大型光学赤外線望遠鏡の系統化調査

Systematic Survey on the Development and Evolution of Optical and Infrared Telescopes


三神 泉 Izumi Mikami


■要旨

 「我々の望遠鏡は、いつになったら、こんなすごいオリオン座の写真が撮られるのだろうか。想像もできない!」このような賞賛の記事が多くのアメリカの新聞に載った。1999年1月29日のことである。ちょうど1日前、日本の国立天文台は、すばる望遠鏡で取得したいくつかの天体写真を、初めてプレス公開していた。すばるは、1999年の初頭にハワイ島のマウナケア山頂で建設が終わり、観測を開始したばかりであった。その後、口径8.3メートルという、単一鏡として世界最大の反射鏡を持つすばるの焦点に設置された赤外線カメラは、様々な天体を撮像し、この日に備えていた。ほとんど同時期に、ヨーロッパ南天天文台が、口径8.2メートルのVery Large Telescope(VLT望遠鏡)4台を、国際GEMINI 8.0 メートル望遠鏡プロジェクト(アメリカ、イギリス、カナダ等の6か国で構成)が、口径8.1メートルのGEMINI望遠鏡を2台完成させている。実は、これらの望遠鏡開発は、3つの国あるいは開発機関が、最遠の宇宙の姿の探索と未知の天体現象解明のため、最も鮮明な焦点の像品質と最大の集光力を競い合った技術の「オリンピック」であった。
 この包括的な調査報告書では、光学赤外線望遠鏡に軸足を置き、前半で、天文学と望遠鏡の関係や相互発展の歴史を振り返り、かつ、世界と日本の望遠鏡口径の大型化の推移を述べる。後半では、上の3つの8メートル級望遠鏡開発チームが、最重要な要素開発、工学的アプローチ、設計、及び進捗管理等の遂行において遭遇した数多くの難問を、最先端技術を駆使してどのように解決したのかについて、すばる望遠鏡をベースに比較説明する。

 

 


■Abstract

 “Wow, I can’t imagine when our telescope will be able to capture such magnificent images of the Orion nebula!” Many compliments to the SUBARU Telescope (known as Pleiades in English) were featured in American newspapers published on January 29, 1999. Just one day prior, the National Astronomical Observatory of Japan issued the first press release featuring various celestial images taken by the SUBARU Telescope. Construction of the telescope was completed at the beginning of 1999 on the summit of Mauna Kea, Hawaii, and preliminary operations began thereafter. It had collected celestial images taken by an infrared light camera, positioned at the focal point of its optical system, representing a single-piece primary mirror measuring 8.3-meters (27 feet) in diameter—the largest in the world. Around the same time, the European Southern Observatory constructed four sets of Very Large Telescopes (VLT), each with an 8.2-meter aperture, and the International GEMINI 8-Meter Telescope Project, involving the US, UK, Canada, and others, established a pair of GEMINI Telescopes each with an 8.1-meter aperture. In essence, these three competing projects can be regarded as the Olympic games of giant telescopes, as they battled for the sharpest image quality and the most substantial light gathering power in the history of astronomical observation, thereby enabling us to explore the most distant corners of the universe and unveil unknown celestial phenomena.
 In this comprehensive survey, the first half describes the history of the relationship between astronomy and telescopes, their interactive evolution, and the enlargement of telescope apertures worldwide and in Japan, with a focus on optical and infrared telescopes. The second half covers how the three teams overcame the numerous challenges they encountered during the development of crucial key elements, engineering, design, and progress control, based on that of the SUBARU Telescope, taking particular focus on different approaches to solve them with leading-edge technologies.


■ Profile

三神 泉 Izumi Mikami
国立科学博物館 産業技術史資料情報センター 主任調査員

1978年東北大学工学部機械工学第二学科卒業
1978年三菱電機(株)入社、主に以下の開発業務に従事
電波望遠鏡、大型アンテナ、光学赤外線望遠鏡
1994年望遠鏡推進グループマネージャ
1997年すばる望遠鏡プロジェクト部長
2003年通信情報技術部長
2005年通信情報コンポーネント製造部長
2006年京都大学博士(工学)
2008年通信機製作所副所長
2009年電子システム事業本部 技師長
2010年太洋無線(株)代表取締役社長
2016年(一財)衛星測位利用推進センター専務理事
2021年(一財)宇宙システム開発利用推進機構常務理事
2023年国立科学博物館 主任調査員、現在に至る


 1 はじめに

 子供のころ、初めて望遠鏡を覗いたことを覚えておられようか?月や土星の美しさに感動したり、宇宙の神秘に心を躍らせたりした経験をお持ちの方が多いのではないだろうか。その時手にした望遠鏡は、長い筒の中にレンズが入った光学望遠鏡だったのでないかと思う。
 光学望遠鏡とは、目に見える可視光で、遠くのものを大きく見えるようにする装置である。1608年(徳川家康が江戸幕府を開いてから5年目の年)にオランダの眼鏡製作者リッペルハイが、レンズを組み合わせて特許を申請したことが望遠鏡の起源と言われる。これが、屈折望遠鏡の始まりであり、それまで肉眼観測しかなかった天文観測に大きな変化を与えた。翌年、イタリアのガリレオは、自作の口径3 cm程度の屈折望遠鏡で金星を観測し、月と同様な満ち欠けの存在から地動説の正しさを確信して提唱したが、天動説が主流だった当時の宗教裁判で有罪になったらしい。その半世紀後の1668年、イギリスのニュートンは、金属を磨いた反射望遠鏡を作り、屈折望遠鏡の欠点である色収差や筒の長さの問題を改善した。その後、屈折式、反射式の光学望遠鏡は、材料や加工技術の進化を取り入れ、それぞれが大型化への進化を遂げた。反射式では、1780年代のイギリスのハーシェルによる口径125 cm望遠鏡(筒の長さが12 m)が有名である。屈折式では、1897年のアメリカのヤーキス天文台の口径102 cm望遠鏡(筒の長さが20 m)が現在でも世界最大である。これらが、19世紀までの大型望遠鏡の代表例である。しかし、20世紀になると大型望遠鏡は反射式に変わる。1910年から1960年にかけて欧米が建設した口径2.5 m級までの多くの反射望遠鏡や1948年に完成したアメリカ・パロマー山5 m反射望遠鏡などが、天文学をけん引する。さらに、1960年から1980年の20年間に、欧州やアメリカでは口径2 mから4 mの反射望遠鏡の建設ラッシュを迎えた。欧米はこれらの大規模な望遠鏡の開発、建設、運用の経験を積みながら、赤外線という新しい観測分野を開拓する。これらの豊富な経験を踏まえて、欧米は、20世紀末に、それぞれ8 m級の巨大な反射望遠鏡を建設した(図1.1、図1.2)。

図1.1 欧の8.2 m VLT望遠鏡

図1.1 欧の8.2 m VLT望遠鏡
出典:https://www.eso.org/public/austria/images/dsc4081-cc/?lang, 2023年10月27日閲覧


図1.2 アメリカの8.1 m GEMINI望遠鏡

図1.2 アメリカの8.1 m GEMINI望遠鏡
出典:https://www.gemini.edu/observing/telescopes-and-sites, 2023年10月27日閲覧


 さて、ここで、可視光以外の波長で見える宇宙や、それを観測する望遠鏡に少し触れる。イギリスのハーシェルは、1800年にプリズムを用いて太陽光を青色から赤色まで分け、赤色より外の目に見えない領域に温度計を置いて温度を測り「見えない波長」である赤外線を発見した。翌年には、ドイツのリッターが紫外線を発見する。これらの見えない波長が、本格的に天文観測に利用されるのは、光学望遠鏡の発明から300年以上も後の1900年代まで待たなければならない。アメリカのベル研究所の通信技師ジャンスキーは、1932年に、20.5 MHzの電波による天の川銀河の電波源を発見したが、これが、可視光以外の波長による本格的な天文観測の最初だと思われる。電波の存在は、1864年に電磁波のふるまいを表す方程式を導いたイギリスのマックスウェルが予言した。その存在そのものは、1888年にドイツのヘルツによって確認され、1901年のイタリアのマルコーニ通信会社による大西洋間無線通信に発展する。1932年のジャンスキーの発見は、電波の遠距離通信の障害となる空電現象の測定中に偶然なされたものであり、雷とは異なり恒星時の1日の周期で変動する信号成分から見つかった。7年後の1940年には、アメリカの無線技士レーバーが自作の電波望遠鏡で天の川銀河の電波強度地図を作った。これらは、共に電波天文学の基礎となるはずだったが、光学が主流だった当時の天文学界から注目されることはなかった。しかし、これも、アメリカのベル研究所のペンジアスとウィルソンによる1964年の「マイクロ波宇宙背景放射」の実証で大きな転機を迎える。宇宙背景放射とは、宇宙が高温高密度状態から爆発し膨張して現在の宇宙になったとする「ビッグバン理論」の証拠となる現象である。これも、彼らが測定中だった衛星通信用アンテナの受信電波ノイズがアンテナ方向を変えても一定値を示すことから、偶然発見された。可視光ではない波長の天文観測での有用性や重要性が、明確になった瞬間だったのではと考える。このような経緯を踏まえ、欧米は、大型の電波望遠鏡を続々と建設して電波天文学の黎明期をけん引する。そして、観測天文学は、技術の発展とともに、可視光、電波から、さらに、赤外線、紫外線、エックス線、素粒子等、様々な波長に展開され、望遠鏡も多様な変化を遂げる。
 日本に屈折望遠鏡がヨーロッパから伝わったのは1613年と意外と早い。江戸時代の天文観測は、暦の正確化が主な目的だった。これは、明治になると、天文経緯度観測等の測地学的な目的に変わる。1903年、米国のヤーキス天文台に留学した一戸直蔵が、口径102 cmの屈折望遠鏡で変光星を観測し、欧米で主流となっていた「天体物理学」の研究の必要性を提唱した頃が、日本の天文学の転機だったようである。5年後の1908年には、日本天文学会が創立され、東京天文台は、理科年表の初刊を1925年に発行した。元国立天文台の中村士の「日本天文学の歩み~世界天文年2009年によせて」によれば、1880年から1940年の間に東京大学関係者が発表した論文の中で、天体物理学に関する内容がメジャーになったのは1925年頃からだという。太平洋戦争という天文学の停滞を余儀なくされた時代が終わると、東京大学東京天文台は、1960年に岡山天体物理観測所に英国製の1.88 m反射望遠鏡を導入し、1972年に木曽観測所に日本光学製の1.05 mシュミット式望遠鏡を完成させた。また、京都大学理学部は、1973年に1.0 mの反射式赤外線望遠鏡を木曽の上松に完成させ、これらの望遠鏡が、日本の天体物理学をけん引した。しかし、その後、1980年代前半まで口径1 mを超える望遠鏡が建設されることはなく、大型の光学望遠鏡を豊富に持つ欧米との技術的、学術的な差は否めなかった。そんな日本が、1999年1月の初観測で素晴らしい性能を示し、世界を驚かせた「すばる望遠鏡」をハワイ島マウナケアの山頂に完成させた(図1.3、図1.4)。口径8.3 mで1枚構成の反射鏡(面積は2LDKの部屋と同じ54 m2)を持つ世界最大の光学赤外線望遠鏡として誕生したすばるは、最遠方銀河の発見を含む様々な天文学上の成果を産み出し、今でも世界の天文学者から垂涎の的になっている。

図1.3 日本の8.3 mすばる望遠鏡

図1.3 日本の8.3 mすばる望遠鏡


図1.4 1999年1月の初観測で撮影された干渉し合う銀河

図1.4 1999年1月の初観測で撮影された干渉し合う銀河


 この系統化調査報告書は、すばる望遠鏡の開発過程で発生した多くの技術的課題を、日本がどうやって解決したか、また、すばるに施された設計思想は何か等につき、主に技術的な側面からまとめる。その一環として、すばると同じ20世紀末に完成した8 m級の望遠鏡である、欧のVLT(Very Large Telescope)と米(正確には他国との連合)のGEMINI望遠鏡の開発経緯を調査し、すばるの開発アプローチとの差を比較分析する。また、望遠鏡や天文学の発展に関する歴史的な背景をまとめ、その上で、8 m級望遠鏡の開発や運用面の経験で圧倒的に不利だった日本が、何を拠り所にしてすばる望遠鏡を成功に導いたのか等を、技術者の目線で伝えたい。
 なお、本報告書に用いる望遠鏡という呼称は、○○望遠鏡という特記がない限り、可視光や赤外線を観測する光学望遠鏡、または、赤外線望遠鏡を意味する。また、文中で紹介する写真で出典情報を明記していないものは国立天文台から提供いただいたもの、及び、出典情報のない図表は筆者が作成したものである。

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 2 望遠鏡の原理と方式

 第2章では、次章以降に登場するいくつかの専門用語になじんでもらうため、高校で習ったレベルの物理や数学を用いて、望遠鏡の基本的な原理、概念、構造などを説明する。なお、歴史的な経緯から、「光学」望遠鏡と表記するが、赤外線望遠鏡やその他の波長の望遠鏡でも共通の考え方が使える場合がある。


2.1 光学望遠鏡の原理

 光学望遠鏡は、レンズを使う屈折望遠鏡と、反射鏡を使う反射望遠鏡に大別される。
 図2.1に、屈折望遠鏡の光学系の原理を示す。左側から出た光は、焦点距離𝑓の凸レンズ(対物レンズ)で集光されて右側に焦点を結ぶ。図中、レンズ表裏2面の曲率中心を通る線を光軸と呼ぶ。光をレンズ左の無限に遠い光軸上の1点から出すと、レンズに到来する光は光軸に平行になり、レンズ右の𝑓だけ離れた光軸上に焦点を結ぶ。一方、レンズ左の𝑎だけ離れた光軸上の1点から出た光は、レンズ右の𝑏だけ離れた光軸上に焦点を結ぶ。光を出す位置が樹木の根元だとすれば、焦点位置に根元の像が、樹木の頂点からの光はレンズの中心を直進した線上で右側の𝑏だけ離れた位置で像を作る。よって、像は逆様になり、倒立像と呼ばれる。この光学系では、以下の式が成立する。

 式の意味を天体観測用の望遠鏡が使う範囲で考えると、観測天体までの距離はレンズや焦点距離にくらべはるかに大きいため、1  ―𝑎はほぼゼロになり、𝑏≅𝑓が成立する。これは、遠い天体の観測では、遠近に関わらず同じ焦点面に天体の像が写ることを意味する。よって、望遠鏡では、焦点距離だけ離れた位置にCCD(Charge Coupled Device)等の撮像素子を置くだけで、遠近に関わらず複数の星をきれいに写すことができる。双眼鏡やカメラには、接眼部にピント調整(焦点位置を動かし焦点ボケを解消する)機能があるが、普通の天体望遠鏡にはついていない場合があるのはこの理由である。ただし、レンズと撮像素子間の筒の熱変形等を調整するためには必要であり、これは、5章で詳細に述べる。

図2.1 屈折望遠鏡の光学系の原理図

図2.1 屈折望遠鏡の光学系の原理図


図2.2は、望遠鏡における焦点距離と倍率の関係を示す。同じ口径の望遠鏡で月を見ても、焦点距離が短いレンズ場合の像は小さく、長い場合の像は大きく見える。これを倍率と呼び、倍率はレンズの焦点距離をレンズの口径で割った値(焦点比、F比と呼ぶ)に比例することをガリレオが明らかにした2.1)。なお、焦点比が大きくなると、集まる光の量は同じで像が拡大するため、観測像の光の密度は小さくなって暗く見えることも意識しなければならない。

図2.2 望遠鏡の焦点距離と倍率の関係

図2.2 望遠鏡の焦点距離と倍率の関係


 レンズには色収差という欠点がある。図2.3はSK2と呼ばれるレンズ用ガラスの屈折率の波長依存性2.2)であり、人間の目が見える可視光の波長(400 nm~700 nm)で、屈折率が右肩下がりに変化するため、波長ごとに焦点位置が動き焦点ボケを引き起こす。よって、1枚のレンズでは、像が虹色ににじんで広がるという欠点がある。

図2.3 レンズ材料SK2の屈折率の波長依存性

図2.3 レンズ材料SK2の屈折率の波長依存性


 この欠点を解消するため、反射鏡型の望遠鏡が生まれた。図2.4は、色収差のない反射望遠鏡の原理を示す。図2.1のレンズの中心で光軸に垂直な線を引き反射鏡の頂点に重ねて、右側の図を左側に折り返した図となる。多くの線が左側に集中するため少し見にくいが、屈折望遠鏡と基本的に変わらない。この反射望遠鏡を主鏡と呼び、主鏡の鏡面形状は、図2.5に基づく原理で決まる。

図2.4 反射望遠鏡の原理

図2.4 反射望遠鏡の原理

 図2.5左は、円の中心から光を出して円の内面で反射する様子を示し、図2.5右は、半径の半分の距離の点から光を出して内面で反射する様子を示す。左図では、反射光が円の中心に戻るため反射光を平行に出すことはできないが、右図では、円の内面の入射角と反射角がほぼ等しいために反射光が大体平行に出ることが分かる。これが、焦点の原理であり、平行な光を1点に集めるには、円に近い鏡面を作って半径の半分の位置を焦点とすれば良いイメージが沸く。正確には、鏡面の一番低い点(頂点)からの高さは、光軸から外側に離れる距離の2乗に比例する曲面となり、

図2.5 主鏡の面形状の原理

図2.5 主鏡の面形状の原理

で表される。𝑓は焦点距離であり、𝑓は反射面の曲率半径の2倍になる。上式は、望遠鏡や衛星通信アンテナの鏡面の基礎となるパラボラ(放物面)である。放物面が作る焦点では、光軸から横にずれるとすぐピンボケが発生するため、反射望遠鏡では、ピンボケ補正のためのさらなる工夫を鏡面形状に施すことが多い。この詳細は、5章で述べる。

 

2.2 望遠鏡の支持構造

 レンズや反射鏡からなる光学系を保持し、観測する天体に望遠鏡を向け、追尾するための支持構造は、赤道儀方式と経緯台方式の2種類に大別される。両方式ともに、反射鏡やレンズを内蔵する鏡筒構造と、それを支える架台からなり、架台が鏡筒の回転駆動を担当する。
 鏡筒の回転駆動は、観測したい天体方向に鏡筒を向けるだけでなく、地球の自転によって北極星周りに日周運動する天体を追いかけ、視野の中に天体を保持するために必要となる。図2.6は、望遠鏡の設置場所の緯度と地球の自転軸との関係である。図から、望遠鏡の1つの回転軸を設置場所の緯度𝜃と同じ角度だけ地面から上向きに傾ければ、この軸は地球の自転軸に平行になることが分かる。その軸を時計の針が1日に1周するように改造して自転と反対方向に望遠鏡を回転させれば、日周運動が相殺できる。

図2.6 望遠鏡設置場所の緯度と地球の自転軸の関係

図2.6 望遠鏡設置場所の緯度と地球の自転軸の関係

 この支持方式が赤道儀方式である(図2.7)。図2.7左では、鏡筒が頑丈な四角形の枠体で支えられるが、この場合、枠体や架台の先端が邪魔して極軸より低高度の星に鏡筒が向かない。これを改善するため、図2.7右のように枠体の先端方向を削ったフォーク形状にする場合もある。色々な高度にある星を視野に捉えるため、鏡筒を高度軸回りに回転させて星を捕まえた後に高度軸を止め、その後、極軸回りに日周運動を相殺するように動かすだけで良い。コンピュータがなかった時代の望遠鏡では主流の方式だった。

図2.7 赤道儀方式の望遠鏡支持構造のイメージ

図2.7 赤道儀方式の望遠鏡支持構造のイメージ

 1970年代になると、コンピュータの発展とともに望遠鏡の駆動制御技術が大きく進化し、鉛直軸周りと水平軸周りの回転を組み合わせて鏡筒を全ての方向に駆動することが可能になり、日周運動の相殺も2軸回転の組合せでスムーズにできるようになる。この方式を経緯台方式、あるいはアジマス・エレベーション(Az/El)方式と呼ぶ。図2.8がそのイメージであり、安定な構造が作り易い。

図2.8 経緯台方式の望遠鏡支持構造のイメージ

図2.8 経緯台方式の望遠鏡支持構造のイメージ

表2.1に赤道儀方式と経緯台方式の比較を示す。表から、アマチュア用途等の小型望遠鏡には赤道儀方式が、研究目的等の大型望遠鏡には経緯台方式が向いていることが分かる。

表2.1 赤道儀と経緯台の比較

項⽬ ⾚道儀 経緯台
⼤型望遠鏡向け 構造の作り易さ 難しい 易しい
ドームのサイズ ⼤型化する ⼩型化が可能
星の追尾の簡単さ 易しい コンピュータ制御が必要

2.3 反射望遠鏡の焦点系

 次章以降に登場する大型望遠鏡では、反射望遠鏡が主流になる。反射望遠鏡では、図2.4の焦点(主焦点という)の手前に小さな鏡を挿入して折り返し、別の位置に焦点を作ることができる。反射望遠鏡の焦点系2.3)を図2.9に示す。いずれの焦点も、その焦点方式を発明した人名で呼ばれることが多いため、図にその発明者名、あるいは命名の背景等を( )に示した。主焦点式、ニュートン式は最も焦点距離が短く焦点面での倍率が小さいため、小さい面積に広い視野を含むことができるが、視野内の像の歪を補正するための主焦点補正レンズを置く場合がある2.4)。ハーシェル式は、光軸を斜めにする反射するため、鏡面は傾かせて研磨する必要があり、一般的には実用的な焦点ではない。カセグレン式、ナスミス式、クーデ式は、凸面の副鏡を主焦点の手前において光を折り返すとともに、焦点距離を長くして倍率を拡大する。これらの焦点では視野は広くないが拡大像が観測できるし、最近の研磨技術をもってすれば、主鏡の深い凹面が製造可能であり、鏡筒の長さを短くすることができる。現在の規模の大きな大型望遠鏡では、カセグレン式、ナスミス式、クーデ式が多い2.5)
 表2.2は、主要な焦点の特徴を、光学性能、観測装置の搭載性、望遠鏡の作り易さの観点で比較したものである。

主焦点式(図2.7の原理図)

主焦点式(図2.7の原理図)

ニュートン式(Isaac Newton)

ニュートン式(Isaac Newton)


ハーシェル式(William Hershel)

ハーシェル式(William Hershel)

主焦点式(広視野化のための補正光学系付)

主焦点式(広視野化のための補正光学系付)


カセグレン式(Laurence Cassegrain)

カセグレン式(Laurence Cassegrain)

ナスミス式(James Nasmyth)

ナスミス式(James Nasmyth)


クーデ式(フランス語の肘を意味するcoudeに由来)

クーデ式(フランス語の肘を意味するcoudeに由来)

図2.9 反射望遠鏡の光学系


表2.2 主要な焦点の特徴

焦点⽅式 光学性能 観測装置搭載性 焦点の作りやすさ
視野 倍率 明るさ サイズ・質量 理由   理由
主焦点
(補正光学系付)
⼩・軽 鏡筒先端に積載 ・補正光学系製造が難しい
・補正光学系/観測装置⽀持位置精度が⾼い
カセグレン 中・中 主鏡⽀持構造裏⾯に積載 ・観測装置の⽀持位置精度は⽐較的緩い
ナスミス ⼤・重 架台のナスミステーブルに
積載
クーデ ⼤・極重 床に積載 ・反射鏡の数が多い

参考文献

2.1  秋山晋一, 2008, 望遠鏡の発明とガリレオの初めての天体観測, 天文教育年1月号Vol. 20, No. 1, p. 3
2.2  https://jp.optosigma.com/ja_jp/category__opt_d__opt_d01 (2023.6.14閲覧)
2.3  吉田正太郎, 1988, 天文アマチュアのための望遠鏡光学: 反射編, 誠文堂新光社
2.4  安藤裕康, 1998, 世界最大の望遠鏡『すばる』, 平凡社, pp. 56-57

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 3 天文学と望遠鏡の発展

 第3章では、望遠鏡を主な観測手段として用いて発展を遂げている天文学や物理学の進化の歴史に触れ、光学望遠鏡以外の観測手段の登場による、観測目的と観測手段の相互的、連鎖的な発展の模様を紹介する。


3.1 光学望遠鏡

 天文学の起源と言われる、暦が作られた紀元前2000年頃から、20世紀末までの天文学的な発見と望遠鏡との関係を表3.1にまとめた3.1)。表から、天文観測は裸眼観測に始まり、オランダのハンス・リッペルハイによる屈折望遠の発明で大きく進化し、徐々に反射望遠鏡に変化する流れや、望遠鏡が天文学や物理学の発展に大きな関係を持つ様子、イギリスのアイザック・ニュートン、アメリカのアルバート・アインシュタインやエドウィン・ハッブルらの物理学者の“思考”で進化を遂げる科学とともに、その実証に貢献する望遠鏡の存在との関係等が伺える。表3.1内の記述に、必要な図を加えて以下、補足説明する。

表3.1 天文学の歴史と光学望遠鏡の発展との関係

年代 貢献者 主な成果 発⾒⼿段
望遠鏡(⾁眼含む) 備考
種類 ⼝径 主な光学系
BC約2000年 不明(メソポタミア) 太陰暦 ⾁眼
不明(エジプト) 太陽暦 ⾁眼
BC約200年 エラストテネス(古代ギリシャ) 地球の⼤きさを測定 思考
BC約2世紀 ヒッパルコス(古代ギリシャ) 恒星の明るさ(視等級)の分類 ⾁眼
1510年 ニコラウス・コペルニクス(ポーランド) 太陽中⼼説(地動説)を発表 思考
1606年 ヨハネス・ケプラー(ドイツ) 惑星の運動の法則を発⾒ 思考
1608年 ハンス・リッペルハイ(オランダ) 屈折望遠鏡を発明 屈折 レンズ
1610年 ガリレオ・ガリレイ(イタリア) ⽉クレータ、⾦星満⽋け、地動説 屈折 2.6 cm レンズ
1666年 アイザック・ニュートン(イギリス) 万有引⼒の法則を発⾒ 思考
1668年 世界初の反射望遠鏡を製作 反射 5.1 cm ⾦属反射鏡
1673年 ヨハネス・ヘヴェリウス(ポーランド) 対物・接眼レンズ間46 mの空気望遠鏡を製作 屈折 20 cm レンズ
1758年 ジョン・ドロンド(イギリス) ⾊消しレンズの特許を取得 レンズ
1781年 ウィリアム・ハーシェル(イギリス) 天王星を発⾒ 屈折 20 cm レンズ
1789年 ⼟星の衛星エンケドラスを発⾒ 反射 125 cm ⾦属反射鏡
1800年 太陽からの⾚外線放射を発⾒ プリズム
1814年頃 ヨゼフ・フォン・フラウンホーファー
(ドイツ)
分光で太陽光に700本の暗線を発⾒ プリズム
1819年 ドルバート天⽂台に⾊消望遠鏡を製作 屈折 24.4 cm ⾊消しレンズ
光の波動説を実験的に⽀持 回折格⼦ 思考
1846年 ヨハン・ゴットフリート・ガレ(ドイツ) 海王星の発⾒ 屈折 24 cm ⾊消しレンズ
1897年 アルバン・クラーク
ヤーキス天⽂台(アメリカ)
世界最⼤⼝径の屈折望遠鏡を完成 屈折 102 cm ⾊消しレンズ
1905/1915年 アルベルト・アインシュタイン(アメリカ) 特殊相対性理論/⼀般相対性理論 思考
1908年 ウイルソン⼭天⽂台(アメリカ) 世界最⼤⼝径(当時)の1.5 m反射望遠鏡を完成 反射 150 cm ガラス反射鏡
1917年 ウイルソン⼭天⽂台(アメリカ) 世界最⼤⼝径(当時)の2.5 m反射望遠鏡を完成 反射 250 cm ガラス反射鏡
1918年 ハーロー・シャプレイ(アメリカ) 太陽が銀河系の中⼼でないことを発見 反射 (ウィルソン⼭150 cm望遠鏡による)
1929年 エドウィン・ハッブル(アメリカ) 宇宙の膨張・ハッブルの法則 反射 (ウィルソン⼭250 cm望遠鏡による)
1948年 パロマー⼭天⽂台(アメリカ) 世界最⼤⼝径(当時)5 m望遠鏡の完成 反射 499 cm ガラス反射鏡
1990年 アメリカ、ヨーロッパ協⼒ ハッブル宇宙望遠鏡の軌道設置 反射 238 cm ガラス反射鏡
1993年 カリフォルニア天⽂学研究協会 (アメリカ) 分割鏡構成で世界最⼤⼝径(当時)10 mのKeck望遠鏡を完成 反射 1000 cm (等価) ガラス反射鏡
1998年 ESO(ヨーロッパ) 主鏡⼀枚鏡構成で世界最⼤⼝径(当時)の8.2 m VLT望遠鏡初号機を完成 反射 820 cm ガラス反射鏡
1999年 国⽴天⽂台(⽇本) すばる 主鏡⼀枚鏡構成で世界最⼤⼝径(当時)の 8.3 mすばる望遠鏡を完成 反射 830 cm ガラス反射鏡
NOAO(アメリカ) GEMINI 主鏡⼀枚鏡構成の8.1 m GEMINI望遠鏡初号機を完成 反射 810 cm ガラス反射鏡

 図3.1は、人間の肉眼である。肉眼は、水晶体と言うレンズを用いて観測対象からの光を集め網膜上に倒立像を作るため、図2.1の屈折望遠鏡と同じ原理である。肉眼は、夜間は瞳が開いて約0.6 cm直径になるが、網膜までの焦点距離3.2)から計算すると、当初の裸眼観測は、口径0.6 cm、倍率3.8倍の望遠鏡を使った観測だったということができる。

図3.1 人間の目の構造

図3.1 人間の目の構造


 表において、1610年、イタリアのガリレオ・ガリレイが作った屈折望遠鏡(図3.2左)のレンズ径(有効径)は2.6 cm、倍率は約50倍3.3)であった。集光量はレンズの面積に比例するため、望遠鏡は肉眼より格段に多くの光を集める。レンズの製造技術が悪く焦点距離は長い(筒も長い)ため色収差(図2.3)はあまり目立たなかっただろうが、ガリレオは望遠鏡の焦点前に凹レンズを置き平行光で観測を行ったため、きれいな像は光軸近傍だけだったと思われる。1673年頃には、ポーランドのヨハネス・へヴェリウスが20 cmの対物レンズと接眼レンズ間の距離が46 mもある空気望遠鏡(鏡筒構造がほぼ無い)3.4)を作ったが、観測には相当苦労したようである。1758年、イギリスのジョン・ドロンドは、2枚の異なるレンズを組み合わせて色収差を消す特許を取得し、1819年、ドイツのヨゼフ・フォン・フラウンホーファーによって望遠鏡に組込まれ、ドイツのヨハン・ゴットフリート・ガレらによる海王星の発見をもたらす3.5)。屈折望遠鏡は、1897年に完成したアメリカのヤーキス天文台102 cm望遠鏡(鏡筒は約20 m:図3.3左)でピークを迎え、それ以上のものは、1900年のパリ万博で展示された口径125 cm(鏡筒は55 m;図3.3右)だが、万博終了後に解体された。屈折望遠鏡の大型化の限界は、屈折率が均一で透明なレンズ用ガラス材の製造と、軽量化や鏡筒短縮化の難しさ等に起因する。
 図3.2右は、1668年、ニュートンが自ら磨いた金属鏡を持つ望遠鏡であり、反射望遠鏡の起源となる3.6)。ニュートンは、望遠鏡の先端で鏡筒の内側から3枚の薄い板で支えた斜めの平面鏡で、反射光を横に折り返し、鏡筒外のニュートン焦点で観測した。鏡筒は20 cm程度とコンパクトであるだけでなく、色収差がないため当時の屈折望遠鏡より鮮明に見えたらしい。1780年代には、イギリスのウィリアム・ハーシェルが、鏡筒の外側に直接焦点を結ぶ直径125 cmの金属鏡を搭載した望遠鏡を製造したが、鏡筒が12 mもあるため、星の追尾には相当の労力が必要だった3.7)。また、厳密に言えば、鏡面は円形開口の中心軸から外の曲面でなければならないため、当時の技術では鏡面精度は悪かったのではと思う。1830年頃になると、イギリスでガラスに銀メッキを施す技術が開発され、金属鏡がガラス鏡に置き換わる。アメリカのウィルソン山天文台は、真空蒸着の反射面を持つガラス鏡を用いて、1908年に口径1.5 mの望遠鏡を、続いて1917年に2.5 mの望遠鏡を建設する。図3.4は、2.5 mの望遠鏡とアルミの真空蒸着による反射膜成膜直後の主鏡の写真である。反射望遠鏡は、製造技術の進化とともに更なる大型化が進み、アメリカは、1948年、パロマ―山天文台に5 mのヘール望遠鏡を建造する。これらは、全て、建設当時、世界最大の望遠鏡である。これらの望遠鏡は、天体までの距離の測定方法、宇宙の膨張に関するハッブルの法則の発見3.8)など、天文学の歴史上、極めて重要な発見をもたらした。その後、反射望遠鏡は、1990年打ち上げのハッブル望遠鏡に代表される宇宙望遠鏡や、20世紀末に日米欧がほぼ同時に完成させた 口径8 m級の地上設置望遠鏡という大規模化に進化を遂げる。
ガリレオの屈折望遠鏡

ガリレオの屈折望遠鏡(1610年)
出典:https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2008_01/2008-01-01.pdf(2023年10月8日閲覧)

ニュートンの反射望遠鏡

ニュートンの反射望遠鏡(1668年)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/アイザック・ニュートン#/media/ファイル:NewtonstelescopeReplica.jpg
(2023年10月8日閲覧)

図3.2 ガリレオとニュートンの望遠鏡


米・ヤーキス天文台の102 cm屈折望遠鏡

米・ヤーキス天文台の102 cm屈折望遠鏡(1897年完成)
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/ヤーキス天文台(2023年10月8日閲覧)

パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡

パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡(その後解体)
出典:/www.ndl.go.jp/exposition/s2/14.html(2023年10月8日閲覧)

図3.3 世界最大の屈折望遠鏡


⾚道儀⽅式の望遠鏡全容

⾚道儀⽅式の望遠鏡全容(1917年完成)
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Mount_Wilson_Observatory(2023年10⽉8⽇閲覧)

アルミ蒸着直後の2.5 m主鏡

アルミ蒸着直後の2.5 m主鏡
出典:http://www.ee.nmt.edu/~teare/mirrorCoating.html(2023年10月8日閲覧)

図3.4 ウィルソン山天文台の2.5 m反射望遠鏡と蒸着後の主鏡


3.2 電波望遠鏡

 電波による宇宙観測が可能になったのは1900年代前半からと可視光観測に比べて遅いが、これは無線通信技術の発展が必要だったためである。表3.2は、アメリカで電波観測の基礎実験がなされた1932年から、日本の電波天文学上の大エポックがある1982年までの半世紀を電波望遠鏡の黎明期として、この間の天文学的成果と電波望遠鏡の関係を示す。表から、電波望遠鏡による宇宙観測は、低周波数から高周波数へ、大規模化(口径×周波数、合成開口等)への流れが見て取れる。

表3.2 電波天文学の黎明期における主な天文学的発見と電波望遠鏡の発展

年代 貢献者 主な成果 発⾒⼿段
望遠鏡 備考
種類 ⼤きさ 周波数帯
1932年 カール・ジャンスキー
(アメリカ)
いて座⽅向からの電波を補⾜、発⾒ アンテナ
アレイ
30 m⻑
6 m⾼
20.5 MHz
1940年 グロート・レーバー
(アメリカ)
本格的な電波望遠鏡で天の川銀河の電波地図を作成 パラボラ
アンテナ
9 m
円形開⼝
159 MHz
1942年 ジェームス・ヘイ(イギリス) レーダに混信の発信源不明⼲渉波を観測 不明 1.4 GHz 対航空機
レ-ダによる
1946年 マーティン・ライル
(イギリス)
⼤⼝径電波望遠鏡と等価な空間分解能の実現のための合成開⼝技術の開発 思考
1950年代 マラード電波天⽂台に、1マイル電波望遠鏡、5 km電波望遠鏡(共に合成開⼝観測)を建設 ダイポール
アンテナ
8.9 m⻑アンテナ60式 8.15 MHz
1951年 ハロルド・ユーエン
(アメリカ)
エドワード・パーセル
中性⽔素原⼦から放射される21 cmのスペクトル線を天の川銀河の渦巻の腕から初観測 ⾓錐ホーン
アンテナ
約1 m
正⽅開⼝
1.42 GHz
1957年 ジョドレルバンク天⽂台
(イギリス)
76 m電波望遠鏡を建設 パラボラ
アンテナ
76 m
円形開⼝
3 GHz
1959年 国⽴電波天⽂観測所・NRAO
(アメリカ)
アメリカ最初のTatel電波望遠鏡を建設し、1960年から地球外からの通信電波探査を実施 パラボラ
アンテナ
26 m
円形開⼝
GHz帯
1964年 ロバート・W・ウィルソン
アーノ・ベンジアス(アメリカ)
宇宙マイクロ波背景放射を宇宙の全⽅向から受信し、ビッグバンの証拠を発⾒ ホーンリフレ
クタアンテナ
約6 m
正⽅開⼝
4.1 GHz
1967年 ジュリスン・バーネル
アントニー・ヒューィッシュ
(イギリス)
光学望遠鏡では⾒えないパルサー天体(中性⼦星)を発⾒ ダイポールアンテナアレイ アンテナ 2000式 81.4 MHz
1968年 チャールズ・タウンズ
(アメリカ)
メーザの発明による星間物質としてのアンモニア分⼦(NH3)、⽔分⼦(H2O)の発⾒ 23.7 GHz メーザー
(マイクロ波増幅器)
1971年 マックス・プランク研究所
(ドイツ)
初の100ギガヘルツ帯電波望遠鏡をエフェルスベルグに建設 パラボラ
アンテナ
100 m
円形開⼝
100 GHz
1970年 L.E.スナイダー、D.ビユール
(アメリカ)
星間分⼦イソシアン化⽔素(HCN)の発⾒で、暗⿊星雲のトレースを可能に パラボラ
アンテナ
10 m
円形開⼝
30 GHz
以上
1972年 森本雅樹、海部宣男(⽇本) mm波観測⽤6 m電波望遠鏡を国⽴天⽂台三鷹に建設してパラH2CO分⼦、OCS分⼦の新しい遷移を発⾒ パラボラ
アンテナ
6 m
円形開⼝
30 GHz
以上
1982年 東京⼤学東京天⽂台(⽇本) mm波観測⽤の45 m電波望遠鏡を野辺⼭に建設し銀河系中⼼のブラックホール等を発⾒ パラボラ
アンテナ
45 m
円形開⼝
100 GHz

 アメリカのベル研究所の電波技師、ジャンスキーは、1932年、長さ約30 m、高さ約6 mの20.5 MHz用アンテナアレイを用いて空からの電磁波を捕捉した。これは、無線に影響する空電電波の測定で偶然発見された。図3.4は、ジャンスキーの使用設備だが、彼は受信した電波ピークの周期が地球の自転周期と一致することに着目し、宇宙から飛来した電波だと結論付けた3.9)。この論文に刺激を受けたアメリカの無線機器メーカの通信技師レーバーは、イリノイ州の自宅に世界初の9 m口径パラボラ式電波望遠鏡(図3.6)を作り、空電観測を行った3.10)。彼は、1940年に天の川銀河の電波地図を作成して電波観測の有用性を天文学界に訴求したが、ジャンスキーとともに可視光観測が主流の当時は相手にされなかったようである3.11)。しかし、ジャンスキーの貢献は電波望遠鏡で観測する電波強度単位(記号:Jy)として生きており、1 Jy は、1 m2の面積で1 Hz あたりのエネルギー流量が10-26 W時の電波放射強度である。1964年、アメリカのベル研究所の電波技師であるベンジアスとウィルソンは、衛星通信用だった中古の約6 m 開口のホーンリフレクタアンテナ(図3.7)を用い、異なる高度角の空から飛来する4.1 GHz帯の雑音温度と、液体ヘリウムで冷却したコールドロードの熱雑音温度とを比較した3.12)。このデータにはアンテナ高度角を変えても一定の雑音温度が記録されていたが、後年、これがマイクロ波宇宙背景放射、つまりビッグバン理論を実証する発見となり3.13)、電波観測の天文学への貢献が認知された。1950年代からは、欧・米・英・露・豪らが数10 m口径の巨大な電波望遠鏡(図3.8)を続々と建設し、パルサー天体の発見、星間分子の発見等で、電波天文学の発展をけん引する。日本でも、戦後まもなく太陽電波観測を主な目的とし、東京天文台に10 m口径の赤道儀式の3 GHz電波望遠鏡が誕生した(図3.9左)。そして、約20年後の1972年に、東京天文台の森本雅樹、海部宣男(共に故人)を始めとする電波天文学者らが、口径6 mのミリ波望遠鏡(図3.9右)を開発して星間分子の観測を行い、天文学上の成果をあげた3.14)。この成果は、後年、日本の電波天文学を一気に世界レベルに押し上げ、かつ、日本の高い技術力を世界に知らしめる国立天文台野辺山の45 m電波望遠鏡(図3.9下、三菱電機が望遠鏡本体を開発し1982年完成)に繋がる。そして、この45 m電波望遠鏡で培った技術が、後年のすばる望遠鏡に大きな影響を与える。

図3.5 宇宙からの電波を初観測したジャンスキーとそのアンテナ

図3.5 宇宙からの電波を初観測したジャンスキーとそのアンテナ
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Guthe_Jansky#/media/


図3.6 レーバーが自作したパラボラ電波望遠鏡

図3.6 レーバーが自作したパラボラ電波望遠鏡
出典:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8 b/ Grote_Antenna_Wheaton.gif
(2023年10月10日閲覧)


図3.7 宇宙マイクロ波背景放射を発見したベル研究所のアンテナ

図3.7 宇宙マイクロ波背景放射を発見したベル研究所のアンテナ
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Cosmic_microwave_background#/media/File:Horn_Antenna-in_Holmdel,_New_Jersey_-_restoration1.jpg
(2023年10月10日閲覧)


イギリスの76 m Lovell電波望遠鏡

イギリスの76 m Lovell電波望遠鏡(3 GHz、1957年完成)
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Radio_telescope#/
media/File:Lovell_Telescope_5.jpg
(2023年11月14日閲覧)

アメリカの25 m Tatel電波望遠鏡

アメリカの25 m Tatel電波望遠鏡(1.4 GHz、1958年完成)
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Radio_telescope#/media/
File:Goldstone_DSN_antenna.jpg
(2023年11月14日閲覧)

図3.8 欧米の電波望遠鏡


東京天文台三鷹10 m太陽電波赤道儀望遠鏡

東京天文台三鷹10 m太陽電波赤道儀望遠鏡(3 GHz、1953年頃)

東京天文台三鷹6 mミリ波望遠鏡

東京天文台三鷹6 mミリ波望遠鏡(1970年完成)

国立天文台野辺山45 mミリ波望遠鏡(1982年完成)

国立天文台野辺山45 mミリ波望遠鏡(1982年完成)

図3.9 日本の電波望遠鏡


 以上の様に、電波望遠鏡は、可視光では見えなかった宇宙の新しい姿を知るための手段として認められ、自ら発展した。それとともに、可視光以外の電磁波による天文観測の重要性を示し、観測天文学に大きな転機をもたらしただけでなく、光学天文学にも影響を与えたものと考える。


3.3 その他の望遠鏡

 電波が新しい宇宙の姿をとらえることを知った後、望遠鏡は他の電磁波や粒子の観測を行うため、更なる進化を遂げる。表3.3に、特殊な用途の望遠鏡の種類と特長をまとめる。表から、2章で紹介した光学系の原理(集光光学系)はガンマ線より長い波長で使われること、屈折望遠鏡はほとんど可視光観測に限られており、その他は反射鏡を用いていることなどが分かる。

表3.3 様々な粒子や電磁波を観測する特殊な望遠鏡の種類

望遠鏡名称 観測波⻑ 観測原理 (例)集光光学系
反射鏡レンズ
重⼒波NAレーザー⼲渉計の⼲渉縞変化を⽤いて重⼒波の振動に対応する光学距離の変化や発⽣時間を観測NA
ニュートリノNAタンク内の⽔をニュートリノが通過時に発⽣するチェレンコフ光をタンク周囲に設置の光電⼦倍増管で観測NA
ガンマ線≤10 pm多数の⼩孔を持つ鉛のコリメータの⽳と並⾏に通過するガンマ線をヨウ化ナトリウム板にあて光に変換し光電⼦倍増管で直接観測NA
宇宙から⼤気突⼊後に発⽣するチェレンコフ光を集光し、焦点⾯設置の光電⼦倍増管で直接観測(光学望遠鏡に相当)×
X線10 pm~10 nm⼊射⾓が89度程度の円錐型反射板をバームクーヘン状に並べてX線を集光し、焦点⾯設置のCCDカメラ等で直接観測×
紫外線10 nm~400 nm凹⾯の反射鏡で集光して焦点を作り、焦点⾯設置のフォトカソード、CCD等の検出器で直接観測×
可視光400 nm~800 nm凹⾯の反射鏡、⼜は凸レンズで集光して焦点を作り、焦点⾯設置のCCD等の検出器、あるいは接眼鏡を⽤いて⾁眼で直接観測
⾚外線800 nm~1 mm凹⾯の反射鏡(凸レンズが使える波⻑あり)で集光して焦点を作り、焦点⾯設置のCCD等個体撮像素⼦の検出器で直接観測
電波≥1 mm凹⾯の反射鏡で集光して焦点を作り、焦点⾯設置のホーンや波⻑帯素⼦等の検出器で直接観測×

注:*は望遠鏡の主たる光学系を意味し、検出器の光学系ではない。


 表中、重力波とは、アインシュタインがブラックホールの合体のような大きなエネルギー現象によって発生し、光速で宇宙を伝わると予言した3.15)ものであり、2015年9月14日、アメリカのLIGO (Laser Interferometer Gravitational-Wave Observatory)によって初めてその存在が確認された3.16, 3.17)。LIGOの光学系原理図を図3.10に示す。レーザー部から発射されるビームは、ビームスプリッタと言う特殊な反射板で異なる2つの方向に分けられ、約40 km先の2つの平面鏡でそれぞれ逆方向に反射される。ルートを逆戻りした反射ビームは再度ビームスプリッタに到達し、ここで、1本のビームになり光検出器に導かれ、各ビームが通過した距離の差でできる干渉縞の変化を観測する。LIGOを約4000 km離れたルイジアナ州、ワシントン州に1式ずつ設置し、重力波によって発生する距離変化の振動と、同じ振動を検出した2式間の時間差を測定して重量波の到来方向を同定する。なお、この時間差の最大値はシステム間距離を光速で割った値となることから、距離方向に近い重力波の発生源では、概ね4000 km/300000 km = 0.013秒となる。よって、その他の方向でも、十分に検出が可能である。

図3.10 LIGO重力波観測システムのスケッチ

図3.10 LIGO重力波観測システムのスケッチ
出典:https://www.jps.or.jp/information/docs/70-02 GW.pdf(2020年10月10日閲覧)

 素粒子の1つであるニュートリノは、水を通過する際に水チェレンコフ光を発光する。この性質を利用し、巨大なタンク内の水とタンクの周囲に微弱な光を電子に変える光電子倍増管を貼り巡らせたカミオカンデ(1983年完成)は、超新星爆発からのニュートリノを世界で初めて観測した。図3.11はカミオカンデの構造3.18)である。これも、普通の望遠鏡とは似ても似つかないイメージの観測装置であることが分かる。
 健康診断に使うX線(レントゲン線)は金属や石も透過する為、非破壊検査や電子顕微鏡等にも広く使われる。このX線を観測する望遠鏡には、興味深い技術が使われる。図3.12その概念を示す3.19)。X線が反射面を透過しないよう、円錐状の筒の内側に反射面を備えて入射角を89°程度に制限し、2回反射させて焦点に導く。これをバームクーヘン状に多層に並べて集光面積を増やす斜反射型望遠鏡であり、人間の知恵の結晶と言う感じがする。X線の中でも、30 nm以上の長い波長は、通常の反射鏡望遠鏡を用いる。

図3.11 カミオカンデの構造

図3.11 カミオカンデの構造
出典:https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/special/yonde01/ (2023年10月10日閲覧)


図3.12 斜入射型X線望遠鏡の概念図

図3.12 斜入射型X線望遠鏡の概念図

 以上、肉眼観測から始まった観測手段の進化と、天文学や物理学の発展との関係の一部を紹介した。偶然発見された現象の発生原因は何か、天才的な学者が頭の中で発見した理論が本当かという課題が生まれ、それらを解くため、より見える“新しい手段”を開発し、それによってまた新たな現象の発見や知的好奇心をそそる新しい課題が生まれるという、連鎖の関係で観測手段や科学が発展してきたことに改めて感銘を受ける。


参考文献

3.1  例えば、https://ja.wikipedia.org/wiki/天文学 (2023年7月14日閲覧)
3.2  北原健二, 1997, 目と視覚の仕組み, 照明学会誌, 81巻第6号, pp. 488-492
3.3  秋山 晋一, 2008, 望遠鏡の発明とガリレオの初めての天体観測, 天文教育1月, Vol. 20, No. 1, pp. 2-9
3.4  https://ja.wikipedia.org/wiki/空気望遠鏡(2023年11月23日閲覧)
3.5  http://www.bao.city.ibara.okayama.jp/stardb/his/data/his0066.html(2023年7月14日閲覧)
3.6  Margaret J. Anderson, 2015, “Isaac Newton: Greatest Genius of Science”, ISBN 978-0766065703, pp. 35-37
3.7  https://www.telescope-museum.com/wp(2023年7月14日閲覧)
3.8  岡村定矩, 2020, 「ハッブルの法則」から「ハッブル-ルメートルの法則」へ, 天文月報 2020 年 1 月, pp. 32-38
3.9  Karl G. Jansky, 1933, “Radio Waves from Outside the Solar System”, Nature, Volume 132, p. 66
3.10  https://www.nist.gov/image/backyard-radio-telescope-editedjpg (2023年7月14日閲覧)
3.11  Keith Martin, 2017, Grote Reber, Radio Astronomer, Taking Measure Just a Standard Blog, NIST
3.12  https://www.flickr.com/photos/nasacommons/16315677368 (2023年7月14日閲覧)
3.13  ROBERT W. WILSON, 1978, THE COSMIC MICROWAVE BACKGROUND RADIATION, Nobel Lecture
3.14  海部宣男, 1999, 私の星間分子30年, 天文月報1999年1月, pp. 42-52
3.15  Nadia Drake (三枝佐代子訳), 2016, 重力波 世紀の発見をもたらした壮大な物語, NATIONAL GRAPHIC News
3.16  Mark Hindmarsh, Marvin Lüben3, Johannes Lumma and Martin Pauly, 2021, Phase transitions in the early universe, SciPost Phys. Lect. Notes 24
3.17  Kip S. Thorne, 2018, Nobel Lecture: LIGO and gravitational waves III, Rev. Mod. Phys. 90, 040503
3.18  東京大学宇宙線研究所上岡宇宙素粒子研究施設, カミオカンデシリーズで生まれた2つのノーベル賞, 特集「ミテヨカミオカンデ」, https://www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp/hk/special/ (2023年10月10日閲覧)
3.19  山下広順, 1991, 特集 宇宙利用と精密工学解説/X線望遠鏡, SPE-57-05

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 4 近代の光学望遠鏡の大型化

 第4章では、大口径化の道を歩み続けている世界の反射望遠鏡の建設における、口径、鏡筒・架台構造、主鏡の構成等の歴史的経緯を俯瞰し、日本の反射望遠鏡の大型化の歴史との比較考察を行う。

4.1 世界の大型望遠鏡(地上設置)

 図4.1は、アメリカがウィルソン山天文台に世界最大口径(当時)の2.5 m反射望遠鏡を完成させた1917年から、2010年頃までの約90年間に作られた、世界の口径2 m級以上の主な光学赤外線望遠鏡の建造経緯4.1)を示す。図中、単一鏡とは主鏡が1枚構成のもの(図4.2左)、分割鏡とは複数の小型の鏡(セグメント鏡)を組み合わせて主鏡を構成するもの(図4.2右)を表す。また、口径は、昔からの慣習で使われてきた外口径を使い、研磨精度が出ている有効口径(開口径:外口径よりわずかに小さい)ではない。また、図には赤道儀方式と経緯台方式の建設年代の境界線も示した。

図4.1 20世紀から2010年までの世界の2 m級超の大型反射望遠鏡建設経緯

図4.1 20世紀から2010年までの世界の2 m級超の大型反射望遠鏡建設経緯


主鏡が単一鏡構成の望遠鏡

主鏡が単一鏡構成の望遠鏡
(すばる望遠鏡の例)

主鏡が分割鏡構成の望遠鏡

主鏡が分割鏡構成の望遠鏡
出典:https://ja.wikipedia.org/wikiジェームズウエッブ宇宙望遠鏡#/media/Fille:WST_Full_Mirror.jpg (2023年10月15日閲覧)

図4.2 主鏡の構成


 図から、20世紀の殆どの期間にアメリカが世界最大口径の反射望遠鏡を持ち、建造数も圧倒的に多いこと、イギリスを含む欧州がそれを追いかけている様子が分かる。また、1970年代前半までは全てが赤道儀方式であるが、経緯台方式は1976年にソ連(当時)が建造した口径6 m BTA-6望遠鏡(当時の世界最大口径だが、精度はあまり良くなかった)と、1977年にアメリカが建造した口径4.8 m(分割鏡)のMMT望遠鏡から始まったことが分かる。その後、経緯台方式と赤道儀方式は1989年まで並走して建造されたが、赤道儀方式の殆どは欧州であり、伝統技術を重んじる欧州の気質が伺える。1990年以降は仰角固定の望遠鏡を除き全てが経緯台方式に変わる。これは、第2章で説明した通り、コンピュータを利用した駆動制御で経緯台方式が実用可能になり、望遠鏡構造やドームの小型・軽量化による建造費の節約が図られたことによる。小型・軽量化の差を示す例として、1948年の完成後、20世紀後半の天文学を牽引した米・パロマー山5 m望遠鏡(赤道儀方式)の開所式と、1999年に日本がハワイ島マウナケアに完成させた8.3 mすばる望遠鏡(経緯台方式)の開所式の写真を、それぞれ図4.3左、図4.3右に示す。図中、丸印で示す主鏡や招待された人の大きさと望遠鏡構造の大きさを比較すれば、経緯台方式のコンパクトさに比べて赤道儀方式の複雑さと巨大さが分かるとともに。約半世紀の間の工学や技術の進化が見て取れる。しかし、手計算や計算尺に頼らなければならなかった1940年代頃の、アメリカの巨大構造の設計や製造技術の高さ4.2)には、賞賛すべきものを感じる。

1999年の8.3 mすばる望遠鏡開所式

1999年の8.3 mすばる望遠鏡開所式

図4.3 パロマー山5 mヘール望遠鏡開所式(1948年)とすばる望遠鏡開所式(1999年)


 1990年から2000年までの10年間の望遠鏡でも、その建造数、口径共にアメリカが他を圧倒するが、20世紀と21世紀の変わり目を挟む数年の間に、単一鏡構成で口径8 m級の世界最大の反射望遠鏡が3種類完成した。アメリカGEMINI(8.1 m)、欧州VLT(8.2 m)、日本のすばる望遠鏡(8.3 m)である。口径2 m超の望遠鏡を一切持っていなかった日本が、単一鏡として世界最大の望遠鏡を、欧米と同じタイミングで作り上げたことは注目に値するため、その背景について少し触れる。それまで、日本には、1960年にイギリスから導入した岡山天文物理観測所の1.88 m望遠鏡しかなかった。21世紀になれば、東京大学のマグナム望遠鏡(マウイ島ハレアカラ、2015年に撤去)や西はりま天文台のなゆた等の2 m級望遠鏡ができるが、日本にとって、20世紀は大型光学望遠鏡の開発経験を積む機会が殆どなかった時代であり、3 m~5 m級の望遠鏡建設から多くの経験を積んだ欧米とは状況が異なる。GEMINI、VLT、すばる望遠鏡の3つの開発チームは「8 mクラブ」と呼ばれた関係ではあったが、内情は、最大口径、初観測の日、最高性能を競った20世紀末の「巨大望遠鏡の開発オリンピック」であった。この競争に、日本は圧倒的なハンディキャップを持ったまま参加したのである。このオリンピックにおけるすばる望遠鏡の開発経緯や開発関係者の健闘の様子が本書の主要テーマであり、3つの望遠鏡の開発手法を比較する形態で、5章以降に説明する。
 21世紀は、更なる大口径化を目指すため、1枚鏡ではなく分割鏡構成の望遠鏡の開発に変わる。そして、建設や運用コストの大規模化から、国単独ではなく多くの国が参加する国際協力下の建設が増える。ヨーロッパ連合が建造中の39 m ELT望遠鏡(792枚の分割鏡)、米、日、インド、カナダ、中国が建造中(現地事情により現在は中断中)の30 m TMT望遠鏡(492枚の分割鏡)など、天文観測と言う平和目的のため、世界が協力し合うスタイルは大歓迎である。


4.2 日本の大型望遠鏡

 日本で作られた初の屈折望遠鏡は、長崎の御用眼鏡師、森仁左衛門(1673-1754)によるもの(図4.4左)であり、この中に有効径7.3 cm、倍率約10の望遠鏡4.4)がある。反射望遠鏡では、国友一寛斎(1778-1840)製造のもの(図4.4右)が最初であり、1833年に天文観測を行ったとされる4.5)。この鏡面精度を現在のレーザー干渉計で測定すると、有効口径60 mm内の放物面の精度は160 nm4.6)であることが分かった。江戸時代に幕府の天文方が行った天文観測は、主に暦の精度と測量精度の向上が目的だったようである。

E. Wolf氏所有の森仁左衛門製作の屈折望遠鏡

E. Wolf氏所有の森仁左衛門製作の屈折望遠鏡
(左上の対物レンズ木枠にその名が明記)
出典:https://www.jstage.jst.go.jp/article/jhsj/54/274/ 54_53/_pdf(2023年10月17日絵閲覧)

長浜市長浜城歴史博物館蔵の国友一寛斎作の反射望遠鏡

長浜市長浜城歴史博物館蔵の国友一寛斎作の反射望遠鏡
出典:https://kunitomo-teppo.jp/ikkansai/story/
(10月17日閲覧)

図4.4 江戸時代の国友一寛斎製作の反射望遠鏡(長浜市長浜城歴史博物館蔵)


 明治になると、経緯度、暦、時間の高精度化を主目的とする天文観測の遂行のため、東京天文台(現在の国立天文台)が1888年に麻布に設置され、1885年頃に内務省地理局がイギリスから購入した口径20 cmの屈折望遠鏡を移設し、1929年に65 cmの大型屈折望遠鏡(図4.5)をドイツのツァイス社から購入した4.7)。その後、天文学の停滞を余儀なくされた日中戦争や第2次世界大戦を経て、国立天文台は、1960年に岡山天体物理観測所に口径1.88 mの反射望遠鏡(図4.6)を購入し、当時、世界第7位の大口径望遠鏡による天文観測を開始した。この勢いは、1974年の東京大学木曽観測所の日本光学製1.05 mシュミット望遠鏡に続く。岡山の1.88 m望遠鏡から2010年頃までの、日本の口径1.05 m級以上で運用中の望遠鏡の建設経緯を図4.7に示す4.8)。なお、三菱電機は、1974年に、3.89 mアングロオーストラリア望遠鏡(AAT)の架台と制御装置を豪州に納入したが、大型とはいえ望遠鏡の全体ではないため、図には含めなかった。


図4.5 1925年独から購入の65 cm屈折望遠鏡

図4.5 1925年独から購入の65 cm屈折望遠鏡
(東京大学東京天文台三鷹)
出典:https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/
1425107882625/html/common/54 f66 b0 d093.htm


図4.6 1960年英から購入の1.88 m光学望遠鏡(赤道儀)

図4.6 1960年英から購入の1.88 m光学望遠鏡(赤道儀)
(東京天文台岡山天体物理観測所)


図4.7から、1988年以降に大型望遠鏡の建設が盛んになる様子と、最近の口径1.05 m級超の望遠鏡は全て経緯台方式であり、国内製造メーカは、西村製作所と三菱電機であることが分かる。
 図中、木曽のシュミット以降の大望遠鏡として1988年に完成したISAS相模原キャンパスの口径1.3 m赤外線望遠鏡には、筆者にとって忘れられない思い出がある。1987年頃、すばる望遠鏡計画の前身である口径7.5 mの光学赤外線望遠鏡JNLTの技術検討会4.9)に参加していた筆者を含む三菱電機の技術者達は、「経緯台方式」の衛星通信用大型アンテナや野辺山45 m電波望遠鏡の設計経験があるが、光学望遠鏡の開発経験はない。この状況を打開するためか、技術者たちの実力を見極めるためか、ISAS赤外線天文学の教授(当時)の奥田治之は三菱電機に対し、「口径7.5 mの前にもう少し小さい望遠鏡を作ってみないか」と持ち掛け、予算を投じた。このような経緯で、100%日本の設計による1.3 m反射望遠鏡が、1988年、相模原キャンパスに誕生した(図4.8左上)。

図4.7 日本の口径1.05 m以上の望遠鏡(1960~2010年:運用中のもの)

図4.7 日本の口径1.05 m以上の望遠鏡(1960~2010年:運用中のもの)



ISAS相模原キャンパスの1.3 m赤外線望遠鏡4.12)

初めて採用したフリクションドライブ機構4.12)

45 m電波望遠鏡等に使われたトルク差を利用しギア系のガタを消す駆動方式

45 m電波望遠鏡等に使われたトルク差を利用しギア系のガタを消す駆動方式

図4.8 ISAS 1.3 m赤外線望遠鏡と従来の差動トルク式精密ギアドライブ


 選択された経緯台方式は、技術者達にとっては、慣れた構造だった。この望遠鏡は、すばる望遠鏡の工学的・技術的な基礎を学ぶだけでなく、すばるで採用を検討中だったアメリカのCorningの超低膨張ガラス(ULE)や、アメリカのContraves(当時)の研磨技術の実力を把握するためにも、非常に有益だった。滑らかな星の追尾を実現するため、Az/Elの駆動機構にはアンテナ等で習熟していた歯車方式ではなく、摩擦駆動によるフリクションドライブ4.10)方式(図4.7右上)を初めて採用した。通常、軸駆動にはギアを用いるが、駆動側と被駆動側の歯の間にはバックラッシュというわずかな隙間(ガタ)があるため、時計回りから反時計回りに軸の駆動方向を変えるとこのガタが現れてカタカタと揺れるため指向精度が悪くなる。この影響を抑えるため、電波望遠鏡等では2つの駆動ギア系を設けて、それぞれのギア系の駆動トルクに大小をつけ、トルク差でギア系のガタを消す方式4.11)を採用した(図4.8下)。しかし、このトルク差は、歯の間に摩擦を生じさせるため、ゆっくり駆動する際にStick-slipという誤差を発生させる(詳細は5章で説明)。また、この方式には、精密ギア系とサーボ制御装置がそれぞれ2式必要なためコストもかかる。フリクションドライブは、駆動性能の改善と1式の駆動系で済む低コスト化という、2つの効果が狙える4.12)。図4.8右上の写真から、フリクションドライブの構造の単純さが分かる。
 図4.7から、1990年代以降の国産大型望遠鏡の殆んどが経緯台方式とフリクションドライブに置換されたことが分かる。ISASの1.3 m赤外線望遠鏡が、性能、作りやすさ、低コスト化の観点から、その後の国産望遠鏡の作り方に影響を与えたものと考える。
 また、1994年に国立天文台三鷹キャンパスに完成した1.5 m赤外線望遠鏡(現在は広島大学に移設)がすばる望遠鏡の予算の一部を使い、三菱電機によって製造されたことはあまり知られていない。この望遠鏡のカセグレン、ナスミス焦点は、すばると同じ焦点比を持ち、すばる用の観測装置の開発実証に使用する目的で準備された。構造や駆動機構、制御方式などは基本的にISASの1.3 mと同じだが、この設備の一部として、直径1.6 mまでの鏡にアルミなどの反射面を作る真空蒸着装置が納入されている。この蒸着装置は、すばるの8.3 m鏡の蒸着装置において後年発生する技術課題の解決に、大いに活躍した。また、図4.7で特筆したいことは、1999年完成のすばる望遠鏡が他の国産望遠鏡に比べて飛びぬけて大きいだけではなく、望遠鏡自体をモータ化するダイレクトドライブ方式を採用して、世界最高性能の追尾性能を実現したことである。これらについても、第5章で詳しく説明する。
 2010年以降は、日本でも、更なる国産望遠鏡の大型化が始まる。開発コスト軽減のため、大学が設計を行い、システムインテグレータとして、組立や試験調整、性能の追い込みを行う方式に変わる。この代表が、2017年に完成した京都大学3.8 mせいめい望遠鏡(国内初の分割鏡方式:図4.9)、現在建設中の東京大学6.5 mTAO望遠鏡(単一鏡方式)である。これらも、全て経緯台とフリクションドライブを採用している。なお、せいめい望遠鏡の双子モデルは、インドネシア国立航空宇宙研究所に納入され、2023年内の完成を目指している。

図4.9 京都大学岡山天文台3.8 mせいめい望遠鏡

図4.9 京都大学岡山天文台3.8 mせいめい望遠鏡
出典:https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/general/facilities/okayama/seimei_tel/(2023年11月25日閲覧)



参考文献

4.1  RENE RACINE, 2004, The Historical Growth of Telescope Aperture, PASP, 116, pp. 77-83
4.2  D.O.ウッドベリー著, 関正雄・湯沢博・成相恭二訳, 2002, パロマーの巨人望遠鏡(下), pp. 9-137
4.3  http://www.oao.nao.ac.jp (2023年6月12日閲覧)
4.4  中村士, 2016, 江戸時代前期の日本望遠鏡, 科学史入門・シンポジウム, p. 53
4.5  https://kunitomo-teppo.jp/ikkansai/story/(2023年10月12日閲覧)
4.6  都築俊宏, 2020, 国友望遠鏡主鏡測定結果報告, 国友鉄砲ミュージアムHP
4.7  https://www.nao.ac.jp/gallery/weekly/2014/20140114-65cm-tel.html (2023年10月12日閲覧)
4.8  https://www.tsm.toyama.toyama.jp/tao/aroom/kaisetu/japantele.htm (2023年10月12日閲覧)
4.9  家正則, 2003,すばる望遠鏡, 岩波ジュニア新書, pp. 72-74
4.10  https://otobs.org/hiki/friction_drive (2023年10月12日閲覧)
4.11  三神泉, 伊藤富美夫, 1982(出願), モータの駆動方法, 特開昭59-178996
4.12  伊藤昇, 三神泉, 山下泰正, 野口猛, 1988, Mechanical Structure of JNLT, Astrophysics and Space Science, Vol. 160, No. 1-2, pp. 165-172

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 5 8メートル級巨大望遠鏡の開発競争

 第5章では、日米欧の8 m級望遠鏡の開発における、それぞれの開発目標や工学的・技術的な達成手段や完成結果等を、比較法分析しながら説明する。その中で、各チームの開発手法の差異や競い合い状況等を筆者の視点で探る。欧米の開発に関する情報の開示範囲が狭い場合には、必要に応じて、すばる望遠鏡の実現方法をベースに欧米の手法を推定して考察する。


5.1 天文学上の課題と各国の計画開始

 1980年前半、ヨーロッパ南天天文台(European Southern Observatory: ESO)と日本の東京大学東京天文台(現在の国立天文台)は、ほとんど同時に口径8 m級の光学赤外線望遠鏡の建設を目指す検討を開始した。アメリカ国立天文台(National Astronomical Observatory of America: NAOA)はやや遅れて同様な検討を開始した。当時、天文学者が解明しようとしていた主な天文学上の課題は、以下である5.1)
(1)宇宙の果てに迫る。
   • 宇宙の夜明けに誕生した第一世代の天体はどんなものだったか。
   • 宇宙の時空の骨組みはどんな大構造を持っているか。
   • 見える物質の100倍近くもあると推定される見えない質量の正体は何か。
(2)原始星のなぞに挑む。
   • 分子雲にくるまった原始星雲の芯では何が起こっているか。
   • 太陽系のほかにもたくさんの惑星系が生まれつつあるか。
(3)極限の世界を探る。
   • 私たちの銀河系の中心や多くの銀河の中心はどうなっているのか。
   • 超高密度の恒星の残骸では何が起こっているのか。
   • 天体での大爆発現象はどうして起こるのか。
 東京天文台は、上記の天文学的課題の解明を目指し、口径7.5 mの光学赤外線望遠鏡(Japan National Large Telescope:JNLT)の技術調査を、1986年に本格的に開始した。この口径は、アメリカ・パロマー山の5 m望遠鏡の倍以上の集光力から決まった。
 当時の国内最大の望遠鏡は、岡山天体物理観測所の1.88 m望遠鏡で、1960年の完成当時は世界7位だった。しかし、欧米の1960年代から1980年前半の3 m~4 m級望遠鏡の建設ラッシュに伴い、口径は30位以下まで下落していた。欧米は、これらの大型望遠鏡を用いて、新しい赤外線観測分野を切り開き、数々の天文学的成果を生み出していた。また、これらの望遠鏡を建設したアメリカのエンジニアが8 m鏡4枚による16 m望遠鏡の構想を作り、カルフォルニア工科大学が分割鏡による10 m望遠鏡構想(後のKeck 望遠鏡)を立ち上げていた。このままでは後れを取るばかりだという焦りを日本の天文関係者が持っていた。一方で、東京天文台は、アンテナ、機械、制御、土木、製造、計算機システムやソフトウエア等の当時の国内最先端技術を結集させ、1982年に45 m電波望遠鏡を長野県野辺山に建設した。この電波望遠鏡が、黎明期だった日本の電波天文学を一気に世界レベルに押し上げていた。このような環境が、JNLTを観測条件の良い海外に作り、光学天文学の遅れを取り戻したいという日本の天文学者の思いを、より一層強くした。しかし、人類が未経験の大口径望遠鏡を開発し、しかも、海外に建設するというのは冒険に近い。中型望遠鏡を国内に作って経験を積んでからの方が良いという慎重派も多く、JNLTの海外設置を提唱した東京大学東京天文台教授(当時)の小平桂一らには、国内の意見調整に大変な苦労が強いられた5.2)。この努力は、小平を総括責任者とする大型望遠鏡調査室の発足という形で実を結び、1984年にJNLTの海外設置に向けた調査が正式に開始された。
 望遠鏡にとって良い観測条件とは、以下の5つである。
  • 夜の晴天率が高いこと。
  • 人工的な光が少なく夜空が暗いこと。
  • 望遠鏡建設や観測のためのアクセスが可能なこと。
  • 大気に含まれる水蒸気が少ないこと。
  • 星の瞬き(またたき)が小さいこと。
 前半の3つは自明だが、後の2つには説明が必要である。ビッグバンに迫る遠い宇宙の銀河は宇宙の膨張によって速い速度で遠ざかるため、ドップラー効果によって光の波長が引き伸ばされて長く(赤方偏移)なるため、赤外線で観測される。この赤外線は、大気が含む水蒸気で吸収されるため、空気は乾燥している方が良い。次に、星の瞬きはロマンティックだが、人間の目が口径6 mmの望遠鏡であることを思い出せば、これほど小さな望遠鏡が観測できるほど星の光が変化することを意味する。原因は、風や大気の乱れによって発生する空気の屈折率の時間的、空間的は変化である。瞬く星を大望遠鏡で観測すると、星が視野の中をランダムに動き回るだけでなく、形もアメーバ状に変化する。これでは、大口径望遠鏡が目指す性能は得られない。これがシーイング5.3)と呼ばれる、設置場所で決まる空の揺らぎの性能である。NASAのハッブル望遠鏡(1990年4月打ち上げ)やジェームスウェッブ望遠鏡(2021年12月打ち上げ)などの宇宙望遠鏡は、周囲が真空なためシーイング性能は完璧だが、数千億円以上の莫大な予算がかかるため、多くを打ち上げることは困難である。このような事由で、チリのアタカマ砂漠の高山周辺、ハワイ島のマウナケア山などの、中低緯度で貿易風が吹く高地が大型望遠鏡の設置場所として選ばれている5.4)。その分布を図5.1に示す。図5.2は、ハワイ島マウナケア山頂とアタカマ砂漠パラナル山の望遠鏡群であり、条件の良い場所に多くの大望遠鏡が集中する状況が分かる。

図5.1 大型光学赤外線望遠鏡の設置場所(1999年頃)

図5.1 大型光学赤外線望遠鏡の設置場所(1999年頃)


マウナケア山頂

マウナケア山頂

パラナル山 VLT1~4号機

パラナル山 VLT1~4号機
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/パラナル天文台
(2023年10月1日閲覧)

図5.2 ハワイ島マウナケア山頂とチリ・パチョン山の望遠鏡群


 ESOは8 m級Very Large Telescope(VLT)4台の建設を、チリ・アタカマ砂漠のビズカチャス山かパラナル山を候補として5.5)、東京天文台は7.5 mJNLT1台の建設を、マウナケア山頂を候補として、共に1984年に実現検討を開始した。アメリカのNOAOは、8 m級望遠鏡1台ずつ(双子の意味でGEMINIと命名)を、マウナケア山頂とチリのアタカマ砂漠のパチョン山に設置する目標で5.6)、実現検討を数年遅れで開始する。いよいよ、3つのチームによる8 m級望遠鏡の開発競争が幕を開ける。なお、それぞれのプロジェクトの正式なスタートは、VLTが1987年、JNLT(すばる)が1991年、GEMINIが1992年である。


5.2 3つの望遠鏡計画の目標性能

 3つの計画が実現を目指す口径は、計画開始時点において世界最大の8 m級である。これらの望遠鏡は、可視光、赤外線の観測を行うため光学赤外線望遠鏡と呼ぶべきだが、本章では、特に使い分けの必要がない限り、光学望遠鏡、または、単に望遠鏡と呼ぶ。GEMINIは、最終的に英国、カナダ、チリ、ブラジル、アルゼンチンの国際協力となったが、アメリカの計画として扱う。また、東京大学東京天文台は、後年、国立天文台に改組され、JNLTもすばる望遠鏡に改名されたが、必要な場合のみ使い分け、それ以外は、国立天文台、すばる望遠鏡、または、すばると呼ぶ。

5.2.1 目標性能と主鏡口径決定の経緯

 それぞれの計画における目標性能を、表5.1に示す。GEMINIの設置場所は、初号機のものである。表中、口径は主鏡の外口径をいい、有効口径は、主鏡反射面の研磨精度が出ていない外周の領域を除いた口径をいう。
 口径は大きいほど集光力、分解能ともに上がる。しかし、人類が経験のない大きさの鏡材製造と鏡面研磨に加え、鏡筒架台構造やドームのサイズが大きくなるため、口径が大きいほど技術的にもコスト的にも、実現が困難になる。すばる望遠鏡の口径は、3つの計画の中で最大の8.3 mであり、当初のJNLT計画の7.5 mより格段に大きくなったが、この口径は意外な経緯で決定された。
 1988年の夏頃、国立天文台は、当時の文部省に対し、7.5 mのJNLT予算を総額400億円規模で初めて行った。残念ながら予算は認可されず、同様な予算要求を行った翌年度にも再び却下されてしまった。1987年にプロジェクト開始が正式に認許されていた5.7)ESOのVLTは口径を8.2 m(有効口径8.1 m)と発表しており、JNLTの口径は世界最大にはならない。これが予算実現を阻んでいる要因の1つではないかと考えたのが、国立天文台とJNLT用の主鏡能動支持に関する共同研究を行っていた三菱電機である5.8)。三菱電機は、企業として予算実現を支援するための検討を重ね、ドームや鏡筒架台のサイズを変えずに望遠鏡全体の見積りコストは維持したまま、主鏡口径をVLTよりわずか大きくすることができるという提案を行った。国立天文台内部でも、当時の海部宣男教授(故人)を筆頭に同様な議論が起こっていたこと5.9)からこの案は認められた。そして、平成3年度予算要求書は、口径が7.5 mから「8 m級」と書き直され、「世界一」を目指すという内容で、1990年初夏に提出された。これが奏功したためかは分からないが、同年12月24日に、1991年度予算の内示を受け、すばる望遠鏡は正式にスタートラインに立った。主鏡口径はVLTより0.1 m大きい8.3 m(有効口径8.2 m)と決めていたが、この数値は、鏡材の発注先である米国コーニング社も含めた全ての関係者内の秘密事項として水面下に置かれた。国際学会等でも発表は8 m級とすることが徹底され、口径8.3 mの公表が許されたのは、GEMINIが主鏡口径を8.1 mと発表した1993年頃だったと記憶している。わずかな差とはいえ、世界一を目指す約束を頑なに守り通す姿勢は日本独特の文化と言える。この姿勢は、後段で説明する望遠鏡の性能実現の過程でも、十分に発揮されていく。

5.2.2 星像の分解能と指向精度、追尾精度の関係

 表5.1内の星像の分解能とは、観測する焦点における星のシャープさを規定する性能である。焦点というと無限に小さな点を思い浮かべるが、実際には、誤差ゼロの理想的な主鏡でも、光の回折によって焦点の星像は広がる。この星像の広がり𝜃は、

で表される。式において、𝜆は光の波⻑、𝐷は主鏡の⼝径であり𝜃の単位は rad(ラジアン)である。図5.3に、観測される星像の強度分布を示す。

表5.1 8 m級望遠鏡の目標性能

表5.1 8 m級望遠鏡の目標性能

図5.3 星像の分解能

図5.3 星像の分解能

 図において、縦軸はCCDのような撮像素子の素子ごとの出力電圧、横軸はCCD上のスケールを焦点距離で割った角度である。焦点の星像は、シーイングを含む様々な誤差によって理想状態から更に広がり、その分、最大強度も下がる。この強度分布は、経験的にガウス分布になり5.10)、図5.3中央に示すような、メキシコの帽子・ソンブレロのような形になる。この最大強度を1に正規化して強度分布を表し、最大強度から半分に落ちる点の幅であるFull Width Half Maximum(略称FWHM)を星像の分解能という。単位は、秒角(1 秒角は3600分の1°)である。図5.3右は、同じ最大強度の2つの星がそれぞれFWHMの位置で重なる場合であり、上から見た図で2つの星が別々に分かれて見える様子が分かる。これが、FWHMを星像の分解能と呼ぶ背景である。
 表5.1において、すばるの星像分解能目標値は0.2 秒角FWHMであり、これは、マウナケア山頂のシーイング性能の最良値である0.1~0.2 秒角を十分に活かすために設定された。一方、VLT、GEMINIの2つの計画では、設置場所のシーイング性能で決まる焦点像の最大強度を1として、望遠鏡の全ての誤差によって、その最大強度が何%まで落ちて良いかというStrehl Ratio5.11) (STR、またはストレール比)を使って星像の分解能を規定した。図5.3左がその意味を示す。VLTはSTRを0.8以上に、GEMINIはSTRを0.85以上にすることが目標性能である。ただし、STRが1以下になっても、FWHMが広がる場合と狭まる場合があり得るため、星像の分解能が必ずしも悪くはならない。例えば、望遠鏡の追尾時に鏡筒がゆらゆらと振動すれば、焦点像はその形を変えずに水平に動くため、長い露出時間内で重ね合わせれば理想状態よりSTRは下がり、かつ、FWHMは広がる。また、研磨誤差が半径方向に何回もうねる(誤差の空間方向の周期が小さい)場合には、光のエネルギは外側に拡散してSTRは下がるが、FWHMはやせて狭まる傾向を持つ5.12)。表5.1では省略したが、それを補うための追加仕様が各望遠鏡にはある。
 STRは、望遠鏡の波面誤差の標準偏差を𝜎 𝜇𝑚 RMS (Root Mean Square)、観測する光の波長を𝜆 𝜇𝑚とすれば、下式で表される。

 この式を用いてVLTとGEMINIの望遠鏡に許容される波面誤差の標準偏差𝜎 𝜇𝑚 RMSを求めると、それぞれ観測波長の1/14、1/16が得られることから、鏡の凹凸の高さに変換できる。設置場所のシーイング性能を活かすという分解能の目標値は、これと類似の方法を用いて許容される望遠鏡の誤差に変換され、設計仕様に翻訳されていく(後段で詳述)。
 図5.4は、指向精度と追尾精度の概念であり、左が指向精度、右が追尾精度である。指向精度とは、望遠鏡を観測する星に向け駆動した後、視野中心と星の中心のずれの許容値(角度の単位)である。追尾精度とは、視野中心にとらえた星の日周運動を追いかけるように駆動する際の、視野中心と星の中心のずれの許容値(角度の単位)である。よって、星像の分解能に直接影響するのは、指向精度ではなく追尾精度である。

図5.4 指向誤差と追尾誤差

図5.4 指向誤差と追尾誤差

 望遠鏡は通常の観測では夜間のみ使用するため、日中は最も鏡筒が安定する天頂方向の停止位置(ストアポジション)に固定する。夜間の観測時に望遠鏡を星に向けて大きく駆動すると、ストアポジションと星の仰角の差による鏡筒の重力変形、制御系誤差、鏡筒架台や鏡の温度分布による変形等によって、星は視野中心からずれる。これが指向誤差であり、図5.4左に、そのイメージを示す。望遠鏡駆動によって視野の左上から入って来た星が、駆動完了後に⽔平⽅向∆𝜃x、垂直⽅向∆𝜃𝑦位置ずれを起こした場合、指向誤差は視野中⼼からの離隔∆𝜃で定義される。表5.1に示すように、すばる望遠鏡の指向精度は1 秒角と他の計画の目標値より2倍以上厳しい。
 星への指向が完了すると、∆𝜃を補正するための小さな望遠鏡駆動を行って星の中心を視野中心に引き込み、追尾駆動を開始する。日周運動を相殺する追尾速度は0.0042°/秒とゆっくりであるが、追尾中に風のあおりや、望遠鏡構造の重力変形や制御誤差等により焦点面で星の像がわずかにずれ(図5.4右)、露出期間中に星像の分解能が劣化する。図5.3左のように、露出期間中に正規分布の像が横揺れし、そのまま積分されて太くなるイメージである。これを軽減するため、視野の中にある他の星を別のCCDカメラでとらえ、その星を常に別カメラの視野内で同じ位置に保持するように追尾駆動させる。この別カメラをオートガイダー5.13)(AG)と呼び、3つの望遠鏡は共にAGを装備し、Az、El駆動制御にAGを用いた閉ループ制御を採用している。表5.1の追尾精度は、AG閉ループ制御時の目標値であり、すばる望遠鏡の追尾精度が0.7秒角RMSと他の計画に比べ厳しいこと、また、追尾時間の制限がないことが分かる。これは、宇宙の果てに迫るような長い露出の観測において、追尾誤差による星像の分解能劣化を最小限に抑えるためである。

5.2.3 焦点構成と主要光学系

 表5.2に、3つの望遠鏡の焦点構成を示す5.14), 5.15)。表中、焦点距離、焦点比、及び視野は、主鏡、副鏡で決まる値であり、視野とは望遠鏡の構造にけられることがない焦点範囲をいい、単位は分角(1度の1/60の角度)である。視野の大きさを長さで知るには、視野角度(ラジアン)に焦点距離をかければ良い。3つの計画ともに、主鏡と副鏡で作る焦点を出来るだけ広視野にするため、Ritchey-Chrétien(RC)光学系を5.16)を採用している。よって、正確にはRC焦点とすべきだが、本章では、分かりやすくカセグレン焦点と呼ぶ。

表5.2 3つの計画の焦点構成

望遠鏡名主焦点カセグレン焦点ナスミス焦点(左右)クーデ焦点
焦点距離(m)焦点⽐視野
(分⾓)
焦点距離(m)焦点⽐視野
(分⾓)
焦点距離(m)焦点⽐視野
(分⾓)
焦点距離(m)焦点⽐視野
(分⾓)
すばる151.8330102.512.26108.212.66なし
VLT1号機なし89.1117.589.1117.589.1117.5
GEMINI北なし128.11610128167なし

GEMINI北のナスミス焦点は正確にはベントカセグレン焦点


 表5.2から、主焦点はすばるにしかないことが分かる。主焦点は、他の焦点に比べて焦点距離が短いため、視野が大きくできる。このため、広い視野に映る多くの天体から興味のある天体を効率よく探し出すことができる。すばるの主焦点の視野は30 分角(0.5°:焦点面直径は約13 cm)であり、満月がそのまま入るほど大きい。主焦点では視野端までピンボケが発生しないよう、主焦点補正光学系と呼ぶレンズ光学系5.17)を、主鏡から約15 m離れた鏡筒先端に搭載し、その焦点位置に観測装置を置く。焦点距離が短いため、すばるでは、観測装置が光軸から横に7 𝜇mずれただけで追尾精度が達成できない。しかも、先端に補正レンズや観測装置を積むため鏡筒の剛性を高くしなければならない。よって、構造が重くなるだけでなく、焦点切り替えの際には、主鏡直上にて主焦点ユニットと副鏡ユニットを交換するという荒業が伴う。このため、望遠鏡構造もドームも大きくなるし、コストもかかる。これらの背景から、欧米は主焦点の装備をあきらめ、別途設置する4 m級望遠鏡の役割とした。日本は、すばる以外の大望遠鏡を観測条件の良い海外に建設する計画は当面ないこと、また、主焦点観測に対する天文学者の強い思いもあり、すばるに主焦点を装備することにした。この経緯や技術的解決手法等は後段で紹介する。
 図5.5に欧米の焦点配置を、図5.6にすばるの焦点配置を示し、表5.3に各望遠鏡に装備する光学系の種類と数を示す。欧米は副鏡1式だけのシンプルな構成だが、すばる望遠鏡は、主焦点補正光学系以外に副鏡3式を持つゴージャスな構成である。日本は、すばる望遠鏡1式だけで、多くの観測装置で様々な観測を行うために全機能を詰め込んだ結果であるが、このために施した工夫や、この差が望遠鏡完成後の観測成果に与えた影響については、第6章で触れる。


図5.5 欧米の口径8 m級望遠鏡の焦点配置

図5.5 欧米の口径8 m級望遠鏡の焦点配置


図5.6 すばる望遠鏡の焦点配置 図5.6 すばる望遠鏡の焦点配置

図5.6 すばる望遠鏡の焦点配置


表5.3 主鏡以外の主要光学系保有数

望遠鏡名称 主焦点補正光学系 光学副鏡
(カセグレン⽤)
光学副鏡
(ナスミス⽤)
⾚外副鏡 ⾚外振動副鏡
すばる 1 1 1 1
VLT1号機 1
GEMINI北 1

注:GEMINI北は、正確にはナスミス焦点ではなくベントカセグレン焦点


5.3 各望遠鏡計画の仕様

 表5.1から表5.3に示した目標値や構成を基に細分化された、3つの望遠鏡の主な仕様を表5.4にまとめた5.18), 5.19)。表中、*印を施した数値は、公表値を探し出すことができなかったため、公開された図から筆者が読み取った概算値である。また、主鏡の研磨精度は、VLT、GEMINI共に初号機の実績値を示す。現在は別仕様に変更されている場合でも、使用は計画時のものに統一した。
 以下に、表内の仕様を補足説明する。

表5.4 口径8 m級の3つの望遠鏡計画における仕様

項⽬すばるVLT初号機5.18)GEMINI北5.19)
主鏡及び主鏡⽀持
外径 、有効径 (m)8.3、8.28.2、8.18.1、8.0
形状薄メニスカス薄メニスカス薄メニスカス
焦点⽐1.831.771.8
厚さ(cm)2017.520
鏡材ULEZERODUREULE
質量 (トン)22.824.022.2
研磨精度 (nmRMS)12.020.815.6
反射⾯コーティングアルミ
(真空蒸着)
アルミ
(スパッタリング)

(保護膜付、スパッタリング)
厚さ⽅向⽀持点数231+3固定点150120
半径⽅向⽀持点数上と同じ機構に内蔵外周64外周72
補正可能モード数Zernike36モードまでの和を振動
モード36に展開して補正
主鏡の振動16モードZernike20モード
⾚外副鏡及び駆動
⼝径(m)1.301.121.0
鏡材ULEべリリウムZerodure
質量 (kg)1855154
軽量化⽅法フリットボンディング機械加⼯機械加⼯
反射コーティングアルミ蒸着アルミアルミ
(チョッピング駆動)
振幅(秒⾓)30±15±7.5
最⼤振動周波数 (Hz)556
デューティー(%)808580
精度 (秒⾓RMS)0.150.1±0.05
(TipTilt駆動)
ループ制御バンド幅(Hz)30108
ストローク (分⾓)±0.2±1.0±1
再現性 (秒⾓)±0.03±0.50.1/60秒間
鏡筒架台
構造⽅式経緯台経緯台経緯台
⾼さ/幅 (m)22.2/27.220/2221.7/20
Az,El軸受静圧軸受静圧軸受静圧軸受
駆動⽅式D.DモータドライブD.Dモータドライブフリクションドライブ
EL軸⾼さ(地⾯より)241320
回転部質量 (トン)555350380
ドーム
形状楕円柱円筒形半球形
⾼さ/回転部直径 (m)43/4030/2943/46
回転部質量 (トン)2000500780
外壁表⾯処理アルミ地肌アルミ地肌アルミ地肌

●補正可能モード数:主鏡の鏡面誤差を、数学的に直交5.20)する2次元級数に展開し、誤差を低次から一定の高次までのモードで表す。主鏡支持システムで補正可能なのは、半径方向の高さ変化の周期(空間周期)が小さい低次であるため、補正するモードの最大次数を補正可能モード数という。望遠鏡でよく使う直交関数はZernike級数である(図5.7)。Zernike級数は、近視や遠視(焦点位置が網膜から前後にずれる焦点ずれ:Defocus)、乱視(焦点位置はずれないが水晶体のゆがみで出る非点収差:Astigmatism)などの光学収差に良く対応する直交関数である。直交関数を用いる理由は、制御系の安定性を確保するためである。主鏡支持システムの章で、再度登場する。


図5.7 Zernike級数

図5.7 Zernike級数

●副鏡の軽量化:副鏡を軽くするため、鏡の裏側に中空の穴をあける作り方である。フリットボンディングとはガラス板を特殊な接着方法でつなぎ合わせハチの巣状にする方法、機械加工とは厚いガラスを特殊な刃物や研削粉の高速吹付等で削りハチの巣状に削る方法をいう。

●赤外副鏡チョッピング駆動、デューティー:前者は、赤外線で宇宙を観測する際、光軸中心に観測天体を捉えながら、副鏡を、視野中心から一定角度離れた約2.7 Kの低温方向に高速で矩形波状に振動させて比較観測を行う駆動である。後者は完全な矩形波に対する、副鏡運動の矩形波の時間的な発生比率をいう。図5.8にそのイメージを示す。

図5.8 チョッピング駆動のデューティー(=)

図5.8 チョッピング駆動のデューティー(=

●赤外副鏡のTip/Tilt駆動、閉ループ制御バンド幅:前者は、光軸に対して垂直な平面上で直交する2つの軸回りに副鏡を高速で、微小角度だけ駆動して追尾誤差を補正する駆動である。後者は、オートガイダーを用いたTip/Tilt駆動閉ループ制御の応答性をいい、バンド幅が大きいほど速く補正がかかる。

●El軸高さ:El軸の地面からの設置高さであり、地面との対流熱交換で乱れた風によるシーイング劣化を軽減する。El軸は高い方が良いため、ドームの大きさへの影響を加味して決める。

●ドーム外壁:従来のドームは白色塗装が多かったが、夜間の放射冷却による冷えすぎで発生するシーイング劣化の可能性が分かり始めた時代背景から、仕様に外壁材料を含めた。

 以下、表5.4内の主鏡および主鏡支持、ドーム、鏡筒架台の各仕様を3つの望遠鏡がどのような工学的手法を用いて実現したかについて、個別に説明する。


5.4 仕様の実現策

5.4.1 主鏡構造

 大型望遠鏡では、鏡材の製造期間を現実的な期間に短縮するため、以下の方法で主鏡の軽量化を図る。
  • 小型の薄型主鏡をばらばらに並べ、所要の反射面積を達成する分割鏡構成
  • ハニカム構造を用いた単一鏡構成
  • コンタクトレンズのような薄メニスカス(メニスカスとは膝の半月板の英語名称)構造を用いた単一鏡構成
 1つ目は、米・カリフォルニア天文学研究連合がハワイマウナケア山頂に1993年、1996年に完成させた口径10 mのKeck望遠鏡2式に適用した方法である。多数の六角形セグメント鏡をそれぞれ個別に支持し、その高さや傾きを制御して一枚の反射鏡と等価にする。ただし、隣接する鏡の間にわずかな隙間ができる(図5.9)ため、赤外線観測においては隙間から常温の熱雑音が放射される。遠い宇宙をとらえる赤外線観測用の望遠鏡に最適とは言えず、3つの計画ともに採用しなかった。計画のスタート時点でKeck望遠鏡は未完成であり、実績がなかったことも要因の1つである。

図5.9 Keck望遠鏡の主鏡

図5.9 Keck望遠鏡の主鏡(六角形のセグメント鏡の間に隙間が見える)
出典:https://en.wikipedia.org/wiki/W._M._Keck_Observatory#/
media/File:KeckObservatory20071013.jpg
(2023年10月10日閲覧)


 2つ目は、鏡材の裏面からハチの巣状にポケット穴を設けて軽量化する方法(図5.10)である。アメリカのアリゾナ大学のフットボール競技場の地下には、Mirror Labという研究所がある。ここでは、多くの六角柱を間に均一な隙間が出来るように並べ、その上にボロシリケートというガラス材(株式会社オハラ製)の小塊を並べ、上から加熱して隙間を溶融ガラスで埋めた後に固まらせて鏡材を作る方法5.22)を開発中だった。六角柱部分が蜂の巣状の穴になる、隙間のガラス層が薄いために熱容量が小さく、外気温になじみやすい。よって、鏡のかげろう(ミラーシーイング)は改善するが、熱膨張率が0.5×10-6と他の鏡材候補より一桁以上大きいだけでなく、製造プロセスが未完成だった。2023年現在では、巨大マゼラン望遠鏡(Giant Magellan Telescope: GMT)がこの鏡材を採択して7枚の8 m級鏡材を製造中であり、2030年のファーストライトを目指している。

図5.10 ハネカム構造の3.5 m主鏡鏡材

図5.10 ハネカム構造の3.5 m主鏡鏡材
出典:https://astro-dic.jp/honeycomb-mirror/(2023年10月10日閲覧)

 以上の経緯から、3つの計画はともにMirror Labのハニカム鏡材の採用を見送り、全て薄メニスカス構造の単一構成による軽量化を選定した。主鏡が薄メニスカス構造と決まれば、次は、主鏡材の製造にとりかかる。

5.4.2 主鏡鏡材

(1)VLT

 1980年代、口径4 m級の製造実績を持つ鏡の材料は、ドイツSchott社のZERODUR、アメリカCorning社のUltra Low Expansion Glass(ULE)の2つしかなかった。
 他に先行してプロジェクトを開始したVLTは、1988年にドイツSCHOTT社のZERODURを採用し、薄メニスカス鏡材を発注した。ZERODURは、30 nmから50 nmのサイズの結晶性ケイ素酸化物を、非晶質酸化ケイ素で包摂した構造を持ち5.23)、常温での熱膨張率は0.02 x 10-6/Kと小さい。Keck望遠鏡の主鏡材もZERODUREである。ESOは、VLTのプロトタイプである3.58 m NTT 望遠鏡(New technology Telescope、1989年にチリのラシア山に建設)で、厚さ22 cmのZERODUR 薄メニスカス鏡を使い、主鏡能動支持システムと組み合わせて実証した成果5.24)を既に持っていた。しかし、倍以上の口径にするため、SHOTTは、スピンキャストという新しい製造プロセスを開発しなければならなかった。スピンキャストとは、1600 ℃のZERODUR 溶融材料を垂直軸回りに回転する直径8.2 m超の凹形状の型に流し込み、遠心力を使って溶融材料をメニスカス形状にする方法である。その後、約1年間のセラミック化工程を経て、低膨張率鏡材となる。鏡材は、鏡面側を所定の球面に研削加工(主鏡研磨の章で詳細を説明)した後、治具を用いて反転させて裏面の研削加工を行い、更に主鏡支持金具を接着した上で、研磨工場に輸送した模様である。VLT用鏡材は、外口径8.2 m、厚さ17.5 cmであり、当時の世界最大のガラス材料として1993年6月に完成した(図5.11)。

図5.11 VLT用のSCHOTT社ZERODUR鏡材

図5.11 VLT用のSCHOTT社ZERODUR鏡材
出典:https://www.eso.org/sci/facilities/paranal/telescopes/ut/fig-2.gif
(2023年10月10日閲覧)


(2)すばるとGEMINI

 VLTの次に主鏡鏡材を決定したのは、すばる望遠鏡である。日本の光学ガラスメーカは見積書の提出すら断って来たため、候補は、ZERODURかULEの2つしかなかった。前者はVLT用の4枚の8.2 m鏡材の製造中だったため、ULEが唯一の選択肢だった言える。1988年にISAS向けに開発した1.3 m赤外線望遠鏡で、ULEの性能は実証済みだったこともあり、すばる望遠鏡はULEを選定した。Corningは、ニューヨーク州北部のカナダとの国境があるセントローレンス川から南に下ったCanton(図5.12左)に鏡材の製造工場を持つ。Corningは、1934年にパロマー山の口径5 m望遠鏡にPyrex製鏡材(図5.12右)を、1990年に打ち上げられた2.4 mハッブル宇宙望遠鏡にULE鏡材を提供するなど、望遠鏡鏡分野で多くの実績を持つ。
 ULE は、CorningがPyrexよりさらに良いガラス材料として1970年代に開発した鏡材であり、以下の特長を持つ。

引用元:Google社 [Google Map]

図5.12 CorningのCanton工場の所在(左)と5 m望遠鏡用Pyrex鏡材(右)


  • 研削や研磨が容易であり、表面粗さとしてnm以下が達成可能である。
  • 研磨後の鏡面にアルミや銀等の反射面が作れる。
  • 鉄の1万分の一程度の熱膨張率を持つ。
  • 超音波を使った非破壊検査で熱膨張率の測定が高精度にできる。
  • 数10年から100年程度の長期に渡って安定した形状を保つ安定性と強度を持つ。
 すばるの8.3 m ULE鏡材を製造するためのプロセスを図5.13に示す。図の*印部が、新規開発のプロセスである。

図5.13 口径8 m級のULE主鏡鏡材の製造方法

図5.13 口径8 m級のULE主鏡鏡材の製造方法

 すばるの主鏡鏡材は、Corningへの発注から34ヶ月後の1994年7月に完成した。工期の前半は、工場拡張、回転テーブル、炉、クレーン、治具、反転装置等の設備製造と、並走するブールとヘックスの製造に充てられ、後半がレンガの回転テーブル上での作業だった。すばるの主鏡鏡材は、口径8.31 m、厚さ21 cm、質量25 トンという、世界最大(LBT望遠鏡の鏡材に11年後にその座を譲る)のガラス材として誕生した。鏡材は梱包箱に入れられ、トレーラでCantonから陸路を北上し、Ogdensburgという町で一端に荷下ろしされた。その後、セントローレンス川に浮かぶバージ(はしけ)に積み替えられ、オンタリオ湖経由でエリー湖に入り、Erieという港で陸揚げされた。銃を持つ警備員に見守られながら一夜を港で過ごした鏡材は、トレーラでペンシルバニア州Wampumの研磨工場に向かい、1994年8月24日に到着した。この輸送シーンを図5.14に示す。アメリカ国内の輸送スケールの大きさが伝わる。

米・ヤーキス天文台の102 cm屈折望遠鏡

梱包箱に入れられる完成した主鏡鏡材

パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡

出荷前に上蓋をかける主鏡鏡材梱包箱

米・ヤーキス天文台の102 cm屈折望遠鏡

バージでオンタリオ湖を移動中の主鏡鏡材

パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡

Erieで陸揚げされる主鏡鏡材

図5.13 口径8 m級のULE主鏡鏡材の製造方法

Erieから研磨工場に向かう主鏡鏡材

図5.14 すばる望遠鏡のULE主鏡鏡材の輸送経緯

 まず、二酸化ケイ素と二酸化チタニウムを1700 ℃の炉の中で融解させた後、ゆっくりと冷却させて直径約1.5 mの円盤状部分鏡材(ブール)を作る。これを3枚重ねて融着させ、冷却させた後にワイヤーカットで2枚にカットする。これは、真ん中の層に出来の良いブールを入れて、異物や泡などの欠陥がほとんどない研磨面に適用するためである。この外周を六角形(ヘックスと呼ぶ)や、外周部の異形形状にワイヤーカットして全てのセグメント鏡材をそろえる。それらを、直径10 m超のレンガ製回転テーブルの上に並べ、炉をかぶせ、再度1700 ℃に加熱して全セグメントを溶かして融着した後、ゆっくりと冷却して1枚のガラス板とする。ここまでのプロセスは、基本的には従来の4 m鏡材と同じである。その後、薄メニスカス構造にするための新しいプロセスが始まる。レンガのテーブル上のガラス版の上面を平面に、外周を円形に削った後、ガラス板を外周18点のフックを持つ専用吊り治具に固定してクレーンで吊り、移動させて梱包箱に一旦収納する。梱包箱を反転させた後、中からガラス板を再度吊り、回転テーブル上に移動させて再設置し、逆の面を平面状に加工する。これを同じ手順で再び梱包箱に収納し、空いた回転テーブル上に凸型のレンガ治具(中央のカセグレン用の穴部は平面)を設置する。梱包箱からガラス板を釣り上げて回転テーブル上に移動させ、凸型の型に乗せ、再び炉をかぶせる。炉で1500 ℃に加熱して、ガラス板を柔らかくして凸型の型に沿わせ(サグダウン)、2週間かけて冷却すれば、上に凸のメニスカス構造の主鏡鏡材が完成する。
 すばる望遠鏡の主鏡鏡材は、観測装置と観測データ計算機システムを除き、プライムコントラクターとして受注した三菱電機から、Corningに対して、1991年に発注された。三菱電機が鏡材調達を任された理由は、ULE鏡材の熱変形を主鏡能動支持システムで補正した後に、熱変形が最小になるセグメント配列を決め、Corningに適用させる世界初の技術を開発済みだった5.25)からである。この技術なしでは、世界一熱膨張率が小さなULEを使っても、すばるの光学性能実現が不可能だった。
 図5.13の中で、44枚のヘックスの熱膨張率(平均値、板厚方向の分布)は、全てCorningが超音波測定器を使って高精度に測定する。鏡材の外周部分にはひし形の鏡材もあるため、8.3 mの鏡材を作るための部分鏡材(ヘックスとひし形)の数は55枚になる。三菱電機は、これらを無作為に並べた場合、研磨時とマウナケア山頂の平均気温の差の20 ℃によって発生する熱変形が、光学性能を満足しないことを把握していた。この解決策として、主鏡の熱変形を主鏡能動支持システムで補正した後の補正残差が最小になるような部分鏡材の配列を、55! = 1.3 × 1073通りの並べ方から、1つだけ、計算で求め出す方法である。この配列決定手法の必要性そのものが、Corningにとっても初情報であるだけでなく、発注者が決める配列で部分鏡材を並べると、鏡材品質や会社の信用を損ねなる可能性もある。よって、全て納得づくの上で実行しなければならない。三菱電機とCorningは、それぞれが個別に作る有限要素法(FEM)の解析モデルを用い、主鏡能動支持システムで鏡面補正力を与える前後の鏡材の熱変形量を独立にシミュレーションし、一致することを条件にこの手法を採択することとした。両社の解析結果から、差が数nmしかないことを確認し、本プロセスの採用が正式に決定した5.26)
 最後に鏡材を決定したのはGEMINIで、すばると同じULEである。北(マウナケア)用の鏡材が1995年に、南(パチョン山)用の鏡材が1997年に、それぞれCanton工場で完成した。この製造段階において、Corning社営業部長(当時)のディック・スミス(故人)から、すばるの主鏡最適配置手法を使いたいとの相談を筆者が受け、国立天文台教授(当時)の唐牛宏らと三菱電機で検討した結果、国際協力最優先の精神で無償許諾した経緯がある。数年後のCorningの発表によれば、GEMINI鏡材の製造では、熱膨張率の測定精度の大幅な改善によってこの方法に依存しなかったようである。しかし、すばるで開拓したULEの適用技術が、形を変えてCorningに貢献したことは事実であり、誇らしく感じる。

5.4.3 主鏡能動支持システム

(1)従来の力支持方法の課題と能動光学の誕生

 薄型のメニスカス鏡は重力で変形しやすいため、支持方法にも工夫が必要である。厚さ方向の変形を抑えるために多くの支持点を設けなくてはならないが、主鏡を支える鉄製の鏡筒にボルトなどで固定しては、鉄の熱変形や重力変形がそのまま主鏡に伝わり鏡面精度が出ない。よって、力で浮かして支える手法を採用していた。図5.15は、アメリカ、パロマー山の5 m望遠鏡主鏡の力支持機構の写真であり、1980年代までの殆どの大型望遠鏡に用いられてきた手法である。主鏡を収納するミラーセルと呼ばれる鉄製の枠体の裏側に36個の力支持機構が見える。

図5.15 パロマー山5 m望遠鏡の力支持機構(主鏡の裏側から)

図5.15 パロマー山5 m望遠鏡の力支持機構(主鏡の裏側から)
出典:Jeff Zolkower, 2020, 200-inches Mirror Support History,
https://www.youtube.com/watch?v=jXBLzi2 XsQs
(2023年10月11日閲覧)

 それぞれの力支持機構は、図5.16右に⽰すような「てこ」の構造になっている。⽀持機構 1式が⽀える鏡の質量にバランスするような錘を、てこの⽀点を挟んで、鏡の⽀持点の反対⽅向に備え、⽀持点に錘の⼒を加える。てこのメリットは、てこ⽐(1:𝑛)によって錘の質量が鏡の質量の1/𝑛になるため、⽀持機構の軽量化が図れることである。この⽀持機構をミラーセルに必要数並べ、てこの発⽣⼒が主鏡の全質量と釣り合うようにすれば疑似的に無重⼒状態を作ることができる。しかし、ミラーセルから⾒た⾼さ⽅向の⼒の釣り合いは、どの⾼さでも成⽴するため位置が決まらない。よって、図5.16左のように、主鏡の⾼さをミラーセルに対して決めるための 3 つの固定点を設ける。この固定点もミラーセルと主鏡の熱膨張率の差による熱変形を抑えるため、鏡の 𝑥 ⽅向、𝑦 ⽅向、𝑧 ⽅向以外の余分な⾃由度を拘束しないようにするが、それでも、ミラーセルの変形は、主鏡に傾き(図の𝜃𝑥, 𝜃𝑦)や 𝑧⽅向の変化を与える。主鏡の傾きは望遠鏡の追尾誤差となるためオートガイダーを⽤いた補正で消し、𝑧 ⽅向変化は焦点のピンボケ誤差となるため、副鏡の 𝑧 駆動や主鏡能動⽀持システムの鏡⾯補正で対応する。主鏡は、望遠鏡の追尾中に仰⾓変化を受けるため、どの El ⾓度でも⼒の釣り合いを維持しなければならない。このため、⼒⽀持機構を主鏡外周にも所要数設けて、1つの El⾓度において両⽀持機構の錘調整を⾏う。これで、鏡の厚さ⽅向の⽀持⼒𝐹𝑧と半径⽅向⽀持⼒𝐹𝑦の合成⼒𝐹を⼀度合わせれば、あらゆる El ⾓度で主鏡の質量𝑀𝑚と常に釣り合う(図5.16右の式)。

米・ヤーキス天文台の102 cm屈折望遠鏡

パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡

図5.16 「てこ」とカウンタウエートによる主鏡の支持方式

 この方式では、てこの腕の長さで力支持機構が大きくなり、数を増やすのが難しい。支持点間の距離が大きいと図5.17左のような鏡の変形が出るため、変形を戻すために支持点間の中央にもう一つ力支持機構を追加して力を加える。すると、力の作用点は元の高さに戻るが、支持点の間には小さなへこみが残る。支持点間の距離を小さくしてへこみを抑えたいが、てこ式では限界があるため、従来の望遠鏡では鏡を厚くして剛性を上げ、へこみを抑えていた。鏡の質量は厚さに比例して増加するが、剛性(ばね定数と等価)は厚さの3乗に比例するため、厚くするほど変形は減るためである。

図5.13 口径8 m級のULE主鏡鏡材の製造方法

図5.17 主鏡の弾性変形のイメージ

 パロマー山の口径5 m望遠鏡の主鏡の平均厚さは約55 cmもあり、口径対厚さの比は、9:1である。もし、この支持方法をそのまま口径8 mの望遠鏡に使えば、主鏡の厚さは100 cm、質量は100トンを超える。一方、薄メニスカス鏡の厚さが20 cmの場合、パロマー山望遠鏡の55 cmに比べて変形のしやすさは20倍以上になる。よって、薄メニスカス鏡の力支持点間は、パロマー山望遠鏡より支持点間距離を短くするとともに、支持力誤差も大幅に改善する必要がある。この解決策として、ESOのエンジニア(当時)であるRaymond Wilsonは、1980年の中頃、図5.18に示す能動支持の原理を考え出した5.27)。能動支持は、アクチュエータの支持力を制御で変える機構を用いて、主鏡を多点で正確な力で支持するだけでなく、主鏡の熱変形や研磨誤差の一部をアクチュエータが主鏡に加える補正力で修正する新しい概念であり、8 m級望遠鏡開発には不可欠だった。図では、上からの星の光をナスミス焦点に導き、焦点の手前においた半透明鏡で焦点を下側にも作り、下側の焦点部に置く波面センサーによって、主鏡面、副鏡面で発生する光の波面誤差(鏡面誤差のほぼ2倍)を測定する。その波面誤差を、Computer内部で、アクチュエータの支持力補正で対応する誤差成分と、副鏡の𝑥𝑦𝑧方向の駆動で補正する誤差成分に分け、前者から各アクチュエータの補正力を、後者から副鏡駆動量をそれぞれ求めて制御する。この駆動によって変化する波面誤差を波面センサーで常時モニタし、目標の鏡面形状に追い込む閉ループの制御システムである。

図5.18 能動支持の原理図

図5.18 能動支持の原理図
出典:https://www.esa.int/ESA_Multimedia/Images/2020/12/The active optics system on ESO’s Very Large Telescope
(2023年10月10日閲覧)


米・ヤーキス天文台の102 cm屈折望遠鏡

72個のアクチュエータ

パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡

実験装置全体

図 5.19 ESOの能動光学実証実験装置
出典:https://www.eso.org/public/teles-instr/technology/active_optics/(2023 年 10 ⽉ 10⽇閲覧)


(2) VLTの主鏡支持システム

 ESOは、能動光学の実現性を見極めるため、1987年に口径1 mで厚さ18 mmの鏡と、72式のアクチュエータ(鏡の厚さ方向の力だけを発生)を用いて実証実験を行った。この時のミラーセル上に並ぶアクチュエータの写真を図5.19左に、実験装置全体の写真を図5.19右に示す。図5.19右では、アクチュエータに支えられた球面鏡が底部に設置され、タワーの高さ方向中央奥にシャック・ハルトマン(以下SHと略す)方式5.28)の波面センサーが設置されている。この写真には写っていなが、球面鏡の光軸(垂直)と波面センサーの光軸(水平)が交わる点に45°の平面鏡があり、鏡面鏡の曲率半径の中心の手前に45度の半透明鏡を置いて2つの曲率中心に分け、片方の中心から光を出し、鏡面に反射して戻る光が作るもう一方の曲率中心を利用して波面誤差を測定する。図5.20は、この実験装置に使用したアクチュエータの原理図5.29)である。このアクチュエータは、錘をてこの支点方向にスライド駆動させて支持力を変える構造であり、支持力は、鏡の裏面を押すボールジョイントの下部に装備する力センサーで検出する。てこの支点には、当初、ボールベアリングを使用したが、実験中にベアリングの摩擦で有害な力誤差が検出されたため、最終的に弾性変形を用いた回転機構(フレックスピボット:後段で説明)に置き換えたようである。この結果、支持力精度は、最大出力550 gf(4.95 N)において0.5 gf (4.95 mN)が実現された。ESOは、この実証実験の成功を踏まえ、口径3.58 m、厚さ20 cmの薄メニスカス鏡を用いて、VLTのプロトタイプであるNew Technology Telescope (NTT)を、1989年にLa Sila山に建設した。VLTの主鏡支持システムの実現性は、NTTという大型望遠鏡の実物による現場経験を積みながら、着実に固められていった。うらやましい限りである。

>図5.20 ESOの実証実験に使われたアクチュエータ

図5.20 ESOの実証実験に使われたアクチュエータ

 図5.21に、VLTの主鏡支持システムにおける支持点配置5.30)を、図5.22に支持システムの構成概念図5.31)を示す。

図5.21 VLTの主鏡支持点配置<sup>5.30)</sup>

図5.21 VLTの主鏡支持点配置5.30)

 図5.21は、主鏡の厚さ方向の支持点(Axial Support Pad)が120°対称の3セグメントに分けて配置されており、1セグメントあたり50式で、合計150式であることを示す。また、支持点のそれぞれに鳥の足跡のようなマーク(tripod:三脚)があるが、これは、支える主鏡裏面の点を、1支持部あたりに3点に増やしていることを示す。1点で支えると、局所的な主鏡の変形が大きくなるため、支持力を3点に分散させて変形を抑えることが目的である。また、外周に小さな突起で示してある半径方向の支持点(Lateral Support Pad)は、45°対称に、各16式、合計64式ある。Axial Support Pad、Lateral Support Padともに、油を封入したパッド(袋)状の構造となっており、Axial方向は主鏡をパッド状に乗せることによって、また、Lateral方向は全周から主鏡を一定の荷重で押し付けることによって、主鏡が流体の上に浮かんだ状態を模擬する。各パッドからの支持力は、その点に加わる主鏡の質量にバランスするため、El角度が傾いても、Axial方向とLateral方向の支持力の合成力は常に主鏡の質量に一致するという原理である。ただし、凹型の薄メニスカス鏡の外周に並べたLateral Support Padは、主鏡厚さ方向の支持点位置が主鏡の重心と一致しないため、図中に示したような主鏡に対する曲げモーメントを発生させ、主鏡になだらかな変形を与える。よって、VLTでは、Lateral Support Padが与える支持力による鏡面変形を、Axial Support Pad仕込まれる能動的支持アクチュエータで補正することを前提としている。
 図5.22を用いて、2種類のパッドの機能とアクチュエータの役割を説明する。Axial Support Padは、上下2層に分かれ、上層は120°の各セグメント内の50式をパイプで連結して3組のパッド群にわけ、1組ごとに同じ圧力になるようにして、各組をそれぞれ1つの油圧ポンプに繋ぐ。上層は、場合によっては、さらに60°毎の25式を一組とするようバルブで6分割にできるが、基本は変わらないため、3分割のまま説明する。下層は、150式全てがパイプで連結され、常に同じ圧力の1組となる。上層、下層のそれぞれの圧力を変えればミラーセルからの主鏡の高さは変化する。また、この状態で上層の3つの組の圧力を変えると主鏡は傾くため、主鏡のミラーセルに対する傾きも調整可能である。このようにして、主鏡の初期調整を完了した後、ポンプと各パッド群との間のバルブを閉じ、主鏡位置を固定する。Axial Support Padは、主鏡の質量に釣り合う受動的(Passive)な力支持機構であるとともに、仮想的な固定点の役割を果たす。この状態で、主鏡に風荷重のような外力が作用すると、パッド内部の油は非圧縮性の流体であることから、パッドの支持点位置の高さ方向の変化は無視できるほど小さい。よって、主鏡に加わる外力に対して強い支持システムといえる。パッドを上下2層に分け、パイプによる連結方法を変えた理由は、一様でない外力が主鏡面に作用した場合に、下層パッドが同じ圧力を示し、上層パッド群3組が各々異なる圧力を示すことから、上層の3組と下層にそれぞれに圧力センサーを設け、風等の外力の強さや、外力の鏡面上の分布を測定するためだと考えられる。

図5.22 VLTの主鏡支持システムの構成概念

図5.22 VLTの主鏡支持システムの構成概念図
(右上の写真の出典:https://www.eso.org/sci/facilities/paranal/telescopes/ut/m1 unit.html
(2023年8月15日閲覧))

 この2層構造のAxial Support Padの内部を貫くように、能動的(Active)な力支持機構であるアクチュエータが設置されている(図5.23)。アクチュエータは、内部の油の封止を破らないようなピストン(断面が十字架形状に見える)をAxial Support Pad内に備え、ピストンの上部は主鏡裏面に、下部はバネ、ジャッキ、モータに連結される。アクチュエータは、ジャッキの上下によって伸縮するばねの力を主鏡裏面に与えるものであり、その性能5.31)を表5.5に示す。

表5.5 VLTの能動支持機構の性能

項⽬
発⽣⼒(N)-500〜800
⼒ストローク(N)1300
⼒精度(N)±2
⼒精度対⼒ストローク(%)0.15

 主鏡の質量は、Passiveなパッドで支えられるため、アクチュエータは、Lateral Support Padにより発生する主鏡の変形や、研磨誤差や熱変形等の鏡面誤差を補正するだけの力を発生すればよい。アクチュエータの発生力を鏡面誤差(10 𝜇m以下の桁の鏡面変位に相当)補正に使う場合、すばる望遠鏡の例では400 N程度で済むため、上表の力ストロークの1300 Nは、主鏡の質量24トンをAxial Support Pad数150で割った平均値118 kg(支持力で1157 N)より大きく、一見矛盾する。この理由を考察する。図5.23左は、文献5.31内のアクチュエータ構造図であり、主鏡側から順に、支持力を分散させるためのa:Tripod(位置の3自由度以外は拘束しないような三脚)、b:Axial Interface Device(軸方向には比較的剛だが、上下の〇部で回転を自由にするためのピボットがつく)と呼ぶ棒や、c:油パッド内を2層に分ける円板を持つピストン、d:力センサー、e:ばね、f:ジャッキ、g:モータで主鏡裏面に直列に連結され、cのピストンが、i:油封止のための弾性シールでミラーセルに連結されていることが分かる。この部分を、単純化したバネと梁のモデルに置き換えたのが図5.23右図である。ジャッキの上下によりアクチュエータ内部のばねが発生する力Pは、油封止用の弾性シール等によるバネ(図ではミラーセルから両端支持される梁でモデル化)を押す。この梁の弾性変形量に、左図の力センサーより上の主鏡裏面までの構造の軸方向のばね定数をかけると主鏡に加わる力が求まる。よって、力センサーの検出値Pより、主鏡に加わる力は小さくなる。これは、梁でモデル化された弾性シール等の剛性がTripod等のバネよりはるかに大きい場合の思考方法ではあるが、主鏡に加わる力が力センサー検出値より小さくなることを理解するには分かりやすい方法である。また、表5.5内の力精度も±2 N(すばる望遠鏡では±0.05 N)と大きいが、これも、上の考察によって、主鏡に加わる力誤差も縮小されるため理解できる。したがって、表5.5は、力センサーの出力位置で定義された性能と考えられる。なお、表5.4に示すように、この150式のアクチュエータを用いた主鏡の能動補正は主鏡の振動モードの16次までである。

アクチュエータの構造

アクチュエータの構造5.31)


パリ万博(1900年)出典中の125 cm屈折望遠鏡

力センサー検出値と主鏡を押す力の考察モデル

図5.23 VLTアクチュエータの構造と支持力の主鏡への伝わり方

 以上のように、発表論文5.30), 5.31)の内容からアクチュエータや能動支持システムの設計思想を読み取るのは難しいことが分かる。それ以上に、ESOが国際学会等でこれらを発表したのは1994年以降であり、すばるが主鏡支持システム構想をほぼ固めた1987年から1991年頃は、VLTの開発内容はベールに覆われており、ほとんど日本に聞こえて来なかった。よって、すばるは、独自の開発路線を歩むことになる。

(3)GEMINIの主鏡支持システム

 VLTの主鏡支持システムは、油圧パッドでpassiveに主鏡を支える方式に電動アクチュエータを組み合わせた複雑な構成となっているが、GEMINIでは、同様な設計思想の中で、より単純な構成を目指した。図5.24にGEMINIの主鏡支持システムの主鏡支持点の配置5.32)を、図5.25に主要構成図5.33)を示す。
 図5.24は、Axial 方向支持点数は120点であり、60°毎の対称配列になっていることを示す。主鏡外周におけるLateral方向の支持点数は左右、上下対称の配列で72点であり、各点から出された矢印は、支持力の大きさと方向を表すベクトルである。Axial方向、Lateral方向の支持点にはPassiveな油圧パッドを配置し、この点では、GEMINIとVLTの設計思想は同じである。GEMINIがVLTと大きく異なるのは、図5.25内に日本語で特記したように、主鏡裏面とミラーセル間に圧縮空気を封入して、主鏡質量の一部を空気圧で支えていることである。主鏡内周の穴(カセグレン穴)と外周に、それぞれ柔らかなラバーシールを設け、内部の空気圧をEl角度に対応して変え、Axial Padの支持力が主鏡質量の80%になるよう制御する。これにより、Axial Padは、全てのEl角度において主鏡質量の20%にバランスするPassiveな支持力を発生する上に、風荷重等の外力が作用した場合には、油の非圧縮性の性質によりAxial Padが支持点高さを維持するように動作する。空気圧支持と油圧Padの配管による連結イメージを図5.26に示す5.34)

図5.24 GEMINIの主鏡支持システムの支持点配置<sup>5.32)</sup>

図5.24 GEMINIの主鏡支持システムの支持点配置5.32)


図5.25  GEMINIの主鏡支持システムの主要構成<sup>5.33)</sup>

図5.25  GEMINIの主鏡支持システムの主要構成5.33)


図5.26 GEMINIの主鏡支持システムの構成概念図

図5.26 GEMINIの主鏡支持システムの構成概念図

 Axial Padは、VLTと同様に上下2層に分けられ、上部を周方向3等分(時には配管を弁で閉じて6分割)し、下部を全連結した一様な圧力として、外乱力の鏡面上の分布を測定できるようにしている点も、VLTと共通である。GEMINIは、Calar AltoのMPIA(Max Plank Institute for Astronomy)3.5 m望遠鏡に類似の支持システムを適用し、現場での運用や観測経験を経てこの方式を決定したようである。このアプローチもVLTと同様だが、4 m級の望遠鏡を持っていなかった日本にはできない確実な手法である。
 さて、外周のLateral Pad支持により発生する鏡面誤差を含め、全ての鏡面誤差はアクチュエータで修正しなければならない。この補正は、図5.26の3分割(あるいは6分割)のAxial Pad群が能動的に実施する5.33), 5.34)。Axial Pad群がそれぞれ補正力を発生する場合、1つのPad群が配管によって繋がっているため、Pad群内は油圧で同じ発生力になる。これでは、図5.7に示すZernike級数のA23, B23等の非軸対称な鏡面誤差モードの補正は可能でも、A40のような軸対称な鏡面誤差モードの補正は困難である。一方で、図5.25の丸で囲んだ部分にActive Support(アクチュエータ)が別途描かれていることもあり、真の姿は今でも不明である。表5.4に戻り、GEMINIが120式のAxial PadでZernike級数の20モードまでを補正し、VLTがより数の多い150式のアクチュエータで振動モード16次までを補正するこという仕様を見れば、GEMINIが少ないアクチュエータ数でより高次の鏡面変形を補正するという矛盾に直面する。よって、GEMINIがAxial Pad以外に、別途、能動的なアクチュエータを備えていても不思議ではない。
 表5.6に、GEMINIのAxial Padの性能をまとめる。表中の力精度は、文献によって異なるため良い方の数値である。

表5.6 GEMINIの能動支持部(Axial Pad)精度

項⽬
発⽣⼒ (N)400
⼒ストローク(N)400
⼒精度 (N)±1
⼒精度対⼒ストローク(%)0.50

(4)すばるの主鏡支持システム

 1984年から天文台主催で開催されたJNLT技術検討会では、光学、機械工学、制御工学等のエンジニアと天文学者の間で様々な議論が交わされていた。その中で、最重要視されていた開発課題が主鏡支持システムである。
 振り返れば、すばるの主鏡支持システムの開発における基本スタンスは、「主鏡支持システムによる能動補正は、主鏡を含む光学系の熱変形、研磨誤差、望遠鏡構造の変形による相対位置ずれ等により発生する波面誤差に適用し、主鏡支持システム自体の性能によって発生する鏡面誤差は、原則として補正の対象にはしない。」というものだったと思う。VLTやGEMINIの支持システムが、Lateral Support Padで主鏡外周を支えるために発生する鏡面誤差を、Axial 方向のアクチュエータで補正をすることを前提とするスタンスとは、一線を画すものであった。当時、未知の技術である能動光学に、多くを望み過ぎてはならないという日本的な鋭い感覚ではないだろうか。なお、すばるは、途中で口径を7.5 mから8.3 mに拡大したため、ここでは主として8.3 mの検討ケースを説明するが、7.5 mを使う場合にはその旨明記する。
 すばるは、当初7.5 m、厚さ20 cmの主鏡を想定し、有限要素法(FEM)による重力変形シミュレーション結果から、支持点数は390点で、厚さ方向の支持位置は板厚の中心と決定していた。板厚中心を支えるという意味は、主鏡鏡材の裏面からポケット状の穴を支持点数だけ掘るという重大な決断でもあり、鏡材にできるだけ手を加えないことを前提とした欧米とは根本的に異なる。5.2.1章に記載した経緯で口径を8.3 mに拡大する際、主鏡支持点数は最終的に264点に減らした。図5.27左は、主鏡が水平、垂直の場合のFEM計算結果であり、図5.27右の重力変形最悪ケースでの焦点像の光強度分布が、十分な精度を示している。その結果、支持点1点当たりの支持力は、El角度90°の状態でAxial方向に550 N(Lateral方向に0 N)、EL角度0°の状態でAxial方向に0 N(Lateral方向に550 N)で良いが、Axial方向には鏡面の熱変形等の補正が必要なため最大発生力は1000 N程度となる。なお、図5.27は、主鏡口径8.3 m、厚さ20 cm、支持点数264点(固定点含む)における結果である。また、各アクチュエータのAxial支持力誤差の許容値は、0.1 N(±5 gf)しか許されないことも同様なシミュレーションから分かった。

FEMによる主鏡の重力変形解析結果

FEMによる主鏡の重力変形解析結果

図5.27 主鏡の重力変形解析例(口径8.3 m、支持点数が231点+3固定点)

主鏡の重力変形による焦点像の光強度分布

図5.27 主鏡の重力変形解析例(口径8.3 m、支持点数が231点+3固定点)

 図5.28は、アクチュエータの概念図である。欧米は、油圧や空気圧を使って主鏡を支持する方法を検討中だったが、パッド部にラバーやベローズ(蛇腹構造の伸縮可能な金属の筒)が必要であり、摩擦やヒステリシス(引張時と圧縮時の変形が異なる軌跡となる)による非線形問題が発生する懸念があった。よって、すばるでは、電動ジャッキを上下させてバネを伸縮し、バネの発生力を主鏡裏面に加える徹底的な線型方式を追求した。図5.28において、主鏡が変形しやすいAxial方向には、制御をかけてジャッキを駆動して正確な力を発生させ、変形しにくいLateral方向には、従来のてこと錘によるPassiveな力を発生させるハイブリッド構造とする。この構造は、Axial方向に細長く幅をとらない形状になり、最終の264点の支持点間隔に十分収まる形状となる。しかし、このアクチュエータの実現のためには、以下のような問題を解決しなければならなかった。

図5.28 すばる望遠鏡アクチュエータの概念図

図5.28 すばる望遠鏡アクチュエータの概念図

 ① Axial方向の最大支持力1000 Nに対して0.1 Nの力精度(達成には、0.01 N程度の分解能で、ビット数では1000/0.01=100000≒17 bit)が必要だが、このレベルの力検出器はない。

 ② 主鏡に過剰な拘束を与えないように回転部や摺動部機能を備えるが、ボールベアリングやラバーでは、摩擦やヒステリシスで無視できない力誤差が発生する。

 ③ アクチュエータ数が多いために故障確率が高く、交換のための着脱は短時間で出来なければならない。

技術検討会に参加していた三菱電機は、次に示す手法で、これらの問題解決に挑戦した。
 ①の解決のため、新光電子株式会社のデジタル電子ばね秤に着目した。この電子バネばかりは、水晶発振子を経年変化の少ない金属の振動子と組み合わせ、振動子に一定の張力を与えて安定した音程を発生させる原理である。図5.29に、はかり等に使用される音叉型振動子の構造を示す。外部からの荷重がかかると、弦楽器の音調整のように振動子に加わる張力が変化して音程が変わるため、この音程を聞き分けて荷重を検出する。薬剤などの軽い質量を1 mg精度で測る秤や、100 kgの体重を0.1 kg程度の精度で測る体重計はあったが、新光電子にとっても100 kg超のストロークで変化する質量を数gの分解能、0.05 N以下の誤差で測定する技術(体重計に乗ったまま、5円玉を受け取ると目盛りが変わるほどの性能)は挑戦であった。また、1式のセンサーを微調整で性能を追い込むことは可能だが、数百式のアクチュエータ全てに安定した性能を実現するには、アクチュエータへの取付け部の工夫も必要である。実際、力センサーの音叉の振動がアクチュエータ取付け部と共振する現象が確認され5.35)、完成には、センサーとアクチュエータの試作や精度測定を繰り返し、2年を超える期間が費やされた。

図5.29 音叉型振動子の構造例

図5.29 音叉型振動子の構造例<>
(新光電子株式会社のご厚意により掲載)


 ②の対策としては、非線形な変形にならない回転や摺動を実現するため、行きと帰りの運動がほぼ同じ軌跡を描く、いわゆるヒステリシスの小さな金属の弾性変形を利用することとした。回転部には、フレックスピボットという市販の部品を用いた。図5.30左にはその外観を、右に動作原理を示す。2枚の板ばねを回転軸で交差するように接合し、2枚の板の端をそれぞれ剛体に近い円筒にそれぞれ固定すれば、回転角度は限られるものの回転部は中心軸周りに回転する。もちろん、強度を上げるため構造上の工夫は凝らされている。また、摺動部には板ばねのスライド機構や、金属板の機械加工による平行リンクを開発し、摩擦ゼロの摺動を実現した。

図5.30 金属の弾性を利用した回転部

▲▲

図5.30 金属の弾性を利用した回転部


 ③の解決には、アクチュエータの主鏡裏面やミラーセルへの取付け方法の簡素化と、着脱のための治具構想が必要だった。図5.31左に、アクチュエータを主鏡・ミラーセルに組込む作業の様子を、図5.31右に着脱用治具の動作とボルトによる結合のイメージを示す。主鏡のポケット穴内部には、低膨張金属(スーパーインバー)製のハット型金具を接着して鏡材を保護し、アクチュエータの頭部には、主鏡側のハット内径より一回り小さなスーパーインバー製のハット型金具を装備する。ミラーセルに設けたアクチュエータ用の貫通孔に、下からアクチュエータを治具で持ち上げて頭部のハット型金具を通して持ち上げ、主鏡側のハット型金具の内面に挿入する。ここは差し込んだままで、アクチュエータは下からミラーセルに対してボルトで取り付けるだけとして、挿抜の簡便化を図った。アクチュエータの支持力は、主鏡側とアクチュエータ側のハット金具のつばの接触部、及び主鏡のハット金具内面の接触部の摩擦で伝達する。アクチュエータの挿抜作業を1人の作業員が短時間で安全に実施するため、さらに、挿抜昇降治具を準備する。

図5.31 アクチュエータ挿抜時間短縮化策

図5.31 アクチュエータ挿抜時間短縮化策

 以上のような問題解決の成果を踏まえ、三菱電機と国立天文台のチームは、1987年にアクチュエータを試作し、単体の支持力精度を評価した5.36), 5.37)。図5.32に、アクチュエータの概略構造と評価試験の模様を示す。この試験では、先端に主鏡質量を模擬した錘をアクチュエータに搭載し、0°~90°のEl角度において、Axial、Lateral方向のアクチュエータ支持力と主鏡質量の釣り合いからのずれ量を測定した。その結果、アクチュエータ試作機は、0 Nから1000 Nの力変化において、Axial方向に±0.05 N (±5 gf)、Lateral方向に±0.75 N (±75 gf)の支持力精度を実現した。表5.7に、すばるのアクチュエータの性能を、VLT、GEMINIと比較する形でまとめた。表から、すばる望遠鏡のアクチュエータの力精度が2桁良く、力ストロークに対する力精度の割合も1桁良いことが分かる。このおかげで、VLT、GEMINIがSH鏡面測定装置を使用した閉ループの制御を常時行って鏡面精度を達成する前提であるのに対し、すばるでは、SH閉ループ制御なしでも1時間は鏡面精度が維持できるため5.38)、SH鏡面測定装置が使えないような特殊な状況における観測にも耐えることができる。

図5.32 アクチュエータ支持力精度の実測結果<sup>5.36)</sup>

図5.32 アクチュエータ支持力精度の実測結果5.36)


表5.7 すばる望遠鏡のアクチュエータ性能(他と比較する形態)

表5.7 すばる望遠鏡のアクチュエータ性能(他と比較する形態)

 この実験と並行して、三菱電機では、衛星通信用大型アンテナの電力放射パターン解析の経験を活かし、波動光学を用いた焦点像の光強度分布を計算するシミュレーションツールの開発を行った5.39)。FEMや実験で得られる鏡面変形を、最終の光学精度と数値で紐づけする重要な解析ツールである。Axial方向の力誤差目標値±0.05 N (5 gf)を261式のアクチュエータにランダムに与え、FEMで求めた鏡面誤差から、このツールを用いて焦点像の光強度分布を求めた例を図5.33に示す。アクチュエータのAxail方向の支持力精度の妥当性が再確認されただけでなく、焦点像のFWHMに加えて、焦点像が包含する光エネルギの直径も定量化することができた。すばる望遠鏡では、多数の機械技術者、制御技術者、光学技術者、ソフトウエア技術者、土木技術者等による詳細設計がなされたが、光の回折という物理現象によって発生する焦点像の変化と、光学系や望遠鏡構造の重力、熱、振動等による静的、動的な変形(長さや角度などの単位)間を定量的に結びつけ、各分野のエンジニアが必要な仕様に翻訳する作業において、このツールは極めて重要な役割を果たした。

鏡面誤差ゼロの場合の焦点像</sup>

アクチュエータ力誤差による主鏡変形(等高線図)

力誤差による鏡面変形の焦点像(最悪ケース)</sup>

    鏡面誤差ゼロの場合の焦点像        力誤差による鏡面変形の焦点像(最悪ケース)

焦点像が包含する光エネルギの直径との関係</sup>

焦点像が包含する光エネルギの直径との関係

図5.33 光の回折による焦点像の光強度分布の解析事例5.39)

 アクチュエータ単体の性能確認の次は、複数のアクチュエータを同時に駆動させた状態での鏡面精度確認が必要である。このため、国立天文台と三菱電機は、口径62 cm、厚さ2.1 cmのPyrex製の球面鏡、9式のアクチュエータと3式の固定点を備えた支持装置などを開発し、図5.34に示すフローに沿った実証実験を実施した。

図5.34 62 cm鏡を用いた能動光学実証実験フロー

図5.34 62 cm鏡を用いた能動光学実証実験フロー

 実証実験1では、62 cm球面鏡に白色塗装を施し、0.1 𝜇mオーダの変位測定の実績を持つアルゴンレーザー(波長0.51 𝜇m)を用いたホログラフィー法で鏡面変位の計測を行った5.40)。9式のアクチュエータに力指令値として予め計画した支持力を発生させ、ミクロン単位の変形を与えて鏡面測定し、FEMによる変形シミュレーション結果と比較した。その結果、レーザー測定系の発生する熱の影響を除けば、鏡面補正が正確になされていることが確認された。図5.35に、その試験構成と結果例を示す。

図5.35 レーザーホログラフィーによる初の鏡面補正の測定結果例<sup>5.40)</sup>

図5.35 レーザーホログラフィーによる初の鏡面補正の測定結果例5.40)

 実証実験2では、すばる望遠鏡の鏡面測定に使用を検討中だったSH鏡面測定装置の開発を行い、既存の回転台に支持装置とSH鏡面測定装置を搭載し、El角度を5°~60°変化させて、SH測定装置の測定精度や安定性、アクチュエータ同士の相互干渉の有無、9式のアクチュエータのAxial方向支持力で鏡面に与えた任意の変形を維持したままEL角度を変えた場合の鏡面変位の安定性等を評価した5.41)。図5.36に試験システムの外観と構成を、図5.37に試験結果の例を示す。この試験では、各アクチュエータのAxial支持力には力検出器の測定値を用いた閉ループ制御を行ったが、SH鏡面測定装置は鏡面変位の測定用センサーとして使用し、その測定値をフィードバックする閉ループ制御は行っていない。
 この実験から、ホログラフィー法の測定結果とSH測定装置の結果が数10 nmRMSの精度で一致することが確認され、SH測定装置の精度だけでなく、El角度変化に対する鏡面変位(RMS値)の変化も0.1 𝜇mより十分小さいこと、並びに、FEMの解析結果ともよく一致することなどが分かった。

システムの外観

試験システムの構成

図5.36 実証実験2のシステム5.41)


図5.37 EL角度変化に対する鏡面変形の安定性測定結果<sup>5.41)</sup>

図5.37 EL角度変化に対する鏡面変形の安定性測定結果5.41)

 最後の実証実験は、望遠鏡への搭載形態を想定し、SH鏡面測定装置からアクチュエータの力制御までを繋げた主鏡能動支持システム全系の性能の確認である5.41), 5.42)。アクチュエータに与える力指令値による鏡面変位の目標値と、実際にSH鏡面測定装置で測定した鏡面変位の差を、各アクチュエータの指令値にフィードバックして鏡面精度を目標値に追い込む閉ループ制御の精度と安定性の確認である。El角度は0°~90°変化させねばならないため、専用の試験タワーを製造した。また、鏡面変位の目標値とSH鏡面測定装置の検出値の差から、各アクチュエータの補正力を求めて力指令値に反映する制御ソフトウエアを開発して適用した。実験装置の外観とシステムブロック図を図5.38に、実験結果の例を図5.39に示す。
 図5.39右は、オープンループに比べ、SH鏡面測定装置の検出値をアクチュエータの力制御にフィードバック制御した場合に、全てのEl角度において0.95以上のSTRが達成され、安定な制御ができることを示す。また、図5.39左は、SHで検出すべき鏡面誤差のモード次数と鏡面を補正すべきモード次数との関係を調査した結果だが、この結果からすばるの設計指標を得ることができた。

システムの外観

システムの外観

試験システムの構成

試験システムの構成

図5.38 実証実験3のシステム5.42)


SH測定装置で検出するモード(実線)数と制御モード数(点線)の関係

SH測定装置で検出するモード(実線)数と制御モード数(点線)の関係

SH測定装置の検出値フィードバック有無の差

SH測定装置の検出値フィードバック有無の差

図5.39 実証実験3の結果例5.42)


 この実験中に、偶然ではあったが、もう1つ極めて重要な発見がなされた。夜間、鏡の温度が周囲の空気温度より高くなったことで発生する“かげろう”による鏡面精度劣化(ミラーシーイング)が測定されたことである5.43)。図5.40左は、鏡に与えた鏡面変位のA22、B22(Zernike級数の非点収差のx軸、y軸方向のモード係数(振幅:単位はnm))であり、それぞれ、27 nm、-779 nmである。この収差を制御で維持したまま、24時間、SH測定装置で鏡面変位を計測し続けた結果と周囲温度の関係を図5.40右に示す。右図の上の2つがA22、B22の値であるが、20時から翌朝の9時頃の間で大きくばらつくのが分かる。SH鏡面測定装置データから求めた焦点部のストレール強度が上から3つ目、周囲温度と鏡の温度差が上から4つ目のデータである。夜間に周囲の空気温度は下がるが、熱容量の大きい主鏡の温度変化が遅れ、主鏡が空気より2度程度高くなることでミラーシーイングが発生していた。鏡と周囲の空気の温度差によるミラーシーイングが波面誤差として定量的に測定されたのは、おそらく、この実験が世界初であろう。この成果は、すばる望遠鏡の日中の主鏡温度を、夜間の予測温度より2 ℃低く冷却する温度制御測の原点となった。

鏡面に与えた非点収差(A<sub>22</sub>、A<sub>33</sub>はZernike級数の非点収差のx、y方向の係数)

鏡面に与えた非点収差
(A22、A33はZernike級数の非点収差のx、y方向の係数)

非点収差、ストレール強度、温度差の時間変化

非点収差、ストレール強度、温度差の時間変化

図5.40 実証実験3において偶然発見されたミラーシーイング5.43)


 このような実験を経て、すばる望遠鏡のアクチュエータや制御システムは開発された。図5.41は、ミラーセルに並べられたアクチュエータと固定点の配置と主鏡部の図である。図中、3式の固定点は半径方向に摺動可能で、かつ、主鏡裏面との結合部分(△印部)で𝜃x,𝜃𝑦⽅向に回転可能な⾦属の弾性体構造になっており、主鏡に過剰な拘束を与えずに、𝑧⽅向に固定する。この固定点には、風荷重等の外部から作用する荷重を検出する荷重検出器がついており、検出した荷重をアクチュエータの支持力に分配して変形を押し戻す、固定点フィードバック制御5.44)ができるようになっている。この制御は、VLTやGEMINIが油封入のAxial Padで対応した風荷重による主鏡変形軽減策に等価な機能を果たすすばる独自の手法である。なお、アクチュエータには、それぞれ制御用の電子基板が搭載されているため、合計で2 kW級の発熱がある。この熱がドーム内に放出されるとシーイングの劣化を引き起こすため、ミラーセルは外周に断熱材を貼って内部に熱を封じ込めるとともに、アクチュエータのミラーセルへの取り付部の穴からドーム内の空気を吸い、ミラーセル内の温かい空気を隣接する制御室までダクトで輸送して遠方の外に排熱することで、シーイング劣化を抑制した。

図5.41 すばる望遠鏡のアクチュエータの配置と主鏡部の構造<sup>5.55)</sup>

図5.41 すばる望遠鏡のアクチュエータの配置と主鏡部の構造5.55)


 図5.42は、主鏡支持システム全体の制御ブロック図である。SH鏡面測定装置は、各焦点に1式搭載され、星の光を使って波面誤差を測定する。SH鏡面測定装置の検出データは、Cの光学収差算出部にてZernike級数の36次までに展開され、副鏡駆動で補正すべき低次の収差モード(2軸の傾斜成分、焦点移動成分)を取り出して副鏡駆動制御装置に指令値として与え、残りの級数をDの鏡面補正モード算出部に与える。Dでは、鏡面で補正する収差の和を算出してEに与える。Eの鏡面補正力算出部は、主鏡の振動モードの36次までで決まる剛性行列の逆行列を鏡面で補正する収差の和に乗じて各アクチュエータの補正力を求め、Bに出力する。Bは、主鏡のEl角度ごとのアクチュエータ支持力指令値をAから受け取り、かつ、Eから波面収差のフィードバック値を受け、これらを合算して各アクチュエータに力指令値として配分する。各アクチュエータは、内蔵する個別の制御装置がこの力指令を受け、アクチュエータ内部の荷重検出器により力制御の閉ループ制御を行う。SH鏡面測定装置によるこのフィードバックループは、用いる星の明るさ等級にもよるが、通常は、ドームシーイングや空の揺らぎ成分を時間平均するために1分に1回程度の速度で動く。数学的に直交する級数を用いる理由は、1つの級数で表された波面誤差を制御で修正する際に、他の級数に変化を与えてしまうと制御が発振して不安定化することから、これを避けるためである。

 A:主鏡支持力算出部(El角度の関数)
 B:各アクチュエータへの支持力指令分配部
 C:光学収差算出部
(36次までのZernike級数に展開し、副鏡駆動で修正する低次収差と鏡面補正する収差に分別)
 D:鏡面補正モード算出部
(Cの鏡面補正する収差の和を算出)
 E:鏡面補正力算出部
(Dの和に剛性逆行列をかけ、各アクチュエータ支持力の補正値を算出)

図5.42 すばる望遠鏡の主鏡支持システム制御ブロック図5.35)


5.4.4 主鏡研磨

(1)主鏡研磨設備

 口径8 m級の鏡材の研磨設備は、世界のどこにもないためゼロから準備しなければならなかった。研磨設備は、主として、研削加工機(主鏡鏡材の表裏や内外周を高速で回転するグラインダーで数10 𝜇mから0.1 mmオーダの精度で仕上げる加工機械)、研磨機(鏡材の研削面の傷の除去や、反射面を後述するラップと研磨液でこすり、数nm精度まで仕上げる加工機械)、様々な精度に対応する鏡面検査システム、20トンを超える重量物でありながらも取り扱いが極めて難しい薄いガラス製の主鏡の吊り、移動、必要に応じて反転等の装置、梱包箱などからなるが、それらの機械の開発製造はもとより、それらを収納する新しい工場の建設までもが必要であった。
 1989年、VLTがフランスのREOSC社に対して4枚の主鏡研磨を発注した後、GEMINIは、5年後の1994年にNorth、South用の2枚の主鏡研磨をREOSCに発注した。REOSCは、パリ南方、約45 kmのSaint Pierre du PERRAYにて研磨工場の建造を開始し、1992年4月に完成させた。この工場の写真と断面図5.45)を図5.43に示す。長さ35 mの光学試験用タワーを備え、1100 m2の作業スペースを持つ工場内部は空調され、干渉計を用いた光学試験時の空気の渦を軽減するとともに、内圧を高めにして外部からの塵やほこりの侵入を防ぐ。作業空間は、VLT用、GEMINI用の合計6枚の主鏡研磨の作業効率を上げるため、口径10 m、100 トンまでの鏡材と支持治具等が積載可能な2式の回転テーブルを備え、それぞれが、研削機、研磨機と組み合わされ同時運転が可能である。従って、研削用、研磨用の回転テーブルそれぞれに主鏡を支持するための支持台が必要となり、主鏡支持システムの支持数、支持位置に合わせた油圧パッドを持つ。VLTとGEMINIでは、主鏡支持のパッド位置も数も異なるが、双方とも油圧パッドによる多点指示という点では共通であることから、同じ支持パッドを用いて、作業切り替え時に組みたて直しで対応した。REOSCにおける研磨は、VLT1号機、2号機、3号機、GEMINI North、South、4号機の順番で行われた。GEMINIがVLTの主鏡研磨工程の間に潜り込んでいるのは、欧米間の国際協力のおかげと考える。

図5.43 REOSCの研磨工場<sup>5.45)</sup>

 

図5.43 REOSCの研磨工場5.45)

 すばる望遠鏡では、1992年に三菱電機から、アメリカのピッツバーグにあるContraves社に主鏡研磨が発注された。日本の光学メーカは1回しか使わない超大型研磨設備の開発は困難として見積りすら断ってきたこと、REOSCにおけるVLTとすばるの主鏡研磨期間が完全に重なること、三菱電機がISASに収めた1.3 m口径の赤外線望遠鏡の主鏡、副鏡等の研磨において企業間の協力関係も確立されていた等の理由でContravesに決まった。同社は、ピッツバーグの北部100 km程度のWampumという町に、アメリカ空軍用の直径4 m鏡を研磨した石灰岩採掘廃坑の研磨工場を持っていた。廃坑内は温度が安定しており空気の乱れが少ないため、鏡面測定に適した環境である。その廃坑の地面から、直径10 m程度の縦穴を掘って既存の横穴につなげ、縦穴を鏡面検査に使い、直下で研削と研磨を実施する。図5.44に、Wampum廃坑内の研磨工場の見取り図と研磨設備の概要を示す。図5.44左上の見取り図において、回転テーブル上で研削や研磨に使用する工具を駆動する門型アームは、廃坑の入り口方向に精密に往復駆動させることができるとともに、アーム上のレールと駆動装置によって、アーム(鏡の半径)方向に研削や研削用の工具をコンピュータ制御で動かす機能がある。図5.44右上は、鏡面研磨や鏡面検査において、主鏡をすばるの支持点と同じ位置で支持するための回転台と支持パッドである。竪穴内で回転テーブルの約30 m上にあるプラットホームには鏡面検査装置を設置し、鏡面精度の変化を測定して研磨プラン(研磨位置、領域、研磨の圧力等)に反映させた。研削や研磨作業は全て坑内で実施するが、主鏡鏡材の開梱、吊り上げ、反転、梱包出荷等の作業は、廃坑入口の外部環境で実施する。よって、坑内と坑外入口付近の作業エリア間を、主鏡やその他の備品を載せて移動する運搬台車もある。図5.44中段左は、Corningから主鏡鏡材が入着した1994年8月24日の開梱時の模様、中段右は、主鏡の裏面加工後に鏡面側加工に入る前に実施した主鏡反転作業(1996年10月頃に実施)の準備の模様である。図5.44の最下段には、主鏡反転作業を連続的に示す。図から、8 m鏡の研磨とは、研磨工程にとどまらず、他の作業を行うための巨大で特殊で精密な機械設備を駆使する、大きなプロジェクトであることが分かる。

図5.44 Contraves(Wampum)の研磨工場と入口付近の外部作業

図5.44 Contraves(Wampum)の研磨工場と入口付近の外部作業


(2)研削・研磨と鏡面検査方法

 VLT、GEMINI、すばるの主鏡、副鏡は、焦点面でできるだけ広い視野を実現するため、RC光学系を採用している。RC光学系の主鏡の鏡面形状は、以下の式で表される。下式において、𝑧は主鏡の半径𝑝の位置における鏡⾯の光軸⽅向の⾼さ、𝑟は主鏡の曲率半径、𝑏は円錐定数である。

 それぞれの主鏡のRCパラメータを表5.8に示す。前節の表5.4に示された主鏡口径と焦点比の比較においては目立たないが、GEMINIとVLTの曲率半径は共に28.8 mである。GEMINIは、REOSCでの鏡面研磨を決定するにあたり、VLTと共通の曲率半径に設定したものと推定される。曲率半径が等しいと、REOSCにおける鏡材加工の共通化に加え、鏡面検査が主鏡上の同じ位置で、同じ評価方法で行うことができるため、合計6枚の主鏡研磨の短期間化が図れる。各鏡の低コスト化につながる賢い選択だったと言えよう。なお、鏡面の球面からの高さのずれ量は、主鏡外周部が球面に接するように内面を研磨するため主鏡中心で最も大きくなり、約2 mm(すばるの場合)である。

表5.8 主鏡のRCパラメータ

主鏡パラメータ VLT 5.44) GEMINI5.44) すばる5.45)
曲率半径r(mm) 28800 28800 30000
円錐定数 b -1.0004616 -1.00376 -1.0083505

 主鏡研磨のプロセスを表5.9に示す5.45), 5.46)。表から、VLT、GEMINIでは、鏡材製造メーカが鏡面側研削、主鏡反転、アクチュエータ用金具の接着等の作業を分担し、研磨メーカは、鏡面上向きの状態で鏡面側の加工に専念したことが分かる。すばるでは、鏡材の裏面に261個のポケット穴加工が必要なため、裏面加工、反転を含む全作業を研磨メーカが実施したという差がある。

表5.9 主鏡研磨のプロセス

⼿順 作業項⽬ VLT 5.44) GEMINI 5.44) すばる5.45)
1 鏡⾯側球⾯研削、外周研削 〇(Schott) 〇(Corning)
2 反転 〇(Schott) 〇(Corning)
3 裏⾯研削、アクチュエータ⽤⾦具の裏⾯への接着 (Shott) 〇(Schott) 〇(Corning?)
4 主鏡鏡材梱包、輸送
5 鏡材受⼊検査
6 研削・研磨機へ鏡材を搭載(上に凸の状態)
7 外周・カセグレン⽳研削、裏⾯研削
8 外周研磨、カセグレン⽳研磨・裏⾯研磨
9 アクチュエータ⽤ポケット⽳研削加⼯(261か所)
10 ポケット⽳部フッ酸処理(マイクロクラック除去:261か所)
11 インバースリーブ接着(261か所)
12 研削・研磨機から吊り上げ、鏡材を表裏反転
13 主鏡⽀持治具を研磨機回転テーブル上に組み⽴て
14 研削・研磨機へ鏡材を搭載(上に凹の状態)
15 主鏡⽀持⾦具・パッド接着(裏⾯、外周)
16 カセグレン⽳、外周研削
17 所定の曲率半径で球⾯研削
18 球⾯研磨、曲率半径測定
19 ⾮球⾯研削、接触式、または⾮接触式プローブによる鏡⾯検査
20 外周⽀持パッド接着
21 ⾮球⾯研磨、ナイフシフト法による鏡⾯検査
22 ⾮球⾯研磨、⾚外⼲渉計/ヌルレンズによる鏡⾯検査
23 ⾮球⾯研磨、可視光⼲渉計、ヌルレンズによる鏡⾯検査
24 シャック・ハルトマン鏡⾯測定器によるダブルチェック検査
25 ハルトマン検査による円錐定数、曲率半径ダブルチェック検査
26 ナイフシフト法による円錐定数、曲率半径ダブルチェック検査

 表5.9において、手順8の外周、カセグレン穴、裏面の研削後に実施するそれぞれの面の研磨は、研削加工によって生じるガラス表面のマイクロクラックを除去して主鏡の長期強度を確保するための処理であり、すばるでは実施した。VLT、GEMINIでは、鏡材メーカのSchott、及びCorningが鏡面側の球面研削を行った後に、鏡材を反転させ、SchottはVLT用の主鏡支持用の金具であるWiffle Tree金具(三脚)を接着した上で、研磨メーカに向けて出荷した。GEMINI用では、支持金具等の接着の有無についての記述は見当たらなかったが、Corningにて同様に行ったものと推定される。よって、REOSCでの主鏡反転作業は必要なく、鏡面上向きの状態で鏡材を受け取り、研磨台の支持パッド状に載せて、そのまま鏡面加工を行った。すばるでは、Contravesにて、裏面の研削・研摩、カセグレン穴の研削・研磨や、261か所のポケット穴の研削加工と加工後の内面のフッ酸によるエッチング処理(研削に発生したマイクロクラック除去のため)を実施したため、VLTやGEMINIに比べ研磨工場での作業時間が長くなり、かつ、鏡面側加工に移行する前段階で主鏡の反転作業が必要だった。すばるのポケット穴研削加工の模様を図5.45に示す。なお、研削には専用の刃物(グラインダー:ダイヤモンド粒などが表面にある)を用いるが、内外周加工、表面加工用にも何種類ものグラインダーが必要だった。

図5.45 すばるの主鏡支持アクチュエータ頭部用のポケット研削加工

図5.45 すばるの主鏡支持アクチュエータ頭部用のポケット研削加工

 図5.46に、すばるの主鏡鏡面の研磨作業と使用したラップの写真を示す。

図5.46 研磨作業と研磨ラップ(すばるの場合)

図5.46 研磨作業と研磨ラップ(すばるの場合)

 図5.46右に示すように、ラップの鏡面に当たる面には、コールタール性のピッチと呼ばれる板が張り付けてあり、研磨は、このピッチを熱して柔らかくして鏡面形状に沿わせた後に開始する。広い面積を深く削り取るプロセスから、狭い領域をわずかに正確に削り取るプロセスが必要なため、大口径から小口径まで数種類のラップを準備する。また、ピッチには酸化セリウムと水からなる研磨液がラップ全面に行き渡るよう、格子状の溝が彫ってある。鏡面の研磨は、球面研磨から非球面研磨に移行する。REOSCでは、鏡材メーカが球面研削を実施したため、直接非球面研磨から始めたようである。主鏡面上の門型アームは、研磨ラップ1式を吊り下げるように支持し、コンピュータ制御でラップを駆動させ、ラップの質量で鏡面に圧力を与えて鏡面を研磨する。ラップは、上下方向には鏡面に沿って自由にスライドし、コンピュータ制御による駆動は鏡の半径方向の往復運動である。同時に、回転テーブルによって主鏡を垂直軸回りに回転させ、ラップと鏡の相対運動によって研磨を行う。研磨の際中に、鏡面の一部を万が一深く削りすぎると、その最も低い高さに合わせて全面を削り取るという時間のかかる手間が発生するため、一定期間の研磨の後に鏡面測定を行い、次の研磨計画を立てるという慎重な手順を繰り返す。研磨と測定の周期は、研磨誤差が目標値に近づくにつれて短くなり、鏡面測定方法も、精度に対応させて変える。主鏡は、3つの望遠鏡計画において支持方式が異なるため、研磨中の鏡面測定時の支持方法も、望遠鏡への実装状態を模擬する必要がある。図5.47は、REOSCの主鏡支持台、Contravesの主鏡支持台の写真である。ともに、油圧パッドを用いているが、数、間隔、支持力の精度などが違う。

図5.47 REOSCの主鏡支持台とContravesの支持台

図5.47 REOSCの主鏡支持台とContravesの支持台

 図5.48に、表5.9の手順18以降の、すばるの鏡面測定方法の流れ5.46)を示す。鏡面誤差の改善とともに検査方法も、それに見合う精度の手法に切り替え、切り替え時には、新旧の測定方法をオーバーラップさせて矛盾のないことを確認する必要があった。図中、ナイフシフト法とは、曲率中心付近で鏡面から反射して戻る焦点像を鋭利なナイフの刃(ナイフエッジ)で一部隠し、鏡面の凹凸を測定する実績のある手法である。図5.49にその原理を示す。図中、ナイフエッジで焦点を半分隠すと、ナイフで隠された側の焦点には反射光が来ないため、目には明暗の像が見える。ナイフエッジを光軸方向にずらすと、主鏡からの反射光の半径に対応して明暗位置が変わるため、その関係を測定して鏡面形状を計算する方法である。手順20の、ハルトマン検査とは、ナイフの代わりにプリズムを用いたナイフシフト法と同じ原理の検査である。一方、鏡面全面を1か所において高精度に測定する最新の方法が、レーザー干渉計である。レーザー干渉計は、出した光と反射で戻る光の光路差を利用して光の干渉縞を作り、縞を解析することで反射面の凹凸を検査する。よって、1点から出した光を1点に戻さなければならない。ヌルレンズとは、反射面が非球面なため曲率中心に戻らない反射光が1点に戻るようにするための補正レンズ系である。すばるの主鏡研磨に使用したヌルレンズの写真と、その光学パラメータを示す絵(Wampumの主席研磨技師(当時)であるマーク・ヤングが使用していたもの)を、それぞれ図5.50の左右に示す。また、表5.9は、REOSC、Contravesともに最先端の干渉計計測に追加する形で、ナイフシフト法やハルトマン検査等の実績のある、旧式な試験方法を用いて曲率半径をダブルチェックしていたことを示す。この背景には、ハッブル望遠鏡の主鏡の曲率半径が、主鏡研磨時のヌルレンズ設置ミスによって大きくずれ、1993年に、収差補正光学系をスペースシャトルで軌道に運び、宇宙飛行士の船外活動によっての取り付けられた事象5.47)(打ち上げ費用含め300億円の追加費用が発生)があった。地上設置望遠鏡ではここまでの被害にならないものの、鏡筒構造に対する改修や余分な光学調整等を避けるため、類似ミスの再発防止のために追加されたプロセスであった。

図5.48 すばるの主鏡研磨における検査ミス防止策

図5.48 すばるの主鏡研磨における検査ミス防止策


図5.49 ナイフシフト法による鏡面検査のイメージ(フーコーテストともいう)

図5.49 ナイフシフト法による鏡面検査のイメージ(フーコーテストともいう)


図5.50 すばる主鏡用のヌルレンズ(左)と研磨技師が使っていた光学パラメータメモ(右)

図5.50 すばる主鏡用のヌルレンズ(左)と研磨技師が使っていた光学パラメータメモ(右)

(3)3つの主鏡の研磨精度と評価の差

 前章に記載した通り、それぞれの望遠鏡は、主鏡支持システムを用いて研磨誤差の補正ができる。研磨精度の最終評価には、それぞれの主鏡支持システムが補正可能な次数(VLTでは主鏡振動モードの16次まで、GEMINIとすばるは、それぞれZernike級数の20次、32次まで)までを理想的に補正する(実際はアクチュエータの力誤差で若干劣化するが…)という条件で、計算機を用いた解析で精度評価を行い、合否を判定した5.45), 5.46)。表5.10にその結果を示す。( )内の表記以外は、主鏡支持システムによる理想的な研磨誤差補正の場合の研磨誤差である。表では、3つの望遠鏡計の主鏡の研磨合格判定時の精度を、全ての主鏡に対して完成時期の早い順に示した。表から、すばるの主鏡研磨は、完了時点で世界最高精度を達成したことが分かる。ここには、面白いエピソードがある。

表5.10 各望遠鏡の主鏡の研磨精度

主鏡 研磨完了時期 鏡⾯誤差(nm RMS) ストレール⽐
VLT1号機 1995年11⽉ 20.8 0.72
VLT2号機 1996年7⽉ 19.3 0.79
VLT3号機 1997年3⽉ 17.4 0.83
GEMINI北 1998年1⽉ 15.6 0.86
すばる 1998年7⽉ 12.0 0.92
(1998年8⽉セルテスト) (13.4) (0.89)
GEMINI南 1998年12⽉ 15.8 0.86
VLT4号機 1999年11⽉ 8.8 0.95

 すばるの主鏡研磨の要求精度は20 nm RMSであり、Contravesへの発注仕様に明記されていた。遅れていた主鏡研磨も、1998年の7初旬にはこの精度を切って18 nm RMSに達した。しかし、この結果に含まれていたアクチュエータ支持点部分のリップル的な研磨誤差が、惑星探査観測に影響を充与える可能性がある5.48)ということで、国立天文台から改善要求が出ていた。また、半年前に完成したREOSC のGEMINI北用の主鏡精度は15.6 nm RMSであり、このままでは世界一の精度にならないことも分かっていた。一方で、1998年末のすばるの試験観測(ファーストライト)開始の約束を履行するためには、工程的な余裕は一切ない。このような状況を踏まえ、Contraves、三菱電機、国立天文台は、1998年7月10日に、上記のリップル改善と世界最高の鏡面精度を目指した2週間の研磨継続を決定した。ただし、この継続で、万が一世界一を達成しなかった場合でも、契約上の仕様である20 nm RMSをオーバーしなければ主鏡研磨を完了するという条件付きである5.49)。その後、Contravesのプロジェクトマネージャであるスコット・スミスの陣頭指揮で昼夜3交代の研磨が継続され、1998年7月23日朝、32次までの鏡面補正を施した解析結果として、12.0 nm RMSという世界一の精度が達成された。この評価では、鏡を回転台で45°間隔で8方向の向きに回し、それぞれの位置でレーザー干渉計の鏡面測定データ200式を取得し、合計1600式のデータを平均することで、微小な空気の揺らぎの影響を消した。この精度は、14ヶ月後の1999年11月に、VLT最終号機の研磨精度8.8 nm RMSに世界一の座を譲ることとなるが、文献5.45によれば、REOSCが自社のコンピュータ制御を用いた研磨プロセスの精度限界を探るため、契約の精度達成後に数週間の研磨追加で得た結果だとされる。REOSCやVLT関係者がすばる望遠鏡の鏡面精度を意識して、世界一を狙ったかどうかは分からないが…。VLTとGEMINIは、表5.10の研磨精度の達成後そのまま主鏡を出荷したようであるが、VLTの初号機に関しては、5.5章の試験調整・ファーストライトにて、再度述べる。
 すばるでは、主鏡研磨の合格判定後、日本から輸送したミラーセルとアクチュエータに主鏡を搭載し、主鏡支持システムの制御系から能動補正を行い、研磨時に使用したレーザー干渉計系を用いて鏡面測定する、「セルテスト」と呼ぶ工程を実践した。これは、1992年のContravesへの発注仕様に予め含まれた工程である。このため、ミラーセル、アクチュエータ、制御装置は、主鏡研磨の完了見込みが得られた1998年の6月にWampumに輸送され、入着していた。セルテストの準備のため、研磨台から吊り上げられる主鏡と、廃坑の入口外の作業場でミラーセルへの乗せ換えのため空中を移動中の主鏡の写真を図5.51に示す。主鏡は、門型クレーンのアームに吊られた6式の真空パッドを持つ主鏡吊り治具を使って、研磨台から搬送台車に乗せ換え、廃坑外に運び出した。廃坑入口では、門型クレーンで移動台車から再度主鏡を吊り、門型クレーンをミラーセル方向に移動させ、吊り下げてアクチュエータに装着するという作業を行った。事前に、日本から送り込んだダミー主鏡(金属製)を用いたテストランを行い、機材の運転や手順を確認した上で実施した作業だが、鏡材の製造開始から7年もの歳月を経て完成した、直径8.3 m、22トンを超える貴重な主鏡の取り扱いの緊張感が、写真から少しでも伝われば幸いである。主鏡裏面のポケット穴の低膨張金属ハット261式に、アクチュエータの頭部が差し込まれ、3式の固定点でミラーセルに位置決めした後、62.5トンの主鏡部は、再び吊り上げられ、搬送台車で坑内に移動し、回転テーブル上に戻された。

図5.51 廃坑入口でのセルテスト準備作業

図5.51 廃坑入口でのセルテスト準備作業

 図5.52左は、回転テーブル上に戻ったセルテスト時の主鏡部である。主鏡は、鏡面のアルミ蒸着を施していないために透けて見える。図5.52右は、1988年8月26日、制御部からの能動支持により、Zenike 32次までの研磨誤差の補正を施し、波長0.6328 µmのレーザー干渉計によって取得された鏡面誤差のマップである5.48)。鏡面誤差は13.4 nm RMS、波長0.5 µmにおけるストレール比は0.89、直径0.1秒角の焦点直径内に含まれる光エネルギは89%であることが確認された。この時点で、主鏡をマウナケア山頂で望遠鏡に搭載すれば、世界最高の星像の分解能を達成するという確信を得て、ハワイ島への出荷プロセスに移行した。しかし、巨大な望遠鏡の光軸調整やファーストライトという未経験の作業のために、余裕をもって設定した研磨の契約上の完成期限、1997年3月9日(絶対に忘れないようにと決めた筆者の誕生日)から1年以上の遅れとなり、1998年12月末に実施予定のファーストライトまで、たった4ヶ月しか残されていなかった。

図5.52 セルテスト時の主鏡(左)と可視干渉計による能動補正後の鏡面精度(右)

図5.52 セルテスト時の主鏡(左)と可視干渉計による能動補正後の鏡面精度(右)


 表5.10の( )付きの数字は、もう1つ重要な情報を含む。すばるの研磨終了時の鏡面誤差12.0 nm RMSは、能動支持による補正残差がゼロの数値であり、セルテスト結果の13.4 nm RMSは能動支持制御の補正残差を含んだ数値である。この差から、すばるの主鏡支持システムの実力∆𝜎mが、下式によって6.0 nm RMSであることが分かる。𝜎m、𝜎sは、それぞれ、すばるの主鏡研磨完了時の鏡面誤差、セルテスト結果の鏡面誤差である。能動補正誤差の設計目標値は15 nm RMSであったため、目標を十分に満足したことが確認された。


 1998年9月17日、すばるの主鏡は、アクチュエータ、主鏡セル、制御装置とともに、Wampumから出荷された。図5.53は、輸送中の写真である。これらは、オハイオ川、ミシシッピー川を下ってニューオーリンズ港に到着し、ここでサトウキビ輸送船「モクパフ号」に積み替え、パナマ運河経由で、ハワイのホノルル港に11月2日に到着した。ホノルル港で、ハワイ島カワイハエ港行きのバージに積み替え、11月4日早朝に、ついにハワイ島に到着した。1998年内のファーストライト期日までは、残り2ヶ月もない…。

ホノルル港でハワイ島へ向かうバージに積み替えた主鏡
(手前のトレーラ上)とミラーセル(後ろの白い箱)

マウナケア山頂に向かう主鏡(手前のトラクタで引張り、トレーラの後ろに隠れているもう1台のトラクタで押して、空気の薄い4000 mの山を登りきる)

図5.53 主鏡、主鏡セルの輸送シーン


5.4.5 主鏡コーティング

(1)コーティング方法選択と開発要素

 3つの望遠鏡の主鏡コーティング方法の選択肢には、スパッタリングと真空蒸着の2つがあった。
 図5.54左は、スパッタリングの原理を示す。スパッタリングとは、真空容器内を真空に引き、アルゴンなどの不活性ガスを導入し、成膜材料を収納するスパッタリング源側をマイナスの電位に、被コーティング材(鏡面)側をプラスの電位にして、この間に高電圧を加える。すると、アルゴンがプラズマ化して陽イオンと自由電子に分かれるが、この陽イオンがマイナスの電荷をもつ成膜材料に高速でぶつかることから、成膜材料の原子や分子がたたき出され、被コーティング材表面に粒子が堆積して薄膜の反射面ができる方法である。この成膜材料の裏側にマグネットを並べ、磁力で不活性ガスのプラズマ化をさらに促進させ、磁界の強い部分の成膜材料に陽イオンを衝突させることで効率を上げる方法が、マグネトロンスパッタリングと呼ばれる。この方法は、スパッタリング源と鏡面の距離が短いため真空容器を小型化が可能であり、成膜材料の鏡面への付着強度が高い上に、合金や化合物などの材料にも対応可能、膜厚制御が時間で調整可能などのメリットがあり、主に半導体などの小型部品のコーティングに使用されている。従って、8 m口径の主鏡のコーティングに用いるには極端な大型化が必要なだけでなく、高価なスパッタリング用電源の数を増やさずに、広い鏡面に均一に成膜するための開発が必須である。VLTは、英国が1980年代に実施したWHT(William Hershel Telescope)4.2 mの改造時に、それまでの真空蒸着装置をスパッタリング方式に変えた経験を踏まえ、GEMINIは1960年代にアリゾナKitt Peak 2.1 m望遠鏡に当方式を適用した実績を持って、共にスパッタリング方式を選定した。コーティング材としては、VLTはアルミ5.50)を、GEMINIはアルミより特に短波長における反射率特性の良い銀を選択した5.51)。銀コーティングは、望遠鏡に搭載中の腐食によって反射面が黒ずむため、酸化保護膜の追加が望ましい。望遠鏡の主鏡に酸化保護膜付き銀コーティングを適用するという挑戦を選択したGEMINIでは、保護膜の性能持続期間、再コーティング時の保護膜除去方法など、新しい課題の解決が必要だったものと推定する。

抵抗加熱式真空蒸着

抵抗加熱式真空蒸着

図5.54 スパッタリングと抵抗加熱式の真空蒸着の原理

 真空蒸着は、望遠鏡では多くの実績のある成膜技術であり、真空容器内を高い真空に保ち、金属などの成膜材料を加熱して融解させた後に蒸発させ、鏡面に衝突させることによって反射膜を形成する方法である。図5.54右に抵抗加熱式真空蒸着の原理を示す。アルミ反射膜を前提に考えていたすばるでは、事前実験でスパッタリングの反射率が真空蒸着に比べて優るものでないことを確認していた5.52)こと、岡山観測所で培った長年のアルミの真空蒸着経験が活かせる等の事由から、タングステンフィラメントからアルミニウムを蒸発させる抵抗加熱式真空蒸着を採用した。真空蒸着は、成膜速度が大きく高純度の成膜が可能というメリットがある一方、蒸発の前段階で成膜材料が融解して鏡面上に落下する可能性があるため、小型の蒸着装置では、成膜材料の蒸発源を下に置き上向きに蒸着する。岡山観測所では、複数のタングステンフィラメントにアルミクリップをかけた蒸着源を垂直に立て、主鏡を立てて水平方向に蒸着を行って蒸着装置の高さを抑えた。図5.55は、1986年に国立天文台が紹介したJNLTの主鏡蒸着装置概念図5.53)であり、岡山方式の延長線を考えていた様子が伺える。しかし、薄メニスカス主鏡は、ハンドリング時の主鏡の安全確保が最優先であり、鏡面上向きの状態で上から蒸着する形態が望ましい。このため、すばるでは、溶解したアルミの鏡面への落下防止策の実現や、ドーム内の限られたスペースに収納するための小型化に向けた開発を開始した。

図5.55 すばる望遠鏡の真空蒸着装置の最初の構想図<sup>5.53)</sup>

図5.55 すばる望遠鏡の真空蒸着装置の最初の構想図5.53)


(2)主鏡コーティングに必要な他の作業と設備

 主鏡コーティング装置は、研磨完了後だけでなく、観測中の反射面の酸化による反射率低下の発生後に再コーティングを行う。主鏡は大きすぎて観測所から移動させるのは非現実的なため、コーティング作業は全て観測所内で実施する。よって、観測所は、主鏡の望遠鏡への着脱、コーティング材の除去や主鏡洗浄を含む全作業ができる空間と設備を備えなければならない。図5.56上にすばる望遠鏡の1階部分(ドーム下部構造)における設備の配置と各設備の主な機能、図5.56下に作業シーンの例を示す。

 A:主鏡真空蒸着部
固定の真空ポンプを備えた上部真空槽、移動台車付きの下部真空槽からなる真空蒸着装置を設置し、コーティングを行う場所。
 B:主鏡ハンドリング部
固定の門型フレーム、クレーン、主鏡吊治具からなる主鏡ハンドリング装置を備え、主鏡を吊りアクチュエータに着脱する場所。通常は、主鏡セル台車を直下に収納。
 C:主鏡洗浄部
固定の門型フレーム、水平回転アーム等を備えた主鏡洗浄装置を設置し、アームから純水、アルコール、酸性液(アルミ除去)、中和液等を散布し、主鏡を洗浄する場所。
 D:主鏡運搬台車保管部
円弧上のレール上を移動して10 mハッチ下でドームの80トンクレーンでドーム上部に吊り上げられ、主鏡セルの鏡筒への着脱や運搬、主鏡セルを搭載したままドーム下部への吊り降ろしを行う主鏡運搬台車を収納する場所。
10 mハッチ下
望遠鏡観測床レベルと1階床レベルの間を、主鏡を搭載した主鏡部を80トンクレーンで昇降させる場所。主鏡部昇降には主鏡部吊治具を使用。

ドーム下部構造1 Fの設備配置(三菱電機提供)

ドーム下部構造1 Fの設備と主な機能

B部の主鏡ハンドリング装置の作業

B部の主鏡ハンドリング装置の作業
(梱包箱下部からの主鏡吊り上げ、最下部の部分はセル台車)

C部の主鏡洗浄装置の作業

C部の主鏡洗浄装置の作業
(洗浄後の鏡面ふき取り、最下部黄色の部分は真空蒸着装置下釜)

図5.56 すばる望遠鏡の主鏡コーティング支援設備(ドーム下部)

 観測所に到着したすばるの主鏡にアルミコーティングを施す作業の概略手順を、図5.56を用いて説明する。主鏡運搬台車は既に吊りあげられて、主鏡の無い主鏡セルを搭載した状態でドーム上部の観測床上にある。

①主鏡梱包箱をトレーラに乗せたままバックで大型搬入口から10 mハッチ下に入れ、ドーム上部から80トンクレーンのフックを降ろし、梱包箱をワイヤーでフックに固定する。

②梱包箱を吊り上げ、トレーラを外に出した後、B位置から主鏡セル台車を10 mハッチ下に移動させ、梱包箱を載せる。

③80トンクレーンで梱包箱の上蓋を吊り上げ、主鏡が上から見える状態の梱包箱が載る主鏡セル台車をB位置に移動させ、上蓋を搬出する。

④B位置で、主鏡ハンドリング装置の吊り治具を下ろして、主鏡内外周のフックで主鏡を固定した後、主鏡を吊り上げて梱包箱から出す。主鏡は吊ったまま保持する。

⑤主鏡セル台車を10 mハッチ下に移動させ、空になった梱包箱をクレーンで吊り上げて、主鏡セル台車をD位置に移動させる。梱包箱は、トレーラに乗せ換えて搬出する。

⑥A位置で真空蒸着装置の下部真空槽を分離し、内蔵の台車で下部真空槽をB位置に移動させ、主鏡ハンドリング装置で吊られた主鏡を降ろして、下部真空槽内の主鏡支持部に主鏡を搭載する。

⑦下部真空槽をそのままC位置に移動させ、液体が主鏡裏面にかからないような養生を行った上で、洗浄装置を運転し、洗浄アームを回転させながら水や溶液を主鏡面にかけて洗浄する。

⑧主鏡の洗浄後、主鏡面をふき取り乾燥させた上で養生を外し、下部蒸着層をA位置に移動させ、上部真空槽と合体させる。

⑨蒸着層内部を真空引きして一定の真空度に達した後、アルミを主鏡に蒸着する。その後、外気圧に戻して下部真空槽を上部真空槽から分離させ、下部真空槽をB位置に移動させる。主鏡ハンドリング装置で主鏡を下部真空槽から吊り上げて保持し、下部真空槽をA位置に戻す。

⑩ドーム上部観測床の10 mハッチを閉じ、観測床上の主鏡セル運搬台車を10 mハッチ上に移動させ、80トンクレーンで吊り上げ、保持する。その後、10 mハッチを開けて、主鏡セルを搭載したままの主鏡運搬台車をドーム下部の1階に吊り降ろし、レール上に載せる。

⑪主鏡運搬台車をB位置に移動させた後、主鏡ハンドリング装置で主鏡を降ろし、主鏡裏面の261個のポケット穴にアクチュエータ頭部を挿入し、3つの固定点でボルト結合した上で、ハンドリング装置の吊り治具を主鏡から外して吊り上げる。

⑫80トンクレーンのフックに取り付けた主鏡セル吊り治具を10 mハッチ下に吊り降ろし、主鏡セルを載せた主鏡運搬台車を10 mハッチ下に移動させ、主鏡セル吊治具に主鏡運搬台車を固定する。その後、80 トンクレーンで、主鏡セルを載せた主鏡運搬台車をドーム上部に吊り上げて保持する。

⑬10 mハッチを閉じ、ハッチ上に主鏡運搬台車を吊り下ろして乗せ、主鏡運搬台車をドーム上部の観測床上で鏡筒下に移動させる。主鏡運搬台車に内蔵される昇降装置を用いて主鏡セルを持ち上げ、鏡筒に主鏡セルを取り付ける。

⑭ドーム下部構造1階で、主鏡セル台車をB位置に移動させて収納し、空になった主鏡運搬台車を逆ルート、逆手順でドーム下部構造1階に吊り下げ、Dの収納位置に移動させて収納する。

 以上のように、主鏡のコーティングには重量物の移動や口径8 mを超える薄型主鏡のハンドリングという危険で複雑な作業が必要であり、定期的な主鏡コーティング作業は、現地作業員にとって、気を使う大変なイベントとなる。VLT、GEMINIでも類似の手順で主鏡コーティングを実施したものと考えるが、様々な設備の個々の役割分担や配置は、ドームの重要な設計対象の1つである。

(3)3つのコーティング装置の実現

 VLTとGEMINIのコーティング装置は、真空容器内で、複数のマグネトロンスパッタリング源を主鏡の半径方向に下向きに装備したアームを、上向きの主鏡鏡面の数10 cm上で真空容器内壁に固定し、主鏡を真空層内で垂直軸回りに360°回転させる方法で、広い鏡面のコーティングを可能にした。この構造を示す外観写真と断面図を図5.57に示す5.50), 5.54)。図のように、真空槽の高さはVLTで約4 m、GEMINIで約6 mと、直径約9 mに対して低く抑えられている。
 双方の真空槽は、図中の上下分離位置で2つに分離され、下部真空槽にAz周りに回転駆動する主鏡の支持枠が収納してある。VLTでは、上部真空槽が床から門型フレームで固定され、下部真空槽用台車に備えたジャッキが下部真空槽を上下動させて、上部真空槽との合体や分離を行う。GEMINIでは、逆に上部真空槽が床からジャッキで上下することで、台車に乗って高さ固定の下部真空槽と合体・分離する構造のようである。

VLTコーティング装置外観

VLTコーティング装置外観

GEMINIコーティング装置外観

GEMINIコーティング装置外観

図5.57 VLTとGEMINIのコーティング装置<sup>5.50, 5.54)</sup>

図5.57 VLTとGEMINIのコーティング装置5.50, 5.54)

 抵抗加熱式の真空蒸着方式を選択したすばるのコーティング装置(真空蒸着装置)の外観と内部模式図を図5.58に示す。真空蒸着装置は、三菱電機から、アメリカ・ボストン市郊外にあるProcess Systems International社(PSI)に発注された。すばるでは、真空槽内で、主鏡上で約4 m高さに、タングステンのフィラメント288本を複数の異なる半径上に並べ(図5.58下)、上部真空槽(上釜)内壁から固定した。真空層内部を真空引きした後、アルミクリップが複数をかけられたフィラメントを加熱する。加熱によって溶解し、蒸発するアルミの蒸発流は全方向に飛散する為、フィラメントの直下に、穴を複数設けた蒸発流制御板を設置して蒸発流の量と方向を制御し、鏡面上で複数の蒸発流を重ねて均一な膜厚を作る方法とした。真空蒸着装置の高さは7.5 m程度とGEMINIより一回り大きくなったが、主鏡横向きの計画よりはるかに小型になり、ドーム下部構造の中に収納可能となった。

シアトルで仮組立中の外観写真

シアトルで仮組立中の外観写真(筆者が撮影)

ドーム内設置後の外観写真

ドーム内設置後の外観写真

図5.58 すばるの真空蒸着装置

図5.58 すばるの真空蒸着装置

 真空槽の鋼板溶接作業はアメリカのシアトルで行い、1996年の夏、真空蒸着装置の仮組み立てと真空試験もシアトルで行った。その結果、大気圧から10-6 torrの真空度達成までの仕様である4時間に対し、約24時間かかることが分かった。この原因は、飽和水蒸気圧という簡単な物理法則で解明した。シアトルの夏の1気圧、30 ℃の大気が含む水分は、マウナケアの0.6気圧、気温0 ℃の大気が含む水分よりはるかに多い。これを計算し、シアトルの夏の状態のまま真空引きをした場合の10-6 torrまでの到達時間は、マウナケアより一桁長くなることが分かった。よって、予め真空層内部に乾燥空気を入れてマウナケアの条件に相当する水分包含量に調整した状態で真空引きを開始することにした。再試験の結果、仕様値が満足されることが確認され、真空蒸着装置は、同年10月にシアトルから出荷された。輸送は、主鏡輸送を後年担当する日本通運がマウナケ山頂へのテストランの目的を兼ねて実施した。マウナケア山への輸送シーンを図5.59に示す。

図5.59 すばるの真空蒸着装置の輸送シーン

図5.59 すばるの真空蒸着装置の輸送シーン

 すばるでは、主鏡用蒸着装置のプロトタイプとして、大型真空蒸着装置と同じ鏡面上向きでアルミ蒸着するPSI製の中型真空著蒸着装置を、1.5 m赤外線望遠鏡用に三鷹に設置し、運用を行っていた。この蒸着装置のフィラメント形状や加熱方法は、岡山観測所の経験を生かした微調整で決定し、1995年に既に成功を収めていた。従って、すばる用の大型蒸着装置の設計には一定の自信を持っていた。ところが、1996年12月からマウナケア山頂で実施した蒸着試験において、フィラメント加熱中にアルミが落下する現象や、アルミ蒸発中の火花の発生など、中型真空装置では見られなかった問題が発生した。フィラメント形状、アルミクリップのフィラメントへの搭載位置や数、加熱するための電圧パターンなど、多くのパラメータを変えた蒸着実験を山頂で行い、3ヶ月の時間を費やしたが解決には至らない。その状況を打破したのが、フィラメントのプリウェット(Pre-wet:予め濡らす)というアイデア5.55)であり、三菱電機が提案した。中型真空蒸着装置を用いて、真空中でフィラメントにアルミクリップを溶かしつけ、各フィラメントの質量増加を0.1 mgの精度で測定し、合格したフィラメントだけをハワイに輸送して蒸着に使用するという方法である。この方法はアルミクリップがフィラメントから落ちる現象は解決できるが、プリウェットフィラメントの輸送中にアルミが大気中で酸化して蒸着後の反射率が低下する可能性があるとして、国立天文台から反対の声が上がった。プリウェットフィラメントを用いた蒸着試験を中型蒸着装置で行い、反射率に問題がないことを確認した上で採択可否を決めることになった。この評価は1997年春に行われ、反射率低下は確認されなかったことから、採用が決まった。その後は、蒸着流の速度と蒸着膜厚均一性の確保や、蒸発中の火花発生の防止のためのプリウェットフィラメントへの印加電圧パターンを含む制御パラメータ最適化のため、三鷹の中型蒸着装置を用いた実験と現地の大型蒸着装置における微調整が、国立天文台助手(当時)の林左絵子、野口猛(故人)らがけん引する天文台チームと三菱電機の共同体制で繰り返され、約1年後にすばるの大型真空蒸着装置が完成した。その後も、プリウェットフィラメント生産用の小型真空槽導入や輸送中の酸化防止のための乾燥材選定などの工夫が国立天文台でなされ5.56)、すばるのコーティング装置は万全の態勢で、1998年11月5日の主鏡到着を待った。
 完成したVLT、GEMINI、すばるの3つのコーティング装置の性能を表5.11に、反射率の測定結果を図5.60に示す。表中、GEMINI初号機のコーティング材質(現在は4層コーティングに変更された模様5.54))を明記した資料が見当たらなかったため、開発段階の論文から抜粋したものである。図5.60では、すばるの反射率測定結果にVLT、GEMINIのグラフを重ねて表示した。3つの異なる手法で実現されたコーティングであるが、それぞれ、銀とアルミニウムの反射率の特性を十分に活かす反射率特性となっている。なお、VLTのスパッタリングでは、スパッタリング開始と終了のオーバーラップ部分が、800 nm以下の波長で大きな反射率低下を示している。この面積は全体から見れば僅かであるだけでなく、副鏡を支持するスパイダ部の影にオーバーラップ部が重なるようにして、影響を減らしたものと推定する。

表5.11 各コーティング装置の性能比較

項目 VLT GEMINI すばる
薄膜形成方式 スパッタリング スパッタリング 真空蒸着
コーティング材質
コーティング層厚さ Å
アルミニウム

800
保護膜付き銀
アルミニウム

700~1300
膜厚均一性 %以内 ±5% ±5% ±5%
真空層サイズ
直径m×高さm
9×6 9×4 9.5×8
真空層内容量 m3 122 150 300
真空度 torr 10-6 10-6 10-6
反射率 %以上/波長 nm 90/530 88/300~700 91/500
成膜速度 Å/秒以上 50 (1 LINE) 不明 10 (全面)

図5.60 各コーティング装置による主鏡反射率(分光特性)

図5.60 各コーティング装置による主鏡反射率(分光特性)


5.4.6 ドーム

(1)ドーム形状とシーイングとの関係

 望遠鏡を雨から守り、観測中に風でゆすられることを軽減する目的で、半球状のドームがビルの上に設置されている姿は良く目にする。ところが、このドームがシーイングを悪化させる可能性が、1970年代末頃になって分かって来た5.57)。設置場所のシーイング性能の重要性は既に説明した通りだが、ドームそのものが望遠鏡の分解能に影響を与えるというのは、当時としては比較的新しい概念であった。オーストラリアのアングロ・オーストラリアン3.9 m望遠鏡(AAT:架台構造と制御装置は三菱電機製)では、ドームの内部空気と外気の温度差が1°あると、約0.5 秒角の分解能が劣化することや、ドームの内圧を上げて観測開口から内部空気を押し出す方が、外部より吸い込む場合より、シーイングが改善することなどを実験で確認していた5.58)。一方、1980年代半ばに建設されたアメリカのMMT(Multi-Mirror Telescope)やESOのNTT(New Technology Telescope)のドームは、望遠鏡に対してぎりぎりまで小さくしてコストを下げるため、図5.61に示すような角張った形状にしたが、観測中に、望遠鏡の前面や後面をフルに開けることで、比較的良いシーイング性能を実現したことが分かって来た。フルに開けた開口部から入る風が、ドームや、主鏡、望遠鏡構造から発生する「かげろう」を吹飛ばすことでシーイングが改善するのではないかという考え方を世界中が持ち始めた。望遠鏡を収納して守る、単なる建物だったドームが、科学や技術の目で見直される時代が到来した。なお、筆者が調査した範囲では、望遠鏡の技術に関する世界最大の学会である、SPIE(International Society of Optics and Photonics)で1980年から1990年に発表された論文には、ドームの熱解析とシーイングを関係付ける論文は、ほとんどない。

出典:Dan Blanco, et., al, The New MMT, 2004, Proc, SPIE, .1117/12.551963 (2023年10月10日閲覧)

出典:ttps://www.eso.org/public/images/eso0912 b/
(2023年10月10日閲覧)

図5.61 米・MMT(左)と欧・NTT(右)のドーム


VLTドーム構想(1986年代)

VLTドーム構想(1986年代)5.59)

GEMINI構想(1993年代)<

GEMINI構想(1993年代)5.60)

図5.62 VLT、GEMINI、すばるの初期ドーム構想(数値は概略値)

すばるドーム構想(1988年代)5.61)

図5.62 VLT、GEMINI、すばるの初期ドーム構想(数値は概略値)

 1980年代後半のVLT、すばるの「初期の検討段階」におけるドーム構想と、1993年のGEMINIの構想を、図5.62に示す5.59), 5.60), 5.61)。当時のドームシーイングに対する理解の進化を探るため、初期構想から完成時のドーム形状がどのように変化したかを、その設計思想や背景を含め、後段で望遠鏡ごとに紹介する。なお、ドームとは本来、半球状の構造物を指すが、形状が多少変わってもそのままドームという呼称を使って本論を展開する。

(2)3つのドームの初期構想

 図5.62において、3つのドームの初期構想は、全て、半球形状を踏襲していることが分かる。これは、角張った構造が作る渦によるシーイング劣化を意識してのことであろう。また、積極的に外の風を利用し、望遠鏡やドームから発生するかげろうを吹飛ばす点も似ており、図5.61のドームの良い点を取り込んでいる。また、望遠鏡が発生する数kW級の発熱を水冷や空冷を使って遠方に廃熱し、日中はドームの内部空間を観測時の外気温度に保つよう空調をかけ、地表との熱交換で乱れた風の影響の軽減のために主鏡を地面から高い位置に搭載する点も共通であり、ここには、長年のドームの経験が活かされている。それぞれに異なる点について、以下、初期構想の特徴を含めて望遠鏡ごとに説明する。
• VLT
 長径38 m、短径36 m程度の樹脂膜製の楕円体を円形断面で2分割して床上に凸状態で設置し、垂直方向に2分割して開閉させ、観測時には望遠鏡上部を完全開放してむき出しにする、開閉テント式ドーム構造である。日中は閉じて内部を空調・与圧して、強度を保つ。図5.63は、1987年にオランダで製造された直径15 mの試作機であり5.62)、構造全体のイメージが分かる。ドームを開けた状態で望遠鏡はむき出しになるため、ドームのAz回転は不要になる。また、望遠鏡は風に曝されるため、ドームシーイングは解消するという常識を覆す構想であり、世界中が驚いた。図5.62の左上において、偏西風の風向がほとんど一定な性質を使用し、風上に固定のWindscreenを設け、開口率をかえることで風の速度を制御する。このドームは45トン~60トンの質量で、従来に比べ1/10程度の軽量化と低コスト化が可能である。ただし、図5.63左には、テント開閉のためのガイドとなるアーチ状のトラス構造が2本見えているため、このままでは、観測の邪魔になる。よって、このアーチも倒さねばならないことから、構造的には実現が難しかったのではと思う。

 

 

出典:https://www.eso.org/sci/publications/messenger/archive/no.50-dec87/messenger-no50-32-32.pdf
(2023年9月5日閲覧)

図5.63 VLTの初期ドーム構想における試作機(1987年)


 架台は地面から立ち上げた直径16 mの柱(コンクリートピア)の上に敷く円形のレール上でAz回転駆動を行う。床(図ではService Platform)の下に固定される架台の筒状の覆い(図示なし)は、底でコンクリートピア部に固定され、内部に架台部分が収納される。この覆いの外周には開閉型の通気口があり、観測時に開けて風を取り入れ架台にできるかげろうを吹飛ばすという設計思想である。なお、El軸の高さは、25 mである。複数の主鏡の蒸着等の作業を行う建物は、別の場所に施設棟として設け、ドームを最小化する。
• すばる
 1988年に、国立天文台のJNLT推進室は、VLT、AAT、University of Arizona等の世界の大型望遠鏡計画をけん引する専門家を集め、東京で“International Symposium on Large Telescoops”を開催し、すばる望遠鏡計画の検討状況を世界に紹介した。JNLT計画の全容、光学系、望遠鏡構造、主鏡支持、ドーム、観測機器等、ほぼend-to-endに渡る内容が世界に発信された最初の機会である。このシンポジウムで発表された国内外の巨大望遠鏡開発に関する最先端の情報は、T.Kogure and A.T.Tokunagaによって編集され、“Japanese National Large Telescope and Related Engineering Developments”(1989年、KLUWER ACADEMIC PUBLISHERS)として発刊されている。
 その中で、JNLTのドームについては、図5.62下段のドーム構想がどの程度のドームシーイング性能を示すか、単純な熱解析を用いて定量的に検討した例5.61)を紹介した。図5.64にその解析モデルと結果を示す。

図5.64 すばる望遠鏡のドーム熱解析例(1989年代:外風速7.5 m/秒)

図5.64 すばる望遠鏡のドーム熱解析例(1989年代:外風速7.5 m/秒)

 図中、上段に示す解析モデルは、日中と夜間観測時ごとに作り、前者は、ドームを閉じて空調で内部温度を夜間の平均気温に保ちつつ太陽熱の吸収と外気との対流・放射で熱交換するモデル、後者は、観測口と通風孔を開けて風速を2 m/秒に抑えた風を内部に取り込みつつ外気との対流・放射で熱交換するモデルである。単純化のため、各要素は、平均温度を持つ1つの熱容量と面積を持つノードとして扱い、各温度の時間変化を計算する。各ノードの比熱を、𝐶𝑝、質量を𝑊、温度を𝑇、熱量の⼊出の差を Q、時間を𝑡とすると、以下の式が成⽴する。式の中で、𝑗は、各要素を⽰す番号である。
 
 この式を用いて、鋼板に白色(TiO2を含む)塗装を施した典型的なドームの外壁と、アルミニウムの外壁に対して計算した結果が、図5.64中段左、右である。この結果から、白色塗装を施した鉄板は、観測時に2 ℃程度外気温より下がって観測光路を空気の渦が通過する際にシーイングを劣化させる可能性があること、及び、アルミ外壁は、日中は大きく温度が上がるが観測時にはすぐに外気温と同じ温度になり、ドームシーイングを抑える可能性があることなどが示された。この差は、白色塗装の高い熱放射率とアルミの低い放射率によって発生する、夜間の放射冷却の差であることが定量的に分かった。さらに、AATの実験結果5.58)を利用してドームシーイング劣化量を推定した結果が図5.64下段である。この報告は、ドーム構造を設計するための熱解析的なアプローチの必要性とドームシーイングの予測可能性を示唆した事例として、シンポジウムにて多くの反響を受けた5.63)
 この解析等によって決めたすばるの初期ドーム構想は、20 cm程度の断熱材を内部に施す半球ドーム壁の外側に、通風用の隙間を持たせたアルミ外壁を備える2重構造であり、直径40 m、高さ50 m、El軸高さは25 m程度の規模である。ドームに多数の通風孔を設け、外風速に応じて開口面積を制御してドーム内風速を2 m/秒程度に抑え、ドームの床下にも空間を設けて通風して床温度も外気温になじませる工夫を行っている5.64)。望遠鏡を含むドームの内部空間を、観測開始後、外気を利用してすぐに均一温度化させる構想である。
 ドーム固定側の下部構造内には、真空蒸着装置等の保守設備を収納する空間を設け、100 m程度離れた位置に建設する制御棟内に制御機器、計算機、望遠鏡オペレータや観測者等の「発熱源」を全て隔離し、ドーム内の発熱源を極力排除し、望遠鏡駆動部やアクチュエータ等からのドーム内発熱量は、熱輸送して制御棟の横で外に廃棄する。望遠鏡構造は、表面を熱容量が小さく熱放射率の小さな薄いアルミ板で覆った断熱材で囲み、表層の温度を内部の風の温度に確実に一致させる。この方法は、シーイング以外の効果もあることから、望遠鏡構造の章にて再度述べる。

• GEMINI
 GEMINIは、直径50 m、高さ50 mの半球形状のドーム構造であり、ドームの側面に大きな通気孔を設け、観測中には風を取り込み、ドームや望遠鏡構造、主鏡のかげろうを飛ばす方式である。観測口は、上下2式のシャッターの上下駆動で開口面積を調整し、強風時にはぎりぎりまで小さくしてドーム内風速を制御する。さらに、大型の吸気ファンを1式設けて、無風時にはドーム内の空気を1時間に10回換気する。なお、望遠鏡のEl軸の高さは約20 mである。この構想を反映した熱解析事例が、すばるの構想報告の5年度の1994年に紹介されている。図5.65にその解析モデルと結果を示す5.65)。すばるの熱解析モデルよりやや複雑化しているものの、手法、解析結果、及び、ドームへの反映方法も、以下の③を除きすばると同様である。

図5.65 GEMINIのドーム熱解析モデルとシーイング予想結果(1993年代)<sup><sup>5.65)</sup></sup>

図5.65 GEMINIのドーム熱解析モデルとシーイング予想結果(1993年代)5.65)

 ①観測時のドーム外壁表面温度の冷えすぎによってドームシーイングが劣化する可能性軽減のため、低放射率の表面処理を施し、通気ファンで内部空気をかき混ぜる。

 ②通気孔の開口面積は、外風速に合わせて能動的に制御する。

 ③ドーム観測床を高い放射率の表面処理にし、温度を低めに保つ。

GEMINIがどの程度、すばるを参考にしたかは分からないが、ドームシーイング改善のために熱解析を行って、形状、構造、換気、風速制御方法を決定するすばるのドーム構想の検討方法は、確実にGEMINIに影響を与えたものと推定される。

(3)完成した3つのドーム

 3つの望遠鏡計画は、それぞれ3~6年程度かけて構想の実現性向上検討、詳細設計、製造、現地据付けを行い、ドームを完成させた。VLT初号機が1995年頃(望遠鏡組立て完了時期から推定)、すばるは1997年、GEMINIは1999年である。詳細設計段階で、ドーム形状を含む細部が変更になることは多いが、ここでは、大きな変化に着目し、構想からの差の技術的背景を説明する。

• VLT
 完成したVLTのドーム外観を図5.66に示す。ESOは、1986年に世界を驚かせた構想を大きく変え、NTT型ドーム(図5.61右)に近い形状とした。主鏡洗浄やコーティング設備等は、当初の構想通り別棟に収納してドームの内部空間を狭くし、El軸高さも12 m低い13 mにして、ドーム直径と高さを共に約29 mに抑えて、質量500トンを実現した。これでも、テント型に比べれば約10倍の質量である。L字型の大型ドアを左右に開いて観測するが、Wind Screenを必要に応じて引き上げて内部に取り込む風の速度を調整する。ドーム上部と下部には、多くの通風孔があり、風を利用して内部のかげろうを吹き飛ばし、外壁は、すばると同じアルミにすることでドームシーイングの劣化を抑えている。ESOが、テント式から始まった構想をドラスティックに変えた経緯は分からないが、鏡筒をむき出しのままで鏡面精度を達成する許容風速(すばるの場合は約2 m/秒)に抑えることの困難さ、開閉式テント構造の設計の困難さに加え、風・積雪・地震等の耐環境性、製品寿命、及び、望遠鏡保守や観測装置交換時のアクセス手段の観点から、テント型をあきらめたものと推定する。

図5.66 完成したVLTのドーム


 5.5章にて紹介するVLT完成後の試験観測(ファーストライト)では、ドームのシーイング性能を含んだ星像の分解能の最良値として、0.27秒角が報告されている。当初の開閉式テント方式から抜本的な変更を施したドームであるものの、シーイング性能は設計目標をクリアしたものと推定される。

• GEMINI
 図5.67左は、完成したGEMINI初号機(マウナケア)のドーム、右はGEMINI 2号機(パチョン山)のドームである。図5.62右上の初期構想が良く踏襲されているように見える。左図では、ドーム上部の通風孔が小さく開けられ、右図では内部の望遠鏡が透けて見える程度まで大きく開けられ、風速によって開口率を変えていることが分かる。GEMINI初号機のドーム発注は1994年5月であることから、1993年代に発表された構想は、ほぼ完成形だったものと推定される。通風孔開口率は、リング状の上扉の上下駆動で調整し、外壁はすばると同じアルミ板である。ドームレールの直径は約48 m、高さは約42 m、望遠鏡のEl軸高さは20 mであり、総質量は約780トンである。このドーム直径は、主鏡コーティング装置や洗浄装置の1 F床への収納方法によって決まり、3つのドームの中で最大である。ドームの質量がすばるより小さいのは、副鏡が1式であるため、焦点切り替え用の副鏡ユニット交換手段や複数の副鏡ユニットの装備が不要なためである。現在は補償光学(Adaptive Optics:空気の揺らぎを実時間で補正するシステム)を用いた観測が主であるため、完成時点におけるドーム単体のシーイング性能は不明である。しかし、風を内部に積極的に取り込む方式であるため、一定のシーイング性能は達成されたものと推定する。

図5.67 完成したGEMINIのドーム

出典:https://www.gemini.edu/observing/telescopes-and-sites (2023年10月10日閲覧)

図5.67 完成したGEMINIのドーム

• すばる
 すばる望遠鏡のドームの完成形を図5.68に示す。1989年頃の構想から、ドームの上部の形状が大きく変わり、円筒形と楕円柱(お茶筒)を組み合わせたユニークな形状になった。高さは構想より6 m低い44 mだが、ドーム上部の質量は、構造内に収納した副鏡や主焦点光学系ユニットの収納機構、交換ロボット、カセグレン観測機器交換台車等の保守機器を含めて2000 トンと、3つの計画の中で最も大きい。その他では、アルミ外壁、通風孔、直径、制御棟の配置など、当初構造が良く踏襲されているのが分かる。ドーム上部構造、通風階にも多くの通風孔がある。

図5.68 完成したすばるのドーム

図5.68 完成したすばるのドーム

 ドームの形状は、ハワイ州の環境アセスメントを受けるために、1990年末(予算執行の約半年前)に決めた。このドーム形状は、水流実験5.66), 5.67)によって決定された内容が多く報告されているが、その前段階で、当初構想の半球型から変えるために交わされた厳しい議論については、あまり知られていない。三菱電機は、1990年初頭、図5.69に示すスケッチによる思考実験を行い、ドーム形状の変更を提案した。図5.69左は、半球形ドームが外気を取り入れて内部の乱れた空気を流し出す(フラッシュする)際、内部空気の渦がドーム内壁に沿って舞い上がり観測光路を通過してシーイングを劣化させるため、シーイング面では良い形状でないことを示唆する。図5.69右は、ESOのNTTドームのシーイング性能のメカニズムであり、ドーム内の望遠鏡左右の壁と後方の通風孔が、フラッシュの際の内部空気を望遠鏡の横壁に沿って流して、観測光路に影響を及ばさないガイド役になっている可能性を示した。一方で、観測光路に入るシャッター角部の渦は避けられないが、NTTドームのシーイング性能から見て大丈夫と推定され、よって、角部を持つ箱型や円筒型に変更するのが、すばるにとって良いとの内容だった。

図5.69 半球形ドームとNTTの円筒ドームのシーイング性能の思考実験スケッチ(筆者が当時作成)

図5.69 半球形ドームとNTTの円筒ドームのシーイング性能の思考実験スケッチ(筆者が当時作成)

 国立天文台からは、角部の渦のシーイングへの影響の定量的評価がないという指摘がなされたが、当時の流体解析で渦の温度上昇を厳密に解くことは難しかった。そこで、ドームの壁に当たる風の動圧(単位面積当たりの流体の運動エネルギー)が、断熱圧縮で全て温度上昇𝑑𝑇に変わるという極端な仮定で、あり得ないレベルの最大温度変化を求めた5.68)
 空気の密度𝜌、⾵速𝑣における単位⾯積あたりの動圧変化𝑑𝑃は、以下の式で表される。

 次に、断熱変化と理想気体の状態方程式を組み合わせ、上式を代入すれば、

と表すことができる。ここで、𝛾は空気の⽐熱⽐(定数で 1.4)、𝑃はマウナケアの⼤気圧(0.7気圧=70910 𝑁/𝑚2)、空気の密度(𝜌 = 0.891 𝑘𝑔/𝑚3 @0.7気圧)、Cは定数であり、式の展開過程で消える。シーイング性能が要求される外の最⼤⾵速(𝑣 = 7 𝑚/秒)を上式に代⼊して、以下を得る。

マウナケアの夜間平均温度(𝑇 = 273 𝐾)を代⼊し、温度変化∆𝑇(=𝑑𝑇)を求める。

𝑑𝑇 = 0.025 ℃

次に、AAT実験式5.58)を適用して、シーイング劣化量∆𝜃は、

Δ𝜃 ≅ 0.5𝑑𝑇 = 0.013 秒角

となり、目標とする0.1秒角に対し十分小さいことが分かった。この結果は、国立天文台助教授(当時)の家正則により、圧縮流体を等エントロピー流れと見た風速のマッハ数𝑀と温度変化の式5.69) (下式:記憶からこの式と推定)を用いた再計算がなされ、温度変化が一致することが確認された。  

このような経緯で、「角部の渦問題」に終止符が打たれ、異形ドームへの変更提案は採択された。  その後、水流実験を経て、望遠鏡のEL軸高さは23 m(構想段階より2 m低い)の円筒形状を選定し、更に、ドームの上階側2/3程度を、お茶筒型にして構造の小型化を図る最終構想を決定した。工業デザイナーによるデザイン的検討も行い5.70)、1990年12月末に図5.70に示す最終構想図が完成した。図5.70の2次元図は、三菱電機の機械設計主任(当時)の川原信哉(故人)による手書きの構想図である。この図には、ドームだけでなく、望遠鏡、蒸着設備などの保守設備等、ほぼ全ての要素を含み、望遠鏡の左右にグレートウォールを備え、ドーム上部は5階建てにして望遠鏡やドームの保守用のアクセス手段を確保している。また、この構想図は、図右上のスケルトンで表した完成形ドームのCGとほとんど差がないことが分かる。すばるのドームは、熱解析、思考実験、水流実験、工業デザイン等の工学的なアプローチだけではなく、熟練の設計技師の想像力と技とが合体して決定に至ったことを特筆したい。

図5.70 すばるドームの最終形状を決めた手書き図面(三菱電機提供)とスケルトン表示の完成形

図5.70 すばるドームの最終形状を決めた手書き図面(三菱電機提供)とスケルトン表示の完成形


 すばるのドーム構造は、1996年初旬に発生したドーム内部の火災の復旧を終え、1997年に完成した。ドームのシーイング性能を単独に測定することは困難だが、完成直後のすばるの星像の分析能実績値(0.198秒角:図5.96)はドームによるシーイング劣化を含むため、ドームに施した設計上の工夫や配慮は、目論見通りに性能を達したものと予想する。

5.4.7 望遠鏡構造及び制御系

 望遠鏡は、主鏡、副鏡や観測装置などの天体観測に必要な部品を高精度に、堅固に、かつ長期にわたって安定に支持するだけでなく、天体に向けて精密に指向し、追尾しなければならない。追尾性能の目標値は表5.1に示した通り0.1秒角のオーダであり、これは、富士山頂で転がすテニスボールを東京タワーから望遠鏡で見る際に、視野中心がボールから外れないほどの精度である。以下、鏡筒・架台の構造、駆動部、制御系が果たすべき機能と性能の達成方法を、すばるの設計手法を基に、他の望遠鏡と比較する形で説明する。なお、すばるの機械設計、駆動制御系設計、ソフトウエア設計は、それぞれ、三菱電機(株)通信機製作所(当時)の宮脇啓造、清水岳男、香月良夫がまとめた。

(1)鏡筒・架台構造

 図5.71は、すばる望遠鏡の鏡筒・架台構造5.71)である。架台を回転させるレール下面から鏡筒の先端までの高さは22.05 m、最大幅27.2 m、主鏡や他の光学系を含む全質量は550 トンである。
 図の各焦点には観測装置が搭載される。カセグレン焦点を例に、望遠鏡の追尾駆動時の焦点面の観測像と視野の方向の関係を図5.72に示す。

図5.71 すばる望遠鏡の鏡筒・架台構造<sup><sup>5.71)</sup></sup>

図5.71 すばる望遠鏡の鏡筒・架台構造5.71)

 図5.72に示すように、Az/El方式の望遠鏡では、視野の天頂方向と水平方向は常に一定なため、日周運動を行う天体は視野中心回りに視野内で回転する。これを視野回転といい、この回転を止めて常に望遠鏡視野内で観測像を固定する方法の1つがカセグレンローテータである。カセグレンローテータは、焦点に向かう観測光をけらないよう中央に穴の開いたリング状の固定部と回転部の2重構造になっており、この回転軸を光軸に合わせてミラーセルに締結する。回転部にカセグレン観測装置を装着し、日周運動(1回転/約24時間)に合わせて観測装置を回転軸回りに回すことで、観測装置の視野内で像の回転は止まる。カセグレンローテータは、VLTもGEMINIにも装備されている。また、この取付けや駆動誤差等も、カセグレン焦点における星像の分解能の誤差要因になる。

図5.72 Az/El駆動の望遠鏡の視野と観測像との関係

図5.72 Az/El駆動の望遠鏡の視野と観測像との関係

 この他、副鏡駆動を含め、望遠鏡には多くの精密駆動部があり、最終的には、リアルタイムで多くの駆動部を駆動して追尾精度を達成する。しかし、肝心の鏡筒・架台構造が、重力や風の外乱で再現性の無い、例えばガタや非線形的(作用力に比例しない)な変形を起こしては各部の精密駆動に影響がでる。このため、すばるでは、約60 トンの主鏡セル部とセンターセクションをつなぐ鋼管材や、トップリングとセンターセクションをつなぐ鋼管材のフランジ接合部に、図5.73に示す段付きフランジ接合方式5.72)を用いた。これは、45 mの電波望遠鏡に日本で初めて起用したホモロジー設計(反射面が全てのEl角度でパラボラ形状の弾性変形を起こすように、鋼管トラス材の配置の最適化を図る手法)において開発されたものである。フランジ中央に段を付けて、その部分に周囲のボルト締付け力を集中させるため、フランジに作用する引張り力がボルト締付け力を超えない限り(図5.73右のb点)接合部が離間することはなく、常に線型の変形を示す。この方式に代表されるように、鏡筒構造は、重力方向の変化に対し常に線型の弾性変形を示すように設計し、El角度に対する変形の再現性を確保した。

図5.73 鏡筒のトラス材接合部に用いた段付きフランジ構造<sup>5.72)</sup>

図5.73 鏡筒のトラス材接合部に用いた段付きフランジ構造5.72)

 鏡筒は、El角度90°~0°までのEl角度において、重力方向が変わるため異なる変形を示す。主鏡、副鏡、カセグレン観測装置間の相対的な変位もEl角度ごとに異なる。この相対変位は、主鏡の光軸と直径方向で決まる座標系で定義され、図5.74左に示すように6自由度方向に発生する。各相対変位は、El角度 90°、0°の状態で、図5.74右に示すFEMモデルを用いて計算した。構造の弾性変形が再現するといっても、相対変位が大きければそれを補正するための精密駆動部のストロークが大きくなり、高精度化が困難になる。各駆動機構が精度確保可能な範囲のストロークに抑えるため、相対変位の目標値をあらかじめ定め、ホモロジー設計と同様に、部材の剛性を調整して目標値に追い込む作業を行う。FEM解析による鏡筒の変形図と、変形後の主鏡光軸に対する各部の相対変位の目標値とFEM解析値の比較を、図5.75右下に示す。図から、すばるの設計では、全ての方向の相対変位が目標値を達成したことが分かる。他の望遠鏡の設計手法にこのレベルの公開はないが、類似の手法を用いたことは明白である。

図5.74 すばるの各要素の相対変位の定義(左)と望遠鏡構造のFEMモデル(右)<sup>5.71)</sup>

図5.74 すばるの各要素の相対変位の定義(左)と望遠鏡構造のFEMモデル(右)5.71)


図5.75 すばるの鏡筒弾性変形FEM解析結果と相対変位目標値と解析値の比較<sup>5.71)</sup>

図5.75 すばるの鏡筒弾性変形FEM解析結果と相対変位目標値と解析値の比較5.71)


 図5.76に、VLT、GEMINI、すばるの構造図とFEM解析モデルを並べて示す。図から、すばるとVLTは、センターセクションからEl駆動軸を出し、センターセクションから副鏡側のトップリングと主鏡側の主鏡部を、それぞれ三角形状の鋼管トラスでつなぐ、いわゆるセルリエ構造を採用していること、GEMINIは、センターセクションとミラーセルを共通化して、中に主鏡を搭載していることが分かる。セルリエ構造とは、El角度が90°の場合に主鏡光軸上に調整された副鏡の中心が、El角度0°に倒した場合にずれがなく、副鏡の相対的な角度も出ないような弾性変形を示すよう、トップリング側と主鏡セル側の鋼管トラスの剛性を調整する手法である5.73)。EL軸の両側に重量物があるため、El軸回りのモーメントを釣り合わせて、駆動部の負担を軽減することもできる。また、EL軸の軸方向に穴をあけ、中央の穴を光路としてナスミス焦点を作ることができる。GEMINIは、ナスミス焦点がないためセンターセクションとミラーセルの共通化ができるが、EL軸から主鏡部重心までの距離が短いため、El軸回りのモーメントを釣り合わせるため、トップリング部とトラス材の軽量化を徹底的に狙った構造に見える。セルリエと同様なトップリングの相対変位に抑えるため、ミラーセルの固定方法には見えない工夫があるものと見る。

図5.76 各望遠鏡の鏡筒・架台構造

図5.76 各望遠鏡の鏡筒・架台構造

 精密な駆動が必要な機械の構造設計でもう一つ大切なことは、固有振動数である。望遠鏡は、Az、Elの2軸回りに同時に回転駆動されるため、駆動機構のモータ部分から正弦波的な振動を与えた場合の最低次固有振動数(ロックドロータ周波数)が高いことが望ましい。これは、制御系からの駆動指令への応答性を良くするためと、風等の外乱を制御で抑えるためである。設計結果として、VLTは8.1 Hz、GEMINI北は4.0 Hz(地盤を含めた最低次固有振動数、El軸回りは11.5 Hz)、すばるは4.5 Hzのロックドロータ周波数を達成した。VLTが高いのは、Az構造の合計8点のトラス交点全て油静圧パッドを設け、2重のレール上に置いたこと(すばるは6点で1重レール上)に加え、望遠鏡のピアが低いためと考えられる。
 外観の差で目立つのは、トップリングから副鏡を支持する副鏡スパイダの固定方法である。スパイダは、上から見ると図5.77左のように主鏡が集める光を遮断するため、できるだけ薄い方が望ましい。その一方で、副鏡をしっかりと支えるため、薄板に張力をかけてトップリングに固定する。スパイダ構造で3つの望遠鏡に共通なのは、1枚のスパイダに張力を与えれば他の3枚のスパイダに同じ張力が発生する構造になっていることであり、その原理を図5.77右に示す。図の中の式は、スパイダとトップリング中央の副鏡支持構造(内環)の固定が紙面に垂直な軸回りに回転自由な拘束条件の場合の式だが、図中右上の1枚に張力Tをかけると、他の3枚が全て同じ張力で調整されることを示す。異なるのは、スパイダそのものの構造であり、すばるは鋼板構造、VLTがタワー型の鋼板のトラス構造、GEMINIは上下の2枚だけのCFRP板構造である。GEMINIは、板を薄くしすぎたために風にあおられ、制御が難しくなったという予想外の問題が発生5.76)したようである。

図5.77 スパイダ構造と張力調整の原理

図5.77 スパイダ構造と張力調整の原理

 その他、シーイング対策としての構造の特長を、表5.12にまとめる。

表5.12 鏡筒・架台のシーイング対策比較

高さ
(m)
最大幅
(m)
質量
(トン)
鏡筒トラスの
表面処理
鏡筒トラス
熱容量低減策
VLT 20 22 430 高熱放射率塗装、色はシルバー 太いトラス鋼管
表面の断熱材被覆(*)
GEMINI 22 20 485 高熱放射率塗装、色はシルバー 細いトラス鋼管にして低熱容量化
すばる 22 27 555 低反射率&高放射率塗装。
色は濃いブルー
太いトラス鋼管
表面に断熱材被覆

*:明記された資料がないため、写真から推定


 鏡筒トラスが放射冷却で温度が冷えすぎないようにするため、表面塗装は、VLT、GEMINIでは小さい熱放射率で高反射率のシルバー色を、すばるでは、小さい熱放射率と低反射率の双方の特性を持つ濃いブルーを適用した。他の望遠鏡が赤外線観測に特化したのに対して、すばるでは、可視光観測も重要視したためであり、三菱電機と日本ペイントが共同で開発した「すばるブルー」と呼ばれ特殊塗装である。また、GEMINIは、鏡筒トラスに断面積の小さい鋼管を使用することで熱容量を減らし、ドーム内の風の温度になじみやすいようにしたが、これは、一方で、主鏡と副鏡の間の鉄が、外気温の変化に即応して、1 ℃で15 𝜇m程度、伸縮することを意味する。すばるでは、トラス、センターセクション、ミラーセル、架台にも表面に0.5 mm程度の厚さのアルミ板を接着した数cm厚さの断熱材で被覆したため、アルミ板が周囲の空気の温度となじむ対象である。よって、空気に運ばれる熱量も小さくなる5.77)。加えて、この断熱材の被覆は魔法瓶と同じ原理で、内部の鋼材の熱容量を見かけ上大きくすることができるため、観測中の1晩の外気温変化2 ℃に対し、トラス鋼管の温度変化量は1/20程度(図5.78右)まで小さくなり、鏡筒の熱伸縮を3 𝜇m以下に抑え込んでいる。一方、年間の温度差に対しては時間的な位相遅れを伴いながら、ほぼ100%追従して鋼管温度が変わる(図5.75右)が、この時間周期は1年と極めて長いため、毎晩の観測開始時1回程度の副鏡駆動によるピント合わせで対応可能となる。よって、観測中の鏡等の熱伸縮はほとんど無視でき、多くのケースで主鏡能動支持システムによる副鏡駆動が回避される。能動光学で徹底的な性能を追求しながらも頼りすぎず、そのベースとなる望遠鏡構造設計にもやれるだけの工夫を緻密に施す姿勢も、日本的文化と言えよう。VLTの鏡筒・架台構造に断熱材被覆があるかについて情報は見当たらなかったが、外観上あると判断し、表5.12にはその旨記載した。

図5.78 断熱材被覆の構造熱変形の効果

図5.78 断熱材被覆の構造熱変形の効果

(2)Az/El駆動部

 望遠鏡は、極めて高い追尾精度が必要なため、Az/El駆動部のガタや摩擦によるスティックスリップ(滑りと停止が交互に起こる間欠運動)の発生を嫌う。主鏡支持システムの章で、すばるのアクチュエータの回転部や摺動部には、弾性変形を利用してこの問題を解決したと説明したが、望遠鏡Az駆動、El駆動では、それぞれ360°以上、90°程度の大きなストロークが必要なため、小さな駆動範囲だけに有用な弾性変形は利用できない。また、大きな角度領域で高精度に角度や速度を検出する必要がある。これらの課題の解決方法を、主な構成要素ごとに分け、以下、紹介する。

• Az/El駆動部の軸受
 自動車の車輪やモータなどの連続回転する駆動部には、ボールベアリングを使うことは良く知られている。ベアリングは、1/1000~1/10000程度の静止摩擦係数を持つため、例えば鏡筒構造を100 トンとすれば、ベアリングの円環の接線方向に980 N~98 Nの静止摩擦力が発生する。望遠鏡の追尾駆動は極めて遅いため、動き出しの際には、この力が駆動方向にかかるまで動かず、動き出すと動摩擦に変わるために急に速度が上がり、これを抑えるため逆方向に力をかけるという形態のスティックスリップが発生する。
 この現象を避けるため、VLT、GEMINI、すばるは、全て油を用いた静圧軸受を採用した。静圧軸受の原理5.77)とその応用製品例を図5.79に示す。静圧軸受は、軸と軸受面の間に外部より強制的に潤滑油を送り込んで油膜を作り、その油膜に生ずる静圧力を利用して物体を浮かして支持する軸受である。軸受と支持物体を油で完全に分離させるため、支持物体の移動速度が小さい場合、軸受摩擦はほとんど零になる。また、油を軸受に送る際の絞りマスク効果(squeeze film effect)によって減衰率も高くなるため、駆動制御にとってはありがたい。静圧軸受は、1970年代から研削盤、中ぐり盤、縦旋盤の回転テーブルなどに使用されてきた。中には、油静圧を摺動部に利用する工作機械で、総重量1000トン、全長が50 mに及ぶものがあり、巨大な望遠鏡構造に適した軸受である。

図5.79 静圧軸受の原理<sup>5.77)</sup>(左)と応用製品のフライス盤(右)

                           出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/フライス盤(2023年10月15日閲覧)

図5.79 静圧軸受の原理5.77)(左)と応用製品のフライス盤(右)

 すばるを例に、望遠鏡のAz軸とEl軸の静圧軸受構造を説明する。工作機械は大きな面積で多数の静圧パッドで大きな質量を支持するのに対し、望遠鏡は、軸の一部や架台トラスの力点部という限られた数で、かつ、小さなパッド面積で支持しなければならないし、また、望遠鏡構造の剛性が工作機械に比べて小さいという差がある。小さなパッド面積と数は高い支持圧力の必要性を意味し、小さい剛性は軸受の固定側と移動側の相対変形による角度差の発生を意味する。この条件で、静圧軸受は、El軸の加工誤差や、直径16 mのAzレールの据え付け誤差なども吸収しながら、正常な支持圧力を常に維持しなければならない。すばるのAz用、El用の静圧軸受部の外観と、課題解決策の一部を示す静圧パッド面、及び、球面軸受部を図5.80に示す。なお、静圧隙間は0.1 mm以下であり、ポケット圧力は重力方向に5 Mpa~6 Mpa、水平方向に1 Mpaのオーダである。図の左下に示す静圧パッド面は、50年以上の寿命を持たせるために開発したリン青銅合金と鋼材の複合材とし、油の流量を抑えるため正方形の4辺の溝(ポケット)を1パッド当たり4式、リン青銅合金面に設けた。軸受隙間の傾き変化を吸収するためには、図の右下に示す球面座金を開発してパッドとパッド固定部の間に挿入した。この球面座金の回転側と固定側の隙間にも、静圧軸受用の高圧油を利用して座金が受け持つ荷重を減らすとともに、潤滑の役割を持たせた5.79)。パッド面の大きさは、大きいもので62 cm×62 cm、小さいもので28 m×42 cmである。なお、油は静圧隙間から外に出る際に温度上昇してシーイングを劣化させるため、予め外気温より5 ℃~10 ℃ほど低く冷却した。

図5.80 すばるの静圧軸受<sup>5.79)</sup>

図5.80 すばるの静圧軸受5.79)

 VLTでは、同様な静圧パッドが、架台の垂直方向支持用に架台トラス底面部の交点8か所にそれぞれ1式(内側レール上に4、外側のレール上に4)、El軸の支持用に左右に2式ずつ装備されている。GEMINIでは、架台の垂直方向支持用に6式、Az軸の水平方向拘束用に6式、EL軸支持用に左右に2式ずつ、EL軸方向拘束用に左右に1式ずつ静圧パッドがある。

• Az/El駆動機構
 表5.13に、VLT5.80)、GEMINI5.81)(ともに1994年の論文)とすばるの方式の差を示し、図5.81にそれぞれの望遠鏡の駆動部構成を示す。

表5.13 各望遠鏡の駆動機構の構成(1994年代の計画)

Az駆動部 El駆動部 検出部(角度)
駆動半径
m(概寸)
駆動部構成 駆動半径
m(概寸)
駆動部構成
VLT 8/4
(内外周の2重レール)
DDモータ
(内外のAzレールに固定した上下2式のマグネット板の間に架台駆動側コイルを隙間を持たせて挟む2重構成モータ16式)
4 DDモータ
(セクター表裏面上にそれぞれ固定したマグネット板を、架台駆動側の表裏にそれぞれ固定したコイルで、隙間を持たせて挟む2重構成モータ6式)
レーザードップラー
距離センサー
(固定側のセンサーから2本のレーザーを回転側にあて、反射光のドップラー差を用いて回転角度を検出)
GEMINI 9 フリクションドライブ
(Azレール外周に架台底部にから駆動ローラ4式を押し付ける構成)
4 フリクションドライブ
(セクター外周に架台El軸支持部から駆動ローラ2式を押し付ける構成)
インダクションタイプ
テープエンコーダ
(回転側にテープエンコーダを駆動角度ストローク対応で貼りつけ、固側に設置する読み取りヘッド内のコイルの誘導起電力で回転角度を検出)
すばる 8 DDモータ
(Azレール上面に固定したマグネット板の上に架台駆動用コイルを浮かして載せる1重構成モータ8式)
4 DDモータ
(セクター表裏面上にそれぞれ固定したマグネット板を、架台駆動側の表裏にそれぞれ固定したコイルで、隙間を持たせて挟む2重構成モータ4式)
光学式テープエンコーダ
(縦縞模様のあるテープエンコーダを駆動角度ストローク対応で回転側に貼りつけ、固定側から縦縞模様の光を当てて、光学カメラで縦縞間の相関を取り角度を検出)

図5.88 有限要素法モデル(左)とモデル縮小の結果(2884自由度から24自由度への縮小例)

図5.81 VLT、GEMINI、すばるのAz/EL駆動機構

 表5.13に示すように、VLTとすばるは、リニアモータを用いたDDモータ方式を採用し、GEMINIはフリクションドライブ方式を選択した。架台のAz駆動におけるDDモータ方式は、回転側の架台構造に電動コイル(電磁石)を、固定側のレール部に永久磁石を円周上に360°敷き詰め(El軸部はその逆)、静圧軸受で浮いた架台そのものをモータ化する方法である。DDモータ方式は、摩擦が全くないため、低速な追尾駆動においてフリクションドライブ方式より有利である。すばる望遠鏡は、油静圧軸受とDDモータ方式の採用により、合計で550 トンもある望遠鏡の架台の1か所を人間の手で押すだけで、Az方向に回転する程度にまで摩擦を軽減した。
 すばるのモータは、普通のフェライト磁石より5倍程度高い磁束密度とその保持能力を持つプラセオジウム(元素記号Pr)磁石を用いることで、1つのモータあたり2.8 kNの推力を実現し、Az、El方向の駆動トルクとして、それぞれ81.8 kNm、76.8 kNmを達成した。また、モータ性能として重要な回転の滑らかさを示すコギング特性(力のガタのような変化)については、図5.82のように、推力に対して0.1%以下という良い性能を達成した。更に、各モータのコギング特性の実測値を用い、モータを望遠鏡に並べた際に個々の特性が相殺される配置を施し、全体のコギングトルクを軽減した。

図5.82 すばるで開発したDDモータのコギング特性<sup>5.71)</sup>

図5.82 すばるで開発したDDモータのコギング特性5.71)

表5.13内に示す検出部の構成は、三者三様である。0.01 秒角の分解能を得るため、VLTはレーザドップラー距離センサーの採用を計画した。この方式は、固定側に設置した検出器から回転部に対して2本のレーザー光を2等辺三角形の頂点が回転部表面に来るように照射し、その反射光が回転によって受けるドップラー効果の差から角度を検出するものである。一方、すばるとGEMINIは、テープ式エンコーダの採用を計画した。すばるは、テープ側に刻んだ細かな縦縞と、固定側の縦縞の重なり具合をカメラで監視して相互相関を取って回転側の移動角度を検出する光学式テープエンコーダ(絶対角度タイプと、速度検用の角度増分タイプの2式)であり、GEMINIは、電気的な導体材料に縦縞上の穴をあけたテープと縦縞状に並べたコイル群を持つ固定側の検出器からなり、コイル電流が作る磁場のテープ移動による乱れ(コイル誘導電流)から角度を検出するタイプである。
 GEMINIは、英国王立グリニッジ天文台の4.2 mWHT(Willium Hershell Telescope)にこのテープエンコーダを付けた実験を行い、追尾精度が改善することを確認した上でGEMINI望遠鏡への適用を決めたようである。しかし、2001年春頃、三菱電機のすばる現地事務所所長(当時)の伊藤昇は、GEMINIから光学式テープエンコーダのヘッドの取り付方法に関する相談を受け、すばるの使い方を伝授した経緯があり、光学式テープエンコーダに変えたことが分かった。VLTでは、どんな経緯かは定かではないが、2000年の国際学会にて光学式テープエンコーダへの変更が報告されており5.82)、最終的には、3つ共に、光学式テープエンコーダになったようである。なお、すばるでは、テープの据付誤差の軽減のため、検出ヘッド数と配置に独特な工夫を施すだけでなく、テープ貼り付け用のリング構造(Az部で直径が約16 m)の加工誤差や、テープ分割部で発生する誤差の補正機能(後段で詳述)を制御系に備えることで、全周で0.3秒角 RMS以下、狭領域の連続性では0.03秒角RMS以下の検出誤差を達成した。

• 副鏡駆動機構
 3つの望遠鏡ともに、副鏡は、図5.74左の座標系の5自由度(∆𝜃𝑧方向を除く)方向に精密駆動を行う副鏡駆動機構を備えている。すばるでは、図5.83に示す6本ジャッキを組み合わせた駆動機構を開発し、光軸方向に0.2 𝜇m RMS、水平方向に0.03 𝜇m RMS、角度方向に0.04 秒角RMSの駆動精度を達成した。これは、ピント合わせだけでなく、Az、El駆動制御、主鏡支持システムの制御に同期させ、鏡筒の弾性変形、熱変形、風による静的な変形等の補正を行う、目立たないが極めて重要な駆動機構である。なお、すばるは、同様な駆動機構を、主焦点補正光学系と観測装置を搭載する主焦点ユニット(詳細は後述)にも備え、他に3式を持つ。

図5.83 すばるの副鏡駆動機構<sup>5.71)</sup>

図5.83 すばるの副鏡駆動機構5.71)

(3)制御システム

 制御システムの実現方法については、GEMINI、VLTともに論文等の公開範囲が狭いため、詳細を把握するのは困難だが、原理的には、3つの望遠鏡ともに類似の設計手法を取っているものと推定できる。従って、ここでは、すばる望遠鏡のAz/EL駆動と主鏡能動支持の制御システムに特化して、星像の分解能や追尾精度を達成するために施した設計手法を紹介する。
 図5.84は、すばる望遠鏡の制御システムを示すブロック図5.83)であり、望遠鏡オペレータ用のインタフェースを持つ望遠鏡制御ワークステーションから、望遠鏡の主な駆動部までの全てを表す。

図5.84 すばる望遠鏡の制御システムブロック図<sup>5.83)</sup>

図5.84 すばる望遠鏡の制御システムブロック図5.83)

 すばる望遠鏡の制御システムは、以下の①、②、③に示す3つに階層化された分散制御系であり、LAN接続された3台のワークステーションや保守用パソコンから様々なオペレーションを行う。
 ① 望遠鏡制御統括計算機(TSC)
 ② ミッドレベル・プロセッサ(MLP)
 ③ ローカル・プロセッサ(LP)
 MLPは、Az/El駆動、副鏡駆動、その他の光学系や観測装置の視野回転補正駆動、ドーム駆動等の制御を受け持つMLP1、主鏡能動支持の中のアクチュエータを駆動制御するMLP2、静圧軸受や空調等の温度制御とその他制御を受け持つMLP3からなる。このMLPは、天体位置計算時刻に正確に同期が必要なAz/El駆動や主鏡能動支持等の制御のリアルタイム性を確保するため、時刻装置から供給される共通クロックを用いて同期を取る。TSCは、天体位置計算を定期的に行い、MLPに対してその予報値を配信するが、それ以外にも観測制御用観測機システムを結ぶゲートウェイとして、セキュリティチェックやインタフェース管理を行う。加えて、MLPから入力される全ての望遠鏡およびドームの情報により、望遠鏡及び人的事故の発生を防ぐためのインターロック機能を管理するマネージャとしても機能する。3台のワークステー ション(TWS)は、1台をシステム・パラメータ管理用のデータベースサーバとして、他の2台を分かりやすいグラフィック画面をもつ望遠鏡操作専用マシンとして役割分担し、将来の機能拡張や改善の容易化を図っている。
 大型の望遠鏡は、主鏡を含む光学系からドームまで、多くの構成要素からなるため、望遠鏡の最終性能である星像の分解能の実現には、各要素がそれぞれ達成すべき性能に配分しなければならない。また、その配分値は構成要素ごとに性能の単位が変わる場合が多い。例えば、光学系の単位は、星像の分解能に近いストレール比やFWHM(𝜇m RMSで表す鏡面誤差は参考値)であり、鏡筒・架台の単位は、光学系の相対変位を抑えるための各部剛性(N/m)や変形量・据付誤差(mm)、熱容量(J/K)、表面の熱放射率、駆動制御とのインタフェースとなる質量(kg)、慣性モーメント(kgm2)、ロックドロータ周波数(Hz)等である。また、追尾精度の単位は、観測焦点面における星像の視野中心からのずれ量(mm)を焦点距離で割った角度(秒角)のRMSと、要素ごとに使用する単位も多種多様である。各要素に対しては、星像分解能から上記の単位変換を行って要求値を配分し、かつ、具体的な設計仕様に展開した上で詳細設計を開始する。この作業は、時間と労力を要する重要な作業である。この例として、すばるの星像の分解能目標値を、最も上位の構成要素に対して配分した例を図5.85に示す。

図5.85 すばる望遠鏡の星像分解能の配分例:カセグレン焦点<sup>5.83)</sup>

図5.85 すばる望遠鏡の星像分解能の配分例:カセグレン焦点5.83)
(単位はFWHM、各要素の配分値のRSSが上位の値)


 図5.85内の光学系や能動支持については既にその制御コンセプトを説明済みであるため、VLT、GEMINIより厳しい要求精度であるすばる望遠鏡の追尾精度0.07秒角 RMSを達成した、MLP1とその管理下のLPである望遠鏡架台駆動制御装置による制御の特長を紹介する。図5.86に、単純化した制御系ブロック図を示す5.83)。図中、一点鎖線内が望遠鏡架台駆動制御装置の受け持つ制御範囲、その他が、MLP1の制御範囲である。

図5.86 すばるの駆動制御系ブロック図(文献5.84を基に筆者が追記)

図5.86 すばるの駆動制御系ブロック図(文献5.84を基に筆者が追記)

 図中、Minor Rate Loopはテープ式エンコーダが検出する回転側の⾓度𝜃の変化から⾓速度𝜃 を計算で求めて速度指令値に⾼速に帰還する速度フィードバックループ、Major Rate Loop は⾓速度𝜃を比較的低速度で帰還する速度フィードバックループ、Encoder Position Loopは駆動した回転側のエンコーダの角度検出値をフィードバックする位置フィードバックループである。これは、三菱電機が大型アンテナや45 m電波望遠鏡の制御で培った高い外乱抑圧性能を持つ多重制御ループ5.85)(速度ループが2重になっているのが特徴)である。なお、図では省略したが、Drive-AmpとM(モータ)と間にも電流値のフィードバックループが組み込まれている。この多重制御ループの更に外側に、望遠鏡特有のオートガイダーからの誤差をゆっくりと(1回/1分間程度で)帰還させる位置フィードバックのAuto Guider Position Loopを加えた制御システムになっている。Auto Guider/オートガイダー(AG)とは、焦点面の視野の中の比較的明るい星を、視野の狭いCCDカメラでとらえ、その重心位置のずれを修正するようにフィードバックする光学望遠鏡の独特な方法である。
 追尾駆動時の典型的な望遠鏡の速度は、15 秒角/sec(1000分の4度/sec)程度と極めて遅いため、光学式の検出ヘッドを備えたテープ式エンコーダとはいえ、追尾中に角度検出値が得られる時間頻度は低い。一方で、位置フィードバックループの内側にある速度ループ(Minor Rate Loop)が必要とする速度検出値は、角度検出値の取得頻度よりはるかに高くないと制御系が不安定化する。すばるでは、この課題を、得られる角度検出値から速度を推定して、高頻度で速度検出値を出力する「速度オブザーバ」の開発で解決した。この速度オブザーバのブロック図を図5.87に示す。図から、この速度オブザーバには、エンコーダの入力信号(角度検出値)から単に角速度を推定する機能だけでなく、風やコギングトルクを含むモータトルクの外乱を推定して、その影響も軽減するような機能があることが分かる。

図5.87 速度オブザーバのブロック図<sup>5.83)</sup>

図5.87 速度オブザーバのブロック図5.83)

 ダイレクト・ドライブ方式では減速比が1であるため、通常の減速ギア駆動に比べ、駆動部自身の慣性モーメントが駆動対象のそれに対して極めて小さくなることから、望遠鏡構造の複雑な振動特性が直接速度ループに現れる。風外乱やトルク変動等による誤差を抑えるためには、速度ループの帯域幅(ゲイン)を出来るだけ高くすることが望ましいが、構造の振動が高い周波数領域に及ぶと制御の安定化を図ることが難しくなる。すばるでは、この課題を、28次に及ぶ IIR(Infinite Impulse Response)フィルタを開発して周波数特性を整形することで解決し、速度ループの帯域幅目標値である16 Hzを実現した。IIRフィルタの開発には、3452自由度を持つ望遠鏡の有限要素法解析モデルを66自由度まで減らすモデル縮小技術を用いた。制御系と構造を連動させた動的シミュレーションで性能を追い込むためには、3000を超える自由度では大きすぎるためである。開発したモデル縮小技術は、制御系のモータ駆動点、センサー取付け点、精度評価点等の必要な評価点を残し、駆動制御に必要な望遠鏡構造の固有振動モードだけを取り出すことで、評価点から見たモデルの剛性行列が不変に保たれるという特長を持つ。FEMモデルとモデル縮小前後のセンサー評価点における周波数応答特性5.86)を図5.88に示す。縮小前の特性がほとんど維持されているのが分かる。

図5.88 有限要素法モデル(左)とモデル縮小の結果(2884自由度から24自由度への縮小例)<sup>5.86)</sup>

図5.88 有限要素法モデル(左)とモデル縮小の結果(2884自由度から24自由度への縮小例)5.86)

 また、すばるの追尾精度達成のため、図5.85の誤差配分手法を制御システム側でも適用し、構成する全検出器に許容可能な誤差と、制御系で抑圧後に残る外乱による誤差の各要素に目標値を配分し、それぞれの誤差を達成する設計手法をとった。表5.14は、全て角度の単位で統一された誤差配分値と、設計結果である。表から、設計段階で0.07秒角 RMSの達成性が見込まれていることが分かる
 以上のような緻密な設計手法を施して完成した追尾駆動制御システムから、望遠鏡を駆動させた場合の追尾誤差実測値を図5.89に示す。図5.89左は、国内で実施した鏡筒架台の仮組み立て時に実測された、Az駆動(速度15 秒角/sec)における指令値と検出器の出力値の差であり、主に表5.14の角度検出器誤差とトルク変動誤差のRSSに対応する。また、図5.89右は、マウナケア山頂において天体を追尾し、観測焦点面に置いたCCDカメラ視野中心からの星像の重心ずれ量から求めた結果であり、表5.9の全ての誤差(実風速が設計値とわずかに異なる)を含む。両図ともに、すばるの世界一の追尾精度が、設計通りに達成されたことを示している。この追尾精度達成には、Az静圧軸受を支える直径16 mのレールの高さ調整後のわずかな凹凸の補正テーブルの導入を含み、多くの工夫が現地の試験調整で行われた背景がある。なお、他のLPも同様に、必要な駆動対象において、図5.86に示す外乱抑圧性能に優れた多重制御ループによる制御を行うよう設計されており、仮組み立てでは多くの駆動試験データを取得したが、ここでは省略する。

表5.14 追尾制御システムの誤差配分表と設計結果5.83)

(単位:秒角RMS)
誤差要因 配分値 結果
オートガイダによる誤差 0.020 0.010
オートガイダ支持部弾性変形 0.017 0.017
角度検出系による誤差(Az) 0.015 0.014
角度検出系による誤差(El) 0.027 0.021
トルク変動による誤差(Az) 0.030 0.025
トルク変動による誤差(Al) 0.030 0.026
風による誤差 0.038 0.046
0.070 0.066

図5.89 すばるの追尾精度の実測値<sup>5.83), 5.86)</sup>

図5.89 すばるの追尾精度の実測値5.83), 5.86)

(4)工場仮組立てと現地組立て

 すばる望遠鏡は、1995年中旬から1996年の春にかけて、日立造船の桜島工場(現在のユニバーサルスタジオジャパン)にて、鋼板製のダミーミラーとアクチュエータを搭載した主鏡部、望遠鏡構造、制御システムを合わせた仮組立てを行った。この目的は、マウナケア現地における組立て手順の事前学習と望遠鏡構造の加工ミスの有無確認はもとより、望遠鏡駆動部と制御系の組合せによる機能・性能の確認を可能な限り行うことにある。仮組み立ての模様を図5.90に示す。この仮組立てでは、図5.73に示した段付きフランジ接合部のボルト締め付け力を30 %程度で仮締めし、全ての接合部の隙間測定を行い、隙間をゼロにする様にフランジ面を削って溶接ひずみの吸収を図る作業等を行い5.87)、空気の薄いマウナケ山頂での組立て作業を軽減した。また、ドーム下部構造内のセル台車、主鏡部吊治具(ともに日立造船製)も使用し、一部の保守作業のシミュレーションなども行った。この仮組み立ての一般公開(1996年2月9日)では、音もなく駆動する巨大な望遠鏡構造の動きに多くの一般の見学者が息を飲んだだけでなく、NHK等のニュースでも大きく取り上げられた。

図5.90 すばるの工場仮組み立ての模様

図5.90 すばるの工場仮組み立ての模様

 同様な仮組み立ては、GEMINIも行ったようである。GEMINIは、望遠鏡構造を製造したイタリアのミラノにあるANSALDOという溶接工場の外で望遠鏡構造を組み立て、制御系と組み合わせて正弦波的な駆動トルクを駆動部に与え、望遠鏡構造の周波数応答を実測した。その結果、設計値よりはるかに低いロックドロータ周波数が実測されたため、出荷前に原因究明を行ったが分からず、マウナケア現地の据え付け後に対策を施した。最終的に鏡筒先端の副鏡ユニット(スパイダ?)の振動と判明し、振動を止める努力をファーストライトに向けて行い、望遠鏡駆動制御の制御帯域を一定値まで広げ、不十分ながらも風等の外乱を抑えたようである5.90)。GEMINIでは、プロジェクト内の技術者が作成する要求仕様に基づき、制御、機械、溶接等の専門メーカに、それぞれの詳細設計・製造を外注して、総合試験はプロジェクトが実施する形態で進めたため、要求仕様の具体化レベルや、分野間のインタフェースの決め方によって、問題が発生しやすい。この欠点が出たものと推定される。一方、すばるでは、望遠鏡構造、ドーム、制御システム等からなる全システムを三菱電機が詳細設計を行った上で製造以降を外注しただけでなく、出荷前の仮組み立て試験や現地調整をプライムコントラクターとして一気通貫で実施したという差がある。VLTの工場仮組み立ての内容については、調べた範囲では分からなかった。
 仮組み立てを終えたすばるの鏡筒架台は解体され、主鏡セル、アクチュエータ等、Wampumセルテストに使用する部品を除いてマウナケア山頂に輸送され、1996年10月にドーム内で据え付けが開始された。1996年1月に発生したドームの火災事故復旧工事と並走する作業であったが、ダミー主鏡部という、主鏡を含む主鏡セルと質量・重心位置が同じ治具を搭載した組立てを1997年3月に完了した。その後、本来は、研磨を完了した主鏡を搭載して組立てを完了させる予定だったが、主鏡研磨の遅延により、ダミー主鏡部を搭載したままでシステム試験調整段階に移行した。図5.91左が組み立て途中、右が主鏡到着後の最終系の鏡筒架台の外観である。鏡筒架台の左右の黒壁が「グレートウォール」であり、組立中は、ナスミス台付近の壁が取外されている様子が分かる。

図5.91 ドーム内に組立て中(左)と完成後(右)の鏡筒架台

図5.91 ドーム内に組立て中(左)と完成後(右)の鏡筒架台

5.5 試験調整・ファーストライト

 鏡筒架台の組み立て完了後は、現地において各駆動部の制御系組み合わせ試験、鏡筒・架台のドームと同期駆動させた試験等、様々な試験調整が行われる。その後、主鏡コーティングと主鏡の望遠鏡への据え付けという1大イベントを終え、副鏡を取付けた後、光軸調整や能動光学の試験調整を経て、望遠鏡で初めての星の光を受けるファーストライトの日を迎える。ファーストライトは、一般にエンジニアリングファーストライト(EFL)と、アストロノミカルファーストライト(AFL)の2種類がある。EFLでは、天文学用の観測装置ではなく簡単なカメラを用いて星からの光を始めて受光して望遠鏡の最終試験調整を行い、AFLでは、天文観測用の本格的な観測装置を用いて、天文学者が初の試験観測を行う。
 EFLでは、複数の星に望遠鏡を指向させて焦点面の星の位置ずれを測定して、Az、El軸の原点角度を正確に決定するポインティングアナリシス(PA)を行う。その上で、オートガイダーを用いたAz/EL駆動の閉ル-プ制御によって、星の追尾精度を確認する。この段階で、星の光を用いる検出器の駆動や検出値処理に関する制御系のソフトウエアバグを徹底的に改修する。次が、主鏡能動支持システムによる星像の分解能の調整である。主鏡、副鏡の設定誤差、熱変形、光学系研磨誤差等によって、焦点面では、ぼけた像が得られる。これを、シャック・ハルトマン鏡面測定装置(SH)の検出値をフィードバックする主鏡能動制御によって星像を小さくまとめて行く。これを、ミラーアナリシス(MA)と呼ぶ。最後に、定常時のフルオート・リアルタイムの望遠鏡の制御機能、異常時の制御処理機能等を全て確認して、望遠鏡が完成する。EFLの最後は、天文学者による最初の本格的な試験観測であるアストロノミカル・ファーストライト(AFL)に備える。
 VLT初号機、すばる、GEMINI北は、1998年中旬から1999年初旬にかけて次々とファーストライトを行った。それぞれの望遠鏡がどの程度の完成状態でファーストライトを迎えたかの比較のため、最終段階の発生イベントを特に細分化してまとめた各計画の実績工程が表5.15である5.88), 5.89), 5.90)。なお、公開情報の範囲では、VLT、GEMINIともEFLの実施日を公表した事実は見当たらない。表中、下線を記した箇所が、ファーストライト前後で着目すべきイベントである。

表5.15 3つの望遠鏡のファーストライトに向けた発生イベント経緯

正式
スタート
VLT (初号機)5.88) GEMINI (北)5.90) すばる5.89)
1988年 1992年 1991年
1991 9月 パラナル山での工事開始
1992 6月 主鏡鏡材完成(1988年発注)
7月 主鏡研磨開始
7月 マウナケアでの工事開始
1993 4月 望遠鏡構造機械部品加工開始
1994 10月 マウナケアでの工事開始 7月 ドーム組立開始
7月 主鏡材完成(Corning)
8月 主鏡研裏面加工開始
1995 3月 主鏡鏡材完成(Corning)
11月 主鏡鏡材REOSCに到着
4月 鏡筒架台仮組立開始
1996 11月 主鏡研磨完了(REOSC) 1月 ドーム組立中に火災発生
4月 鏡筒架台仮組み立て完了(国内)
10月 鏡筒架台現地据付開始 
10月 主鏡裏面加工完了、反転、鏡面加工開始
1997 9月 主鏡コーティング装置到着
9月 副鏡、副鏡ユニット山頂到着
9月 鏡筒架台現地組立完了
11月 ミラーセル・ダミーミラー山頂到着
8月 鏡筒架台組立開始 3月 火災復旧工事完了・ドーム完成
3月 鏡筒架台現地据付完了
1998 5/21 主鏡コーティング完了
5/25 AFL
8月 後半 Science Confirmation
5月 主鏡研磨完了(REOSC)
6月 主鏡マウナケア山頂に到着
12/7 主鏡コーティング完了
12/14 CFHTの蒸着装置で副鏡蒸着
12/16 主鏡の望遠鏡組込み
7月 真空蒸着装置最終調整完了
7月、8月 主鏡研磨完了、セルテスト
8月 12.5 cm口径の小望遠鏡によるAG制御ループ試験、疑似光源によるSH機能試験開始、ソフトのバグ処理開始
11/5 主鏡山頂到着
11/8 主鏡蒸着完了(12/1まで保管)
12/1 主鏡を望遠鏡に搭載
12/20 副鏡(蒸着済)山頂到着、組込み
12/24 EFL
1999 3月 開所式 1/14 副鏡のアルミ真空蒸着(CFHT)
1/18 副鏡の望遠鏡組込み
2/23 EFL(?)
2/24 主鏡取り外し、不具合解決に復帰
3/15 ドーム完成
4/中旬 主鏡を鏡筒に再組み込み
6月 開所式
11月 主鏡コーティング装置完成
1/4 AFL(試験観測開始)
2月 NHKファーストライトイベント放送

9月 開所式
2000 6/1 制御システム完成
6/15 望遠鏡引き渡し

 表5.15に基づき、それぞれの望遠鏡のファーストライト前後の準備状況や、ファーストライト結果との関係を説明する。

(1)VLT

 REOSCでは、研磨開始から4年後の1996年11月にVLT初号機用の主鏡研磨が完成した。この主鏡が、いつ、パラナル山頂に到着したかの発表は見つからなかったが、興味深いイベントとして、鏡筒架台がドーム内の組み立てを完了した2か月後の1997年11月に、主鏡セルと主鏡ダミーミラー(コンクリート製)が山頂に輸送されたことである(図5.92右)。ESOは、鏡筒架台の現地組み立てと並行して、主鏡セル、主鏡能動支持システム、主鏡を組合せた試験(セルテスト)をどこかで実施していたのではないだろうか。1997年11月のミラーセル到着時には、主鏡が輸送されていた可能性もある。そうだとすれば、主鏡と主鏡セルを望遠鏡に搭載した試験調整を、約半年間かけて実施することができる。1998年5月21日、初のコーティングを施した主鏡は望遠鏡に搭載され、4日後の5月25日、ファーストライトが実施された。ESOは、ファーストライト2週間前のプレス発表にて、望遠鏡の調整段階で0.5秒角FWHMの星像が頻繁に取得されていると報告している5.89)ことから、VLTはファーストライトの前段階で、コーティングを施していない主鏡(これでも口径1 m程度の集光能力あり)を望遠鏡に搭載し、副鏡と組み合わせたカセグレン焦点の光学調整を行っていたことは確実である。また、この報道には、ファーストライトはそれまで使用していた調整用カメラでなく、天文観測用のCCDカメラを使用予定とあり、VLTでは明らかにAFLである。残念ながらEFLの時期は分からなかった。図5.92左は、VLTがファーストライトで取得した画像を含む宣伝ポスターである。AFLで観測された最良の星像の分解能は0.27秒角FWHMであり、この時点で、VLTは、初の8 m級望遠鏡として世界最高の性能を達成していたことになる。試験調整等の詳細や、どの程度の困難が発生したかは不明だが、大型望遠鏡建設の長年の経験と実績を踏まえ、AFLまで着実にプロジェクトが進められた様子が垣間見える。

 

 

図5.92 VLTのファーストライト(AFL)のポスター(左)と主鏡セル現地到着時の模様(右)
出典:https://www.eso.org/public/images/eso9831 a/(2023年10月10日閲覧)


(2)すばる

 すばるでは、副鏡研磨にもてこずり、Contravesのプロジェクト最高責任者であるドーン・ラッカー女史の直接指揮の下で行った昼夜2交代研磨の末、1998年12月前半にようやく完成した。副鏡の完了時期を予測しながら、主鏡は、11月8日に山頂で蒸着され、12月1日に望遠鏡に据え付けられた。国立天文台、三菱電機、富士通(観測データ計算機システム担当)は、12月24日のEFL、その後のAFLやNHKファーストライトイベントのための詳細な手順を確立済であり、全員が副鏡到着をじりじりした気持ちで待った。山頂での作業時間短縮のため、ピッツバーグで蒸着を施して空輸された副鏡は、12月20日にマウナケ山頂に到着した。副鏡は副鏡ユニットに装着され、慎重にトップリングに取り付けられた。プロジェクトの正式な開始後の7年半を経て、初めて、主鏡、副鏡を持つ最終の望遠鏡の姿が整った。簡単な光軸調整と、制御系からの動作確認を行った後、1998年12月24日夜、すばるは北極星に向けて駆動した。受光装置には、視野が5秒角程度のAGのCCDカメラを用いたため、望遠鏡の光軸が秒角精度で北極星に向かないと何も映らない。指向完了したが、やはり何も映らなかったため、望遠鏡をわずかに振って探したが見つからない。国立天文台教授(当時)の田中済が、より大きな角度でそっぽを向いていることに気が付いたため、望遠鏡を大きく振って1時間ほど北極星を探した後、やっと明るい光が視野に入った。これがEFLの瞬間であり、制御棟の観測室内の関係者間に歓喜の声が上がった。それも束の間、視野内で殆ど動かないはずの「北極星」がどんどんと視野から外れていく。最終的に、カメラに映った星は、北極星のすぐそばの極めて暗い別の星だったことが分かった。北極星はすぐに補足されたが、明るすぎてディスプレイの照度調整が必要だったほどである。そのように始まったEFLだが、その後は順調に進み、望遠鏡でとらえた複数の星の視野中心からのずれ量を用いたPAで、Az、El角度の原点補正を行い1秒角の指向精度を達成した。AGを観測装置として使っており閉ループは組めないため、オープンループで星の重心位置変化から追尾精度を測定して、0.1秒角RMSを確認した。次は、追尾制御はオープンループのまま、主鏡能動支持システムのMAに移行する。副鏡を光軸、水平方向に駆動させて発生する理論収差とSHの検出値との比較を行ってSHの十分な精度を確認した。その上で、アクチュエータに与える力指令で収差を発生させ、理論値とSH検出値の差を評価し、主鏡能動支持システムの安定動作と十分な精度を確認した。そして、1998年最後の12月31日の夜、主鏡能動制御システムのSH閉ループのスイッチを始めてオンにする。図5.93左の、大きく広がっていたAGカメラの星像が、シーイングの平均化のため1分に1回程度のゆっくりとしたフィードバックによって徐々に小さくなり、10分も立たない内に同図右のシャープな星像(0.47 秒角FMHM)を結ぶに至った5.35)。ついに、すばる望遠鏡は1998年末までのEFLをやり遂げ、1999年1月4日の国立天文台によるAFL段階に移行した。

図5.93 能動光学のSH閉ループの星像改善の様子(EFL)<sup>5.35)</sup>

図5.93 能動光学のSH閉ループの星像改善の様子(EFL)5.35)

 副鏡を望遠鏡に搭載してカセグレン焦点を作れるようになって、わずか4日間で望遠鏡の基本性能を達成した背景には、すばる独特の工夫があった。
 本来は、1998年の前半から主鏡、副鏡を搭載したカセグレン焦点で、PA、MAを行う計画だったが、研磨の遅延によってこれができない。それでも、最終のEFL期限は守らなければならない。三菱電機は、1998年の7月から、小さな望遠鏡を用いた「事前のEFL」を行っていた。光学系の無い鏡筒架台と制御系による駆動試験では、駆動指令値と、角度検出器・速度検出器等のセンサー出力との差による評価程度の限られた範囲の精度確認しかできない。しかし、光学望遠鏡は、AGやSH鏡面側定装置で星を捕まえないと、センサー自体の機能性能の確認はもとより、最終の閉ループ制御が組めない。オープンループ追尾で、視野回転をあまり気にしない電波望遠鏡等のPAでは豊富な経験を持つが、焦点面の視野回転補正駆動を伴うAG閉ループ制御のPAや、SH閉ループのMAは、三菱電機にとって未知の分野であった。AGやSHの座標系は、鏡の反射の度に座標系が変わるため、反射回数分の座標変換式で表される。変換式内にプラス・マイナスの符号ミスが1つあっただけで、全く異なる方向に望遠鏡が動いたり、鏡を変な方向に変形させたりするため、星の光を受けた確認が不可欠である。三菱電機は、主鏡や副鏡到着前の期間を有効に使うため、ファーストライトを行うカセグレン焦点と等価な焦点で、事前のPA、MAを行うこととした。カセグレン焦点と同じ2回の反射回数を与える、2式の45度斜め鏡と口径12.5 cmの市販の凸レンズからなる「小望遠鏡」を作り、鏡筒に搭載されていたダミー主鏡部に装着してカセグレン主点位置に焦点を結ばせ、疑似的なEFLを行った。この試験には、確か4等星以上の明るい星しか使えなかったように記憶している。限られた範囲ではあるが、AGの精度確認、PA、SH鏡面測定装置の精度確認等を可能にした小望遠鏡の光学系原理図を図5.94に示す。

図5.94 すばるが主鏡・副鏡到着前に実施したPA、MAの事前試験の原理

図5.94 すばるが主鏡・副鏡到着前に実施したPA、MAの事前試験の原理

 この試験は1998年の8月から実施したが、予想通り、極めて多くのソフトウエアバグを燻り出し、バグ改修が大いに進んだだけでなく、光学系を使うPAやMA手順の事前学習の良い機会となった。制御系の章で紹介したAzレールの数10 μmの高さ誤差で発生するAz/El駆動誤差の再現性はこの試験中に発見され、初歩的な誤差補正テーブルも制御系に組込まれていた。この小望遠鏡は、すばる望遠鏡EFLを1988年内に実現させた影の立役者の1人である。
 翌年の1月4日、国立天文台はAFLを予定通り実施し、その後、すばるの完成と、高い性能を世界に発信するため、カセグレン焦点の天体画像を蓄積した。その中で、最も有名になったオリオン星雲の画像を図5.95に示す。この画像は、観測波長帯が1.2 μmから2.2 μmの間の3つの異なる波長で観測した画像に、それぞれ波長の短い方から、可視光の青、黄、赤の原色を与えてコンピュータ内部で合成した画像である。人間の目では見えない赤外線の波長だが、あたかも、目で見たような写真になる。この画像は、1998年1月28日に国立天文台が新聞等のプレスに発表した初観測画像の1つだが、翌朝、ハワイのThe Honolulu Advertiserだけでなく、アメリカ本土のUSA Todayなど多くの新聞に掲載され、その全ての紙面が、すばるを称賛する記事を載せていたことを覚えている。どの新聞だったか忘れたが、ある天文学者が次の内容のコメントを載せていた。“Wow, I can’t imagine when our telescope can capture such a magnificent image of the Orion nebula!” (オー、我々の望遠鏡は一体いつになれば、これ程素晴らしいオリオン星雲を撮像できるのだろうか、想像もできない…!)すばる望遠鏡の開発に携わった全ての関係者が、誇りを感じる瞬間だったのではと思う。

図5.95 アメリカの多くの新聞に載ったすばるのオリオン星雲の画像

図5.95 アメリカの多くの新聞に載ったすばるのオリオン星雲の画像

 すばる望遠鏡は、その後、試験観測を継続しながら、赤外カセグレン焦点、主焦点、ナスミス焦点の全焦点の立ち上げを行った。AFLから5ヶ月後の1999年6月10日、星像の分解能は、目標としていた0.2秒角を切り、補償光学5.91)を用いない状態での当時の世界最高性能を達成した(図5.96)。ドームシーイングの性能を含み、本章で説明した望遠鏡全体の設計が実を結んだ結果といえる。

図5.96 すばるが達成した世界最高の星像の分解能

図5.96 すばるが達成した世界最高の星像の分解能

(3)GEMINI

 すばるより1年遅れてプロジェクトをスタートさせたGEMINIのファーストライトは、すばるのわずか2ヶ月後の1999年2月23日であり、素晴らしい工程挽回である。表5.15のイベントは、主に、GEMINI Observatory Newsletter #18、#19から得た情報だが、EFLの前後の発生イベントは、GEMINIが、どれ程早く、ファーストライトをやりたがっていたかを強く感じさせる。
GEMINIは、すばると同様に副鏡研磨の工程がクリティカルパスとなった。GEMNIの副鏡は、本来、赤外線性能を重視して主鏡と同じ銀コーティングを施す計画だったが、コーティング装置の調整が間に合わなかったためか、マウナケア山頂のCFHT(カナダ・フランス・ハワイ望遠鏡)の真空蒸着装置を借り、1999年、1月14日にアルミ蒸着を施した。副鏡は2日後の1月16日に望遠鏡に搭載された。主鏡は、1998年の12月中旬に望遠鏡に搭載されており、ファーストライトまでの2ヶ月間以上、ファーストライトの準備に使われた。しかし、カセグレン焦点のケーブル巻取り、AG、SH鏡面測定装置等の不具合によって駆動制御システムの調整の進捗が芳しくなかった模様である。また、副鏡が無くカセグレン焦点が使えなかったため、エンジニアが主鏡能動支持システムをマニュアルで操作し、主鏡をパラボラ状に変形させて主焦点を作り、鏡筒先端に仮置きした小型カメラで星を受けたことが記録されている。当然ながら、SHによる閉ループ制御は組めないため、MAの一部しかできなかったものと考えられる。副鏡の望遠鏡搭載5日後の1999年2月23日に、GEMINIはファーストライト画像(図5.97左)を取得した。すばるのEFL で用いたAG用カメラではなく天文観測用カメラを使用したため、AFLと呼ぶべきかも知れないが、望遠鏡の完成度レベルから表5.15では、EFL(?)と呼ばせてもらった。なお、この時の星像の分解能は0.6 秒角FWHMであり、3つの望遠鏡の中では最も悪い。このファーストライトの数週間前に、すばるのファーストライト報道内容を知ったGEMINI関係者がどんな気持ちを抱いたのかは分からないが、できるだけ遅れずにEFLを実現しようと必死に不具合対策に取り組んだエンジニアたちの姿勢に対し、Newsletterには深い感謝の意が表明されていた。
 EFLの翌日、GEMINIは主鏡(図5.97右)を外し、制御系を含む望遠鏡の改修に専念した。開所式セレモニーは4ヶ月後の1999年6月に行われたが、主鏡コーティング装置の完成は2000年11月、制御システムの完成は2000年6月1日であり、開所式後も改修や改良が継続された様子が伺える。また、テープ式エンコーダヘッドの使い方に関し、三菱電機の現地事務所に問い合わせがあったのが2001年春頃(5.4.7章)であり、制御系の精度向上には更に時間がかかったようである。

 

 

図5.97 GEMINIのファーストライト画像(左)と望遠鏡を上から取った主鏡写真(右)

出典:https://issuu.com/geminifocus/docs/gf_0699(2023年10月6日閲覧)


5.6 5章のまとめ

 世界最大の集光力と最高の星像分解能の達成を目指した日米欧の口径8 m級の巨大望遠鏡は、全て21世紀の到来直前に完成した。5章では、これらの望遠鏡の性能の優劣をつけるためではなく、巨大な機械構造物を含むハードウエアを常時超精密な形状に保ち、かつ、超高精度な方向に駆動するため、ハードウエアとソフトウエアが果たすべき役割や機能の具体的な定義の重要性と、それぞれが達成すべき性能の決定方法や、その実現に向けて各望遠鏡が施した設計手法等を紐解き、比較して紹介した。欧米から開示された技術内容の範囲の問題もあり、それぞれの差が明確に識別できたとは思えないが、巨大なシステムの実現可能性を高めるための工学的、技術的な手法が、本章から多少でも伝えることができれば幸いである。なお、各望遠鏡のファーストライトの実施に向けた取り組みは、プロジェクト推進力や問題解決能力の分析のために紹介した。5章は、以下のようにまとめることができる。

(1) 欧:米に比べれば4 m級望遠鏡の保有数は少ないが、8 m級の望遠鏡実現の最大のけん引力となった「能動光学」の生みの親である。世界初の実証実験を行い、かつ、薄メニスカス鏡と能動光学、風を積極利用したフラッシングドームなどを導入したNTT3.8 m望遠鏡を事前に建設して経験を積み、VLT4台の建設に進むという着実なステップを踏んだ。よって、ファーストライト時点で、星像の分解能0.27秒角という当時の世界最高を達成した。正確な内情は不明だが、3つの計画の中で最も清々粛々とプロジェクトを進めたように見える。ESOは多くの技術者を継続的に雇用するため、システムインテグレータとして望遠鏡を開発しまとめあげる技術面やプロジェクト推進面のノウハウが確実に蓄積されているものと見る。

(2) 米:日本に比べてスタートは1年遅れだが、スタート前の実現性検討期間は日本に比べて短かったためか、詳細設計に移行するための準備が十分だったとは言い難い。ただし、主鏡鏡材にはすばるの開発資産を、研磨にはVLTの開発資産を利用したため、主鏡製造では最も楽な道が選択できた。機械構造、駆動制御をそれぞれ異なる発注先に詳細設計させたようだが、その時点の発注仕様の具体化レベルが不十分だったものと推定され、これが、望遠鏡システムとして組み上げた際に問題が続出した要因ではないかと考える。システムインテグレータとしてのプロジェクト体制はユーザ側に構築されるが、ESOのように経験豊富なメンバーが固定的にいるわけではないため、ノウハウ蓄積面では十分とは言えず、補償光学に依存しない望遠鏡の性能としては他に甘んじる結果になったものと見る。

(3) 日:予算実現が3年遅れたため、VLTが公開した部分的な開発情報等を基に、野辺山の45 m電波望遠鏡や他の産業の先端技術を駆使し、すばるの実現性を高める検討、解析、実証実験に十分な時間を使うことができた。大型望遠鏡の開発経験が全くないゼロからのスタートだったため、コーティング装置、副鏡鏡材等の脇役的な構成品には実績のある手法を選択しただけでなく、能動光学においても欧米に比べて最も慎重かつ原理的にリスクが少ない手法を起用した。また、すばる以外の大望遠鏡の建設ができないため、欧米が技術的難度とコストからあきらめた主焦点が必須となった。これを日本が得意とする精密なロボット工学や比較的小規模の光学系製造技術を駆使して唯一実現したことが、すばるにとって財産となった。ユーザとプライムメーカの双方のノウハウが結合して成功した例であり、機能・性能面で一流の成果を上げたが、経験豊富で環境に恵まれた欧に比べれば、プロジェクト推進面での困難が多かったものと感じる。


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すばる望遠鏡の親的存在である野辺山45 m電波望遠鏡

 三菱電機は、数々の衛星通信用の大型パラボラアンテナ(口径は10 mから32 m)を1960年代から1980年代にかけて国内外に建設した。このアンテナは、静止衛星に対して数ギガヘルツ帯(波長でcmから数10cm)の電波で通信するものであり、風速10 m/秒(時速 36kmの自動車に乗って感じる風速)程度の強風に曝されても鏡面を正確に衛星に指向させなければならない。この精度実現のため、鏡面の風による弾性変形を許容値内に抑えつつ、変形でそっぽを向くアンテナ軸を正確に衛星方向に指向させるための構造や駆動制御の設計技術はもとより、大型構造物の建設技術や測定技術が大きく進歩した。  一方、1970年代後半から天文台との共同開発が始まった45 m電波望遠鏡(建設は1980年~1982年)では、鏡面の面積が2倍程度に大きくなるだけでなく、宇宙から飛来するミリ波とよばれる30ギガヘルツ以上の電波を受信する為、鏡面誤差は従来の衛星通信用のアンテナより10倍以上厳しい0.1 mm RMSを実現しなければならなかった。このため、反射面の構造設計にはブレークスルー的な技術が要求され、その主要技術がホモロジー構造である。ホモロジーとは、El角度によって変わる重力の影響の大小にかかわらず、どのEl角度においても鏡面の弾性変形がパラボラ形状になるように、鏡面の支持構造を”柔らかく”設計する方法である。お椀型の鏡面は、天頂方向では開く(鏡面が浅くなる)方向に変形し(図1左)、水平方向では鏡面の上部と下部が共に下方向に落ちるように変形する(図1右)。

図1 ホモロジー構造の原理

図1 ホモロジー構造の原理(変形前は実線、変形後は破線)

 これらを、鏡面を支える鉄骨トラス構造の断面積を調整して、変形後のパラボラ形状からのずれを0.1 mm以下に抑え込む設計手法である。1970年代後半は、有限要素法(FEM)を使い始めた時代であり、数100枚の紙のカードに各部材の両端の位置、ヤング率、断面積、長さや両端の拘束条件などを記録するための穴を「パンチ」によって開け、それを自動読み込み器にかけて、全てが読み込まれたことを確認して初めて、大型計算機による数値計算が開始される。ただし、パンチミスが1つでもあると計算が止まってしまい、パンチミスのあるカードを目で見て確認して修正し、その後に再計算にかけるという、手間のかかる方法だった。計算回数やカードの数を減らすため、手計算で決めるトラス構造1式をFEM解析で精査し、その後、これらを必要数花びら上に並べて全体構造モデルに拡張し、回転対称性や線対称性を利用して全体の計算規模を小さくする工夫が必要だった。この計算で求まるアンテナ焦点の理想位置からのずれ量に合わせてサブレフ(副鏡)を駆動するという開ループ制御を加えて、ホモロジー構造が成立する。  このホモロジーの設計を中心となって推進したのが、三菱電機の塚田憲三氏(当時は課長)、滝沢幸彦氏(当時は主任)、榊原修氏(当時は担当)の3人の機械技術者であり、構造の構想図を描いたのが川原信哉氏(故人、当時は担当)であった。筆者は、このような大先輩の機械技術者の下で、段付きフランジ(5章で紹介)開発のヒントになったフランジ接合部の圧縮引張試験や、鏡面用の低膨張CFRPサンドウィッチ板の強度、剛性、耐久性などの実験評価、及び、鏡面パネルの熱変形を抑える支持金具の設計等、部分的な役割を担っただけである。しかし、設計対象が果たすべき役割を、できるかぎり原理に立ち戻って定量的に把握し間違いのない設計方向性を見出す姿勢や、設計対象が製品化された後に示す機能、性能、損益に対して設計者として持つべき責任を常に意識しながら、しかし、臆さずに難問に挑む姿勢の必要性など、大学ではあまり学ぶことがなかった側面を徹底的に仕込んでいただいた時期だったと思う。ちなみに、筆者より2年先にすばるの研究開発に投入された伊藤昇氏や後年アクチュエータ等の機械設計を担当した宮脇啓造氏(共に5章で紹介)も、塚田氏の指導を受け、同様な設計スタイルを会得しておられる。なお、塚田氏は筆者をすばる望遠鏡の担当に選定した方であり、榊原氏はすばる望遠鏡の2代目プロジェクトマネージャーとしてハワイ現地工事の指揮を執り、川原氏は5章で紹介した通りすばるにおいても手書きの構想設計図で大きな方向性を与えた設計技師であり、本コラムで紹介した方の殆どがすばるに貢献しておられる。以上のような経緯からも、45 m電波望遠鏡は、色々な技術資産をすばる望遠鏡に継承しただけでなく、技術者が持つべき姿勢を学んだ後進という人を介してすばるの新しい技術資産を創出させた“親的な存在”であることが分かる。  なお、野辺山の45 m電波望遠鏡は2017年にIEEE(米国電気電子学会)のマイルストンに認定されている(図2)。

図2 45 m電波望遠鏡のIEEEマイルストン認定書

図2 45 m電波望遠鏡のIEEEマイルストン認定書

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 6 すばる望遠鏡の貢献を支える設計思想

 5章で紹介した様々な挑戦の末、すばる望遠鏡は、2000年12月から共同利用観測を開始した。この観測では、国内外から観測提案を募集し、科学的意義が高く、すばるに適した内容のものだけが採択され、採択された人達がすばるを使用できる。2010年1月までの10年間の応募は2859件あり、内777件が採択された。すばる望遠鏡の誇らしい観測成果の数々は、国立天文台のすばる望遠鏡ホームページ、https://subarutelescope.org/jp/results/ 2022/に紹介されている。観測成果は、ひとえに国立天文台の観測装置開発や観測技術面における弛まぬ努力の結果であるため、その情報に委ね、本章では、観測成果の中で特に主焦点による事例を紹介し、その成果の産出を支えるすばる望遠鏡やドーム内の設備に施した設計思想、及び特徴などを紹介する。

6.1 すばるの観測成果例

 2003年3月20日、すばるは、Suprime-Camと呼ばれる第一世代の主焦点カメラを用い、126億光年かなたの銀河をとらえた。当時の人類が見た最遠方の銀河である。図6.1にSuprime-Camの写真を、図6.2にその取得画像を示す。遠くの銀河は宇宙の膨張によって遠ざかる速度が大きいため、赤方偏移により、例えば水素原子の輝線スペクトルであるライマンα線0.122 μmの波長が、1 μm程度の近赤外線で観測される。すばるの集光力と高い星像の分解能に加え、満月がすっぽり入るほどの大きな視野(30 分角=0.5度)を持つSuprime-Camに、国立天文台が開発した「遠い銀河が目立つ」特殊フィルターを使って、初めて発見された成果である。2006年には、同様な主焦点観測に、カセグレン焦点の多天体近赤外線撮像分光器(MOIRCS)を用いた分光観測で距離(赤方偏移z)のお墨付きを与えるという、主焦点・カセグレン焦点の「合わせ技」観測で、すばるは、図6.3に示すIOK-01と名付けた128億8000万年前の原始銀河を発見した。すばるは、2000年代の世界の最遠方銀河発見競争をリードし、2010年時点における最遠方銀河の上位10傑を全て独占した。

図6.1 すばるの頭頂部に搭載されるSuprime-Cam主焦点ユニット(質量は1トンもある)

図6.1 すばるの頭頂部に搭載されるSuprime-Cam主焦点ユニット(質量は1トンもある)


図6.2 2003年3月に発見した最遠方(当時)銀河(赤方偏移のz=5.7:125億5000万光年)

図6.2 2003年3月に発見した最遠方(当時)銀河(赤方偏移のz=5.7:125億5000万光年)


図6.3 2006年9月に発見したIOK-1

図6.3 2006年9月に発見したIOK-1
(赤方偏移のz=6.964~128億8000万光年)


 広視野の主焦点を持つすばるは世界の天文学者から垂涎の的となっているが、主焦点は、望遠鏡開発経験の豊富な欧米が8 m級望遠鏡開発で最初にあきらめた焦点であり、技術的にも実現が困難である。主焦点を別焦点に変えるには、15 m直下に高価な主鏡を持つ鏡筒の先端で、1トンを超える主焦点ユニットと副鏡ユニットを交換しなければならず、落としたら大変なことになる。また、焦点距離が短いために観測装置の光軸方向の位置誤差が大きな像劣化になり、主焦点ユニットの光軸方向への誤算配分値は3 μmであり、主鏡から約15 m離れた空間上で、常時この位置に保持しなければならない。
 この主焦点実現の背景には、注目すべきエピソードがある6.1)。すばるの予算申請の最終段階である1990年頃は、主焦点が得意とする撮像観測は分光観測より軽視されていた。その中で、Suprime-Camの生みの親と言える東京大学教授(当時)の岡村定矩は、すばるの主焦点にCCDカメラをつけて撮像すれば、ハッブル宇宙望遠鏡に匹敵する暗い天体を映すことができると気付き、すばるは広視野の主焦点を持つべきだと考えていた。また、国立天文台教授(当時)の山下泰正と成相恭二は、3枚の薄型レンズを用いた補正光学系の実現性設計を進めており、30 分角の広視野の実現性を証明していた6.2)。一方、三菱電機では、「欧米があきらめた主焦点を作るだけの技術力が、本当にあるのか。」との議論が、プロジェクトマネージャ(当時)の木下親男(故人)を筆頭に起こり、筆者を含む三菱電機の技術者達は大きなプレッシャーを感じていた。振り返れば、当時の三菱電機には、重力方向が90度変わる環境下でトンを超える物体をμm精度で駆動する製品はなく、設計経験者もいないことから、会社として乗り越えなければならない当然の議論だったと思う。この打開策として、筆者らは、天文台側のリーダ(当時)の小平桂一と相談し、国際的に著名な主焦点観測の天文学者、4 m級望遠鏡を設計した経験のある外国の技術者等を集めた会議を天文台で開催し、その場で、すばるが主焦点を持つべき天文学上の意義、主焦点補正光学系の設計内容や三菱電機の主焦点駆動機構構想の妥当性を一気に評価してもらうこととした。この会議は、三菱電機の当時のリーダクラスも出席し、三鷹の天文台会議室で開催された。その結果、主焦点実現構想は高い評価で妥当との判断を得て、すばるの主焦点は実現への道が整った。
 すばる完成から素晴らしい観測成果を出し続けたSuprime-Camは、2017年5月に引退し(現在は国立科学博物館所蔵)、その後、第二世代の主焦点観測機器であるHyper Suprime-Cam(HSC)が2013年に装備され、現在も活躍中である。HSCの視野はSuprime-Camの9倍(満月が9個も入る広さ)であり、ユニットの質量は3トンに及ぶ。図6.4にHSCの概要と観測成果例を示す。
 図6.4左からHSCの巨大さが分かるが、このような観測装置の搭載を可能にし、かつ、多数の観測装置や焦点の切り替えを支えるために望遠鏡構造やドームに施した設計思想を、以下に紹介する。

図6.4  HSCの概要と観測成果の一例

図6.4 HSCの概要と観測成果の一例

6.2 すばるの観測を支える設計思想

(1)主焦点ユニット駆動機構

 図6.5は、Suprime-Cam主焦点ユニットの望遠鏡先端への装着状況と、ユニット内部にある主焦点駆動機構のイメージを、副鏡ユニット(図5.83)と重ねて示す。駆動機構は副鏡駆動機構と同じ6本ジャッキ構成だが、主焦点ユニットではジャッキの中央の空間にSprime-Camを包み込むような構造であり、光軸(∆z)方向の駆動精度は0.03 μm RMS6.3)である。この誤差が星像の分解能に及ぼす影響は、Suprime-Camの平均的な星像の分解能である0.5 秒角に対して1 %程度と無視できるほど小さい。この駆動機構は、AGやSH鏡面測定装置の検出値を用い、主鏡能動支持制御やAz/EL駆動制御の一要素として、Suprime-Camを光軸回りの回転を除く5自由度方向にリアルタイムで駆動して鏡筒の重力変形や熱変形を補正し、高精度な観測を保証する重要な機能を果たした。HSC用にも、より大きく、同様な精度のジャッキが装備されている。

図6.5 Supime-Camを搭載する主焦点駆動機構のイメージ

図6.5 Supime-Camを搭載する主焦点駆動機構のイメージ

(2)焦点切り替えロボットと主鏡能動支持システム

 主焦点、光学カセグレン、赤外カセグレン、光学・赤外ナスミスの5つの焦点を切り替えて観測するには、副鏡ユニットや主焦点ユニット(総称してトップユニット:TU)を交換しなければならない。TUの交換は、観測を行わない日中に行うため、迅速な交換手段が必要である。すばるでは、これらの交換を、図6.6に示す3つのロボットで行う。

図6.6 トップユニット交換のための装備

図6.6 トップユニット交換のための装備

 図6.6左の上と中段の写真は、4種類のTUを収納するユニットセレクタ(US)である。USは、観測に使用するTUを、グレートウォールの開口部付近の差出し位置に回転寿司のように回って移動させる。この差出し位置には、トップユニットトランスフォーマ(UT)があり、UTは、TUをUSから掴んで引きぬき、水平回転してグレートウォール開口部から鏡筒空間にTUを差し出す。これらは、ドーム上部内光学ナスミス焦点側のグレートウォール内の4階に設置される。図の右上の写真は、トップユニットローダ(UL)であり、TUをUTから受け取り、トップリング中央のスパイダで支えられたトップリング内環まで運び、主焦点ユニットは上から、副鏡ユニットは下から、内環に挿入して装着(外す場合はその逆)する。図の中央下は、主焦点ユニットをULが受け取る直前の写真である。作業は全て自動だが、作業者はULの台に乗り、TUの受け取りから内環への装着までを監視するとともに、内環付近では観測装置のケーブルや配管のコネクタ挿抜作業を行う。TUの交換作業は約2時間で完了する。他にも、すばるの多焦点の特徴を活かし切るための影の立役者があり、表6.1にそれらをまとめた。

表6.1 焦点の迅速な切り替え作業を支えるドーム内の装備

品名 主な機能 配備箇所 メーカ
ユニット
セレクタ(US)
最大3トンまでのトップユニット(TU)を4つのスロットに収納し垂直軸回りに回転し、交換するTUを、TU差し出し位置に止める。収納時は、空のスロットをTU差し出し位置に止める。 ドーム光学ナスミス側
グレートウォール内4階
三菱重工
ユニット
トランスフォーマ
(UT)
TU差し出し位置で、TUをつかんでUSから引き抜き、垂直軸回りに回転して、グレートウォールの開閉ドア開口からTUを鏡筒空間に差し出してULに引き渡す、または、その逆の動作を行う。 ドーム光学ナスミス側
グレートウォール内4階
三菱重工
ユニットローダ
(UL)
トップリング中央の内環部に行き、最大3トンのTUをつかんで内管から引き抜き、グレートウォールの開口部まで運んで、TUをUTに引き渡す、または、逆ルートでTU受け取り、TUを内環に運び装着する。 80トンクレーンの
走行アーム
三菱重工
カセグレンユニット
交換台車
カセグレン観測装置の着脱を行うため、観測装置昇降機能を備えた走行台車。 赤外ナスミス観測階、
前方グレートウォール内
三菱電機
主鏡運搬台車 主鏡再蒸着の際に、主鏡部着脱のための昇降機能を持ち、ドーム観測床の直線レール上を走行する台車。 ドーム下部構造1階 日立造船
ナスミスクレーン ドーム観測床からナスミス台に観測装置や部品を昇降させる5トンまでの天井クレーン。 光学と赤外ナスミス室
天井(ドーム3階床下)
コーストスティール
(CSF)

 赤外のカセグレンとナスミス焦点は、カセグレン焦点に最適化された副鏡ユニット1式を使いまわす。赤外ナスミス焦点では、第3鏡支持構造内で観測光束の外側に収納された第3鏡(平面鏡)を、光軸上に45度傾けて自動装着し、光束を水平に反射させてEL軸中心の穴経由でナスミス焦点を作る。ただし、赤外ナスミス焦点は焦点位置がカセグレンより遠くにあるため、赤外副鏡を副鏡駆動機構で主鏡方向に駆動して焦点位置を移動させ、この際に発生する球面収差を主鏡能動補正で修正する6.4)。赤外線の波長が長いことから、球面収差の補正残差が無視できるという性質を利用したものであり、両焦点の切り替えは観測中でも短時間にできる。

(3)El軸回りのバランス調整と鏡筒構造

 鏡筒先端でTUを交換した場合、質量や重心位置の差によって発生する鏡筒のEl軸回りのアンバランスモーメントは、EL軸駆動円滑化のために自動調整しなければならない。この調整イメージを、図6.7に示す。図6.7左上は、センターセクションに装備した表裏4本のカウンタウエート駆動機構であり、ねじを回して4つの錘を同時に光軸方向に前後させ、El 軸回りのモーメントを変える。図6.7右の上下に示すように、主焦点ユニットと副鏡ユニットを望遠鏡に装着した際、重心はΔɡだけ異なる位置に移動するし、質量も異なる。このため、ユニット毎のアンバランスモーメント量を予め測定し、モーメントが釣り合うカウンタウエート位置を決めて焦点毎に自動駆動するとともに、鏡筒先端と主鏡部の重力変形の差で発生する光軸からの相対ずれは、5自由度方向の各TU内6本ジャッキの駆動で、ユニットごとに自動補正する。

図6.7 TU交換と望遠鏡El軸回りのバランス調整、鏡筒変形のイメージ

図6.7 TU交換と望遠鏡El軸回りのバランス調整、鏡筒変形のイメージ


 以上のように、すばる望遠鏡開発時に準備されたTUの交換に予め十分備えた鏡筒だが、完成後10年以上たって新たに導入された、サイズ、質量ともにSuprime-Camをはるかに凌ぐHSCの装備には、当然ながら設計変更が伴った。専用の主焦点ユニットの設計・製造はもとより、鏡筒構造にも次に示す改造を施した6.6)

 ① 内環内側の突起を現場で削り取る。(図6.5 赤丸部)

 ② センターセクション部のカウンタウエート駆動機構のねじを主鏡側に延長する。

 ③ ②に伴い必要となった新カウンタウエート駆動機構のケースや断熱材被服部を追加する。

 この程度の鏡筒の改造で済んだ理由は、鏡筒構造の堅固さにある。鏡筒構造は強度で決まる設計ではなく、重力変形を抑え、かつ機械共振周波数を高くするための“高剛性化設計”である。機械共振周波数は鏡筒の剛性と質量の比の平方根で決まるため、剛性は変わらず、鏡筒先端の主焦点ユニット質量がSuprime-Camから2トン程度増えても、約150トンの鏡筒質量に対する変化はわずかであり、共振周波数がほとんど変わらないことは自明である。このおかげで、5章の制御システムに登場する駆動制御系安定化用の28次IIRフィルターにも、変更の必要がなかった。このような望遠鏡構造の特質は、今後の観測装置の進化の受け入れにも、大いに役立つものと考えられる。
 蛇足かもしれないが、鏡筒や架台構造には、ところどころに機械加工2つ仕上げ面を持つ20 cm~40 cm幅の鋼板が溶接してあり、しかも、ボルト用のねじ穴が整然と設けられている。これは、構造設計を担当した熟練の技師達が設けた“捨て座”と呼ぶ面であり、加工基準、組立時の測定面、吊治具の取付けなどに使用された。新しい観測装置等の装備等には遠慮なく利用してもらいたい。


6.3 すばる望遠鏡技術の応用製品

 すばる望遠鏡の実現においては、部品、材料、精密機器、電子機器、試験装置、ソフトウェア等の供給や、板金・製缶・溶接・機械加工、施工、組立、配線、試験、輸送等の多くの工程において、多数の国内企業に協力を頂いた。まさに、1990年代における日本の最先端技術の結集であり、アメリカから調達した大型光学部品等の長所を活かし、欠点を補う最高のレベルであった。すばるの開発過程で培われた技術やノウハウは、三菱電機に限らず、貢献した多くの企業で発展的に応用され、様々な製品に活かされているものと思うが、公開情報からその実態を知ることは難しい。
 三菱電機においては、すばるの光学設計手法が大型リアプロジェクションテレビを用いた電子看板に活かされるなど民需分野にも応用展開されたが、ここでは、科学分野に貢献中の製品を紹介し、すばる望遠鏡の技術のどの部分が応用されているかを紹介する。地上設置の製品例を図6.8(6.8-1~図6.8-8)に、衛星搭載製品例を図6.9(図6.9-1~図6.9-2)に示し、表6.2に、それぞれの製品に生きるすばるで開発された技術、及び、すばるが適用したすばる以前の技術を一覧で示す。中には、次期計画として検討中のものを含む。

●図6.8-1 広島大学1.5 m望遠鏡「かなた」

図6.8-1 広島大学1.5 m望遠鏡「かなた」
(元国立天文台三鷹)
出典:https://www.hiroshima-u.ac.jp/hasc/abstract(2023年10月15日閲覧)

図6.8-2 県立ぐんま天文台1.5 m望遠鏡

図6.8-2 県立ぐんま天文台1.5 m望遠鏡
出典:https://www.astron.pref.gunma.jp/instruments/
telescope_150 cm.html
(2023年10月15日閲覧)

図6.8-3 兵庫県立大学西はりま天文台2 m望遠鏡「なゆた」

図6.8-3 兵庫県立大学西はりま天文台2 m望遠鏡「なゆた」
出典:http://www.nhao.jp/public/telescope/index.html(2023年10月15日閲覧)

図6.8-4 JAXA美笹深宇宙探査用地上局54 mアンテナ「GREAT2」

図6.8-4 JAXA美笹深宇宙探査用地上局54 mアンテナ
「GREAT2」(三菱電機提供)

図6.8-5 JAXA美星スペースガードセンター1 m望遠鏡

図6.8-5 JAXA美星スペースガードセンター1 m望遠鏡

図6.8-6 大阪大学LFEXペタワットレーザリアエンド光学系

図6.8-6 大阪大学LFEXペタワットレーザリアエンド光学系
出典:https://www.ile.osaka-u.ac.jp/ja/facilities/lfex(2023年10月15日閲覧)

図6.8-7 国立天文台 ALMA望遠鏡

図6.8-7 国立天文台 ALMA望遠鏡(口径12 m、及び7 m)
(三菱電機提供)

図6.8-8 国立天文台 TMT 30 m望遠鏡予想図

図6.8-8 国立天文台 TMT 30 m望遠鏡予想図

図6.8 科学分野に貢献するすばる望遠鏡技術の応用製品(地上設置)


図6.9-1 JAXAひので衛星搭載 SOLAR-B

図6.9-1 JAXAひので衛星搭載 SOLAR-B 0.5 m可視光望遠鏡
出典:https://www.jaxa.jp/projects/pr/brochure/pdf/04/
sat23.pdf

(2023年10月15日閲覧)

図6.9-2 JAXA衛星搭載 SOLAR-C 0.2 m極紫外光望遠鏡

図6.9-2 JAXA衛星搭載 SOLAR-C 0.2 m極紫外光望遠鏡
(実現性検討中)
出典:https://www.nao.ac.jp/open-day/2022/
asset/img/solar-c/poster02.pdf

(2023年10月15日閲覧)

図6.9 科学分野に貢献するすばる望遠鏡技術の応用製品(衛星搭載)


表6.2 科学分野の製品に生きるすばる望遠鏡の技術6.6)

誤差配分 波動解析 能動光学
主鏡支持
能動光学
副鏡等駆動
波面誤差直交関数表現 セルリエ/ホモロジー構造 段付フランジ構造 断熱構造 高機械共振周波数 Az/El
駆動
静圧軸受 テープ式エンコーダ IIRフィルタ 外乱抑圧速度制御ループ AG制御ループ 光学試験方法 保守ロボット
広島大学
1.5 m望遠鏡
「かなた」
FD
ぐんま天文台
1.5 m望遠鏡
FD
西播磨天文台
2 m望遠鏡
「なゆた」
FD
JAXA 美笹
新宇宙探査用地上局
「GREAT2」
一部
JAXA 美星
スペースガード
センター
1 m望遠鏡
DD
大阪大学
LFEXペタワット
レーザリアエンド
光学系
国立天文台
ALMA望遠鏡
DD
国立天文台
TMT30 m望遠鏡
DD
JAXA ひので搭載
SOLAR-B
0.5 m可視光望遠鏡
JAXA 衛星搭載
SOLAR-C
0.2 m極紫外光望遠鏡

*次期計画として実現性解析が進行中、FD:フリクションドライブ、DD:ダイレクトドライブ
色を施した項目は、脈々と継承されているすばる望遠鏡以前の技術


 表6.2の中で、ひので衛星搭載のSOLAR-B 0.5 m可視光望遠鏡(2006年9月打ち上げ)は、すばるで培った光学望遠鏡技術を宇宙空間で使えるように進化させたものである。外口径は56 cmと小さいが、主鏡・副鏡間の距離は1.5 mであり、鏡筒の長さも2 mある。すばるから多くの技術が発展的に適用されているが、中でも、特に光学試験方法についてエピソードを含めて紹介する。この望遠鏡は、アメリカの2.4 mハッブル宇宙望遠鏡や8.3 mすばる望遠鏡に匹敵する0.2 秒角の分解能を目指していた。このため、1 Gの重力下で実施する地上試験で、無重力状態の衛星軌道上の主鏡、副鏡等の相対位置が、理想的な位置からμm単位しかずれないことを保証しなければならなかった。よって、それまでの衛星搭載光学機器には無かった、世界初の試験手法の発想が必要となった。図6.10にその概念6.7)を示す。鏡筒上向きの状態でレーザー干渉計の光を望遠鏡に入れ、焦点位置から発散光を副鏡に当てて反射させ主鏡を照らせば、主鏡から平行光が反射する。鏡筒の外側上部に設置する平面鏡でこの光を逆方向に反射させれば、逆ルートを通り、光はレーザー干渉計に戻り焦点を結ぶ。これで、干渉計測が成り立つので、この状態(+1 G)で波面誤差を測定する。干渉計から平面鏡までの試験セットアップをそのまま反転させて鏡筒下向きの状態(-1 G)にし、同様に波面誤差を測定する。との和の1/2が無重力状態における、研磨誤差、光軸調整誤差等の残留誤差になる。2001年頃だと思うが、この試験概念をアメリカNASAにおけるデザインレビュー会議で筆者が発表した際、あるレビューワーから動作原理に関する質問を受けた。1自由度系のバネと質量のモデルで説明し、高校レベルの物理で分かる簡単な原理であるため自明ではないかと回答し、納得してもらった。後で、国立天文台のプロジェクトマネージャで教授(当時)の常田佐久から、「あの方は、世界でも有名な数学者ですよ。よく、尻込みせず、堂々と答えられましたね。」と言われ、赤面したのを覚えている…。

図6.10 ひので衛星搭載SOALR-B 0.5 m可視光望遠鏡の無重力模擬試験の概念<sup>6.7)</sup>

図6.10 ひので衛星搭載SOALR-B 0.5 m可視光望遠鏡の無重力模擬試験の概念6.7)

 図6.10を用いた実測の結果、波面誤差として21.5 nmRMSが測定され、ほとんど回折限界の性能を達成した。SOLAR-B望遠鏡は、打ち上げ後に0.2秒角の分解能を達成していることが確認され、17年を経た現在でも高度680 kmの軌道から太陽を観測し続け、多くの成果を上げている。すばる望遠鏡の数々の光学試験経験から培った技術がなければ、新しい地上試験方法を含め、SOLAR-B望遠鏡の成功はなかったであろう。

参考文献

6.1  岡村定矩, 2017, Suprime-Camの誕生まで, 天文月報 2017年12月第 110巻 第12号, pp. 768-776
6.2  成相恭二, 2017, すばる望遠鏡主焦点光学系設計の思い出, 天文月報 2017年12月第 110巻 第12号, pp. 777-780
6.3  小宮山裕, 2017, Suprime-Camが見た近傍銀河の姿, 天文月報 2017年12月第 111巻 第1号, pp. 93-113
6.3  Keizo Miyawaki, Noboru Itoh, Ryuichi Sugiyama, Manabu Sawa, 1994, Mechanical structure of the SUBARU Telescope, SPIE Proc. 2199, pp. 754-761
6.4  三神泉, 田畑真毅, 1991(出願), 反射鏡の矯正方法, 特許第2698242号
6.5  江崎豊, 遠藤真, 2014, すばる望遠鏡の超広視野 主焦点カメラ“HSC”, 三菱電機技報, Vol. 88, No. 2, pp. 17-20
6.6  江崎豊, 川口昇, 2021, 地上大型光学・電波望遠鏡のキーテクノロジー, 三菱電機技報, Vol. 95, No. 2, pp. 51-53
6.7  Y. Suematsu, S. Tsuneta, K. Ichimoto, T. Shimizu, M. Otsubo, Y. Katsumata, M.

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 7 おわりに

まとめ

 筆者が1984年8月から始まった国立天文台のJNLT技術検討会に初めて参加したのは、1987年2月5日の第25回技術検討会である。担当していた豪州向け衛星通信プロジェクトが終わり、次の事業として、JNLTの実現性向上に向け、研究開発と提案活動を行うようにとの会社指示だったと記憶している。天文台の仕事は、入社後すぐに担当した野辺山45 m電波望遠鏡の機械設計以来6年ぶりだった上に、お客様が「電波天文学」ではなく「光学天文学」の先生方だったため、雰囲気が違うなという印象を持った。検討会では、すでに主鏡能動支持に関する検討が進んでいたため、貢献できる領域として、主鏡、ドーム、望遠鏡構造などの周辺部分から検討を始め、徐々に、主鏡能動支持の制御の在り方へと広げて行った。研究開発に加えて、毎年の予算申請前の自主提案、国内外のmake-buy計画、9年間の工程表やコスト、リソース計画の作成等、多くの仕事を数人のメンバーでこなさねばならなかった。1991年のすばるの受注後は、望遠鏡とほぼ無縁の社内の設計、製造、品質管理、調達等の部門の立ち上げのため、具体的な仕様書や海外調達の仕組みづくり等から始め、進捗管理、性能管理、コスト管理、ドーム火災の現地復旧対策、システム試験計画、保守計画、引き渡し等のプロジェクト推進に奔走した13年であった。
 このような経験を踏まえて引き受けた本系統化調査だったが、すばるを含む大型光学望遠鏡のどの部分を系統的に調査すべきか、正直、迷いがあった。長い歴史を持ち、数も多い国内外の多くの望遠鏡の調査では大きすぎるし、すばるを対象にした場合には、国立天文台から発信されている芳醇な情報と切り口を変えねばならない。そんな中で、未来に残すべき望遠鏡の技術資産とは何かと考えた瞬間、思い付いた。それは、すばる望遠鏡に使った「以前の技術資産」と、すばるの開発の中で生み出された「新しい技術資産」ではないかと。しかも、それらを、すばると競い合ってほぼ同じ時期に完成した「欧米の8 m級望遠鏡の技術資産」と比較する形で残すことができれば、望遠鏡や類似のシステムを開発中の、あるいはこれから開発する方々のために、多少なりともお役に立てるのではないかと考えた。このような方針で調査を開始したが、多くの論文や著書の中に分散して記録されるすばるや欧米の望遠鏡に関する膨大な情報から、本書の目的に合致した物を取り出し、系統的にまとめる作業には困難が伴い、当初の思いの7割も書けたであろうか。自分の力不足を反省している。
 さて、この調査の過程で触れた1980年代中旬から2000年代前半における8 m級望遠鏡の技術情報や報道内容を通じ、改めていろいろなことを感じた。その中で、特に、発注形態や国民性の差に関する感想を紹介したい。まず、発注形態の側面である。

 ①欧州南天天文台のVLT、米国NOAOのGEMINIは、望遠鏡ユーザの組織そのものが、望遠鏡開発に関わる技術者集団とプロジェクト推進母体を内部に設置し、概念開発、基礎実験、システム設計を実施して実現性を確認した後、詳細設計ができるレベルの仕様書を開発し、その仕様書に基づき、詳細設計、製造試験、現地据付を、各専門メーカに発注し、総合性能の調整や試験は自らがまとめあげるシステムインテグレータ方式である。リスクの高い開発の主要部分は発注者側が責任を持って推進するため、調達コストが抑えられる一方で、多くの技術者を発注者側が雇用するため、開発で培われたノウハウや技術資産の多くは、発注者側に継続的に残りやすい。

 ②日本のすばる望遠鏡は、望遠鏡ユーザ組織が望遠鏡の性能要求を作り、それを用いて、システム設計、詳細仕様書、詳細設計、製造試験、現地据付、総合性能調整、試験を一社に発注し、受注した企業がまとめあげる、プライムコントラクター方式である。リスクの高い開発の主要部分を受注者側の責任で推進するため、発注者側の調達コストは増える一方で、発注者側に開発技術者等の雇用は必要ないため比較的小規模な体制で済むが、開発で培われたノウハウや技術資産の多くは、受注者側に残りやすい。すばるでは、発注者と受注者の共同研究体制を敷き、重要な技術課題の概念開発と基礎実験を行うプロセスに恵まれたため、概念レベルでは多くの技術資産が発注者側にも残っている。

 VLTはインテグレータ方式が成功した良い例であり、すばるは、プライムコントラクター方式が成功した良い例と言える。GEMINIでは、インテグレータ方式の難しさと苦労が、主に最終段階で露呈したように見える。国民性、雇用形態、国家機関の運営方式だけでなく、プロジェクト規模も勘案して、より“似合う”発注方式を採用すれば良いが、ノウハウや技術資産を多く持つ側が開発の主体になるのは、いたって自然だと思う。しかし、日本で、すばる望遠鏡レベルの予算規模(約400億円)や開発難度を持つ科学プロジェクトが続々と発生することは、残念ながら難しい。従って、企業側が、以前のプロジェクトで獲得した技術資産を技術者とともに抱え続けることが困難な時代に遭遇しているのではと危惧する。また、すばる以降の大型望遠鏡では、京都大学が取りまとめた「せいめい」望遠鏡(3.8 m分割鏡、花山天文台)、東京大学が建設中のTAO望遠鏡(6.5 m単一鏡、チリのチャナントール山に建造中)のように、望遠鏡ユーザが自ら設計してインテグレーションする欧米方式に移行しつつある。これらの背景を踏まえ、発注者と今までの技術資産を抱える受注者間の技術者交換など、公正ながらも、技術的・人的なリソースを自由に活用し合える仕組みが活性化され、我が国に定着することを心から祈念する。
 次は国民性面での感想だが、国立天文台のホームページをはじめ、様々な資料に有効口径の8.2 m望遠鏡として紹介されている。一方、GEMINIやVLTでは、それぞれ8.2 m、8.1 m望遠鏡と、慣習通り(?)外口径を用いている。口径、性能共に世界一にこだわった予算申請や開発段階の日本的なしつこさが忘れられたのか、それとも謙譲の美徳によるものかは別にして、世界と同じ土俵で「8.3 m」と、堂々と紹介していただけないものかと切に思う。
 最後になるが、10年超のすばる望遠鏡のプロジェクト運営には、本報告書にまとめた技術以外に、全く異なる管理技術が必要だった。各専門分野で活躍する技術者が多いのは当然だが、幾つかの分野にまたがって新しい応用技術を開発し、まとめあげる“システム技術”の面でより力を発揮できる技術者もおられよう。そのような技術は、大規模システムの開発推進に不可欠でありながら、外から存在が見えにくく、かつ、伝承や育成が難しいのも事実である。この技術の意義と重要性を世に問い、この分野を目指す技術者を増やすための系統化調査が行われることを願い、また、本報告書が、日本の科学技術の進化や、さらに困難な大型望遠鏡等の開発にむけて、僅かでも参考になれば望外の幸せであることを記して、本報告書を閉じる。

謝辞

 本調査を開始するにあたり、真っ先に賛同の意を表して下さった国立天文台台長の常田佐久氏、1980年代に国立天文台が発行した貴重な技術資料を貸与いただいた国立天文台名誉教授の家正則氏、天文学と望遠鏡の発展の歴史等のまとめにおいて様々なアドバイスをいただいた国立天文台の林左絵子氏に、お礼を申し上げます。また、本書のいたるところで紹介したすばる望遠鏡の開発、製造、建設における写真の殆どは、国立天文台から頂いたCDである「すばる望遠鏡光学系の製作」、「すばる望遠鏡建設記録」、「空撮すばる&仮組すばる」から選択したものであり、主撮影者である元国立天文台の宮下曉彦氏(故人)を含み、CD制作に関わった全ての方々に、心からの感謝の意を表します。
 すばる望遠鏡の開発時代の情報提供や記載内容へのアドバイスをいただいた三菱電機OBの伊藤昇氏、松下匠氏、すばる望遠鏡の開発を共に推進した国立天文台の関係者の方々や三菱電機及びその関連会社のOB及び現役の皆様、そして、すばる望遠鏡の建設に協力頂いた国内外の企業、研究機関を含む全ての貢献者の皆様に、深く敬意を表し、お礼を申し上げます。
 なお、すばる望遠鏡の実現に主導的な役割を果たされた方々のお名前は、本文中では一部だけの紹介に留め、著書や論文の著者名として参考文献にできるだけ多く紹介させていただきました。抜けている場合に備えて予めお詫び申し上げるとともに、その場合にはご寛容をお願いいたします。

若手中心の望遠鏡プロジェクト

 すばる望遠鏡の予算が現実味を帯びた1990年頃である。三菱電機では、望遠鏡のシステム検討を加速するため、先行して天文台との技術検討会に参加していた伊藤昇と筆者らに加えて、技術者を補強することとした。ところが、可視光や赤外線分野で大型の反射鏡を扱った経験者や、光学系技術に造詣が深い技術者は社内で皆無に近い。しかも、既に受注済みの他の案件に影響が出てはならないという事情もあり、人選は難航したようである。結局、「新しい分野を柔軟に吸収して対応することが可能」な若手の機械系・制御系技術者4名と、天文学科出身の新規卒業者1名が投入され、望遠鏡推進グループが誕生した。発足当時のメンバーが集結した写真(2000年8月に放映されたNHKのProject-X、宇宙ロマンで紹介されたもの、筆者が撮影)を下図に示す。当時の統括責任者である木下親朗(故人:写真の後列右から2人目)を除けば全員が40歳以下であり、前列の4名と後列右端のメンバーは、当時25歳~30歳である。
 新しい分野を柔軟に吸収可能な若手と言えば聞こえが良いが、自分で設計した製品を世に送り込み評価を受けた経験が少ないため、自らが実施する検討を確たる自信と正しい方向性を持って進めるのは難しい。何らかの前例をベースに改善や拡張を施す設計手法が当時の大学で学ぶ主な内容だったこともあり、世界最高性能を目指すすばる望遠鏡の実現性検討は、若手技術者にとって本当に大変だったように記憶している。先輩格である伊藤昇(後列右から3番目)と筆者(後列左から2番目)が未検討だった領域の検討を新しいメンバーに託すためには、どのような手法や計算式を用いて検討を進めるかの方向性をかみ砕いて伝達しなければならず、このため、検討結果を天文台との定例会議に間に合わすため深夜まで支援するケースが続発し、「自分で検討した方が早いのに…」とイライラ感を覚えた。しかし、徐々に検討速度が上がり、チームとしての実力向上を目の当たりにする段階に達した際には、「生みの苦しみ」と言える立上げ時の我慢の重要性を再認識させられた。同様な経験をお持ちの技術者の方々が多くおられるのではと思う。

 このようにして発足した望遠鏡推進グループが中心となり、6 cm幅A4ファイル2冊の大型光学赤外線望遠鏡(JNLT)の技術提案書を完成させ、1991年のすばる望遠鏡のシステム受注に貢献した。受注後は、社内の機械設計、制御設計、ソフトウエア設計、プラント設計等の専門部門に詳細設計を展開することになるが、この段階でも同様な「生みの苦しみ」を経験する。この苦しみは、未経験の技術分野を含む大規模製品の開発には必須のプロセスではないかと思う。社内の専門部門が本格的に動き始めると、望遠鏡推進グループの主な役割は、工程、人的リソース、コスト等の管理を含むプロジェクトマネーメント、システム構成要素に配分した「許容誤差」の実現管理(必要に応じて誤差配分値の見直し)に加えて、主鏡や副鏡等の鏡材、研磨、焦点部の光学センサー、ドーム、蒸着装置など、社内で引き受ける部門のない特殊構成品の国内外からの調達(100億円規模)が主体となる。グループメンバーは、その後、若干名増えたものの、すばる望遠鏡の完成までの仕事を、わずかなメンバーで良くこなせたものと今更ながら感心する。
 最後に、立上げ時の1人の若手メンバーのエピソードを紹介したい。「私は、設計がやりたくて会社に入りました。英語がうまくなるためではありません。なぜ、英語まで勉強しなければならないのですか?設計部門に移してください。」という訴えを受けた。どのように回答して納得してもらったかは覚えていないが、そのメンバーはすばる望遠鏡完成まで当グループで頑張り、現在は、外国語が使える重要な技術者として設計部門で活躍しておられる。

 地上設置の大型光学赤外線望遠鏡の大口径化、
 高精度化の系統図


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舞台照明用調光装置の系統化調査 産業技術史資料 所在確認

番号 名称 製作年 製造社 所在地 選定理由
1 すばる望遠鏡(焦点機器、観測機器、ドーム、及び、付属設備含む) 1999年 三菱電機株式会社
富士通株式会社
ニコン株式会社
キヤノン株式会社
大成建設株式会社
アメリカ
合衆国
ハワイ州ハワイ島
国立天文台ハワイ観測所
日本が海外に初めて設置した、単一鏡構成の望遠鏡として世界最大(建設当時)かつ最高性能の、記念すべき国産望遠鏡である。20世紀末に展開された日米欧の8 m級望遠鏡開発競争において、大型望遠鏡建設の経験が皆無に近かった日本が、電波望遠鏡や衛星通信、他の産業技術を駆使して成功に導き、世界中を驚かせた。現在も、世界には類を見ない主焦点の広視野性能を活かして天文学上の成果を続々と上げており、日本が世界に誇る望遠鏡として活躍中である。
2 45 m電波望遠鏡 1984年 三菱電機株式会社
富士通株式会社
大成建設株式会社
長野県 南佐久郡
国立天文台野辺山宇宙電波観測所
遅れていた日本の電波天文学を、一気に世界レベルに押し上げたミリ波観測用の超大型電波望遠鏡であり、光学天文学におけるすばる望遠鏡のプロジェクトの発案に大きな動機を与えた。加えて、この望遠鏡に適用した柔軟構造設計技術、外乱抑圧特性の良い制御技術、鏡面補正技術、プロジェクト推進手法などが、すばる望遠鏡に発展的に継承されており、様々な側面で、すばるの親的な存在の望遠鏡である。
3 1.3 m赤外線望遠鏡 1988年 三菱電機株式会社 神奈川県 相模原市
JAXA宇宙科学研究所
大型光学望遠鏡の開発経験がなかったすばる望遠鏡の設計陣が、プロトタイプの位置付けとして開発した、建設当時、口径1 mを超える国内初の経緯台方式の望遠鏡であり、国内最高性能を発揮した。適用された経緯台方式、フリクション駆動方式等の技術は、ドームの小型化を含む望遠鏡の低コスト化の道を開拓してその後の国産望遠鏡に大きな影響を与え、1990年代後半から2000年代の国内1~2 m級望遠鏡の建設ラッシュを導いた。
1.88 m光学望遠鏡用真空蒸着装置 1960年 日本真空株式会社
岡山県 浅口市
岡山天体物理観測所
すばる望遠鏡の主鏡真空蒸着装置において、構想開発の原型となった国産のアルミ蒸着装置である。当設備の長年の運用から蓄積されたノウハウは、すばるの真空蒸着装置開発段階で発生した様々な技術的問題の解決だけでなく、主鏡保守に必要な鏡面洗浄装置やその他のドーム内設備の開発企画において、極めて大きな貢献を果たした。
ひので衛星搭載
SOLAR-B 0.5 m 可視光望遠鏡展示品
(主鏡、排熱鏡)
2006年 三菱電機株式会社 東京都 三鷹市
国立天文台
すばる望遠鏡技術の中の、反射鏡支持、低膨張構造、望遠鏡性能試験等の技術を駆使し、約680 kmの太陽同期軌道に打ち上げて太陽を観測中の、国産初の本格的な宇宙遠鏡である。小型ながら、ハッブル望遠鏡と同じ0.2秒角の分解能を軌道上で達成し、太陽フレア、コロナ放出の瞬間の観測などで成果を上げるとともに、本望遠鏡で開発した無重力状態が模擬可能な光学性能評価試験方法は、世界初の手法であり、現在の様々な衛星搭載光学機器に継承されている。
西はりま2.0m望遠鏡「なゆた」 2004年 三菱電機株式会社 兵庫県 佐用郡
兵庫県立大学西はりま天文台
すばる望遠鏡の設計技術を小型化、低コスト化方向に改良し、製造された単一鏡構成の国内最大の望遠鏡である。「ミニすばる」とも呼ばれ、公開天文台として世界でも最大級の設備であるとともに、国際級の観測成果を上げている。すばるや、その他の望遠鏡用の観測装置の試験運用にも適用されており、様々な分野で貢献を果たしている。
Japanese National Large Telescope and Related Engineering Development (Edited By T. Kogure and A. T. Tokunaga) 1989年 国立天文台
(Kluwer Academic Publishers出版)
東京都 三鷹市
国立天文台
1988年に日本が東大で開催した国際シンポジウム“The International Symposium on Large Telescopes”は、すばる望遠鏡の原型であるJapan National Large Telescope(JNLT)の開発の全容を日本が世界に発信した初の機会である。このシンポを通じて、当時のJNLTの検討レベルが国際的に比肩する高さであることが確認された結果、関係者が大きな自信を得て、すばる望遠鏡の予算化活動に拍車をかけることになった。発表されたJNLTの検討内容だけではなく、その時点の欧米の大型望遠鏡計画の開発内容が全て凝縮された貴重な資料である。
大型光学赤外線望遠鏡計画説明書 1989年 国立天文台 東京都 三鷹市
国立天文台
すばる望遠鏡の原型であるJNLTの技術検討会は、東京天文台(当時)主催で1984年から1989年に開催された。その中で発表された内容を、天文学、工学、プロジェクト計画等の全側面でまとめた資料である。主鏡口径が7.5 mだった時代の大型光学赤外線望遠鏡計画の実現性検討内容が把握可能であり、同様なシステムの開発企画を行う際の指標となり得る情報が集約されている。

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