Systematic Survey on the Spinning Technology for Staple Fiber after 1950
松本 龍守 Tatsumori Matsumoto
■要旨
私たちが身にまとう衣服の多くは短繊維を撚り合わせてできる紡績糸から作られている。人類は地球上のそれぞれの土地で入手可能な素材から、気の遠くなるような時間と手間をかけて糸を紡ぎ、布を織り、衣服を作り暮らしてきた。やがて糸車が生まれ、これがヨーロッパに伝わり16世紀にフライヤーが取り付けられ、ザクセン紡車と呼ばれる紡績道具が生まれる。18世紀後半、木製の道具を使って家庭で作られていた紡績糸は、鉄製の機械に変わり工場で作られるようになった。動力は人力や家畜から水力、蒸気機関へと24時間運転可能になり、大量生産が始まる。中世の糸車は1830年頃ミュール精紡機やリング精紡機に辿り着いた。200年後の今でもその原理機構は変わっていない。
第二次世界大戦後の経済復興期になると、さらに布の需要は増し、織機は次々に新しい緯糸挿入方式を実現した。シャトルからプロジェクタイル(グリッパー)、レピア、ウォータージェット、エアージェットと、いわゆる革新織機の出現である。布需要に対し糸生産が追い付かず、従来型の紡績方式の生産性の課題を分析し高速化に必要な条件が洗い直された。高速紡績には繊維束の連続性を断ち繊維端をオープンエンドにするか、連続性を維持し無撚のままでフィラメントを巻き付ける。あるいは糊で固めて布にした後にこれを洗い流す。それとも仮撚りの撚り戻りを利用して一部の繊維を巻き付ける、また機械式往復運動、あるいは旋回エアーを用いてSZの交互撚りで2本の繊維束を緩く絡ませたあと撚糸機で撚りを入れるなど、様々な手法が世界中で試された。しかし多くは試験途中で撤退し、幸運にも商業生産にたどり着けたのは1967年のローター式オープンエンド精紡機(チェコスロバキア)、1981年の空気仮撚り式エアージェット精紡機(日本)、そして1997年の空気渦流式ボルテックス精紡機(日本)だけである。これら革新紡績機と呼ばれる高速化と省人化を意図して開発された機械の登場により、従来型の精紡機がすぐに置き換えられることを疑う人はいなかった。生産性が低く手間のかかるリング精紡機は次第にローター式オープンエンド精紡機に市場を失っていった。
ところが1970年代末にスプライサーと呼ぶ糸継ぎ技術が日本で発明され、結び目が多く高速の編み機や織機での使用は不可能と見られていた従来型の精紡機(リングやミュール)が生き残ることになる。1980年代のスプライサーの普及に1991年末のソ連邦の崩壊による貿易の自由化、経済のグローバル化が重なり、人件費が安く労働力豊富なアジア地域に生産地を移動することで、機械コストの安いリング精紡機に回帰したのだ。同時に生産量も爆発的に増加した。リング糸の優れた繊維の配行性と均一な撚りトルクが風合いの良い製品を生み出し、超細番手糸、コンパクト糸、サイロ糸、コアヤーン、スラブ糸、意匠糸などのニッチな用途にも広がった。
他方ローター式オープンエンド機は21世紀に入りローター回転数が上限に達したとはいえ(リング精紡の約8倍)、生産性と自動化の完成度の高さで、太番手カード糸の分野では圧倒的なコストパフォーマンスを発揮し、タオル、デニム、帆布、作業服、下着などリング紡績糸がかつて占めていたコモディティ商品の多くをすでに置き換えている。
仮撚り方式のエアージェット糸はその撚り構造から布の風合いが固いこと、また綿100 % 紡績が不得意なこともあり、2012年に生産を止め撤退した。このエアージェットスピニングの反省から撚り構造に拘って生まれたのがボルテックス精紡機である。空気の旋回で繊維束をバルーニングして仮撚りを生成するエアージェット方式と異なり、一旦繊維をオープンエンド化することで実撚りを実現し、布の風合いを落とすことなくリング精紡の20倍から30倍、ローター式オープンエンド方式の2倍から4倍の高速で紡績できる。また毛羽が少なく、2層の撚り構造から来る抗ピル性や洗濯耐性、寸法安定性などの独特の布特性を持つ。ボルテックス方式は繊維端をオープンエンド化する過程で、短繊維が排出空気と共に失われるためショートファイバーを多く含むカード綿でのファイバーロスが多い。しかしショートファイバーの少ない原料を使用する細番手綿糸や人造繊維なら中番手から細番手まで広い番手範囲に渡り紡績速度を落とすことなく、少ない部品交換でカバーでき、ローター方式が不得意な細番手を補完する。
この半世紀、多くの紡績法が考案されアイデアを競ってきたが、この喧騒も落ち着きを見せてきた。この報告書の後半はそれぞれの紡績方式の持つ特徴と限界、また過去に試された様々な紡績方式を眺めながら、次の紡績機の進化や、地球温暖化に伴う自然の脅威に直面する今、持続可能な地球環境のために紡績に出来る貢献について考える。最後に新しい技術を導入するために行ってきたマーケティングについて紹介する。
■Abstract
The clothes we wear are made of spun yarn, which is made by twisting many staple fibers. Humans have spent much time and effort spinning yarn, weaving fabric, and making cloth from materials available in every region on the earth. The spinning wheel was subsequently developed and introduced to Europe, and in the 16th century, a flyer was attached to it, thereby creating a spinning tool called the Saxon spinning wheel. By the end of the 18th century, the wooden tools used to make yarn at home were replaced with iron machine in factories. Power changed from human and animal power to water and steam engine power, which could run around the clock, thus initiating mass production. By 1830, the medieval spinning wheel found its way into mule spinning machines and ring spinning machines. This basic mechanism has not changed in over 200 years.
During the economic boom that followed World War II, the demand for cloth continued to grow, and looms one by one achieved new methods of weft yarn insertion. From the shuttle to the projectile (gripper), rapier, water jet, and air jet, innovative looms emerged. Since yarn production could not keep up with the demand for cloth, the productivity problems of conventional spinning methods were analyzed and the conditions necessary for high-speed spinning were reconsidered. In high-speed spinning, either the continuity of the fiber-bundle is broken, and the fiber ends are left open, or the continuity is maintained, and the filaments are wound onto the untwisted core strand. Or, after the gluing together the fiber bundles to form fabric, the glue is washed off. Alternatively, use of untwisting of false-twist to wind fibers, or use of a mechanical reciprocating motion or rotating air to loosely entangle two fiber bundles with SZ alternate-twist, and then twisting with a twisting machine. Various methods have been tried around the world.
However, most of them withdrew from the trials, and the only ones which were fortunate enough to reach commercial production were the rotor-type open-end spinning machine (Czechoslovakia) in 1967, the air jet spinning machine with pneumatic false twisting (Japan) in 1981, and the vortex spinning machine (Japan) in 1997. No one doubted that the appearance of these innovative spinning machines, designed to increase speed and reduce labor, would soon replace conventional spinning machines. The low productivity and labor-intensive ring spinning machines gradually lost their market.
But at the end of the 1970s, a yarn-joining technology called splicer was invented in Japan, and traditional spinning machines, which had many knots and were thought to be impossible to use on high-speed knitting and weaving machines, survived. With the spread of splicers in 1980s, and trade liberalization and economic globalization due to the collapse of the Soviet Union at the end of 1991, production was relocated to Asian countries where labor was abundant and at low cost, causing ring spinning to return to the mainstream of yarn production. This was accompanied by an explosive increase in production. In addition, the ring yarn’s excellent fiber orientation and uniformity of twisting torque create products with good texture, allowing it to expand into niche applications such as ultra-fine count yarn, compact yarn, Siro yarn, core yarn, and fancy yarn.
On the other hand, rotor-type open-end machines reached their maximum rotor speed (approximately 8 times that of ring spinning), but thanks to their high productivity and high degree of automation, they have demonstrated overwhelming cost performance in coarse count cotton spinning and have already replaced many of the commodities previously occupied by ring-spun yarn.
The air-jet spinning machine with the false twisting method was discontinued in 2012 due to the hard texture of the fabric resulting from its twisting structure and unsatisfactory performance in 100 % cotton spinning.
The vortex spinning machine was born from the reflection of the air jet spinning method and was developed with a twist structure in mind. Unlike the air jet spinning method, which creates false twists by ballooning the fiber bundle using swirling air, the vortex spinning machine achieves a real twist by making the fibers open ended and can produce yarns 20 to 30 times faster than the ring spinning machine, and 2 to 4 times faster than the rotor-type open-end spinning machine without deteriorating fabric texture. The two-layered twist structure results in unique fabric properties such as low pilling, wash resistance, dimensional stability, and good water absorption. The vortex spinning system can cover a wide range of counts from medium to fine without reducing spinning speed and with fewer part changes, complementing fine counts that cannot be spun with the rotor method.
Over the past half century, many spinning methods have been devised and ideas have been in competition with one another, but the cacophony of the multitude of competing schools of thoughts has begun to abate. The second half of this report looks at the characteristics and limitations of each spinning method, as well as the various spinning methods that have been tried in the past, how spinning machines may contribute to earth sustainability in the face of the natural threats posed by global warming. This report concludes by covering the marketing we have carried out for this new technology.
■ Profile
松本 龍守 Tatsumori Matsumoto
国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員
1977年 | 京都工芸繊維大学工芸学部機械工学科卒業 |
1979年 | 京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科機械工学専攻 修了 |
1979年 | 京都工芸繊維大学工芸学部 文部技官 教務職 |
1982年 | 村田機械株式会社繊維機械事業部 技術部員 /Murata of America(アメリカ) /Murata Machinery Europa(ドイツ) |
1993年 | 村田機械株式会社繊維機械事業部 研究開発部 /技術部/技術サービス部 |
2002年 | 繊維製品品質管理士 |
2007年 | 技術士(繊維部門) |
2007年~2019年 | 日本繊維機械学会(学会誌編集委員長、理事、監事など) |
2010年 | 村田機械株式会社繊維機械事業部 営業部 |
2013年 | 日本繊維機械学会フェロー |
2023年 | 国立科学博物館産業技術史資料情報センター 主任調査員 |
ヨーロッパ各地を旅すると暮らしの中に歴史的な町並が保存され、著名な芸術家の作品だけでなく身の回りの生活用品や工芸品を集めた展示を度々目にする。中でも工業化がいち早く始まった繊維産業に関連する品々が大切に遺されている。古代インドやエジプト、中国の織物が展示されていることも珍しくない。その精緻な図柄や鮮やかで豊かな色彩に驚かされる。糸を紡ぐことは人類の歴史とともにあり、その糸から作られる布は人々の体を包み、健康と安全、そして何よりも生活を豊かに潤してきた必需品でもある。
我々の祖先は与えられた環境を生き抜くため、技術を生み出しそれを進化させてきた。衣服もまた入手可能な素材と加工方法を工夫し、試行錯誤を重ねて世界各地で独自に製作されてきた。動力機関が発明されるまで、家畜と人力が唯一の生産手段だったため、生産性に関して大きな地域差は見られなかったように思う。だが紡績技術は過去に2度劇的に進化した。最初は18世紀中頃からイギリスに始まる産業革命を織布業と共に牽引した。この影響が日本に及ぶのは100年後の幕末期で欧米列強は開国をせまり、明治新政府は植民地支配を免れるため殖産興業による富国強兵策のもと、西洋の先進技術を積極的に取り入れた。
2回目の大転換期は第二次大戦後の東西冷戦下、急速な経済復興を遂げる1950年代からの半世紀である。日本は綿製品の輸出大国で紡績産業は最盛期を迎えていた。生産設備を提供する機械メーカーは紡績会社からの注文に応えるため、最新の技術を忠実に学び、模倣し、さらに工夫を加え、やがて欧米メーカーに肩を並べ競い合う時代に入っていった。しかし繁栄が永遠に続く訳はなく、国内の紡績業は人件費の高騰、合成繊維の台頭、1962年の綿製品の輸入自由化、新興国との価格競争、貿易摩擦など様々な要因で競争力を失う中、1973年の石油危機をきっかけにエネルギー価格の高騰、景気の低迷が重なり急激に衰退していった。国内市場を失った繊維機械メーカーは海外市場で欧米メーカーとの熾烈な競争に勝ち残らねばならなかった。
紡績の中心にあるのは精紡機で、精紡機に合わせて前工程は最適化され、最終製品に至る後の工程も試行錯誤を繰り返しながら、精紡機の生み出す糸に合わせて最適化されてきた。18世紀産業革命の主役を担った紡績は度々紹介されてきたが、200年後の20世紀後半から現在に至る技術革新に関してはあまり知られていない。この系統化調査は紡績の主役である精紡機の、特に1950年代以降今日まで短繊維紡績機(注1.1)が辿ってきた道程を振り返りながら、今後の進化を考えてみたい。
(注1.1) | 糸にはシルクのように元々長い繊維から作られるフィラメント糸と綿や羊毛のように限られた長さの繊維を撚り合わせて作られる紡績糸がある。さらに紡績には綿繊維をルーツにもつ短繊維紡績と羊毛などから始まる長繊維紡績があり、繊維長が異なるために全く別の加工機と加工工程を通すことになる。繊維機械出荷統計ITMSS(International Textile Machinery Shipment Statistics)によると長繊維紡績は出荷紡績錘数の約1%程度で、絶対量も減少傾向にあることから調査報告は短繊維紡績を基本に記述する。2000年代以降、合成繊維の増加でフィラメント糸の方が紡績糸よりも生産量は多い。 |
この章は機械化の始まる18世紀後半、イギリスの産業革命で生まれる精紡機とその限界について述べる。
話を進める前にイギリスに始まる産業革命を振りかえり、紡績機の進化を追ってみる2-1, 2-2, 2-3)。糸車の発祥に関しては諸説あるが13世紀に中東のイスラム圏から中国、インドへと広がり14世紀にインドからヨーロッパに伝わったと考えられている。科学技術の発達はバスコダガマのインド航路の開拓やコロンブスの新大陸到達などの大航海時代を支え、優れたインド産の綿糸や綿布が、そして新大陸の綿花が大量にヨーロッパに持ち込まれるようになった。綿糸を製造する試みが始まり1533年ユルゲン(Johan Jürgen)はフライヤーを介してボビンに糸を巻き上げるザクセン紡機(Saxony wheel図2.1)を生み出した。糸車はここで撚りかけと巻き取りを同時に行う安定した加撚機構を手に入れたのだ。
図2.1 ザクセン紡車(出典;Wikipedia糸車)
図2.2 リング精紡機 (筆者作成)
ローター式OE ガラ紡(加撚) ガラ紡(ドラフト)
図2.3 ローター式OEとガラ紡の原理 (筆者作成)
(注2.1) | ローラードラフトとは回転する2組の対ローラーで把持された繊維束を、速度差を利用して断面当たりの繊維数を減らしていく手法で、出口側のローラーの周速度をvo、入り口側のローラーの周速度をviとすると、ドラフト比はvoviのもとでDraft ratio=vo/vi(2-1) と表せる。対ローラー間で、どちらの対ローラーにも把持されない繊維が多数存在するため、ドラフトすることで繊維量は周期的に変動する。このため高いドラフト比を取ることができない。これを改善するのがエプロンドラフトで上下のエプロンベルトで繊維束を挟み込み、出口側のローラーに繊維が捕まり引き抜かれるまで入り口側のローラー速度で動くエプロンで把持し、自由に動く繊維を抑制することで繊維量の周期的な変動を抑える。これにより数十倍のドラフト比を取ることが出来る。 |
(注2.2) | 繊維産業の歴史は古く、各産地は独自に発展してきた経緯から、地球上で多くの単位が使われている。英国の影響を強く受けた国々(アメリカや日本、またこれらの影響国)では英国式綿番手と呼ばれる表現が一般的で、単位重量(1ポンド)当たりの糸長を840ヤードの何倍かで表す。Ne200/1は単糸の重量が1ポンドの時に、その長さが840×200ヤードになるような糸を意味する。Neは英国式ナンバーカウントを意味し、ヨーロッパ大陸側はメートル、グラム単位のNm、Tex番手が一般に使用される。Nmはメトリックヤーンカウントで、1グラム当たりの糸長(メートル)を表す。またTex番手は1,000 m当たりの糸の重量をグラム(g)で表す。英国式を使うところではゲレン/ヤード(Gr./yard)と呼ぶ単位長さ当たりの重量を表す表現もよく使われる。7,000 Grains=1 Pound(英国式ポンド、453.6 g)と定義している。生産地のみならず扱う紡績素材によっても単位の定義が変わるため注意する必要がある。 |
(注2.3) | ウールの紡績には梳毛紡績(Worsted spinning)と紡毛紡績(Woolen spinning)があり、梳毛紡績は通常3インチ以上の細くて長いコーマ繊維から主に細番手のスムースで手触りの良い生地、例えばギャバジン(Gabardine)やサージ(Surge)などが作られる。紡毛紡績は一般に短く太い繊維から太番手糸を製造する。他の繊維とブレンドして使われることも多く、フリースやフェルト化して厚地のコートなどの衣料品だけでなくフロアーマットなどインテリアにも使われている。 |
ミュール精紡方式もリング精紡方式も共に1830年頃に基本原理が完成している。その後、エプロンドラフトやボールベアリング、スピンドルの振動防止機構、バルーンコントロールリングなどの発明はあるものの生産性を根本的に革新するアイデアは生まれず、新たな模索が活発になるのは100年以上も後の第二次大戦終結後の経済復興期である。
1965年の日本の紡績工場の人員構成をみると2-6)、前紡(ベール(Bale)開梱から粗紡まで)18 %、精紡28 %、巻き返し24 %、保全13 %、管理13 %、その他4 %と実に精紡と巻き返しだけで52 %、運転部門だけに限れば前紡26 %、精紡40 %、巻き返し34 %とある。リング紡績は粗紡、精紡、巻き返しに8割の人員を割いていたことになる。このため日本の紡績企業は精紡機の研究は勿論だが、紡績工場全体の省力化に取り組んだ。
東洋紡は豊和工業と組み1961年にCAS(Continuous Automated Spinning system)を構築、トヨタ紡織は豊田自動織機と共にTASを、日東紡はNASS、大和紡はDASS、呉羽紡はKMSなどの名称で、工程連結と部分的な自動化を取り入れた各社独自の生産システムを構築した2-7)。しかし大量生産を前提にした専用ラインは、品種切り替えやトラブル発生時に柔軟に対応できず、これらのシステムがそのまま生き残ることはなかった。
空気流を用いたブロールーム(注2.4)(Blow room)の繊維搬送や、粗糸を経ずに練條スライバー(Sliver)から直接紡績するスライバーツーヤーン(Sliver to Yarn)、巻き返しのボビンをワインダーに連続して供給するCBF(Continuous Bobbin Feeder)など、精紡機そのものの生産性向上への寄与は限られていたが、工程間の自動化は前進した。
当時、繊維機械メーカーは紡績会社の求める大まかな仕様の機械を納入し、それを各社が修正・調整することが普通で、主導権は紡績会社にあった2-8)。問題の本質である精紡機の生産性そのものへの対策が見つかるまでの時間稼ぎであったが、機械メーカーから見れば何をすべきか、何を求められているのかが明確な時代でもあった。
この頃の紡績会社による自動化、省力化の試みは無駄ではなかった。1980年代になると設備機器メーカーが新設工場の自動化・省力化を主導し始めると一気に前進する2-9)。ブロールームは空気搬送が普通になり、綿のコーミング工程(Combing Process)(注2.5)もオペレーターがラップ(Lap)またはバッド(Bad)に触れることなく自動搬送される。手間のかかっていた粗糸供給は自動ドッフィング(満玉を空ボビンに交換する作業)・自動搬送でリング機台まで運ばれ、空のボビンが回収されて戻ってくる。リング精紡機は一斉ドッフィングに代わり、ドッフィングされたボビンを巻き返すワインダーとの間で様々な連結システムも登場した。これらにより省力化は大いに改善されたが、精紡機そのものの生産性に効果的な対策は現れなかった。
(注2.4) | 現在、リング紡績工場の標準的な工程は、ベールの開梱(Bale Opener)に始まり、火災の危険性のある金属や石の除去(Separator)、繊維塊を砕き、不純物を取り出す前クリーナー(Pre-cleaner)、繊維を均質に混ぜ合わすミキサー(Mixer)、さらに細かく繊維塊を分解し異物を取り除くファインクリーナー(Fine Cleaner)、除塵、異繊維や梱包材などの異物を除去する異物検出装置(Foreign Material Detector)からなる。ここまでの工程を混打綿工程(Blow Room)と言い、続いて梳綿工程(Carding Process)に送られる。ここまでは空気搬送される。梳綿工程は繊維を一本一本にまで分解し、不良繊維を取り除く糸品質に重要な工程で、この工程を終えた繊維はロープ状に束ねた状態で筒状の容器(ケンス)に納められ、練條工程(Drawing Proceess)に運ばれる。練條工程の目的は繊維の向きを揃え平行に並べることと、梳綿工程の機械的な品質バラツキを緩和するためブレンド(注2.6)すること、また梳綿工程で作られるフック繊維を引き延ばし矯正することである。紡績する糸番手にもよるが通常は前練條、仕上げ練條を経て粗紡、リング精紡、最後の巻き返し(Back winding)工程で糸の品質を調べ、不良部を取り除いてパッケージに巻き上げる。このような工程を経て作られる綿糸をカード糸(Carded yarn)と呼ぶ。紡績工場に持ち込まれる繊維は、工場で扱えるように、人造繊維ならば一定長にカットされ工程をスムースに流すための油剤を添加し、ベール(Bale)と呼ぶ直方体に圧縮され、ポリプロピレン布に包まれて持ち込まれる。天然繊維の綿は収穫後、ジニング(Ginning)工場で繊維(Lint)を種から引き剥がし、茎や葉などの不純物を取り除いてから、ベールに圧縮し麻布などで包まれ、又はむき出しのまま金属ワイヤーやポリプロピレンのベルトで縛られて移送される。これら梱包材などの混入を防ぐため、異物検出とその除去技術が1990年代後半以降、格段に向上した。包みを解いて、温湿度の管理された部屋に24時間以上放置し、水分率を回復させてから混打綿工程(Blow room)が始まる。人造繊維の石油からの合成繊維であるポリエステルやアクリル、また植物セルロースの再生繊維のレーヨンやリヨセルは天然繊維のようなクリーニングの必要性はないが、繊維塊を分離し、不純物を除くことは同じなので、綿と同様な工程を通す。 |
(注2.5) | カーディングの後に予備練條、ラップフォーマー(Lap-former)、コーマ(Comber)を経て、仕上げ練條、粗紡、精紡、巻き返しで生産される糸をコーマ糸(Combed yarn)と呼ぶ。コーマの目的は繊維シートを櫛削ることで、シート内に残るネップ、未開繊繊維塊、短繊維を取り除き、繊維の並行度を高め、糸の物理的な強度や均斉度、風合いの良化を狙う。櫛で掻きやすいようにシート状に広げた繊維束をロールに巻き取る。このロールをラップ(Lap)またはバッド(Bad)という。またコーミング工程で取り除く短繊維をコーマノイル(Comber Noil)と言い、重量の15 %から20 %の繊維を通常取り除く。コーマノイルはバージン綿と混ぜて太番手糸の紡績原料に再利用されたり、きして紙幣に利用されることもある。 |
(注2.6) | ここでのブレンドは同一原料間の繊維特性のバラツキを均一にするためのブレンドで、異種原料を意図的に混ぜ合わすブレンドの意味ではない。異なる原料をブレンドして糸を作る場合は、予備練條の後に練條機で異なる繊維をブレンドするドローブレンド(Draw-Blending)とブロールームでミキシング前にブレンドするインティメイトブレンド(Intimate Blending)がある。ドローブレンドは均質に繊維が混ざらないので、ブレンドドローイングの後、少なくても2回の練條が必要で、この場合は予備練條、ブレンドドローイング、中間練條(Intermediate Draw)、仕上げ練條(Finishing Draw)を経て粗紡、精紡、巻き返しとなる。 |
リング精紡に代表される従来方式の最大の弱点は、その生産性の低さで原理に由来する2-10)。リング精紡はローラードラフトを用いて繊維数を糸番手に相当するまで減らし、リングレール上を滑るトラベラーの回転運動で繊維束を加撚しながら、同時にスピンドルに載せた細い管(ボビン)に糸を巻き取る。スピンドル回転速度の上昇に伴い遠心力と空気抵抗は増し、糸に掛かる張力が高くなることで糸切れが増加する。またリングとトラベラー、トラベラーと糸の摩擦抵抗の増大により発熱と摩耗、毛羽の増加を招く。回転数の上昇は糸生産量の増加以上にエネルギーを消費する。さらにリング径からボビン(コップ)の径が制約されるためラージパッケージに巻き上げることは物理的に不可能である。 ここで改めて精紡の役割を整理する。
① | 粗糸またはスライバーをドラフトして糸の構成繊維数まで減らす。 |
② | 繊維束に撚りを加え(加撚)、糸を形成する。 |
③ | 糸の欠点を取り除きながら次の工程で使いやすいパッケージに巻き取る。 |
ミュール、キャップ、フライヤー、リングと在来のいずれの紡績方法も、供給する繊維束は巻き取られるまで切り離されることなく連続している。もし①と②を切り離すことが出来れば加撚により仮撚り(注2.7)を生じることなく実撚りの糸を作り出せる。加撚するときにボビンも同時に回転しなくてもよいなら、ボビンの駆動エネルギーは必要なく、より高速に加撚することも、次工程に必要な糸量のパッケージに巻くことも出来るだろう。
要するに加撚と巻取り動作が独立していればボビンを回転しないで加撚でき、次の工程に相応しい形態、密度で必要な量の糸を巻けばよい。ハイドラフト可能なら粗糸を準備する必要は無く、粗紡工程無しに練條スライバーを直接精紡機に供給できる。リング精紡に代表される従来の紡績方式は、繊維が供給側から巻き取り側のボビンまでつながっていることそのものが生産性の足かせになっているのだ。
そこで繊維を一本ずつに一旦分離し、繊維の連続性を断つことで仮撚りを防ぎつつ、再び繊維を収束・加撚・巻き取るという一連の流れを実現できないかと世界中の技術者や研究者が挑んだ。
図2.4の上図に示すように繊維束が連続してつながったまま仮撚りを利用するグループと、無撚のまま表面にフィラメントを巻き付け整布後にフィラメントを洗い流す、あるいは糊で繊維束を固め、整布後に糊を落とすなどの手段で高速化を目指すグループ、さらに図2.4の下図のようにオープンエンドにすることで実撚り構造を維持し高速化をを追求する3グループに分かれることになる。(3章5節の表3.1紡績方式の分類を参照)
図2.4 撚りの違い
上;仮撚りと無撚、下;オープンエンド化による実撚り(筆者作成)
(注2.7) | 繊維束の両端を把持した状態で(図2.4の上図)、その中央を回転すると左右に撚り方向の異なる同数の撚りが作られる。この時作られる撚りは繊維端の拘束を開放すると消滅する。このような性質の撚りを仮撚りと言う。撚りを消滅させないためにこれまでの技術では加撚と同時にボビンに巻き取ることで糸にしてきた。これは出口側のペアローラーを加撚体と同じ方向に同数回転することを意味する。他方(図2-4の下図)、繊維の端を開放して、これをオープンエンドというのだが、繊維束を加撚しながら右に送ると繊維束は撚られたまま右のローラーから出てくる。これは実撚りである。 |
参考文献
この章の紡績関連技術の発生年は下記の2-1)、2-2)、2-3)から引用、異なるときはWikipedia(産業革命)に合わせた。
2-1) | 白樫侃, 綿糸紡績及びスフ紡績, コロナ社(1963) |
2-2) | 宇野稔,塩見昭,木瀬洋, オープンエンド紡績, 理工新社 (1970) |
2-3) | 繊維工学刊行委員会,繊維工学Ⅲ, 日本繊維機械学会 (1987) |
2-4) | 渡辺尚, Bruegelmann工場とドイツ産業革命, 社会経済学史36-6, pp.45-47(1971) |
2-5) | 西川尚武, 繊維機械技術者から見た英国産業革命, せんい60-8, pp.417-422(2007) |
2-6) | 田畑正顕,須佐見幸造,新海邦夫, オープンエンド精紡機MS400, 繊維工学20-11, pp.837-841 (1967) |
2-7) | 日本繊維機械協会, わが国繊維機械の技術発展調査研究報告書(I),機械振興協会・経済研究所, pp.295-315 (1989) |
2-8) | 村上文男, 連続紡績の栄光と誤算, 繊維工学32-2, pp.87-90 (1979) |
2-9) | 文献2-7), pp.316-342 |
2-10) | 文献2-2), p.5 |
従来型の精紡機の生産性を革新する研究は世界中で続けられていたが、糸需要の逼迫で1950年以降さらに活発になる。百花繚乱のごとく現れた提案の中から最初に成功したのがローター式オープンエンド紡績法で、加撚時に繊維端をオープンエンドにすることで糸は実撚りになり、従来方式の糸に似た特徴を維持しながら省力化と生産性の課題を克服した。リング精紡の特許から130年以上経過した1967年に商業生産が始まった。オープンエンド方式はローター式以外にフリクション式、バキューム式も期待されていた。特にフリクション式はリング精紡方式の20倍の生産性を容易に達成することから多くの研究者が注目していた。
続いて1981年、大阪国際繊維機械見本市(OTEMAS)に空気の高速旋回流で繊維束をバルーニングし、撚りを生成するエアージェット方式が現れる。結束糸と呼ばれ繊維が交絡して糸状になるか、仮撚りの撚り戻りで一部の繊維が糸表面に巻き込まれ糸を形成する。機械的な回転体が無くシンプルな構造からメンテナンスが容易な上、リング方式の10倍、ローター式オープンエンド方式の1.5倍から2倍(1980年頃)の生産速度を達成した。繊維束の両端を把持しないとバルーニングしないので、撚り構造は実撚りにならない。また綿100 %には向かないが合繊主体の繊維であれば生産性の課題は克服できた。
また高速化だけなら無撚の繊維束をフィラメントでラッピングし、整布後にフィラメントを溶かすものや、繊維束を接着し糸にするもの、繊維束を機械的にあるいは旋回空気流で交絡し、糸状の形態にしてパッケージに巻き取り、これをさらにツイスターで撚糸するものなども試された(3章5節、紡績方式の分類の表3.1を参照)。この当時、糸の撚り構造と布の風合いとの関係性への理解は深まっていなかった。
1997年、最後に登場したのがボルテックス(又はヴォルテックス)方式である。エアージェット方式への反省から、実撚りに拘って開発された。ボルテックス方式は繊維をオープンエンドにすることからオープンエンド方式の一種で、高圧空気の旋回流を利用する点ではエアージェットスピニング方式でもある。ただしエアージェット方式が空気の旋回流で繊維束をバルーニング・加撚するのに対し、ボルテックス方式は旋回空気流で加撚するのではなく、空気流は繊維をその流れに乗せて飛ばすだけで実質の回転体が存在しない。現状でもリング精紡の20倍から30倍、ローター式オープンエンド精紡の2倍から4倍の生産性を誇る。3章はこれらの精紡方式について解説する。
リング精紡方式の生産性の低さ、自動化・省人化の課題を最初に克服したのがローター式OE精紡機で、1965年にブルノ(Brno、現チェコ共和国)の見本市に出展されたチェコスロバキア国立綿業研究所V.U.B.のKS200である。1967年にその後継機BD200がITMA-Basel(注3.1)に出展され、機械の安定性と糸品質は世界中の関係者に衝撃を与えた。同年チェコスロバキア国内の紡績工場で操業を始めており、技術提携によるライセンス生産も決まっていた。この機械の登場まで様々なアイデアが競われてきたが、精紡機開発は以後BD200を手本に進むことになる。
(注3.1) | ITMA:欧州繊維機械製造事業者団体CEMATEXの主催で4年毎に10日間に亘り(現在は7日間)ヨーロッパで開催される世界最大規模の繊維機械見本市で、最新の技術、研究成果が披露され、この業界で最も注目されてきた。2000年代以降、世界各地でローカル見本市が開催され、旬の機械を見ることができるようになったが、ほぼ全ての機械メーカーはこの4年毎のイベントに合わせて開発を進めてきた。1951年フランスのリール(Lille)で第1回が始まり、2023年6月にミラノ(Milano)で第19回目が開催された。出展社、来場者数では2008年から2年毎に上海で開催のITMA-Asiaが勝る。1999年パリで開催された第13回ITMAがこの見本市の伝統を受け継いだ最後の見本市だったように思う。ITMAの特徴は最新の技術を展示するだけでなく、まだ研究段階で商品化が視野に入らないような試作装置が展示され、それらを見つけ出し、その傍にいる技術者、開発担当者に装置の意図や目的を聞き出すことも見本市に参加する大きな楽しみで、自らのアイデアを持ってメーカーのブースを尋ねる発明家も多く、持ち込まれたアイデアの謎解きに悩む日も度々あった。 |
日本でもITMA-Basel開催2か月前の1967年8月1日、豊田自動織機製作所(現豊田自動織機、以下、豊田)と大和紡が共同でBD200を導入し、豊田がライセンス生産すると発表した。また8月4日には東洋レーヨン(現、東レ)と豊和工業がローター式OE精紡機MS4003-1)の共同開発を公表、さらに8月7日に豊田が10年近く独自に開発を進めていたTX型3-2)と呼ぶローター式OE機を公表した3-3)。
これら日本製のローター式OE精紡機はリング精紡機に使われるローラードラフトを採用した両面仕様の200錘建てである。同年12月に公表されたS.A.C.M.(フランス)のインテグレイター(Integrator)3-4)と呼ぶローター式精紡機もローラードラフトを採用するが機台背面にケンスを置く片面機である。この頃、ドラフト装置はローラードラフトとコーミングローラーでまだ決着していなかった。
ローター式OE法に至る重要な発明を図3.1に示す。高速で回転するローターの遠心力によって分離繊維を再集積し、それを加撚するアイデアは1937年のベルテルセン(Berthelsen デンマーク)の英特許GB477259Aに遡る。このローターによる繊維の集束と加撚のアイデアに繊維を分解し移送するパベック(Miloslav Pavekチェコスロバキア)のアイデア(US3127730A、1964年)が結びつき、オープニングローラーとローターを組み合わせたKS200に、さらにその改良型のBD200に結実した。
図3.1 ローター式OE紡績法の基礎になる特許
図3.2はローター式OE精紡機の一般的な紡績ユニットを表している。ケンス1に入れられた練條スライバー2を直接、コンデンサー3に挿入するとフィードローラー4から針布を巻いたオープニングローラー5(コーミングローラーとも呼ぶ)で繊維一本一本に分解される。ローター側は負圧に保たれるので、移送ダクト6を介して高速回転するローター内8に繊維は吸い寄せられ、そこで遠心力が最大になる溝7(ローターの最大径)に沿って繊維は集績する。空気流は溝近くに開けられた穴からローター外に排気される。この時、糸端がローター上方から溝の近くに差し入れられると溝に溜まった繊維が次々に吊り上げられる。ローターの回転に伴って加撚されながら導糸管(Navel)9から引き出され、トルクストップ(Torque stop)10、テイクアップローラー11を経てパッケージ12に巻き上げられる。ローターの1回転でネーベルまでに1つの撚りが入る。加撚部とオープニングローラー間で繊維の端はオープンエンドになっており、この撚りが上流に伝わることはない。この紡績方法は高ドラフトを取れるので粗糸を供給する必要が無く粗紡工程が不要になる。またオープニングローラーは別名コーミングローラーの名の通り未開繊繊維の開繊、不純物の除去機能も併せ持ち、スライバー品質の影響を受けにくいので、糸欠点が少なく稼働効率も高い。
図3.2 ローター式オープンエンド精紡機の構成(筆者作成)
紡績速度(m/min)=ローター回転数(rpm)/
撚り数(twist/m) (3-1)
続く1971年のITMA-Parisにインベスタ(Investaチェコスロバキア)のライセンスを譲渡されたリーター(Rieterスイス)、プラット・インターナショナル(Platt Internationalイギリス)、インゴルシュタット(Ingolstadtドイツ)、豊田など10社からBD型のローター式精紡機が出展された。この見本市にズッセン社(Süssenドイツ)はツインディスク・ベアリングを用いて10万 rpm(ローター径36 mm)を試み、20社程度のメーカーにこの技術供与を持ち掛けたと言われている。その中にバーバーコルマン(Barber Colmanアメリカ)、インゴルシュタット(Ingolstadtドイツ)、シュラホースト(Schlafhorstドイツ)、村田機械なども含まれていた。
1973年ATME(American Textile Machinery Exhibition)に出展のBD200の後継機BD-A2Gには糸継補助装置が搭載され、早くも自動化へ動き始めていた。またローター回転数は9万 rpmで生産性は3倍に向上していた。この見本市にズッセン製のスピンボックスを載せたシューベルトウントザルツアー(Schubert & Salzer、ドイツ)のRU11に搭載されているローターは10万 rpmに達した。
4年後、1975年のITMA-Milanoには20社から28機種のローター式OE精紡機が出展され、精紡機開発の方向が定まったと言える。この見本市にズッセンがローターのクリーニングを含むピーシングロボットとドッフィングロボットを出展し自動化の動きが加速した。
1977年からズッセンのスピンボックスを独占的に供給されるようになったシュラホーストは、ドッフィングとピーシングを自動化したオートコロ(Autocoro、スピンボックスSE8、8万 rpm)を1978年のATME-Greenvilleに披露した。自動化に秀でたオートコロは80年代から90年代に市場を席捲する大ヒット商品に成長した。ローターの小径・軽量化やローターとオープニングローラーの摩耗対策にダイアモンドコーティング処理、繊維素材ごとに針布(メタリックワイヤー)形状やローターから糸引き出し口のネーベルの形状、トルクストップ機構などの繊維素材や糸番手への最適化が進み、1987年、スピンボックスSE9は10万 rpm、1995年のSE10(ローター径30 mm)は13万 rpmに、さらに1999年のITMA-Parisに出展のAutocoro-288のSE11は15万 rpmに達した。
1992年発行のITMSS出荷統計3-5)(注3.2)をみると既設精紡錘数の20 %以上をローター式OE機が占め、直近の10年間(1983-1992)ではリング精紡錘数と並ぶまでに増加し、紡績の主役が交代する日が近いことを疑う人はいなかった。(図3.3参照)
図3.3 10年間(1983-1992)の出荷錘数3-5)
(リング錘数換算比、R:O:J=1:6:9)
(注3.2) | ITMSS:ITMF(International Textile Manufactures Federation)が発行する繊維機械メーカーの工場出荷数を元にした統計データで、世界の主要な繊維機械メーカーを網羅しており信頼性は高いと考えられる。 |
1980年代から1990年代に渡り、破竹の勢いでリング糸を置き換えていったローター式オープンエンド糸(以後ローター糸)だが、リング糸でなければ得られない糸物性や布の風合いを求める商品が少なくないことも明らかになってきた。ローター式OE機を最初に本格的に導入したのは大和紡績で、1971年にはBD200型をチェコ製と豊田自動織機製(以後豊田製)合わせて250台保有し、世界最大規模のローター糸生産を誇った。豊田製BDの評価は高く、世界中から見学が絶えなかったという3-6)。得意な綿の太番手から商品化され、織ではタオル、デニム、帆布、編みでは下着、Tシャツ、靴下などコモディティな用途から始まり、合繊やそれらの綿とのブレンドへと試され、ローター糸への期待は高かった。
戦後世界情勢の恩恵を受け繁栄してきた日本の繊維産業だったが、1960年代に入るとアメリカの日本製繊維製品の輸入規制(日米繊維交渉)、1973年の第4次中東戦争の影響で産油国は生産量を削減し石油価格が高騰、市場は冷え込み世界経済は危機に陥った。中東の石油にエネルギー依存度の高い日本は電気代の高騰に加え購買力の低迷、価格競争力をつけた新興国からの輸入品に押され、紡績は存続の岐路に在った。糸に特徴を出しにくいローター糸への設備投資熱が冷め、結果的にリング糸に回帰することになった。対照的に欧米では糸の生産コストだけでなく、後工程の効率も合わせて多くの商品がリング糸からローター糸に置き換えられ、更なる高生産性、省人化が求められた。
紡績テンションの上昇を抑え糸切れを防止しながらローター回転数を上げるには、ローターの小径化が効果的だが、小径化は最外径の溝に繊維が集積する前に糸に繊維が捕まり、糸軸に垂直な巻き付き繊維が発生しやすい。ローター糸を観察すると(3章3.3、図3.32にローター糸の外観写真あり)、一定の撚り角度で規則正しく配列する繊維に交じって、糸軸に垂直に巻き付く繊維や、逆方向の撚り角度の繊維が現れる。糸の表面に並ぶ繊維の配向の重要性が認識されるようになるのは、ローター糸が市場に出てからである。
1980年代の前半、糸品質を評価する指標としてよく使用されたのが糸強力及びその変動係数、糸の均斉度、イブネス(Evenness)並びにIPI値(Imperfection Index)で、撚り構造を考察することはなかった。なぜなら地上に存在する紡績糸はリングにしてもミュールにしても、あるいはキャップもフライヤーも撚り構造は同じなので糸の評価には同じ基準を当てはめればよかった。ところがローター糸の均斉度は従来の糸に比べはるかに優れているのに、布に加工されると外観も風合いも慣れ親しんで来た製品と異なり、どちらかと言えば好ましくない評価を受けた。
これをきっかけに風合いや感性と糸の物理的な特性との関係を明らかにする研究が注目されるようになった3-7)。この頃まで均斉な糸は、より好ましい布外観、風合いを期待された。人類が営々と築いてきた繊維製品の製造工程が、従来型の紡績技術の結果から様々なパラメターが最適化されていたことに気づき始めた。糸の撚り構造が異なれば当然それに相応しい最適解を見出す作業が待っている。
ローター糸の特徴は、繊維の再集積から糸形成の間に糸軸方向に繊維を引き延ばす力が働かないため、繊維の捻じれや曲がり、フックが矯正されることなく糸が形成される。オープニングローラーからローターまでの繊維の移送中に繊維を引きのばす力は働かない。従って糸内部の繊維空間は隙間が広く、繊維同士の接触面積が少ないため糸の強度はリング糸に劣る。そこで通常リング糸の撚り数に対し20%程度高い撚り数が使われる。糸の伸度はリングより高いが、これは繊維が引き延ばされていないからで、初期歪が大きくなり変形回復性が劣る原因である。
糸の均斉度は優れて高いが、繊維の配向は乱れるので光沢が無いことや、糸が滑りにくく風合いが固くなる。Ne30よりも細い番手は苦手だが逆に太い番手は得意で、短い繊維も有効に利用できること、糸内の隙間の広さからバルキーで吸水性・通気性がよい特徴をもつ。
ソ連邦の崩壊後、東ヨーロッパの経済的な混乱の中、チェコのローター式OE機の老舗は解体し、シュラホーストとリーターが引き継いだ。リーターチェコ(Rieter Czeck)製BT903はスパンデックスコアヤーン(Rotona®)を紡績するローター機として注目されていたが、スパンデックス糸の自動糸繋ぎを克服できなかった。同時期、ストレッチ性のコアヤーンを村田はボルテックス機(No.861)で試みたが、糸強度、コア繊維の露出、繋ぎ品質、自動機の成功率、コアの有無検出などハードルは高く、伸縮性コアヤーンは諦め、非ストレッチ性のコア繊維に用途を限定している。
ローター式OE機開発の先頭を走ってきたシュラホースト(Schlafhorst)は心臓部のスピンボックスを独自開発し、ズッセン(Süssen)からの供給を止めた。2011年ITMA-Barcelonaに単錘駆動、単錘ピーシングのAutocoro-8を出展した。タンジェンシャルベルトでツインディスクを回転するズッセン方式を改め、メンテナンス不要の非接触式マグネット軸受のローターモーターを搭載したスピンボックスSE20は20万 rpmに達すると公表した。錘間距離は230 mmとコンパクトに纏められ両面で最大552錘、パッケージサイズはパラ巻きの時、最大径350 mm、最大重量7 Kgで織機の緯糸やワーパークリール交換頻度は大きく減った。
2015年のITMA-MilanoのAutocoro-9は最大700錘、2019年ITMA-BarcelonaのAutocoro-10は768錘、さらに2023年のITMA-MilanoのAutocoro-11は816錘に増えている。この間ローターの最高回転数(カタログ値)は20万 rpmで変化なく、ローター方式の限界に到達したとみられる。回転数の上昇は生産量の増加以上にエネルギー消費が増え、撚り効率の低下で必ずしもコスト削減に対応しないと言われている。平均繊維長22 mm前後のアップランド綿(Upland Cotton; 世界の綿市場で最も取引量の多い標準的な米綿)に小径のローターでは、繊維が溝に集積する前に糸に捕まる可能性が高く、糸品質から見て、綿では29 mm径の16万回転が限界と指摘する専門家もいる。事実2015年のITMAでリーター(Rieter)のR-66はカード綿Ne24(Nm40)をローター回転数16万 rpm、紡績速度210 m/min、撚り係数αm=120で展示していた。シュラホーストもまた2019年のITMAで同番手のカード綿糸を16万 rpmで実演していたことから、この指摘は正しそうである。
図3.4はシュラホースト、リーター、サビオのITMA出展最上位機種の最大ローター数(カタログ値)をプロットしてみたものである。この図から明らかなように、2000年以降から多錘化が顕著になり、回転数の上限に達したため、ローター数を増やす方向に進化して来たことが読みとれる。ちなみに1999年ITMA-ParisのAutocoro-288は15万 rpm、スピンボックスSE11を搭載していた。2003年のITMA-BirminghamではサビオのSFS3000が320錘、Ne30カード綿糸を15万 rpm、ローター経28 mm、Ne6カード綿糸を8.5万 rpm、ローター径40 mmで実演した。
図3.4 ローター式OE機の最大ローター数の変遷(著者作成)
2007年以降、シュラホーストとの契約の切れたズッセンはリーター(Rieterスイス)向けにSC-R、サビオ(Savioイタリア)向けにSC-Sの名でスピンボックスの供給を始め、さらに中国メーカにも供給している。1970年代に20社以上が競合したローター式OE精紡機メーカーは次第に淘汰され、全自動機は2000年代以降シュラホースト(ドイツ)、リーター(スイス)、サビオ(イタリア)に絞られた。
この間、多くのメーカーの離合集散が繰り返され、シュラホーストもスイスのエリコン(Oelicon)グループに、さらにザウラー(Saurer)グループの傘下に入り、2022年には自動ワインダー部門はスイスのリーターに売却され、ローター式OE機のみが残っている。またイタリアのサビオは2021年ベルギーのバンデビーレ(Van de Wiele)に買収された。中国メーカーの中にも数社が全自動機を開発している。他方ピーシングにオペレーターの補助が必要なセミオート機はBDの愛称で呼ばれ多くの後継機が生産されており、この分野では淘汰されたヨーロッパメーカーの技術を受け継いだ中国メーカーの台頭が著しい。
ITMA-Asia(2018)のセミオート機(半自動機)、BD型(注3.3)の実演回転数は10万 rpmから12万 rpm、欧州開催のITMAに出展の全自動機が16万 rpmから17.5万 rpmなので半自動機は全自動機の2/3の回転数である。
ローター回転数の増加は糸の形成部でのテンションが増加するため、糸切れが増える。これを少しでも緩和するためにローターの小径化で回避しようと小径化に向かったが、遠心力は角速度の2乗、半径の1乗に比例するので高速回転を実現しても生産できる製品が無い。
これまでに多くの素材で小径化に伴う布の風合いの劣化が指摘されておりローター糸は機械的に可能な生産能力と市場が求める布の風合いにミスマッチが生じている。20万rpmの能力を持ちながら2011年から2023年の4回のITMAに20万 rpmでの実演は行われていない。聞く限り納入された機械の仕様の多くに30 mm以上のローターが使われており、紡績テンションを下げる手段が無ければ使用できない能力になる。
(注3.3) | ローター式オープンエンド機は、糸継ぎにオペレーターの補助が必要な半自動機をBD型と呼びチェコスロバキアのBD200に由来する。 |
オープンエンド方式の研究開発が活発に進められていた1950年代、空気の旋回流を繊維の加撚に利用する研究も行われていた。初期には繊維をオープンエンド化するための手段として空気流の利用を考えていたようだが、細い管を吸引すると空気流は旋回運動を伴い繊維束の加撚に利用できそうなことが分かってきた。
1955年以降、ドイツの発明家ゲッツフリート(Konrad Götzfried)は積極的に旋回流が生じるようなノズル形状に関して多くの特許を申請している3-8)。1962年、東ドイツKarl Marx Stadt工科大のブルクハート(Burkhardt)は高速の旋回流を得るために圧縮空気を用いることを提案している。イギリス、マンチェスター大学のロード(P.R.Lord)はゲッツフリートの研究を継続し、カードから直接紡績することを試みている。彼らの一連の研究は日本で注目され、豊田は1961年に渦流式オープンエンド精紡法の特許を出願している3-9)。さらに東洋紡は1964年からAS型と呼ぶ渦流式精紡機を開発していた3-10)。
これらの研究は繊維のオープンエンド化と加撚を意図しているが、アメリカのデュポン(DuPont)は1950年代、高圧の旋回空気流を用いアクリルのトウ紡績(注3.4)を始めている。これはオープンエンド化が目的ではなく繊維を交絡し糸状に束ねるもので、この延長線上に旋回気流で繊維束に仮撚りを作り、この仮撚りに補足されない一部の繊維が撚り戻りの際に繊維束に巻き付くことで糸を形成するアイデアとして1961年に特許出願している3-11)。これを短繊維紡績に応用したロトフィル(Rotofil、1972年)は有名だが、一般にこのような撚り構造の糸を結束紡績糸 (Fasciated Yarn)と呼んでいる。
BD200の公開以降、ヨーロッパの主要な繊維機械メーカーや研究機関がローター式OE機の開発に向かうなか、日本では先に挙げた渦流式だけでなく旋回気流による仮撚り方式も研究されていた。東レ3-12, 3-13)はデュポンに注視し、1965年に結束紡績方式の研究を始めており、三菱レイヨン(現、三菱ケミカル)も研究していたことが知られている3-14)。
(注3.4) | トウ紡績;トウ(tow)はフィラメント繊維を束ねたもので、通常の紡績ではフィラメントをカットしたステイプル繊維を使用するが、トウ紡績はフィラメントを引き千切るストレッチブレーク(strech break)で繊維の端を出してから撚りをかけて糸にする。 |
1971年ITMA-Parisに西ドイツの発明家ゲッツフリート(Götzfried)は自らのアイデアを売り込みに村田を訪ねて来た。精紡機への進出を狙っていた村田は真偽を確かめるため、帰路、アウグスブルグに技術者を立ち寄らせ確認したところ(注3.5)、理論的な基礎もしっかりした独創的なアイデアであることが分かった。これは1970年に西ドイツに出願されたDE2049186 (図3.5)で、技術的な検討の結果、商品化出来そうな事が分かり以降数度の交渉の後1973年11月8日、この特許の独占的使用権と試作ノズルの提供などを受けることで合意した(注3.6)。
図3.5 仮撚りノズル、撚り伝播抑制機構と吸引ノズル
からなるGötzfriedの紡績ノズル3-15)
(注3.5) | 村田機械OBの中原悌二氏と思われる。 |
(注3.6) | 1973年の合意後も契約は補足、改訂されゲッツフリードの全特許が対象に入り、彼の死(1983年)後も残された家族に契約は引き継がれ、MJS機の販売錘数に応じて特許の有効な1995年までロイヤリティが支払われた。 |
村田はズッセンとの技術提携から1972年に始めたローター式OE機開発とこの旋回空気流を利用する精紡機開発を天秤にかけた。ゲッツフリートの空気旋回流による仮撚り方式の方がローター式よりも高速化を期待でき、後発の村田が遅れを一気に挽回できるのではないかと考えたようだ。ローター式OE機は競合も多くライセンス料も高額な上、先行するメーカーとの差を追いかけるにはすでに遅すぎたのだろう。こうしてズッセンとの技術提携で始まったローター式OEの開発プロジェクトを縮小し、1974年から空気仮撚り方式のプロジェクトに集中することになり1975年でローター式の研究を終えている。
ゲッツフリートから受け取った真鍮製のノズルは、繊維のバルーニングで独特の音が響くことから魔法の笛と呼ばれた。しかし真鍮製の材料では繊維の接触部の摩耗が激しく、糸品質を評価できないことから、材料の選定を進める中で出会ったセラミック部品製造メーカーがもつ豊富な経験と熱心な探求心に助けられた。優れた技術力を持つ、このような企業の存在が日本の物づくりの基礎を支えている。
空気仮撚り方式は巻き付く繊維量の割合とその強さを制御することが難しく、突発的抜け糸切れや、後工程で見つかる長く続く弱糸など、糸品質を保つことに問題があった。この課題を克服するきっかけになったのが仮撚りを生成するノズルとは別に、巻き付き繊維の発生量と巻き付き強さを制御するサブノズルをタンデムに配置するゲッツフリートの一連のアイデア3-16)である(図3.6)。
図3.6 旋回方向の異なるノズルをタンデムに配置するGötzfriedのアイデア3-16)
図3.7 MJSの原理を示す特許3-17)
(注3.7) | シーツのような柄のない平織組織に顕著にみられる織物の欠点で。織機の織幅が決まっているため、もし緯糸に周期的な太さ変化があると、その変化が規則的に繰り返されるので互いに干渉し、布に模様となって現れる。これをモアレ(moiré)と言う。縦糸に使用する場合、仮に周期的な太さ変化があっても隣り合う糸が同じ位相で並ぶ可能性は低く、むしろ互いに打ち消しあいモアレは発生しない。緯糸の場合、単純な組織では緯糸は2色(2個のフィーダー(給糸装置)から交互に緯糸を打ち込む)の場合が多く、4色にすれば目立ちにくくなる。 |
1978年には試験機をアメリカの紡績会社に持ち込み評価を開始した。当初は粗糸の供給を前提にしていたが、供給頻度が高くオペレーターの負担が増えることからスライバー供給に変更し1981年の大阪国際繊維機械見本市OTEMASに出展した。これをムラタ・ジェットスピナー(MJS)と呼び翌1982年からアメリカ市場に向けて納入が始まった。MJS-No.8013-21)は鋳物フレームに12錘単位で最大60錘の片面機である。16インチケンス2列を機台背面に置けるよう錘間距離を215 mmに、また機台長さは多くの工場で使われていた既設の400錘建リング精紡機(両面)の入れ替えを念頭に決めている。主な用途はポリエステル・カード綿混中番手(Ne20~Ne35)のモスリンシーツやプリントクロス、ポリエステル・コーマ綿混(Ne36〜Ne40)のパケールシーツ、他にはポリエステル・カード綿混太番手(Ne12〜Ne20)の作業服やユニフォーム、ボトムパンツなど織用途に採用された3-22)。言い方を変えると風合いの硬さからニット用には悉く採用されなかった。
1983年のITMA-Milanoに日本の3社(豊田自動織機、豊和工業、村田機械)はエアージェット精紡機を出展し、ローター式OEが主流に成長する勢いを見せる中、仮撚り方式からの追及も可能性があることを印象付けた。1985年の第4回OTEMASには東レエンジニアリング、豊田自動織機、豊和工業、村田機械の4社がエアージェット精紡機を出展し、各社の技術者は互いにブースを訪問し情報収集に努めた。
東レは機種名をAJS101と呼び両面構成の120錘建て、シングルノズルで巻き付き繊維が生成しやすいようなノズル入り口のファイバーガイド(コレクター装置、図3.8)やフロントローラーからノズルへ向かう繊維の入射角などで繊維量の制御を試みた3-23)。ポリエステル綿混のシャツ地をすでに市販しており、成功の鍵が用途開発であることを認識していた。
図3.8 結束紡績法の基本構成3-12)
図3.9 コーミングローラーとエアージェットの
ハイブリッド3-24)
エアージェットスピニングにはシングルノズル方式(デュポン、東レ)と、互いに旋回方向の異なる2個のノズルを直列に並べたタンデム方式(村田)がある。図3.10は2組の対ローラーに把持された繊維束を示している。このローラー対間で繊維束を加撚すると、
① | 加撚部の左右に方向の異なる同数の撚りが作られる。この撚りはローラーを送れば互いに打ち消しあって右のローラー対を出た後は撚りは消滅するはずである。 |
② | ところが実際には左のローラー対を出てくる繊維の全てが加撚体の撚りで捕捉されるわけではなく、一部の繊維は繊維の動きに引きつられて共に移動するが撚られていない。これらの繊維は拘束されていない自由繊維で、中心部にある仮撚りで捕捉された繊維束が撚り戻る時に緩く糸に巻き込まれる。このような自由繊維は繊維端が拘束されていないので繊維にテンションが掛からず、巻き付く力が弱いため糸強力を出しにくい。また自由に動く繊維量を制御することも難しく、常に一定量の繊維を自由繊維にできる保証はない。 |
③ | これに対しタンデムノズルではメインノズルに捕捉されない繊維はフロントローラーで把持された繊維の先端側がサブノズルの吸引で繊維にテンションが付加されて中心部の繊維束に巻き付く。これがメインの撚り戻りでさらに巻き込まれるため糸強度が高まるとともに、メインノズルとサブノズルの旋回空気流の強さを紡績速度、繊維素材、糸番手に合わせて撚りの強さと自由端を持つ繊維量が最適になるようノズル圧力で調整できる。 なおこの図はS撚りの糸の場合で、Z撚りではノズルの空気の旋回方向を逆にすればよい。村田機械のMJSはこのタンデムノズル方式を採用することにより、部品数と消費流量のデメリットよりも安定した糸の強度を優先した。 |
図3.10 エアージェットスピニング(シングルノズルとタンデムノズル)の違い(筆者作成)
MJSは機械的な加撚機構が無く、空気の旋回流で繊維束をバルーニングすることで撚りを生成する。繊維束はフロントローラーとデリベリーローラーに把持され、その間に2個のノズルが並ぶ。図3.11に示すようにN2は仮撚りを生み出すメインノズルで、この旋回空気流が繊維束をバルーニングすることで撚りが発生し、その撚りがフロントローラー出口に伝播し、リング精紡と同様にドラフト出口の繊維を捕捉する。
図3.11 MJSの紡績原理(村田機械資料)
図3.12 150カウントシーツ(E/C、Ne35/1)(筆者撮影)
左 Ring × Ring 右 MJS × MJS
図3.13 MJS系の機種番号の変遷(筆者作成)
図3.14 MJSのカタログ No.801, No.802, No.802H, No.802HR
(注3.8) | 機台間の通信機能を内蔵し、精紡機の生産、品質、保守管理を担う総合システムで、Super SpectronとIAにより構成される。スーパースペクトロン(Super Spectron)はMJS独自の品質管理システムでヤーンクリアラーの糸信号の時系列変動から糸の均斉度を、またデジタル化しFFT変換によりパワースペクトルの周期的成分を抽出し、機械的不良部の特定、異常錘を警告または停止するシステム。IA-3はInteligence Analyser-3の略で、速度やドラフト比などの紡績パラメター設定と、運転効率、作業効率、生産量、自動機のミス率など生産・保守管理を担う。ヤーンクリアラーから得られる糸品質と合わせメンテナンスに関する情報の分析と作業指示を行う。 |
MJS方式で綿紡績を追求する過程で、繊維長が短く不揃いな綿では撚りが安定してフロントローラーに伝わらず高速化が困難なこと、何よりも糸の撚り構造が特異なため布の風合いがリング糸のものと大きく異なり、アメリカのポリエステル綿混・織布用の中番手を除き日本や欧州で受け入れられる製品が少なく、仮撚り方式の限界に直面していた。対して同時期に自動機の導入評価が始まったローター式オープンエンド精紡機は、80年代を通しアメリカ市場の50%を占め、綿100%の編みでNe28(Nm47)より太い番手、織ではNe20(Nm34)よりも太い製品の大多数がリング糸からローター糸へと置き換わっていった。全世界を見ても1990年代リング糸市場の20%を置き換えていた。
村田はMJS方式の限界を強く認識し、1985年ごろから新たな可能性を模索した。リング糸のような風合いと糸強度を得るには実撚りであること、そのためにはオープンエンドを実現しなければならなかった。世界中で試されてきたアイデアを再検討し、加撚方式を様々に組み合わせてみたものの展望は開けず開発は行き詰っていた。
1987年、アメリカのバーリントン(Burlington Industries)社から共同開発の提案があった。バーリントンはウール紡績を意図してバキュームスピニングを研究していた3-27)。バキュームスピニングは図3.15のように側面に吸引穴の開いた筒の中に繊維束を通し、繊維の端が内壁に吸引された状態で、この筒を回転すれば吸引で飛び出した繊維の端が中央の繊維束に巻き付きながら糸が作られ引き出されていく。しかし吸引で繊維端を拘束することはブロアーの負荷が大きい事と、同品質の糸を複数錘で紡績することが難しい。さらに高速化には筒の回転数を上げる必要があるが、回転が速いと繊維端が引き出されない致命的な課題を抱えていた。初期の渦流式を研究していたゲッツフリートやロードが吸引流で繊維のオープニングや加撚を試みていたが、結局エアージェットスピニングは吸引方式では安定した紡績を実現できず、圧縮空気を使う方式になった。吸引流速が上がらないことも課題である。そこで図3.16、3.17に示すように吸引で繊維を旋回するのではなく、管に引き込んだ繊維の後端に圧縮空気を吹き付けることで開繊と加撚効果を狙った3-28, 3-29)。
図3.15 バキュームスピニング3-27)
図3.16 エアーノズルの噴流で繊維後端を開繊し
スピンドルに巻き付ける3-28)
図3.17 回転スピンドル(空気軸受)+
エアーノズルの組み合わせ3-29)
図3.18 Vortex方式の発見3-30)
図3.19 金属製試作ノズル断面(1994年)(筆者撮影)
図3.20 MVS/VORTEX系の機種番号の変遷(筆者作成)
コラム:宇野稔と松井勇
ボルテックスノズルの開発は宇野稔(京都工芸繊維大学名誉教授)の貢献無しには実現しなかったかもしれない。1990年から約5年間、開発チームの仕事を見守った。組織されたばかりの流体解析チームにボルテックスノズル開発の格好の課題を与えたのである。特に流れの可視化技法、数値流体力学によるシュミレーションの妥当性や評価方法の検討、結果の見方、次に確認するべきポイントなど、隔週で報告会を主催し、その議事録が残されている。航空機のプロペラ設計技術者として三菱重工に勤務し、戦後、新制大学の開校で教員に採用され、留学先のノースカロライナ州立大学で学生が使用する教科書の翼理論を見て、日本との技術差に愕然となったそうである。留学時に学んだ統計解析学を帰国後受け持ち、繊維機械の研究者としてエアージェットルーム、ウォータージェットルーム、オープンエンド精紡機、丸編み機など広い範囲で論文や解説、書籍が遺されている*1。
恩師でもある宇野に協力を求めたのは、この当時村田機械R&Dセンター長兼任の松井勇で紡機開発を主導し、MJS技術部にあった研究部を解散し、新たに繊維機械事業部に研究開発部を設け、研究開発センター7階に個性の強い、精神的にタフで業務に余裕がありそうな技術者を集めた。ミッションは『リング糸のように解撚でき、リング糸と同等の引張強度でローター式OE糸よりも高速で綿紡績可能な手段を見つけること』。『何を作れば売れるか分からない時代に、必ず売れることが分かっているテーマは楽しいじゃないか』と、一見無茶な課題に1年間自由に研究せよと、これ以上はあり得ないプレッシャーを各自に求めたのである。目立つ成果の出ないまま何回かのローテーションで構成メンバーも変わっていった1989年4月、ここに配属された森茂樹は僅か3カ月に満たない6月にこの課題に成功した。ボルテックス紡績法は最後の瞬間を、この現象が発見されるのを待っていたのだろう。直ちに検証が繰り返され、具体的な機械のイメージを共有するための検討も始まった。主要なメンバーは紡績全般に明るくロボット化の得意な馬場進、紡績ノズルの開発にスプライサーノズルの経験豊富な出野宏二、それに発見者の森茂樹(リーダー)である。以後、開発段階に合わせて必要な人材を集め、空気渦流式精紡機開発チームが作られた。当初、綿紡績とウール紡績の両方を目論んで始まったが、ウール紡績に求められる糸品質から大きく劣り、改善も見通せないため綿紡績に集中して取り組んだ。紡績ノズルの形状が固まってきた1993年末に、4年後の1997年大阪国際繊維機械見本市OTEMASに合わせて販売を開始すると決まった。松井はスプライサー、何よりも自動ワインダー開発の成功体験から、多くの機械を現場で連続運転し膿を出しきることが成功への近道と信じていた。しかし精紡機は一旦作った糸を元の繊維に戻せないため、不良品を作り続ける高いリスクを背負っており、試作機の導入台数の多さが現場対応に手足を縛られる原因にもなった。村田が望んだことではないが、導入を急ぐ紡績会社の要求を断り切れず、1994年9月に翌年3月からの納入を契約せざるを得ない状況に追い込まれた。まだ形もない時に『村田は必ず実現する。これまでもそうだったし、この先もそうなると信じている』とスプリングス(Springs Mills)は全く引き下がる気配はなく、『客が不完全でも構わないと言っているのにメーカーが拒むのは理不尽だ』と粘られ、結局、33台の契約の内、6台を1995年3月まで、ここで2か月猶予を貰って、残りの27台を年末までに納入する契約書に松井はサインした。運転確認どころか、設計パラメターすら決まっていない状況でフレームを出荷することになったのだ。それでも運転開始に間に合うよう昼夜2交代、休日返上で試験を繰り返し、思いつく限りの準備をし2月に船積した。1995年にアメリカに納入した試作機MVS-No.850はトラブルの連続で、部品の交換、加工、再調整を繰り返した。特に悩まされたのが排気ダクトにファイバーが詰まる問題で、表面処理、部品のジョイント部の僅かな段差、隙間、塗装斑など見えにくい、また手の届かない至る所で発生した。時間を稼ぐため現地で対策品を準備しようとシャーロット(Charlotte、ノースカロライナ)近郊で加工場を探したが、結局、古くから自動車産業で栄えた五大湖周辺の金属加工場に持ち込むことになった。試しの数個で様子を見てから数台分手配すると、全く使用できない結果に愕然とした。量が多いので部品の調整に多大な時間を浪費し、疲弊し、客は生産計画が進まぬことに苛立ち、現場はストレスから体調不良者が続出したが投げ出すことも出来ず、ただひたすら目の前の問題解決に取り組んだ。これが現場の膿だし作業である。根本的な課題の糸継をどうするか、またコッツの寿命と研磨、糸道に沿ってゴムローラーやセラミックの摩耗など、本質的な課題解決を見通せないまま、次々に新たな問題を抱え込んでいった。
*1 宇野稔監修・革新織機編集委員会、革新織機、日本繊維機械学会、1964年
宇野稔、塩見昭、木瀬洋共著、オープンエンド紡績、理工新社、1970年
図3.21 MVS-No.851、MVS-No.810、Vortex861、Vortex870、Vortex 870EXのカタログ
図3.22 2012年から10年間と2021年単年度の出荷錘数比率 換算比Rg:Ro:Vo=1:6.5:20
ITMSS2021にVortexを筆者追記
図3.23 2013年から10年間の年間出荷錘数と各紡績方式の比率
ITMSS2022にVortexを筆者追記
(注3.9) | ポリマスター(POLYMASTER®)は繊維からの脱落物が紡績ノズル内へ堆積することを防止するための装置で、3.5.5に解説している。 |
話を続ける前に世界で最初に渦流式精紡機(Luftwirbelspin Verfahren、Air Vortex Spinning)と呼ばれたポーランドのPF-1と東洋紡のAS型に触れておく。村田機械が1997年のOTEMASにMVS-No.851を出展する30年前、東洋紡はすでにAS型と呼ぶ空気渦流式OE精紡機の開発を行っていた3-10)。1964年には豊田自動織機からも渦流式加撚法の特許が出願されている3-9)(図3.24)。
図3.24 空気渦流式オープンエンド(左からGötzfried、豊田自動織機、東洋紡AS型)
図3.25 PF-1(ポーランド)
空気渦流式オープンエンドの原理図3-37)
MJSに代表されるエアージェット精紡法は、空気の旋回力で繊維束をバルーニングすることで仮撚りを作るのだが、ボルテックス方式は個々の繊維を空気流と共に飛走させるだけで、空気の旋回エネルギーで加撚するわけではない。繊維の先端をスピンドルと呼ぶ細い穴に導き、後端がオープンエンドになるように繊維を分離しながらスピンドルから引き出せば、フリーに飛走する後端はスピンドルの入口で空気流に沿って配列するので、引込む速度(紡績速度)に比例して旋回角速度も変わり、巻き付き角度は紡績速度によらず一定になると考えている。
図3.263-42)はスピンドル先端部の空気流と繊維の移動、糸との関係を模式的に示している。ここで紡績速度をYv、微小時間Δtの間に繊維f0はf1に移動し、f0上の点P0はP1に移動すると仮定する。この間スピンドル先端では微小角度Δθ繊維が旋回する。スピンドル内に引き込まれる繊維長Δsが糸軸に対しγの角度で巻き付き、糸の半径をa(=スピンドル内半径)、スピンドル外半径をRとすると、図3.26の下図から回転角速度、スピンドル先端部の繊維の速度は次式で表せる。
Δθ/Δt = (Yv/a)・tan(γ) (3-2)
Δr/Δt= -Yv/cos(γ) (3-3)
ここで繊維の進行方向は中心に向かうので、rの向きをマイナスにとっている。
t=0のときθ=0、r=Rの初期条件から
θ=(Yv/a)・tan(γ)・t (3-4)
r=R-Yv/cos(γ)・t (3-5)
が得られ、スピンドル先端(上面)での繊維の移動軌跡が分かる。ポリエステル紡績の際に得られたスピンドル先端の紡績油剤痕と上式は図3.27に示すようによく一致する。
図3.28はスピンドル先端部を側面から見たもので空気の噴流の方向(青の矢印点線)、繊維の走行痕がよくわかる。繊維f0がf1に向かう傾きは
Δz/Δx = 1/tan(ζ) (3-6)
tan(ζ)=(R/a)sin(γ)/cos(α)-tan(α) (3-7)
の関係で表せる。スピンドル先端部の繊維群は、噴流とスピンドル軸との交差角αで配列し、スピンドルに引き込まれることで繊維が巻き付き、糸が作られる。
図3.26 円柱スピンドル(上)と糸(下)3-42)
図3.27 スピンドル先端(上面)に残る繊維の走行痕3-41)
図3.28 スピンドル側面の繊維の走行痕(油剤痕)と噴流(矢印点線)3-42)
(縦軸: 発生回数、 横軸; 撚り角度)
図3.29 綿とポリエステル繊維の混率の撚り角度分布への影響3-42)
図3.30 繊維撚り角度の観察例 綿100 %ボルテックス糸、Ne30(筆者測定)3-41)
(縦軸;発生回数 横軸;巻き付き角度)
図3.31 RING糸(700、850 twist/m)とVortex糸(350、450 m/min)の撚り角度発生数分布
Viscose糸(Ne30、38 mm、1.2 d)3-42)
図3.32 紡績糸の撚り構造 Ring、Rotor、MJS、Vortex3-42)
図3.33 糸の外観比較
Lenzing Viscose, Ne30, 38 mm, 1.33 dtex(筆者撮影)
この節はすでに解説した紡績方式以外の、生産機として扱えるレベルに達していた紡績方式について述べる。
フリクション式は高速化の点では魅力があるが糸の強度が弱いため、コアヤーンのように強度の補強を兼ねて機能性フィラメントをコアに用い、糸の外表面を反毛などのリサイクル繊維で覆うような用途に可能性があるだろう。機械コストを考えると一般衣料用途では採用されにくい。仮撚り式交絡法は撚糸機にかけて初めて糸としての強度を保てるが、そのままでは使用できないので、双糸以上の複数合撚糸用となると製品用途が限られる。綿のような短繊維では糸の強度から扱いにくいので人造繊維の長繊維になる。しかし、この分野は紡績糸からフィラメントに置き換わる傾向にあり、市場開拓に課題が残る。
ボルテックス紡績法が見つかる約20年前、生産性の弱点を克服する手段として、バキューム式(図3.15)3-27)とフリクション式3-43)のオープンエンド紡績法が注目された。
バキューム式は通気孔を多数打ち抜いた管に繊維束を通し、筒の外側からの吸引力で繊維の端を引き出したまま筒を回転すれば、繊維が内層の繊維束に巻き付くことを利用する。しかしバキュームで繊維端を引き出すことはブロアーの負荷が大きいだけでなく、筒の回転速度を上げると繊維端が出にくくなる。また錘間差が大きく、糸物性を揃えることが難しいなどの基本的なところで行き詰まり市場に出ることなく退場した。
フリクション式(吸着ローラー加撚式)、図3.343-44),図3.353-45)も1970年代から80年代に華々しく語られることがあった。フリクション式というのは平行に並ぶ2本または1本のドラムに吸引孔が開けられ、ドラム表面に繊維を集束し、ドラムの回転で繊維を転がしながら軸方向に引き出せば繊維束に撚りが入る。吸引ドラムの周長に比べ糸径がはるかに小さいので簡単に転がる繊維束の回転数を上げることが可能で、実験室レベルで500 m/min の紡績速度という報告がある3-46)。
図3.34 フリクションスピンニング
DREF-2 (Dr. Ernst Fehler)3-44)
図3.35 フリクションスピニング
(Platt Saco Lowell-Master Piece)3-45)
図3.36 Dr. Ernst Fehler のDREF-2,
フリクションスピニング3-47)
フェーラーのバキューム・ローラー(パーフォレイティッド・ローラー perforated roller)はその後、意外な用途で画期的な製品を生み出す。1989年ATME-Greenvilleにドレフ・スピンテスター(DREF Spintester)と呼ぶ機械が展示された(図3.37)。5線のダブルエプロンドラフトで直接スライバーからドラフトし、2番目のエプロンドラフトを出てフロントローラーに渡る繊維束の中央を微弱なエアーを吹き付けると繊維束は2分割され、それぞれが独立したスピンドルに巻き取られていく。分割された繊維幅を規制し、撚りのトライアングルを狭め繊維の捕捉を助けるためにフロントのボトムローラーに吸引ローラーを使っているのだ。
図3.37 ドレフスピンテスター(筆者作成)
コラム:『革新的紡績システムの技術開発補助事業』
梳毛紡績では精紡機に供給するトップ(綿紡績では粗紡の篠に相当)を準備する練條機がある(ギルあるいはラビング機とも呼ばれる)。ウールのような長繊維は繊維が太く、品質バラツキも大きいことから、単糸での使用は難しく、双糸を撚糸して使用するのが普通である。このトップは僅かに撚りを付与することで形態が保たれる。ローラー・ドラフトでドラフトを掛けながら、2本のエプロンベルトで繊維束をはさみ、片側あるいは両側のベルトを左右に繰り返し動かすと繊維束は転がり、ベルトの進行方向に従ってS撚りとZ撚りが相互に繰り返されるので互いに絡み合い、これをトップに巻き上げる。この技術を応用し、ベルトの代わりの上下のローラーの片側、もしくは両ローラーを左右に繰り返し振ればSZの交互の撚りが繊維束に付与される。
オーストラリアのサイロ研究所(CSIRO)がこれを応用しセルフツイストスピニング(Self Twist Spinning)と呼び、Repco Spinner Mark-1(図3.38)として1971年のITMA-Parisに出展した。甘い仮撚りのままでは後工程で使用できないので撚糸機で追撚することになるが、仮撚りを機械的に付与するだけなので200 m/min以上で紡績できる。
図3.38 Repco- Spinner Mark-1
村田社内資料(見本市報告)
図3.39 Saurer Allma-WinSpinの加撚部3-51)
従来型紡績方式の生産性を克服するために様々な手法が提案され、試行錯誤を繰り返してきた。紡績工場で生産機として評価される段階にたどり着いたのは数える程で、市場に残れるのは稀である。これらの試みは紡績方式として分類されている3-52, 3-53 3-54)。例えばデリヒスDerichs3-55)は糸の形成手段からⅠ 実撚り挿入法、Ⅱ 仮撚り挿入法、Ⅲ ラッピング法、Ⅳ 接着及び融着法に4分類し、さらにオープンエンド方式とそうでないものに分け、そこに代表的な機械(精紡機)を当てはめている。
浅野忠七男(東洋レーヨン)ら3-56)は糸の撚り構造からⅠ 実撚り、Ⅱ 無撚、に分け実撚りを① 一様な撚りがある、② 内外層の撚りが一様でない、③ 糸表面の一部に撚りがある、の3種類に、無撚は① 糸軸に沿って交互撚りがある、② 実質撚無し、に分類し代表的な機械を当てはめた。
プラット・サコローエル(Platt-Sacolowell)のキスホルム(Chisholm)3-57)はⅠ リング、Ⅱ オープンエンド(Rotor、Friction、Air Vortex)、Ⅲ セルフツイストとしてRepco、Selfil、TwinSpin、Trend、Rotofilを、Ⅳ 無撚としてCover Spun、Fasciatedを挙げているが、手段と精紡機が混乱していて分かりにくい。
トロンマー(Trommer)3-58)の分類は最初にⅠスライバーが繋がっているか、Ⅱ 個々の繊維に分離するかで分類、つまりオープンエンドか否かで分類し、続いて繋がっていればさらに撚り構造から① 実撚り、② ラッピング、③ 交互撚り、④ 部分的な実撚り、⑤ 無撚に分類し、分離しているときは① ローター式、② エアーボルテックス式、③ フリクション式に分類している。
結局、Ⅰ 精紡機に供給するスライバー(繊維束)が巻取りまで繋がっているか、途切れているか、つまりオープンエンドか否か、Ⅱ 撚り構造が実撚りか、仮撚りか、あるいは無撚か、Ⅲ 加撚する手段によって分類でき、精紡機はこれらの組み合わせのどれかに当てはまる。
表3.1 精紡方式と代表的な精紡機
繊維束の連続性 | 撚り構造 | 代表的な精紡機 |
連続 | 実撚り | リング、ミュール、フライヤー、キャップ、手紡車 |
連続 | 仮撚り 結束糸 (シングルノズル) | エアージェット ;DuPont-Rotofil, 東レ-AJS, 豊田-YJS, Süssen-Plyfil(注3.10) |
連続 | 仮撚り 結束糸 (タンデムノズル) | エアージェット ;村田-MJS, 村田-MTS(注3.10) 機械式とエアー複合;村田-RJS |
連続 | 相互撚り SZ交絡糸 | 機械式 ;Repco-Spinner Mark1,Platt-STS888, ;Macart-S300,Allma-Winspin |
連続 | 無撚 ラッピング糸 | フィラメント ;Platt-Selfl,Leesona-Coverspun(注3.11) +溶融ポリマー ;Bobtex-ICS(注3.12) |
連続 | 無撚 接着糸 | オランダ繊研-Twilo(注3.13) Rieter-Pavena(注3.14) |
オープンエンド (不連続) | 実撚り OE糸 | ローター式 ;Investa-BD,Schlafhorst-Autocoro,Rieter-R フリクション式 ;Fehler-DREF2,DREF2000,Platt-Master Piece 空気渦流式(注3.15) ;村田-MVS851,Vortex870,Rieter-J20 |
(注3.10) | ズッセンのPlyfilと村田のMTSは独立した単糸を合わせ、双糸としてパッケージに巻き上げる。合糸工程を省いて撚糸機に送られる。 |
(注3.11) | アメリカのリーゾナ(Leesona)社の案でローラードラフトした繊維束を中空ボビンに通して、表面にフィラメントを巻き付け固定した無撚糸。整布後にフィラメントを除く。同様な方法はドイツのインゴルシュタット(Ingolstadt)も提案している。また規則性のあるラッピングではないがエアージェット方式の仮撚りを利用することで繊維束にフィラメントを交絡するアイデアが東洋紡から出ている。これもフィラメントのラッピング方式と考えられる。 |
(注3.12) | カナダのボブテックス(Bobtex)社の案で、コアのフィラメントを溶融ポリマーと共に押し出し、これにステイプルファイバーを重ねて仮撚り方式で固定する3層構造糸の製造方法。ICSはIntegrated Composite Spinningの略。 |
(注3.13) | 原料繊維に予めPVA(Polyvinyl Alcohol)繊維を一定量混合し、ローラードラフト、エアーノズルの仮撚りで束ねた後に乾燥した無撚糸。これを整布後、PVAを洗い落とす方法。 |
(注3.14) | スイスのリーター社の案で糊剤で繊維を接着した無撚糸。ツイロー(Twilo)同様に整布後に洗浄工程で糊を落とす。 |
(注3.15) | ボルテックス糸の外観が等長繊維では仮撚りの結束糸に似ているため誤解を招きやすいが、ボルテックスはオープンエンドで実撚りになる。しかしオープンエンド化出来ない繊維が等長繊維では多く、中心部から外層へとマイグレーションする繊維があたかも2群の撚り角度集団で構成されるように角度を変えるため、リング糸のような滑らかさで解撚しない。 |
リング紡績の限界がその生産性にあることをすでに繰り返し述べてきた。その最初の答えがローター式OE紡績でリング方式の5から8倍の紡績速度で多様な繊維素材に対応できる。コーマノイルや反毛のように短繊維を多く含む素材でも無駄なく糸に加工でき、オープンエンド化により実撚構造の糸になる。オープニングローラーの開繊効果から糸欠点が少なく、粗紡、巻き返しの両工程は省略され、練條回数を1回に減らすことも行われている。しかしNe30(20 tex)よりも細い用途にはあまり使用されていない。リング糸の持つ光沢や柔らかさ、ふくらみといった嗜好的な要素や物理的な強度でリング糸に代われない領域が存在する。
エアージェット糸はそもそもオープンエンド化を諦め、仮撚り方式で生産性を求めリング糸をどこまで置き換えられるかを試してきたといってよい。オープンエンドを諦めると実撚り構造を実現できない。実撚りを実現しなければ紡績素材の60 %を占める綿製品の多くを取り込めないし、なによりも布の風合いがリングにはるかに及ばずローター糸に比べても固い。生産性はリング精紡の10倍に達するが最終製品を受け入れる市場が少ない。
図3.40のように表層の10 %以下の繊維群が、撚り方向が逆の内層の繊維束に螺旋状に巻きついて糸が形成される。メインノズルの噴流で生じるバルーニング運動で繊維束を加撚し、この撚りをフロントローラーへ伝え、ローラーから送り出されてくる繊維を捕捉する。捕捉できなかった繊維はサブノズルの旋回気流で内層の繊維束に巻き付けられる。内層の繊維束の撚り戻りの力で表層の繊維はさらに強く結束する。2組の繊維群の撚り方向は逆向きなので、互いのトルクがバランスする状態で糸の構造が定まる。このため糸は外力に対し変形しにくく風合いも固くなる。
図3.40 MJS糸の撚り構造 Ne24 Polyester65/綿35(筆者撮影)
図3.41 メインノズルを仮撚り機のツイストベルトに
換えたMJS方式の高速機3-59)
図3.42 紡績方式と生産速度(m/min)の進化(筆者作成)
図3.43 綿100 % 200カウントシーツ(平織)の外観比較(縦ⅹ緯)
左;Vortex x Vortex Ne39/1、右;Ring(Compact)×Ring(Compact)Ne40/1(筆者撮影)
紡績はスライバーから糸の構成数まで繊維数を減らし(ドラフト)、それらの繊維に撚りを与え(加撚)、出来た糸をパッケージに巻き取る(巻き取り)ことで完成する。これまでに実用化されたドラフト方式は、ローラー間の速度差を利用するローラードラフトと、針布(メタリックワイヤー)を巻き付けたローラーを高速で回転し針で繊維を引き出し再び集束するオープニングローラー(コーミングローラー)の2方式だけである。他には静電気を繊維に帯電し、繊維の向きを揃えるアイデアもあったが実用化にいたらなかった。
多くのリング精紡機のドラフト装置はペンジュラムアーム加圧式の3線ローラー・ダブルエプロン方式を採用している。ローラードラフトの利点は繊維の後端側を把持したまま先端から引き抜いていくので、繊維のフックや歪みが引き延ばされ、並行に並んだ姿勢のまま加撚される。このことは繊維同士の接触面積の増大と繊維間の隙間の減少で糸強度が上がること、繊維の配行がよいので糸は光沢をもち、糸の摩擦抵抗が下がるので、布は変形しやすく風合いもよい。反面、ドラフト比が高くなるにつれ繊維量の周期的な変動が顕著になり、高いドラフト比率を取りにくい。
このためリング精紡機ではエプロン部でのみドラフトして繊維の歪みや緩みを取り除き、入り口側のローラー間では実質のドラフトは行わずエプロンドラフトに渡す。通常、高ドラフトが取れないので、供給する原料を細く、軽くすることになる。ところが繊維量が少ないと簡単に壊れてしまうので、ハンドリングしやすいように撚りを持つ必要がある。撚りを持つ繊維を引き抜くことは難しいので、一旦その撚りを壊す程度だけドラフトする。このことをブレークドラフトといい、通常、綿では1.1倍から1.4倍程度の値を使用するが、実質的な繊維量のドラフトは生じない。
つまりリング精紡機はエプロン部のメインドラフトだけでドラフトする。このドラフト比はせいぜい40倍程度なので、供給する粗糸は紡績糸の40倍までの太さに抑えなければならない。もし紡績糸がNe40なら粗糸はせいぜいNe1まで、つまり1.7 m/g程度で、撚りが無ければ簡単に壊れてしまう。もし繊維束が撚りを持たなければ顕著なドラフト斑なく数倍のドラフト比は取れる。つまり練條スライバーを供給すれば高ドラフト可能なのだ。
ではなぜスライバーで供給しないのか。リング精紡の錘間距離はリング径で決まる。リング径が大きいとトラベラーの回転数が上がらない。糸へのテンションもトラベラーとリングへの負荷も増え、摩耗や発熱の原因になる。リング精紡機に供給できるスペースはケンスを置くには狭すぎる。逆にスライバーケンスで供給する方式も工程の省力化の一環で日本では多くの紡績が試みた。ケンスを置くにはリング精紡機の錘間ピッチを広げるか、ケンスを置くスペースを精紡機の上下に積むかである。これでは操作性が悪くて結局省力化につながりにくい。錘間距離が広いと広い床面積が必要で建屋、空調、照明、オペレーターの移動距離などの負担が増える。
MJSやVORTEXはリングと同様なローラードラフトとエプロンドラフトを使用する。スライバーには撚りが無いので数倍までなら斑なくドラフト可能である。4線のローラードラフトの場合、4-3線間、3-2線間の2回のそれぞれのドラフトで数倍程度のドラフト比を取れば、エプロンドラフトと合わせて数百倍のドラフト比率になる。
ではローラードラフトにローター加撚、あるいはフリクションローラー加撚方式を組み合わせることはどうだろう。この組み合わせは可能で、日本では豊田自動織機が豊田TX型オープンエンド精紡機を1967年8月7日に、豊和工業と東洋レーヨンは共同開発したMS400と呼ぶオープンエンド精紡機を同年8月4日にそれぞれ公開している。フランスのSACM社もまたIntegratorと呼ぶローター式オープンエンド機を同年12月に専門雑誌上に公開した。
ところが豊田は独自開発のTXではなく、チェコの綿業研究所が開発したBD200のライセンス生産を大和紡との共同で始めることを、TX公開に先立つ1967年8月1日に発表している。大和紡は1969年にはチェコ製、豊田製合わせて200台ものBD200を保有し、当時世界最大規模のオープンエンド紡績工場だった。勿論BD200はローラードラフトではなくオープニングローラー方式で、今でも世界中で多くのメーカーがBDを冠した精紡機を製造している画期的な精紡機である。
ではなぜローラードラフトではなくオープニングローラーがその後ローター式OEの標準になったのか。各社の糸物性値を比較する限り針布のコーミングローラーを使用した機械とローラードラフトを使用した機械の差はない。オープンエンド精紡機は仮撚りが伝わるのを防ぐため、繊維を一本一本に分離し繊維同士が重ならないようにする必要がある。ローターの高速回転で生じる遠心力で、ドラフト部から飛来する繊維をローターの最大径にある溝に集束堆積し、これをすでに形成された糸でつり出すときに加撚される。ドラフト部からローターまでの繊維の移送は空気流で、ローター側が負圧になるように、また空気はローター径最大部の近傍に空いた穴から排出される。
この繊維の飛走の間、繊維は何処にも拘束されないので、ローラードラフトで繊維を引き延ばし平行に揃えても、飛行する間に繊維は捻じれや曲がりを生じ、ローラードラフトの効果は解消してしまう。むしろオープニングローラーで繊維の分離を確実に行い、スライバー中の不良個所を取り除くメリットの方が大きい。
逆にMJSやVORTEXがコーミングローラーでなくローラードラフトを採用したのは、繊維の並行性を保つことが糸の強度や風合いに寄与すると考えたからである。MJSではリングと同様ドラフトで引き延ばされた繊維は、フロントローラー出口で下流から伝播する撚りで捕捉される。このため繊維の姿勢が良いローラードラフトの方が糸物性も外観もよい。
他方VORTEXはコーミングローラーと組み合わせるには繊維を再集束する機構が必要で、高速下で繊維の姿勢を伸びた状態に保ちながら集束する手段を見つけるのは簡単ではない。ボルテックス紡績法はドラフト部出口に到達した繊維をノズルの吸引負圧でノズルに導く。コアンダ効果でファイバーガイドの針に沿って繊維を集束しスピンドル内に引き込む。拘束を解かれた後端をフリーに飛走させることで繊維にテンションを掛け姿勢を正し、一本一本に分離する。従ってローラードラフトとの組み合わせが相応しい。
リング精紡機、コンパクト方式やサイロ、ミュールやフライヤーも含め、ドラフトされる繊維はローラー出口で幅が広がるが、これらの繊維を全て捕捉する必要がある。つまり繊維の流れの下流側で上流から来る繊維を捉えなければならない。その働きはスピニングの三角ゾーン呼ばれ下流側から伝わる撚りで決まる。オープンエンド化の必要な紡績法では撚りで繊維を捉えることが仮撚りになることを意味する。撚りで繊維を捕捉すれば流失する繊維が減少し糸の均斉度は良化するが、実撚り糸を実現できないために布の風合いを犠牲にすることになる。
ローター式OE紡績法はコーマノイルや、不純物を多く含む低級な綿、あるいは布を機械的に分解した反毛など、短い繊維を多く含む原料からでも糸を作れる強みがある。コーミングローラーとローターの組み合わせは、個々の繊維を引き伸ばし、変形した繊維の姿勢を矯正するのは苦手だが、供給される繊維を一旦完全に分離し移送するので、クリーニング効果が高く糸欠点は他のどの紡績法よりも少ない。
1999年のITMA-Parisにツルッチュラー(Trützschler)とシュラホースト(Schlafhorst)が連携し、ベールからパッケージのパレット積みまで全自動のローター式OE紡績工場を実演した。ベールオープナーからカードまでは空気搬送、カードに練條機能を持たせたIDF(Integrated Draw Frame)と呼ぶ装置(注3.16)を付加し、丸ケンスに収納。これを隣の練條機に送り、1回練條して矩形ケンスにコイリングする。矩形ケンスはスライバーの収容できる量が丸ケンスの倍に増え、その分ケンス交換回数が減りスペースも有効に利用できる。搬送台車は練條スライバーの矩形ケンスを複数積んで、各機台の空ケンスと交換し持ち帰る。定位置にセットされた矩形ケンスからは予めスライバーの端を見つけやすいように規定の位置にスライバーの先端が置かれ、これをケンス入れ替え時に各ローターのフィードローラーに供給する。
ローター式OE機を目指した初期の研究者はカード機から直接ローターへの繊維供給を考えていたように練條工程を省略できると考えていたはずである。カード工程で作られる繊維の折れ曲がり(フック)は練條工程のような十分な距離と延伸比(ドラフト比)を取らないと解消できない事が分かってきて練條工程を1回は残す必要性が認識されてきた。
表3.2に従来型(リング)の紡績工場の標準的なカード綿糸の製造工程を示す。精紡工程の前に通常、練條工程2回と粗紡工程を入れる。練條工程で異種繊維をブレンドするドローブレンド(Draw blending)や細番手糸の紡績では練條回数を増やす必要があり3回練條も普通に行われている。目的は繊維の並行性を高めること、カード工程で派生するフック繊維を矯正すること、ダブリングを繰り返すことで各カードスライバーの品質差を均質にすることである。
(注3.16) | 綿はカード機でシート状に広げられ、カードシリンダーの針布とフラットから突き出た針の速度差で、ウエッブ状の繊維が引き延ばされ一本一本に分解される。これらの繊維をシリンダーから引き剥がしロープ状に束ね、オートレベラー(Auto-leveler)で重量の変動を制御しながらケンスに収納する。このオートレベリング機構を利用し練條機の目的の一つの繊維の平行化のために必要なドラフト比で繊維を引き伸ばしてからケンスに収納する。このドラフト機構をIDF(Integrated Draw Frame)と呼びツルッチュラーが1999年のITMA-Parisで提案した。現在のバージョンはIDF-Ⅱでスライバー中に含まれる未開繊部を分解しやすいように改善されている。 |
不良糸が後の工程に流れないようにローター式OE精紡機や空気渦流式精紡機はオンラインで糸品質を監視し、不良部を取り除いてから糸を繋ぎ直しパッケージに巻きあげる。リング紡績では精紡機の生産性が低いため次工程のバックワインド工程で糸品質をチェックする。従って精紡機各錘の不良が判明し、特定の錘を止めるまでは不良糸を作り続ける。ワインダーの情報をリング精紡機に伝え、粗糸供給を止めるシステムが開発されているが機械コストから普及していない。糸切れ錘の糸繋ぎロボットに関しても繰り返し試みられてきたが完成度が低く導入している工場はないと思われる。
ところがこの状況は今後変わっていく可能性が高い。2023年6月開催のITMA-Milanoでは有力なリング精紡機メーカーが糸継ロボットを試していた。多錘化の影響で機械の長さが100 m近くまで延び、オペレーターの視界から不良錘を見つけにくいこと、糸切れしたまま運転を続けると粗糸から繊維が飛散し、またボビンの糸が周囲の正常錘に飛び込み不良発生源になる。糸切れ検出センサー(磁気式、光学式)の低価格化、これに通信技術が進歩しワインダーが持つクリアラーの糸品質データを精紡機の情報と突き合せ、不良錘を特定し、運転継続か停止か、あるいは保守作業者への指示など、これらを包括的に管理するシステムに向かっている。糸継ぎロボットが間に合わなくても、先行して糸切れ検知センサーと粗糸の供給停止は急速に普及していくと思われる。
ヤーンクリアラーは元々スラブキャッチャー(slub catcher)と称して、一定幅の金属製スリット間を糸が通過できるかどうかで、巨大なネップやスラブ欠点を機械的に取り除いていた。1950年代から1960年代に静電容量方式と光学方式(注3.17)それぞれの電子式クリアラー(Electronic Clearer)が登場し細糸欠点など、より詳細に糸のプロファイルを観察できるようになってきたが、結び目のサイズがクリアリングの閾値になるため、最終製品が求める品質に応えるには、欠点そのものの総数を減らす以外になく、原料の選定から紡績工程条件の設定まで、紡績各社の技術の総合力が試された。
この事情を一変させたのが1979年に公開されたスプライサーで、継ぎ目を生地上で判別できない品質で提供するようになった。するとさらに正確に糸の欠点を識別できるクリアラーが求められるようになる。それまでの管理対象は糸の太さ欠点で1963年に投入されるUAM(Uster Automatic)クリアラーの機能が次第に強化され1967年には細糸(Thin Place)検出、さらに1975年に太糸(Thick Place)検出が加わりS,L,T欠点を管理していた。1987年にコンピューター技術を取り入れたUPM(Uster Polymatic)クリアラーが投入され、1993年からはスラブとネップが分離され、ネップ、スラブ、長い太糸、長い細糸、異番手のいわゆるN,S,L,T,C欠点の検出へと、より細かくクラス分けが行われるように進化して来た3-60)。
しかし光学式クリアラーの普及によって静電容量式では捉えられなかった毛羽の量やその周期性、糸外観差も布の不良になることが認識されてきた。1990年代には異繊維が混入した、いわゆる色糸の除去が、さらに2000年代になると梱包材として使われる透明な、あるいは淡色のポリプロピレン(Polypropylene)の除去も求められるようになる。光学式のロッフェ(Loepfeスイス)のクリアラー、ヤーンマスター®(Yarn Master)は1991年に色糸検出を、2003年にはポリプロピレンの検出も可能になり、クリアラーへの課題を次々に乗り越えていった。
静電容量から糸を評価するウースターは世界中の紡績会社から収集した実験室設置型のウースターイブネステスターUTからの糸データを統計しUster Statisticsとして1957年に公表し不定期的に更新してきた。この結果、ウースターの測定値は業界のスタンダードとして認められ利用されてきたが、光学式でなければ評価できない異物混入や毛羽特性は統計にあがって来なかった。
この間ウースターは紡績工場に関係する綿、糸の評価機器を充実させ、HVI(High Volume Insturment)やAFIS(Advanced Fiber Information System)などの繊維の分析機器のSchaffner、SpinLab、Motion Control(共にアメリカ)を1989、1990、1994年に、さらに光学式ヤーンクリアラーを持つパイヤー(Peyer ドイツ)を1993年に買収している。このパイヤーの技術から1995年に色糸検出機能をもつワインダー向けのウースター・パイヤークリアラー(Uster Peyer Clearer)UPC200が上市され、以後、ウースターのクリアラーは光学式と静電容量の両方式が併用される。
1999年の®クアンタム-1(Quantum-1)は発生イベントを散布図に表現し、視覚認識が容易になり、2004年のQuantum-2では植物性異物の識別、ロッフェに遅れたがポリプロピレンの検出機能が付加された。2010年のQuantum-3には糸を構成するヤーンボディ(yarn body)と毛羽とを分離して示すことで糸本体のプロファイルの意味が明瞭になった。コアヤーンのコアの有無、また透明なポリプロピレン繊維も検出可能になり、2021年に上市の最新のQuantum-43-61)は糸の密度、ブレンド糸の混率異常検出などの機能が加わっている。
他方ロッフェ(Loepfe)3-62)は2019年に®プリズマ(Prisma)クリアラーを上市した。このクリアラーの特徴は光学式と静電容量式の両センサーの特性を融合し、異なる方式のセンサーでダブルチェックできるシステムを組むようになった。Dチャンネルの赤外線光源センサーから得られる糸の見かけ太さ信号と静電容量のMチャンネルの信号を同時に評価することで、より正確にNSLTC、毛羽のプロファイルを捉え、波長の異なる3種類の光源(RGB)を併用したFチャンネルは色糸、異物検出精度を高めている。また取り除く必要のない混入植物かどうかの判断に光学式と容量式の両結果から判定する評価法を取り入れ、透明または淡い色のポリプロピレンの検出に摩擦帯電(Triboelectric charge effect)を利用したPチャンネル、静電容量のMチャンネルで異番手やコアヤーンのコア有無のチェックを行うなど、方式の異なるセンサーでチェックすることで信頼性の高いシステムを組むようになった。この結果、自動ワインダーのクリアラーは光学式、静電容量式の両センサーを組合せることが標準になってきた。
リング精紡機の10倍の速度で紡績するMJS、あるいは20倍から30倍で紡績するVORTEXに村田は一貫して光学式クリアラーを採用してきた。高速紡績には瞬時に不良を検出し、後工程に流さない事が特に求められる。光学式クリアラーは糸の形態変化を捉えており、静電容量式では捉えられない突発的な撚り構造の変化を検出できる特徴がある。撚り構造の違いは染色性の差で現れることがあるが繊維量からでは検出できない。
紡績速度がリング精紡機の20倍以上とは言え、ワインダーはボルテックス機の3倍から4倍の速度で使用される。ワインダーの仕様に合わせて作られたクリアラーを使用するにはコストが負担になるため、光学式のみで最大の能力を発揮できるようなクリアラーを使用している。
VORTEXは不良糸の検出精度を高めるため接触式テンションセンサーを併用している。光学式クリアラーの異番手検出能力を補うため紡績テンション値を利用し判定するシスエムを組んでいる。光学式クリアラーの見かけ太さから細・太欠点、見かけ太さの時系列データの偏差から撚り構造変化、反射光や波長の異なる光源を利用した異物検出、他に機械的な不良部を特定するためのFFTによる周波数分析、これらを重層的に用いて紡績時の各錘を常に監視している。
図3.44は異繊維混入例で、ポリエステル糸に何本かのヴィスコース繊維(矢印の繊維)が混入したために、染色後の生地(経編、ハーフトリコット)に白い縦筋が現れたものである。綿紡績で始まった色糸検出は、このような事故を防ぐために全ての糸種で必須の機能として認識されるようになった。
図3.44 異繊維混入 経編(ハーフトリコット)
表;PE Ne60/1,裏;ナイロンフィラメント 44 dtex,ポリエステル糸にヴィスコース繊維(⇒扁平、縦皺)が混入、分散染料が入らず白い縦筋になる。(染色後判明)
(筆者撮影)
(注3.17) | ヤーンクリアラーは電極間に糸を走らせ、その容積に占める繊維量により電荷量が変わる静電容量方式(Capacitive)と、糸の側面に平行光を照射し、受光面積の変化を糸径の変化と見なす光学式(Optical)とがある。静電容量式は湿度の変化に敏感、あるいは導電性の繊維は扱えないなどの弱点をもつが、糸断面当たりの繊維量想定への信頼性は高く、紡績工場の品質管理、あるいは糸を扱う業界の世界標準で使用されてきた。これに対し光学式は繊維量ではなく糸の断面積を観察しており、静電容量式では捉えられない糸の構造的な変化、毛羽による糸欠点などを検出でき、さらに実際の布の外観を糸のデータから予測することも可能である。異物検出に不可欠の物質特有の反射光や透過光の違いを光学式は識別できる。ただし光学式は繊維量を見ているわけではないので異番手検出のような微妙な繊維量の変化を捉えることが難しい。また投光面、受光面の経時汚れと温度変化に対しての補正手段を持つ必要がある。ヤーンクリアラーは光学式、静電容量式の特性を生かし、互いにその弱点を補い合う両方式併用型へと向かっている(図3.45)。 |
図3.45 代表的なヤーンクリアラー
ウースターQuantum-4.0とロッフェPrisma(筆者撮影)
紡績方式に関係なく合成繊維、例えばポリエステルに顕著な現象として、繊維から脱落したモノマーやオリゴマーが金属やセラミックなどの接触面に堆積し、糸物性の劣化、弱糸、糸切れを起こすことがある。リング精紡機ではトラベラーやヤーンガイド、ローター式OE機ではローター内、エアージェット精紡機ではノズル内壁、ヴォルテックス精紡機ではスピンドル先端部への堆積が観察される。その先端で繊維が旋回するボルテックス紡績にとって、この堆積は繊維の運動を阻害し、弱糸、染色性などの致命傷になる危険がある。
全自動ローター式OE機は糸継時にローター内を機械的に清掃する機能を持っている。糸継回数を1,000回/1,000ローター時間とすると平均1時間毎に清掃することになる。VORTEX機の生産速度はローター式OE機の2倍〜4倍なので最短15分程度の清掃周期に相当する。もしこのような頻度で清掃のために紡績を止めると、生産効率の低下だけでなく糸継に関係した様々な不良を生み出す危険性がある。
そこで図3.46のように堆積防止を目的に洗浄剤を紡績エアーと共に間欠的にに噴霧することでノズル内を常にクリーンに保つ技術を開発した3-63)。これによりポリエステル紡績での弱糸対策だけでなく、本来、堆積が無ければ到達する紡績速度を繊維素材に関係なく回復できることが分かってきた。このノズル自動洗浄装置をポリマスター®と呼び、VORTEX-861以降の機台に取り付け可能で、VORTEX-870と、870-EXはポリマスター付き仕様でほぼ全ての機械が出荷されている。機能性繊維が増えていることや、オーバーマイヤー型の染色機で先染めした繊維をブレンドしたメランジ糸など、染色や紡糸油剤に起因するトラブルが増加傾向にあり、紡績技術として重要な発明である。
図3.46 スピンドル先端部への堆積防止
村田機械ボルテックスカタログ
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リング精紡方式の限界を克服するために考案されたローター式オープンエンド精紡機は1980年代から1990年代にかけて高賃金、労働力不足の北米や西欧、旧社会主義国に広まり既設紡績設備の20 %を占めるまでに拡大した。新規納入精紡錘数ではリングと同等の規模にまでなり、200年近く続いたリング方式が紡績の主役をローター方式に譲る日も近いかと思われた。(3章1.1、図3.3参照)
スプライサーは1979年のITMA-Hannoverに村田機械が世界に先駆けて公開した技術4-1, 4-2)で、後に紡績糸を繋ぐ際の標準になる。紡績糸は繊維が決まった向きに撚られることで糸になる。そこで繋ぐ糸端をカットし、撚りを戻して平行にした後、繋ぐ糸の両端を重ねて高圧のエアーで撚りかけると、元の糸と見分けのつかない継ぎ目が出来あがる。
スプライサー以前の技術では糸を繋ぐのはフィシャーマンノットかウィバースノットと呼ぶ機械的な糸結びで、図4.1は結び目の大きさが分かりやすいように組み紐を手結びしたものだが、元糸に対し大きな結びコブになることが分かる。また一つの結び目から2本の糸端が飛び出す。このような結び目を多く持つリング糸は以降の工程で深刻な問題を引き起こした。
図4.1 ウィーバースノット(上)とフィシャーマンノット(下)
図4.2 メカノット(上)とスプライサー(下)の継ぎ目
(村田機械提供)
図4.3 スプライサーヘッド(村田機械提供)
図4.4 メカニカルノッター
搭載のマッハコーナー7-ll(村田機械提供)
図4.5 編目外観(結び目とスプライサー)(村田機械提供)
図4.6 2004年から10年間の出荷錘数
(リング錘数換算)4-3)
(注4.1) | リング糸はボビン(bobbin、コップ(cop)ともいう)のままでは糸欠点を含む可能性があることや、糸長が次工程で使用するには短く、また糸を引き出しにくいなどの理由で、多数のボビンを継足して1個のパッケージに巻き返す。この巻き返しをバックワインディング(Back Winding)という。リング精紡は紡績中に糸の不良部を検出する手段がないので、この巻き返し工程にヤーンクリアラーを装着し、不良部を取り除いた後、通常はエアースプライサーで継ぎ直す。 |
リング精紡の原理は2章で述べたように200年前に特許化されたが、鉄の精錬やその加工技術は未熟な時代で、機械的に安定するまでに数十年を要した。その間にスピンドルの防振機構、ダブルエプロンドラフトなどの発明と機械加工技術の向上により生産速度も徐々に向上していった。自動搬送技術やロボット化で省力化も進み、生産性も改善されてゆくが、最後まで足かせになったのが精紡機で、錘当たりの生産性を劇的に改善するアイデアは生まれず、生産量を増やすことと錘単価を下げる目的で多錘化が図られた。
1960年頃の標準的なリング精紡機は400錘/台だったが、1971年に480錘、1983年に1,008錘、2007年にリーターが1,632錘に、2011年に豊田、マルゾーリ(Marzoli、イタリア)が1,824錘に、2015年にチンザー(Zinser、ドイツ)が2,016錘に、2019年にはマルゾーリは2,400錘に、2023年ラクシミ(Lakshmi、インド)も2,400錘に加わった。錘間距離70 mmを採用しても機台長さは90 mを超える。図4.7に示すように長錘化は1980年代以降顕著になった。
図4.7 リング精紡機の錘数の増加(筆者作成)
図4.8 スピンドル回転数の上昇(筆者作成)
参考文献
4-1) | 村田機械, US4240247A(1978), 特開昭54-106644(1979) |
4-2) | 松井勇, 北川義男, マッハスプライサー, 繊維工学35-3, pp.152-155(1982) |
4-3) | ITM Shipment Statistics,Vol.36(2013)に筆者がVortexを追記。 |
4-4) | 水谷正, 島谷剛, 橋本紀代治, 精紡-巻糸工程無人化システム, 繊維工学31-11, pp.565-573 (1978) |
4-5) | クラレ, 特開昭53-130331(1978), 55-11968(1980), 特公昭56-025528(1981), 57-030778 (1982) |
4-6) | 佐本善彦, 紡績工場のCIM化事例, 繊維工学46-5, pp.183-186(1993) |
私たちはこれまで拡大する経済活動、つまり大量生産、大量消費、その結果としての大量廃棄、環境汚染を生み出す経済システムに疑念を持つことなく受け入れて来た。しかし人類の活動が地球の自浄作用、回復力を上回り、もう元に戻れないかもしれないと思わせる圧倒的な自然の脅威を繰り返し目撃するにつれ、有限の地球環境、持続可能な社会の実現に無関心ではいられない。
経済発展と共に賃金は上昇し人員の確保が難しくなる。とくに新型コロナウイルスによるパンデミックで移動さえ不自由な数年を体験し、深刻な人手不足から改めて自動化、省力化の要望が強まっている。前回、自動化が急速に普及し始めた1980年代、欧米や日本、東欧などの比較的早くから工業化の始まった地域にも紡績業は残り、繊維製品の多くが作られていた。
ところがこの流れは1990年代に入り止まってしまった。1991年、ソ連邦の崩壊で二つの経済体制が統合され、グローバル化、自由化が人類を幸福に導くと信じられて、経済的合理性から生産地の再配置が地球規模に拡大した。自動化・省力化の進んだ高価な機械を購入するよりも、人件費が安く、優れた労働力が豊富な地域に移動する方が合理的だったのだ。
結果としてアジア諸国に繊維産業は集中し、中国製やインド製のリング紡績工場が稼働した。勿論、スプライサーの発明が無ければ、この動きは無かっただろう。30年前と大きく違うのは、すでに有利な立地条件を求めて地球規模での生産地シフトを終えて、改めて同じ競争環境下で高生産性、自動化、省力の設備が求められている5-1)。
この30年間に情報・通信・センサー技術は、扱うデータ量、速度、信頼性、価格のどれも想像を超える早さで進化し続け、世界中に広がる紡績工場が通信ネットワークで結ばれ、糸種、番手、生産量、その品質などを瞬時に把握できるシステムが構築されてきている。糸品質と同時に機械の状態を常時監視し、適切な保守・維持管理をリモートでサポートする品質管理、保守管理システムが動き出している。設備機器メーカー各社は、それぞれ独自にシステムを構築しているが、規格の統一に向かっていくだろう。
村田のMSS(Muratec Sumart Suport)5-2)と呼ぶシステムは2023年8月現在、自動ワインダーとVORTEX精紡機合わせて2.6万台以上が全世界の約650工場と常時繋がっており、これらの機械が生み出す約1.2万トン/日の糸種、番手、糸品質と共に生産効率、稼働時間、自動機のミス率、アラームの放置時間などの様々な情報から機械のパフォーマンスを最大限に引き出せるようなパラメターの推奨設定、予防保全のための消耗品の交換時期予測、特定錘の不良の発生原因の分析、などを行っている。機台間、生産シフト、他工場、生産ロットによる違いや、変化の傾向、温湿度などの環境条件との関連、保守計画、メンテナンス指示など、これまでになかった新たなサービスをリモートで提供できるようになってきた。
生産現場に近づけないコロナの3年間、このリモートでつながるシステムの有効性を確認できたことは大きな成果だった。この分野は情報量の増加と共にさらに洗練され、診断や生産計画、保守計画の精度が高まることが期待できる。
ファストファッション(Fast fashion)に見られるようにコモディティ(Commodity)品は作り置きで、見込み生産と大量発注、大量消費の裏に当然の如く大量廃棄が待っている。稼働率よりも有効な資源・エネルギーの投下率のように非生産の価値を考慮した指針、生産活動とは異なるベクトルの評価軸が必要だと考える。
生産性が高いほどオンタイムに生産・出荷でき、見込み在庫を減らせる。生産工程の短縮は中間在庫と工程時間を減らし、生産計画の精度を高め無駄な在庫の減少につながる。また消費者に渡った商品の寿命も無視できない。商品寿命が長くなれば、消費のサイクルが伸び、その分、資源もエネルギー消費も、保管も輸送の無駄も削減できる。最大の資源の節約、環境負荷の低減は不要なものを作らない、必要なものだけを準備し、出来たものは寿命まで使ってもらうのが良い。そのためには生産性が高いことは必須条件で、欲する人が短時間で商品を購入でき、その商品を長期間使用できることが重要で、コモディティ製品ほど、高速に生産でき、摩耗や洗濯に強い糸が望ましい。
紡績素材は持続可能な手段で作られねばならない。CO2排出を減らし、水の使用量を減らし、環境汚染を引き起こす農薬や殺虫剤などの使用量が少なく、食料生産の農地と競合せず、食料の副産物、あるいはパルプや紙の原料の副産物から、まだ利用されていない豊富な植物資源が存在しているかもしれない。カーボンニュートラルでバイオマス原料としても利用可能な綿を含む植物をベースとしたセルロースが主体になるべきだろう。すでに始まっている使用済み衣料品から分離抽出したセルロース原料の再利用、また将来、CO2の回収とその回収した資源から繊維を生み出す技術が経済的に成立しているかもしれない。あるいは資源として顧みられなかったありふれた植物が繊維資源として生まれ変わっているかもしれない。再生セルロース繊維はボルテックス紡績法にとって最も生産性が高く扱いやすい素材で、その糸から作られる製品の風合い、製品寿命の長さは、世界のどの市場でも高い評価を受けて来た。そのような紡績素材を将来に渡って、今あるセルロースの再生繊維のように効率よく扱えなければならない。
生産糸の最小ロット単位が少ないほど無駄も少ない。半面、年間を通して同一の糸種が流れ仕掛け変更が少なければ稼働効率は良い。多品種少量生産と一品種大量生産のような相反する要求に応えられる汎用機は結局、生産速度が速く、広い糸種、番手範囲を少ない交換部品でカバーでき、糸種変更時の交換部品や調整箇所が少ない、作業工数が少ない機械が汎用性が高い機械と言える。既存のリング精紡機のフレーム構成での最大錘数は現状2,400錘である。これを超えるためには全く違ったフレーム構成が求められるだろうが、リング精紡の限界速度から現状の姿を変える可能性は低い。そうすると2,400錘が一つの基準になるかもしれない。これは生産性から類推するとボルテックスは120錘、ローター機は432ローターで同等の生産量になる。
繊維産業は身近な存在で歴史も長いため、技術革新が遅々としているように思われるかもしれない。18世紀中頃からイギリスで始まる産業革命は、生産手段が木製の道具から鉄製の機械に置き換わり、自動化され、それまでの何世紀も変わらなかった生産性が飛躍的に向上した。
機械化以前の原型は図5.1のような手紡車でサクソニー紡車と呼ばれ、発明者はザクセン(現ドイツ)のヨハン・ユルゲン(Johan Jürgen)と伝えられている。足踏みペダル(b)によりクランク機構(c)を介してホイール(a)を回し、ホイールから2本のベルトが大小のプーリーに掛かり、大きなプーリー(i)はフライヤー(f)を、小さなプーリー(h)はボビン(m)を回す。フライヤーの回転により指で把持された繊維束とフライヤーのフックの間で撚りが入り、フライヤーよりもボビンの回転は早いので糸はボビンに巻き取られていく。両手で繊維束を細く引き伸ばす代わりに2組のペアローラー間で繊維を引き延ばせばドラフト、加撚、巻取りが連続して行われるようになる。
図5.1 ザクセン紡車(出典;Wikipedia糸車)
図5.2 綿糸Ne24(Nm40)を1㎏生産する精紡機1台当たりの時間(分)5-3)
X:Mule 〇:Ring □:Rotor △:Vortex
縦軸はLog10対数目盛
表5.1 綿糸Nm40、1 kg生産に必要な精紡機1台の
錘数と紡績速度(m/min)
2030年 (0.520分) |
2040年 (0.396分) |
2050年 (0.302分) | |
錘 数 | 上記の時間内で生産するための紡績速度(m/min) | ||
96 | 801 | 1,052 | 1,379 |
120 | 641 | 801 | 1,106 |
168 | 457 | 601 | 788 |
200 | 384 | 505 | 662 |
(必要な時間(分)は図5.2の近似式から外挿。)
1999年のITMA-Parisにシュラホーストは、展示ブースの最も目につく場所にコロブティック(Coro Boutique)と呼ぶ一角を設け、生地スワッチに合わせて原料から紡績・整布・生地加工・最終製品に至る詳細なデータをライブラリー化し、明らかにアパレルや生地のハンドラーに向かって展示していた。ローター式オープンエンド機の先頭を走るメーカーの使命として市場開拓の重要性を深く理解し、そのために機械の開発に匹敵するエネルギーをローター糸の用途開発に費やしていた。撚り構造が従来型の糸と異なるため、これまでの製品化までの伝統的な決め事を洗い直し、最終製品とともに原料から加工方法まで精紡機メーカーが提案する時代に変わっていたのだ。
ここで問いかけているのは糸や生地のハンドラーやアパレルであって、機械を納入する紡績会社ではない。このシュラホーストのマーケッティング手法は大きな刺激になった。紡績会社に機械の生産性や生産コスト比較を100回繰り返しても、『ところで何を生産すれば儲かるの?』と切り返されると返す言葉が見つからない経験が一度や二度ではなかったからだ。
1985年、日本製(リング糸)の綿Tシャツを持ってアメリカの有名なブランドを尋ねた。この時、アメリカの量販店で購入した同程度の目付のローター糸とリング糸、それと結束紡績糸(MJS糸、ポリエステル綿混)からシングルジャージーに編まれた製品を並べて嗜好を尋ねた。彼らが選んだのはリング糸の製品だが日本製ではなく、小斑だらけのアメリカ製の製品だった。日本製とローター糸は外観が均一すぎる、結束紡績糸は生地が固く、外観も親しみを持てないと。ところが10年後、結束紡績糸をボルテックス綿糸に変えて同じ質問をしてみた。この時選ばれたのはローター糸からの製品で、リング糸は斑が目立つ、日本製のリング糸は均一すぎる、ボルテックス糸の生地はハンドも外観もリング糸とローター糸の中間で面白くない。製品評価は10年ですっかり変わっていた。
つまり人々の嗜好は10年も経てば変わること、慣れが嗜好を決めることを知った。この10年の間に、店頭に並ぶ同等な製品の多くがローター糸製に置き換わっていたのだ。
この2つの出来事は、その後の活動の方向性を示してくれた。1999年パリの見本市の後、ボルテックス機を搬入したイタリアの紡績会社フランゾーニ(Franzoni Filati)はミラノの北東、アルプスに刻まれたカモニカ渓谷(Valle Camonica)の小村エジネ(Esine)にあった。イタリア紡績業界で誰もが糸品質で一目置くカルロ・ジューディッチ(Carlo Giudici)を技術責任者に招き、製品化とマーケッティングの専門スタッフを揃え、緻密な販売戦略を練っていた。
図5.3 イタリア、カモニカ谷(筆者撮影)
図5.4 イタリアの専門店(筆者撮影)
(注5.1) | 布の表面に緩んだ繊維がボール状に絡まり、留まっている現象をピリングと言い、この毛玉をピル(Pill)と呼ぶ。ピリングの評価方法にはICI法(JIS 1076A法)、試料をゴム管に貼り付けコルクシートを内面に貼った回転箱の中に入れ、一定時間回転後、標準写真と比較するもので、日本で広く利用されている。またランダムタンブル法(Randum tumble)法(ASTM D3512)は試料をコルクシートまたはクロロピレンシートを貼り付けた円筒容器に入れ、金属製の回転羽根で一定時間撹拌した後、標準写真と比較する方法で米国にて主に使用される。ヨーロッパはマーチンデール法(Martindale, ISO 12945-2)の摩耗試験が一般的で、試料に対し標準布(試料自身とそれ以外の布)を押し当て、既定の回数摩擦負荷をかけた後、その外観を基準スケールと比較しピリング値を決める。等級は1級から5級(ピリング無し)まで0.5刻みで判定される。通常3級以下で商品として店頭に出ることは稀である。
図5.5は200カウントシーツのリング糸製とボルテックス糸製を比較している。3級以上を合格とするケースが多いので、このシーツの例ではリングは1,000サイクルで3級に、ボルテックスは7,000サイクルでも4.5級なので少なくとも7倍以上寿命が延びると考えられる。同様に 図5.6ではモダル50%綿50%混のNe40/1にライクラ(Spandex)をプレーティングしたベア天で、3級を合格とするとリングは1,000サイクルまで、ボルテックスは5,000サイクルまで維持するので寿命が5倍に伸びることがわかる。因みに200カウントシーツとは1インチ当たりの縦糸本数と緯糸本数の和が200本になる平織組織、またベア天とはストレッチ性の繊維を編成時に同時に供給した天竺編み(シングルジャージー)組織である。(試料提供、Franzoni) |
(注5.2) | 吸水性の測定法には過渡現象を見るものと、一定時間経過後の定常状態を見る方法があるが、この例、図5.75-5)は定常状態を観察している。紡績糸は糸軸に沿って撚り構造が様々に変化するため位置による変動が大きく、これを緩和するために糸を束ね、糸の向きも考慮して集団とすることで実際の生地の状態に近づけている。ここで用いたバイレック法は毛細管現象による水の移動で糸の径が大きいほど、つまり糸の線密度が低い(繊維間の空間が広い)ほど吸水性が良いことを表している。 |
図5.5 ピリング評価値の比較 コーマ綿100 % 200カウントシーツ(110×90)(資料提供; Filature Franzoni)
図5.6 ピリング評価値の比較 Ne40/1 Modal50/Cotton50にライクラ(Lycra 44 dtex)をプレーティングしたベア天
(資料提供;Filature Franzoni)
図5.7 糸の吸水性比較(バイレック法)5-5)
リング糸(撚り数/m;700, 750, 780, 850)、ボルテックス糸(糸速;350, 400, 450 m/min)
参考文献
5-1) | 松本龍守, 時代が求める紡績機械, ICM & Safety Division Newsletter No.25, pp.10-11,日本機械学会 (2010)
https://www.jsme.or.jp/icm/uploads/sites/ 18/2019/07/newsletter_No25.pdf(2023.10.7閲覧) |
5-2) | https://www.muratec.net/tm/support/mss.html (2023.8.28閲覧) |
5-3) | Trommer Günter, Rotor Spinning, Deutscher Fachverlag, p.11(1995)の図1を元に筆者追記。 |
5-4) | 奥野博, 最近のリング精紡機, 繊維工業42-2, pp.73-81(1989) |
5-5) | Matsumoto et. al, Water absorbency of the Vortex yarn, The proceedings of 41st Textile Research Symposium at Guimaraes, pp.338-346(2012) |
18世紀イギリスに始まる産業革命以降、世界中の誰もが同品質の製品を作り出せる技術が次々に生まれ、生産手段の汎用化とともに生産量も爆発的に増大した。大量生産のための機械化、自動化、省力化は人類の夢だった。しかし地域で独自に育まれ、固有の技術として生まれた各地の特産品の価値を相対的に低下させ、地域の産業そのものを衰退させる原因にもなった。最新鋭の機械を導入し操作方法を覚えれば、幾世代にもわたって受け継がれてきた技法・ノウハウを瞬時に手に入れ、だれもが同品質の製品をより効率的に生産できるようになった。生産技術の汎用化は機械メーカーにとって市場で生き残るための条件の一つだが、そのことがまた自らの存続基盤を危うくしてきた。生産手段を受け入れる現場が遠く海外に離れ、国内への設備投資は減り、競争力をさらに弱めた。国内に市場を失った繊維機械メーカーは淘汰され、必死に海外市場に販路を求めた。繊維産業同様、機械産業も海外生産に活路を見出そうとしてきた。このことがまた技術の流出を早め、新たに出現した現地メーカーとの激しいコスト競争という悪循環に陥った。
機械産業が早くから始まったイギリスやアメリカではすでに繊維機械メーカーは消滅し、あるいは他の産業向けに衣替えしている。欧州も多くの歴史的な機械メーカーが淘汰され、一部にブランドとしての名前を残すのみになっている。代わって世界の製造工場となって台頭してきた中国やインドメーカーの成長は著しく、国際見本市の展示面積の拡大に圧倒される。規模に対抗するには新たな技術開発と商品開発で常に半歩先を行くことが求められ、早すぎても遅くても、他の工程の進化と歩調が合わなければ市場での支持を得られない。
物質的な豊かさを求める人類は地球環境を無限と信じ、自然の脅威を繰り返し経験するまで、差し迫る危機を看過し、大量生産・大量消費・大量廃棄をセットにして資源を浪費し、環境を破壊して来た。気候変動、温暖化、海面上昇、永久凍土の溶解、農地の減少と砂漠化、洪水、森林火災、食料危機、水不足、水質汚染、エネルギー問題、核廃棄物処理、難民、戦争、パンデミック、生物種の絶滅など解決策の見えない課題が一度に顕在化してきた。それぞれは独立変数ではなく相互に絡み合い、現象をより先鋭化・複雑化している。
人類の活動が地球環境を変えてしまうほどの影響を及ぼしたのは18世紀に始まる産業革命以降である。より多くのエネルギーを求めて化石燃料を掘り出し、吸い上げ、これらを燃焼し熱エネルギーに換え、あるいは熱分解して原材料を取り出し、二酸化炭素を放出し続けて来た。この産業革命に中心的な役割を演じた繊維産業は率先して取り組むべき相応の責任がある。
持続可能な社会を実現するために紡績機はどのような貢献が出来るだろう。より少ない資源とエネルギーから長寿命の製品を作り出すことは重要だろう。またパンデミックの教訓は人の移動制限で生産活動が麻痺し、物流の滞留とコスト上昇から遠隔地に生産拠点が集中することの脆弱性を露わにした。消費地に近い所で生産することの必要性を再考し、それに適した省人・省力、多品種に対応可能な高生産性の機械が求められる。
この技術の系統化調査を通じて、改めて精紡機の進化は織機や編み機など整布工程の高速化と密接につながっていることを認識させられた。飛び杼に始まり力織機への進化が糸の需要を増やし、ミュール精紡機やリング精紡機を生みだすきっかけになった。20世紀後半、織機の緯糸打ち込みはシャトルからグリッパー(プロジェクタイル)、レピア、ウォータージェット、エアージェットへと次々に高速化していった。その結果、粗紡機・精紡機間の粗糸搬送と空ボビンの自動回収、精紡機の一斉ドッフィングと糸掛け、リング精紡機とワインダーのリンクシステム、自動ワインダーの高速化、スプライサーの発明、より信頼性の高いヤーンクリアラーの開発、確実な糸欠点の除去、そして革新精紡機の登場を促した。
各紡績法にはそれぞれ得意、不得意がある。紡績糸に主役も脇役もなく、それぞれが最も特徴を発揮しやすい製品用途で使用され、今ある精紡方式はこれからも使われ続けられるだろう。
リング糸の実撚り構造がもたらす風合い、光沢、強度が見直され、実撚りでなければ実現できない製品が数多く存在することも分かってきた。カタン糸、刺繍糸、レース糸、飾り糸、高密度のシーツ、シャツなど挙げればきりがない。リング糸でなければ得られない糸強度や、光沢、風合いを求める製品が消えることはない。糸品質の中でも特に風合いに関係する特性に優れ、その特徴を生かしサイロ(注6.1)、コンパクト(注6.2)、サイロコンパクト(注6.3)など、さらに糸品質を高める方向で差別化されてきた。革新紡績方式では得られない細番手糸を作れる。また最も高い糸強力を得られ、どのような繊維素材でも糸に出来る高い汎用性がある。また意匠糸、スラブ糸、コアヤーンなどの特殊な糸にも対応できる。ただ汎用性・多様性があるからと言って簡単に対応できるわけではない。生産性が低いため多数錘、多数機台の部品交換と調整を要するからだ。
ローター式OE精紡は自動化の完成度が高く、高生産性で、Ne20よりも太番手の綿糸では絶対的なコストパフォーマンスを示す。またコーマノイルのような短い繊維からも紡績可能で、反毛などのリサイクル繊維を容易に扱える。リング糸の風合いを、あるいは光沢や布強度が必要な商品ばかりではない。ローター式OE精紡機は中番手ニット用から太番手が得意で、短い繊維も糸に有効に取り込めるメリットがあり、そのような既存用途はデニム、タオル、Tシャツ、下着、ボトム、帆布など、ほぼ全てがカード綿を使う。紡績素材の半分以上が綿である限り、綿紡績の重要性は変わらない。持続可能な社会を実現するためにも資源の再利用は避けられない。落綿や反毛のような短い繊維長でも有効に糸に加工できるローター式OE精紡法が絶対的に優位な市場はこれからも続くと思われる。
米国のローター糸はタオル、デニム、帆布のような太番手の織とNm50(Ne30)よりも太番手の編み用途から市場に浸透したが、糸強度の必要な中番手から細番手の織用途、例えばシーティングやシャーティングでは受け入れられる商品が少なく、このローター糸が不得意な中番手から細番手の多くの製品に一時期エアージェット糸が使われた。この分野は生産性、布特性、風合いのどの項目を見てもボルテックスが優っており、世界中で素材、番手に関わらず入れ替えが進んでいくだろう。米国はイージーケア性が好まれ、ポリエステルとのブレンドが綿100 %よりも好まれる稀な市場である。
ボルテックスは中番手から細番手を得意にし、ローター式と補完関係にある。短い繊維は紡績中に失われる割合が高いため、短繊維を多く含むカード綿は紡績時に失われる繊維量も多い。半面、その後の工程、例えば織の準備工程や織布工程、あるいは編み工程での繊維脱落が少なく、脱落が原因の布欠点の発生頻度が格段に低い。着用時や洗濯による繊維脱落も少なく、ピリングを生じにくいので生地の寿命が長い。毛羽が少なく摩耗に強い糸の特性に起因している。高生産性のお蔭で、少ないフロア面積で、少ない部品交換と手間で仕掛け換えに対応できるので、出荷の頭出しが早まるし、多品種・少量生産にも対応しやすい。芯にマルチフィラメント糸や紡績糸、鞘にステイプル繊維を用いるコアヤーン(長短複合糸)は機能性を付加しやすいため、ボルテックス糸の用途開発に新たな可能性が広がる。
最後に、この報告書は本来なら当然含めるべき紡績工程のそれぞれの機械について、あまり言及していない。多様な機械が存在し、これらを網羅して報告できる知見を筆者は持ち合わせておらず、この点については誠に申し訳なく思っている。今では紡績糸よりも生産量が多く、人口増加に伴う糸需要を支えているフィラメント糸についても触れていない。化繊機械の動向も合わせて次の文献を参考に挙げておく6-1)。
(注6.1) | 1970年代オーストラリアのサイロ研究所(CSIRO)とイギリスのIWS(International Wool Solidaritat) が共同でウールの梳毛糸用に開発した手法で、1錘に2本の粗糸を供給しドラフト後、フロントローラーから出てくる繊維をトラベラーから伝播してくる撚りで捕捉すると均斉度が良く、糸強力も高い双糸状の一本の糸が得られる。この手法で作られた糸をサイロ糸(Siro Spun Yarn)と呼ぶ。既設のリング精紡機に粗糸クリルとファイバーガイドの追加改造だけで対応できる。この技術を細番手の綿糸に適用し、織用途での品質改善に貢献している。 |
(注6.2) | 1989年、オーストリアのフェーラーはドレフスピンテスターと呼ぶリング精紡機をATMEに出展した。粗糸ではなくスライバーをドラフトし、エプロンドラフトから出てきた繊維束を微弱な噴流で2分割し、それぞれを独立に2錘に巻き取る。フロントローラーはメッシュ穴を持ち、ブロアーからの吸引で繊維の流れを規制することで糸物性の劣化を防ぐ。フェーラーの狙いは粗紡工程を省くスライバーツーヤーンだったが誰も興味を示さなかった。そこでドイツ、スイスのリング精紡機メーカーに共同研究を持ち掛けた。これにリーターは反応した。スライバーツーヤーンにではなく、このメッシュ穴付きバキュームローラーが毛羽発生を抑制する効果に着目し1995年のITMA-Milanoに出展した。4年後の1999年ITMA-ParisではRieter、Süssen、Zinserの欧州3社から吸引を利用した独自の手法でコンパクト機の出展があり、毛羽の少ない糸特性を求める市場の要求から以後急速に普及した。 |
(注6.3) | 1990年代の後半、毛羽の少ないコンパクト糸で商品開発をリードしてきたイタリアのフランゾーニ(Franzoni)はコンパクト機が広まるのを見て、差別化を狙いサイロとコンパクトを組みあわせることで、さらに高品質の糸を高級シャツブランドや、高い耐摩耗性を求められる経編、高密度織布に用途を広げた。その後すぐに 世界の製造工場に成長した中国に広まった。 |
参考文献
6-1) | 社団法人日本繊維機械協会, わが国繊維機械の技術発展調査研究報告書(l)化繊機械・紡績機械編(1989) |
コラム:サウスキャロライナの研究室
写真①
写真②
写真③
この系統化調査の執筆に当たり多くの方々から助けて頂きました。ここに改めて深謝致します。特に元村田機械の森茂樹氏、加藤久明氏には資料と共に開発当時の様子を詳細に語って頂きました。豊田自動織機の芦崎哲也氏、丸山直樹氏には80年代以降の紡績全般について、中村晴佳氏から精紡機開発に携わった当時の状況を、村田機械の目片務氏は歴代のMJS機の推移、糸井明博氏は自動ワインダーとリング精紡機に関連して、また坂口裕子氏、高嶌浩子氏、瀬戸野真代氏は資料探しに協力して頂きました。里見眞一氏からは貴重な写真を提供して頂きました。特に元レンチングのヨハン・ライトナー氏(Johan Leitner)はヨーロッパメーカーの動向を調べて頂きました。またスイスのリーター(Rieter)、ザウラー(Saurer)両社からは写真の使用を快諾して頂きました。特許や参考文献から出来るだけ多くの関係者を取り上げるつもりでいましたが、自身の力量不足から十分な資料を見つけ出せなかった点をお許し下さい。調査範囲は1954年生まれの私の人生と同時代を観察するのですが、産業機械はより生産性の高いモノに更新されて行く宿命から、モノが残ることは珍しく記憶からも消えていきます。技術の系統化調査の難しさを改めて思い知りました。最後に野村貫則氏は原稿を精読し貴重な助言を下さり、日本繊維機械協会の萬井正俊氏ともども、この報告書執筆の機会を与えて頂いたことを心から感謝します。
14世紀 | インドから紡車(spinning wheel)がヨーロッパに伝わる。 |
1533 | Johan Jürgen(ドイツ) ザクセン紡車(Saxony Wheel)の発明。Flyer による加撚機構。 |
1733 | John Key(イギリス) 飛び杼(Flying Shuttle)を発明。 |
1738 | Lewis Paul、Johan Wyatt(イギリス) ローラードラフトを発明。 |
1764 | James Hargreaves(イギリス) ジェニー紡機(Spinning Jenny)を発明。ミュールの原型。 |
1769 | Richard Arkwright(イギリス) 水力紡機(Water Frame)。ローラードラフトとフライヤーによる加撚、
ボビンの巻取りが同時に進行。 |
1779 | Samuel Crompton(イギリス) ジェニーにローラードラフトを組み込んだジェニー・ミュール(Jenny Mule)が現れる。 |
1780 | James Watt(イギリス) 蒸気機関を発明(Steam Engine)工場立地の制約から解放される。 |
1783 | Johann Brgerman(ドイツ) ヨーロッパ大陸側にも紡績工場(Arkwrightの紡機)がラアティンゲン
(Ratingen、デュッセルドルフ郊外)に開設。 |
1785 | Edmont Cartwright(イギリス)力織機の発明。 |
1791 | Samuel Slater(アメリカ) 新大陸側に初の紡績工場(Rhode Island)、アークライトの水力紡機。 |
1793 | Eli Whitney(イギリス) ジニング機を発明。綿花(Cotton Boll)からリント(繊維)を引き剥がす機械。 |
1825-1830 | Richard Roberts(イギリス) ミュールの加撚、巻取り、ドラフトを自動化。 |
1828 | Charles Danforth(アメリカ) キャップ・スピニング(Cap Spinning)を発明。 |
1828 | John Thorp(アメリカ) リングが回転するリング精紡機を発明。 |
1829 | John Thorp(アメリカ) トラベラーがリングレール上を滑るリング精紡機(Ring Spinning)発明。 |
1830 | Arnold Jenks(アメリカ) リング精紡の特許。発明者はRichard Marsadで登録。 |
1839 | (アメリカ) トラベラー加工専用機が作られる。 品質が安定化。 |
1909 | F. J. Rabbeth(アメリカ) ベアリング内蔵スピンドル、振動防止対策。 |
1920 | Fernando Casablancas(アメリカ) ダブルエプロンドラフトの発明。 |
1948 | Zellweger-Uster(スイス) Eveness Tester開発。 |
1951 | ITMA-Lille(フランス) で始まる。 |
1955 | ITMA-Brussel Kovo社(チェコスロバキア) ウォータージェットルーム、エアージェットルームを出展。 Zellweger-Uster(スイス) Slub Catcher |
1957 | Zellweger-Uster(スイス) Uster Statistic発行。 |
1959 | ITMA-Milano ドレーパー(Draper、アメリカ)レピア織機(Repier loom)出展。 |
1963 | ITMA-Hannover シャトルレス織機12社から出展。革新織機の時代に。 Zellweger-Uster(スイス) 自動ワインダー用クリアラーUAM(Uster Automatic)開発。Slub |
1965 | チェコスロバキア国立綿業研究所 ローター式OE、KS200をBrno(チェコスロバキア)見本市に出展。
UAMクリアラー主要な自動ワインダーに搭載される。Schlafhorst-A.Coner107, Gilbos-Conemat, Mller-Automat, Barber Colman-CC, Schweiter-CA11, Leesona-Uniconer Loephe・Yarnmaster(スイス) 光学式クリアラー上市。 |
1967 | ITMA-Basel チェコスロバキア国立綿業研究、ローター式OEのBD200を出展。 話題の中心はBD200の完成度の高さ。
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1971 | ITMA-Paris 10社からローター式OE機出展。BD(チェコのライセンス)が多数派。
Rieter(スイス)のRotondo、Ingoltadt(ドイツ)のRK10、Zinser(ドイツ)のRotos、Platt(イギリス)のBD、
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1972 | DuPont(アメリカ) Air Jet Spinning Rotofil(結束紡績糸)をアクリル糸に使用を公表。 |
1975 | ITMA-Milano20社28機種のローター式OE機が出展されローター式OE機がリング後継の本命に。
チェコスロバキアのINVESTA・BDAは自動ピーシング、Rotor式の自動機化始まる。
空気渦流式OE機、ポーランドPolmatex・PF1 |
1978 | ATME Schlafhorst (ドイツ) 全自動Rotor式OEのAutocoroを出展。 |
1979 | ITMA-Hannover 村田・エアースプライサーを出展。No.7-IIマッハコーナー。 |
1981 | OTEMAS 村田・Air Jet Spinningを出展、メカノッター。 |
1982 | ATME DREF(オーストリア)Friction spinningのDREF-3を出展。 村田・MJS-801を出展、光学式クリアラー(日本セレン)。 |
1983 | ITMA-Milano Platt Sacolowell(イギリス)、Platt・STS-888(Self Twist Spinning)出展。
Platt Sacolowell(イギリス)とHollingsworth(アメリカ)からMaster Piece(Friction Spinning)。 |
1985 | OTEMAS 豊和、豊田・TYS、東レ・AJS101、村田・MJS-801、4社が仮撚り結束式の
Air Jet Spinningを展示。 |
1987 | ITMA-Paris 村田・MJS-802を出展。ズッセン(Süssenドイツ)・双糸機プライフィル(Plyfil)出展。
Platt-SacolowellとHollingworthからMaster Piece Type894、Hollingworthが糸継とドッファーを自動化。 |
1989 | OTEMAS, ATME 村田・双糸機MTS-881をOTEMASとATMEに出展。
東レ・エアージェット精紡機AJS102をOTEMASに出展。 |
1991 | ITMA-Hannover 工程連結、自動化、ロボット化の見本市
Macart(イギリス)機械式相互交絡糸、Platt-STS888を受け継ぎMacart-S300 |
1993 | CIMリング紡績工場(近藤紡堀金);綿のベール開梱から箱詰め出荷まで自動化。
(スチームセットとパッケージの外観検査を含む) Zellweger-Uster・PolymaticクリアラーUPM、ネップチャンネル追加 NSLTCにクラス分け。 |
1995 | ITMA-Milan Rieter(スイス) コンパクト方式(Compact spinning)の提案。
インクジェットプリンター、島精機の横編み機、ホールガーメント(Whole Garment)初登場。 |
1996 | Zellweger-Uster・UPC-200 (Uster Peyer Clearer)クリアラー、色糸検出機能をもつ。光学センサー併用。 |
1997 | OTEMAS 村田・MVS-851(自動ピーシング糸継機)3台を非公開で出展。カード綿
Ne40(24錘、320 m/min)、Ne28(24錘、350 m/min)、Ne18(56錘、380 m/min) |
1999 | ITMA-Paris 村田・ボルテックス精紡機を初めて公開、話題の中心に。MVS-851の32錘機
Ne40カード綿糸を350 m/min
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2001 | OTEMAS 村田・MVS-810を出展。 MJSフレームにVortexノズルを載せ、仮撚りで糸を通してからVortex方式に 切り替える糸継法を確立。メカノッター仕様。糸の貯留が出来ないため300m/minまで。 CSIRO・ソロスパン(Solo Spun)方式の提案。 |
2003 | ITMA-Birmingham主要メーカーの多くが出展せず。(リーター、シュラホースト、ツルッツラー、カールマイヤー、
ピカノール、豊田、津田駒など。) |
2004 | Uster・Quantum-2 植物性異物、ポリプロピレン検出機能。 |
2007 | ITMA-Munchen Macart(イギリス)・Macart-S300を展示(Self twist spinning)アクリル・バルキー糸に使用。
バルキーだしのスチームセット後に間欠的にワインダーに巻き取る。 |
2008 | Rieter(スイス)・Vortex試作機J-10を公開。
Rotor機のフレームにローラー-ドラフトとVortexノズル、ピーシング。両面機。 |
2010 | Uster・Quantum-3 Yarn bodyと毛羽の分離表現。コア異常、透明ポリプロピレンの検出。 |
2011 | ITMA-Barcelona Schlafhorst(ドイツ)・Autocoro-8(全自動)磁気式ローターモーターのSpinbox、20万rpmと公表。
村田・Vortex-870を出展(カタログ500 m/min、96錘)
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2012 | 村田・MJSの生産終了。 |
2015 | ITMA-Milano 村田・Vortex-870EX(96錘、500 m/min)、Polymaster®付き。
Rieter(スイス)・J-26;カタログ200錘、500 m/minが出展された。 |
2019 | ITMA-Barcelona 4社からVortex方式の機械が出展された。
村田・Vortex-870EX;96錘、550m/min、Rieter・J-26、200錘、550 m/min、 |
2021 | Uster・Quantum-4 糸密度、ブレンド率異常の検出。 |
2023 | ITMA-Milano 4社からVortex方式の機械が出展された。
村田・Vortex-870EX;96錘、550m/min、Rieter・J-70;200錘、600 m/min、 |
産業技術史資料 紡績技術所在確認
番号 | 名称 | 製作年 | 制作者 | 資料種類 | 資料現状 | 所在地 | 選定理由 |
1 |
スプライサーヘッドと ノッターヘッド |
1979 |
村田機械 株式会社 |
機械パーツ | 展示 |
村田機械本社 ショールーム (京都市) |
紡績糸の品質を飛躍的に高めた糸繋ぎ技術。従来技術は機械的な糸結びで、結び目そのものが布品質上の欠点と見なされるだけでなく、整布工程上の各種機械の高速化を阻んでいた。1979年、西ドイツの見本市で世界初のスプライサー技術が公開されて以後、紡績糸を繋ぐ世界標準になった。これにより、糸欠点の検出技術の向上、リング精紡機はボビンの小型化、リングの小径化、多錘化へと舵を切り、生産地のグローバル化にも影響した。この技術により約200年前に発明されたリング精紡法が今日でも紡績糸の主力生産方式として生き残ることになった。 |
2 |
粗紡機、リング精紡機、 ワインダー間のモノの 受け渡しを一体化し、 連動して動くリンク システム |
1993 |
株式会社 豊田自動織機製作所、 村田機械 株式会社 |
機械システム | 展示 |
トヨタ産業 技術記念館 (名古屋市) 村田機械本社 ショールーム (京都市) |
リング精紡は生産性が低いだけでなく、そのオペレーションに多数の作業者が必要である。この省力化に貢献したのが粗紡機と精紡機、さらにワインダーを連結し、一斉ドッフィング、一斉糸掛け、機台間の篠、満管ボビンの自動搬送、空ボビンの自動回収等の作業を、一つのシステムとして稼働させることで、1960年代、紡績工場の8割の作業者が集中していたこれらの工程の省力化は劇的に進んだ。 |
3 |
自動ワインダーユニット、マッハコーナー (Mach Coner®) No.7−II |
1979 |
村田機械 株式会社 |
機械 | 展示 |
村田機械本社 ショールーム (京都市) |
エアースプライサーを搭載した世界初のワインディングユニット、No.7からNo.21C、 QPRO®、FPRO®、AIcone®へと機種名を更新し、高速化、巻き品質の向上、省エネ、易オペレート性が図られてきた。かつて欧米企業が独占していた市場の40%を占め世界で最も利用されるワインダーの礎を築いた。 |
4 |
VORTEX® No.870 ユニット |
2011 |
村田機械 株式会社 |
機械 | 展示 |
村田機械本社 ショールーム (京都市) |
実撚りで風合いを損ねずに超高速紡績を可能にした世界初の空気渦流式オープンエンド紡績機(VORTEX®)のユニット。高速で高ドラフトのドラフト装置、VORTEX®紡績機用ノズル、テンションセンサー、ヤーンクリアラー、スプライサー、糸の貯留を兼ねたフリクションローラー、ワキシング装置、巻取装置などからなる。またパラボビンから5°57ʼコーンまで紡績速度を落とすことなく対応でき、デジタルクリアラーは色糸検出機能付きを使用。コアヤーン装置による長短複合糸の生産も容易に切り替えられる。ポリエステルからの脱落物質のノズル内堆積を防止するポリマスター(POLYMASTER®)と呼ぶクリーニング装置など独自の技術が集積している。 |
5 |
VORTEX®紡績機用 ノズル |
1995 |
村田機械 株式会社 |
機械パーツ | 展示 |
村田機械本社 ショールーム (京都市) |
リング糸の持つ風合いを保持しながら、生産性を20倍から30倍に引き上げた世界初の空気渦流式オープンエンド紡績法。他の革新紡績法に比較しても2倍以上の生産性を示す。ロータ式オープンエンド紡績法が太番手糸を得意とするのに対し、空気渦流式オープンエンド紡績法は太番手から細番手まで広範囲をカバーし、糸番手に依らず紡績速度が低下しない。毛羽が少なく、ピリングを発生しにくい、摩耗に強いなど優れた特性を示す。 |
6 |
MJS紡績機用 ノズル |
1981 |
村田機械 株式会社 |
機械パーツ | 展示 |
村田機械本社 ショールーム (京都市) |
空気仮撚り式結束紡績法で世界で唯一商業生産に用いられた村田独自のタンデム配置紡績ノズル。この紡績方式はMurata Spinningとアメリカで呼ばれた。 |
7 |
ローター式 オープンエンド 精紡機BD200 |
1973 |
株式会社 豊田自動織機 製作所 |
機械 | 展示 |
トヨタ産業 技術記念館 (名古屋市) |
革新精紡機の時代を切り開いたチェコスロバキアのローター式オープンエンド精紡機は世界中で多くのライセンス機が製造され、今でもBDの名を冠した機械が製造されている。当時、豊田の技術を加味した豊田製BD型は評判で、世界最大規模の紡績工場は日本で稼働していた。 |