仮名手本忠臣蔵」
9)神戸市立博物館より提供「芝居狂言舞台顔見世大浮絵」
10)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.97(1994)
11)立木定彦『舞台照明のドラマツルギー』リブロポートp.75(1988)
12)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.179(1988)
13)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.179(1988)
14)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.182(1988)
15)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.188(1988)
16)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポートp.191(1988)
17)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房p.34(1986)
18)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房 p.29(1986)
19)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房 p.39(1986)
20)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房 p.43(1986)
21)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房 p.41(1986)
22)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.209(1988)
23)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房 p.36(1986)
24)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.213(1988)
25)日本照明家協会編『日本舞台照明史』p.119(1975)
26)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.219(1988)
27)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.218(1988)
28)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.218(1988)
29)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.223(1988)
30)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.224(1988)
31)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.228(1988)
32)日本照明家協会編『舞台・テレビジョン照明2』 p.77(1986)の原図に筆者が加筆
33)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.235(1988)
34)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.237(1988)
35)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-6 p.17(1937)
36)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.243(1988)
37)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.243(1988)
38)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.244(1988)
39)株式会社歌舞伎座より提供
40)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.247(1988)

第3章 参考文献

         
3-1)上田整次著『沙翁舞台とその変遷 西洋劇場史研究』岩波書店 pp.1-40, pp.64-100(1925)
3-2)後藤慶二『日本劇場史 附 西洋劇場の話』岩波書店 pp.66-113, pp.253-260(1925)
3-3)カール・マンツィウス著 飯塚友一郎/訳『世界演劇史 第1巻』平凡社 pp.165-217, pp.302-311(1930)
3-4)カール・マンツィウス著 飯塚友一郎/訳『世界演劇史 第3巻』平凡社 pp.3-54, pp.67-128(1931)
3-5)日本照明家協会編『日本舞台照明史』社団法人日本照明家協会(1975)
3-6)遠山静雄『舞台照明とその周辺』島津書房 pp.26-48(1986)
3-7)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート pp.19-61, pp.215-219, pp.222-228(1988)
3-8)立木定彦『舞台照明のドラマツルギー』リブロポート pp.81-86, pp.102-155(1994)
3-9)吉井澄雄『照明家(あかりや)人生』早川書房 pp.180-190(2018)

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 4 欧米の模倣から始まった抵抗式調光器時代

 太陽光時代には舞台に照射する光は何らかの方法で遮断するより他に調光の道はなかった。しかし、ギリシャ、ローマ時代の劇場や日本の屋外の能舞台や初期の歌舞伎劇場においては不可能であったが、全蓋式になってからの歌舞伎劇場では、“両窓”の開閉によって外光を調整することができるようになった。
 また、ガスの時代においては、ガステーブルのストップコックの操作によりガスの量が制御され、調光機能は一段の進歩をみた。
さらに、白熱電灯の時代になってようやく電気的な調光が可能となり、舞台照明の技術は飛躍的進歩を遂げることになる。


4.1 水抵抗器

 水抵抗器は、図4.1のように不導体で作った水槽に電解液(主に食塩水)を入れ、2個の電極を投入してその間隔を変える、または電極を出し入れして、液中に浸かった電極の面積を変えることによって、抵抗値を変化させ電灯を調光することができる。
図4.2は、水抵抗器の一例である。

図4.1 水抵抗器の原理<sup>1)</sup>

図4.1 水抵抗器の原理1)


図4.2 水抵抗器の1 例<sup>2)</sup>

図4.2 水抵抗器の1 例2)


 水抵抗器は最も簡単に作ることができ、これに極板移動の特殊な機構を工夫したものが宝塚大劇場と大阪朝日会館に使用されたことがある。
 舞台照明家の小川昇によると、1923年の火災で焼失する前の宝塚新温泉の劇場(パラダイス劇場)の奈落には、水抵抗器用の大きなコンクリートの水槽があったという4-9)
 また、大阪朝日会館(1926〜1962)には、舞台袖に水抵抗器を操作する目盛付きのドラムがあって、ドラムに接続した錘型の電極付きワイヤの途中に何個かの滑車があり、ハンドルを回転させて微妙な操作ができるようになっていた。このようなドラムが3~4個あり一括操作もできた。おそらく宝塚大劇場も同じようなものであったと思われる。
 宝塚劇場の水抵抗器について、遠山静雄は『舞台照明学 上巻』4-8)のなかで、「このような抵抗器は使っているうちに水の温度が上昇しついには沸騰するに至る。当時宝塚の舞台裏を見学したものが“ここで風呂を沸かしているのか”と尋ねたという話が残っている。水温が上昇すると抵抗値が変わってくるので、(中略)常に舞台の明るさを勘で見ながら操作しなければならない。」と記載し、さらに、設置場所を広く要することや蒸発に伴って水を追加投入しなければならないことなどを、その欠点として挙げている。


4.2 金属抵抗式調光器

4.2.1 アメリカ式とドイツ式

 電流は抵抗に反比例するというオームの法則から簡単に発想されたもので図4.3のごとく回路に直列に可変抵抗を挿入すれば目的が達せられる。金属抵抗器式にはアメリカ式(円盤式)とドイツ式(摺動式)の二つの方式があり、いずれも抵抗体から多数の分岐線を出してタップにつなぎ、タップの上を摺動するようにしたものである。

図4.3 金属抵抗器の原理<sup>3)</sup>

図4.3 金属抵抗器の原理3)


図4.4はアメリカ式円盤型の抵抗器で、その構造ならびに外形は図4.5のとおりである。

図4.4 アメリカ式抵抗調光器の構造略図<sup>4)</sup>

図4.4 アメリカ式抵抗調光器の構造略図4)


図4.5 円盤型調光器の外形<sup>5)</sup>

図4.5 円盤型調光器の外形5)


 抵抗線は円形の鉄板、または石鹸石の板に取り付けられ、耐熱性を有する特徴のセメント、またはエナメルによって埋められていて高熱のために、抵抗線が劣化することを防ぐようにしている。
 タップの接触片は、この円盤面に円形に配列され、摺動片は円盤の中心を軸として、この上を摺動する。
 これを組み立てた操作盤をバンク(bank)と言い、図4.6に示す。
 これは3段グループのバンクで、抵抗器1個ずつはそれぞれの把手によって単独操作ができ、各グループは把手をひねってシャフトにクラッチさせることにより、グループのマスタハンドルによって同時操作ができる機構となっている4-8)

図4.6 円盤型抵抗調光器の操作バンク<sup>6)</sup>

図4.6 円盤型抵抗調光器の操作バンク6)


 図4.7の方式はドイツ型で、その抵抗器は図4.8に示すように、四角な鉄枠内に抵抗体をたくさん直列につないで取り付け、分岐線を導体と絶縁体とを交互に重ねて棒状にしたものに接続し、その表面を摺動片が移動するようになっている。 
 摺動片は平衡錘のついた棒に取り付けてあり、その棒の上端にはワイヤロープが結んであって、このロープによって離れた場所から操作するようになっている。
 この抵抗器を多数組み立てたシステムの実際の様子を図4.9に示す。

図4.7 ドイツ型抵抗調光器の構造略図<sup>7)</sup>

図4.7 ドイツ型抵抗調光器の構造略図7)

図4.8 ドイツ型抵抗調光器<sup>8)</sup>

図4.8 ドイツ型抵抗調光器8)

図4.9 ドイツ式抵抗調光器群9)


 この抵抗器群は、レギュレータと呼ばれる操作バンクに上記ワイヤロープで連結される。
 このワイヤロープは、途中滑車により方向が自由に変えることができるため、抵抗器とレギュレータの設置場所は比較的自由で、レギュレータを舞台が良く見える位置に置き、抵抗器は隣室、あるいは上下別の階に設置することも可能である。
動作を簡単に示すと図4.10のようになる。
 抵抗器の摺動片BにつながったワイヤロープWは遊び滑車Pを経て、溝車Rの一端に固定される。車の縁にある把手Nを矢印の方向に引くと、RはシャフトSの周りを回転して平衡錘Cの力によって摺動片が下がる。この際、RとSとは連結していないが、Nを90度ひねるとRがSにクラッチされ、Rの回転は心棒を回すことによって行われる。この機構を示したのが図4.11である。

図4.10 ドイツ式抵抗器の操作機構図<sup>10)</sup>

図4.10 ドイツ式抵抗器の操作機構図10)


図4.11 ドイツ式抵抗器の操作ハンドルのクラッチ機構図<sup>11)</sup>

図4.11 ドイツ式抵抗器の操作ハンドルのクラッチ機構図11)


 この機構を、抵抗器の数だけ組み立てたレギュレータの様子は図4.12のとおりである。
 この図は4段8グループで、左右に出ている輪形ハンドルは、各グループ内のクラッチされた把手をいっせいに動作させるもので、前向きになっている小さなハンドルは、ウォームギアを使ってシャフトの回転をゆっくりさせるための緩動装置である4-8)

図4.12 ドイツ式レギュレータ<sup>12)</sup>

図4.12 ドイツ式レギュレータ12)


 通常舞台で使用される光の色は、3色、または4色であり、多くの場合同じ色の電灯は同時に加減することが多いので、舞台照明としての電灯で同じ色の電灯の回路は同じ列の把手で加減するようにしている。
 また、把手の連結、切離しは把手の任意の位置で行うことができ、あらかじめその位置を定めておいて、ハンドルを動かして設定位置に達したら、把手が自動的に連結を解かれ、また自動的に連結されるようになっている。
 抵抗調光器の一つの短所は、負荷の小さい場合に減光しきれない点であり、そのために負荷を調光器の容量に匹敵するよう追加しなければならず、これには電球が使用され“捨てだま”と呼ばれていた。
 日本で最初に本格的な舞台照明設備を備えた劇場は帝国劇場である。1911年(明治44年)3月に開場したヨーロッパ風の劇場である。(図4.13)

図4.13 帝国劇場外観<sup>13)</sup>

図4.13 帝国劇場外観13)


 この建築には横河民輔が当たり、その電気設備は当時横河工務店の技師であった秀文逸が担当した。秀は欧州の劇場を視察して帰国し、ドイツの舞台照明機器を採用した。抵抗器はドイツのジーメンス(Siemens)社製で、摺動型のものが50~60台位あり、レギュレータは4段式に組み立てられ、連結単独自在に操作ができるものであった。この抵抗式調光装置は当時最も斬新なものであった。



4.2.2 国産初の舞台照明用調光装置

 1925年(大正14年)1月4日、第三期歌舞伎座の杮落しが、松居松葉演出による『家康入国』で始まった。
 舞台は四谷街道の武蔵野の情景をフルに使った豪華なものであり、その舞台の終景に遠景の富士山を配したドロップ(背景幕)が、夕焼けに映えて次第に夜の闇に移る情景が圧巻であったと記録に残されている4-9)

図4.14 第三期歌舞伎座外観<sup>14)</sup>

図4.14 第三期歌舞伎座外観14)

図4.15 第三期歌舞伎座内部<sup>15)</sup>

図4.15 第三期歌舞伎座内部15)

 1889年(明治22年)に創立した歌舞伎座は、1921年(大正10年)漏電のために、第二期歌舞伎座が焼失した。当時、松竹株式会社の担当重役であった城戸四郎(元松竹株式会社社長、後に会長)が再建工事の総指揮にあたっていたが、再建の途中関東大震災に遭遇し、工事は振出しに戻った。
 舞台照明は当初アメリカのクリーグル社(Kliegl Brothers Universal Electric Stage Lighting Company)製を使う計画で進めていたが、価格の面で折り合いがつかず、電気設計監督の原愛次郎の紹介により丸茂電機製作所に協力を要請し、舞台照明用配電盤、抵抗式調光器を製作することになった。
 丸茂電機製作所は1919年に創業し、当時は高圧配電盤や海軍からの依頼で抵抗器、探照灯、艦内灯などを製作していた。創業者の丸茂富治郎は、原愛次郎と学生時代から交遊があり、一緒に電気工学などを研究した間柄であった。丸茂電機は海軍向けの抵抗器を製作した経験をもとに、依頼された機器を無事に完成し、新しい歌舞伎座の杮落しを迎えることができた4-9)
 設備の内容は、100A~200A単位の抵抗式調光器を3台ずつ1組にして、各1台ずつ、あるいは3台を1連に操作できる機構で、これが4組と別に同様の客席用のものを1組であった4-1)

図4.16 歌舞伎座に納入された調光器と同型の調光器(単体)<sup>16)</sup>

図4.16 歌舞伎座に納入された調光器と同型の調光器(単体)16)


図4.17 歌舞伎座に納入された調光器と同型の調光器<sup>17)</sup>

図4.17 歌舞伎座に納入された調光器と同型の調光器17)


 ここに、初めて大劇場に日本製の舞台照明設備が登場した。
 その後、積込式の円盤型抵抗調光器と操作機構と組み合わせて、スポットライト1個の調光も自由にできるような方式を作り上げて、この方式が各大劇場の舞台照明設備の標準の形になった。
 以後、日本の舞台照明設備は欧米の製品に頼ることなく、多くの劇場が国産品によって設備されることになったのである。実に1913年(大正2年)学生だった丸茂富治郎が、当時帝国劇場に設置されたジーメンス社製の抵抗式調光装置を見学し、その素晴らしさに感嘆した日から僅か12年後のことであった。


4.2.3 川部配電機器研究所の円盤型抵抗器

 国産の円盤型抵抗器の開発については、『日本舞台テレビ照明近代史』(日本舞台照明家協会発行)で、舞台照明家の柘植貞輝が次のように記述している4-10)
「(前略)大正11年に遠山氏の指導で、川部配電機器研究所が露出型円盤抵抗器を作りました。これはブラシの速度と光の増減の度合いが比例するように、ブラシ移動の各段階でその抵抗値を変えて作ってありました。これを必要調光回路数だけ並べて設置し、各個単独に操作するように、また共通のシャフトにハンドルをクラッチさせて連動させることもできました。遠山氏はこの設備を初めてこの大隈講堂に設置したのです。」
 1922年(大正11年)頃から、工学博士の遠山静雄の指導のもと、川部配電機器研究所において円盤型抵抗器の開発が進められ、1927年(昭和2年)に落成した早稲田大学の大隈講堂に設備されたとの内容である4-3)

図4.18 大隈講堂の照明操作室<sup>18)</sup>

図4.18 大隈講堂の照明操作室18)


 また、この報告書を執筆中に、川部配電機器研究所の1921年(大正10年)~1934年(昭和9年)までの営業経歴書4-4)が入手でき、さらに昭和初期のカタログが港区立郷土歴史館に所蔵されていることが分かった4-5)
 これらの資料によると、川部配電機器研究所は1921年(大正10年)に創業し、1923年(大正12年)4月よりボーダーライトなどの照明器具の納入を開始し、調光器としては1924年(大正13年)6月に築地小劇場へ5台納入していることが分かる。しかし、内容はどのような物か分からないが、おそらく単体で納入しているものと思われる。それは、1925年(大正14年)10月に日本青年館に納入された調光器として、初めて「連動式調光機一式」という記述が出てくる。その後納入された調光器は、ほとんどこの名称で記述されているところから想像できる。

図4.19 明治座の舞台照明用調光装置<sup>19)</sup>(丸茂電機製作所)

図4.19 明治座の舞台照明用調光装置19)
(丸茂電機製作所)

図4.20 明治座に納入された舞台照明機器<sup>20)</sup>/(川部配電機器研究所)(丸茂電機製作所)

図4.20 明治座に納入された舞台照明機器20)
(川部配電機器研究所)
(丸茂電機製作所)

 また、1928年(昭和3年)再開場した明治座では、丸茂電機製作所と分担して納入していることがこれらの資料から想像できる。丸茂電機製作所の経歴書4-6)には、舞台照明用抵抗器式調光器58台1組、掛け外し式選択操作機構付き調光装置1式、客席照明用変圧器式調光装置2台1組およびボーダーライト、フットライト他照明器具1式と記載されており、川部配電機器研究所の経歴書には、移動調光機1組、揚幕用調光機2個、およびスタンドスポットライトやストリップライトをはじめ各種照明器具が記載されている。このことから、常設機器は丸茂電機製作所、移動用機器は川部配電機器研究所で納められていたものと思われる。

図4.21 名古屋市公会堂の大集会室内部<sup>21)</sup>

図4.21 名古屋市公会堂の大集会室内部21)


図4.22 名古屋市公会堂の照明操作室<sup>22)</sup>

図4.22 名古屋市公会堂の照明操作室22)


 上記以外の主な納入先としては、1930年(昭和5年)7月名古屋市公会堂、1934年(昭和9年)3月軍人会館(後の九段会館)などが挙げられる。
 このように丸茂電機とほぼ同時期に円盤型抵抗器の開発に取り組んでいた川部配電機器研究所については、戦災で工場などが焼失し、戦後復活することがなかったため、詳細を確認することが難しい状況にある。


4.2.4 日本製金属抵抗式調光器

(1)丸茂電機製作所の抵抗式調光器4-7)
①NW型抵抗式調光器
 歌舞伎座に納入した抵抗式調光器から数々の改良を重ね、本格的な舞台照明用調光器NW型抵抗式調光器が、大正末から昭和初めにかけて丸茂電機によって製品化された。NW型抵抗式調光器は、丸形のノッチ板にニクロム線を取り付け積込型とし、操作把手盤と組み合わせて単独、連動操作を自在にしたアメリカ式円盤型の抵抗器である。(図4.23)

図4.23 NW型抵抗式調光器単体<sup>23)</sup>

図4.23 NW型抵抗式調光器単体23)

図4.24 連結している図面<sup>24)</sup>

図4.24 連結している図面24)

 抵抗器単体の構造は、耐熱性に優れた絶縁物製で、放熱用輪状凹凸を設けた円盤に110個の区分接触片を取り付け、その裏面に抵抗を配備し接触子の転回摺動により自由にその抵抗値を調整できるものである。
 接触片は銅、抵抗はニクロム線を使用し、接触子はその接触部を容易に取り換えられる構造とし、メタリックカーボン片を挿入してある。メタリックカーボンは、銅と純炭素とを結合したものであり、接触片との間の円滑材となり摺動と接触とを円滑および確実にするものである。また、自らも酸化することなく、さらに接触子の酸化を防止する効果がある。
 接触子は円板の中心軸に転回自在に取り付けられ、絶縁物を介して溝車を固定し、ワイヤロープを通じて操作部に連結されるようになっている。
 抵抗式調光器容量のバリエーションは、3000 Wを最大とし以下2800W、2600W、2300W、2000W、1800W、1500W、1300W、1000W、800W、700W、600W、500Wの各種を標準製作していた。
 また、3000W以上の容量を必要とする場合は、2個以上の抵抗式調光器を機械的に連結し、これを一つのハンドルにより操作できるように考えられていた。(図4.24)
 当時のカタログによると、3000 W~2000 Wの容量のものは10%1時間、1800W~1300Wの容量のものは15%1時間、1000W以下のものは20%1時間の過負荷に耐え得ることを保証すると記載されている4-7)
 また、負荷不足に対しても、50%低負荷の場合でも調光曲線(図4.25)の示すように問題なく調光でき、光にちらつきを生ずることなく極めて柔らかに明暗を行えると記載されている。

図4.25 調光特性グラフ<sup>25)</sup>

図4.25 調光特性グラフ25)


 NW型抵抗式調光器の操作部は、調光器の各個操作並びに連動操作を行う機構にして、横列に貫く連動軸に差し込まれている溝車によりワイヤロープを通じて各調光器に連結されている。
 その溝車には、ルーズに差し込まれたハンドルを備え、その各々は自由に各調光器を単独操作することができるようになっている。
 また、横軸には溝車ごとに軸に固定させる摩擦結合輪を備え、これに溝車に取り付けられた掛け外し装置に連結する摩擦鋼帯を巻く。この機構により溝車を横軸に固定し、あるいは自由にすることができ単独連動の操作を可能にしている。したがって、横軸を回転した場合これに摩擦結合により固定された調光器のみ動作し、他の摩擦を引き外された調光器は不動となるため任意に選択動作が行える。
 溝車には、その調光度を指示する目盛帯を備え、これに隣接して予備目盛帯を組枠の表面に固定してある。予備目盛帯には自動引き外し金具を付属してあり、帯上を自由に移動して指定の調光度にあらかじめ金具を固定し、横軸での連動操作時に任意の調光器を指定の調光度においてその変化を停止させる。つまり、多数ある舞台照明用照明器具の1台1台を指定した明るさで制御できるということである。
 横軸の操作は、これに直結する急動作ハンドルとウォームギアを備えて自在に掛け外しができる緩動作ハンドルによって操作し、急速に調光変化をする場合は、緩動作ハンドルのウォームギアの噛み合いを引き外し急動作ハンドルにて行い、ゆっくり変化させる場合は、ウォームギアを噛み合わせて緩動作ハンドルで操作する。このウォームギアの引き外し、および噛み合いは、緩動作ハンドルの中心部の押ボタンを押しながらハンドルを上下に動かすことで容易に行える機構になっている。(図4.26)

図4.26 主動軸手動操作部<sup>26)</sup>

図4.26 主動軸手動操作部26)


 すべての調光器を、一つのハンドルにより操作する総合主動操作は、数列の横軸に対して1本の縦軸を設け、これに各横軸を掛け外し、および順逆自由選択をすることができるベベルギア、および摩擦掛け外し装置を設け、その任意連結によりある列は上昇、ある列は下降の動作をさせ、他の列はそのまま停止の状態にすることができるような総合主動装置を設け、全体操作を可能にしている。(図4.27)

図4.27 総合主動操作部<sup>27)</sup>

図4.27 総合主動操作部27)


 これらの横軸および縦軸の手動操作を電動操作にした製品もあり、その操作する電動機は広範囲の速度変化を必要とすることから直流電動機を使用していた。(図4.28)

図4.28 電動操作の抵抗式調光器<sup>28)</sup>

図4.28 電動操作の抵抗式調光器28)


 1873年(明治6年)に、日本橋久松町に明治座の前身である喜昇座が開場した。 
 以後、改築や新築のたびに久松座、千歳座、そして1893年(明治26年)に現在の明治座となった。関東大震災で焼失し、1928年(昭和3年)3月に浜町の明治座として再開場した。(図4.29)
調光器はNW型抵抗式調光器で58台納入されている。当時の都新聞は、開場の模様の記事で「舞台飾りや照明設備の進んだことは驚くばかりである」と評している。

図4.29 明治座外観<sup>29)</sup>

図4.29 明治座外観29)


 翌1929年(昭和4年)9月に京都南座が開場した。東の歌舞伎座と並ぶ歌舞伎を上演する名門劇場で、特に年の暮れの顔見世は有名である。
 調光器はNW型抵抗式調光器で、回路数は200回路あり、操作把手は畳敷きの調光室の天井部に設備され、操作は電動で行った。
 本番中は立ち膝でいなければならず、慣れない人には辛かったと思われる。(図4.30)

図4.30 京都南座の調光室<sup>30)</sup>

図4.30 京都南座の調光室30)


 1930年(昭和5年)9月に開場した東京劇場は、ヨーロッパのオペラハウスを思わせる豪華な劇場だった。(図4.31,図4.32)
 調光器はNW型抵抗式調光器で、57台納入されている。個別操作、連動操作ができる機構で各個把手を押すと連動し、引いた状態でフリーになるものであった。一括操作の際に一部把手をストップさせるときは、引いて止めるなど4~5名で操作していた。(図4.33)

図4.31 東京劇場外観<sup>31)</sup>

図4.31 東京劇場外観31)

図4.32 東京劇場内部<sup>32)</sup>

図4.32 東京劇場内部32)

図4.33 東京劇場の調光設備<sup>33)</sup>

図4.33 東京劇場の調光設備33)


 同じ頃、歌舞伎座に納入されていた抵抗式調光器はNW型抵抗式調光器へ改修された。(図4.34) 調光室は上手のお囃子部屋の上にあり、入口の正面に把手盤が設置され、各個把手は128本であった。各個把手の取手を横にすると連動し、縦にするとフリーとなる方式になった4-9)。(図4.35)
 NW型抵抗式調光器は、上記のように昭和初期において明治座、京都南座、東京劇場、歌舞伎座などの大劇場に次々と設置されていった。このことによって各劇場から発注を受けてきた丸茂電機も、本格的に舞台照明設備の専門メーカとして歩み始めたと言えよう。

図4.34 歌舞伎座のNW 型抵抗式調光器<sup>34)</sup>

図4.34 歌舞伎座のNW 型抵抗式調光器34)

図4.35 歌舞伎座の調光操作室<sup>35)</sup>

図4.35 歌舞伎座の調光操作室35)

②G型抵抗式調光器

 G型抵抗式調光器は、縦型に摺動するドイツ式の抵抗式調光器である。構造は当時のドイツ製のものと差異はないと思われるが、詳しい資料が残っていない。
 1924年(大正13年)建設が計画されていた新橋演舞場は、工事の最中に関東大震災に遭遇し、工事を一時中断していたが、やがて再開し1925年(大正14年)4月「東おどり」で開場した。
 この時の抵抗式調光器は、ドイツのジーメンス社製で摺動式のものを納入したが、翌年これと同じタイプの摺動式抵抗調光器を丸茂電機によって追加施工された。このドイツ式の抵抗式調光器をG型と呼んでいる。(図4.36)
 また、ジーメンス社製の抵抗式調光器を納入した帝国劇場において、昭和初期から1964年(昭和39年)新しい帝国劇場建設のため解体するまで、抵抗器の保守や修理、および増設工事などを丸茂電機で行っていた4-9)

図4.36 G型抵抗式調光器<sup>36)</sup>

図4.36 G型抵抗式調光器36)


(2)川部配電機器研究所の抵抗式調光器4-5)

①円盤型調光器
 この調光器は、各調光器の基本になる調光器で、1回路の電路に1個接続し、その回路内の電灯の明るさを0 %~100 %まで自在に、しかも照明の変化に不自然さがなくスムーズに調光できるものである。
 また、内部には抵抗線を使用し、104個のタップを出し、その区分を燭力曲線によって分割しているので、非常に滑らかな光の調整ができるものである。とカタログに記載されている。(図4.37)

図4.37 円盤型調光器<sup>37)</sup>

図4.37 円盤型調光器37)



②露出型調光器(連動式調光器)

 調光する回路が多数ある場合に使用する調光器で、鉄製の枠に必要回路数分の円盤型調光器を、3段または4段に積み、各列は主軸(横軸)に連結され、ウォームギアによる緩動操作と把手による急動操作とのマスターコントロールができるものである。(図4.38)

図4.38 露出型調光器<sup>38)</sup>

図4.38 露出型調光器38)


③旅興行用移動型調光器

 正規の舞台照明設備を持たない場所で演劇や舞踊などを催す場合、臨時に据付け、舞台用の照明操作をするため、運搬に便利なように設計、製作されたもので、特に旅興行用として使用された。(図4.39)

図4.39 旅興行用移動型調光器<sup>39)</sup>

図4.39 旅興行用移動型調光器39)


④移動型調光器

 円盤型調光器1個を可搬用として、把手および脚台を取付け、標準コネクタにより舞台上の任意の場所における回路を接続し、その位置から舞台を見ながら操作することを目的として製作された調光器である。(図4.40)

図4.40 移動型調光器<sup>40)</sup>

図4.40 移動型調光器40)


⑤グリッド型客席照明用調光器

 この調光器は客席照明の明暗を司る調光器として考えられた製品で、舞台用と異なる点は、分岐回路ごとに調光器を挿入せず、同一系統の客席照明回路に大容量の調光器を挿入して使用するものである。(図4.41)
 この調光器は、映画館の客席照明回路に使用されることが多かった。

図4.41 グリッド型客席照明用調光器<sup>41)</sup>

図4.41 グリッド型客席照明用調光器41)



第4章 図・写真引用

           
1)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.264(1988)※
2)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.264(1988)※
3)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.264(1988)※
4)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.265(1988)※
5)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.266(1988)
6)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.266(1988)
7)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.266(1988)※
8)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.266(1988)
9)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.267(1988)
10)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.267(1988)※
11)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.267(1988)※
12)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.267(1988)
13)東宝株式会社 演劇部より提供
14)株式会社歌舞伎座より提供
15)株式会社歌舞伎座より提供
16)丸茂電機製作所 舞台照明カタログ(1928〜29頃)
17)丸茂電機製作所 舞台照明カタログ(1928〜29頃)
18)『川部配電機器研究所カタログ』操作配電盤p.1 港区立郷土歴史館より提供
19)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.13(1936)
20)『營業經歷書』川部配電機器研究所p.31(1934)
21)『川部配電機器研究所カタログ』弊所が施工したる知名建築p.4 港区立郷土歴史館より提供
22)『川部配電機器研究所カタログ』操作配電盤p.1 港区立郷土歴史館より提供
23)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.8(1936)
24)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.9(1936)※
25)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.9(1936)※
26)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.10(1936)
27)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.11(1936)
28)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.12(1936)
29)藤田 洋『明治座評判記』株式会社明治座(1988)
30)丸茂電機株式会社 写真資料
31)『東京劇場竣工写真集』株式会社大林組(1930)
32)『東京劇場竣工写真集』株式会社大林組(1930)
33)丸茂富治郎『東京劇場舞台照明設備について』樂水會々報(1930)
34)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.5(1936)
35)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.31(1936)
36)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.6(1936)
37)『川部配電機器研究所カタログ』調光機p.1 港区立郷土歴史館より提供
38)『川部配電機器研究所カタログ』調光機p.1 港区立郷土歴史館より提供
39)『川部配電機器研究所カタログ』調光機p.3 港区立郷土歴史館より提供
40)『川部配電機器研究所カタログ』調光機p.3 港区立郷土歴史館より提供
41)『川部配電機器研究所カタログ』調光機p.5 港区立郷土歴史館より提供
印は書籍の図版をトレースしたものを掲載

第4章 参考文献
4-1)原 愛二郎「歌舞伎座の照明に就て」『照明學會雜誌』第11巻6号(1927)
4-2)丸茂電機製作所 舞台照明カタログ(同社最初のカタログ)(1923〜29年頃)
4-3)遠山静雄「早稲田大学大隈記念講堂の舞台照明に就て」照明学会雑誌,第12巻.第5号 pp.255-260(1928)
4-4)『營業經歷書』川部配電機器研究所(1934)
4-5)川部配電機器研究所カタログ(1930年代)
4-6)『製品經歷書』丸茂電機製作所(1936)
4-7)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4(1936)
4-8)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート pp.256-268(1988)
4-9)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 pp.5-11(1990)
4-10)柘植貞輝「昭和前期の舞台照明」『日本舞台テレビ照明近代史』社団法人 日本照明家協会 pp.3-14(1993)

昭和初期の舞台照明機器製品カタログ

 最初期のものと思われる舞台照明機器の製品カタログ。海外からの技術を取り入れ、模倣しながらも、日本の劇場の規模や上演作品の内容、興行形態などを勘案し、開発・製造されたさまざまなタイプの抵抗式調光装置が紹介されている。

丸茂電機製作所の製品カタログ(1923~29年頃)/資料提供=丸茂電機株式会社
丸茂電機製作所の製品カタログ(1923~29年頃)/資料提供=丸茂電機株式会社

丸茂電機製作所の製品カタログ(1923~29年頃)
資料提供=丸茂電機株式会社


川部配電機器研究所の製品カタログ(1930年代)/資料提供=港区立郷土歴史館
川部配電機器研究所の製品カタログ(1930年代)/資料提供=港区立郷土歴史館

川部配電機器研究所の製品カタログ(1930 年代)
資料提供=港区立郷土歴史館

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 5 世界に先駆けて開発された変圧器式調光装置

5.1 変圧器式調光器の特色と構造

 交流回路においては変圧器回路を使って負荷回路の電圧を低下し減光することができる。抵抗を使う場合よりも電力損失が少なく、負荷の変動にかかわらず一様に調光できることが大きな特色である。調光器としては単巻変圧器が使用され、その原理を略図で示すと図5.1のとおりである。

図5.1 単巻変圧調光器の原理<sup>1)</sup>

図5.1 単巻変圧調光器の原理1)


 抵抗式の場合は1調光回路に1個の抵抗器が必要であったのに対し、変圧器の場合は1個の変圧器がその容量の許す限り何個の調光回路でも受け持つことができる特色を持っている。
変圧器の2次側はその巻線数が1次側のそれに比例して電圧が変わるので、巻線を適当に分岐して集電棒に接続し集電棒の表面を摺動片が摺動すれば負荷電流を変化させることができる。この機構はドイツ式抵抗調光器の場合と同様である。これを略図で示すと図5.2のようになる。

図5.2 単巻変圧調光器の説明図<sup>2)</sup>

図5.2 単巻変圧調光器の説明図2)


 Tは単巻変圧器の巻線、Cは集電棒、Bは摺動片である。集電棒は導体と絶縁体Iとを重ね合わせて約90個のセグメントでできている。摺動片の幅はセグメントの幅より大きいため、隣接セグメントにまたがる。それは変圧器の分岐タップ間を短絡することを意味するので、短絡電流が流れる。これを防ぐために変圧器巻線から集電棒への導線に抵抗rを挿入している5-11)
 単巻変圧器式調光器の外観を図5.3に示す。

図5.3 単巻変圧調光器<sup>3)</sup>

図5.3 単巻変圧調光器3)


5.2 東京宝塚劇場の開場と変圧器の時代へ

 1911年(明治44年)東京に建てられた帝国劇場は、その外観をパリのコメディー・フランセーズに模した洋風劇場の第1号であるが、その他の日本の劇場は、外観に洋風を採り入れたものはあるが、内容は江戸時代以来の歌舞伎劇場の姿の踏襲であった。この劇場形式に明確な転機をもたらしたのが1934年(昭和9年)1月1日に開場した東京宝塚劇場である。(図5.4)

図5.4 東京宝塚劇場外観<sup>4)</sup>

図5.4 東京宝塚劇場外観4)


 東京宝塚劇場は、歌舞伎劇場の絵巻物式舞台面を見せるプロセニアム開口(間口が広く高さが低い)とは対照的な、西欧式プロセニアム開口(間口が狭く高さが高い)形式の大レビュー劇場として設計された。そして、この劇場のすべてにわたる基本設計を行ったのは、宝塚劇場の当時の照明主任であった劇場技術者の井上正雄であった。
 阪急電鉄の前身である箕面有馬電鉄が電鉄の振興策として、社長の小林一三によって宝塚新温泉に少女ばかりの音楽隊である「宝塚唱歌隊」を作った。やがて「宝塚少女歌劇団」となり、1914年(大正3年)に第一回公演を行った。そして、大正の終わりから昭和の初めにかけて大衆の心を掴み、『モン・パリ』、『花詩集』などの名作が多くの女性たちを魅了した。図5.5に当時の舞台風景を示す。この頃、少女歌劇は全盛時代を迎え、多くのスターを生んだ。
 そして、宝塚少女歌劇団の東京進出の拠点として、東京に宝塚劇場の建設が計画され、1932年(昭和7年)12月に工事が開始された。

図5.5 宝塚歌劇レビュー『モン・パリ』の舞台写真(1927)<sup>5)</sup>

図5.5 宝塚歌劇レビュー『モン・パリ』の舞台写真(1927)5)


 これに先立ち1928年秋、井上正雄を中心にしたスタッフが、社命により約1か年間にわたりアメリカ、イギリス、フランス、ドイツなどの劇場を視察し、帰国後、欧米の優れた劇場を範とし基本設計を行った。
 井上正雄は舞台照明設備に画期的方式を採用し、特に調光装置については、当時全般に普及していた金属抵抗器や、欧米で新方式として使用されつつあったサイラトロン、リアクトル方式ではなく、当時丸茂電機で考案、試作されていた多分岐式調光変圧器に着目し、これを採用した。操作はドイツ式の機械的遠方操作方式の手動電動両用のものとした5-10)。(図5.6,図5.7)

図5.6 東京宝塚劇場の調光変圧器<sup>6)</sup>

図5.6 東京宝塚劇場の調光変圧器6)

図5.7 東京宝塚劇場の調光操作機<sup>7)</sup>

図5.7 東京宝塚劇場の調光操作機7)

 当時のことを丸茂富治郎は、『日本照明家協議会会報』の昭和39年12月号に掲載された座談会で次のように述べている。
 「変圧器式調光器を舞台に使えるように工夫して工場内で試作を続け、多分岐式調光変圧器の試作がほとんど完成した時に東京宝塚劇場の建設が始まって、井上さんの大英断でその方式の採用が決まって御下命を得たのですが、私としては商売的には全く考えず、ただ自分の考案が実った喜びと必ず立派なものを作り上げなければならないという責任とで、緊張して試作品を詳しく調べ設計を再三調査して、もうこれなら大丈夫と自分で自分に言い聞かせて安心して製作に取り掛かり、納期すれすれに完成する事ができました。
東京宝塚劇場の多分岐式調光変圧器は、ドイツがこれと異なる方式の多分岐式調光変圧器を製作したのより、私のほうが2、3年早かったことは文献並びに当時実際に欧米を回って来られた井上さんの実証によって知らせて頂きました」

 変圧器方式の利点は電力消費の面で無駄が少ないこと、許容容量以内でいかなる負荷でも完全に調光できることにある。また、機械的遠隔操作により操作面積が小さくなり、操作が便利になったこともあげられる。さらに、同劇場にはレビュー、バラエティの激しい場面転換に対応でき、操作が簡単であり、加えて正確を期するために、多分岐回路にマグネットスイッチを設け、9場面のプリセットができるなどの多くの利点から多段プリセット方式が採用された。
 調光変圧器は40kVA×4基、25kVA×3基で、各変圧器より2 kW~5kWの回路が7回路~17回路。計130回路余がそれぞれ独立して任意に操作可能となっていた。
 さらに、操作配電盤を電磁開閉器の遠方操作方式とすることにより、総数300回路余にもおよぶ開閉器設備を調光変圧器とともに上階の別室に配置した。
 このことにより照明操作室には、電磁開閉器操作のためのスイッチ盤と、レギュレータと呼ばれる調光操作盤のみの設置となり、操作室の面積が縮小され、300回路余の操作を客席側から舞台面を見ながらひとりのオペレータで操作できる位置を獲得した最初の近代的大劇場であった5-10)。(図5.8)

図5.8 東京宝塚劇場の照明操作室<sup>8)</sup>

図5.8 東京宝塚劇場の照明操作室8)


 東京宝塚劇場に多分岐式調光変圧器が採用されてから、我が国の舞台照明の調光方式は変圧器方式に変わり、その後第二次世界大戦をはさみ30年以上もの間、この方式が舞台照明用調光装置の主流となった。


5.3 U型多分岐式調光変圧器

 U型多分岐式調光変圧器は丸茂電機により考案され、1934年(昭和9年)に東京宝塚劇場へ納入されたことは前に述べた。
 この調光変圧器は交流100 V電源の電灯回路に用いて電灯の調光を行うもので、負荷容量10kW~50kWを単位とする単巻変圧器である。(図5.9,図5.10)

図5.9 U型多分岐式調光変圧器(正面)9)

図5.10 U型多分岐式調光変圧器(側面)10)

 構造の概略は、単巻変圧器線輪の1回ごとに(線輪1回の電圧は約1V)タップを出し、各タップは横に平行に張られたブスバー(配電盤などに使用される大容量の電流を導電する導体)の1本ごとに各々接続される。
 タップ数は約90本なのでブスバーも約90本が配列される。各ブスバーは調光器負荷側分岐数に応じて数分岐または十数分岐の短絡電流制限抵抗を固定し、各抵抗を通して縦に配列した集電子片の各一片に接続する。
 集電子片は200枚以上の銅片を2枚ごとに一片として相互に接地側に対して絶縁し、縦に整列してその両側を平滑にしたものである。
 この集電子片列(集電棒)は変圧器の負荷側分岐数、例えば10分岐のものであれば10本が変圧器の前側に配列され、これと向かい合って設けた集電樋とを渡って両側から接触する摺動接触刷子(摺動片)の上下摺動によって、各1列が全く独立した調光器として動作する。(図5.11)

図5.11 U型多分岐式調光変圧器の集電子片列と摺動接触刷子<sup>11)</sup>

図5.11 U型多分岐式調光変圧器の集電子片列と摺動接触刷子11)


 各々に接続された電灯回路は、それぞれ違った調光度で操作することが可能であり、任意の調光度の位置で長い間停止しても問題ないよう作られていた。各負荷分岐の容量は、100V電圧の位置で10A、20A、30A、40A、50Aの指定容量で製作していた。
 U型多分岐式調光変圧器の調光操作盤は、ワイヤロープを通じて調光変圧器の摺動接触刷子に接続され、操作ハンドルによって操作する機械的遠方操作方式である。
 変圧器の分岐ごとに連結した各個操作ハンドル10~15個を1グループにして、通常は3グループまたは4グループ、大規模設備は6グループまたは8グループに分け、3段または4段に配列し各々に主動軸を設ける。この主動軸を掛外し自在の機構により総操作縦軸に連結し、一つの総操作ハンドルによって総操作が行えるプリセット操作機構であった5-6)。(図5.12)

図5.12 U型調光操作盤<sup>12)</sup>

図5.12 U型調光操作盤12)


 各個操作ハンドルは調光変圧器の各分岐の摺動接触刷子にワイヤロープにより連結し、これを上下に摺動することによって回路の電圧を変化させ調光する。各個操作ハンドルは主動軸に対して掛外しができ、外せば単独操作ができ、掛ければ主動軸の操作に従って動作する。
 この各個操作ハンドルに調光度目盛を備え、隣接する予備目盛帯にプリセット引外し金具を備え、予め指定された調光度の位置に引外し金具をセットすることで、主動軸操作によって動作している各個操作ハンドルを、指定された調光度で自動的に停止させることができる。(図5.13)

図5.13 U型調光操作盤の調光度目盛と予備目盛<sup>13)</sup>

図5.13 U型調光操作盤の調光度目盛と予備目盛13)


 摺動接触刷子と各個操作ハンドルとのワイヤロープによる連結は、その両端に均衡荷重を設けて平衡させてあるため、操作は非常に軽く主動操作ハンドル1個で数十個の各個ハンドルを容易に操作できる。(図5.14)

図5.14 釣合荷重<sup>14)</sup>

図5.14 釣合荷重14)


 また各列の主動軸は、軸端に直結した急動作ハンドルとウォームギアの簡単な掛外しにより軸に連結する緩動作ハンドルによって緩急自在に操作することができるが、操作盤すべてを操作する総操作ハンドルを設けるときは、緩動作ハンドルを除くことが便利であった。
 総操作ハンドルは操作盤の全体即ち調光変圧器の全ての分岐を、各個ハンドルの属する横列主動軸に従って、プリセット引外し金具の置かれた調光度まで上昇あるいは下降して、舞台の照明全体を一つの操作ハンドルによって調光転換するものである。(図5.15)

図5.15 U型調光操作盤(総操作ハンドル付)<sup>15)</sup>

図5.15 U型調光操作盤(総操作ハンドル付)15)


 総操作ハンドルはウォームギアを通して縦軸に結ばれ、縦軸はベベルギアを介して各横軸に結ばれている。
 このベベルギア各1個は各横列主動軸の一端に固定され、それに常に噛み合っている上下2個のベベルギアを縦軸にルーズにはめ込み、このベベルギアの内側の一方にはインナーギアが引かれていて、これに噛み合う細目の歯車をキーによって縦軸上を摺動して、その回転は常に縦軸と共にする構造とし、クラッチハンドルによって上下任意に嚙み合わせ、あるいは中間に置いて嚙み合わせを引外す構造としている5-5)。(図5.16,図5.17)

図5.16 ギアの嚙み合わせを外した状態<sup>16)</sup>

図5.16 ギアの嚙み合わせを外した状態16)

図5.17 ギアを下側に嚙み合わせた状態<sup>17)</sup>

図5.17 ギアを下側に嚙み合わせた状態17)

 これによって総操作ハンドルですべての舞台照明回路をフルレベルにして明るくしたり、ゼロレベルにして暗くしたり、また、任意の明るさのレベルに設定することができ、一人のオペレータで操作可能とした。
 また調光操作盤は電動式にすることができ、横列主動軸ごとに電動機を設け、各々調速と正転逆転を指定し、一括スイッチにより全体を操作する方式である。この場合は縦軸の総操作機構は不要となる。(図5.18)

図5.18 U型調光操作盤(電動式)<sup>18)</sup>

図5.18 U型調光操作盤(電動式)18)


 U型多分岐式調光変圧器と操作盤は、東京宝塚劇場へ納入後、全国の劇場やホールへ納入され、我が国の舞台照明用調光装置の標準となり、「オートトランス式調光装置」と呼ばれるようになった。
 戦後、第二次世界大戦によって大きく被災した各地の劇場の復興が始まるが、特に被害の大きかったのが新橋演舞場と歌舞伎座であった。
 1947年(昭和22年)新橋演舞場の復興が始まるが、資材は焼け残ったものや工夫すれば使えるものを苦心して使用し、工作機械も満足できるものではなかったが、1948年(昭和23年)3月杮落しを迎えることができた。(図5.19)
 翌年、歌舞伎座の復興が始まり1951年(昭和26年)1月1日開場した。調光装置はもちろんU型多分岐式調光装置である。(図5.20)

図5.19 新橋演舞場の調光操作盤<sup>19)</sup>

図5.19 新橋演舞場の調光操作盤19)

図5.20 歌舞伎座の調光操作盤<sup>20)</sup>

図5.20 歌舞伎座の調光操作盤20)

 日本のテレビジョン放送は、1950年(昭和25年)テレビジョンの実験放送が始まり、本放送はNHK東京テレビによって1953年(昭和28年)2月に、さらに民放では日本テレビ放送網株式会社(NTV)によって8月に開始された。
 NTVの第1、第2スタジオの照明設備は、器具はアメリカのセンチュリーライティング社(Century Lighting Inc.)、調光装置は丸茂電機で分担施工した。
 一方NHKでも内幸町のラジオスタジオをテレビジョンスタジオに改造することになり、機材は国産品を使用するとの建前から照明設備は丸茂電機が担当することになり、ここに日本で初めての国産によるテレビジョンスタジオが完成した5-12)
図5.21に当時のテレビジョンスタジオでの撮影風景を示す。

図5.21 テレビジョンスタジオでの撮影風景(1955)<sup>21)</sup>

図5.21 テレビジョンスタジオでの撮影風景(1955)21)


 以後、全国主要都市にキー局、準キー局が次々と開設され、U型多分岐式調光装置も設置されることになる。
 図5.22は、1958年(昭和33年)頃ラジオ東京(現TBS)のDスタジオに設置されたU型調光操作盤である。図5.23も同じ頃NHK公開ホールに設置されたものである。

図5.22 ラジオ東京Dスタジオに設置されたU型調光操作盤<sup>22)</sup>

図5.22 ラジオ東京Dスタジオに設置されたU型調光操作盤22)


図5.23 NHK公開ホールに設置されたU型調光操作盤<sup>23)</sup>

図5.23 NHK公開ホールに設置されたU型調光操作盤23)


5.4 松村電機製作所の多分岐式調光変圧器

 1923年(大正12年)創業の松村電機製作所は、1935年(昭和10年)頃から写真用小型スポットライトの製造販売や撮影用照明器具の修理を始め、1951年(昭和26年)頃から舞台照明機材の製作に着手した。
 さらに、1958年(昭和33年)頃からオートトランス式調光装置を製作するようになり、全国のホールなどへ納入を開始した。(図5.24,図5.25)

図5.24 MDS-TF型調光操作盤(1960 年頃)<sup>24)</sup>

図5.24 MDS-TF型調光操作盤(1960 年頃)24)

図5.25 MDS-TD型調光変圧器(1960 年頃)<sup>25)</sup>

図5.25 MDS-TD型調光変圧器(1960 年頃)25)

5.5 龍電社の多分岐式調光変圧器

 1947年(昭和22年)に設立された龍電社(後にアールディエス株式会社に社名を変更)は、主として映画撮影所や、テレビ放送が開始されると放送スタジオの照明設備に力を注いでいた。
 調光装置の開発は1955年(昭和30年)から始まり、第一号のオートトランス式調光装置は、1957年(昭和32年)にNHKへ納入された5-15)。(図5.26)

図5.26 NHKに納入されたオートトランス式調光装置<sup>26)</sup>

図5.26 NHKに納入されたオートトランス式調光装置26)


5.6 D型調光変圧器

 D型調光変圧器は、舞台照明に金属抵抗式調光器が使われていたときから、主に映画館や劇場の客席照明回路の調光に使用されていた。一般に客席照明は常設器具であり、調光操作も全体一括での調光変化となり、かつ長時間減光のままで保たれる場合が多い。したがって調光器は、容量が大きく電気的能率が大きいものが選定された。
 D型調光変圧器は、標準容量として20 kW、15 kW、10 kW、7.5 kW、5 kWの5種類が製造されていた。
 構造は、変圧器の外函として鉄枠によって角型とし、孔をあけた鉄板を張って自然空冷式としたものであった。外函の上面に大理石盤を取り付け、これにタップを摺動接点として円形状に配置し、可動ブラシを回転して出力電圧を可変する方式であった。(図5.27)
 摺動接点の数は20 kW、15 kW、10 kWは74個、7.5 kW、5 kWは57個を設け、各接点は短絡電流制限抵抗を通して変圧器のタップに接続し、ブラシによる短絡電流を防ぐ構造であった5-2)

図5.27 D型調光変圧器<sup>27)</sup>

図5.27 D型調光変圧器27)


 D型調光変圧器は、電動式として遠方操作を行うことも、また積み重ねてバンクに組立てることも可能としていた。(図5.28,図5.29)

図5.28 D型調光変圧器バンク<sup>28)</sup>

図5.28 D型調光変圧器バンク28)

図5.29 電動式D型調光変圧器<sup>29)</sup>

図5.29 電動式D型調光変圧器29)

5.7 CR型調光変圧器

 CR型調光変圧器は、小舞台並びに客席照明用調光器として非常に便利な調光器として使用されていた。この調光器は1 V以下の電圧変化で100 Vから0 Vまで自在に操作し、電灯の調光に全くちらつきがなく平滑に明暗を調節し、任意の調光度で長時間使用しても問題なく使用できた。
 CR型調光変圧器は、鋳鉄製の外函に納め共鳴雑音を防止している。接触板はエボニーアスベスト(エボナイトとアスベストの複合材と思われる)板に円周状に配列した約90個の2列の接触片と、その内側に同心円に2列の集電輪を置き、外周接触片と外側集電輪を結ぶ刷子と、内周接触片と内側集電輪を結ぶ刷子とを、中心軸により回転するレバーに対称の向きに取り付け、その刷子の4点の接触圧力を均一になるよう考案された構造である。変圧器の各タップは順序正しく内外の接触片に接続され、タップの切り替えに際してタップ間の短絡電流を制限するように集電輪で短絡電流制限抵抗を増減し、すべての位置において切替短絡による変圧器巻線の過熱を防ぎ、かつ接触片に火花を生ずることを防止している。(図5.30)

図5.30 CR型調光変圧器単体<sup>30)</sup>

図5.30 CR型調光変圧器単体30)


 標準容量としては、3 kW、5 kW、7.5 kW、10 kW、12.5 kW、15 kWの6種類が製造されていた。これらの調光器は数台、または数十台組み合わせてバンクに組み立て、NW型調光抵抗器と同様に溝車とワイヤロープとによって操作部に連結し、NW型調光抵抗器と同様の操作ができるよう製造することが可能であった5-2)。(図5.31)

図5.31 CR型調光変圧器バンク<sup>31)</sup>

図5.31 CR型調光変圧器バンク31)


 操作は電動式にすることができ、電動と手動の選択も可能であった。(図5.32,図5.33)

図5.32 CR型調光変圧器電動式<sup>32)</sup>

図5.32 CR型調光変圧器電動式32)

図5.33 CR型調光変圧器電動式(客席照明用)<sup>33)</sup>

図5.33 CR型調光変圧器電動式(客席照明用)33)

 これらの装置には、クラッチの自動引外し機構や、リミットスイッチなどの安全装置が設けられ、誤って操作した場合の安全を確保していた。
 また、小容量のCR型調光変圧器で、1kWおよび2kWの2種類があり、主に移動用として使用されていたCR-3型があった。(図5.34)
 その構造は、鉄板性の外函にベークライト板に接触片および集電輪を取り付け、CR型同様接触子を回転摺動して調光する方式であった。CR-3型調光変圧器も、NW型やCR型と同様にバンクに組み立て、ワイヤロープで接続して同様の操作ができるようになり電動式も可能であった。
CR型調光器を写真、映画の撮影に適するようにしたものにCRD型調光変圧器がある。(図5.35)

図5.34 CR-3型調光変圧器単体<sup>34)</sup>

図5.34 CR-3型調光変圧器単体34)

図5.35 CRD型調光変圧器<sup>35)</sup>

図5.35 CRD型調光変圧器35)

 形状は角形として移動に便利で安定の良いものとし、常時は0 V~100 Vの調整操作であるが、100 V位置の引金を外せば120 Vまで上昇させられるようになっていた。これはカラーフィルム撮影の場合に色温度を上げるためである5-5)


5.8 UM型調光操作盤

 それまでのU型調光変圧器の操作盤では、調光の上昇、下降はグループごとに決定されていたため、グループ内の1,2の調光器を反対に動作させるためには、その調光操作ハンドルを主動軸から引外し、個別に手動操作をしなければならなかった。
 この問題を解決するために考案されたのがUM型調光操作盤である。(図5.36)

図5.36 UM型調光操作盤<sup>36)</sup>

図5.36 UM型調光操作盤36)


 UM型調光操作盤は1個の調光操作ハンドルに2組の電磁式クラッチ装置を設け、一方のクラッチを働かせた場合調光上昇すれば、他方を働かせた場合は下降するもので、各個の調光器の昇降を遠方操作により決定することができるようになった。(図5.37)
 また、主動軸は直流電動機により調速ができ、各個操作ハンドルには予置引外し金具を設け、指定調光度において電磁回路を切るリミットスイッチが設けられているため、主動軸の回転が継続されても、各個操作ハンドルは指定調光度でその調光動作を止める。したがってすべての操作は操作配電盤から自在に行うことができ、各調光器は上昇下降を自由に選択し連動操作ができるようになった。(図5.38)
 UM型調光操作盤はU型調光変圧器と組み合わせて使用するもので、完全遠方操作と各個調光の上昇下降の自由を同時に解決したものである。この製品は、1957年(昭和32年)に開場した芸術座や、1958年(昭和33年)に開場した大阪フェスティバルホールなどに納入された5-6)

図5.37 UM型調光操作盤機構<sup>37)</sup>

図5.37 UM型調光操作盤機構37)

図5.38 UM型調光操作盤機構説明図<sup>38)</sup>

図5.38 UM型調光操作盤機構説明図38)

5.9 UR型調光装置

 UR型調光装置は、U型調光変圧器とその操作盤を組み合わせて一体としたもので、小舞台、小スタジオ用調光装置として、または大劇場の客席用調光装置として使用されていた。電動操作方式とすることで遠方操作も可能としていた5-7)。(図5.39)

図5.39 UR型調光装置<sup>39)</sup>

図5.39 UR型調光装置39)


5.10 UMS型調光装置

 UMS型調光装置は、U型調光変圧器の調光特性を変えることなく機械的機構を最小限にし、操作は弱電制御による完全遠隔方式を採用した調光装置として、1961年(昭和36年)4月に開場した東京文化会館に初めて納入された。(図5.40)

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図5.40 東京文化会館の客席40)


 経済の国際化とともに、文化の国際化も進んできた1957年(昭和32年)、待望のイタリア・オペラが来日したが、当時の日本には本格的なオペラハウスがなく、東京宝塚劇場や宝塚大劇場などで上演をするしかなかった。一方で都民の中からは「本格的なオペラハウスを」という要望があり、東京都では上野公園内に文化会館の建設を決定し、それが東京文化会館建設に結びついた5-12)
 舞台照明設備では、負荷回路数が当時としては非常に多い480回路で、調光操作も場面数が多く速い照明変化にも対応するため、弱電操作による完全遠隔操作のUMS型調光装置が採用された。(図5.41,図5.42)

図5.41 UMS 型調光変圧器<sup>41)</sup>

図5.41 UMS 型調光変圧器41)

図5.42 UMS 型調光操作卓<sup>42)</sup>

図5.42 UMS 型調光操作卓42)

 UMS型調光装置は、U型調光変圧器の二次側の電圧と比例する電圧と、調光操作卓のフェーダ設定指示電圧との電位差で電磁クラッチを働かせ、DCモータにより摺動刷子を移動させ、比例電圧とフェーダ電圧が同位になったとき、クラッチが切れ位置が設定される。
 また、安全のためにリミットスイッチ2個を上下の限界に取り付けてあり明暗の限界にはフェーダに関係なく刷子の移動が停止する。
 調光速度はフェーダの動作する速度がモータの速度より速い場合はモータの速度に従い、フェーダの動作する速度がモータの速度より遅い場合はフェーダを動作する速度に従う。
 したがって、モータの速度を速くしておけばフェーダのみで操作することができ、またフェーダをあらかじめセットしておき、モータの回転により調光することもできる調光装置であった5-7),5-8)。(図5.43)

図5.43 UMS 調光装置説明図<sup>43)</sup>

図5.43 UMS 調光装置説明図43)


5.11 RCL型調光装置

 1970年(昭和45年)頃、松村電機製作所は従来の多分岐式調光変圧器の長所と、当時導入されつつあったサイリスタ調光装置の長所を取り入れ、多分岐式調光変圧器の動作を電気的にリモートコントロールできるRCL調光装置を開発した。(図5.44,図5.45)
 多分岐式調光変圧器の長所とは、当時のサイリスタ調光装置では難しかったスムーズな明かりの立上りや照明変化ができることで、それを電気的にリモートコントロールすることによって、サイリスタ調光装置の長所である操作卓の小型化や、操作場所を舞台の良く見える場所に設置することが可能となった5-9)

図5.44 RCL 型調光変圧器<sup>44)</sup>

図5.44 RCL 型調光変圧器44)

図5.45 RCL 型調光操作卓<sup>45)</sup>

図5.45 RCL 型調光操作卓45)

5.12 マツダ照明学校とサイラトロン調光装置

 1927年(昭和2年)東京電気株式会社(現在の株式会社東芝)は、川崎工場内にマツダ照明学校を設立した。(図5.46)

図5.46 マツダ照明学校入口<sup>46)</sup>

図5.46 マツダ照明学校入口46)


 マツダ照明学校は、照明の基礎と歴史を学ぶだけでなく、最新の照明機材に手を触れ、最適の照明設備を考えられる我が国唯一の場であり、日本における照明普及と照明技術の進歩に大きく貢献した。
 マツダ照明学校内に設置された舞台照明室は、舞台照明器具と調光装置を実際に設備し、舞台における色や照明の変化が、いかに演劇に効果を与えるかを説明する部屋で、舞台照明器具類と抵抗式調光装置のことを簡単に述べて、舞台照明がどのようにして成り立っているかを説明していた5-1)
 1937年(昭和12年)マツダ照明学校を増改築した際、舞台間口11 m、奥行7.5 m、客席229席の講堂を造り、ボーダーライト、サスペンションスポットライト、ホリゾントライト、サイドスポットライト、フロントスポットライトなどの舞台照明器具を設備した。(図5.47)
 また、調光装置としては、我が国で最初の真空管を応用した格子制御整流管式調光装置(サイラトロン調光装置)が設置された。
 これらの舞台照明設備により、「ウィリアムテルの序曲にのせ、アルプスの山と湖を背景に、最初夜がだんだん明けてくると、舞台は一転して嵐となり雨雲と稲妻が見える。次第に雨が晴れて明るい青空となり、やがて静かに夕暮れとなり湖水に月光が浮かんで幕となる」というようなデモンストレーションが新照明学校の呼び物の一つとなっていた。(図5.48)

図5.47 講堂の内部<sup>47)</sup>

図5.47 講堂の内部47)

図5.48 講堂の舞台<sup>48)</sup>

図5.48 講堂の舞台48)

 当時、サイラトロン調光装置による舞台照明は、米国にてGE社が納めた1929年シカゴオペラハウス、1933年ニューヨークラジオシティミュージックホールなど数件あるのみであったが、マツダ照明学校の講堂には、GE社のラジオシティミュージックホールの調光方式に準拠したサイラトロン調光装置が設置された5-3)。(図5.49)

図5.49 サイラトロン調光操作盤<sup>49)</sup>

図5.49 サイラトロン調光操作盤49)


 この調光装置は遠方制御式で、調光操作盤と制御盤との二つの部分に分かれている。調光操作盤は客席上手に設置され舞台を見ながら操作でき、調光制御盤は扉で仕切られた広間に設置し、空冷ファンなどの音が客席に漏れないように配慮されていた。(図5.50)
 しかし、制御方法が電気的であるということから、一時普及するかのように見えたサイラトロン調光装置は、サイラトロン駆動のための大容量のフィラメント加熱トランスや、負荷と直列に入れるサイラトロンの大きな管降下(15 V程度)によるランプ出力の低下を補償するための電源昇圧トランスを必要とすること、さらにサイラトロンの寿命による管の交換保守のわずらわしさがあることやサイラトロンの価格などの理由により、ついに日本の劇場に普及することはなかった5-4)
 1939年(昭和14年)東京電気は芝浦製作所と合併し東京芝浦電気株式会社となり、その後、1958年GE社がシリコン制御整流素子を発表し、翌年に東芝はGE社とノウハウ契約を結ぶことになる。
 そして、1960年には国産のパワー系半導体SCRが誕生し、サイリスタ調光装置へと変化していくことになる。

図5.50 サイラトロン調光制御盤<sup>50)</sup>

図5.50 サイラトロン調光制御盤50)



第5章 図・写真引用

           
 1)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.268(1988)※
 2)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.269(1988) ※
 3)遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート p.269(1988)
 4)https://ja.wikipedia.org/wiki/東京宝塚劇場 Wikipedia(2023.11.11)
  5)https://ja.wikipedia.org/wiki/モン・パリ Wikipedia(2023.11.11)
 6)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.2(1936)
 7)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.2(1936)
 8)『日本舞台テレビ照明近代史』社団法人日本照明家協会 p.17(1993)
  9)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-11 p.3(1955)
 10)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-11 p.3(1955)
 11)丸茂電機株式会社 保存機器(著者撮影)
 12)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-13 p.22(1958)
 13)丸茂電機株式会社 保存機器(著者撮影)
 14)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.24(1936)
 15)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-11 p.4(1955)
 16)丸茂電機株式会社 保存機器(著者撮影)
 17)丸茂電機株式会社 保存機器(著者撮影)
 18)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-11 p.6(1955)
 19)丸茂電機株式会社 写真資料
 20)丸茂電機株式会社 写真資料
 21)『テレビスタジオ開館写真アルバム』株式会社ラジオ東京(1955)
 22)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログ p.24(1958)
 23)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-13 p.24(1958)
 24)株式会社松村電機製作所 舞台照明カタログ(1960)
 25)株式会社松村電機製作所 舞台照明カタログ(1960)
 26)『光とともに50年』アールディエス株式会社(1998)(NHKに許可を得て掲載)
 27)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.14(1936)
 28)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.6(1936)
 29)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.15(1936)
 30)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.16(1936)
 31)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.17(1936)
 32)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.18(1936)
 33)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.18(1936)
 34)丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 p.20(1936)
 35)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-11 p.8(1955)
 36)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-13 p.25(1958)
 37)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-13 p.25(1958)
 38)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-13 p.26(1958)※
 39)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-17 p.12(1964)
 40)丸茂電機株式会社 写真資料
 41)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-17 p.4(1994)
 42)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-19 p.10(1968)
 43)丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-19 p.10(1968)※
 44)株式会社松村電機製作所 舞台照明カタログRCL調光装置 p.3(1971)
 45)株式会社松村電機製作所 舞台照明カタログRCL調光装置 p.3(1971)
 46)『東京電氣株式會社五十年史』東京芝浦電氣株式會社 p.499(1940)
 47)『東京電氣株式會社五十年史』東京芝浦電氣株式會社 p.500(1940)
 48)『東京電氣株式會社五十年史』東京芝浦電氣株式會社 p.500(1940)
 49)『マツダ新報』第24巻 第11号東京電氣株式會社 p.33(1937)
 50)『東京電氣株式會社五十年史』東京芝浦電氣株式會社 p.500(1940)
 ※印は書籍の図版をトレースしたものを掲載

第5章 参考文献
5-1)『マツダ新報』「照明學校號」第14巻 第12号 東京電氣株式會社(1927)
5-2)『丸茂電機製作所 舞台照明カタログB-4 (1936)
5-3)『『マツダ新報』「新照明學校號」第24巻 第11号 東京電氣株式會社(1937)
5-4)『『東京電氣株式會社五十年史』東京芝浦電氣株式會社(1940)
5-5)『丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-11(1955)
5-6)『丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-13(1958)
5-7)『丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-17(1964)
5-8)『丸茂電機株式会社 舞台照明カタログB-19(1968)
5-9)『株式会社松村電機製作所 舞台照明カタログRCL調光装置(1971)
5-10)『柘植貞輝「劇場技術者・故 井上正雄の業績」『劇場技術』51 日本劇場技術協会(1982)
5-11)『遠山静雄『舞台照明学 上巻』リブロポート pp.268-271(1988)
5-12)『『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 pp.12-22(1990)
5-13)『『日本舞台テレビ照明近代史』社団法人日本照明家協会 pp.15-20(1993)
5-14)『立木定彦『舞台照明のドラマツルギー』リブロポート pp.229-235(1994)
5-15)『『光とともに50年』アールディエス株式会社(1998)
『NHKに関する記述については、NHKの許可を得て掲載

変圧式調光装置の製品カタログ

 世界に先駆けて、日本で独自に開発された変圧式調光装置を紹介した製品カタログ。変圧式調光装置は1934 年の東京宝塚劇場への採用後、第二次世界大戦をはさみ30 年以上もの間、舞台照明用調光装置のスタンダードとして、全国の数多くの劇場やホールに導入された。また、テレビ放送の開始にあたっては、スタジオ照明の調光装置として、重要な役割を担った。

丸茂電機製作所の製品カタログ(1936年)/資料提供=丸茂電機株式会社
丸茂電機製作所の製品カタログ(1936年)/資料提供=丸茂電機株式会社

丸茂電機製作所の製品カタログ(1936年) 資料提供=丸茂電機株式会社


丸茂電機株式会社の製品カタログ(1955年)/資料提供=丸茂電機株式会社
丸茂電機株式会社の製品カタログ(1955年)/資料提供=丸茂電機株式会社

丸茂電機株式会社の製品カタログ(1955年) 資料提供=丸茂電機株式会社


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 6 半導体技術によるサイリスタ調光器時代

6.1 変圧器からサイリスタ調光器へ

 1958年(昭和33年)アメリカのGE社がSCR(Silicon Controlled Rectifier)の大電流を制御する特性を応用して調光する技術を開発した。
 我が国では、1961年(昭和36年)10月東芝科学館 講義室に、我が国初のSCRを使用したサイリスタ調光装置として電球調光3 kW×27台、6 kW×2台、29回路3段プリセット方式と蛍光灯50灯用×5回路を制御する設備が完成した。(図6.1〜図6.3)
 当時、SCR素子を製造していたのは、「東芝」、「新電元工業」、「日本電気」、「三菱電機」などであった。その他に制御用のゲート端子を持たず、瞬間的に高電圧を印加して点弧する「SSS」と呼ばれたパワーデバイスも開発され、国内で調光器にも使用されたが、これも当時は「SCR調光器」と呼称されていた。

図6.1 東芝科学館 講義室に設置されたサイリスタ調光装置<sup>1)</sup>

図6.1 東芝科学館 講義室に設置されたサイリスタ調光装置1)

図6.2 調光ユニット収納ラック<sup>2)</sup>

図6.2 調光ユニット収納ラック2)

図6.3 調光操作卓(29回路3段プリセット)<sup>3)</sup>

図6.3 調光操作卓(29回路3段プリセット)3)


 その後、これらのパワーデバイスの用途が広がり種々のデバイスが開発されたことと「SCR」がGE社の登録商標である所から、それらのデバイスを総称して「サイリスタ」と呼称することが「国際電気標準会議(IEC)」で決定し、この呼称が広まって行ったので、本報告書でも「SCR調光器」の呼称は使用せず、「サイリスタ調光器」と呼称する。
 サイリスタ調光方式は、パワー系半導体を使用した純電気的制御方式であり、ワンマンコントロールが可能な操作性、制御電力は少なく、電圧降下は1 V以下で、サイラトロン方式のようなフィラメント加熱トランスなどの付属物が不要であり、交換保守のわずらわしさもなくなった。また、オートトランス方式におけるワイヤや滑車などの機械的伝達装置もなく小型軽量となった6-1)
 さらに1962年(昭和37年)1月、日比谷内幸町のNHK東京放送会館T-101スタジオの改修工事では、全面的にサイリスタ調光装置を採用した我が国最初のスタジオとなり、『虹の設計』、『赤穂浪士』、『NHK劇場』、『事件記者』などドラマの制作面で活躍した。
 この工事では、GE社での研修から帰国した東芝の技術者と丸茂電機の技術者が協力して、さまざまなチャレンジを実現し研究改善を重ねていった。
 しかし、初期のことであったので、調光特性が滑らかではなく、調光するための可変抵抗器であるフェーダをどのように動かしても、不自然ではなく感じられる調光をすることが困難であった。そのため、あらかじめ調光レベルを設定する各プリセットフェーダに抵抗を入れて修正したり、手直しや変更を加えたりしてテレビスタジオの調光装置として運用できるようにした。
 内容は、調光3 kW×66台、6 kW×6台、負荷回路108回路からなり、主要回路が調光器に直結し、必要により他の回路も調光器に接続できるようにしたもので、スタジオを4ブロックに分け、それぞれの操作を3段(3場面)プリセットで可能にした6-2)。(図6.4)

図6.4 NHKT-101スタジオに納入されたサイリスタ調光装置<sup>4)</sup>

図6.4 NHK T-101スタジオに納入されたサイリスタ調光装置4)


 舞台照明では、1962年(昭和37年)広島市公会堂の改修にあたってサイリスタ調光装置を導入した。
 当時としては画期的なことであったが、オートトランスの滑らかな調光カーブに対して前述の通りの不満足な調光特性であったり、また素子の経時変化や温度特性を考慮に入れた回路設計がなされていなかったりしたためのちらつきなどで、舞台照明では使えないといった声もあった。
 しかし、1963年(昭和38年)10月に開場した日生劇場に、大劇場として初めてサイリスタ調光方式が採用されることになる。
 日生劇場は日本生命の資本をバックに、石原慎太郎、浅利慶太、五島昇の諸氏が現代科学の粋を集めた超
 一流の設備と機能を備えた劇場をと計画され、建設された。(図6.5)

図6.5 日生劇場<sup>5)</sup>

図6.5 日生劇場5)


 舞台照明設備の計画は、浅利慶太と共に劇団四季の創立に参加した舞台照明家の吉井澄雄が担当した。
 吉井は最新の調光装置として、小型・軽量で若い女性が指の先で操作でき、予め照明をプリセットしておくことで、どんな速い照明変化にも対応できるSCRを使用したサイリスタ調光装置のプリセット方式を提案した。
 浅利と吉井は大阪の日本生命本社で、社長の弘世現と設計者の建築家村野藤吾に面会し、浅利が日本の劇場の水準の低さやそのために優れた演劇やオペラの上演が困難を極めていることを訴え、そのためには最新の技術と考え方を採り入れる必要があることを説明し、吉井が若い女性が調光操作卓に向かっているアメリカのメーカのパンフレットを見せながら、サイリスタ調光装置のプリセット方式を説明した。
 弘世と村野は三十歳前の若者の意見に真摯に耳を傾け、すぐ現場に検討するよう指示した。
 このようにしてサイリスタ調光装置の採用が決まった日生劇場は、ベルリン・ドイツ・オペラを招聘し、1963年(昭和38年)10月20日オペラ『フィデリオ』で開場した6-10)
 日生劇場の調光装置は、調光6 kW×152台、150ユニット9段のプリセットを持ち、転換の速い明かりづくりが可能であり、プリセット・フリー・グループの切換スイッチの組み合わせで非常に複雑な照明手法もこなすことのできる装置であった。(図6.6)

図6.6 日生劇場のサイリスタ調光装置<sup>6)</sup>

図6.6 日生劇場のサイリスタ調光装置6)


 また、客席奥にある調光室には照明操作卓と照明回路制御盤があり、調光器のユニットラックは舞台近く上手の4階と5階にある完全なリモートコントロール方式であった。
 舞台照明の場合、建設時の配線費の経済性、使用時の電圧降下を少なくするため、強電機器はステージサイド上部などの舞台に近い場所に置かれる場合が多い。そのため、ワイヤロープで調光器と操作盤を結んでいるオートトランス方式の操作室は、強電機器の近くに設置される。
 しかし、サイリスタ調光装置では調光器と操作部の間は弱電信号の細い線で結ぶため、機器間配線上の制約はなく、操作室の位置は任意の場所に設置できる。したがって、日生劇場の調光操作室は舞台を正面から見ることのできる客席中二階奥に設置した。
 この日生劇場へのサイリスタ調光装置の採用が、劇場関係者や照明家たちに評価を得たことにより、1966年(昭和41年)9月に新築再開場した帝国劇場、11月に開場した国立劇場にサイリスタ調光装置が採用され、東芝と丸茂電機の協力によって納入された。そしてその後建設される劇場・ホールには、ほとんどこのサイリスタ調光装置が設置されるようになり、日本の舞台照明史上に大きな変革をもたらした。(図6.7〜図6.10)

図6.7 帝国劇場<sup>7)</sup>

図6.7 帝国劇場7)

図6.8 帝国劇場のサイリスタ調光装置<sup>8)</sup>

図6.8 帝国劇場のサイリスタ調光装置8)

図6.9 国立劇場<sup>9)</sup>

図6.9 国立劇場9)

図6.10 国立劇場のサイリスタ調光装置<sup>10)</sup>

図6.10 国立劇場のサイリスタ調光装置10)

6.2 理想的な調光特性

 舞台照明用調光装置としては、理想的な調光特性を持つことによって、観劇している客が不自然さを感じず、滑らかな調光動作をする調光装置が求められた。
 舞台照明用の負荷は白熱電灯負荷であるので、これらを理想的に調光するためには白熱電球の持つ性質との関係が密接になる。
 一般にタングステンフィラメントによる白熱電球の実測光量Φと端子電圧Vとの関係は、Φ=V3.38で表され、図6.11のようになる。

図6.11 白熱電球特性グラフ<sup>11)</sup>

図6.11 白熱電球特性グラフ11)

 端子電圧を平均的に上昇した場合、実測する光量は相当にたるみが出る形となり、調光操作としてはほとんどスイッチングに近い特性となる。
 照明効果上の調光とは、明るさの変化が0 %から100 %まで直線的に変化することが最も理想である。
 しかし、この“明るさ”には2種類あり、照明状態を計器で測定した実測光量による“明るさ”と、人間が目で見て感ずる視覚的光量による“明るさ”がある。
 実測光量Φと視覚的光量Φ0との間には、近似的に Φ=Φ02 の関係があり、図6.12のようになる。

図6.12 マンセルカーブ<sup>12)</sup>

図6.12 マンセルカーブ12)


 これらの2つの関係から、端子電圧と視覚的光量との間には、
    Φ0V 1.19
という関係になり、図6.13のようになる。

図6.13 端子電圧―視覚的光量<sup>13)</sup>

図6.13 端子電圧―視覚的光量13)


 これが理想的な調光特性を得るための基本的操作目的となる。
 サイリスタ調光器は位相角制御であるため、トリガパルスの位相角を平均に移動していくと、図6.14のように電源電圧は正弦波であるため、等間隔にてカットオフしていくと、その間の面積は最初と最後に行くほど少なく、中間において多くなり出力電圧の実効値はS字カーブとなる。したがって調光操作の設計上、この出力電圧カーブを目的とする特性に近づけるためには、位相角制御のトリガパルスの移相点とフェーダ目盛との間には図6.15のような逆S字形の特性を持った関係が必要となり、このようなカーブになる位相角制御を行えば、図のように出力電圧は理想の端子電圧が得られ、実測光量は2乗特性となり視覚的光量は直線変化として得ることができるのである6-5)

図6.14 視覚的光量―位相角<sup>14)</sup>
図6.14 視覚的光量―位相角<sup>14)</sup>

図6.14 視覚的光量―位相角14)


図6.15 位相角制御特性<sup>15)</sup>

図6.15 位相角制御特性15)


6.3 自動帰還型調光器(プラグイン調光器)

 初期のサイリスタ調光装置では、理想的位相角制御をするために、フェーダ内の抵抗値を前述の位相角特性カーブに合わせて分布する方法で補正していたが、調光度の異なる複数回路の一括調光や、場面転換などでの複雑な明かりの変化を目的とする舞台照明用調光装置としては、満足する特性を得ることは難しかった。
 フェーダ補正による欠点を改善し、あくまでも目的とする理想カーブをサイリスタ調光器内で作り出し、フェーダ操作による信号に完全に追従できる調光器として開発されたのが自動帰還型調光器である。(図6.16)

図6.16 プラグイン調光器<sup>16)</sup>

図6.16 プラグイン調光器16)


 図6.17の自動帰還型調光器回路図において、T3の帰還回路トランスの一次側には、調光器の出力電圧が印加される。
 この鋸歯状波電圧は全波整流され、調光特性設定用ボリュームVR1と平滑用コンデンサCからなる平滑回路で平滑されるが、VR1の値が大きい場合のコンデンサCの端子電圧は鋸歯状波整流波の平均値に近づき、VR1の値が小さい場合には鋸歯状波整流波の尖頭値に近づく。

図6.17 自動帰還型調光器回路図<sup>17)</sup>

図6.17 自動帰還型調光器回路図17)


 この電圧は、VR2の出力調整用ボリュームで帰還量を調整することで、調光卓が出力する制御電圧と帰還回路の出力電圧がほぼ同等になるように、Q5の制御用トランジスタが動作し、弛張回路で電源に同期したトリガ電圧が発生し、トリガトランスT2を介して、SCR1、SCR2のゲート端子に印加されて点弧し、調光器の出力電圧が制御される。
 帰還回路が平均値に近い場合には、2.0乗特性に近づき、尖頭値に近い場合には3.0乗特性に近づくので、この間で任意に調光特性が選択できる。
 弛張発振回路の点弧信号と交流電源との同期は、制御用電源トランスT1の二次側に接続された定電圧ダイオードの動作で得られる。
 自動帰還型調光器の調光特性カーブを図6.18に示す。

図6.18 自動帰還型調光器調光特性<sup>18)</sup>

図6.18 自動帰還型調光器調光特性18)


 また、白熱電球負荷である舞台照明において電源電圧の変動は、負荷光量の不安定性、および光源色温度の変化などにより設定した色彩光が得られず、思うような効果が得られない。
 このような電源電圧変動による調光操作のレベル変動の安定化にも、自動帰還回路は効果を発揮する。
 サイリスタ調光器の出力端子より検出された入力と、フェーダ信号電圧との比較により、電源電圧変動分を導通位相角を変化させることによって、自動的に補正することができるのである。この模様を図6.19に示す6-5)

図6.19 電源電圧変動補正<sup>19)</sup>

図6.19 電源電圧変動補正19)


6.4 集中制御方式による調光器(ユニレールディマー)

 初期のサイリスタ調光器では、調光特性がS字カーブになり極めて悪く、それを補正するために自動帰還型調光器が考えられたが、この方式も回路が複雑で調整が微妙であり、しかも調光器ごとの特性にばらつきが出やすい欠点を持っていた。
 そこで各々の調光回路ごとに、調光特性を決める回路を持つのではなく、集中的に1台の装置で調光特性を決めるのであれば、調光特性のばらつきや調光回路ごとの微妙な調整は皆無となり、しかも集中的に調光特性を決める装置は調光回路数を問わず1台で良いので、構成、生産性、経済性も含め、大幅な合理化が可能になると考え開発されたのが集中制御方式による調光器である。
 図6.20に集中制御方式の原理回路図を示す。

図6.20 集中制御方式原理回路図<sup>20)</sup>

図6.20 集中制御方式原理回路図20)


 交流電源の母線間には、トライアックQ4、リアクタ、限流ヒューズFと照明灯(白熱電球)が直列に接続されている。トライアックQ4が、導通位相角制御をして照明灯の調光を行う主制御素子で、この出力電圧の波形は図6.21の通りである。

図6.21 集中制御方式各部波形<sup>21)</sup>

図6.21 集中制御方式各部波形21)


 関数信号部の関数信号波形は調光特性を決める重要な波形で、図6.21(ロ)のように、交流電源波形(イ)に同期した波形で、この関数信号波形の電圧を基準電圧、操作卓の直流信号電圧を信号電圧として比較器に印加すると、直流信号電圧をe1→e2→e3と増加していくに従って、比較器出力はθ1→θ2→θ3とそのパルス幅が増加していき、主トライアックの導通角もθʼ1→θʼ2→θʼ3となって明るくなっていき調光ができる。
 したがって図6.22のように、関数波形を変化させることによって、調光特性を自由に設定することができるようになった。
 また、電源電圧の変動に対しても図6.23のように、電源電圧が高くなると関数波形の大きさも大きくなり、同一直流信号電圧でも比較器の出力パルス幅は減少し、主トライアックの導通位相角が減少して、電源電圧の上昇分を補正する。

図6.22 各種調光特性の関数波形と動作<sup>22)</sup>

図6.22 各種調光特性の関数波形と動作22)

図6.23 電源電圧対関数波形と動作<sup>23)</sup>

図6.23 電源電圧対関数波形と動作23)

 逆に電源電圧が低くなった場合は、この逆の動きによって電源電圧の低下分を補正することで、電源電圧変動に対する定電圧特性を持ち、安定した調光動作が可能となった。
 このように、集中制御方式では調光回路ごとには制御回路として、簡単な比較器と点弧回路しか設けず、調光特性は電源部に一括して設けた関数信号部(図6.25)の出力波形で一義的に決まり、合理的な調光制御部を実現した6-3)。図6.24に集中制御方式における調光特性を示す。

図6.24 集中制御方式における調光特性<sup>24)</sup>

図6.24 集中制御方式における調光特性24)

図6.25 関数信号部<sup>25)</sup>

図6.25 関数信号部25)

 この集中制御方式の調光装置は1974年(昭和49年)丸茂電機により開発され、集中制御型ユニレールディマーとして製品化された。(図6.26)

図6.26 ユニレールディマー調光器<sup>26)</sup>

図6.26 ユニレールディマー調光器26)


北博氏へのインタビュー

北 博 氏(丸茂電機株式会社 創立70周年記念式典に於いて(1990年3月))





北 博 氏

丸茂電機株式会社
創立70周年記念式典に於いて
(1990年3月)

 今回の系統化調査を進めるにあたり、1970年代以降の我が国の舞台照明業界において、舞台照明用調光装置の開発を牽引した、元丸茂電機株式会社の開発責任者であり常務取締役であった北博氏にインタビューする機会を得、当時の業界の様子や開発者としての生の声を伺うことができた。
 北博氏の略歴を紹介すると、1935年生まれで現在88歳の米寿である。1953年滋賀県立瀬田高等学校を卒業し、同年新日本電気株式会社に入社する。翌1954年、京都工芸繊維大学短期大学部機械電気科(夜間)に入学し、1957年同校を卒業する。その後1972年まで新日本電気株式会社に勤務し、1973年丸茂電機株式会社に入社し舞台照明用調光装置の開発に従事する。1996年常務取締役となり2010年同社を退社している。
 北博氏へのインタビューは、高齢であるということと、コロナ感染のリスクのことも考慮し、メールでの質問形式のインタビューとさせていただいた。(2023年10月)
 ここでの質問とその答えに関しては、北博氏からのメールでの答えを、ほぼ原文通りに記載させていただいた。

1.オートトランス調光器からサイリスタ調光器に移行していく際、当時の舞台照明業界の反応はどのようなものだったか?

 舞台照明業界の反応と言われると、範囲が広すぎてよくわからないが、オートトランスを製造しているメーカや、ユーザとしてオートトランスを使ってきた劇場やホールのオペレータには大きな戸惑いがあったと思われる。
 舞台照明機器メーカは、それまでオートトランスを始め、金属抵抗器等の機器を扱ってきており、半導体(特にトランジスタ)はソニーなどで製造されているポケットラジオなど通信分野で使われるものと思われてきた。
 したがって、舞台照明機器メーカに勤務する技術者も強電分野に強く、特に長年培ってきたオートトランスを中心に工夫を凝らしてきた調光器への執着は非常に強かったと思われ、トランジスタ等の半導体に強い経営者や技術者は少なかった。そして、サイリスタ調光器については、どこから手を付けていけば良いものか、判らなかったというのが実情だったと思われる。
 また、ユーザとしての劇場やホール側の状況も同様で、電気屋さんと呼ばれていた舞台照明のオペレータも、華奢な女性でも操作できるというSCR調光器に対して不信感があった。チャチなフェーダと呼称するカマボコ型の可変抵抗器の小さなツマミをつまんで動かすだけで数十キロワットから数百キロワットの電力を制御できるということは信じがたく、ベテランの照明オペレータは、演劇の進行に合わせてオートトランスのハンドル盤の操作を行って「俺が出した明かりを見てくれ」との自負があった。
 しかも、オートトランスシステムを扱うベテランは、優れたメンテナンスの名手で、摺動子の磨きは日々の作業であり、操作をし易くする改造もメーカと相談しながら行って来たので、オートトランスシステムに対する愛着は非常に強いものがあった。また、故障時も軽度なものはオペレータが修理でき、実演中に対応することもできた。
 そのような中で、舞台照明としての調光特性に問題を抱えているにも関わらず、問題点ははっきりしているから解決はできると見込み、サイリスタ調光器の採用に尽力し、自らも1963年に開場した日生劇場の照明設備の計画を担当し、本格的なサイリスタ調光器を導入した舞台照明家吉井澄雄氏の英断は賞賛されて然るべきである。
 しかし、それまでのオートトランスの開発、改良が無駄でなかったと認識するのに時間がかかり、サイリスタ調光器の可能性を充分に発揮できる操作卓としての機能を持つ新製品の開発において、欧米の製品に後れを取ったことは事実である。もっと早く劇場のベテランオペレータと舞台照明機器メーカの先見性を持った技術者との密な交流が、オートトランス時代と同様に行われていたら遅れを取ることは無かったのではと悔やまれる。

2.当初のサイリスタ調光器は、調光特性が良くなかったと思うが、どのように克服して行ったか? また、克服するために貴重なユーザの意見はあったか?

 当初のサイリスタ調光器の調光特性が良くないことは、ユーザもメーカも共に認めるハードウエア上の問題であり、その解決はメーカの責務である。この調光特性の悪い原因は、サイリスタの点弧回路に一般に使用されている弛張発振回路をそのまま使用した所にある。
 負荷の白熱電球の光束は印加電圧の3.38乗に比例し、視覚上の感覚は2.0乗から3.0乗に比例する。
 サイリスタ調光器の制御電圧は一般にはDC 0 Vから10 Vで、例えば制御電圧を5 Vにしたとき、2乗特性では光束比で25 %、3乗特性では光束比12.5 %となることが求められるが、一般の弛張発振回路ではこの値とは程遠い値になる。
 技術屋は一般に思った特性が得られない場合には、特性を補正することを考えるが、直流回路で使えるノンリニア素子はサーミスタ素子などの半導体素子が多く、周囲温度の影響を受けやすく、バラツキも大きい。
 小生は何時も相談に乗ってくれるブレーンの中から、ホールなどの音響設備を手掛けている技術者に「大型音響設備で使用する増幅器(通称 パワーアンプ)では単純に増幅しただけでは、周波数特性が平坦では無くなり、歪が出て音が濁るだろう、その対策はどのようにして解決しているか」と訊ねた所、音響技術者から「フィードバック(帰還回路)だ。つまり入力信号と出力信号を比較し、その差分を入力信号に予め加えることが効果的だ」と教えられた。その外にも色々方策があるが、まずフィードバック回路を検討したらとの示唆を得た。これは音響の世界では常識になっているらしい。
 恥ずかしい思いをしながら実験室に戻り、早速実験に取り掛かった。強電のサイリスタ回路と弱電の操作卓回路は絶縁しておきたいので、小型の絶縁トランスを使いその出力を全波整流し、平滑回路を使って直流に変換するのだが、この平滑回路の入力はサイリスタの出力の鋸歯状波であり、平滑回路の特性によって、帰還回路特性を変えられることが容易に想像でき、これは行けると実感した。案の定、平滑回路の抵抗とコンデンサの値を変えてみて平滑回路の出力を測ってみると、抵抗とコンデンサの値が大きいと平均値整流となり、これは調光特性では略2乗特性に準じ、逆にこの値が小さいと尖頭値整流に近づき、略3乗特性が得られることが実験上わかった。これは抵抗器に可変抵抗器を使えば、容易に調光特性可変型調光器にすることも可能であることがわかり、早速、教えてくれた音響技術者に実験結果を報告したら喜んでくれた。このようなブレーンの存在が小生にとって非常な力となった。
 そのような訳で、ユーザからのサジェスチョンは無かったが、出来上がった帰還型サイリスタ調光器の評価には、多数のユーザの方にも加わって頂き、リアクタ問題、負荷が短絡した場合の回路保護の問題等についての有難い意見を頂いた。また、調光特性や負荷の応答性、電源電圧の変動に対する性能等については高い評価を頂いた。

3.帰還型調光器や集中制御型ユニレールを開発した意図や、苦労話などのエピソードを教えていただきたい。

 帰還型調光器の開発は、丸茂電機の渡辺良三氏が突然、大津のNECに小生を訪ねてこられたことに始まる。この頃、小生は営業部から頼まれた仕事で、家庭の居間や応接間用の壁埋め込み型の1.5 kWの調光器を開発していたが、それが業界新聞に掲載され、それを見て小生が調光器を手掛けていることを知り来訪されたとのことであった。
 小生はその時開発中であった家庭用調光器を見せ、全く分野の異なることを伝えたが、渡辺氏から舞台照明用の調光器をやってみないかと言われ、舞台照明の面白さを熱く、熱心に語られ、少しその気になり、需要の大きさ、競合メーカ、現在の技術レベルなどについて聞き出した。そしてこのような話があったことを会議で報告し、一応調査することと、出来そうだったら試作品を作ってみることが決まった。
 その頃の企業は技術の報告を技報やレビューの形で発表しており、その中に「SCR調光器」が掲載されていた。それを参考に試作してみたが、渡辺氏が言っていた通り、調光特性が非常に悪く、後発メーカとなるが、先発メーカを超えることが出来ると考え、開発テーマとして認められた。
 しかし、前述の通りなかなか手ごわいテーマで、他の仕事の合間をぬってやるので、遅々として進まず、一年を経過した所で事業部長に呼び出され、開発の進行状況を聞かれた。先行メーカのレベルまでには達したが、まだ超えてはいないことを伝えた。「先行メーカのレベルなら良いではないか、製品化を考えては如何か?」と言われたが、「後発メーカが先発メーカと同じレベルの製品を製造しても、成功は難しいと思う」として「あと半年待って下さい」と答えた。何の目途もその時は無かったが「何かがありそうだ」と感じただけである。これが音響技術者との話に繋がっていき、舞台照明家の先生方にご評価を頂ける試作品が3か月で完成し、事業部長との約束を果たすことができた。

 集中制御型ユニレール調光器の開発は、小生が丸茂電機株式会社へ入社して最初の開発製品であり、その開発意図は日本一原価が廉価な調光器を作ることにあった。
 当時は、県民会館、市民会館などの公共施設が多く作られ建築ラッシュであったので、舞台照明機器メーカが熾烈な営業競争を行っていた。
 技術部門として実現ができ、即効性のあることとして考えた時、それは、品質や性能を落とすことなく、合理的で経済的に廉価に作れる調光器を開発することであった。
具体的に考えた原価削減策の概略は次の通りである。

調光器はプラグイン式でなければならないかを考えた時、当時のサイリスタの品質は非常に向上しており、故障時に調光器を差し替える必要性は殆ど無いと考えた。プラグインでなければ高価な高電流容量のコネクタは必要性が無くなる。
サイリスタにトライアック(双方向性サイリスタ)を使用することで、同一アルミ製フインに複数個のトライアックを取り付け(実際には10個)フインに冷却効果と給電ブスバーを兼ねることで、高価な銅バーの節約が出来る。
調光特性を決める電子回路はコサインチョップ方式を採用した関数発生器としてまとめ、調光回路毎の点弧回路は簡略化し、複数回路を搭載したPC板にまとめる。
その他、部品メーカや加工業者に意図を伝え、原価低減策の提案を求めた。

 概略以上の様な改良を加えたことと、技術部門はいうに及ばず他部門の協力を得て「ユニレール調光器」は初期の目標値に達したことを、原価管理部門から報告を受けた際には本当に喜ばしい思いをしたことだけが記憶に残っていて、苦労話は記憶にない。

 以上が北博氏へのインタビューの内容であるが、当時の舞台照明業界の機器メーカやユーザの状況がよくわかり、サイリスタ調光器をどのように舞台照明に適した調光器として進化させてきたかという開発者の思いを、貴重な資料として残すことが大切であると考え、このコラムを掲載することとした。

6.5 インテリジェント調光器

 集中制御方式による調光器によって、調光特性のばらつきが無く、滑らかな調光変化による理想的な調光特性を実現し、定電圧特性によって安定した調光動作が可能となったが、1990年代中頃から2000年代初めにかけて安全性をより高めるために、調光器盤、負荷、調光ユニットの状態を常に監視し、異常があればアラーム表示パネルなどに表示するインテリジェント調光器が登場した。
 我が国最初のインテリジェント調光器は、1995年(平成7年)東芝によってインテリジェント調光器を使った集中盤と分散配置型調光器が開発され、NHK放送センターの大型ドラマスタジオCT-106スタジオに設置された。(図6.27,図6.28)

図6.27 インテリジェント調光器集中盤(東芝)<sup>27)</sup>

図6.27 インテリジェント調光器集中盤(東芝)27)

図6.28 インテリジェント調光器分散配置型(東芝)<sup>28)</sup>

図6.28 インテリジェント調光器分散配置型(東芝)28)

 この調光器は、調光器をマイクロコンピュータ化し双方向通信と新たなパワー半導体IGBT(Insulated Gate Bipolar Transistor)の採用で、サイリスタ調光器の課題であった騒音の大幅な低減を実現した。
 これは、位相制御による電流の急峻な立ち上がりを、マイクロコンピュータ制御でなだらかにして急峻性を抑制し、振動音を発していたリアクタを不要とする画期的な技術であった。
 また、各種センサーとマイクロコンピュータを応用し、短絡遮断、漏電、負荷容量の監視などの機能を持たせ、インテリジェント化したことで安全性を向上させた6-11)
 その後、演出空間における安全性向上の要求が高まるきっかけとなり、インテリジェント調光器がスタンダードとなっていった。
 現在のインテリジェント調光器は、さまざまな検出機能を搭載し、万一のトラブルを未然に防ぎ、迅速な対応を可能にするアラーム監視システムの構築を可能にした調光器である。(図6.29)

図6.29 インテリジェント調光器<sup>29)</sup>

図6.29 インテリジェント調光器29)


 これは漏電、MCCBトリップ、過負荷など各種情報をモニタし、アラームの履歴と対処方法をディスプレイ上で確認ができるため、トラブルが発生した場合、何が原因でどのような対処をすればよいかの手掛かりとなり、より迅速に復帰させることができるようになっている。(図6.30)

図6.30 アラーム表示画面の一例<sup>30)</sup>

図6.30 アラーム表示画面の一例30)


 現在では、劇場やホール、テレビスタジオなどに納入される調光器は、ほとんどがインテリジェント機能を持った調光器が納入されている。

主なアラーム検出
 ◦漏電検出
 ◦MCCBトリップ検出
 ◦過負荷検出
 ◦無負荷検出
 ◦空冷ファン回転異常検出
 ◦盤内および調光ユニット温度異常検出
 ◦関数信号異常検出


6.6 その他のサイリスタ調光器

①可搬型調光器6-9)
 1970年代になってサイリスタ調光器が主流になると、劇団の移動公演やイベント会場での催しのため、調光器と操作部が一体になった小型調光器や、持ち運びが自由な調光器と取り扱いが簡単な調光操作卓を1パックにした製品が開発された。
 図6.31は調光器と操作部が一体になった製品で、調光器の容量は2 kWで6台(T-6)、15台の2タイプがあったが、後に新型に改良されたときに10台タイプを追加し、3タイプになった。(可搬型調光器)

図6.31 可搬型調光器T-6<sup>31)</sup>

図6.31 可搬型調光器T-631)


 図6.32は調光器と調光操作卓がパックになった製品で、調光器は6 kW×6 台と3 kW×12 台の2タイプで、調光操作卓は調光器の数によってプリセットフェーダ3段×12本ごとに追加できるようになっていた。(ビルトイン調光システム)
 これらは小型で取り扱いが簡単なため、学校の講堂やホテルのバンケットホール、小劇場などでも使用された。


図6.32 ビルトイン調光システム<sup>32)</sup>
図6.32 ビルトイン調光システム<sup>32)</sup> 図6.32 ビルトイン調光システム<sup>32)</sup>

図6.32 ビルトイン調光システム32)

②ツアー用調光器6-9)
 1980年代になると音楽業界ではロックコンサートなども多く開催されるようになり、劇場の何倍もの観客を動員できる野外や、舞台照明設備のない大型イベント会場でのコンサートが頻繁に開催されるようになってきた。
 当初は少数チャンネルの移動用調光器を使用していたが、舞台設備も大型になって、多くの舞台照明回路が必要になり調光器の数も増大した。
 このような背景から、本格的コンサートツアー用多チャンネル調光器が開発された。
 図6.33はツアー用多チャンネル調光器の原型になった製品で、2 kW×36台を標準とし、各ユニットは現地での交換修理が容易なようにプラグイン方式を採用した。

図6.33 ゼムツアー調光器<sup>33)</sup>

図6.33 ゼムツアー調光器33)


 また、ツアー用調光器として小型・軽量で移動しやすいようにキャスター付ハードケースに納められていた。後に2 kW×24台、36台、48台の3タイプを標準とした。現在では、数々のインテリジェント機能を搭載した製品が標準化されている。(図6.34)

図6.34 インテリジェント機能を搭載したゼムツアーⅢ型<sup>34)</sup>

図6.34 インテリジェント機能を搭載したゼムツアーⅢ型34)


 1990年代中頃から2000年代初めにかけて、劇団四季によって東京はじめ全国主要都市にミュージカル専用の四季劇場が建設された。(図6.35) 劇団四季の公演形態はロングラン公演が主体で、劇場は演目に合わせて舞台設備を変更することが可能な設計がされている。この四季劇場の調光設備にはツアー用調光器を必要箇所に受電盤とともに配置する分散型調光設備が採用され、調光器から負荷までをキャブタイヤケーブルで露出配線することで演目に応じて容易に変更することを可能にしている。(図6.36)

図6.35 四季劇場<sup>35)</sup>

図6.35 四季劇場35)

図6.36 四季劇場に設置されたゼムツアー<sup>36)</sup>

図6.36 四季劇場に設置されたゼムツアー36)

③移動型調光器6-9)
 2000年頃からの劇場設計においては、1990年代のバブル崩壊の影響でイニシャルコストの低減や設備のフレキシビリティということが求められるようになってきた。
 これらの観点から舞台照明設備では、基本の調光回路を抑えて、公演の照明プランに応じて必要なところへ、調光器を容易に増設できる移動型調光器が提案された。
 移動型調光器は、ハンガーで照明バトンに容易に吊り下げられ、小型・軽量・低騒音を条件に設計された。
 図6.37にその外観を示す。
 電源は60 Aコンセントより供給され、2 kW×3台の調光回路を出力する。

図6.37 移動型調光器(ポータブルディマー)<sup>37)</sup>

図6.37 移動型調光器(ポータブルディマー)37)


 また、2010年代は地球温暖化対策が本格的に謳われ、国内でも省エネ対策が活発化した。
 これを受けて、演出照明業界でも照明器具のLED化が進んでいるが、コンサート照明やテレビスタジオ照明に比較して、劇場の舞台照明ではなかなか進んでいないのが現状である。これは演劇での微妙な照明変化や色の再現性が難しいためである。
 将来のLED化に向けて過渡期であるこの時期に登場したのが、照明バトンに吊ることができ、分散配置と移動を可能にした横型移動式調光器である。(図6.38)

図6.38 横型移動式調光器<sup>38)</sup>

図6.38 横型移動式調光器38)


 電源は60 Aコンセントから供給され、2 kW×4台を収納する。出力コンセントは各回路2個ずつ設備し、最大8台のハロゲン照明器具が接続できるようになっている。


第6章 図・写真引用

 1)東芝ライテック株式会社 写真資料
  2)東芝ライテック株式会社 写真資料
  3)東芝ライテック株式会社 写真資料
  4)『東芝SCR調光装置』東京芝浦電気株式会社 p.7(1968)(NHKに許可を得て掲載)
 5)丸茂電機株式会社 写真資料
 6)『東芝SCR調光装置』東京芝浦電気株式会社 p.10(1968)
 7)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 p.25(1990)
 8)東芝ライテック株式会社 写真資料
 9)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 p.25(1990)
 10)東芝ライテック株式会社 写真資料
 11)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社 p.13(1975)※
 12)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社p.14(1975)※
 13)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社p.14(1975)※
 14)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社p.15(1975)※
 15)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社p.15(1975)※
 16)丸茂電機株式会社 写真資料
 17)作図:北博
 18)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社p.17(1975)※
 19)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社p.19(1975)※
 20)『技術資料 集中制御によるユニレール調光装置について』丸茂電機株式会社 第1図(1974)※
 21)遠山静雄『舞台照明学 下巻』リブロポート p.242(1988)※
 22)『技術資料 集中制御によるユニレール調光装置について』丸茂電機株式会社 第3図(1974)※
 23)『技術資料 集中制御によるユニレール調光装置について』丸茂電機株式会社 第4図(1974)※
 24)『技術資料 集中制御によるユニレール調光装置について』丸茂電機株式会社 第5図(1974)※
 25)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.7(1975)
 26)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.7(1975)
 27)東芝ライテック株式会社 写真資料
 28)東芝ライテック株式会社 写真資料
 29)丸茂電機株式会社 写真資料
 30)丸茂電機株式会社 写真資料
 31)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.75(2020)
 32)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.77(2020)
 33)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.107(2020)
 34)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.167(2020)
 35)丸茂電機株式会社 写真資料
 36)丸茂電機株式会社 写真資料
 37)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 p.166(1990)
 38)株式会社松村電機製作所 写真資料
 ※印は書籍の図版をトレースしたものを掲載

第6章 参考文献

6-1)『東芝レビュー』17巻、4号 東京芝浦電気株式会社(1962)
6-2)『東芝SCR調光装置』東京芝浦電気株式会社(1968)
6-3)『技術資料 集中制御によるユニレール調光装置について』丸茂電機株式会社(1974)
6-4)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社(1975)
6-5)渡辺良三『技術資料 サイリスタ調光器』丸茂電機株式会社(1975)
6-6)遠山静雄『舞台照明学 下巻』リブロポート pp.221-243 (1988)
6-7)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 pp.25-29(1990)
6-8)立木定彦『舞台照明のドラマツルギー』リブロポートpp.236-250(1994)
6-9)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 pp.45-172(2020)
6-10)吉井澄雄『照明家(あかりや)人生』早川書房 pp.66-93(2018)
6-11)中島修 東芝ライテック株式会社資料(2023)
NHKに関する記述については、NHKの許可を得て掲載

サイリスタ調光装置の製品カタログ

サイリスタ調光装置の大きな特徴のひとつとして、照明変化を素早く簡単におこなえる操作性の容易さが挙げられる。この利点がクローズアップされ、サイリスタ調光装置のカタログには、調光装置を操作す る女性の姿が登場した。

サイリスタ調光装置の製品カタログ(1969 年)/資料提供=東芝ライテック株式会社
サイリスタ調光装置の製品カタログ(1969 年)/資料提供=東芝ライテック株式会社
サイリスタ調光装置の製品カタログ(1969 年)/資料提供=東芝ライテック株式会社
サイリスタ調光装置の製品カタログ(1969 年)/資料提供=東芝ライテック株式会社

サイリスタ調光装置の製品カタログ(1969 年) 資料提供=東芝ライテック株式会社


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 7 サイリスタ調光装置における調光操作卓

 舞台照明操作の心臓部である調光装置の歴史も、水抵抗器から金属抵抗器時代、そして一時代を画したオートトランス時代から、半導体素子の開発によりサイリスタ調光器時代へと進化してきた。
 多数の調光器を操作するには、設置場所やそのスペースなどにより調光器部と操作部を分けて遠隔操作による方式が行われ、この方式はすでに金属抵抗器やオートトランス式調光装置の調光操作部(レギュレータ)に原型を見ることができる。(4章、5章参照)そしてサイリスタ調光装置の調光操作部は、フェーダによる弱電制御となり非常にコンパクトな調光操作卓となった。
 ここに至って舞台照明操作も多様化し、その操作手法あるいは機能も、これまで不可能と思われた方法が可能となり、さらにコンピュータ技術の導入により複雑で微妙な照明変化も、正確に再生することが可能となった。


7.1 多段プリセット式調光操作卓

 サイリスタ調光装置は弱電信号による導通位相角制御であるため、オートトランス方式では操作上困難を極めた複雑な操作や、ほとんど不可能と思われたスピード感あふれた速い照明変化にも十分対応できた。
 これらの照明変化を可能にするためサイリスタ調光器を制御しているのが調光操作卓であり、最初に登場したのが多段プリセット式調光操作卓である。
 多段プリセット式調光操作卓は、主に縦型の摺動抵抗であるフェーダによって構成され、明かりの変化はフェーダの操作により明暗いずれにも任意に行えた。
 フェーダはその役割によって、マスタフェーダ、クロスフェーダ、プリセットフェーダ、グループフェーダなどに分類される。
 マスタフェーダは調光装置全体のフェードイン、フェードアウトを司るフェーダで、通常は100 %に設定し、他のフェーダの操作によって明かりの変化をつくることが多い。
 しかし、舞台全体を暗い状態から明るくするフェードインや、演劇などの最後のシーンで舞台全体が暗くなるフェードアウトなどに使用することがある。
 クロスフェーダは、あるシーンから次のシーンへの場面転換の際、徐々に明かりを転換するフェーダで、接近して並んだ2本のフェーダを組み合わせた構造であり、それぞれのフェーダはツマミの動きに対して操作電圧の増減が逆になるように配置されている。(図7.1)
 すなわち、両方のツマミが上に上がっているときはAのフェーダの操作電圧は100 %で、Bのフェーダの操作電圧は0であり、両方のツマミを同時に下に動かしていくとAのフェーダの操作電圧は100% → 0、Bのフェーダの操作電圧は0 → 100%になることで場面転換をしていた。

図7.1 クロスフェーダ<sup>1)</sup>

図7.1 クロスフェーダ1)


 プリセットフェーダは、直接各負荷の調光を行うフェーダであり、負荷と調光器の接続が強電接続の場合、調光器の数と同数、調光器と操作卓間の接続が弱電接続の場合、調光負荷回路数の1/2から1/3程度の本数が、操作卓上に配列される。
 多段プリセット式調光操作卓でのプリセットフェーダはこの本数が最低2段、またはそれ以上設備され、一般的には3段から6段のものが多いが、4段以上設備する場合は操作卓のほかにプリセット卓を設備した。
 本格的な調光装置を設備した日生劇場(1963年開場)では、9段プリセットが設備された。
 多段プリセット式操作卓では、数場面先までの調光レベルをプリセットフェーダでセットし、クロスフェーダの操作によって1段→2段→3段と場面転換をする。
 実行されていない段に、次の場面の調光レベルをセットしながらこれを繰り返すことで、必要なシーン数の場面転換を可能にしている。
 グループフェーダは、全体的な調光変化の中で、あるプリセットフェーダの回路だけを別に独立した変化をさせる場合や残置したい場合などに、そのプリセットフェーダをPFG (Preset Free Group)切換スイッチによりグループフェーダに割り付け操作するためのフェーダである。
 図7.2にこれらの関係を表した調光操作卓の概略回路図と、図7.3にその外観を示す。

図7.2 調光操作卓の概略回路図<sup>2)</sup>

図7.2 調光操作卓の概略回路図2)


図7.3 調光操作卓外形と各部の名称<sup>3)</sup>

図7.3 調光操作卓外形と各部の名称3)


7.2 多段プリセット式メモリ調光操作卓(調光レベル記憶式)

 この形式のメモリ調光操作卓では、手動多段プリセットとメモリ操作の両方の機能を持っているが、どちらにウエイトを置くかについては、劇場・ホールの運用形態によってさまざまである。
 一般に長期公演を行う商業劇場などでは、メモリ操作を主体とし、プリセットフェーダは調光レベルの設定および修正のために使用されていた。
 また、一日公演が多くを占める公共ホールなどでは、手動プリセット方式が主体となり、演目によってメモリ操作を併用していた。
 我が国で初めてプリセット式メモリ調光操作卓が導入されたのは1969年(昭和44年)で、立正佼成会普門館ホールへ磁気ドラムを使用したフェーダ150 CH(チャンネル)のメモリ調光操作卓が、東芝によって納入された7-1)。(図7.4,図7.5)

図7.4 立正佼成会普門館ホールの調光操作卓<sup>4)</sup>

図7.4 立正佼成会普門館ホールの調光操作卓4)

図7.5 立正佼成会普門館ホールの内部<sup>5)</sup>

図7.5 立正佼成会普門館ホールの内部5)

 1970年代になると、磁気コアメモリやICによるRAMメモリを使用したメモリ調光操作卓が製品化され、ユニファイル(丸茂電機)やメモコン(松村電機) などのメモリ調光操作卓が登場した。(図7.6)

図7.6 メモコン調光操作卓<sup>6)</sup>

図7.6 メモコン調光操作卓6)


 記憶容量としては、250シーン、または250シーン×2場面(500シーン)が一般的であった。
 さらに1970年代後半には、丸茂電機が舞台照明専用のマイクロコンピュータ「MALIAC-8」(図7.7)を完成させ、1978年 (昭和53年) 東京文化会館やサンシャイン劇場に納入した。(図7.8)

図7.7 舞台照明専用マイクロコンピュータ「MALIAC-8」<sup>7)</sup>

図7.7 舞台照明専用マイクロコンピュータ「MALIAC-8」7)

図7.8 東京文化会館のユニファイル調光操作卓<sup>8)</sup> 図7.8 東京文化会館のユニファイル調光操作卓<sup>8)</sup>

図7.8 東京文化会館のユニファイル調光操作卓8)

 1970年代中頃、舞台照明設備の仕事に関わり始めた松下電工株式会社 (現パナソニック株式会社)は、当初買い入れ商品での関わり方であったが、1978年(昭和53年)初の自社開発調光操作卓としてディムコンステージを開発した。(図7.9)
 これ以降、松下電工は自社製品を増やしていき、1981年(昭和56年)最初の演出照明設備カタログを発刊し、本格的に舞台・スタジオ照明設備に参入した。

図7.9 ディムコンステージ調光操作卓<sup>9)</sup>

図7.9 ディムコンステージ調光操作卓9)



7.2.1 多段プリセット式メモリ調光操作卓の構成

 多段プリセット式メモリ調光操作卓の構成は、一般的に主操作部とプリセット部に分かれ、主操作部はマスタフェーダ、クロスフェーダ、グループフェーダなどのほかに、メモリ操作の書込パネル、読出パネルなどで構成される。(図7.10)

図7.10 多段プリセット式メモリ調光操作卓の主操作部<sup>10)</sup>

図7.10 多段プリセット式メモリ調光操作卓の主操作部10)


 図7.11の書込パネルは、調光レベルをメモリに書き込み操作を行うパネルで、調光レベルのソースとしては、実行中、各段プリセットフェーダレベル、記憶済調光レベルであり、調光レベルをプリセットフェーダのレベルインジケータに表示させ、シーンNo.をテンキーで設定することで、調光レベルを書き込むことができる。
 図7.12の読出パネルは、読出シーンNo.を実行段、次段、あるいはスタンバイ段にテンキーで設定し、クロスフェーダの操作によって順次読み出すことができた。
 手動プリセット段から記憶段へ、記憶段から手動プリセット段へのクロス転換は、段選択機構の操作により可能となっていた7-6)

図7.11 書込パネル<sup>11)</sup>

図7.11 書込パネル11)

図7.12 読出パネル<sup>12)</sup>

図7.12 読出パネル12)

7.2.2 メモリ調光操作卓の記憶レベル修正機能

 調光レベルの修正にも使用する1段目プリセットフェーダは、修正作業に重点を置く記憶付き調光操作卓では、一般に使われているプリセットフェーダではなく、修正に適した種々の工夫がされているものが使われてきた。
 演目がバレエ、オペラ、演劇など、明かりの転換が多く、明かりを変化させるキッカケ(「キュー」と呼ばれる)が多い場合、照明プランナーは実際に劇場で明かりをつくる「明かり合わせ」以前に、キューシート(明かりの変化のキッカケを時間軸に沿って記載したキッカケ表)を作成する。
 キューシートには、各キューNo.ごとに各照明器具の調光レベルが書き込まれており、これを事前に照明のオペレータに渡し、オペレータはキューシートに記入された調光レベルをメモリに書き込んでおく。
 舞台に大道具が設置され、「明かり合わせ」や「リハーサル」が始まると、書き込まれたキューシートの調光レベルが再生されるが、調光レベルの修正作業が始まり、客席の演出家の近くに陣取った照明プランナーから、調光室のオペレータに調光レベルの修正指示が行われる。この指示は、調光レベルの絶対値ではなく、例えば「その器具は5 %上げる」とか「その回路は10 %下げる」との指示であり、記憶レベルからフェーダレベルに一瞬で切り替えると、以前の状況からの変化が判らなくなる。従って、修正前の状態からスムーズに修正値に変化させる必要性から、考えられた方法を図7.13の(a)、(b)、(c)に示す。

図7.13 修正兼用フェーダとエンコーダ<sup>13)</sup>

図7.13 修正兼用フェーダとエンコーダ13)


 図7.13の(a)は一般に使われているフェーダにLED表示器を取り付けた方法で、調光操作卓の調光レベルが読み出され実行しているとき、このフェーダのツマミを上げて行くと記憶調光レベルとフェーダ出力が合致した時点で、制御がこの手動フェーダに切り替わり、LED表示器が点灯して、切り替わったことをオペレータに知らせる方式で、指示された調光レベルまでフェーダのツマミを移動して、修正することができる。
 図7.13の(b)は図7.8に示した東京文化会館に納入された、修正卓に採用した方法で、修正用フェーダはカマボコ型で中心が目盛0で上方に10、下方に10までの目盛が付され、記憶卓から読み出されている出力に対して、ツマミを上方に移動すれば、記憶値に修正値が加算され、下方にツマミを移動すれば、記憶値に修正値が減算される方式である。
 図7.13の(c)は現在、最も使われている方式で、エンドレスのエンコーダを使用し、ベルトを上下することで、記憶値に対してデジタル値の加算、減算を行って調光レベル値の修正を行う方法である。
このように、記憶操作を主体に扱う調光操作卓では、スムーズな修正操作を模索して種々の修正方法が生み出され使われてきた。


7.2.3 普及型メモリ調光操作卓の開発

 当時のメモリ調光操作卓の仕様はユーザーからのオーダーメイドの部分が多く、製造コストはきわめて高価で、ソフト開発には長時間要することから、納期も長期を要するものであった。そのため納入先は、長期公演が多くメモリ機能を主体に操作をする商業劇場や、予算的に導入可能な大型の公共ホールなどに限られていた。
 しかし、マイクロコンピュータ技術の進歩や日本全国に建設される公共ホールへのメモリ調光操作卓導入を鑑み、1980年代中頃から1990年代になると各舞台照明メーカは、操作仕様やメモリ機能を標準化した普及型メモリ調光操作卓を発売した。
 図7.14〜図7.17に各舞台照明メーカの普及型メモリ調光操作卓の外観を示す。
 これらのタイプの調光操作卓は、機能強化や改良を重ね、現在でも各劇場、ホールに納入されている。

図7.14 プリティナ調光操作卓(丸茂電機)<sup>14)</sup>

図7.14 プリティナ調光操作卓(丸茂電機)14)

図7.15 F-151 調光操作卓(松村電機)<sup>15)</sup>

図7.15 F-151 調光操作卓(松村電機)15)

図7.16 T-1000 調光操作卓(東芝)<sup>16)</sup> 図7.16 T-1000 調光操作卓(東芝)<sup>16)</sup>

図7.16 T-1000 調光操作卓(東芝)16)

図7.17 パレータス調光操作卓(パナソニック)<sup>17)</sup>

図7.17 パレータス調光操作卓(パナソニック)17)

7.3 時間軸記憶式調光操作卓(ノンフェーダ卓)

 調光操作卓へのコンピュータ導入は、1970年代欧米におけるロングラン公演の多いミュージカル劇場や、レパートリー公演といういくつかの演目を日替わりで交換して上演するオペラ劇場から始まり、我が国でも長期公演の多い商業劇場から始まった。
 1970年代後半から1980年代になると、ICの集積度は年々急上昇し、マイクロエレクトロニクスの技術革新の時代になった。
 調光操作卓でも、コンピュータは情報処理の集積度、処理速度、および機器の小型化などの技術革新によって、多段プリセットを持たず、CRTディスプレイ、キーボード、レベルホイールと若干のフェーダ類で構成され、CRTとの対話形式で入力する調光操作卓が登場した。
 この調光操作卓は、シーンからシーンへの変化に時間を設定して行うことを優先する機能を持つもので、時間軸記憶式調光操作卓として、我が国ではプリセットフェーダを持たないことから「ノンフェーダ卓」と呼ばれた。
 この操作卓の代表例としては、1982年に東京・新宿歌舞伎町に開場した「シアターアプル」に納入されたセンチュリー・ストランド社(現ストランド・ライティング社)の「ライトパレット」が挙げられる。(図7.18)

図7.18 ライトパレット調光操作卓<sup>18)</sup>

図7.18 ライトパレット調光操作卓18)


 ライトパレット調光操作卓は、プリセットによるクロスフェードに対してムーブフェード理論の採用と、CRT対話の手法を徹底したシステム的な操作卓であり、時間軸中心の機能を組み込んだ設計は革新的であった7-6)
 ムーブフェードとは、クロスフェードの過程で起きるレベルの落ち込みを回避し、スムーズに自然な照明変化を実現するために採り入れられたフェード方式で、メモリ内の照明シーンのデータを読み出す際に、レベル値の変動の起きないチャンネル出力には一括フェードを加えず、同じチャンネルでフェードの前後でレベル値が変動する場合のみ、一括フェードを加える方式である。つまり、レベル値に変動がないチャンネルには制御を加えない再生方式といえる7-10)
 この手法の考え方は、オートトランス式の調光操作機での転換機能と同じ考えで、レベル変化しない回路は操作軸から外して動作しないようにし、レベル変化する回路のみ操作軸にクラッチして動作するようにし、さらに上昇・下降の選択ができる制御方法をメモリ演算に採り入れたといえる。
 この新しい流れは、我が国の舞台照明業界にも大きな影響を与え、1980年代中頃から日本の各舞台照明メーカは、調光レベル入力にプリセットフェーダを必要とせずキーボードによるレベル入力、およびタイムデータ入力が可能な、いわゆるノンフェーダ卓を開発した。図7.19にその1例を示す。

図7.19 マリオネットⅡ型調光操作卓<sup>19)</sup>

図7.19 マリオネットⅡ型調光操作卓19)


 これらの調光操作卓は、16ビットCPUを使用し、CPUおよび制御部を二重化したバックアップ機能を有し、公演中は2台のCPUを同時運転して万一のCPUトラブルに対しても公演を中断することなく続けられるデュアルランニングシステムを搭載することで、劇場、ホールへの納入が始まり、1986年銀座セゾン劇場(図7.20)、帝国劇場、1987年パルコ劇場、1989年日生劇場(図7.21)などの商業劇場に納入された。

図7. 20 銀座セゾン劇場の調光操作卓<sup>20)</sup>

図7. 20 銀座セゾン劇場の調光操作卓20)

図7.21 日生劇場の調光操作卓<sup>21)</sup>

図7.21 日生劇場の調光操作卓21)

 しかし、我が国では貸館を中心にした公立系の文化会館に常設することが多く、公演形態としては、公演日の朝から機材搬入、設営、リハーサル、夜本番、撤収という流れが一般的で、時間との戦いとなるのが常であった。
 したがって調光操作卓としては、だれもが容易に操作でき、複雑なデータ入力や機能は回避することが求められた。
 また、キーボードでの入力やCRTとの対話入力は、プリセットフェーダ入力に慣れた我が国の照明技術者から少なからず拒否反応があった。
 このため、時間軸記憶式調光操作卓にプリセットフェーダを併設した、日本独自の公立系多目的ホール仕様の調光操作卓も製作された。(図7.22)

図7.22 プリセットフェーダ併設型調光操作卓<sup>22)</sup>

図7.22 プリセットフェーダ併設型調光操作卓22)


7.4 コンサート用調光操作卓

 「ライトパレット」は、オペラ、バレエ、演劇などの舞台上の微妙な明かりの変化に対応できる機能を持っており、上記のジャンルの舞台照明には使いやすい調光操作卓であったが、一方でロックコンサートのように非常に激しい明かりの変化や、場合によっては即興的な明かりの制作には向いていない面もあった。
 このために、ロックコンサートを主たる演目にしたホールも作られたが、一般の公共ホールなどの貸館などで、ロックコンサートを実施する場合には、プリセットフェーダを主体とする記憶付き調光操作卓では、即応性や即興で明かり作りを要求される場合には、対応が難しい問題があった。
 さらに、明かりの即応性を求める所から、操作卓を客席に持ち出して、音響操作卓と並べて設置し、その音と明かりの融合性を求める所から、調光操作卓も持ち込みにしたいという要求も生まれ、その要求に応えた調光操作卓が「ミューファイル調光操作卓」である。(図7.23)

図7.23 コンサート用調光操作卓「ミューファイル調光操作卓」<sup>23)</sup>

図7.23 コンサート用調光操作卓「ミューファイル調光操作卓」23)


 この調光操作卓は、負荷照明灯のグループの組みやすさや、ワンタッチで操作が可能な即応性に優れ、小型ながら使いやすい調光操作卓として賞用された。
 調光器は「ゼムツアー」(「6章6.6②ツアー用調光器」参照)を使用し、さらに明かりの特殊効果を演出する効果器や、カラースクローラと称する遠隔操作が可能なカラーチェンジャなどの舞台照明機材を、すべて持ち込みで賄うケースも増加した。
 プランナー兼オペレータは使い慣れた機材であるため、短時間での仕込みも可能となり賞用された。
 このようにすべて持ち込み機材で舞台照明を行う場合には、信号系ケーブルの互換性の問題があり、海外でもこの問題が浮上し、9章で後述するDMX512(米国劇場技術協会 USITT)で定めたプロトコルを使用して調光操作卓、調光器盤、照明器具間の接続を行い、コンサート系の独自のシステム構成を行った。
 調光レベルの記憶付き調光操作卓はこのように、演目がオペラ、バレエ、演劇などの専用劇場用と、演目がコンサートなどに使う調光操作卓の2系統に分かれて、それぞれに発展を遂げてきた。

7.5 現在の調光操作卓

 現在の調光操作卓では、LED機材に対してのカラー制御機能を採り入れたものや、ネットワークに対応した調光操作卓が一般的になっているが、我が国の劇場、ホールに設備される調光操作卓は、このような機能を持ちながらも、商業劇場にはノンフェーダタイプ、公共ホールにはプリセットフェーダ併設型というのが、今でも一般化している。
 図7.24〜図7.27に各舞台照明メーカの現在の調光操作卓の例を示す。

図7.24 マリオネットZ(丸茂電機)<sup>24)</sup>

図7.24 マリオネットZ(丸茂電機)24)

図7.25 JASTO(パナソニック)<sup>25)</sup>

図7.25 JASTO(パナソニック)25)


図7.26 F240(松村電機)<sup>26)</sup>

図7.26 F240(松村電機)26)

図7.27 LICSTAR-Ⅴ Type j(東芝)<sup>27)</sup>

図7.27 LICSTAR-Ⅴ Type j(東芝)27)

第7章 図・写真引用

             
 1)『舞台・テレビジョン照明 実地編Ⅱ 照明の操作から制御へ』社団法人日本照明家協会 p.49 (1993)※
 2)遠山静雄『舞台照明学 下巻』リブロポート p.239(1988)※
 3)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.10(1975)
 4)東芝ライテック株式会社 写真資料
 5)東芝ライテック株式会社 写真資料
 6)『松村メモコン調光装置』株式会社松村電機製作所 pp.2-3(1976)
 7)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.77(2020)
 8)『東京文化会館 舞台照明設備』丸茂電機株式会社 p.1(1978)
 9)パナソニック株式会社 写真資料
 10)『舞台・テレビジョン照明4 照明設備と機器』社団法人日本照明家協会 p.29(1985)
 11)『サンシャイン劇場 舞台照明設備』丸茂電機株式会社 p.4(1978)
 12)『サンシャイン劇場 舞台照明設備』丸茂電機株式会社 p.4(1978))
 13)北博 作図
 14)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社 p.118(2005)
 15)『DRAMATIC LIGHTING』株式会社松村電機製作所 p.81(1993)
 16)東芝ライテック株式会社 写真資料
 17)パナソニック株式会社 写真資料
 18)『舞台・テレビジョン照明4 照明設備と機器』社団法人日本照明家協会 p.38(1985)
 19)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.102(2020)
 20)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 p.36(1990)
 21)東芝ライテック株式会社 写真資料
 22)『LIGHTING CONSOLE F701』株式会社松村電機製作所 p.81(1992)
 23)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.103(2020)
 24)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社 p.99(2020)
 25)パナソニック株式会社 写真資料
 26)株式会社松村電機製作所 写真資料
 27)東芝ライテック株式会社 写真資料
 ※印は書籍の図版をトレースしたものを掲載

第7章 参考文献
7-1)『東芝SCR調光装置』東京芝浦電気株式会社(1971)
7-2)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社(1975)
7-3)『松村メモコン調光装置』株式会社松村電機製作所(1976)
7-4)『東京文化会館 舞台照明設備』丸茂電機株式会社(1978)
7-5)『サンシャイン劇場 舞台照明設備』丸茂電機株式会社(1978)
7-6)『舞台・テレビジョン照明4 照明設備と機器』社団法人日本照明家協会 pp.28-39(1985)
7-7)遠山静雄『舞台照明学 下巻』リブロポート pp.236-239(1988)
7-8)『丸茂電機株式会社の70年』丸茂電機株式会社 pp.31-42(1990)
7-9)『LIGHTING CONSOLE F701』株式会社松村電機製作所(1992)
7-10)『舞台・テレビジョン照明 実地編Ⅱ 照明の操作から制御へ』社団法人日本照明家協会 pp.22-26, pp.44-92(1993)
7-11)『DRAMATIC LIGHTING』株式会社松村電機製作所(1993)
7-12)立木定彦『舞台照明のドラマツルギー』リブロポート pp.250-275(1994)
7-13)『STAGE & STUDIO LIGHTING SYSTEM』東芝ライテック株式会社(1996)
7-14)『SCR調光装置 開発史(1988年〜1997年)』東芝ライテック株式会社(1997)
7-15)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社(2005)
7-16)『ART LIGHTING vol.5-N FILM/STAGE/TV STUDIO CONSEPT BOOK』東芝ライテック株式会社 pp.60, 61(2016)
7-17)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 pp.63-114(2020)
7-18)『LIGHTING CONSOLE F240』株式会社松村電機製作所(2020)
7-19)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT』丸茂電機株式会社(2020)

調光室と調光操作卓

 舞台照明を変化させる調光操作は、舞台の進行を把握しながらおこなうことが必須となる。このため、調光操作卓が設置される調光室は、舞台全体がよく見える場所に設計される。

東京芸術劇場 シアターウエスト(小ホール 2)/資料提供=丸茂電機株式会社

東京芸術劇場 シアターウエスト(小ホール 2)

ウェスタ川越/資料提供=丸茂電機株式会社

ウェスタ川越

いわき芸術文化交流館[アリオス]大ホール/資料提供=丸茂電機株式会社

いわき芸術文化交流館[アリオス]大ホール

オリンパスホール八王子/資料提供=丸茂電機株式会社

オリンパスホール八王子


資料提供=丸茂電機株式会社

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 8 回路選択機構(パッチ機能)

 舞台照明設備においての負荷回路数は、劇場の規模や性格によって異なるが、概ね舞台の広さ(間口×奥行)の0.8〜1.2倍程度と言われてきた。
 つまり、間口20 m×奥行15 mの舞台を持つ劇場の負荷回路数は、240回路~360回路程度が必要ということである。
 しかし、照明演出が細やかで多彩になってくると、多くの負荷回路数が必要になり、必然的に回路数が増加してきた。1990年代後半には負荷回路数が舞台の広さの1.5〜2.0倍程度が一般的になり、なかには3倍を超える劇場も出てきた。
 このように多くの負荷回路は、一つの公演ですべての回路を使用するわけではないが、必要とする回路を選択し、限られた制御回路(調光器またはプリセットフェーダ)に組み合わせて接続する必要がある。
 このように負荷回路と制御回路を効果的に接続する機構のことを回路選択機構といい、接続することをパッチと呼ぶ。
 回路選択機構には、強電による接続と弱電による接続があり、強電によるものは強電パッチ、強電クロスバーがあり、弱電によるものは弱電クロスバー、電子クロスバー、デジタルパッチ、そして調光操作卓の機能の一部としてのソフトパッチがある。


8.1 強電パッチ方式

 強電パッチ方式は、負荷回路と調光器の二次側との間に選択機構を設け、調光器1台に任意の負荷回路を選択し、また数回路を結合させて効率よく調光操作を行うことを目的とした。
 この方式は、オートトランス式調光装置の時代から使用され、少ない調光器で多くの負荷回路をコントロールすることができるため、サイリスタ調光装置になっても使用された。
 強電パッチの機構としては、図8.1のように各調光器の出力側(0 V〜100 V)に数個のディマーレセップが設けてあり(一般的には6 kW調光器に4個のレセップ)、負荷側には回路ごとに負荷プラグを設け、パッチコード(接続コード)によりディマーレセップと接続する。

図8.1 強電パッチの機構説明図<sup>1)</sup>

図8.1 強電パッチの機構説明図1)


 ここで照明演出上、同一調光でよい負荷回路は同じ調光器のディマーレセップに接続することで、限られた調光器で多くの負荷回路を制御することができるのである。
 また、この方式では調光器の数と調光操作卓のプリセットフェーダ数は同数となり、1番調光器は1番フェーダに対応しているため、負荷回路を照明オペレータの操作しやすい配列で選択接続することができた。
 しかしこの方式の欠点は、調光器の容量に対してその調光器に接続する負荷回路の容量を計算し、調光器の容量を超えないよう注意する必要があることと、相バランス(舞台照明電源は3相4線電源が多い)を考慮した選択接続が必要であった。さらに、強電でのパッチコードによる手動接続であるので危険性を伴い、接続作業に時間と労力を必要とした。
 また、サイリスタ調光器が高価だった時代では、負荷回路数に対して充分な調光器台数(負荷回路数の1/3〜1/2)を納入できず、公演中に負荷の組み換えをすることで対応していた。
 この場合、強電パッチ盤と直調スイッチ盤は舞台から遠い調光操作室に配置されることになるため、負荷配線での電圧降下防止のため配線サイズを上げて配線しなければならず、施工コスト的に不経済であった。このため当時の調光操作室は比較的舞台に近く、斜めからではあるが舞台が見えるフロントサイドスポットライト室に設けることが多かった。
図8.2に強電パッチと直調スイッチ盤の外観を示す。

図8.2 強電パッチ盤と直調スイッチ盤<sup>2)</sup>

図8.2 強電パッチ盤と直調スイッチ盤2)


8.2 弱電クロスバーと強電クロスバー

 強電パッチの欠点であった設置場所での電圧降下の問題や、パッチコードによる作業負荷軽減のために考えられたのが、調光器と負荷回路を直結し、電話交換機のクロスバースイッチを応用することで、調光器(負荷回路)を選択的にまとめてプリセットフェーダに接続する弱電クロスバーであった。(図8.3)

図8.3 弱電クロスバー盤<sup>3)</sup>

図8.3 弱電クロスバー盤3)


 しかし、この方式では負荷回路と同数の調光器が必要になり、設備コストが高くなる問題があった。
 そこで考えられたのが、強電用のクロスバースイッチを製作し、弱電クロスバーと同様の操作性で調光器と負荷回路の選択接続ができるようにした強電クロスバーである。
強電クロスバーによる接続方法は、図8.4のように調光器側と負荷側がクロスした接点をONさせることにより接続される。この接点を選択操作するのは、図8.5の調光器番号設定スイッチとグラフィックに配列された負荷選択スイッチによって接続される。また、仕込みや払いなどのモードを切り替えるモード切替スイッチが具備された8-2)

図8.4 クロスバー概念図<sup>4)</sup>

図8.4 クロスバー概念図4)

図8.5 調光器番号設定スイッチとモード切替スイッチ<sup>5)</sup>

図8.5 調光器番号設定スイッチとモード切替スイッチ5)

 図8.6、図8.7に、負荷選択スイッチがグラフィックに配列された回路選択操作盤と強電クロスバースイッチを組み込んだ強電クロスバー盤の外観を示す。
 しかしこれらの方式は、設置面積が大きく大掛かりな設備になるため、一般的には普及することがなかった。

図8.6 負荷選択スイッチがグラフィックに配列された回路選択操作盤<sup>6)</sup>

図8.6 負荷選択スイッチがグラフィックに配列された回路選択操作盤6)

図8.7 強電クロスバー盤<sup>7)</sup>

図8.7 強電クロスバー盤7)

8.3 電子クロスバー方式

 強電パッチ方式の欠点を補うために、弱電クロスバーや強電クロスバーが考えられたが、これらの装置は規模が大型化するにつれ加速度的に大型化し、設置スペース、保守、経済性において問題であった。
 この問題を解決するために、選択接続を電子的に記憶し、この記憶を常に読み出して操作卓の調光制御回路と、サイリスタ調光器盤の調光制御回路をダイナミック的に接続する電子クロスバー装置が考えられ、1970年代初めには、この電子的記憶装置としてコアメモリやICメモリを使用した電子クロスバー装置が開発され実用化された。(図8.8)

図8.8 電子クロスバー装置(回路選択盤)と操作パネル<sup>8)</sup>

図8.8 電子クロスバー装置(回路選択盤)と操作パネル8)


 この電子クロスバー方式の選択接続の動作部分は、図8.9のカウンタ部、メモリ部、フェーダスキャナブロック、サンプルホールドブロックであり、次のように動作する。

図8.9 電子クロスバーブロック系統図<sup>9)</sup>

図8.9 電子クロスバーブロック系統図9)


 CPUブロック内の水晶発振子で発生させたクロック信号をカウンタ部でカウントされ、その出力はメモリ部のアドレスに供給される。このアドレス信号は調光器の回路ナンバーに対応し、読み出されたデータ(デジタル信号)は操作卓の調光信号のチャンネルNo.に対応する。
 そして、そのチャンネルNo.の調光レベル値(アナログ値)が、サンプルホールドブロックに供給され、上記の調光器回路No.のサンプルホールドに供給されて保持され、この調光信号レベル値(アナログ値)は、次回カウンタがそのアドレスをアクセスするまで、その信号レベル値は保持される。
 この動作は高速で繰り返されるので、巨視的には常に全回路が平行して接続されているように見えるのでクロスバーと呼んだが、瞬間的には一個の調光器回路のサンプルホールドにはメモリ部から読み出した調光卓からの調光レベルのデータ1個が供給されているのみであり、いわゆる高速タイムシェアリング技術の応用である。
 また、信号系統にはCPUが介在せず、メモリ・データにより直接周辺デバイスが制御されているので、DMA(Direct Memory Access)制御とも呼ばれている。
 さらに、1980年代になると「CPU制御型電子クロスバー装置」が完成し、従来の装置ではハードウェアで処理していた書き込み、読み出し操作やチャンネル表示などの「マンマシンインタフェース」をCPUのソフトで処理することで装置の小型化と高信頼性、高性能および汎用性の向上を実現した。
 電子クロスバーのハード構成としては、機能別にまとめたブロックにより構成さている。
 その概要を下記に説明し、ブロック系統図を図8.9に示す。

(1) CPUブロック

中央制御部であり、CPUモジュール、動作プログラムなどが書き込まれたROM/RAMメモリーモジュール、I/Oモジュール、クロック信号、電源シーケンスなどのPC板を収納している。

(2) モードSW・PLブロック

仕込みSW、各個払SWなど、操作パネルのSW群の各種SW群の入力信号処理や自照PLの点灯処理など、マンマシンインタフェース処理を行う。

(3) スキャナブロック

メモリから読み出した調光信号チャンネルNo.で操作卓からの調光レベル値をスキャンし、サンプルホールドブロックへ出力する。

(4) サンプルホールドブロック

スキャナからの調光レベル信号を、調光器の回路No.に対応したサンプルホールドに送り、カウンタからのアクセス信号で更新し、保持する。

(5) メンテナスブロック

定期保守時や故障時などに必要とする各種のチェックプログラムを装備していて、そのパネルでチェックを実行する。

(6) 負荷プレビューブロック

負荷選択スイッチのスイッチ信号や自照パイロットランプの点滅を処理するブロックで、CPUブロックとの信号の授受を行う。

 また、装置内の各種チェックをすることができ、ユーザによるチェックができるユーザ用チェックパネルや、メーカでの定期保守時や万一の故障発生の場合において、システムのあらゆる個所を完全チェックできるメーカ用チェックパネルが装備されていた8-6)
 オプション装置としては、ワイヤレスコントローラがあり、劇場の舞台上やテレビスタジオのフロアで仕込み作業を行う際、負荷回路の選定や点滅に用いることができるようにした。
 特にテレビのドラマ制作用スタジオなどでは、いくつかの場面にパーテーションで区切って同時に収録する場合には、有用な設備として使用された。


8.4 デジタルパッチ方式

 マイクロコンピュータの発達により、回路選択機構にこれを利用したものが登場してきた。この方式の仕込み方法にはいくつかの種類があり、CRT対話式、負荷名称選択式、負荷数押ボタン式などがある。これらのパッチ方式はデジタルパッチと呼ばれた。


8.4.1 CRT対話式8-9)

CRT対話式は、負荷回路の選択から、仕込、編集(修正)、記憶保存まで、すべての情報はCRTに表示され、オペレータはこの画面のメッセージに対して必要な指示や要求を、キーボードによる入力や画面上のカーソル移動などによって会話形式でインプットしていく方式である。(図8.10,図8.11)

図8.10 CRT 対話式<sup>10)</sup>

図8.10 CRT 対話式10)

図8.11 CRT 対話式の表示画面<sup>11)</sup>

図8.11 CRT 対話式の表示画面11)

8.4.2 負荷名称選択式8-7)

 負荷名称選択式は、負荷名称が印字されたスイッチとテンキースイッチの組み合わせで、負荷とフェーダ番号を指定し接続する方式で、その仕込み内容や負荷モニタがCRTディスプレイに表示される方式である。(図8.12,図8.13)

図8.12 負荷名称選択式の操作パネル<sup>12)</sup>

図8.12 負荷名称選択式の操作パネル12)

図8.13 負荷名称選択式の表示画面<sup>13)</sup>

図8.13 負荷名称選択式の表示画面13)

8.4.3 負荷数押ボタン式8-9)

 負荷数押ボタン式は、従来の電子クロスバーと同様に、負荷押ボタンがグラフィックに配列されているので、使い慣れたわかりやすい操作で負荷の選択接続をすることができ、ハード面の低減により、従来の電子クロスバー選択操作盤に比べて大幅に小型化されている。(図8.14)

図8.14 負荷数押ボタン式の負荷表示パネルと操作パネル<sup>14)</sup>

図8.14 負荷数押ボタン式の負荷表示パネルと操作パネル14)


8.5 ソフトパッチ方式

 調光操作卓がコンピュータ化され、フェーダが無くなり、操作の大部分がキーボードとCRTディスプレイ、あるいは液晶画面との対話によって行われるようになり、パッチ機能の制御も調光操作卓の機能の一つとして含まれるようになった。そのソフトウェアの総称をソフトパッチという8-12)
このパッチ方式の基本的な考え方は、調光器番号(ディマーチャンネル)とコントロールチャンネルのパッチであり、フェーダ番号という概念がない。
しかし、日本独特の考えであるが、各調光器には負荷名称がつけられ、ディマーチャンネルではなく、グラフィックに配列された負荷名称の枠にコントロールチャンネルを入力する方式がとられている。
また、多くの公共ホールにみられるプリセットフェーダが併設されている場合は、コントロールチャンネルとしてフェーダ番号を入力する方式がとられている。(図8.15)

図8.15 ソフトパッチの画面<sup>15)</sup>

図8.15 ソフトパッチの画面15)


第8章 図・写真引用

     
 1)『舞台・テレビジョン照明 基礎編』社団法人日本照明家協会 p.80(1977)※
  2)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.18(1975)
  3)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.19(1975)
 4)中沢金造「調光装置における強電クロスバーに依るクロスコネクション」『日本照明家協会雑誌』5月号(1971)※
 5)中沢金造「調光装置における強電クロスバーに依るクロスコネクション」『日本照明家協会雑誌』5月号(1971)※
  6)『毎日放送 ミリカ・メモリアル・ホールの照明設備』(1969)
  7)『毎日放送 ミリカ・メモリアル・ホールの照明設備』(1969)
  8)『技術資料16 電子クロスバー装置』丸茂電機株式会社 p.5(1982)
 9)『技術資料16 電子クロスバー装置』丸茂電機株式会社 p.5(1982)※
 10)『DIMAC SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.1(1985)
 11)『DIMAC SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.6(1985)
 12)株式会社松村電機製作所 写真資料
 13)株式会社松村電機製作所 写真資料
 14)『DIMAC SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.9(1985)
 15)『MARIONET SYSTEM』丸茂電機株式会社 p.9(1988)
 ※印は書籍の図版をトレースしたものを掲載

第8章 参考文献

8-1)『毎日放送 ミリカ・メモリアル・ホールの照明設備』丸茂電機株式会社(1969)
8-2)中沢金造「調光装置における強電クロスバーに依るクロスコネクション」『日本照明家協会雑誌』5月号(1971)
8-3)『MARUMO DIMMER SYSTEM』丸茂電機株式会社(1975)
8-4)『舞台・テレビジョン照明 基礎編』社団法人日本照明家協会 p.80(1977)
8-5)『技術資料3 コアメモリ型 電子クロスバー装置』丸茂電機株式会社(1977)
8-6)『技術資料16 電子クロスバー』丸茂電機株式会社(1982)
8-7)株式会社松村電機製作所カタログ『デジタルクロスバー』(1983)
8-8)『技術資料19 CRT方式“ユニクロス”』丸茂電機株式会社(1984)
8-9)『DIMAC SYSTEM』丸茂電機株式会社(1985)
8-10)『舞台・テレビジョン照明4 照明設備と機器』社団法人日本照明家協会 pp.16-19(1985)
8-11)『MARIONET SYSTEM』丸茂電機株式会社(1988)
8-12)『舞台・テレビジョン照明 実地編Ⅱ 照明の操作から制御へ』社団法人日本照明家協会 pp.28-43(1993)


回路選択機構の変遷

 回路の選択機構は、強電パッチ方式から電子クロスバー方式、デジタルパッチ方式へと推移してきた。

上田市文化センター[強電パッチ方式]/資料提供=丸茂電機株式会社

上田市文化センター[強電パッチ方式]

長野県県民文化会館[電子クロスバー方式]/資料提供=丸茂電機株式会社

長野県県民文化会館[電子クロスバー方式]

高砂文化会館[デジタルパッチ方式]/資料提供=丸茂電機株式会社

高砂文化会館[デジタルパッチ方式]

中野サンプラザホール[デジタルパッチ方式]/資料提供=丸茂電機株式会社

中野サンプラザホール[デジタルパッチ方式]

資料提供=丸茂電機株式会社

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 9 現代の舞台照明

9.1 ムービングライトの登場

 現代の舞台照明に大きな影響を与えたのは、何といってもムービングライトの登場である。ムービングライトによって、それまでの照明表現や照明手法が大きく変わったと言える。(図9.1)

図9.1 ムービングライトによるコンサートライティング<sup>1)</sup>

図9.1 ムービングライトによるコンサートライティング1)

図9.2 バリライトVL1<sup>2)</sup>

図9.2 バリライトVL12)

 ムービングライトというのは、灯体がロボットのように動き、光の方向や色彩、光量などを自由自在に変化させ、効果的に照明を操る遠隔操作システムである。
日本でのムービングライトの歴史は、1980年代の初めに登場した「VARI-LITE(バリライト)」を嚆矢とする。海外の著名なアーティストの来日公演で使用されたバリライトの動く明かりは、日本の舞台照明家や観客に驚きと、新しいライティングデザインの到来を予感させ、一躍注目されるようになった。
 当初のバリライトは、灯具とコントローラ(操作卓)をシステムとして開発し、基本的にレンタル専用で提供されていた。また、オペレータも独自の操作技術が必要なため、バリライト専属のスタッフとしてレンタル機器に同伴する形がとられていた。
 我が国でも1980年代後半になると、日本のアーティストのコンサートツアーなどで、バリライトが使用されるようになり、動く明かりによるライティングデザインがコンサートライティングの主流になってきた9-5)
 その後、バリライトでは販売用の機種が開発され、また、バリライト以外でも他の海外メーカによる数多くの製品が開発・販売されるようになった。
 日本製のムービングライトとしては、1988年に丸茂電機により日本初のムービングライトとムービング操作卓が製品化された。
 このムービングライトは、当時コンサートライティングで数多く使用されていたパーライトと呼ばれる照明器具に、16色のカラーチェンジが可能なカラースクローラを取り付けた製品で、左右、上下に灯体の首を振り、明かりの動きを作り出していた。
 パーライトの名称は、Parabolic Aluminized Reflector の略称からとられたもので、ハロゲン電球を光源としたシールドビームタイプのランプを使い、少ない電力でより明るい光を出すように工夫された照明器具であった。パーライトはランプと灯体だけのシンプルな構造で非常に軽量だったため、素早く動くムービングライトの灯体としては最適であった。
 動作範囲は、横方向320°(左右160°)、縦方向200°(真下より±100°)で、動作速度は3°/sec~180°/secと当時としては最速であった9-2)
 現在では、光源も放電灯をはじめ、ハロゲン電球、LED光源などのムービングライトが製造され、光の質の違いや明るさの違いを使用目的によって選択できるようになり、コンサートライティングだけではなく、ミュージカル、オペラ、バレエ、演劇などの照明演出にも使用されるようになってきている。

図9.3 日本製ムービングライト<sup>3)</sup>
図9.3 操作卓(MSP型とミューティア)<sup>3)</sup>

図9.3 日本製ムービングライトと操作卓(MSP型とミューティア)3)


9.1.1 ムービングライトの種類と機能9-5)

 ムービングライトは、その形状や構造面から、ミラースキャンタイプとヨークタイプに分類することができる。
(1)ミラースキャンタイプ
 ミラースキャンは、光源からの光を灯体の前部に取り付けられたミラーに反射させて光を出す構造の照明器具で、灯体そのものは動かず、光を反射させるミラーを動かすことで光の動きを作り出すムービングライトである。(図9.4)
 ミラースキャンの特徴は、ミラー部分の動きをコントロールして光の動きを表現するため、比較的小さなモータによって微妙なコントロールをすることが可能であり、光を素早く動かすことができることである。
 しかし、ミラーを動かす構造のため、どうしてもミラーが向かない角度があり、光の動作範囲が限定されてしまう欠点があり、灯体も大きく重いため取扱いに難点があった。このため現在ではミラースキャンタイプはあまり使用されなくなっている。

図9.4 ミラースキャンタイプのムービングライト<sup>4)</sup>

図9.4 ミラースキャンタイプのムービングライト4)


(2)ヨークタイプ
 ヨークタイプのムービングライトは、通常のスポットライトと同様な形状をした機種で、灯体全体を動かすことで光の動きを作り出すムービングライトである。
 ヨークタイプの特徴は、灯体全体が動くため動作範囲が広いということである。 
 また、明かりの質の違いにより大きく3種類に分けられ、フラッドな明かりのウォッシュタイプ、集光された明りのスポットタイプ、ビーム(明りのライン)を強調したビームタイプがある。(図9.5)

図9.5 ヨークタイプのムービングライト<sup>5)</sup>

ウォッシュタイプ

図9.5 ヨークタイプのムービングライト<sup>5)</sup>

スポットタイプ

図9.5 ヨークタイプのムービングライト<sup>5)</sup>

ビームタイプ

図9.5 ヨークタイプのムービングライト5)

(3)ムービングライトの主な機能
 ムービングライトは、単に光を動かすだけではなく、さまざまな光の効果を作り出す機能を備え、舞台演出において多彩な表現を容易に実現した。次にムービングライトの主な機能を示す。


① 調光機能
 放電灯を使用したムービングライトは、ハロゲン電球や白熱電球のように調光器によって調光することはできない。このため、照明器具に内蔵されたメカニカルディマーによって機械的に光をコントロールしている。機種によって違うが、湾曲した爪のような形状の円盤が明かりをふさぐことで調光している。また、カットイン、カットアウトをするシャッター(カッター)や、光の大きさを変えるアイリスシャッターも装備されている。(図9.6)

図9.6 メカニカルディマー<sup>6)</sup>
図9.6 メカニカルディマー<sup>6)</sup>

図9.6 メカニカルディマー6)


② カラー機能
 ムービングライトの特徴の一つに、リモートコントロールによって光の色を変化させる機能があり、光の色のコントロール機構には、カラーホイールとカラーミックスがある。(図9.7)
 カラーホイールの方式は、5色~7色程度の小型のカラーホイールによって色を変えることができる。
 また、カラーミックスの方式は、シアン、マゼンダ、イエローの3色のダイクロイックフィルタを重ねて色を作り、そこに光を透して光の色を作ることができる。このフィルタは、それぞれの色が0 %~100 %のグラデーションになっており、グラデーションの細かさと、重ね合わせる割合によって多くの色を表現できるものである。

図9.7 グラデーションのついたダイクロイックフィルタ(右下)<sup>7)</sup>
図9.7 グラデーションのついたダイクロイックフィルタ<sup>7)</sup>

図9.7 カラーホイール(左上)とグラデーションのついたダイクロイックフィルタ(右下)7)


③ エフェクト機能
 ムービングライトの大きな特徴に、図柄などを舞台に投影するエフェクト機能がある。これは、ゴボと言われる絵柄などがデザインされたステンレスやガラスの板をゴボホイールに装着し投影する機能である。
 また、ゴボホイールに装着された個々のゴボパターンを回転させる機能や、プリズムレンズと組み合わせる機能などが組み込まれた機種もある。(図9.8)

図9.8 ゴボホイール<sup>8)</sup>
図9.8 ゴボホイール<sup>8)</sup>
図9.8 ゴボパターン<sup>8)</sup>

図9.8 ゴボホイール(上)とゴボパターン(下)8)

 また、ピントを調節するフォーカス機能や投影された絵柄の大きさを変えるズーム機能、4枚のカッター羽根によって光を三角や四角にカットするフレーミング機能などさまざまな機能がある。(図9.9)

図9.9 ズーム機能による効果<sup>9)</sup>
図9.9 ズーム機能による効果<sup>9)</sup>

図9.9 ズーム機能による効果9)

9.1.2 ムービング操作卓と制御9-6)

 ムービングライトが開発された当初は、それぞれの機種専用の制御信号と操作卓が使用されていた。しかし、本来は調光のためのデジタル信号であるDMX512を利用して、調光器だけでなくムービングライトも制御できるようになった。
 DMX512信号でのムービングライトの制御を簡単に説明すると、元々は調光信号であるDMX512の通信データの中身は、出力値を意味する単純な数値の並びである。したがって、下記に示すようにムービングライトの各機能(パラメータ)をコントロールチャンネルに割り付け、数値化することでムービングライトを制御することができる。

CH1. PAN(左右)0 %=左へ振り切り、50 %=中央、100 %=右へ振り切り
CH2. TILT(縦)0 %=前に振り切り、50 %=垂直、100 %=後ろに振り切り
CH3. ZOOM(大きさ)0 %=最小、50 %=中、100 %=最大
CH4. GOBO(ゴボ)0 %=GOBO無、10 %=GOBO 1、20 %=GOBO 2 …
CH5. COLOR(色)0 %=色無、10 %=色1、20 %=色2 …
CH6. DIM(明るさ)0 %=遮断(消灯)、50 %=半分、100 %=MAX

 ムービングライトは、このように数値化された値の入力に対応して各パラメータが動くようになっている。ただし、この例は簡単な説明のための例であり、実際のムービングライトはここまで単純ではない。
 したがって、多機能なムービングライトが開発されてくると、1台のムービングライトの制御チャンネルが20 CH~30 CHにもなり、1系統で512 CH制御できるDMX512では20台から30台のムービングライトの制御が精一杯になってきた。そのため操作卓の制御チャンネルは、DMX信号4系統から8系統分の2048 CH~4096 CHを制御する操作卓が出てきた。
 最初は調光操作卓にムービングライトの制御ができる機能を持たせた操作卓であったが、現在ではムービングライトの制御機能をメインにして、調光操作もできるムービング操作卓が主流になり、イーサネットに対応したムービング操作卓も登場している。(図9.10)

図9.10 現在のムービング操作卓の一例<sup>10)</sup>

図9.10 現在のムービング操作卓の一例10)


9.1.3 シミュレーションソフトの活用

 多機能なムービングライトを多数使用するようになると、ムービングライトのプログラミングに多くの時間を要するようになり、少ない仕込み時間での作成は困難になってきた。
 そこで、3Dのシミュレーションソフトを使用して、事前にムービングライトのフォーカスポジション、カラー、ゴボなどの設定や、個々のシーンなどのデータをプログラムし、現場の作業に対応する方法がとられるようになってきた。(図9.11)

図9.11 シミュレーションソフトの画面<sup>11)</sup>

図9.11 シミュレーションソフトの画面11)


DMX512 とは

 1980 年代になると、コンサートなどの大規模化により舞台設備が大型となり、演出用照明器具や調光器の数が増加し、それらを制御するディマーコントロールチャンネルも増加した。
 このような背景から、演出照明における照明制御の信号を1 本のケーブルで大量に伝送することを目的として作られたプロトコルがDMX512 である。
 DMX512 は、1986 年から米国劇場技術協会(USITT)により開発が始められ、1990 年に信号規格「DMX512/ 1990」として発表された。
 その後、2004 年に米国国家規格協会(ANSI)によって「DMX512-A」として承認された。DMX は「Digital Multiplex」の略称である。
 DMX512 は、最大512 チャンネルのデータを1 チャンネル当たり256 段階で送信する2 対ケーブルを使用したデジタル信号で、1 秒間に最大44 回送信している信号である。DMX のデータは下図のようなフレーム構造になっており、8 bit の個々のデータはブレイクタイムに続くマーク・アフター・ブレイク(MAB)の後に続いて送信される。
 データスロットはフレーム内の位置によって識別され、マーク・アフター・ブレイクの後に続くスタートビットにより、ここからデータスロットが始まり、最初のスロットはスタートコードであり、その後順番に1 から512 チャンネルのデータが続く。最後のスロットはスロットの後のマーク・ビフォアー・ブレイク(MBB)により識別される。
 発表当時は、主に調光操作卓と調光器との制御信号として使用されていたが、近年ではムービングライトやLED 器具の制御など、舞台照明全般に幅広く使用されている。
参考文献
関根伸也 「DMX512 信号システムなどの現状技術」
     『電気設備学会誌』 2021 年7 月号

DMX512 信号の構成

DMX512 信号の構成

9.2 照明器具のLED化

 近年、地球温暖化対策が本格的に謳われ、国内でも省エネ対策が活発化した。特に、2011年3月に起きた東日本大震災による電力不足が拍車をかけた。その対策の一環として、一般照明の省エネ化が本格化し家庭用白熱電球の製造が終了となり、一般照明はLED照明へと急速に方向転換した。
 これに合わせ、演出照明業界でも電力削減の取り組みが始まり、国内の舞台照明メーカもLED器具を開発し、劇場、テレビスタジオの照明設備へのLED導入を目指した。
 しかし、当時のLEDの特性は舞台照明用としては大きな問題があった。それは調光特性の悪さであり、演色性の悪さであった。
 調光特性では、特に点灯時と消灯時のカーブが悪く、カットインのように点灯してから調光した。これは、じわじわとゆっくり明るくなることや、溶けるように消えていく演出が不可欠な舞台照明では使用に耐えないものであった。
 現在では、器具の開発が進んだことと、コントロールするソフトウェアが良くなったこともあり、ほとんど違和感なくスムーズな調光操作ができる精度になってきた。
 また、舞台照明では光の色も大事であるが、光で照らされる舞台セットや、俳優の顔や衣裳の色がどのような色に見えるかが非常に大事になる。演色性とは、その光源に照らされた物の色の見え方が、基準となる光に照らされたときの色にどれだけ近いかを示す指標で、平均演色評価数(Ra)で表される。
 一般の照明器具ではRa80以上であれば演色性が良いと言われているようであるが、現在舞台照明で使われるLED器具の演色性は Ra 95 以上のものが使用されている。
 LED器具の導入は、最初は大型イベントやコンサート照明から海外製のLED光源の照明機材が取り入れられ、続いて国内メーカによりテレビスタジオの照明設備に導入された。
 劇場では、客席照明、天井反射板ライト、ホリゾントライトなどのフラッドライトからLED化が始まり、その後LED素子の改良、ハイパワー化が進みスポットライトもLED化したことで、徐々にではあるが劇場でもオールLED化が進んでいる。
 舞台照明設備としては、照明器具のLED化によって、従来のサイリスタ調光器は不要になり、調光設備の構成が変わってきている。現在はまだその過渡期にあるため、必要なところへ移動して設置できる移動型調光器や、調光回路と直回路が自在に選択できるプラグイン調光器などで対応している。(図9.12)

図9.12 プラグイン調光器<sup>12)</sup>

図9.12 プラグイン調光器12)


9.2.1 LEDを光源とした舞台照明器具

 舞台照明機材の種類は、構造や明かりの質などの違いで大きく分けるとフラッドライトとスポットライトに分けられる。
 フラッドライトには、舞台を均一に明るくするボーダーライトや、背景幕に色を染めるホリゾントライトがあり、照明機材のLED化はこのフラッドライトから始まった。これらのフラッドライトは白色LEDとフルカラーLEDとの組み合わせが多く、白色(生明かり)と色光が出せる照明器具である。(図9.13)

図9.13 LED光源のボーダーライト<sup>13)</sup>
図9.13 LED光源のホリゾントライト<sup>13)</sup>

図9.13 LED光源のボーダーライト(上)とホリゾントライト(下)13)


 スポットライトには、レンズの違いによりフレネルタイプと平凸タイプがあり、光学的な違いによるプロファイルスポットがある。これらの器具は、LED素子のパワーがアップしてきたことによって実用化され、照明器具として単色(白色)とフルカラーのものがラインアップされている。(図9.14)
 また、LED素子のパワーアップにより放電灯が主であったムービングライトにも、LEDを光源としたものが出てきた。
 フルカラーLEDを使ったウォッシュタイプと白色LEDでカラーミキシング機能が付いたスポットタイプがある。(図9.15)

図9.14 LED光源のスポットライト<sup>14)</sup>
図9.14 LED光源のプロファイルスポット<sup>14)</sup>

図9.14 LED光源のスポットライト(上)とプロファイルスポット(下)14)


図9.15 LED光源のムービングライト<sup>15)</sup>

図9.15 LED光源のムービングライト15)


9.2.2 LED器具の制御

 LED器具が劇場やホールに導入されるようになると、従来の調光制御主体の調光操作卓では、LED器具の制御が難しくなってきた。
 LED器具を制御するパラメータは、LEDムービングライトを除くと、基本的には調光とカラーの指定である。単色(白色)LEDの器具では調光制御のみになるので、従来のハロゲン器具と何も変わらないが、フルカラーLEDの器具では、3色~6色程度のLED素子を使用し、それらの光源の強さのバランスを調整することにより色を作り出す仕組みになっている。
 LED器具の制御方法は基本的にはムービングライトと同様で、各パラメータ(調光、カラー1、2、3…)をコントロールチャンネルに割り付け制御する。
 しかし、カラーLED素子のバランスを調整して思い通りの色を作成することは、大変難しく時間もかかるため、画面上で色や色の濃さなどが任意に指定できるカラーピッカーや、自分で調整した色の登録が可能なカスタムパレットなどの機能が装備されるようになった。(図9.16)

図9. 16 LED 器具の制御画面<sup>16)</sup>

図9. 16 LED 器具の制御画面16)


9.3 舞台照明設備のネットワーク化

 現代の舞台照明演出では、多機能、多チャンネル化した舞台照明器具が多数使用され、それらの制御データ量は飛躍的に増加した。そのため1本で512 CHの制御しかできないDMX信号では、多くの本数を必要とし現実的ではなくなってきた。
 そこで、操作卓と照明器具間のデータ通信に、イーサネットを使用するようになった。しかし、照明器具はDMX信号によって制御されていたため、照明器具側にノードと言われる信号変換器を入れ、DMX信号に変換し照明器具を制御した。
 最近の劇場、ホールの舞台照明設備では、このような多機能器具の制御や、さまざまな情報通信のため、舞台照明用のデータ通信ネットワークを整備する劇場が増え、これからの舞台照明設備としては、必須の設備であると言える。(図9.17)
 図9.18に光ケーブルを使用した劇場のネットワーク図の1例を示す。

図9.17 光通信ネットワークのための機器が納められたシステム架<sup>18)</sup>

図9.17 光通信ネットワークのための機器が納められたシステム架18)


図9.18 光ケーブルを使用した劇場のネットワーク図<sup>17)</sup>

図9.18 光ケーブルを使用した劇場のネットワーク図17)


第9章 図・写真引用

               
 1)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社p.13(2022)
2)PRG株式会社より提供
3)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.105(2020)
4)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.109(2022)
5)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.110(2022)
6)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社 p.105(2002)
7)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.116(2022)
8)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.117(2022)
9)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社 p.103(2002)
10)『grandMA3』Tama Tech Lab. p.26(2019)
11)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.134(2022)
12)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.191(2020)
13)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』№41 丸茂電機株式会社 pp.11, 15(2023)
14)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』№41 丸茂電機株式会社 pp.5, 28(2023)
15)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO MOVING LIGHT』丸茂電機株式会社 pp.7, 10(2021)
16)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社 p.98(2020)
17)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.167(2022)
18)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 p.166(2022)

第9章 参考文献
9-1)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会(2002)
9-2)『丸茂電機株式会社の100年』丸茂電機株式会社 p.105、p.191(2020)
9-3)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』丸茂電機株式会社(2020)
9-4)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO MOVING LIGHT』丸茂電機株式会社(2021)
9-5)加藤憲治『コンサートライティング入門』レクラム社 pp.5-14、pp.107-168(2022)
9-6)岩城保『新・舞台照明講座』レクラム社 pp.70-83(2022)
9-7)『PROFESSIONAL LIGHTING EQUIPMENT STAGE & STUDIO』№41 丸茂電機株式会社(2023)

シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン

 複雑で、多彩な照明が求められるコンサートなどでは、あらかじめシミュレーションソフトで照明プランが構築され、緻密で精度の高いライティングシーンが実現されている。

シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治
シミュレーションソフトを使ったコンサートの照明プラン/資料提供=加藤憲治

資料提供=加藤憲治

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 10 おわりに

10.1 京都・祇園 弥栄会館の舞台照明用 調光装置

 本系統化調査を行うきっかけの一つになったのは、京都・祇園の弥栄会館に設備されていた調光装置の存在である。
 弥栄会館は、1936年(昭和11年)に日本の古典芸能や京都の伝統的文化を紹介する目的で建てられ、その舞台では京舞をはじめ、箏曲、雅楽、狂言、文楽などが、主に観光客を対象に上演されてきた。(図10.1,図10.2)

図10.1 白鷺城(姫路城)の天守閣を模した弥栄会館の外観

図10.1 白鷺城(姫路城)の天守閣を模した弥栄会館の外観

図10.2 古典芸能の上演に相応しい和風設えの弥栄会館の舞台

図10.2 古典芸能の上演に相応しい和風設えの弥栄会館の舞台

 そうした舞台で照明の調光を担ってきたのが、建設当初に納入されたU型変圧器式調光装置であり、その調光装置の操作盤には「昭和11年9月製造」の銘板が貼られていた。(図10.3〜図10.6) 日本で最初のU型変圧器式調光装置が東京宝塚劇場に納入されたのが1934年(昭和9年)であるから、弥栄会館の調光装置はごく初期型の製品であったことがわかる。

図10.3 弥栄会館に設備されていたU型調光変圧器

図10.3 弥栄会館に設備されていたU型調光変圧器

図10.4 弥栄会館に設備されていたU型調光操作盤

図10.4 弥栄会館に設備されていたU型調光操作盤

図10.5 調光操作盤に貼られていた昭和11年9月製造の銘板

図10.5 調光操作盤に貼られていた昭和11年9月製造の銘板

図10.6 照明操作室の平面図

図10.6 照明操作室の平面図

 この調光装置は第二次世界大戦を挟んで近年まで使用されており、丸茂電機では1994年に写真撮影などを行うなど記録の保存に務めている。
 2019年には建物の老朽化に伴い、弥栄会館の解体と帝国ホテルによる新しいホテルの建設が発表された。
 丸茂電機では、舞台照明用調光装置の歴史的な資料でもある貴重な調光装置が失われることを避けるために、弥栄会館に依頼して、設備の一部を引き取らせていただくことになった。
 2020年6月、84年ぶりに丸茂電機に帰還することになった弥栄会館のU型変圧器式調光装置は、山梨県の丸茂電機山梨工場に搬入され、早速ベテラン社員の手で整備され、現在は工場内の展示スペースに保管されている。(図10.7〜図10.9)

図10.7 1936 年以来、84 年ぶりに帰還した調光装置

図10.7 1936 年以来、84 年ぶりに帰還した調光装置

図10.8 整備された調光装置

図10.8 整備された調光装置

図10.9 山梨工場内の展示スペース

図10.9 山梨工場内の展示スペース


 国立科学博物館での系統化調査については、この調光装置が一企業の歴史的な製品というだけではなく、日本の舞台芸術を育み、今日の発展を担ってきた貴重な財産であることを広く認知していただきたいとの思いから取り組んだ次第である。



10.2 系統化調査を振り返って

 系統化調査にあたって、舞台照明の歴史を遡ると、白熱電灯の時代になってようやく電気的な調光が可能となり、舞台照明の技術は飛躍的進歩をとげた。
 欧米の模倣から始まった抵抗器時代、世界に先駆け考案、実用化された変圧器時代、半導体技術によるサイリスタ調光器時代へと進化してきたが、舞台照明用調光装置として最も大事なことは、舞台照明の中で状況描写と心理描写の重要な目的を満足できるものでなければならないことである。
 コンピュータ技術による調光操作卓の進化の中で、明かりを変化させる技術がクロスフェードからムーブフェードの考え方に変わっていったが、このムーブフェードの考え方は、すでに多分岐式調光変圧器(オートトランス方式)において実現されていた。つまり、舞台演出における照明変化の基本は、オートトランス方式の操作機構がベースになって培われていたということである。
 また、現代の舞台照明光源は、ハロゲン電球からLEDへと変わりつつあるが、近い将来すべての劇場でLED化が進み、LED光源の照明器具に変わると思われる。そうなると現在のサイリスタ調光器は必要なくなり、LED器具を制御するコントローラによって調光操作や色の設定などを行うことになり、舞台照明用調光装置の構成は大きく変わっていくものと考えられる。
 さらには、将来新たな光源の登場や、今後バーチャル技術やAI技術などを応用した舞台照明用コントローラも登場するかもしれない。
 しかし、そうした時代が来ても、舞台照明用調光装置として、状況描写と心理的描写を満足できるものでなければならないのは同じである。
 本報告書で述べた舞台照明用調光装置の基本技術は、抵抗器や変圧器、サイリスタ調光器と当時の既存技術の応用なので、基本技術の説明は多くを述べず、舞台照明用ならではの考え方や機構について説明をしたつもりである。筆者の電気的知識の浅さもあり、技術報告書としては物足りないと感じる方も居られるかと思うが、ご容赦のほどお願い申し上げる。
 また、「1章 はじめに」のところでおことわりしているが、この度の系統化調査では調光装置に対象を絞って調査したが、やはり舞台照明設備の技術の系統化という点では、舞台照明器具の系統化が必要不可欠なものだとつくづく感じた。

 スポットライトなどの舞台照明用器具がどのように発展してきたのか、また、それが演劇をはじめとする舞台作品の照明の在り方にどのように寄与してきたのか。
 ぜひ、舞台照明器具の開発に直接関わってきた技術者の方に系統化調査をお願いしたいと思う。


10.3 謝辞

 本報告書を作成するにあたり、多くの章で参考にさせていただいた文献として、遠山静雄氏の『舞台照明学』上巻・下巻(リブリポート・1988)の二冊に対し、敬意をもって特筆したい。工学博士であり日本の舞台照明家のパイオニアでもある遠山静雄氏が、経験や知識のすべてを尽くし、生涯をかけてまとめられた大著である。筆者が今回の舞台照明の歴史や舞台照明装置の変遷を理解し、思考を深めるうえで常に欠かせない存在であった。
 また、昭和初期から戦前戦後における丸茂電機製作所のカタログや資料が現存していたことも、当時の抵抗器式調光器や初期の多分岐式調光変圧器の実態を知るうえで大いに役立った。
 元丸茂電機の北博氏には、88歳のご高齢にも関わらず大量の原稿に目を通していただき、多くの意義深いご指摘やご提案を頂戴し、本文に反映させていただいた。また、北氏へのインタビューの際の開発者としての生の声は、当時の舞台照明業界の様子や、調光器の開発の歴史において実に貴重な資料であり、本調査報告書の中でコラムとして掲載させていただいた。
 また、公益社団法人 日本照明家協会の千早正美氏、北寄﨑嵩氏にも、原稿に目を通していただき、貴重なご意見をいただいた。改めて感謝したい。
 また、戦後の舞台照明用調光装置の系統化調査をするうえで、日本国内における舞台照明メーカの協力が必要不可欠であった。
 各メーカにおいて多忙を極める中、資料をまとめていただき、提供していただいた以下の各メーカのご担当者の方々に心から感謝したい。


株式会社松村電機製作所 野田 恭正 氏
東芝ライテック株式会社 中島 修 氏、直江 正俊 氏
パナソニック株式会社  役野 善道 氏

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舞台照明用調光装置の系統図

新橋演舞場の変圧器式調光装置の調光操作盤(1948年)/資料提供=丸茂電機株式会社

新橋演舞場の変圧器式調光装置の調光操作盤(1948年)
資料提供=丸茂電機株式会社


舞台照明用調光装置の系統図

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舞台照明用調光装置の系統化調査 産業技術史資料 所在確認

番号名称製作年製造社所在地選定理由
1U型多分岐式
調光変圧器
(東京宝塚劇場)
1933年丸茂電機製作所
(現丸茂電機株式会社)
丸茂電機㈱ 技術センター
東京都大田区西糀谷3-37-7
世界に先駆け開発された多分岐式調光変圧器で、1934年1月に開場した東京宝塚劇場に我が国で初めて納入された製品である。それまでの抵抗式調光器に比べ、電力損失が少なく、負荷の変動にかかわらず一様に調光することができ、1台の調光器で容量の許す限り複数回路調光することができるようになった。「オートトランス」と呼ばれ、その後30年以上我が国の舞台照明用調光装置の主流となった製品の国産1号機である。
2U型多分岐式
調光変圧器と
調光操作盤
(京都弥栄会館)
1936年丸茂電機製作所
(現丸茂電機株式会社)
丸茂電機㈱ 山梨工場
山梨県南アルプス市六科御崎285-1
1936年京都祇園の弥栄会館に納入された初期型のU型多分岐式調光変圧器と調光操作盤であり、調光変圧器と調光操作盤の両方が残る我が国最古の舞台照明用調光装置である。手動/電動両用として製作され、電動操作盤も現存しているので、当時の操作方法などを知るうえでも大変貴重な産業技術史資料である。
3CR型変圧器式
調光装置
(京都弥栄会館)
1936年丸茂電機製作所
(現丸茂電機株式会社)
丸茂電機㈱ 山梨工場
山梨県南アルプス市六科御崎285-1
1936年京都弥栄会館に客席照明用調光装置として納入されたCR型変圧器式調光装置であり、現存する日本最古のCR型変圧器式調光装置である。電動により動作し、87年後の現在でも調光動作が可能である。
4CR型調光変圧器(CR-10)1960年丸茂電機株式会社丸茂電機㈱ 技術センター
東京都大田区西糀谷3-37-7
舞台並びに客席用調光器として、交流100V電灯回路に使用して舞台及び客席照明の調光を司る単巻変圧器であり、1930年頃にはすでに製造され有楽座や宝塚大劇場などに納入されている。このCR-10型は負荷容量が8 kW~10 kWと比較的大容量のものである。CR型調光変圧器は各1台または数台を枠組みとして手動または電動としたものが製造されていた。
5調光変圧器
(オートトランス丸型調光器)
1960年株式会社松村電機製作所㈱松村電機製作所 川越工場
埼玉県川越市芳野台2-8-44
1954年から1960年頃まで活躍した単巻変圧器で、調光可能な負荷容量は最大5 kWであった。
6U型多分岐式
調光変圧器と
調光操作盤
(京都教育文化センター)
1966年丸茂電機株式会社丸茂電機㈱ 山梨工場
山梨県南アルプス市六科御崎285-1
1966年製造で、U型多分岐式調光変圧器としては後期の製品である。京都教育文化センターで30年程度使用したものを、調光変圧器と調光操作部を一体型とし展示用に整備したものである。現在も調光動作が可能な状態で保存されている。
7調光変圧器(オートトランス)と調光操作盤(木更津市民会館)1970年株式会社松村電機製作所㈱松村電機製作所 川越工場
埼玉県川越市芳野台2-8-44
1970年に木更津市民会館に納入した調光装置である。当時はオートトランスからサイリスタ調光装置への移行時期であり、オートトランスの最も後期モデルとして重要である。
8東芝SCR電球調光ユニット(3 kW/6 kWタイプ)1965年/1967年東京芝浦電気株式会社
(現東芝ライテック株式会社)
東芝ライテック㈱ 横須賀事業所
神奈川県横須賀市船越町1-201-1
劇場舞台やテレビ局スタジオの白熱灯照明を調光制御するための調光器であり、パワー半導体のサイリスタを用いることで純電気的調光方式を実現し、それまでの変圧器式と比べて小型、軽量となった。このモデルは、我が国で最初のサイリスタ調光器として1961年に発売され、その後のサイリスタ調光器発展の起点となったものとして重要な産業技術史資料である。
9自動帰還型
サイリスタ調光器
1967年新日本電気株式会社丸茂電機㈱ 技術センター
東京都大田区西糀谷3-37-7
初期のサイリスタ調光器では理想的位相角制御をするため、フェーダ内の抵抗値を位相角特性に合わせて分布する方法で補正をしていたが、複雑な明かりの変化を目的とする舞台照明では満足する特性を得ることは難しかった。このフェーダ補正の欠点を克服し、目的とする調光特性をサイリスタ調光器内で作り出すことで舞台照明用調光器として満足できる調光器となり、1967年以降舞台照明用調光器の制御方法として主流の1つとなった。
10集中制御型ユニレール調光器盤1974年丸茂電機株式会社丸茂電機㈱ 山梨工場
山梨県南アルプス市六科御崎285-1
帰還型調光器は調光器ごとに調光特性を調整する方式であったが、調光特性を決める関数発生器を調光装置内に設け、各調光器を集中的に制御する「集中制御型調光方式」が1974年に開発されユニレール調光器盤として実用化された。以降、集中制御型は帰還型と並んで調光制御方式のもう1つの主流となり、現在では調光方式のスタンダードになっている。
11マリオネット調光操作卓(ノンフェーダ卓)1988年丸茂電機株式会社丸茂電機㈱ 技術センター
東京都大田区西糀谷3-37-7
マリオネット調光操作卓は、1984年キーボードによるレベル入力、およびタイムデータ入力が可能な、いわゆるノンフェーダ卓として開発され、日本全国の劇場、ホールに納入された。特に日本の商業劇場のほとんどに採用され、商業劇場における調光操作卓のスタンダードとなった操作卓として重要である。現在でもマリオネットの名を冠した後継機が多くの商業劇場に設備されている。
12ディムパックT-6型1972年~1984年丸茂電機株式会社丸茂電機㈱ 技術センター
東京都大田区西糀谷3-37-7
ディムパックT-6型は、1970年劇団の移動公演やイベント会場での催しのため、調光器と操作部が一体になった小型調光器として開発されたが、簡単な操作性や利便性から学校の講堂などでも利用され、高校演劇やアマチュア演劇での舞台照明技術の習得に寄与し、演劇界の底辺を広げることに貢献した。
13円盤型抵抗式
調光器(NW型)
1930年
~1940年
丸茂電機製作所
(現丸茂電機株式会社)
丸茂電機㈱ 技術センター
東京都大田区西糀谷3-37-7
日本で最初に国産化された、アメリカ式の円盤型抵抗式調光器で、丸形のノッチ板にニクロム線を取付け積み込み型とし、操作盤と組み合わせて単独、連動操作を自在にできるようにしていた。NW型抵抗式調光器は、国産の舞台照明用調光装置の先駆けとなった調光器として重要な産業技術史資料である。
14丸茂電機製作所
舞台照明機材
カタログ
1930年
~1935年
丸茂電機製作所
(現丸茂電機株式会社)
丸茂電機㈱ 山梨工場
山梨県南アルプス市六科御崎285-1
我が国の舞台照明機材は、明治、大正と欧米からの輸入に頼っていたが、大正末に丸茂電機製作所と川部配電機器研究所によって国産化された。当時の国産化された舞台照明用機材の状況がよくわかる最初のカタログとして重要な産業技術史資料である。
15川部配電機器
研究所
舞台照明機材
カタログ
1930年
~1935年
川部配電機器
研究所
港区立郷土歴史館
東京都港区白金台4-6-2ゆかしの杜
同 上


京都・祇園甲部歌舞練場の変圧式調光装置/資料提供=丸茂電機株式会社

京都・祇園甲部歌舞練場の変圧式調光装置
資料提供=丸茂電機株式会社


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