海域氷工学の系統化調査

Research and Engineering Development on Sea Ice


中澤 直樹 Naoki Nakazawa

■要旨

氷には海水が凍った氷、氷河、凍土中の氷、河川水および水蒸気が凍った氷があるが、本書は海氷に焦点を当て、特に海氷に関わる研究とエンジニアリング技術の発展を、時代を追って辿ったものである。地球上では北極海、南極海、オホーツク海、バルト海、カスピ海、渤海が冬期(海域によっては夏期を含めて)に結氷する海であり、これらの海を対象として海氷の研究が進められてきた。海氷と人間活動の関わりは、氷の海での航海から始まったと言うことができる。多くの悲劇に終わった北極海探検を経て、19世紀後半にノルデンショルド(Nordenskiöld)がロシア北極海沿岸を通る北極海北東航路を開拓し、20世紀初頭にはナンセン(Nansen)とアムンゼン(Amundsen)がカナダの北極海沿岸を通る北極海北西航路の調査や開拓に成功した。これらは探検という名の北極海開発であった。第二次世界大戦後の北極海は冷戦の海となり、米国とソビエト連邦による軍事を目的とする海氷研究が行われた。そして1960 年代に入り、北極海での石油の発見は、資源開発を目的とした海氷の工学的な研究を大きく発展させることとなった。

氷海で石油や天然ガスを開発する場合、掘削施設には移動氷盤による氷力が作用する。従って、構造物の設計や建造のためには、構造物に作用する氷力を正しく評価しなければならない。北極海での石油資源の探査や開発が始められた1960 年代、北極海と地理的に近い北欧や北米の諸国において、海氷や耐氷構造物に関する研究が本格的に始まった。日本では1930 年代に始まる中谷宇吉郎博士の雪の研究や1960 年代からのオホーツク海の流氷観測が主であったが、1970 年代に入り海氷の工学的研究が行われるようになった。そして1980 年代に入り、北米オイルメジャーによる北極海向けの石油掘削リグの建造が日本の造船所で行われた。SSDC(1982 年、日立造船(株))、Kulluk(1983 年、三井造船(株))、Molikpaq(1984 年、旧石川島播磨重工業(株))、およびSuperCIDS(1984 年、旧日本鋼管(株))の建造は、当時の日本の造船技術と海氷研究が高く評価された結果であった。その後、日本の氷工学をさらに前進させるべく1993 年から8 年間行われた「海洋構造物に作用する氷荷重研究プロジェクト」(通称「JOIA氷荷重研究プロジェクト」)には、産学官から多数の研究者や技術者が参加し、その最先端の研究成果は国際的に高く評価された。しかし1985 年のプラザ合意以降の円高は、日本の製造業の国際競争力を徐々に弱める結果となり、1990 年代以降日本での新たな氷海構造物の建造を困難なものとした。世界的に高い評価を得た日本の海氷研究が、必ずしも製造業の受注に結びつかない結果となった。

2000 年代に入り、地球の温暖化とともに海氷は縮小している。特に北極海の夏季の氷は急激に減少しており、それが地球環境に与える影響が危惧されている。一方、北極海の氷の減少は、北極海航路という新たな産業の動脈を構築しつつあり、北極海を利用した石油・天然ガス資源の輸送やアジアと欧州間の貨物輸送は年々増加している。日本には1956 年に始まる南極観測船「宗谷」から2代目「しらせ」までの建造で培った高度な砕氷船技術がある。そして2026 年には北極域研究船の就役が予定されている。地球温暖化と北極海の海氷の減少、地球規模の気象変動に対する北極域の科学技術研究への日本の役割は大きい。本書で辿った海域氷工学の技術発展史が、今後の北極域における日本の科学技術の貢献の一助となれば幸いである。


■Abstract

Ice can occur as frozen seawater, glaciers, ground ice, frozen river water or water vapor. This articlefocuses on sea ice and traces the historical development of research and engineering technology thereof.Sea ice research has been conducted in the Arctic Ocean, Antarctic Ocean, Sea of Okhotsk, Baltic Sea,Caspian Sea, and Bohai Sea, whose waters freeze over in winter (and, in some cases, in summer, too). Thefirst interactions between humans and sea ice were voyages in which mankind explored the frozen seas.Following many tragic expeditions to explore the Arctic, in the late 19th century, Nordenskiöldaccomplished the Northeast Passage of the Arctic Ocean through the Russia Siberian coast. Then, in theearly 20th century, Nansen and Amundsen successfully pioneered the Northwest Passage, through theCanadian Arctic Archipelago. During this period, the Arctic Ocean was developed for the purpose of“exploration.” After World War II, the Arctic became a focus of strategic concern in the Cold War, andsea ice research was carried out by the United States and the Soviet Union for military purposes. Then,in the 1960s, the discovery of oil in the Arctic led to significant developments in engineering researchon sea ice, which aimed to develop the oil reserves.

When extracting oil or natural gas from ice-laden seas, extraction facilities are susceptible to theforce of moving ice fields. To design and build these structures, it is essential to accurately assessthe ice dynamics that operate on them. When exploration and development of Arctic oil resources began inthe 1960s, countries close to the Arctic Ocean in northern Europe and North America undertook moreresearch on sea ice and ice-resistant structures. Japanese research centered on Ukichiro Nakaya’s workon snow, which began in the 1930s, and observation of drift ice in the Sea of Okhotsk, from the 1960s;then in the 1970s, engineering research into sea ice began to be conducted. In the 1980s, oil drillingrigs were constructed at Japanese shipyards for Arctic use by the North American "Oil Majors.” AsJapanese shipbuilding technology and sea ice research gained recognition, the SSDC (1982, HitachiZosen), Kulluk (1983, Mitsui Engineering & Shipbuilding), Molikpaq (1984, Ishikawajima-Harima HeavyIndustries), and SuperCIDS (1984, Nippon Kokan) platforms were built. Subsequently, a project toinvestigate ice loads—the “Study on Ice Load Acting on Marine Structures”—was conducted by the JapanOcean Industries Association (JOIA) over an eight-year period from 1993, involving a large number ofresearchers and engineers from industry, academic, and government, and the cutting-edge results thatgrew from this project were recognized worldwide. However, due to the appreciation of the yen in thewake of the 1985 Plaza Accord, Japanese manufacturing lost its competitive edge, and by the 1990s theprospect of building new ice-laden sea structures in Japan was no longer viable. Thus, although Japanesesea ice research was held in high acclaim worldwide, this did not necessarily create business forJapanese manufacturers.

Since the 2000s, the amount of sea ice has decreased due to global warming. The volume of summertime seaice in the Arctic, in particular, has decreased substantially, and concerns have focused on the effectof this on the global environment. The reduction in Arctic sea ice is, however, leading to the emergenceof a new industrial artery through the Arctic Ocean: Shipments of oil resources and cargo flowingbetween Asia and Europe via the Arctic route are increasing year by year. Japan has developed advancedicebreaker technology through its shipbuilding activities, from the Soya Antarctic observationvessel—first converted for Antarctic exploration in 1956—through to Shirase II icebreaker more recently.Moreover, a new Arctic research vessel is due to be put into service in 2026. In the fight againstglobal warming and melting ice, Japan has an important role to play in science and technology researchin the Arctic region. It is my hope that this historical study of the development of offshore iceengineering will help advance Japanese science and technology in the Arctic in the years to come.


■ Profile

中澤 直樹 Naoki Nakazawa
国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員

1979 年 北海道大学工学部土木工学科卒業
1979 年 パシフィックコンサルタンツ(株)
1987 ~ 1989 年 U.S. Army Cold Regions Research and Engineering Laboratory
1989 年 University of Alaska Fairbanks, Arctic Engineering, M.Sc.
1989 ~ 1997 年 パシフィックコンサルタンツ(株)
1991 年 工学博士(北海道大学)
1997 年~現在 システム工学研究所株式会社取締役社長
2007 年~現在 一般財団法人先端建設技術センター参事役
2014 ~ 2020 年 東京大学大学院新領域創成科学研究科特任研究員
2021 ~ 2022 年 国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員

■ Contents

 1. はじめに
 2. そもそも「氷」とは
 3. 海域氷工学の目的とその変遷
 4. 雪氷研究の先人達
 5. 海氷の力学的研究
 6. 氷海水槽
 7. JOIA氷荷重研究プロジェクト
 8. 氷海構造物
 9. 日本の砕氷船
 10. おわりに
 11. 謝辞
 系統図

 1 はじめに

我々は四季の中で生きている。寒い冬が明け、凍った土や雪が解けて草木が芽を出す。山岳地帯の雪解け水は沢を下り、貯水池に貯まった水は水資源となり、川の流れは生物に命を与え、人々の生活を潤す。陸地や湖沼、海に流れた水は蒸発して大気中の雲となり、雲の中の水滴は春から盛夏の梅雨や秋霖をもたらす。寒さの冬、雲の中の氷晶が成長して雪となり大地に舞い戻る。中谷宇吉郎博士は「雪は天からの手紙」と述べて、科学的な研究成果を雪の結晶の美しさとして我々に見せてくれた。

水は液体である。温度が高くなって水蒸気になると気体となり、温度が低くなって氷になると固体になる。水はこのように温度の変化によって固体・液体・気体に変化する。これは水に限ったことではなく、多くの物質は温度の変化に伴って状態が変化する。これを「物質の三態さんたい」と言い、三態間の変化を相変化という。四季は水の相変化を我々の日常の中に見せてくれる。

水が液体の状態であるのは、1気圧のもとでは、その温度が0 ℃~100 ℃(厳密には99.974 ℃)の間である。では他の物質が液体の状態である温度を見ると、酸素はマイナス218 ℃~マイナス182 ℃、水銀はマイナス38 ℃~356 ℃、食塩は801 ℃~1485 ℃、鉄は1536 ℃~2863 ℃である。しかし、我々は日常の温度の中で相変化を見ることができる。グラスの氷(固体)が水(液体)となり、グラスの周りでは水蒸気(気体)が水滴(液体)に変わる(図1.1)。そして、一般的に、物質は気体から液体、固体へと状態変化していくにつれて質量は変わらないものの体積は減少する。しかし、水は氷という固体になると体積が増加する。これらを見ると、水は物質としては特異な存在ということができる。

図1.1 グラスの中の氷

さて本書は、この特異な物質である水が固体となった「氷」を工学的に取り扱う。それも主に海の氷、海氷である。海氷の話を19世紀後半の北極海探検から始める。多くの探検家や科学者が北極海を航海し、その挑戦者精神が氷との戦いを克服して航路を拓き、北極海を冒険の海から科学的調査や経済活動の海へと変えていった。第二次世界大戦後の東西冷戦時代に、氷工学は軍事的目的により大きく発展する。北極海では海氷を割って潜水艦が浮上し、グリーンランドの氷原には滑走路が出現した。同時に、南極では雪氷の地球物理学的研究が開始され、そのための砕氷船の技術開発が進んだ。

1960 年代の北極海における化石資源の発見は、海氷の研究と市場経済を結びつけ、多くの企業が海氷の工学的研究に参入するきっかけとなった。氷の海で海底に眠る石油や天然ガスを掘るためには、そのための道具、施設が必要となる。海水が海氷に相変化するとき体積が膨張する。その氷の力、「氷力」は構造物を押し潰すほど大きいことがある。海流や風に乗って構造物に衝突する海氷からの氷力に耐える構造物を造るためには、その氷力を知る必要がある。そのために氷の物理的・力学的性質や氷力を実験的に計測し(図1.2)、氷力の計算法の構築、構造物材料の開発、設計方法の確立、そして建造へと進んだ。

図1.2 構造物への氷力計測試験1-1)

本書は、雪氷の基礎的研究に始まり、石油掘削リグ(図1.3)や砕氷船などの耐氷構造物の設計や建造のために研究者や技術者が行ってきた研究、企業の技術開発と建造の現場を見ながら、海域氷工学発展の過程を辿る。なお、本書で紹介した基礎研究や技術開発は、河川や湖沼の橋梁や護岸も対象としている。しかし、凍土や近年科学的研究が進められている宇宙氷には言及しないことから、あえて「海域氷工学」とした。

図1.3 氷海用石油掘削リグSuper CIDS1-2)

参考・引用文献

1-1)   「平成12 年度海洋石油開発技術調査 報告書」(社)日本海洋開発産業協会, 平成,13 年3 月.
1-2)   清水建設株式会社ホームページ,https://www.shimz.co.jp/works/jp_har_198403_supersizzu.html, 2021 年5 月9 日閲覧.

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 2 そもそも「氷」とは

2.1 雪と氷は水分子の集合体

本書の対象は氷、それも海の氷「海氷」であるが、同じ水分子の集合体である「雪」についても若干説明する。「雪氷の構造と物性」2では雪氷・水・水蒸気の関係について、次のような説明がなされている(図2.1)。以下に引用する。

図2.1 雪氷の生成2-1):水蒸気が昇華凝結してできた氷が「昇華氷」(雪)、水が凍結してできた氷が「凍結氷」(氷)。

水が凍結してできた氷を「凍結氷」あるいは単に「氷」と呼び、水蒸気が昇華凝結してできた氷を「昇華氷」あるいは「雪」と呼ぶことがある。また、雪の構造や物性に着目する場合は、雪に含まれる空気が閉じた気泡となってとりこまれ、通気性のなくなったものを「氷」、通気性のあるものを「雪」と呼ぶこともある。この場合、雪と氷の境は、密度820 ~ 840kg/m3、すなわち空隙率にして8 ~ 11%である。

氷の骨組みは、多数の水分子が水素結合と呼ばれる化学結合で繋がることによってできている。水素結合と呼ばれるのは、この結合には常にH原子が関与しているからである。氷や水における水素結合は、模式的に図2.2のように描くことができる。各々の水分子は、Hが相手のOと向き合うように配列している。

図2.2 水分子の水素結合:各水分子(H2O)の水素(H)は、隣の水分子の酸素(O)と向き合って結合する。

2.2 氷の特異体質

1) 氷は水に浮く

通常、物質は気体から液体、液体から固体に変わっていくにしたがって、粒子どうしのすき間が狭くなり、体積が小さくなる。ところが、水が固体になる、つまり氷になるときには、粒子どうしのすき間が広くなる(図2.3)。従って、他の物質とは違って体積が大きくなり、密度が1000kg/m3以下になることにより水に浮く(図2.4)。もし、氷が水よりも重くなって水に沈むようであれば(密度が1000kg/m3以上であれば)、氷は水面からではなく水底(海底)から厚さを増すことになる。このようであれば、冬期間結氷する河川や湖沼、海では水生植物および水生動物は越冬できないと言うことになる。冬季にほぼ全域が結氷する北極海に現在のような生態系は存在しないことになったであろう。

図2.3 氷、水、水蒸気の結晶構造の模式図2-2):水は固体(氷)になると整列して並ぶのは多くの物質と同じであるが、ぎっしりと詰まることはせず、かなり隙間のある並び方を形成する。

図2.4 氷山:水が氷になると密度が1000 kg/m3以下になり水に浮く。

2) 水に沈む氷 -高圧力下で出現する氷-

我々が地球上で目にする常温・常圧で生成される氷はすべて六方晶系をした普通の氷「氷Ih」である。この氷の密度は1000kg/m3以下であることから水に浮く。しかし、ギガパスカル(GPa)オーダーの非常に高い圧力を加えることにより、異なる結晶構造を持つ氷が出現する。このように同じ化学組成を持ちながら異なる結晶構造を持つものを「多形」という。氷にも多形が存在し、その種類の多さは他の物質と比べても群を抜いている。

1900 年代初頭から多くの研究者によって1GPa以上の圧力を発生させる高圧実験技術が開発され、その発展とともに新しい氷の多形が続々と発見されてきた。例えば、1946 年のノーベル物理学賞受賞者である高圧物理学の父PercyBridgmanは氷IV、V、VI、VIIの4相を発見している。直近では、2021 年2 月に東京大学の物性研究グループが20番目となる氷の相(氷XIX)の発見を発表している。2-3)

図2.5は氷の温度–圧力相図である。圧力を二万気圧(2ギガパスカル)以上、温度をマイナス100 ℃以下にまで広げると氷Ihの他に、氷Ⅱ、氷Ⅲ、氷Ⅳ、氷Ⅴ、氷Ⅵ、氷Ⅶ、氷Ⅷ、氷Ⅸなどの高圧の氷が現れ、これらの他にガラス質氷、氷Xから氷XIXまで合計20種類の氷が出現する。

図2.5 氷の温度–圧力相図2-1)

表2.1は氷Ⅸまでの結晶系と密度を示している。密度が1000 kg/m3以下の氷は地球の生物圏に存在する「氷Ih」(hは六方晶:hexagonalcrystal)と高層大気にときどき存在する「氷Ic」のみであり、他は氷密度が1000 kg/m3以上である。それらは地球の自然界にではなく、実験室の高圧・極低温下で作り出されたものである。


表2.1 氷の種類: 11種※の氷の結晶系と密度2-4)

氷の相

結晶系

密度

(kg/m3

氷 Ⅰh

六方晶系

931

氷 Ⅰc

立方晶系

930

ガラス質氷

非結晶質

1100

氷 Ⅱ

菱面体晶系

1180

氷 Ⅲ

正方晶系

1160

氷 Ⅳ

菱面体晶系

1270

氷 Ⅴ

単斜晶系

1270

氷 Ⅵ

正方晶系

1310

氷 Ⅶ

立方晶系

1490

氷 Ⅷ

立方晶系

1490

氷 Ⅸ

正方晶系

1160

 ※2021 年2 月時点で20種類の氷の相が発見されているが、上記には密度が分かった11種のみ掲載した。

3) 雪氷のアルベド

地球上の自然界の氷(氷Ⅰh)に話を戻す。アルベド(地表面反射率)とは、入射エネルギーに対する反射エネルギーの比である。アルベドの値が低いほど、太陽からの入射エネルギーの吸収が多いことを意味する。一般的にアルベドは低い順に、水(海面や湖面)、森林、草原、サバンナ、乾燥土、砂漠、氷、そして雪である。図2.6に見るように、水は0.1(10%)以下、雪をかぶった海氷は0.8前後(雪の状態により変動する)、新雪面は約0.9である。地球表面の平均は約0.3であり、それより大きいのは雲と雪氷面のみである。つまり、地球は太陽からの入射エネルギーの約7割を吸収し、3割を大気圏外へ反射している。地球の約7割を占める海のアルベドが0.1以下にもかかわらず、地球全体のアルベドを0.3にまで引き上げているのは雪氷や雲の存在である。雪氷はそのアルベドの高さから分かるように、地球の最も重要な冷熱源の役割を果たしているのである。

図2.6 海氷(雪)と海水のアルベドの模式図:海氷(雪を含む)は地球の冷熱源の役割を果たしている。

近年、北極海の海氷の減少が著しい。北極海の海氷面積が観測史上最小となった2012 年8 月17 日と1981 ~ 2010 年の最小面積の平均値を以下に示す。2-5)

・2012 年9 月17 日:  3.387 × 106 km2

・1981 ~ 2010 年の最小面積の平均値:   6.374 × 106 km2

・上記海氷面積の減少:約50%

2012 年夏の北極海の海氷面積は1981 ~ 2010 年の最小面積の平均値の約50%まで減少したのである。海氷の減少が進むと海水面の面積が増大し、アルベドが減少する。すなわち、地球の反射率が低下、地球表面における太陽放射エネルギーの吸収が増加し、温暖化が加速することになる。この現象を雪氷アルベドフィードバック(ice albedofeedback)という。従って、地球の温暖化や気象変動を考える上で、雪氷の分布や量の変動を注意深く観察することが重要である。

2.3 雪氷の分布と南極大陸/ 北極海の氷の量

地球上には南極やグリーンランドの氷床、凍土、海氷、積雪、氷山、大気中の氷など、様々な形で「氷」が存在している。その約99%は南極(約89%)とGreenland(約10%)に大陸氷床として存在し、次に多いのが北極域の凍土(約0.8%)であり、海氷の量はこれらに比べて非常に小さい。

特に20世紀末からの地球温暖化の影響により、北極海の海氷の減少は著しく、2020 年の北極海の年平均海氷量は観測史上三番目の少なさで、その量は13,500立方キロメートル2-6)、海氷の密度を0.91t/m3とすると1.228 × 1013トンであった。2013 年の南極大陸の氷床は26,500,000立方キロメートル2-7)、密度を0.90 t/m3とすると2385 ×1013トンである。北極海の海氷量は南極大陸の氷床量の約二千分の一となる。しかしながら、北極海は冬期間ほぼ全面、夏期でも数百万 km2(2021 年8 月は約6,000,000km2)が海氷に覆われることから、その海氷量の変動は地球規模の気象や海象に大きな影響を与える。表2.2に地球上の雪氷の分布を示す。

2.4 むすび

2021 年2 月時点で20種類の氷の相が発見されているが、それらの多くは高圧実験によって作り出された密度が1000kg/m3以上の氷である。我々が地球上で目にする常温・常圧で生成される氷はすべて六方晶系をした氷「氷Ih」であり、密度が1000kg/m3未満の水に浮く氷である。北極海を覆う海氷は、アルベドの高さゆえに、地球の最も重要な冷熱源の役割を果たしているのである。

本書は海域氷工学の発展史であることから、氷の物性や相変化へは踏み込まない。水分子と水素結合や水に浮かない高圧氷について、より詳細を学びたい人には「雪氷の構造と物理」2-1)、「氷の科学」2-4)を薦める。


表2.2 雪氷の分布と南極大陸/北極海の氷の量

雪氷の場所と種類

質量比 (%)

南極大陸の氷床

89

グリーンランドの氷床

10

北極域の凍土

0.8

海氷、積雪、氷山、大気中、他

0.2

合計

100

雪氷の場所と種類

質量 (ton)

南極大陸の氷床(2013 年値)

2385 × 1013

北極海の年平均海氷(2020 年値)

1.228 × 1013

北極海の海氷量は南極大陸氷床量の約1/2000

参考・引用文献

2-1)   「雪氷の構造と物性」, 前野紀一・福田正己編, 1986 年, 古今書院, ISBN 4-7722-1094-6.
2-2)   The Feynman Lectures on Physics, Volume I, “Chapter 1. Atoms in Motion,”2021 年8 月31 日閲覧, http://www.feymanlectures.info/.
2-3)   東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室ホームページ, 「低温高圧下で新しい氷の相(氷XIX)を発見」, 2021 年8 月29 日閲覧,
     https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2021/7238/.
2-4)   「氷の科学」, 前野紀一, 1988 年, 北海道大学図書刊行会, ISBN4-8329-2102-9C1340.
2-5)   Arctic Sea ice News & Analysis, National Snow & Ice Data centerHomepage,2021 年8 月29 日閲覧.
     https://nsidc.org/arcticseaicenews/charctic-interactive-sea-ice-graph/.
2-6)   “PIOMAS Arctic Sea Ice Volume Reanalysis,” Polar Science Center Homepage,2021 年8 月26 日閲覧, http://psc.apl.uw.edu/research/projects/arctic-sea-ice-volume-anomaly/.
2-7)   Amos, Jonathan (2013-03-08). “BBC News - Antarctic ice volume measured,”Bbc.co.uk.Retrieved 2014-01-28. 2021 年8 月26 日閲覧, https://www.bbc.com/news/science-environment-21692423. 

南極大陸と北極海の氷

南極は巨大な氷の倉庫である。ここで南極大陸、北極海、米国の面積を比較してみる。

  – 南極大陸: 14,200,000 km2

  – 北極海: 14,060,000 km2

  – 米国: 9,834,000 km2  (アラスカ州を除くと8,116,000 km2

下図左のように南極大陸と米国(アラスカ州を除く)を重ね合わせると、南極大陸がいかに大きいか分かる。この巨大な南極大陸を平均厚さ約2,450 mの氷床が覆っている。上記の面積に見るように、北極海の面積は南極大陸のそれとほぼ同じであるが、海氷の年平均厚さは数メートルと言われており、年々減少している。南極の氷床が巨大な氷塊であるのに比べると、北極海の海氷は薄っぺらな膜に過ぎない。


図左は南極大陸と米国の面積の比較、図上は北極海に漂う海氷。

南極大陸の断面想定図:大陸を約2450 mの氷床が覆っている。

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 3 海域氷工学の目的とその変遷

3.1 北極点から見る北半球の凍る海

氷および北極に対する人間活動の歴史を辿ると、時代により対象とする地域(海域)や目的が異なる。本章ではそれぞれの時代背景と氷の研究対象を振り返る。

図3.1は、北半球で冬季に結氷する海(図中B2-B21)を示している。日本近海では、オホーツク海(同B11)と渤海(同B13)がある。図中で箱囲みの海(B3, 4, 7, 11, 13,14,16, 17)は、石油・天然ガスの開発や生産が行われている海である。

図3.1 北半球で冬季に結氷する海3-1):箱囲みは石油・天然ガス開発が行われている海域

表3.1は、図3.1の箱囲みの海(石油・天然ガス開発が行われている海域)の氷の状況である。第8章では主に、石油・天然ガス開発のための氷海構造物の建造例を紹介するが、掘削や生産用の氷海構造物の多くが表3.1に示す海域に設置されている。地球の表面積の約70%は海であるが、その平均水深が約3,800 mであることを考えると、表3.1に示した海域の水深は非常に小さい。これは海域での石油・天然ガスの開発が大陸棚で行われているためである。

表3.1 北半球で石油・天然ガス開発が行われている海域の氷厚と水深(数値は参考資料3-1)より)

No.

海域名

平坦氷の氷厚

水 深

一年氷

多年氷

B3

Labrador

1 to 2 m

2 to 8 m

20 to 1000 m or more

B4

Newfoundland

0.7 to 1.2 m

1 to 2 m

75 to 1200 m

B7

Beaufort Sea

1.5 to 2.3 m

2 to 20 m

2 to 90 m, to several thousand

B11

Okhotsk Sea

1.1 to 1.7 m

none

0 to 700 m

B13

Bohai Sea

0.1 to 0.6 m

none

0 to 78 m

B14

Caspian Sea

0.5 m

none

0 to 10 m

B16

Barents Sea

0.7 to 1.5 m

none

222 m (Ave.), 600 m (Max)

B17

Kara Sea

1.4 to 1.8 m

1.8 to 2.2 m

111 m (Ave.), 600 m (Max)

3.2 北極探検と北極海航路の開拓

1) 北極海大航海時代の始まり

ケンブリッジ大学スコット極地研究所のクライブ・ホランド(Clive Holland)は、その著書”Arctic ExplorationandDevelopment”(「北極探検と開発の歴史」、太田昌秀訳)3-2)で、紀元前500 年から1915 年までの北極探検について、膨大な資料を基に検証している。その書では、北極海の大航海時代を1553 年、H. ウィロビー卿が指揮する3隻のイギリス船が、北東航路発見の期待を背負ってロンドンを出航したことで始めている。その後、ロシア、オランダ、デンマーク、カナダなどが北極海航路の開拓のために船団を派遣しているが、北極点までの到達には至らず、それらの多くは厚い海氷と極寒という厳しい自然条件ゆえに悲劇的な結末を迎えている。

16 ~ 17世紀は新航路探索が活発化し、ラブラドール半島、ノバヤゼムリヤ島、カラ海が踏査された。オランダのバレンツは3回の航海を通じて、ヤマル半島、スピッツベルゲン島などを発見するも、その後ノバヤゼムリヤ島の北で遭難した。このように北極海を横断する航路は見つからなかったものの、17 ~ 18世紀のスピッツベルゲン沖では捕鯨競争が激化し、ついにこの海域の鯨は絶滅に近い状態となった。18世紀、ベーリングの北極海探査により、カムチャツカ、ベーリング海、東シベリア海が発見された。

2) ノルデンショルドによる北極海北東航路

19世紀に入り、北極海は単なる探検の対象から調査の時代へと向かい、1827 年のノルウェーの地質学者ケイルハウによるスヴァールバル諸島の科学調査、1832 年の英国軍人J. C.ロスによるアデレード岬での北磁極の発見へと展開した。

北欧からシベリア沿岸を通る北東航路の完全航海に初めて成功したのはスウェーデンの鉱山学者ノルデンショルド(Nordenskiöld)である。1878 年6 月にヴェガ号(Vega、357トン、乗員30名、図3.2)でスウェーデンを出発、北極海を東進、チュクチ海で氷海に閉じ込められて越冬の後、ベーリング海峡を通って太平洋に入り、1879 年9 月2 日には横浜に入港した。日本では明治天皇と謁見するなど大歓迎を受けた。スウェーデンへの帰国時に日本の書物を大量に持ち帰り、現在もストックホルム市のスウェーデン王立図書館に所蔵されている。ノルデンショルドの航海と日本図書については後出の「北東航路の開拓者ノルデンショルドと日本」3-3)に詳細を記した。

図3.2 北東航路を開拓したヴェガ号(357トン)3-4)

3) ナンセンとアムンゼンの功績

一方、欧州からカナダ北極諸島の間を通ってアラスカから太平洋に至る北西航路に初めて成功したのはノルウェーのアムンゼン(Amundsen)である。1903 年から3 年かけてユア号(Gjøa、47トン、乗員6名、図3.3)で北西航路の完全航海を行った。アムンゼンから数年遡るが、同じノルウェー人のナンセン(Nansen)は、1893から3 年間かけてフラム号(Fram、400トン、乗員13名、図3.4))で北極海の調査を実施した。ナンセンとアムンゼンの特筆すべき航海については、以下に「ナンセンとアムンゼンの功績」(「北極海航路」、2000 年)3-6)を引用する。

図3.3 北西航路を完全航海したアムンゼンのユア号(47トン)3-5)

図3.4 北極海の科学的・工学的調査を行ったナンセン隊とフラム号(400トン)3-5)  

近世北極海航海史において、ヴェガ号のノルデンショルドと並び称される航海にフラム号(Fram)によるノルウェー人ナンセンの航海が挙げられる。北極海航路啓開の歴史の中では、しばしば軽く扱われているが、航路の啓開は航路上の自然環境の理解と把握が前提であることを考えれば、ナンセンの果たした役割は間接的、基礎的ではあれ極めて重い。

ナンセンの漂流観測の発想や北極海での漂流を前提とした船の設計・建造法など、そのコンセプトは現在なお生き続け、学術面では現在に至る北極圏研究の礎を築いた。

なお、北西航路については、ノルウェー生まれのアムンゼンが、1901 年グリーンランド北西岸への言わば準備航海の後、ユア号(Gjφa)により、1903 ~ 1905 年、3 年の歳月をかけて北西航路を完遂している。最初の南極点到達者でもあるアムンゼンは、ヴェガ号による北東航路完成に感激し、ナンセンの極地探検に胸躍らせ、生涯、北西航路啓開に情熱を傾けたと言われる。


図3.5はノルデンショルドの北東航路(1878-79 年)とアムンゼンの北西航路(1903-06 年)を示したものである。

図3.5 ノルデンショルドの北東航路(1878-79 年)とアムンゼンの北西航路(1903-06 年)3-7)

3.3 東西冷戦と北極海の氷 -軍事的研究-

東西冷戦とは、第二次世界大戦後まもなく、世界各国が米国を中心とする資本主義国とソビエト連邦を中心とする社会主義国に大きく二分されて生じた対立関係であるが、地理的には両国は北極海を挟んだ隣国である。この東西冷戦期に、両国は北極海を舞台に軍事において氷海で熱い戦いを演じた。アメリカの原子力潜水艦『ノーチラス』号は1958 年8 月、氷の下から北極点に到達、同『スケート』号は 1959 年3 月、初めて極点浮上に成功した(図3.6)。北極点の潜航通過を果たしたのみだったノーチラスに対し、スケート(SSN-578Skate)は、1958 年8 月、北極海で最初の本格的な作戦行動を実施し、開氷面に浮上、翌1959 年3 月には、初めて冬季の北極圏における作戦行動を実施した。1962 年7 月には、スケートとシードラゴン(SSN-584Seadragon)は、北極圏で最初の氷海戦闘演習を実施した。これらは、東西冷戦期において、北極の氷海における原子力潜水艦の行動能力を実証するものであった。また、グリーンランド北部チューレ(Thule)の米空軍基地は1950 年代初めに建設され、北極点の上空を飛んでくるミサイルを警戒するレーダーを備えるなど、ソ連(当時)との冷戦において戦略的に非常に重要な基地と位置付けられていた。前出の中谷宇吉郎博士他が日本から赴いてその基礎を築いた米国の凍土工学研究所SIPRE(後のCRREL)は陸軍工兵隊に所属する組織である。このことを考えると、軍の研究というものが氷や凍土を対象とした研究に大きな役割を果たしていたと言うことができる。

図3.6 冬季に北極点で浮上した米軍スケート号3-8)

冷戦期の北極海は、米ソ対峙の最前線であった。冷戦終結後、戦略的重要性はいったん低下したが、2000 年代に入り北極海の海氷が急激に減少するにつれ、資源や環境問題、安全保障の観点から再び注目を集める海域になっている。

3.4 石油・天然ガスと北極海の氷 -工学的研究-

北極域での石油・天然ガス開発の歴史は意外と古く、カナダ北西準州や北ロシアでは1920 年代から商業開発が始まり、第二次世界大戦時にはそれらが大きく伸びることとなった。海域では、1960 年代にロシアの北極海沿岸、アメリカとカナダの最北海のボーフォート海(BeaufortSea)で大量の石油と天然ガスが発見され、氷海での資源開発を目的とした氷の工学的研究が盛んに行われるようになった。1970 年代に入りサハリン北東部大陸棚、1980 年代にはバレンツ海(BarentsSea)でも大規模な油田が発見されるに至り、氷海での資源開発が注目されることとなった。

米国地質調査所(USGS)の調査(2008 年)によると、図3.7に示すように北極海ではバレンツ海、グリーンランドの東西海域、ボーフォート海、カラ海(KaraSea)に石油・天然ガス田がある。報告書によると、世界の未確認埋蔵量の石油の13%、天然ガスの30%は北極圏(北極線以北)にあり、それらの多くが水深500 m以浅の海域だとしている。そしてこれらの海域は、冬期間には厚い海氷に覆われ、巨大氷山が漂う海である。

図3.7 北極海の石油・天然ガス埋蔵海域3-9):図中の網掛け部分が埋蔵域、丸線は北緯66度33 分の北極線(これ以北が北極圏)。

氷海で石油・天然ガスの開発を行うためには、移動氷盤からの氷力に耐え得る掘削用構造物(図3.8)、輸送のための船舶、港湾施設(図3.9)などが必要となり、それらの設計や建造・建設のために大学や公的研究機関、民間の石油会社、設計会社、造船会社、建設会社、材料メーカーなどが氷の工学的研究を強力に推進した。この研究は北欧諸国ではもちろんのこと、日本、米国、カナダ、ドイツ、ロシア、韓国、中国などの工業先進国においても進められた。

図3.8 ロシア北極海大陸棚で稼働する耐氷型石油生産プラットフォーム 3-10)

図3.9 砕氷型LNG輸送船と耐氷型港湾施設(サハリン、プリゴロドノエ港) 3-11)

3.5 地球温暖化と北極海の氷 -科学的研究-

前項で1960 年代から本格化する北極海での資源の発見について述べたが、2000 年代に入り地球温暖化とともに北極海の氷の急激な減少が注目され、海氷に対する研究は地球物理学・科学的研究へと変化してきた。

図3.10は北極海の海氷面積が一年で最も小さくなる9 月の氷の範囲を表している。2020 年9 月の海氷範囲は、1981 年から2010 年の9 月の平均と比較して、大幅に減少している。図3.11は北極海の1979 年から2021 年までの8 月の月平均の海氷面積の推移である。この期間では10 年毎に約11%ずつ海氷面積が減少している。これは毎年の8 月を見た場合、年76,800km2、42 年間で3,225,600km2(アラスカ州面積の約2倍)の海氷が減少したことになる。地球温暖化や地球環境に対する世界的な関心の高まりは北極海の海氷にも向けられ、海氷の減少が地球温暖化や気象変動に与える影響に対する研究が行われている。日本では極地研究といえば国立極地研究所(極地研)による南極観測が主であったが、2011 年に北極環境研究コンソーシアム、2015 年には北海道大学に北極域研究センターが設置され、海氷のみならず雪氷圏としての北極域の大気・海洋循環の変化や気象変動メカニズムの研究が始まった。

図3.10 2020 年9 月の北極海の氷3-12):1981-2010 年の平均(図中線)よりも大幅に減少している。

図3.11 北極海の1979 年から2020 年までの8 月の月平均の海氷面積の推移3-12):10 年毎に約11%ずつ減少している。

3.6 むすび

本項で見たように、海域氷工学(著者は北極探検を北極調査と航路開拓のための科学的・工学的研究調査と捉えている)は、その時代により研究・調査の目的が移り変わって来た。軍事的研究は第二次世界大戦以後、資源開発を目的とした研究は1970 ~ 90 年代に大きく進展したが、今後は、地球温暖化と北極海の環境変化のモニタリングを中心とした地球物理学的研究が主役になると考えられる。しかし、2021 年3 月、ロシアの原子力潜水艦3隻が北極海の氷を突き破って浮上したことの意味は.....。

参考・引用文献

3-1)   International Standard ISO19906 “Petroleum and natural gas industries - Arcticoffshore structures,” Second edition, 2019-07.
3-2)   クライブ・ホランド(1994):”Arctic Exploration and Development,”(「北極探検と開発の歴史」,太田昌秀 訳, 同時代社.
3-3)   「探検家アドルフ・ノルデンショルドがスウェーデンに日本関係書物コレクションをつくった話」,奥 正敬,京都外国語大学ホームページ,2021 年7 月4 日閲覧.
3-4)   「航行中のヴェガ号/(The Vega under sail.)」, 国際日本文化研究センターホームページ,2021 年7 月4 日閲覧.
3-5)   FRAM - THE POLAR EXPLORATION MUSEUM,https://frammuseum.no/polar-history/vessels/the-polar-ship-gjoa/, 2021 年7 月8 日閲覧.
3-6)   「北極海航路 -東アジアとヨーロッパを結ぶ最短の海の道-」, 財団法人シップ・アンド・オ-シャン財団, 2000 年3 月.
3-7)   高橋修平(2018):「探検心と探究心」, 水文・水資源学会誌, 第31巻 第1号, pp.1-3.
3-8)   NavSource Online: Submarine Photo Archive,http://navsource.org/archives/08/575/0857815.jpg, 2021 年7 月8 日閲覧.
3-9)   Gautier, Donald L., et al. (2009): “Assessment of Undiscovered Oil and Gas in theArctic,” U.S. Geological Survey, SCIENCE vol 324 29, May 2009.
3-10)   The Arctic Institute homepage,https://www.thearcticinstitute.org/exxonmobil-gains-access-arctic-oil/, 2021 年7 月9 日閲覧.
3-11)   Sakhalin Energy homepage, http://sakhalinenergy.ru/en/company/20th-anniversary/,2021 年7 月9 日閲覧.
3-12)   National Snow & Ice Data Center, Arctic Sea Ice News & Analysis,http://nsidc.org/arcticseaicenews/, 2021 年7 月9 日閲覧.

”ARCTOS”と”ANTI-ARCTIC”

「北極探検と開発の歴史」クライブ・ホランド 著、太田昌秀 訳、同時代社、2013 年)より

夜の闇が深かった古代には星や月が美しくきらめき、人々はそれらを仰いで時の推移を知った。北極星を巡る七つの星に彼らは熊の姿を想像し、その方向をARCTOS:熊(=北)と呼んだ。対称を尊んだギリシャ人は北極の南の対称点を反・北極(=ANTI・ARCTIC=南極)と名づけ、太陽が昇り下りする東西とともに四つの方向を定めた。

(中略)

伝説や神話からは、古代の人たちが北には霜と氷の国があり、オーロラや巨大なマンモスのことを知っていたことが窺われる。北極について述べている最古の話は、西暦紀元前500 年頃のカルタゴ時代に、ヒルミコが北大西洋の島々らしき所へ航海した、という云い伝えである。紀元前325 年にはギリシャの探検家ピアテスが、現在のマルセーユから彼が「チューレ」と呼んだ北の海へ航海した。そこには白夜と極夜があり、陸地でも水でもないクラゲのようなもの(浮氷)がひしめき合う海があった、という。

北東航路の開拓者ノルデンショルドと日本

北欧からシベリア沿岸を通る北東航路の完全航海に初めて成功したのはスウェーデンの鉱山学者アドルフ・エリック・ノルデンショルドである。彼が北東航路の最後に日本に滞在したことはあまり知られていない。ノルデンショルドは1879 年(明治12 年)9 月2 日に横浜港に到着し、同年10 月21 日に長崎港を出港した。この約50 日の日本滞在中およびスウェーデンへ帰国してからの日本との関係について、京都外国語大学付属図書館元副館長のおく 正敬まさよし 氏の原文(2010 年4 月10 日発行 『GAIDAI BIBLIOTHECA』第188号所収)を以下に掲載する。

探検家アドルフ・ノルデンショルドが

スウエーデンに日本関係書物

コレクションをつくった話

奥 正敬

日本が明治時代に入り既に10 年を経ていた頃、スウェーデンを出港して北極海に入り、ベーリング海から太平洋へ抜けて横浜へ入港した船がありました。この船の名をヴェガ号と言い、流氷が漂う厳寒の海に閉じ込められながらも伝説の「北東航路」を見事に発見したのでした。指揮をする人物はノルデンショルドという探検家で、日本滞在中に多彩な分野の書物を買い集め、ストックホルムに持ち帰って日本関係の一大コレクションを作ることになります。

■フィンランドを離れて祖先の地スウェーデンへ

アドルフ・エリック・ノルデンショルド(Adolf Erik Nordenskiold,1832-1901)は、19世紀初頭から帝政ロシアの属領となっていたフィンランドで、スウェーデン系移住者の子として生まれました。彼はヘルシンキ大学で鉱物学を専攻して鉱山省に就職しましたが、ロシアの統治政策を非難したことから職を追われました。このため、1858 年に先祖が眠るスウェーデンに移り、ストックホルムの国立博物館で地質学の研究に携わります。ただし、彼の姓は父祖がフィンランドでの軍功によって貴族に列せられた時に、ノルドベルイという名から改めたもので、スウェーデンで生活を始めても「北の盾」を意味するノルデンショルドを名乗りました。

この年、彼はスウェーデンの北極遠征隊に参加して、北緯75度を超えた極地であるスピッツベルゲン島へ赴きました。その後、数回にわたってこの島を訪れ、またグリーンランドでは自ら組織した探検隊を率いて指導者としての自信を深めていきます。(1)

■伝説を信じ、北東の海をめざす

やがて、彼は北東航路の開発計画に着手し、1877 年に探検計画書を国王オスカル二世に宛てて提出します。この計画は北極海を望むユーラシア大陸沿岸において、古くよりスカンジナヴィア半島からベーリング海へ出られることが信じられていたため、これを実証する中で自然科学上の新発見を目指したものでした。

これより先の1869 年にはスエズ運河が開通しており、ヨーロッパからアジアへ入る最短の航路が作られていました。しかし、北欧の人々にとっては運河へ至る距離的な問題もさることながら、エジプトやフランス、イギリスなどの利権が絡んだ運河の利用には抵抗があったようです。このように、スエズ運河の開通そのものが、新航路を求める追い風になっていたと考えられます。

また、この計画書にノルデンショルドは「ベーリング海峡のむこうでは、探検隊はいっそう豊かで多様な自然を持った諸地域と出会い、(中略)見る者を惹き付けるでしょうし、その苦労に報いるに足りる豊かな実りを与えてくれるでありましょう。」(2)と述べ、計画を記述した科学的な文章の中で、指導者として情緒面から隊員の気持ちを鼓舞することも忘れていません。

ノルデンショルド関係図書(京都外国語大学図書館所蔵)

■ベーリング海峡から太平洋へ、そして日本では

計画が整うとノルデンショルドは資金調達を進めますが、国王オスカル二世からの寄付やスウェーデン政府をはじめ、ロシア商人などからも出資があり、同国はもとより国境を越えてこの航海にかけていた期待の大きさが窺われます。

集めた資金で購入したドイツ製の機帆型捕鯨船ヴェガ号は、総頓数357頓の文字通り機関と帆を備えた当時としては新鋭の大型船でした。この船に隊長ノルデンショルド以下、研究員や乗組員など30名が乗船して、1878 年6月2日にスウェーデンのイョテボリを出港。その後、ノルウェー海からバレンツ海へ入り、三隻の随行船とも別れを告げて予定通りの航海を続けました。しかし、9月に入ると季節外れの流氷に阻まれ、ベーリング海峡まであと数日の海域で越冬することになります。翌1879 年の7月になって漸く脱出に成功し、ついに念願の太平洋へ姿を現したのでした。

その後、ヴェガ号は調査を続けながら太平洋を南下して、同年(邦暦では明治十二年)9月2日に横浜港へ寄港しました。ノルデンショルドはこの地からストックホルムへ航海の成功を打電し、安否を気遣っていた国王オスカル二世や後援者たちは大変喜んだそうです。

日本でも東京地学協会がイギリスやドイツのアジア協会と共催する歓迎会が開かれ、皇族や政治家、さらには外交官たちが一行を労いました。また、明治天皇にも拝謁が許されるなど、その業績は大きく称えられました。この動きによって、二年前の西南戦争の痛手から立ち上がり、本格的な近代化を目指していた日本が、新航路で国益を追及しようとしていた姿が見えてきます。

歓迎行事が終わると乗組員たちは、鎌倉や草津など関東一円でまだ江戸時代の風情が残る異国情緒を楽しみます。そして、ヴェガ号の修理が終わると神戸に向かい、京都や滋賀を訪れます。次いで入港した長崎ではスウェーデン人でオランダ商館の医師として江戸時代中期に来日し、博物学の分野から日本研究を進めたカール・ツュンベリー(3)の記念碑を訪れるなどして日本を去りました。

その後、ヴェガ号は東南アジアからインド洋に入り、スエズ運河を通って1880 年4 月にストックホルムに帰港しました。この遠征の経緯と内容は、帰国直後に刊行した“Vegas fard kringAsien och Europa”(写真・中央)で報告し、これが英語などの言語で出版されたことによって、世界へ向けた発信となりました。

■「豊かな実り」としての日本の書物

ノルデンショルドは日本滞在中に、後世の日本研究に役立てようと、横浜在住のオランダ人から紹介された日本人青年の助けを借りて、横浜や東京、さらには京都で大量の日本の書物を購入していました。大事業をやり遂げた彼にとって、これこそが計画書に記載していた「苦労に報いるに足りる豊かな実り」だったのではないでしょうか。

帰国後、これらの書物はストックホルム王立図書館に寄贈されましたが、その内容は多くが江戸時代の刊行物で占められています。分野は現在の科学名称でいう、哲学、宗教、地理、歴史、産業、心理学、芸術などに及ぶ1,036点で、冊数は約7,000冊にも成るといいます。このコレクションを構成面から見ると、収集点数と比較して分野の広さが目立つことから、全体として散漫な感じは否定できません。しかし、各分野共に江戸時代に刊行されたものが多く、今となっては日本国内でも入手することが難しい書物のコレクションであります。

また、ノルデンショルドはこのコレクションの整理をヨーロッパ在住の日本人に任せましたが満足に捗らず、当時のフランスにおける最大の日本学者と目されたレオン・ド・ロニー(4)に依頼します。ロニーからすれば、ヨーロッパで和綴じの書物が少なかったこの時代に、それを求めていた自分の関心と合致したのです。その結果、ノルデンショルドが日本から帰って三年後の1883 年にパリで漢字を交えた冊子体の目録“Cataloguede la bibliotheque japonaise deNordenskiold”(写真・右)が刊行され、このコレクションが日本の伝統文化の一端として、当時のヨーロッパで流行していたジャポニズムの高揚にも貢献することになりました。

■「北盾文庫」の栄光の歴史が蘇る

我が国のノルデンショルドの研究者に、このコレクションを「北盾文庫」と呼ぶ人があります。(5)これは、前述のように彼の名前「Nordenskiold」を日本語に訳したものです。恐らく、遥かスカンジナヴィアの地に日本の書物が大量に存在していることを喜びとして、さらに、ノルデンショルドに深い敬意を表しながら、凛として威厳が漂うこの日本語名を用いはじめたのではないでしょうか。

しかし、残念なことに日本以外の国ではノルデンショルドが日本へ立ち寄っていたということが忘れ去られているという現実があります。(6)従って、スウェーデンではこのコレクションがストックホルムにありながら、その成立過程を知らない人が多かったようです。

こうした中、ロニーの目録刊行から97 年を経た1980(昭和五十五)年に、セーレン・エドグレーン(7)というアメリカ人が目録を再編纂して“Catalogue of theNordenskioldcollection of Japanese books in the RoyalLibrary”(本学所蔵)をストックホルムで刊行しました。この目録はカテゴリーの構成がロニーのものとは異なる中で、収録された書物についての書誌記述も現代的で丁寧さが目立ちます。また、ノルデンショルドが持ち帰ったとされる領収書をもとにした書物ごとの取得金額までが書かれています。さらに重要なことは、一点ごとにロニーが作っていた目録の項目番号が付されており、それと書誌的な比較もできるようになっていることです。このような機能を備えた目録が完成したことによって、書物の検索を容易にさせただけでなく、鉱物学者ノルデンショルドと日本文化を綴った書物との関係を蘇らせる効果があったものと推測できます。

■今、ノルデンショルドの功績は

ノルデンショルドの北東航路の発見と日本訪問は、彼の47歳の時でした。帰国後、彼は北極海の探検と新航路を発見した功績でオスカル二世からスウェーデンの男爵に叙され、その後も調査や研究を繰り返して科学者、また探検家としての名声を高めたのでした。

しかし、彼が発見した北東航路は距離的な利点は認識されながらも、自然環境の厳しさが原因となって利用した船舶が少なかったようです。のちの日露戦争時に、バルト海からウラジオストックを目指したバルチック艦隊さえも、大半の航路が自国近海にありながら、これを利用することはありませんでした。また、その後の度重なる戦争や国際情勢もこの傾向に拍車をかけ、当初、各国が期待していたような大きな国益や利潤の追求には繋がっていません。

一方、書物のコレクションは、ノルデンショルドがこれをスウェーデンへ持ち帰って今年で丁度130 年になります。現在、それぞれの書物が日本で入手し難くなっていることや、ヨーロッパにこの種のコレクションが少ないこと、さらには日本の国際化の進展によってジャパノロジストと呼ばれる日本研究者が増加していることなどを背景にして、コレクション全体の稀少的な価値が高まっています。

今まで日本人にとって、このコレクションは馴染みの薄かったものでありますが、スカンジナヴィアに存在する数少ない日本の伝統文化の集積です。また、これはノルデンショルドが極めて友好的な雰囲気の中で、日本人の力を借りて集めたものでもあります。このようなことから、彼が愛したスウェーデンやフィンランドなどの北欧の人たちとの友情の絆として、わが国でもこのコレクションへの認識を高め、これらの国々との交流の発展へと繋げていきたいものです。

基本的な参考文献

       ○ A.E.ノルデンシェルド著 小川たかし訳『ヴェガ号航海誌 (上・下)』フジ出版社 昭和63 年。
       ○ 三木宮彦「ノルデンショルドの本棚」『図書』(岩波書店362号)。
       註
(1)   ”The arctic voyages of Adolf ErikNordenskiold, 1858-1879.” London, Macmillan, 1879.(本学図書館所蔵 写真左)などの記録がある。
(2)   A.E.ノルデンシェルド著 小川たかし訳『ヴェガ号航海誌(上)』56頁 フジ出版社 昭和63 年。
(3)   Carl Peter Thunberg (1743-1828)帰国後、母校ウプサラ大学の学長を務めた。本学図書館は著書多数を所蔵している。
(4)   Léon de Rosny (1837-1914)は独学で日本研究を進め、著作は語学や歴史、文化など多岐に及ぶ。来日経験はない。
(5)   「ノルデンショルド」『来日西洋人名事典』増補改訂 日外アソシエーツ1995 年287頁所収。
(6)   フィンランド大使館の報道・文化参事館で社会学博士のカウコ・ライティネン氏が「ノルデンショルドの北東航路探検隊」(『きゅうぷらす』Vol.4.ヤマギワ1999 年。16頁。)でこのことを指摘しており、併せて彼の存命中の早い時期から名誉の回復がなされていることを踏まえながら、ノルデンショルドがフィンランドに関係があるということは、フィンランド以外では知られていないという趣旨も記述している。
(7)   Soren J.Edgren (1942- )スウェーデン系アメリカ人で、ストックホルム王立図書館に勤務した書誌学者。
  

おくまさよし(司書・事務長兼管理運営課長)OFFICE INFORMATION

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 4 雪氷研究の先人達

4.1 中谷宇吉郎 -世界初の人工雪-

1) 北大教授として赴任、雪の研究を始める

中谷宇吉郎博士は世界で初めて人工雪の結晶を作ることに成功した物理学者であり、「雪は天から送られた手紙である」の名言で知られる。中谷博士は北海道帝国大学の教授となった1932 年頃から雪の結晶の研究を始め、1936 年3 月12 日には大学の低温実験室にて人工雪の製作に世界で初めて成功し、気象条件と結晶が形成される過程の関係を解明した。他にも凍上や着氷防止の研究など、低温科学に大きな業績を残した。中谷博士の経歴4-1)を見てみよう。

– 1900 年:石川県加賀市に生まれる。

– 1925 年:東京帝国大学理学部物理学科卒業。大学では寺田寅彦の指導を受ける。

– 1932 年:北海道帝国大学教授、十勝岳で天然雪の結晶の研究を始める。

– 1936 年3 月12 日:常時低温実験室で世界初の人工雪結晶の製作に成功。(図4.1は同実験室での中谷宇吉郎博士)

– 1938 年:最初の随筆集「冬の華」(岩波書店)、「雪」(岩波新書)を出版。岩波映画製作所の前身であるプロダクション「中谷研究室」発足。

– 1945 年:ニセコの着氷観測所を基にして農業物理研究所を発足させ、所長となる。洪水、凍土、融雪などの研究を行う。

– 1952 年:米国雪氷凍土研究所(SIPRE)の研究員となり渡米。氷の物性の研究を2 年間行う。

– 1954 年:ハーバード大学から"Snow Crystals"を出版。

– 1957 年:グリーンランド氷冠の研究に着手。氷の物理的性質の研究を続ける。

– 1962 年:骨髄炎のため、東大病院で死去。享年61。

2) 驚くべき野外での雪の結晶の観察

中谷博士は、世界初の人工雪結晶製作の成功や雪の結晶形を分類した中谷ダイアグラムで有名であるが、それ以前に驚くべき野外研究を行っている。1931 年に米国人ベントレーの”SnowCrystals”が出版された。1932 年、北大へ赴任した中谷博士は、半年の間雪に埋もれた生活を送る札幌で、ベントレーの本を手にしながら日本の雪の姿を思い見て、「先ず雪そのものをよく観るということと、着手の億劫を避けると言うことである。」と述べている。1934-35 年の冬、零下十度以下の野外で約3,000枚の雪の結晶写真を撮り、結晶形を分類した。表4.1は各結晶の降下頻度を多、中、少、稀に四分類したもの、図4.2は各結晶形を描いたものである。中谷博士は雪の観察から次のような結論を導いている。「観測は札幌と十勝岳で行い、降雪日数五十四日、全観測回数九百七十四回に及んだ。その結果を整理して見てはっきりと分かったことであるが、殆どすべての降雪は各種の結晶の混合から成っているのである。(中略)六花状の美しい雪というのは、天然に降る雪のほんの一部をなしているのに過ぎないので、色々雑多な形の雪がほんとうは沢山に降っていると言うことがよく分かるのである。」4-3)。著者は、この野外研究に中谷博士の研究に対する姿勢の神髄を見るのである。

図4.1 北大低温室で実験する中谷宇吉郎博士4-2)

表4.1 雪の結晶形の分類とその降下頻度4-3)

No.

結晶形大分類

結晶形中分類

頻度

針状

単針

針組合

角柱

単角柱

角柱組合

平板

正規六花

立体六花

立体放射型

二核結晶

畸形

角柱平板組合

鼓型

十二花

平板砲弾組合

側面結晶

雲粒付結晶

雲粒付結晶

厚板

霰状雪

無定型

図4.2 雪の結晶分類図4-2)(中谷宇吉郎『Snow Crystals』(ハーバード大学出版, 1954)をもとに作成。)

2) 世界初の人工雪の結晶

中谷博士は世界初となる人工雪結晶製作の過程を著書「雪」4-3)の「第四 雪を作る話」の中で次のように記している。長文の引用となるが、雪の結晶の製作に成功した瞬間を紹介する。図4.3は中谷博士が開発した人工雪製作装置である。

図4.3 中谷宇吉郎が製作した人工雪製作装置(高さ約1 m)4-2)(図中に引出しを著者追加)

さて霜の生成条件と雪の結晶が出来る時の条件とはほぼ同じだといったものの、霜の場合にはすぐ近くに固体表面があるので、つまり霜は地物の上に出来るものなので、その熱的影響のために、余分の条件が一つ入ることとなる。それで人工雪の場合には、なるべく天然の雪のように空中に浮游の状態に近い条件の下で結晶を作るようにする必要があった。しかし、狭い実験室の中で、天空から数時間もかかって落ちて来るのと同じ条件を作ることは出来ないので、それだけの時間の間、なるだけ空中に浮游しているのと似寄った条件の下に結晶を置くように工夫をしたのである。それには細い繊維を使い、その一点に結晶の核を附着せしめ、それから結晶を発達させるという方法が先ず考えられた。即ち雪の結晶を蜘蛛の糸で吊したような形で作って見ようというのである。それで早速その方法を採用したのであるが、低温室内に装置を入れて、繊維を吊して、温い水蒸気を送って見ると、繊維一面に霜の結晶が附着して、丁度毛虫のような形になってしまうのにはちょっと弱った。これでは困るので、繊維上の一点だけに氷の結晶を付け、そこから雪の結晶を発達させながら、繊維の他の部分には霜が附着しないようにする工夫が次に必要となって来た。初めの中は、そんな勝手なことが注文通りに出来るとはちょっと考えられなかったのであるが、有難いことには、根気よく色々やって見ていると巧いものが見付かった。それは極細い兎の腹毛であった。どうして兎の毛がよいかという理由は、後で詳しく述べることとして、とにかく兎の毛を巧い条件の下で使うと、ちゃんと雪の結晶が出来たのである。その条件というのは先ず兎の毛を十分よく乾燥させて置くことと、水温を初め低くして置いてそれから徐々にあげることであった。

このようにして水温を適当に調節してやると、天然の六花の雪の結晶と全く同じものも出来れば、角板状、角柱、砲弾型などのいろいろの結晶も、後には勝手に作ることが出来るようになったのである。

3) 人工雪結晶の製作装置

では、人工雪結晶製作装置はどのようなものであったのだろうか。装置の詳細を参考文献4-3)から著者の編集で箇条書きに記述する。図4-3を参照されたい。

– 装置は、下から水分供給源、二重管(上昇と下降)、および結晶成長空間の三部分で構成されている。

– 暖かい水蒸気は内部の管内を上昇し、冷えた空気は2本のガラス管の間を下降する。つまり、対流する。

– 図中Cは銅板の蓋で、その内部にはコルクまたは木板(図中D)を置いた。Dは結晶が直接冷たい銅板に面しないために挿入したもので、Dの有無によって結晶のできるところの気温Taの値が著しく左右される。

– 楔Eは銅または木で作り、EおよびDの物質を色々組み合わせることによって、ウサギの毛近傍の温度(Ta)を適宜加減して色々な種類の結晶を作る際の二次的要素の調整をする。

– 結晶形は主として室温Trと水温Twとで決定されるのであるが、結晶のできる場所の周囲の熱的条件も二次的にはかなりの影響を与える。

– Wは木の環であって、上部ガラス管を取外しできる。上部管を短くすることにより、結晶のできる場所(ウサギの毛の先端)が暖かい水蒸気の出口に近くすることが可能。これにより同じ室温と水温に対して、結晶ができるところへの水蒸気の供給を多くすることができる。その逆に、上部管を長くすることも可能。これにより水蒸気の対流の状態により結晶形が影響されることが確かめられた。

「このようにして人工雪がいつでもできるようになったので、温室、水温、装置などを色々変えて、約7百種ばかりの結晶を作ってその顕微鏡写真を撮ったのである。」4-3)と記している。研究における試験機の設計、目的のための工夫・アイデアがいかに大切であるかを示唆するものである。雪の結晶を作るという研究者魂が画期的な試験機を製作させた。正しく「熱意は発明の母」であった。

4) 中谷ダイアグラム

人工雪製作装置による試験結果から、温度(横軸)と氷に対する過飽和度(縦軸、測定された水分量を氷飽和水蒸気密度で割った値)によって雪の結晶形を分類したのが有名な「中谷ダイアグラム」(図4.4)である。正に、地表に到達した結晶は、上空の雲の温度と水分量を教えてくれる手紙である。

図4.4 中谷ダイアグラム(Nakaya, 1954)4-2):温度(横軸)と氷に対する過飽和度(縦軸)による雪結晶の分類。

この縦軸の「過飽和度」については、「雲の中に結晶ができるのに、なぜ雲が水飽和以上の過飽和になり得るのか。雲は微水滴の集まりであるから、水飽和以上の過飽和はあり得ない。」との疑問が呈された。この議論については「中谷ダイアグラムと拡散式人工雪作成法の問題」(対馬勝年、2004 年)4-4)を薦める。

5) 雪は天から送られた手紙である

再度、「雪」の「第四 雪を作る話」から引用する。

さて、雪は高層において、まず中心部が出来それが地表まで降って来る間、各層においてそれぞれ異る生長をして、複雑な形になって、地表へ達すると考えねばならない。それで雪の結晶形及び模様が如何なる条件で出来たかということがわかれば、結晶の顕微鏡写真を見れば、上層から地表までの大気の構造を知ることが出来るはずである。そのためには雪の結晶を人工的に作って見て、天然に見られる雪の全種類を作ることが出来れば、その実験室内の測定値から、今度は逆にその形の雪が降った時の上層の気象の状態を類推することが出来るはずである。

このように見れば雪の結晶は、天から送られた手紙であるということが出来る。そしてその中の文句は結晶の形及び模様という暗号で書かれているのである。その暗号を読みとく仕事が即ち人工雪の研究であるということも出来るのである。

図4.5は中谷博士自筆の「雪は天から送られた手紙である」が書かれたカードである。自筆の雪の結晶絵が添えられている。

図4.5 中谷宇吉郎博士自筆のカード(Sachi Itagaki氏提供)

6) 文人としての中谷宇吉郎

中谷博士は雪の結晶の研究のほかに、着氷問題、洪水、凍土、融雪、グリーンランドの氷冠などの研究でも高い評価を得た研究者であり、かつ教育者であった。加えて中谷博士は、「冬の華」「雪」「寺田寅彦の追想」「中谷宇吉郎画集」など随筆、評論、絵画において優に40を超える作品を残している。中には湯川秀樹や寺田寅彦との共著も複数ある。また、朝日新聞社から「中谷宇吉郎随筆選集」(全3巻)や岩波書店から「中谷宇吉郎集」(全8巻)もある。更に驚くべきは、小林勇(後の岩波書店会長)、羽仁進(後の映画監督)らが参加した中谷研究室プロダクション(岩波映画製作所の前身)を設立し、「凸レンズ」「霜の華」「大雪山の雪」など、優れた科学映画を製作した。優れた科学者であるとともに、文人でもあった。図4.6は中谷博士が描いた「壺中天地有」の色紙である。科学書らしい絵が精密に描かれている。

図4.6 科学書らしい絵が精密に描かれている中谷宇吉郎博士が描いた色紙「壺中天地有」(著者所蔵)


4.2 久保義光 -氷工学-

1) 氷工学序説

1980 年9 月に泰流社から出版された「氷工学序説」と言う工学書がある。著者は久保義光博士。久保博士は1912 年香川県生まれ、東京帝国大学工学部土木工学科卒業後、南満州鉄道株式会社鉄道局の技術者となった。戦後は運輸省、経済安定本部、会計検査院などを経て、(株)日本構造橋梁研究所の役員を務めた。氷工学の先駆者として久保博士の研究を振り返る。

図4.7は「氷工学序説」の表紙である。この「まえがき」に次の一文がある。

図4.7 久保義光著「氷工学序説」4-5)(著者所蔵)

氷と土木工学との関係を語るとすれば、その第一は冬期の結氷河川や湖沼上の列車運転あるいは自動車輸送であろう。日ロ戦争中の1904 年バイカル湖の氷上列車運転や、第二次世界大戦中の1942 年レニングラード背後のラドガ湖の氷上自動車輸送は、歴史に残る有名な話である。寒冷地においては、河川構造物の建設に際して自然結氷板が足場として利用される。永久凍土層も種々の問題を包含している。北極海などでは、航空機の発着に海氷が利用されている。北方海域においては、特に最近、アラスカおよびカナダ北方海域における石油の発見に伴い、北極海の結氷板を鑿井作業に利用することが配慮されているとともに、砕氷船をはじめとして、氷海輸送上の問題が強く浮かび上がってきている。これらの場合に、自然結氷板を効果的に利用するためには、河氷あるいは海氷の生成状況、その物理的あるいは力学的性質、特に自然結氷板の耐荷力などに関する知識が必要になってくる。

特に結氷河川上の列車運転をその主目的として、河川の結氷およびその利用について本格的な研究を行うことになったのは1938 年のことで、当時満鉄の鉄道総局建設局計画課に所属していた筆者が、その実質上の責任者になったのである(著者注:久保博士は1912 年生まれであることから当時26歳)。しかし、参考にすべき文献なども皆無に等しく、まったく五里霧中の状態から出発することとなった。たまたま他の用務をかねて東京に出張し、東京大学理学部に藤原咲平博士を訪ねて教えをこうことによって、筆者の氷の研究がその緒についたのである。

「氷工学序説」以前は、理学的観点から氷の結晶構造や性質、流氷を扱った図書は刊行されていたが、工学的観点からはこの図書が日本で初めてのものではないかと著者は考える。「氷工学序説」は以下の構成となっており、中でも氷上軌道列車運転試験による氷盤の耐荷力については詳細が紹介されており、工学的価値が高い。

I. 自然結氷板の生成

II. 氷の力学的性質

III. 氷上軌道列車運転その他試験について

IV. 自然結氷板の載荷力

V. 海氷の砕氷力と載荷力について

VI. 氷術語集

VII. 国際学会展望

2) 満州第二松花江での氷上軌道列車運転

久保博士は、1939 年秋から1941 年春までの2冬、北満州の長春とハルピン間の京浜線中間の河川(第二松花江)で氷上軌道列車運転試験を行った。最終目的は冬季凍結した河川の結氷板上に軌道を敷設し、実際に列車を運転することであったが、そのための基礎的調査として結氷と解氷の観察、氷厚の測定、氷の力学的性質試験、河川結氷板の各種荷重試験を周到に行った。1941 年2 月に行われた氷上軌道列車運転試験は、後年であるが、図4.8に見るように国際雪氷学会(IGS:International Glaciological Society)1976 年会報”ICE”の表紙を飾った。

図4.8 国際雪氷学会の1976 年会報 ”ICE”の表紙となった氷上軌道列車運転試験4-5)

松花江では以下の観測および試験が行われた。ここで注目すべきは、2冬という限られた試験期間の中、久保博士をリーダーとする満鉄鉄道局研究グループの綿密な試験計画と着実な試験の実施である。この中の氷板爆弾投下試験は、氷板に対する衝撃試験の性格を持つが、日中戦争前夜という社会情勢の影響があったのであろうか。

i) 環境条件の調査と把握

  - 結氷および解氷状況

  - 気温、水温および氷温

  - 河川の流速、水深および氷厚

ii) 氷の力学試験

  - 引張強度、圧縮強度、曲げ強度、せん断強度、捩り強度

iii) 氷板載荷試験(静止荷重)

  - 氷上砂袋荷重試験(図4.9)

  - 氷上杭軌条荷重試験(図4.10)

  - 氷中杭軌条荷重試験(後述3)を参照)

iv) 氷板移動荷重試験(移動荷重)(図4.11)

v) 氷板爆弾投下試験(衝撃荷重)

vi) 氷上軌道列車運転試験(後述4)を参照)

図4.9 氷上砂袋荷重試験4-5):自然結氷板上に砂袋30 kg/個を最大40tonまで載荷し、氷厚(34 ~ 98cm)、載荷重、沈下量(3.2 ~ 14.0 cm)、載荷時間(4 ~ 8 時間)の関係を調べた。

図4.10 氷上杭軌条荷重試験 4-5):氷板(70 cm厚)上に、直径30cmの松丸太脚4本で組んだ机を設置し、軌条60 ton載荷時の氷板の沈下量と亀裂の状況を調べた。

図4.11 氷板移動荷重試験4-5):氷板上に試験用の軌道を敷設し、列車荷重を想定した荷重を移動させ結氷板に与える影響を調べた。実際の機関車や貨車による列車走行試験の前段階としてこのような予備試験でデータの収集を行った。

3) 氷中杭軌条荷重試験

これは丸太と氷の凍着試験である。直径30 cm、長さ2 mの表面を荒削りした白松丸太4本の上部を緊結して図4.12にように棚状にする。あらかじめ4脚分を穿孔した結氷板に4脚を差し込み再結氷させる。棚上部に最大60tonまで載荷し、破壊に至った荷重から丸太と結氷板の凍着強度を求めた。図4.13はこの試験の模式図である。

久保博士は気温から氷温を推定し、一連の氷中杭試験から「極めて大胆ではある」として、氷温-4 ℃、氷厚86.5 cm、丸太直径30cmの条件下の氷と丸太との凍着力(凍着強度)を次式のように1.8kg/cm2(0.18 MPa)と推定している。なお、この凍着力は杭の押し抜き時の凍着強度である。

図4.12 氷中杭軌条荷重試験(丸太と氷の凍着強度試験)4-5):氷板の穿孔に4脚を挿入する前。4脚の再結氷させた後に最大60 tonの軌条を載荷。

図4.13 氷中杭軌条荷重試験(丸太と氷の凍着強度試験)の模式図 4-5):載荷重40 tonで結氷板面が4cm、最大の60tonで14 cmの沈下。凍着破壊時に結氷板中に没入する。

4) 氷上軌道列車運転試験

これまで紹介したように、現地河川氷に対する基礎的な力学試験を繰り返し、氷板の状況を十分に把握した後に、松花河の結氷板上に軌道を敷設し、1941 年2 月3 日から2 月26 日までの期間に計162回の氷上軌道列車運転試験が行われた。

レールおよび枕木と氷板の間には直径20 ~ 35 cmの丸太が列車進行方向の横と縦に各2段、計4段組まれており、結氷板上面から軌条面までの高さは約140cmである。このように縦横に組まれた丸太により、氷板に作用する列車荷重を分散するとともに、列車の振動(衝撃)を吸収することができる。図4.14は氷上軌道構造の写真である。

図4.14 丸太が縦横に組まれた軌道構造 4-5)

列車走行用の軌道は、上下線2本が100 m離れて平行に敷設された(図4.8参照)。1番線は氷上軌道延長437 m、2番線は同386 mである。河川部の氷上軌道の両岸にはそれぞれ数百メートルの陸上軌道が接続された。走行した機関車は、ダブイ型(機関車総重量約90 ton)とミカロ型(同約140ton)で、試験の最後には図4.15に見るように、ミカロ型機関車に30 ton貨車20輌を牽かせて氷上を往復した。

図4.15 機関車と貨車20輌の走行実験4-5)

走行試験実施期間中の氷厚は90 ~ 95 cm、列車の平均走行速度は10 ~ 30 km/hであった。図4.16に氷上軌道構造の模式図を示す。

図4.16 氷上軌道構造模式図4-6)

久保博士は列車運転試験から、結氷板の沈下とひび割れについて以下のような結論を導いている。

① 氷板沈下に関して

i) ダブイ型のような小型機関車(機関車総重量約90 ton)では貨車2 ~ 3輌、ミカロ型のような大型機関車(同約140ton)では貨車1 ~ 2輌以上牽引輌数が増大しても、結氷板の沈下量は増大しない。

ii) 推進運転の場合の方が、牽引運転の場合よりも、結氷板の最大沈下量は大となる。

iii) 列車速度大なる程、最大沈下量は小となるが、最大上昇量は(少なくも20km/h以下の速度においては)大となる傾向にある。

iv) 列車荷重による結氷板沈下並びに上昇は、列車周囲の各方向に300 m以上に若干の時間を要して伝播するが、主要沈下範囲は列車周囲50 m以内とみなすことができる。

v) 列車通過完了後の氷上軌道下結氷板は、1 分内外の周期をもって、最大5cm内外の沈下ならびに上昇の振動を行うが、この振動は急速に減衰し、3 ~ 5 分後にはほとんど消滅し、結氷板はほとんど旧水準に復帰する。

vi) 結氷板の沈下が著しく大なるときは、沈下範囲は一定している。したがって結氷板面、すなわち軌条面の勾配(軌道方向)が急となり、機関車牽引力の点から、列車運転上好ましくない事態を招くおそれがある。もし軌道の制限勾配を1.5%とした場合には、軌道延長20 mの部分に30 cmの高低差を生ずれば、その部分の勾配は1.5%となり、いわゆる制限勾配一杯となり、これ以上の高低差については、特に注意を要することとなる。

vii) 本試験中、最大沈下量は約30 cmであった。

② 氷板ひび割れに関して

i) 軌道に平行に、軌道中心線あるいは中心線近くの軌道下側に、結氷板の表面に大きい割れ目をしょうずるもの。

ii) 軌道方向に30度内外の角度をなして、軌道側方に、結氷板表面にやや大なる割れ目を生ずるもの。図4.17にひび割れ写真を示す。

iii) 軌道下側あるいは軌道側方の結氷板内部に亀裂を発生するもの。

図4.17 軌道方向に30度内外の角度をなして、軌道側方に発生したひび割れ4-5):ひび割れについても詳細な観察が行われた。

5) 研究のその後

久保博士の現地における試験は、2 年(2冬)という短期間でありながら、氷上軌道の実用性を確認するという目的に対して十分な成果を上げたと言えよう。綿密な計画と十分な人員および物資の供給がなければ成し得ないものであった。現地試験終了が1941 年3 月、その12 月には太平洋戦争が始まった。試験終了後に研究成果が実用に供したという証左を見出すことはできなかった。1976 年に国際雪氷学会会報”ICE”の表紙を飾り、1980 年に「氷工学序説」が出版されることにより、久保博士の研究は約40 年の歳月を経て再評価されることとなった。


4.3 田畑忠司 -流氷学-

1) 北方圏国際シンポジウム

1986 年2 月12 日、北海道紋別市で「北方圏国際シンポジウム ”オホーツク海と流氷”」が開催された。開催の経緯文書には、開催の趣旨が次のように記されている。

『昭和40 年紋別市に設置された北海道大学低温科学研究所附属流氷研究施設の開設20周年記念および故田畑忠司教授の追悼式をかねて、国際シンポジウムの開催が提案された。』

この流氷研究施設の創設以来、亡くなるまで施設長として流氷研究の指導的役割を果たしたのが田畑博士である。そして、このシンポジウムはその後、継続的に開催され、2020 年時点で35回を数える(2021 年はCOVID-19のため中止)のであるが、オホーツク海に面する紋別市という小都市での開催にもかかわらず、世界各国から参加者が集い、オホーツク海と流氷について語り合う国際的な一大イベントとなっている。著者は、第1回シンポジウム(1986 年)に参加したのであるが、いまだにその開会式の模様を鮮明に覚えている。「故田畑忠司教授の追悼式をかねて」ということもあり、世界各国から田畑博士と親交のあった研究者が集まったのであるが、その中でも氷研究で世界的に著名であったWilfordF. Weeks博士(当時アラスカ州立大学教授)がコントラバス、Vera Alexander博士(同)がピアノで田畑博士のために追悼曲を奏でた。演奏のステージには田畑博士の遺影が飾られていた。

2) 流氷研究施設 -創設と地域貢献-

「流氷」(1978 年、北海道新聞社刊)4-7)という本がある(図4.18)。著者である田畑博士は巻頭の「出会い」で次のように綴っている。

図4.18 田畑忠司著「流氷」4-7)(著者所蔵)

『初めて見る網走の流氷は素晴らしかった。起伏のはげしい氷野が、少し雪をかぶっていたが、見渡す限り続いており、東の果てには知床連山がくっきり浮かび上がっていて、山なみの終点には斜里岳がひときは威容を誇っている。氷と氷が積み重なっているすき間は、深いコバルト色で人を魅了する。ずんぐりとした氷丘、厚い氷板が帆のように立っているもの、薄い氷の砕片が積み上がった二メートル以上もある氷の山。白っぽい氷、比較的透明で青味がかった氷、雪が氷の割れ目を隠していて、時には足を取られる。弱い風の音だけのまさに静寂の世界。背の高い氷のうしろに腰を下ろして一服する醍醐味。流氷の印象は強烈であった。』

オホーツク海は南北にやや細長い海で、その長径は約2千kmにもおよび、海面のほぼ80%は冬季に結氷し、その最南端の海域でも、1 月中旬~3 月下旬までの間は厚い流氷に覆われる。このような流氷が見られる海域の南端(南半球の場合は北端)を氷縁海域(MarginalIceZone)という。カナダ東岸、バレンツ海、バルト海なども氷縁海域であるが、北海道沿岸は世界中で最も緯度が低い氷縁海域である。それが故に凍る海としては暖かい海域であり、その他の氷縁海域と比べて海氷の厚さは小さく、かつ動きが大きい(不安定)という特徴がある。

北半球で流氷が到達する最南端の地、紋別市に1965 年開設されたのが北海道大学低温科学研究所附属流氷研究施設(図4.19)であり、その設立に尽力し、初代施設長となり、1981 年に亡くなるまで施設長を務めたのが田畑忠司博士(1923-1981)である。

図4.19 紋別市に開設された流氷研究施設 4-8)

施設開設と同時に世界で初めての流氷観測を主眼としたレーダーが設置された。3 年を要して紋別、網走、枝幸の3ヵ所にレーダーアンテナが設置され、北海道のオホーツク海沿岸約60kmの範囲の流氷の動きを昼夜・天候の別なく監視するC-バンド広域流氷観測レーダー網が完成した(図4.20)。この流氷レーダーの導入により、レーダー情報と現場の氷状との対応の研究、沿岸流氷の動きの実態調査、流氷分布の詳細な観測等の研究が始まった。また、施設開設以前から行われてきた海氷の物理的性質に関する研究には、新たにレーダー情報との対応の研究が加わった。更に、流氷の生成や動きを調べるために、気象学的また海洋学的研究、特に宗谷暖流域の海況変動やその物理機構の研究等が開始された。4-9)

図4.20 紋別、網走、枝幸の3ヵ所に設置されたC-バンド広域流氷観測レーダー網4-10):北海道のオホーツク海沿岸約60kmの範囲の流氷の動きを監視した。この情報は、海上保安庁、気象庁に提供され、流氷予測や流氷災害防止に活用された。

流氷レーダーの情報は、流氷の移動や変形などの研究に用いられたほか、海難防止にも大いに役立つこととなった。流氷海難の船舶は沿岸海域で操業する漁船が主であり、流氷接近の直前まで、また海明け早々に操業するため、流氷群の中で行動し、流氷に阻まれる。そのため、海難隻数は沿岸流氷量にともない増加した。レーダー情報により毎朝作成される流氷分布図は、海上保安部等各関係機関に配布され、船舶の交通や漁業の安全のために利用され、地域経済や海の安全に大きく貢献することとなった。また、多くの観測・研究成果は国外でも注目され、その影響もあってアラスカ、カナダ、バルト海にも流氷レーダーが設置されるなど世界的にも指導的役割を果たすこととなった。4-9)

3) C-バンドからX-バンドドップラーレーダーへ

北海道大学の独立行政法人化にともない、2004 年流氷研究施設は閉鎖に至る。その後、2005 年11 月に紋別市の大山山頂にX-バンドドップラーレーダーが設置され(図4.21)、世界で初めて同レーダーによる海氷と雪雲の観測が始まった。X-バンドレーダーはC-バンドレーダーに比べて、観測可能領域は若干小さくなるものの、高頻度で高分解能での観測が可能という長所がある。同レーダーは、放射した電波の周波数と、流氷や雨(雪)雲によって反射してきた電波の周波数の違い(ドップラー効果)などから、それらの動きや上空の風向などを分析して画面に表示する。北大低温科学研究所や気象庁気象研究所などの研究グループにより、天候に左右されずに流氷域を検出し、流氷の動きに関する高精度な情報が発信されている。

図4.21 2005 年に紋別市大山山頂に設置されたX-バンドドップラーレーダー 4-11)

4) 流氷研究都市紋別

田畑博士が設立に尽力し、初代施設長として15 年にわたって流氷研究を支え、オホーツク海の流氷観測を発展させるとともに世界トップレベルの観測技術を構築し、多くの成果を上げた流氷研究施設は、2004 年に閉鎖された。田畑博士の後任施設長となった故青田昌秋博士の努力により、紋別市民の参加にまで高めた流氷研究は、紋別市を「流氷 研究国際都市」と宣言するまでに発展させた。2022 年には36回目を迎える「北方圏国際シンポジウム“オホーツク海と流氷”」には毎年国内外から著名な研究者が集まり、市民ボランティアに支えられて、他の国際シンポジウムには感じられない家族的な雰囲気の特異な学会(集い)となっている。研究施設の誕生が都市の活性化と国際化をもたらした稀な例である。

田畑博士の研究対象は流氷に留まらず、船体着氷や海氷の力学的性質の研究にもおよんだ。海水のしぶきが船体に凍り付き、それが蓄積されることにより船体の重心が高くなり、バランスを失って転覆することがある。この対策としての硬くて凍り付きにくい船舶塗料の研究は着氷海難対策のためであった。海氷の力学的研究では、海氷の弾性率、圧縮強度、曲げ強度、海氷と材料間の摩擦係数の研究を行い、国際的に高い評価を得た。田畑博士は海氷の基礎科学から応用工学まで幅広い研究を行った科学者であり工学者であった。

北極海の海氷が急速に減少し、地球規模の気象変動に与える影響が懸念されている。オホーツク海では流氷の接岸と離岸の時期や流氷量の変動が著しい。欧州と東アジアを結ぶ北極海航路が現実のものとなり、サハリン沖での石油・天然ガスの生産が拡大されようとしている現在、田畑博士によって氷縁海域のオホーツク海北海道沿岸で始まった流氷研究の重要性を再認識するときが来ているのではないだろうか。

4.4 むすび

本章は「雪氷研究の先人達」である。中谷宇吉郎、久保義光、および田畑忠司諸博士の研究を紹介したが、共通するのは現場での観察や実験による研究である。研究の現場主義とも言えるかもしれない。そして、研究成果を広く社会に還元し、かつ国際性を持っていた。さらに、彼らは多くの後進を育てた教育者であった。

他にも多くの先人が雪氷研究の発展に貢献し、その積み重ねにより世界をリードする現在の日本の雪氷学がある。黒岩大助博士(雪氷物理学)、木下誠一博士(凍土物理学)、他多くの先人の業績を紹介することができなかったことをお許しいただきたい。

参考・引用文献

4-1)   中谷宇吉郎雪の科学館ホームページ, https://yukinokagakukan.kagashi-ss.com/ukichiro/,2021 年6 月29 日閲覧.
4-2)   「中谷宇吉郎 雪の科学館」提供.
4-3)   「雪」,中谷宇吉郎著, 岩波新書, 1938 年, ISBN9784004000044.
4-4)   対馬勝年(2004):「中谷ダイヤグラムと拡散式人工雪作成法の問題」,天気51巻10号,pp.753-758.
4-5)   「氷工学序説」,久保義光著, 1980 年, 泰流社,全213頁.
4-6)   久保義光 (1959):「結氷板の土木工学的利用性」, 雪氷21巻4号, pp.99-105.
4-7)   「流氷」, 田畑忠司著, 1978 年, 北海道新聞社, 全229頁.
4-8)   Mosir Project ホームページ, 2021 年8 月20 日閲覧,https://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mosir/work/2002/clione/index.html.
4-9)   白澤邦男 (1992):「北海道大学低温科学研究所附属流氷研究施設」, “天気" 39. 6, pp.50-52, 日本気象学会.
4-10)   北海道大学低温科学研究所附属流氷研究施設外部点検評価報告, 平成11 年3 月,2021 年8 月20 日閲覧,http://www.lowtem.hokudai.ac.jp/publish/ryuken/2-56.html.
4-11)   紋別市公式ホームページ, 2021 年11 月18 日閲覧,https://mombetsu.jp/soshiki/kankou/news/2017-0206-1624-155.html.

中谷宇吉郎博士から連なる雪氷研究

1.米国との日本の雪氷研究

1952 年、中谷宇吉郎博士はイリノイ州にあった米国陸軍工兵隊所属の雪氷凍土研究所(SIPRE:Snow, Ice and Permafrost ResearchEstablishment)へ研究員として招かれる。1949 年に設立された同研究所は、雪、氷、凍土の基礎的かつ応用研究が主たる研究目的であったが、特にグリーンランドに設置された米国陸軍のCampCenturyでの雪氷研究に深く関わっていた。第二次世界大戦後の東西冷戦の初期、グリーンランドは米国にとって重要な地政学上の要衝であった。既に雪氷研究者として世界的に有名で、第二次世界大戦中にニセコアンヌプリ山頂で戦闘機を使って「航空最大の敵」と言われた着氷問題の研究を行い、着氷のメカニズムを世界で初めて解明した中谷博士、そして中谷博士と共に同研究所へ赴いた板垣和彦博士(雪氷学、当時北海道大学)、熊井基博士(雪氷学、当時北海道大学)、高木俊介博士(数学、当時東京農工大学)がSIPREの基礎を築くことになる。SIPREはその後、1961 年に寒冷地理工学研究所(CRREL:ColdRegionsResearch and Engineering Laboratory、ニューハンプシャー州ハノーバー、下図)となり、現在では米国の国土保全に関わる研究、北極や南極の科学的・工学的研究を行い、世界各国から多くの研究者・技術者を受け入れて、雪氷・凍土・低温工学研究の中心的役割を果たしている。

中谷博士他3名の研究者によって築かれたCRRELと日本との研究の交流は、1980 年代に入り更に発展する。平山健一博士(水理学、後に岩手大学学長、名誉教授)1)、加藤一行博士(氷工学、当時石川島播磨重工業(株)、後に近畿大学教授)2)、赤川 敏博士(凍土工学、当時清水建設(株)、後に北海道大学教授)3)、そして著者(氷工学、当時パシフィックコンサルタンツ(株))4)等がCRRELで研究を行った。また、同研究所のDevinder. S.Sodhi博士5)は、後年、JOIA氷荷重プロジェクト(7章)に参加すると共に、北海道大学工学部佐伯浩研究室に研究滞在した。上記諸氏のCRREL滞在中の研究論文(CRRELReport)を以下に紹介する。1952 年に始まった中谷博士と米国研究所の繋がりは、その後50 年に渡って続くこととなったのである。

米国ニューハンプシャー州ハノーバーにある陸軍工兵隊所属の寒冷地理工学研究所(CRREL)6)



1) Hirayama, K. (1983): “Properties of urea-doped ice in theCRREL test basin,” CRREL Report 83-8, March 1983.

2) Sodhi, D. S., K. Kato and F. D. Haynes (1983): “Ice forcemeasurements on a bridge pier in the Ottauquechee River, Vermont,” CRREL Report 83-32, December1983.

3) Akagawa, S. (1990): “X-Ray Photography Method forExperimental Studies of the Frozen Fringe Characteristics of Freezing Soil,” CRREL SpecialReport90-5, February 1990.

4) Nakazawa, N. and D. S. Sodhi (1990): “Ice Forces on Flat,Vertical Indentors Pushed through Floating Ice Sheets,” CRREL Special Report 90-14, May 1990.

5) Sodhi, D. S., T. Takeuchi, N. Nakazawa, S. Akagawa and H.Saeki (1998): “Medium-scale indentation tests on sea ice at various speeds,” Cold RegionsScienceand Technology, Volume 28, Issue 3, December 1998, pp. 161-182, Elsevier.

6) Cold Regions Research and Engineering Laboratory(CRREL)ホームページ, 2021 年6 月20 日閲覧, https://www.erdc.usace.army.mil/Locations/CRREL/.

2.中谷宇吉郎博士と久保義光博士

再び「氷工学序説」の「まえがき」を紹介する。ここで久保博士は「中谷宇吉郎博士のこと」と題して、中谷博士との思い出を語っている。全文を引用する。

この当時、満鉄で筆者の1年先輩で親密にしていた小川新市氏が建設局から工務局保線化に移り、高野興作課長の下で、鉄道路線の凍上対策に取り組んでいた。高野課長と中谷博士とが四高同級生であったこともあり、中谷博士は短期間の間に二度来満されて、凍上対策に関する技術指導をされた。筆者の河氷の研究はこれとは別のことであったが、時間を割いていただいて、ご意見を承ったり、研究現場のご案内などをした。帰国された博士は早速新聞などに満州の印象を語る随筆を掲載されたが、その中で前記の小川氏や筆者等の研究態度を過分にほめて下さったので、ひどく恐縮した次第である。

後述するように、はじめに2 年間の研究を「河氷特に氷上軌道に関する研究」と題する608ページの報告書にまとめて1941 年8 月満鉄鉄道局建設局の名で出版した。当時の鉄道建設部門の印刷物のほとんどがすべてそうであったように「極秘」として部数も300部に限定された。1976 年12 月に北海道大学を訪問し、工学部応用物理学教室の東 晃博士のところで、「中谷」の自筆入りの報告書No.252に35 年ぶりに再会した。筆者の手許にあるNo.247はともかくとして、1941 年に配布した約260部のうち、このNo.252のみが北大低温科学研究所を中心とする方々に大切にされているとともに有効に利用されていることを発見したことは、まことに嬉しいことであった。

アメリカ陸軍、技術部隊所属の寒地工学調査研究所(Cold Region Research and Engineering Laboratory–CRREL)にもこの報告書が一部保管されていて、1979 年11 月、Dr. A. Assurから直接手にとって再会させられたが、これまた感慨深いものがあった。

中谷宇吉郎博士が1936 年に北海道大学で世界初の人工雪結晶の製作に成功し、その後、久保義光博士の氷上軌道の研究を高く評価し世間に紹介した。その中谷博士が1952 年にSIPRE(後のCRREL)の研究員となり研究所の礎を築いた。久保博士の報告書が40 年の歳月を経ても北海道大学の雪氷研究者や米国のCRRELに保管されており、1980 年代に入り、日本の研究者や企業技術者がCRRELに滞在して研究を行い、その後、日本の氷工学の発展および氷海構造物の設計・施工に携わることになる。

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 5 海氷の力学的研究

5.1 海氷の生成  -氷板が形成されるまで-

海氷はどのように形成されるのか。海上保安庁海氷情報センターの写真と文章を引用して説明する。5-1)なお、文章は著者の編集による。

- 真水は0 ℃で凍り始めるが、海水は塩分を含んでいるためにマイナス1.8 ℃付近で凍り始める(もちろん、海水の塩分量や降雪などにより結氷温度は異なる)。ただし、実際に凍るのは海水中の真水成分だけで、塩分の濃い海水は海水中に排除されるか氷の中に液体として閉じ込められる。マイナス1.8 ℃からさらに熱(潜熱)が奪われて行くと、海水中の真水の一部が結晶し短冊状または針状の「晶氷」と呼ばれる氷ができる。(図5.1 a))

- 風や海面に波やうねり等がなければ、晶氷はゆっくりと成長し、互いに凍りながら「ニラス」(海面に晶氷が集合し、薄くて弾力のある表面が固い氷になったもの)や「氷殻」となり、海面に拡がりながら厚さを増して行く。(図5.1b)、図5.1 c) )

- 海面には波やうねりがあるため、生まれたばかりの晶氷は互いにぶつかり砕けながら結合し、より大きな「グリースアイス」と呼ばれるどろどろのお粥状の氷の塊となって成長して行く。(図5.1d) )

- 成長したグリースアイス、ニラスや氷殻は、波の運動により、互いにぶつかり合って円形状になる。これを「はす葉氷」と呼ぶ。はす葉氷が海面を覆うと波が次第に静まり、はす葉氷とはす葉氷の間の海面も凍って行く。(図5.1e) )

- 更に低温が続くと、ニラスやはす葉氷は硬さや厚さを増しながら、「板状軟氷」と呼ばれる板状の氷になる。そしてこれらの氷が風によってぶつかり、重なり合いながら更に成長して行く。(図5.1 f ) )

a)短冊状または針状の「晶氷」

b)薄くて弾力のある「ニラス」

c)広がりを持って成長する「氷殻」

d)どろどろの「グリースアイス」

e)円形状の「はす葉氷」

f) はす葉氷が板状になった「板状軟氷」

図5.1 海氷の生成過程:a) 昌氷からf) 板状軟氷まで。5-1)

5.2 海氷の結晶形態

1) Granular iceとColumnar ice

海氷の結晶形態には大きくGranular ice(粒状氷)とColumnar ice(短冊状氷)がある。Granular iceは、風や波の影響を受けて生じた昌氷(Frazilice)や降雪が海面に集積して形成された粒状氷である。Columnar iceは、Granular iceの下層に短冊状に成長する。従って、粒状構造が卓越しているということは,海氷の成長過程において下面結氷より昌氷や降雪による成長が大きいことを示し、短冊状構造が卓越していると言うことは、下面結氷による成長が大きいことを示している。結晶形態は、その海域の海氷の成長過程を知る上で重要な情報となる。

図5.2は海氷の結晶形態の模式図である。上層からSnow、Snow ice、Transition zoneを経て水深方向へColumnarzoneが成長していく。海水を凍らせると海水の中の真水の部分だけが凍る。そのため残った海水は塩分が濃縮されることになる。この濃縮された海水をBrineというが、縦に細長い管状または細胞状の濃縮塩水として海氷中に取り込まれる。このBrineの含有量が海氷の物理的・力学的性質に大きく影響する。

図5.2 海氷の結晶形態の模式図と結晶写真5-2):表層に雪と雪氷、そして移行層(Transitionzone)を経てColumnar zoneが水深方向へ成長する。図右端は海氷柱を水平に切った場合(Horizontal)と鉛直に切った場合(Vertical)の模式図である。(文献5-2)を著者編集)

2) オホーツク海の流氷

毎年2 月に北海道オホーツク海沿岸に漂着する流氷は、オホーツク海北西部で誕生した氷が東樺太海流と風により南下しながら成長したものである。移動氷板は互いにぶつかり合い、重なり合うことにより、氷厚を増しながら北海道へ到着する。

図5.3は北海道オホーツク海沖の流氷の薄片断面写真である。上層からGranular iceとColumnar iceが互層に形成されている。氷板が重なり合って形成した海氷であることを示唆している。

図5.3 オホーツク海の流氷の結晶形態の一例5-3):Granular ice とColumnar iceが互層になっている。

5.3 海氷の物理的・力学的性質と氷力

1) 氷海構造物の設計に必要な情報

冬季に結氷する海域に設置される海洋構造物や海岸・港湾構造物などの氷海構造物の設計には、以下に示す外力を組み合わせて考慮する必要がある。

- 氷力(Ice force)

- 風力(Wind force)

- 潮流力(Current force)

- 波力(Wave force)

- 海域によっては地震力(Seismic force)

氷海域の洋上に限って言えば、それらの中で氷力が構造物設計の支配外力、つまり最も大きな外力となる場合が多い。海氷が構造物に作用する場合、海氷が破壊するときに最大の氷力となる。この氷力を合理的に評価し、構造物を設計するためには以下のような要素・情報が必要となる。

- 氷の物理的・力学的性質(弾性係数、ポアソン比)

- 氷の強度(圧縮強度、せん断強度、曲げ強度、引張強度)

- 氷と構造物材料間の力学的相互作用(凍着強度、摩擦係数)

- 氷と構造物の相互作用による氷の破壊形式

- 低温下での構造物材料の性状・性能

- 寒冷地での建設・建造・設置法

2) 構造物に作用する氷力

構造物に作用する氷力は、構造物の形状、氷板の形態、氷盤の移動方向などにより異なる。図5.4は構造物に作用する氷力の形態を概念的に示したものである。5-4)

以下に構造物に作用する基本的な氷力形態を示す。

a) 水平氷力 図5.4 a)

氷力の中で鉛直壁構造物に作用する水平氷力が最も大きなものである。この場合の氷の破壊形態は、圧縮破壊(Crushing)および座屈破壊(Bucklingfailure)である。これらの破壊形態の場合、氷力の評価には氷の圧縮強度や曲げ強度の情報が必要となる。

b) 傾斜構造物に作用する氷力 図5.4 b)

氷の曲げ強度は、圧縮強度やせん断強度に比べて小さい。従って、構造物を傾斜構造にして、衝突する氷盤を曲げで破壊することは、作用する氷力を小さくするのに有効となる。ただしこの場合、傾斜面を這い上がってくる氷と構造物表面間の摩擦力を考慮しなければならない。従って、トータルの氷力の評価には、氷の曲げ強度、氷と構造物表面間の摩擦係数の情報が必要となる。

c) 鉛直氷力 図5.4 c)

柱状の構造物に氷盤が凍着した状態で水位が上昇した場合、構造物には上向きの鉛直氷力が作用する。一方、水位が下降した場合は下向きの氷力が作用する。この鉛直氷力は、氷と構造物表面間の凍着が破壊するときに最大となることから、氷と各種材料間の凍着強度の情報が必要となる。

a) 水平氷力:氷盤が鉛直構造物に衝突

b) 傾斜構造物への氷力:氷盤の曲げ破壊と摩擦力

c-1) 鉛直氷力:水位の上昇により上向き

c-2) 鉛直氷力:水位の低下により下向き:

図5.4 構造物に作用する氷力の形態5-4)

このように、氷海構造物の設計・建造のための氷力の評価には、海氷の基本的な性質である物理定数や各種強度を明らかにしなければならない。次項「5.4」では海氷の基本的な強度である圧縮強度について、「5.5」では海氷と構造物材料間の摩擦係数に関する研究について、国内外から高い評価を受けた佐伯浩博士(元北海道大学総長)の研究を紹介する。佐伯博士は海氷の研究により、市村賞貢献賞(1981 年、財団法人新技術財団)、Arthur Lubinski Award ofExcellence(1984 年、米国機械学会(ASME))、Ice Research and Engineering Award(2004 年、国際水理学会(IAHR))など多数受賞している。5-5)

なお、海氷の強度特性および海氷と構造物の力学特性について、より詳細を学びたい人へは佐伯 浩(1979、1985)5-6),5-7)を薦める。

5.4 海氷の圧縮強度

海氷が構造物に作用する場合、海氷が破壊するときに最大の氷力が構造物に作用することから、氷力の計算において氷の強度は最も重要な情報である。図5.4に示すように、構造物の形状と氷の作用形態により氷の破壊形式が異なるが、氷の圧縮強度、せん断強度、および曲げ強度が基本的な強度である。本項ではその中でも最も基本と考えられる圧縮強度について述べる。

1) 海氷強度とコンクリート強度

最初にコンクリートの強度を見てみよう。コンクリートの場合、強度というと通常は圧縮強度を指す。コンクリートは、骨材同士をセメントペーストで結合したものである。従って、その強度は、セメントペーストの接着力に支配されるが、その接着力は水セメント比(W/C、質量比)によって決定される。水セメント比が小さいほど高濃度のセメントペーストとなり、接着力が大きくなる。従って、大まかに言えば、水セメント比が小さいほど、コンクリート強度は大きくかつ凍結融解に対しても耐性を持つ。勿論、その他にも温度、湿度、空気量、セメントの種別なども強度に影響するが、水セメント比が最も大きな影響因子である。「8.氷海構造物」で取り上げる世界初の鋼とコンクリートの複合構造人工島Super CIDSの建造では、必要となるコンクリート強度と凍結融解耐久性を確保するために、骨材の含水比管理を徹底する必要があった。

海氷強度への影響因子はどうか。図5.2に見るように、海氷は雪、純氷、濃縮された海水(Brine)、空気により構成されており、かつ、純氷部分は生成過程によりGranulariceとColumnariceがある。また、海氷は表層から下層へ向かって成長するため、異方性の強い材料であることから、海氷の成長方向に対する荷重の方向によっても強度が異なる。この異方性はコンクリートやモルタルとの大きな違いである。

2) 海氷の圧縮強度

氷は粘性と弾性の両方を合わせた性質を持つ粘弾性(Visco-elastic)な物質である。例えば、自らの重さにより1 年間に数百メートル流下する氷河は、氷の粘性(Viscosity)的性質を顕著に示している。これに対し、氷の弾性(Elasticity)的性質が、その破壊時に構造物に大きな氷力を与える。

海氷の圧縮強度は、塩分量、Brine量(未凍結塩水)、氷中に含まれる空気量、氷温がほぼ同じであれば、ひずみ速度(strain rate)や荷重速度(stress rate)に影響を受ける。図5.5は海氷の圧縮強度に対するひずみ速度の影響である。図5.5 a) はオホーツク海の氷、図5.5 b) は北欧バルト海の氷である。両者ともひずみ速度が10 -3 sec -1程度の時に圧縮強度が最大値を示している。併せて図5.5 b)では氷温が下がるほど(マイナス5 ℃、同10 ℃、同20 ℃)強度が増加しており、それぞれ海氷の成長方向に対して垂直に荷重をかけた場合(破線)の方が、平行に荷重をかけた場合(実線)よりも強度が大きい。

ひずみ速度

a) オホーツク海の海氷5-7)

ひずみ速度

b) 北欧バルト海の海氷5-2):破線が氷の成長方向に垂直、実線が平行

図5.5 海氷の圧縮強度:ひずみ速度の影響

3) 海氷と凍土の圧縮強度

ここで、凍土と海氷の圧縮強度を比較してみよう。図5.6は土質別の凍土および海氷の圧縮強度と温度の関係である。図5.5 b)と同様に、凍土も温度の低下と共に圧縮強度は増大する。そして、海氷はすべての土質の凍土よりも小さい値を示している。例えば、マイナス10 ℃での圧縮強度は、凍結砂13 MN/m2、同シルト8 MN/m2、同粘土4 MN/m2であるのに対して、海氷は2.5 MN/m2となっている。

図5.6 土質別凍土と海水の圧縮強度:温度の影響5-8)

5.5 海氷と構造物材料間の摩擦係数

傾斜面を持つ氷海構造物に作用する氷力、加えて砕氷船に作用する氷の摩擦抵抗の評価には、海氷と構造物材料間の摩擦係数が重要な影響因子となる。海氷の摩擦係数の工学的研究はArnold-Alabieff(1937)5-9)に始まるが、田畑と対馬(1979、1981、北大低温研)5-10),5-11)、Oksanen(1980、フィンランド)5-12)、Forland andTatinclaux(1984、米国)5-13)、前出の佐伯(1986、北大工学部)5-14)など、1980 年代に優れた研究が行われた。

本項では米国機械学会から”Arthur Lubinski Award of Excellence”(1984 年)を受賞した佐伯 浩博士の海氷の摩擦係数に関する研究を紹介する。

1) 実験装置の開発

海氷と構造物材料表面間の摩擦係数の特性を理解するためには、下記のような因子の影響を明らかにしなければならない。

- 氷と材料の接触面積

- 接触面における鉛直応力

- 氷の成長方向に対する移動方向

- 氷と材料間の相対速度(移動速度)

- 接触面における水膜の存在

- 氷温

- 構造物材料の表面粗さ

一般的に、実験研究では実験結果にのみ注目しがちであるが、研究目的を満足するためには実験装置が非常に重要である。上記の因子の影響を調べるために図5.7と図5.8に示す装置が開発された。油圧ジャッキにより水平方向に移動することができる滑車台の上に材料供試体(鋼板、コンクリート板など)を固定し、その上に海氷供試体を置く。供試体に上から鋼製のキャップをかぶせ、この上に鉛直荷重が載る。滑車台の移動速度は油圧ジャッキにより変えることができる。

図5.7 海氷の摩擦試験機の構造 5-14)

図5.8 摩擦試験の海氷供試体と材料供試体5-4):海氷供試体は鉛直荷重により固定され、その下の材料供試体が組み込まれた滑車台が移動する。

2) 実験に用いた氷

実験は北海道のサロマ湖で行われた。サロマ湖はオホーツク海と湖口により繋がる汽水湖であるが、塩分濃度で言えば31 ~ 33‰であり通常の海水に近い。30 ~ 50cm厚の氷ブロックを湖から切り出し、そこからコアドリルを使って図5.9に示すように実験用の円柱形氷供試体を製作する。

図5.9 海氷供試体の切り出し概要図 5-14):30 ~ 50cm厚の氷ブロックからコアドリルを使って円柱形の供試体を製作する。

3) 実験に用いた構造物材料

海氷との摩擦係数を調べるために用いられた構造物材料は下記の5種類である。鋼板は海洋構造物や船舶に多く使われる材料である。そして、鋼板であっても表面の状態を変えることにより摩擦係数の違いを調べることができる。

i) 鋼板(塗装なし、錆びなし)

Uncoated steel (uncorroded)

ii) 鋼板(塗装なし、海水で錆び形成)

Uncoated steel (corroded by sea water)

iii) 鋼板(マリンペイントZEBRON塗装)

Coated steel (ZEBRON)

iv) 鋼板(マリンペイントINERTA160塗装)

Coated steel (INERTA160)

v) コンクリート板(コテで表面成形)Concrete

4) 海氷の摩擦の研究で分かったこと

① 鉛直応力の影響

実験装置は、図5.7に見るように海氷供試体の上に作用する荷重(載荷荷重)を変えることができる。図5.10のUncoatedsteel(uncorroded:錆がない鋼板)の結果が示すように、鉛直応力σvが0.1 MPaから1.0 MPaの範囲において、動摩擦係数μkはほぼ一定値(0.1)を示ししている。静止摩擦係数μsは鉛直応力σv が0.5 MPa以上において一定値を示している。この結果は、Amontonsの第一法則(摩擦力は物質間の鉛直荷重に比例する=摩擦係数は物質間の鉛直応力に影響されない)が氷でも成り立つことを示している。

図5.10 海氷の摩擦係数と鉛直応力の関係 5-14)

② 接触面積の影響

氷と材料表面の接触面積が摩擦係数に与える影響を調べるために、氷供試体は直径3種類(4.5 cm、10.0 cm、15.0 cm)が用意された。高さ(長さ)はすべて10.0cmである。3種類の大きさの氷とUncoatedsteel(uncorroded:錆がない鋼板)の実験結果を図5.11に示す。静止摩擦係数μs、動摩擦係数μkともにほぼ一定値を示し、3種類の接触面積の範囲(最大約11倍の面積範囲)では、摩擦係数は接触面積の影響を受けないことが示された。なお、本実験の海氷の結晶径(Grainsize: Dgr)は8 ~ 12 mm である。この結果は、Amontonsの第二法則(摩擦力は物質間の接触面積に影響されない)が氷でも成り立つことを示している。

図5.11 海氷の摩擦係数と接触面積の関係 5-14)

③ 相対(移動)速度の影響

摩擦係数に対する相対速度の影響を明らかにすることは、氷による砕氷船への摩擦抵抗を評価する上で重要である。図5.12は相対速度を0.04から110cm/secの範囲で実験を行ったUncoated steel (uncorroded)の結果である。相対速度の増加とともに静止および動摩擦係数ともに減少し、両者とも3cm/sec程度以上においてほぼ一定値を示した。相対速度が小さい範囲では、滑り中の氷と構造物材料表面の凹凸との干渉が大きいが故に摩擦係数(摩擦力)が大きくなる。一方、相対速度が増大するにつれて、両者の干渉の度合いが小さくなる(凹凸への氷のめり込みが小さくなる)が故に摩擦係数が減少し一定値に近づくものと考えられる。

図5.12 海氷の摩擦係数と相対速度の関係 5-15)

なお、Amontonsの100 年後、フランスのG.Coulombは前述のAmontonsの二つの法則を確認したうえで、「動摩擦の摩擦力は、滑り速度には無関係である。」と言う法則を発見した。これはAmontons-Coulombの第三法則とも呼ばれている。

④ 氷温の影響

氷の強度(硬さ)は、鋼やコンクリートのそれと比較して小さい(軟らかい)。従って、図5.13に示すように、滑りの過程において軟らかい方の氷の接触面は、硬い方の材料の凹凸に削られる現象(せん断:Shear)と観ることができる。

図5.13 氷と材料表面間の摩擦の概念 5-4)

従って、両者間の摩擦係数(摩擦力)は、氷の強度と一方の材料の表面粗さに依存する。氷の強度は氷温の低下とともに増大することから、マイナス1.5 ℃から同9 ℃までの氷温の異なる氷供試体を用いて実験を行った結果が図5.14である。静止摩擦係数μsはすべての材料において、氷温の低下とともに増加している。一方、動摩擦係数μkは材料によって違いが見られるが、Uncoatedsteel(uncorroded)とCoated steel (INERTA160)では氷温の低下とともに増加している。

a) 静止摩擦係数

b) 動摩擦係数

図5.14 海氷の摩擦係数と氷温の関係 5-14)

a) 静止摩擦係数、b) 動摩擦係数

5) 摩擦と材料表面の粗さ

摩擦は、固体表面が互いに接しているとき、それらの間に相対運動を妨げる力(摩擦力)がはたらく現象である。氷の場合、この相対運動を妨げる力は、氷の強度と一方の材料の表面粗さに大きく依存する。図5.15はコンクリートおよび鋼の7種類の表面凹凸のプロファイルである。同一材料でも、表面処理の仕方により表面の粗さは異なることから、摩擦力を小さくするためには、材料自体の選択とともに表面の凹凸を小さくする処理が重要となる。

図5.15 海氷の摩擦実験に用いたコンクリートと鋼の表面粗さのプロファイル5-14):表面粗さが重要な因子となる。

6) 氷と材料表面間の摩擦係数の評価

これまで述べたように、海氷と構造物材料表面間の摩擦は、鉛直荷重(Normal load)、相対速度(Relativevelocity)、氷温(Ice temperature)、構造物材料の表面粗さ(Surfacetoughness)など多くの因子に影響されることから、単純に鋼、コンクリートなどの材料名で摩擦係数を規定することはできない。図5.16は佐伯博士の数年にわたる実験結果を動摩擦係数についてまとめたものである。それぞれの材料に対し、図に示すような値の範囲が得られている。数値に幅があるものの、実際の構造物の設計に際し、設計者に参考となる指標を与えるものである。

図5.16 海氷と各種材料間の動摩擦係数5-14):上からUncoated steel(uncorroded)、Concrete、Corroded steel。数年間の実験結果から大まかな指標として提示。

5.6 むすび

海氷は、雪、純氷、濃縮された海水(Brine)、空気により構成されており、かつ、純氷部分は生成過程によりGranular ice(粒状氷)とColumnarice(短冊状氷)がある。また、海氷は表層から下層へ向かって成長するため、異方性の強い材料である。ヤング率、ポアソン比、圧縮強度、せん断強度、曲げ強度などの物理的・力学的諸数値を求める場合、氷温、ひずみ速度、荷重速度、載荷重などの影響因子を理解した上で試験機を製作し、実験を行わなければならない。日本の雪氷の力学的性質に関する研究は、中谷宇吉郎博士に始まる北海道大学低温科学研究所、本項で紹介した北海道大学佐伯浩博士、岩手大学平山健一博士などにより、世界的にも先駆的な基礎研究が行われてきた。これらの成果が1980 年代の造船各社による氷海構造物の建造(第8章参照)に結びついたと言うことができる。2021 年時点で、日本の教育および研究機関での雪氷研究は縮小傾向にある。地球温暖化や北極海の海氷の減少、そして北極海航路の商業利用など、北極域が注目されている現在、日本での雪氷研究が継続的に発展することが望まれる。

解説:海氷の凍着強度の試験方法

海氷が構造物に凍着した場合、海氷が凍着破壊を起こすときに構造物に対して最大の氷力が作用する。典型的な例は「図5.4 構造物に作用する氷力の形態」に示した鉛直氷力の作用形態である。これに限らず海氷がいったん構造物に凍着した状態から海氷または構造物が動く場合、凍着による氷力が構造物に作用する。従って、摩擦係数と同様に海氷と構造物間の凍着強度は構造物の設計に重要な情報となる。下図は佐伯浩博士(北海道大学)により考案された凍着試験の3つの方法の概念図と試験写真である。海氷の凍着破壊形式はi) 押し抜き、ii) 引き抜き、およびiii)ねじりが考えられることから、図に示すようにその破壊形態を再現できる試験機を開発し、破壊形態による凍着強度の違いを比較検証する必要がある。研究の詳細は参考文献5-4)5-5)を参照願いたい。

海水の凍着強度の試験方法5-4), 5-5):凍着破壊の形態を再現する3つの方法により凍着強度を比較する。

参考・引用文献

5-1)   第一管区海上保安本部海氷情報センターホームページ, 2021 年7 月19 日閲覧,https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN1/drift_ice/knowledge/growth/growth.html.
5-2)   Schwarz, J. and W. F. Weeks (1977): “Engineering Properties of Sea Ice,” JournalofGlaciology, Vol. 19, No. 81, pp. 499-530, 1977.
5-3)   「海氷の結晶構造」, 2021 年7 月19 日閲覧,MOSIR Projectホームページ,https://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~mosir/work/2002/clione/research/souya/pub-web/structure.html.
5-4)   中澤直樹 (1991): 学位論文 “Studies on Factors Influencing the Ice Forces on Structures,”北海道大学.
5-5)   「寒冷地海岸・海洋工学の創成へ向けて 佐伯浩先生」, 佐伯 浩先生研究業績集編集委員会, 2014 年5 月.
5-6)   佐伯 浩 (1979): 「海氷と海岸・海洋構造物」, 第15回水工学に関する夏期研修会講義集Bコーステキスト.
5-7)   佐伯 浩 (1985): 「海氷の結氷機構と強度特性」, 土木学会論文集 第357号/II-3, pp.13-23, 1985 年5 月.
5-8)   「凍土の知識 -人工凍土壁の技術-」, 雪氷, 76巻2号, 日本雪氷学会誌, pp. 178-192.2014.
5-9)   Arnold-Alabieff, V. I. (1937): “The External Friction of Ice,” Journal ofTechnicalPhysics, Vol. 7, No. 8, 1937.
5-10)   Tabata, T. and K. Tsushima (1979): “Friction Measurements of Sea Ice on FlatPlatesMetals, Plastics and Coatings,” Proc., Vol. 1, The 5th POAC 79, Trondheim, August 1979.
5-11)   Tabata, T. and K. Tsushima (1981): “Friction Measurements of Sea Ice on SomePlasticsand Coatings,” Proc., Vol. 1, The 6th POAC 81, Quebec, July 1981.
5-12)   Oksanen, P. (1980): “Coefficient of Friction between Ice and Some ConstructionMaterials, Plastics and Coatings,” Laboratory of Structural Engineering, Report 7, Tech. Research ofFinland, Espoo, April 1980.
5-13)   Forland, K. A. and J. C. Tatinclaux (1984): “Laboratory Investigation of theKineticFriction Coefficient of Ice,” Proc. IAHR Ice Symposium, W. Germany, 1984.
5-14)   Saeki, H., T. Ono, N. Nakazawa, M. Sakai and S. Tanaka (1986): “The Coefficient ofFriction Between Sea Ice and Various Materials Used in Offshore Structures,” Journal of Energy ResourceandTechnology, ASME, March 1986, Vol. 108, Issue 1, pp. 65-72, 1986.

アモントンの摩擦の法則:Amontons' laws of friction

アモントン(Guillaume Amontons、1663 ~ 1705)はフランスの物理学者で、1699 年に摩擦に関する法則を発表した。これらの法則はレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardoda Vinci)によって発見されたと言われているが、その約200 年後にアモントンによって再発見されたものである。そして、さらにその100 年後、フランスのクーロン(G.Coulomb、1736 ~ 1806)が3番目の法則を発見した。

i) 摩擦力は接触面に垂直に加えられる力に比例する。(Amontons' 1st law)

ii) 摩擦力は見かけの接触面積とは無関係である。(Amontons' 2nd law)

iii) 動摩擦力はすべり速度に無関係である。(Amontons-Coulomb's law)

Leonardo da Vinci

Guillaume Amontons

Charles-Augustin deCoulomb

※写真は Wikipediaより。

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 6 氷海水槽

6.1 世界の氷海水槽

氷海域での石油・天然ガス開発では、メキシコ湾やブラジル沖とは異なり、氷や低温の影響に耐え得る仕様の施設が必要となる。また、生産された石油や天然ガスの輸送においても砕氷能力のある船舶が必要となることから、それらの研究開発のためには製氷機能と高度な実験機能を備えた大型の氷海水槽(icetankまたはicebasin)が必要となる。氷海水槽は、氷海域の氷象を供試模型の尺度に応じて再現させ、その中で氷海構造物に作用する氷荷重や氷海航行船舶の性能を試験するための実験施設である。一方、日本に比較的近いボーフォート海やオホーツク海における石油・天然ガス資源の発見は、日本の造船・重工メーカーにとって新たな海洋開発市場の出現となり、氷海用石油掘削装置や氷海航行船舶の設計および建造の国際競争力を高めるためにも、自主技術として氷海技術の研究開発を進める契機となった。

表6.1に示したのは世界の代表的な氷海水槽である。1960 年代後半からの氷海での資源を巡る経済活動の進展に伴い、旧ソビエト連邦、フィンランド、米国、カナダなど、北極海沿岸国において研究開発の動きが活発化したのに伴い、最新鋭の設備を備えた大型の氷海水槽が次々に建設された。図6.1は1978 年に設置され、多くの日本人研究者も実験を行ったUSArmyCRRELの氷海水槽である。北極海やバルト海に面する国々では多くの船舶が砕氷機能を備えなければならないことから、氷海水槽での研究が盛んに行われている。日本では、1981 年に国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所の海上技術安全研究所(旧独立行政法人海上技術研究所、以後海上技術安全研究所と言う。)、1982 年に日本鋼管(株)(現ジャパンマリンユナイテッド(株))、および1986 年に三菱重工業(株)に大型の氷海水槽が建設された。その他、石川島播磨重工業(株)(現IHI(株))や北海道大学工学部にも低温実験室が設置され、氷海工学の研究開発が進められた。2000 年代に入り、造船業で日本を抜く勢いとなった韓国や中国では、国策として北極域の資源開発や北極海航路に興味を示し、その研究開発のために氷海水槽が建設された。

図6.1 US Army CRRELの氷海水槽 6-1):多数の日本人研究者が研究を行った。

表 6.1 世界の代表的な氷海水槽

設置年

所在国

機関名

長 (m)

幅 (m)

水深 (m)

1955

USSR

北極南極研究所 (AARI)

13.4

1.85

1.10

1969

Finland

Wartsila Helsinki Shipyard

50.0

4.80

1.15

1970

USA

Arctec Inc.

18.1

2.40

1.20

1971

Germany

ハンブルグ船舶研究所(HSVA)

30.0

6.00

1.20

1974

USA

Arctec Inc.

30.5

3.66

1.52

1978

USA

陸軍工兵隊寒冷地理工学研究所(CRREL)

36.6

9.14

1.52

1980

USA

アイオワ大学

19.8

4.88

1.22

1981

三鷹市

運輸省船舶技術研究所(建設当時名称)

35.0

6.00

1.80

1982

津市

日本鋼管(株)津研究所(建設当時名称)

20.0

6.00

1.80

1983

Finland

Wartsila Helsinki Shipyard

60.0

6.00

2.30

1984

Germany

ハンブルグ船舶研究所(HSVA)

60.0

10.00

2.50

1985

Canada

National Research Council (NRC)

90.0

12.00

3.00

1986

長崎市

三菱重工業(株)長崎研究所

28.0

9.00

2.30

2006

Finland

Aker Arctic Technology Inc.

75.0

8.00

2.10

2009

Korea

韓国船舶海洋研究所(KRISO)

42.0

32.00

2.50

2014

Russia

Krylov State Research Centre

100.0

10.00

2.00

2016

China

China Ship Research Center

8.0

2.00

1.00

6.2 海上技術安全研究所の氷海水槽

海上技術安全研究所は、船舶および海洋構造物の模型実験を行うことを目的として、大型としては世界で8番目、国内では第1号となる氷海水槽施設を1981 年に建設した。氷海水槽は長さ35.0 m、幅6.0 m、水深1.8 mの試験水槽を冷凍室内に封設した施設である。完成直後から、南極観測に使用された砕氷艦「しらせ(初代)」の氷中航行性能、操舵性能、安全性などの模型試験が行われた。

図6.2は氷海水槽内部写真、図6.3は水槽および冷凍室の断面図である。水槽は冷凍室内にあり、付属の冷凍設備で室内をマイナス20 ℃に冷却することにより、水槽に氷を成長させる。冷却は天井に設置されたクーラーにより行う。水槽下部構造には地下ビットが設けられ、水槽の側部および底部に設けられた観測窓を通して、水面下での氷板の破壊状況や船首で砕氷された氷片の船体周り挙動を水中から観察できる。

図6.2 海上技術安全研究所の氷海水槽6-2)

図6.3 氷海水槽断面図6-3)

氷海水槽は、平坦な氷板中で船体模型が砕氷しつつ航走した際の推進抵抗の計測や氷板の破壊モードの観察を行うことが重要な用途である。図6.4は氷板が破壊する様子を水槽側壁の観察窓から撮影したものである。傾斜した船首により氷板が押し下げられて曲げ破壊し、砕氷片が船体の周囲を覆うように船尾方向へ流れて行くのが観察できる。砕氷形態は、船型、特に船首形状により変化するが、基本的には三日月形の砕氷片を形成しながら船舶は前進する。

図6.4 平坦氷盤中の船舶推進実験6-4)

観測窓から氷片の挙動を観察

本氷海水槽では日本で唯一、氷海中で油が流出した場合の油の回収装置に関する研究が行われている。図6.5は、氷中流出油の回収実験である。油と氷を氷・油分離装置に取り込み、装置左側から気泡を発生させることで右側の油回収部へ送りつつ油を氷から分離し、油は油回収部で回収し、氷は海へ放出するシステムである。6-4)

図6.5 氷海水槽を使った氷中流出油回収実験 6-4)

大型の水槽で油を用いた実験を行うことは、機器材に与える影響や実験後の油回収において困難が生ずることから、一般的には行われていない。しかし、本施設では、砕氷船のほか、耐氷構造物や氷中流出油対策の研究開発を行い、多くの成果を上げている。

6.3 ジャパンマリンユナイテッドの氷海水槽

ジャパンマリンユナイテッド(株)(旧日本鋼管(株)、以後JMUと言う。)は、1981 年の海上技術安全研究所に次ぐ氷海水槽を、1982 年9 月に日本の民間企業として初めて津研究所に設置した。同社は、当時すでに初代南極観測船「宗谷」の改造や「ふじ」の建造の実績があり、さらに1982 年11 月には「初代しらせ」を竣工している。当時すでに氷海での相次ぐ石油・天然ガス開発が注目される時期であったことから、氷海水槽の建設は、資源開発用構造物への進出を目指す目的でもあったと考えられる。

JMUは、流氷観光船「おーろら」(1990 年)、海上保安庁の砕氷型巡視船「てしお」(1995 年)、砕氷型多目的貨物船「UmiakI」(2006 年)、耐氷型SUEZMAXタンカー、南極観測船「しらせ」(2009 年)など6-5)、国内の氷海向け船舶を多数設計および建造した実績を有しており、それらの研究開発にこの氷海水槽が利用されてきた。このような実績から、JMUは国内随一の氷海技術保有企業と言うことができる。7章の「JOIA氷荷重研究プロジェクト」でも同社の参画のもと、この氷海水槽で実験が行われた。

図6.6は氷海水槽の施設配置図である。水槽は、図中に示す①氷槽、②トリムタンク、③融解槽などにより構成され、氷槽は長20.0 m、幅6.0 m、水深1.8 mである。⑧曳引車はラック&ピニオン方式で0.006 ~ 1.40 m/secの範囲で走行可能である。氷槽の上方約2.5 mの高さ一面に設けられた冷却機と側面のヒーターファンによって、室温は+2~-25 ℃の範囲で制御することができる。6-5)

① 氷槽

② トリムタンク

③ 融解槽

④ 計測室

⑤ 準備室

⑥ 機械室

⑦ 地下スペース

⑧曳引車

図6.6 JMU氷海水槽の施設配置6-5)

氷海船舶の砕氷抵抗など基本的な氷中性能試験では、平坦な模型氷板を用いる。図6.7に示すように、平坦氷以外の流氷や氷丘などの海氷を再現する場合には、模型氷板を破砕後、再凍結するなどの加工をして所要の自然氷の性状を作り出している。6-5)

図6.7 各種模型氷による実験6-5):海域の各種の氷象を再現して実験を行う。

6.4 三菱重工業の氷海水槽

三菱重工業(株)は、1986 年に国内三番目となる氷海水槽を長崎研究所に設置した。氷槽は長さ28.0 m、幅9.0 m、水深2.3 mである。図6.8は施設の設備配置である。この施設の特徴は、大型模型の実験にも十分な断面積(幅9.0 m、水深2.3 m)を有する氷槽と、マイナス40 ℃まで温度制御可能な大型低温実験室である。氷海水槽要目の決定にあたっては、研究の対象が資源の試掘や生産に使用される大型構造物であるとしたことから、大型模型試験が可能となるような幅広かつ水深を大きくした。水槽断面寸法は国際的に著名なハンブルグ船舶研究所(HSVA)やCRRELと同程度とし、試験データの比較検証を考慮した設計となっている。6-6)

図6.8 三菱重工氷海施設の配置6-6):右側破線囲みが氷海水槽、左側囲みが大型低温実験室。

表6.2に氷海水槽施設の主要項目を示す。氷海水槽および低温実験室における氷厚の成長速度は冷却時間にほぼ比例しており、氷海水槽の場合は3 mm /hrの結氷能力を有している。これは前出の海上技術安全研究所と同レベルである。JMUのそれは7 mm /hrである。


表6.2 三菱重工業の氷海水槽施設の主要目6-6)

施設

項目

諸元

氷海水槽

長さ

28.0 m

(結氷区間長さ)

(20.0 m)

9.0 m

深さ

2.3 m

主曳引車

長さ

6.0 m

10.0 m

速度

0.001-1.0 m/s

最大曳引力

49 N (5 t)

冷却機
氷海水槽用

スクリューコンプレッサ

70 kW, 2 sets

空気調和機

2 sets

レシプロコンプレッサ

7.5 kW, 1 set

冷却機

2.2 kW, 1 set


図6.9は円錐壁構造物に作用する氷荷重実験、図6.10は低温下におけるコンクリートの強度試験である。このように氷海水槽施設では、低温設備を利用して実験模型氷、コンクリートや鋼などの構造物材料、氷海用ペイントなどの強度実験も行われる。

図6.9 氷海資源開発構造物の実験6-7)

図6.10 低温コンクリート破壊試験6-7)

1986 年に完成し、氷海構造物、砕氷船舶、低温材料などの研究が行われ、多くの成果を挙げた氷海水槽であったが、2006 年に廃却された。

6.5 氷海水槽と模型氷

1) 模型氷の構造

氷海水槽での実験を行う場合、最も重要なもののひとつが実験に使う氷(模型氷)である。模型氷の強度や結晶構造が実験結果に大きく影響するからである。氷海水槽で一般に模型氷板と言えば、平坦氷(Levelice)を意味し、流氷(Pack ice)、乱氷帯(Hummocked ice field)、氷丘脈(Ridgedice)など、他の形態の海氷を再現する場合の元氷となる。模型氷板には図6.11の結晶偏光写真に示すように柱状構造と粒状構造があり、以下に述べるように生成方法が異なる。6-5)

- 柱状構造:氷槽室内を冷却して実海氷と同じように水面から下方へ氷を成長させる方法で、鉛直に延びた短冊状の氷の結晶が集合した柱状の構造となる。

- 粒状構造:微細な水滴を低温環境下で水面上に連続的に噴霧して積層することにより氷を作る方法で、微細な氷粒が集合した粒状の構造となる。

図6.11 氷海水槽の模型氷板の結晶構造(JMUの氷海水槽)6-5):図左が柱状構造、図右が粒状構造。

2) 模型氷と相似則、模型氷の種類

構造物に作用する氷荷重や氷盤の破壊形式など、実海氷と構造物の力学的相互作用を推定するためには、模型氷の力学的特性が相似則を満足する必要がある。

氷海水槽試験では、氷板の破壊や氷片の排除などの現象を可能な限り力学的に相似にしなければならないが、そのために模型氷板には、主なものだけでも以下の相似則が要求される。6-5)

① 氷厚、氷の曲げ強度、圧縮強度、弾性率を実海氷の1/λ(λ は実機と模型の寸法比)に近づける。

② 氷と模型表面の摩擦係数、氷のポアソン比、密度を実海氷の値に近づける。

海氷の強度は淡水氷のそれよりも小さいことから、氷海水槽で低強度の氷を作るためには、淡水に何らかの溶質を添加し、その水溶液を氷結させる必要がある。従って、氷海水槽では研究目的に合わせて尿素氷(Urea water ice)、淡水氷(Freshwaterice)、塩水氷(Salt water ice)が製作され実験が行われる。それぞれの選択には次のような特徴がある。

- 尿素氷:目的に合わせて尿素(CH2(NH2)2)を入れ1 ~ 2%濃度の尿素氷を製作する。氷の強度を調整することが可能な上に有害性がきわめて低いことから、多くの氷海水槽では尿素氷を模型氷として使用している。

- 淡水氷:淡水に添加物を加えずに結氷させることから、ほぼ均一の氷板を繰り返し製作することができる。氷と構造物との相互作用によって氷板に生じるクラック(MacrocrackやMicro clack)の発生状況がよく分かる。

- 塩水氷:氷海水槽実験初期には海氷に近い成分を求めて、塩(NaCl)を添加した塩水氷が使われたが、現在(2021 年時点)では、濃度調整や排水処理の問題から使用されることが少ない。

- その他、エチレングリコール、界面活性剤、および砂糖を溶質とする模型氷も開発されている。

6.6 むすび

1960 年代以降の氷海における石油・天然ガスの発見およびその開発と生産のための施設およびその輸送用耐氷型船舶の研究開発のために、世界各国で氷海水槽が建設された。当初はロシア、北欧諸国、ドイツ、米国、カナダなどが中心であったが、1980 年代に入り日本に3施設、さらに中国や韓国にも大規模研究施設が建設され、盛んに研究開発が行われてきた。しかし、海外の研究が継続的に行われている中、日本では1社が氷海研究から撤退し、施設として稼働しているのは2施設のみとなった。代わってアジアでは中国と韓国が造船業の隆盛に伴い、氷海研究を進めている。自国に氷海域を持つ国において研究が進められているのは当然としても、造船業に過日の勢いがないものの、流氷域のオホーツク海を有する日本、そして地球温暖化と北極海の海氷の減少に対する科学的研究が注目される中、日本の研究を維持発展することが望まれる。

なお、図6.1に示すCRRELの氷海水槽における尿素氷を用いた実験方法の確立には、平山健一博士の研究が大きく貢献し6-8)、その後のCRRELでの日本人研究者の研究滞在へと繋がった。

参考・引用文献

6-1)   Nakazawa, N. and Devinder S. Sodhi (1990): “Ice Forces on Flat, VerticalIndentorsPushed Through Floating Ice Sheets,” CRREL Special Report 90-14, May 1990.
6-2)   国立研究開発法人海上技術安全研究所ホームページ,2021 年6 月8 日閲覧,https://www.nmri.go.jp/oldpages/2/study/faci/facilities.html.
6-3)   佐々木紀幸, 泉山 耕(2008):「海上技術安全研究所の大型水槽設備 -400 m曳航水槽と氷海水槽-」, 日本マリンエンジニアリング学会誌 第43巻第5号,pp. 34-39.
6-4)   泉山 耕(2009):「氷海水槽」, 海上技術安全研究所報告 第9巻 第2号(平成21 年度)小論文, pp.103-109.
6-5)   山内 豊, 水野滋也(2008): 「氷海水槽試験技術」, ユニバーサル造船テクニカルレビュー No.2, 2008 年7 月.
6-6)   武隈克義, 藤田 考, 加用芳男(1987): 「長崎研究所氷海水槽設備」, 三菱重工技報 Vol 24, No.3 (1987-5).
6-7)   三菱重工業(株)氷海水槽パンフレット(英語版)“Conquering the FormidablePolarSea,” H310-08095, (1.0)88-6,B.
6-8)   Hirayama, K. (1983): “Properties of urea-doped ice in the CRREL test basin,”CRRELReport 83-8, March 1983.

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 7 JOIA氷荷重研究プロジェクト

7.1 プロジェクトの背景と目的

1980 年代初頭、海洋油田からの石油の生産比率は、全世界の生産量の約1 / 4に達しており、その比率は上昇する傾向にあった。生産海域は極域・大水深域に向かい、開発コストの上昇と掘削条件の悪化が余儀なくされていた。大水深域における技術開発は、既に世界的に実施されており、水深2,000 m級の海洋油ガス田の開発は現実のものとなっていた。一方、北極海に代表される氷海域での開発は、その技術的困難さにより、大水深域における開発ほどの進展はないものの、様々な技術的挑戦が行われていた。氷海域での支配的な環境因子は海氷であり、その中でも生産・掘削用構造物が海氷から受ける氷荷重の評価技術が、構造物の建造コストと安全性評価に必要不可欠であった。

氷海域においては1980 年代、北極海で移動式人工島、SSDC(Single Steel DrillingSystem)、CRI(CaissonRetained Island)など数基の氷海構造物が稼動した。これらの氷海構造物は幅80 ~ 100 mの巨大な鋼製またはコンクリートの構造物である。これらの構造物では、海氷が押し寄せる時の構造物全体に働く全体氷荷重および部分的に取り付けられた圧力パネルにより局部的な氷圧力が計測された。これらの実測された結果が、設計時に想定された全体氷荷重ならびに局部氷圧力と比較して過大に設定されていたことが多くの研究者により指摘されていた。過大に評価した理由として、当時の設計法として氷海水槽での模型実験や橋脚(図7.1)など、比較的幅の狭い構造物に作用する場合の氷荷重推定式として提案された経験式を適用していたことがある。さらに、推定式の諸係数を小型の模型実験により決定していたことや、氷と構造物の接触面積が増加するにつれて氷の欠陥率(強度が弱い箇所)が増加し、氷荷重が低下するなど、幾つかの原因が上げられていた。しかしながら、1980 年代中葉以降の石油価格の大幅な下落により、十分な研究開発が実施されないまま、経験式が構造物の設計に使用されていた。従来の手法は、実機計測結果から過大な荷重を与えることが明白であるにもかかわらず、未だに実機で計測された氷荷重を合理的に説明できる氷荷重推定法は開発されていなかった。

a) 氷海水槽での模型実験(貫入幅0.10 m)6-1)

b) 河川橋脚での氷荷重計測(幅0.61 m)7-1)

図7.1 幅寸法の小さい構造物での氷荷重測定実験

一方、1986 年、移動式人工島Molikpaq(「8.5」参照)は多年氷と遭遇し、地震のような激しい振動を経験した。その時、地盤系が液状化の危険性に晒されたと報告されている。当時、振動問題は設計時には予見されていなかった事象であったことから、合理的な推定法では、これらの振動の問題も併せて評価することが求められていた。

社団法人日本海洋開発産業協会(JOIA:Japan Ocean IndustriesAssociation)は、経済産業省の委託を受けて、1993 年から2000 年までの8 年間、「海洋構造物に作用する氷荷重研究プロジェクト」(通称JOIA氷荷重研究プロジェクト)を実施した。なお、同協会は2004 年に財団法人エンジニアリング振興協会(現一般財団法人エンジニアリング協会(ENAA))に統合され、海洋開発を担当する部署として、技術部海洋開発室となった。このプロジェクト立上げの背景としては、ボーフォート海(BeaufortSea)、バレンツ海(Barents Sea)、カラ海(Kara Sea)、カナダ東岸海域、オホーツク海など冬季(または通年)に海氷が存在する海域で石油や天然ガス資源の試掘や生産に向けた動きが活発化してきたことがある。特に日本近海のオホーツク海での大量の石油・天然ガス資源の埋蔵確認は、試掘や生産のための耐氷プラットフォームや砕氷運搬船の建造が必要となることから、日本企業の受注が見込まれた。

このような背景のもと、本プロジェクトでは以下に示す項目が主要な研究テーマとして設定された。

‒ 平板氷(模型氷)と鉛直壁および傾斜壁構造物の相互作用と氷力(氷海水槽実験)

‒ ラブルアイス(非凍結層)と鉛直壁および傾斜壁構造物の相互作用と氷力(氷海水槽実験)

‒ 氷盤と構造物の接触面における氷圧力分布と氷盤破壊モード(実海氷野外実験)

‒ 模型実験結果と実機データによる氷荷重推定方法の確立

‒ 氷海中の構造物に対する地震動の影響と動的解析

7.2 参加機関と実行組織

JOIA氷荷重研究プロジェクトには氷海技術の向上と蓄積を目的として、表7.1に示すような氷海技術に関心のある造船会社、建設会社、設計コンサルティング会社、大学、公的研究機関などが多数参加した。これほど多くの機関や企業が参加した海氷研究プロジェクトは、日本では後にも先にもこれが唯一である。研究の実施は図7.2に示すように、プロジェクトを統括する常任委員会と研究を実施するワーキンググループで構成された。1993 年からの5 年間は室内実験を行う「氷海水槽実験WG」、北海道能取湖で実験を行う「実海氷野外実験WG」、および国内外の氷工学研究を調査および氷海構造物の実機データを収集する「技術動向調査WG」により研究が進められた。プロジェクト開始5 年後の1997 年に第三者機関による中間評価が行われ、1998 年から最終年度までは、実験結果から氷荷重推定法を確立する「氷荷重WG」、氷海構造物設計マニュアルを作成する「設計技術WG」、および氷海構造物に対する地震の影響を研究する「地震基礎WG」によりプロジェクトが実施された。

図7.2 プロジェクト遂行体制(1993 ~ 2000 年)

表7.1 JOIA氷荷重研究プロジェクト参加機関名(1996 年時点の機関名)

組織名

氏名、参加機関名

委員長

佐伯 浩(北海道大学)

副委員長

平山健一(岩手大学)、兵動正幸(山口大学)

氷海水槽実験WG

日本鋼管(株)、三菱重工業(株)、石川島播磨重工業(株)

中規模野外実験WG

清水建設(株)、大成建設(株)、三井造船(株)、パシフィックコンサルタンツ(株)、

島田建設(株)

地震基礎WG

ハイテクリサーチ(株)、五洋建設(株)、(株)大崎総合研究所、

(株)三井造船昭島研究所

技術動向調査WG

(有)サカコンサルティング、(株)大林組、千代田化工建設(株)、川崎重工業(株)、東亜建設工業(株)、菱和海洋開発(株)、(株)熊谷組

委員

運輸省船舶技術研究所、サハリン石油ガス開発(株)、鹿島建設(株)、

新日本製鐵(株)、深田サルベージ建設(株)、石油公団、石油資源開発(株)、

帝国石油(株)、日本海洋掘削(株)、日立造船(株)、三井建設(株)、竹中工務店(株)

7.3 プロジェクトの実施工程と実験項目

1) 実施工程

プロジェクトの実施項目と1993 年から2000 年までの工程を表7.2に示す。氷荷重の対象は、代表的な氷形態である平坦氷(変形を受けていない平坦な海氷)とリッジ氷(氷丘、図7.3)、構造物形状では鉛直壁構造物と傾斜壁構造物である。氷形態別、構造物形状別の氷荷重の推定法を検討し、設計ガイドラインに必要な構造物設計のための荷重評価法を確立するために実験と解析、および氷荷重推定プログラムについて研究が行われ、最終的には氷海構造物設計ガイドラインとしてまとめられた。



図7.3 リッジ氷(氷丘):風や波から圧力を受けて壊れた氷が山脈状あるいは壁状となったもの。破壊して押し上げられたて山のようになった部分をSail、押し下げられて水中に固まった部分をKeelと言う。

表7.2 JOIA氷荷重研究プロジェクトの実施項目と工程(参考文献7-2)を著者編集)

1993 年はほぼ実験計画の立案に費やされた。プロジェクト前半(1993 年から1997 年)は、主に平坦氷による氷荷重の研究であった。実験を実施し、そのデータをもとに実構造物に適用できる荷重推定法の研究が行われた。1998 年からは主にリッジ氷による氷荷重の実験と荷重推定法の研究が行われた。

2) 実験項目

氷荷重に関する実験は造船4社、建設3社、設計コンサルタント2社により行われた。実験項目と担当機関を表7.3、担当機関と実験諸元を表7.4に示す。


表7.3 実験項目と担当機関

実験項目

実施機関:機関名は実施時点

実海氷野外実験

清水建設(株)、大成建設(株)、

三井造船(株)、パシフィックコンサルタンツ(株)

氷海水槽実験※

日本鋼管(株)、 三菱重工業(株)、石川島播磨重工業(株)

水槽震動台実験

ハイテクリサーチ(株)

五洋建設(株)

表7.4 氷荷重実験の担当機関と実験諸元:平坦氷と鉛直壁および傾斜壁(写真は参考文献7-2))

(機関名はプロジェクト実施時)

実験担当機関と施設および実験条件

実験状況

・ 実海氷野外実験(鉛直平面壁)

・ 清水建設(株)、大成建設(株)、三井造船(株)、パシフックコンサルタンツ(株)

・ 現地実験:北海道能取湖

・ 実験条件

 - 平坦氷:氷厚100 ~ 300 mm

 - 鉛直平面壁:幅0.6, 1.5, 3.0, 4.5, 6.0 m

 - 貫入速度:3 ~ 30 mm /sec

 - 氷の圧縮強度:1 ~ 2 MPa

北海道能取湖

鉛直平面壁の幅4.5 m

・ 鉛直平面壁・平坦氷実験

・ 日本鋼管(株)津研究所氷海水槽

 三菱重工業(株)長崎研究所氷海水槽

 石川播磨重工業(株)技術研究所温室

・ 実験条件

 – 平坦氷:氷厚40 ~ 100 mm

 – 鉛直平面壁:幅100, 400, 800, 1500 mm

 – 貫入速度:6 ~ 200 mm /sec

 – 氷の圧縮強度:50 ~ 150 kPa

津研究所氷海水槽

・ 鉛直円筒壁・平坦氷実験

・ 日本鋼管(株)津研究所氷海水槽

 三菱重工業(株)長崎研究所氷海水槽

・ 実験条件

 – 平坦氷:氷厚40 ~ 100 mm

 – 鉛直円筒壁:直径800, 1500 mm

 – 貫入速度:6 ~ 200 mm /sec

 – 氷の圧縮強度:50 ~ 150 kPa

津研究所氷海水槽

・ 円錐壁・平坦氷実験

・ 日本鋼管(株)津研究所氷海水槽

 三菱重工業(株)長崎研究所氷海水槽

 石川播磨重工業(株)技術研究所

・ 実験条件

 – 平坦氷:氷厚20 ~ 100 mm

 – 円錐壁:水面直径500, 1000, 1800 mm

 – 円錐傾斜角:45, 60, 75度

 – 氷と壁面の動摩擦係数:μ= 0.1, 0.3

 – 貫入速度:4 ~ 280 mm /sec

長崎研究所氷海水槽

・ 鉛直平面壁・リッジ氷実験

・ 日本鋼管(株)津研究所氷海水槽

・ 実験条件

 – リッジ氷:氷厚200 mm

 – 鉛直平面壁:幅800 mm

 – 貫入速度:10 ~ 100 mm /sec

津研究所氷海水槽

・ 円錐壁・リッジ氷実験

・ 三菱重工業(株)長崎研究所氷海水槽

・ 実験条件

 – リッジ氷:氷厚200 ~ 300 mm

 – 円錐壁:水面直径450 mm

 – 円錐傾斜角:60度

 – 氷と壁面の動摩擦係数:μ= 0.1, 0.3

 – 貫入速度:3 ~ 170 mm /sec

長崎研究所氷海水槽

・ 水槽振動実験

・ 五洋建設(株)技術研究所

 ハイテクリサーチ(株)

・ 実験条件

 – 水中振動台を用いた氷荷重および飽和地盤条件下における氷海構造物の模型振動実験

 – 構造物形式:重力式、重力杭併用式

五洋建設技術研究所

7.4 実海氷野外実験

プロジェクトは実海氷野外実験、構造物形状と氷の条件(平坦氷、リッジ氷)を変えた氷海水槽実験、および水槽振動実験を行うことにより、最終的には「氷荷重推定プログラム」を構築し、「氷海構造物設計ガイドライン」を作成することであった。

本項では、北海道能取湖で行われた実海氷野外実験の詳細を述べ、氷荷重推定プログラムと氷海構造物設計ガイドラインについては「7.5」で概略を紹介する。

1) 実験工程と実験サイト

氷海構造物に作用する氷荷重の研究に際し、実海氷野外実験の目的は、氷海水槽(室内)で行われる体系的・系統的な研究の成果を、より現実に近い状況で検証することである。現実に近い点とは、①実海氷を用いた貫入実験であること、②氷海水槽実験より規模の大きい実験機によることの2点である。最終的には実海氷野外実験の成果を氷海水槽実験結果および氷荷重推定の研究に統合し、氷荷重推定プログラムの信頼性と実用性の向上に繋げるものである。

実験サイトは、以下の条件を備えた北海道網走市能取湖の二見ヶ岡漁港(図7.4)が選定された。

図7.4 実海氷野外実験が行われた能取湖と二見ヶ岡漁港の位置

- 塩水湖であること

- 冬期間確実に湖面が結氷すること

- 岸壁および後背地の借用が長期間可能なこと

- 数年にわたって実施される実験に機材や人員を円滑に供給できる都市に近いこと

- 冬季交通の確保ができること

能取湖は冬季ほぼ全面結氷となり、例年2 月には最大氷厚が30 ~ 50cmほどになる。オホーツク海とは湖口により繋がっていることから塩水の湖である。実験実施期間の内、12 月と1 月は実験準備と試験氷盤(再結氷盤)の製作を行う。このため、国内沿岸で最寒冷地のオホーツク沿岸においても、実海氷実験が可能なのは2 月の1ヶ月間と短い。

2) 能取湖の実験氷と強度

実験に使用した能取湖の再凍結氷の結晶形態(2000 年2 月の実験時)を図7.5に示す。降雪の影響があることから、上部から雪(Snow)、雪混じり氷(Snowice)、粒状氷(Granularice)、および柱状氷(Columnar ice)となっている。実験の際は、上部の雪(Snow)と雪氷(Snow ice)部分を排除し、粒状氷と柱状氷の部分が所定の厚さ(300 mm 程度)となった時点で実験を実施した。実験に用いた能取湖の氷(塩水氷)は概略以下のようであった。

図7.5 能取湖の再結氷盤の氷結晶形態(2000 年2 月)7-2)

- 密度0.79 ~ 0.91 t/m3、塩分量2.0 ~ 7.7‰

- 圧縮強度1 ~ 2 MPaが主流(最大4 MPa)

- 曲げ強度(σb)と圧縮強度(σC)の関係

   σb = 0.23・σC (MPa)

- せん断強度(τ)と圧縮強度(σC)の関係

   τ = 0.36×σC (MPa)

3) 貫入実験機および荷重計測装置

貫入実験は漁港の岸壁を反力盤とし、試験氷盤に供試模型を貫入する。供試模型幅(氷盤への貫入幅)は1.5、3.0、4.5、6.0 m とした(図7.6)。4種類の幅は、1.5 m幅の貫入装置を基本ユニットとし、これを2基用意した。例えば、貫入幅を3 mとする場合は、1.5 m幅の基本ユニットの両端に0.75 mの補助パネルを装着する。これらの組み合わせにより、図7.6に示すように4.5 m幅、6.0 m幅への拡張を可能とした。

図7.6 1.5 mから6.0 mまでの貫入実験機の組合せ(平面図)7-2)

図7.7 貫入実験機全体図(数値単位:mm)7-2)

貫入ジャッキは1基100 tonfの加力容量を持ち、貫入量は最大1200 mm 、貫入速度は0.3から30 mm /sec、貫入中の位置制御精度は油圧サーボ制御の採用により設定値±1.5 mm とし、氷力の変動にほとんど影響されない。貫入剛性はジャッキと供試模型の間に皿バネを挿入することにより変更可能とした。図7.7に貫入実験機全体図を示す。

氷盤貫入時の全氷力は、ジャッキ先端と供試模型の間に設置したロードセル(100 tonf Load Cell)により計測された。氷盤と貫入装置の接触面における横方向の局部氷荷重分布は、幅10cm、高さ40 cmの受圧板(分割パネル)を持つロードセル群により計測された。

氷圧力分布は、厚さ0.2 mm 、縦220 mm 、幅220 mm の2次元圧力パネルセンサーを所定の幅に複数設置することにより計測した。一枚のパネルは縦44 個×横44 個、計1,936 個の受圧面で構成されている。最も速い計測時間間隔は127回/秒であるため、氷盤破壊のような比較的高速な破壊挙動にも対応できる。図7.8に供試模型前面の分割パネルと2次元圧力パネルセンサーを示す。

図7.8 供試模型前面の分割パネルと2次元圧力パネルセンサー7-2)

2次元圧力パネルセンサーを氷盤貫入試験に使用したのは本研究が世界初であると考えられる。これによって氷盤と貫入装置の接触面における圧力が2次元で計測できると共に、氷圧分布の連続的な変化を3次元動画で明らかにすることができた。

4) 氷荷重の時系列

氷盤と貫入装置の接触面における全体氷荷重と経過時間の関係を図7.9に示す。接触直後から氷荷重は増大し、接触面積がほぼ最大に達した段階で初期氷荷重(約120kN)が出現し、その後はそれを超えることのない氷荷重が継続する。これは最初の氷盤破壊(最大氷荷重)以降は、貫入装置は前面の既に破壊された氷盤を連続的に貫入して行くことによる。

図7.9 氷盤貫入実験における全体氷荷重の経時変化7-2):貫入初期に最大氷荷重が出現し、その後初期氷荷重を超えることがない継続氷荷重となる。

互いに隣り合う1 Fz~4 Fzの4枚の分割パネルの局部氷荷重の経時変化を図7.10に示す。1 Fzから4Fzの局部氷荷重は、一見類似しているものの荷重値の経時変化は独立している。これは図7.11に示すように、貫入面と氷盤の接触面において複数の小規規な破壊領域が独立して発生していることを示唆している。そして、その破壊形式は、図7.12に示すように、接触面における氷盤上下の剥離破壊(spalling failure)と氷盤水平方向に面的に発生するcleavage crackが卓越している。

図7.10 氷盤貫入実験における局部氷荷重の経時変化7-2):パネル(1 Fz~4Fz)の初期氷荷重の発生は同時であるが、その後の荷重のピークは必ずしも一致しておらず独立している。

図7.11 貫入面と氷盤の接触面における独立破壊領域(平面図)7-2)

図7.12 脆性破壊時の氷盤の破壊形式(断面図)7-2)

5) 2次元圧力パネルセンサーによる氷圧力分布

供試模型前面に取り付けられた2次元圧力パネルセンサーにより、貫入継続中の供試模型と氷盤の真の接触面と接触面における氷圧力分布を計測し、更にコンピュータモニター上で氷圧力分布の時系列変化を3次元動画で観察することが可能となった。一枚の氷圧力センサーは44列44行の格子点(面積は5.4 ×5.4 mm )を持ち、この格子点により圧力が計測される。

供試模型の幅1.5 m、図7.13に貫入速度0.3 mm /sec、氷厚186 mm 、図7.14にそれぞれ3.0 mm /sec、241 mm で行われた実験の氷荷重の時系列と、幾つかの経時点における3次元表示による氷圧力分布を示す。

図7.13に示す貫入速度0.3 mm /secの場合、貫入開始と共に氷盤と供試模型の接触面積が徐々に増加し、氷荷重も増加して行く(図中a,b)。氷荷重が最大となる付近で接触面積も最大となり、ほぼ等分布の氷圧力分布(面状載荷)が見られる(図中c)。その後、氷盤のクリープ破壊によるバックリング(座屈)により圧力分布は下方に移動する(図中d)。この様に貫入速度が遅く氷盤が延性破壊(ductile failure)の性状を示す場合は、最大荷重時において接触面積が大きい等分布荷重が現れる。

図7.13 貫入速度0.3 mm /secでの氷荷重の時系列と2次元圧力パネルセンサーの氷圧力分布7-2)

図7.14 貫入速度3.0 mm /secでの氷荷重の時系列と2次元圧力パネルセンサーの氷圧力分布7-2)

これに対し図7.14に示す貫入速度3.0 mm /sの場合は、接触初期から氷荷重は急速に増加し、最大時には接触面積も大きくなるものの、氷圧力分布は等分布の性状とは異なりノコギリ状となっている(図中e, f )。荷重最大値後に氷盤は破壊し、氷盤には水平方向に平面的に成長するcleavage crackが発生する(図中g)。初期破壊後の氷盤の継続的な連続破壊では剥離破壊が見られ、氷盤と貫入供試模型の接触は横方向に直線的に現れる(図中h)。これはJoensuu and Riska7-3)により観察された'line-like'contact(線状載荷)と同様の氷荷重作用形態と考えられる。このline-like contactは接触面鉛直方向のほぼ中央に現れるものの、氷圧力分布は一定せず、そのピーク値は水平方向にランダムに移動し、且つ非同時に発生する。この様に貫入速度が比較的速く、氷盤が脆性破壊(brittlefailure)の性状を示す場合は、直線的な氷盤接触と氷盤破壊の非同時性が現れることが示された。

6) まとめ

実海氷野外実験で2次元圧力パネルセンサーを用いたことにより、構造物と氷盤の接触面における圧力分布を時系列で明らかにすることが可能となった。氷盤の脆性破壊では氷厚中心部の水平な線上載荷、延性破壊では面状載荷となった。これは野外実験であることにより、室内実験よりも厚さの大きい氷盤(最大約400 mm )を使うことができたこと、1.5 m幅の貫入供試体前面に比較的大きな面積の2次元圧力パネルセンサーを装着できたことが大きな要因であった。

7.5 氷海水槽実験と氷荷重推定プログラム

1) プログラム開発までの流れ

氷海域に設置される構造物に作用する氷荷重を合理的に推定し、設計に役立てることを目的として、氷海水槽での実験的研究および氷荷重推定プログラムの開発が行われた。1993 年からの研究項目を以下に示す。

- 氷海水槽における模型貫入試験(四角柱と円柱の模型によるスケール影響の調査):1993 年度(図7.15 a))

- 氷海水槽における模型貫入試験(氷荷重に対する構造物の剛性影響の調査):1994 年度(図7.15 b))

- 氷荷重推定プログラムの開発:1994 ~ 1997 年度

- 氷荷重推定プログラムの検証:1997 ~ 2000 年度

- 実機氷荷重の評価:1999 ~ 2000 年度

- 氷海水槽におけるリッジ荷重の調査:1998 ~ 2000 年度

- リッジ荷重推定法の提案:2000 年度

図7.15に模型貫入試験機の概念図、図7.16に氷海水槽実験と氷荷重推定プログラム構築の流れを示す。同プログラムはプロジェクト初期に構築され、氷海水槽実験と実海氷野外実験のデータ、および実際に氷海に設置された実機掘削装置のデータにより検証が行われた。

a) 模型貫入試験機(四角柱と円柱の模型によるスケール影響の調査)の概念図

b) 剛性影響試験機の概念図:Diskspringにより構造体の剛性を変えることができる。

図7.15 氷海水槽実験機の概念図7-2)

図7.16 氷海水槽実験と氷荷重推定プログラム構築の流れ7-2)

2) 氷荷重推定プログラム

i) 入力と出力

氷荷重推定プログラムの入出力フローの概要を図7.17示す。プログラムは入力部、計算部、および出力部に大別される。プログラムでは、構造物の特性、氷盤特性、および地盤特性を入力することにより、構造応答、局部/全体氷荷重、構造基部荷重等を時系列として出力する。また、同プログラムは、破壊のフェーズ、局部荷重の変化、構造応答を可視的に示すためのアニメーション出力機能、さらに地震と氷力同時作用時の構造物の動的応答、複合荷重の算定のための地震波入力機能を備えている。

図7.17 氷荷重推定プログラムの入出力フロー7-2)

ii) 解析対象

プログラムは鉛直壁構造物を対象とし、水線面形状としては、四角柱、円柱、任意形状に対応する。多脚柱構造物については、最大4脚まで構造物に対応することができる。ただし多脚柱の場合、氷荷重の算定には脚柱間の相互の影響は考慮されない。

プログラムは、NASTRANで解析されたモード形状を取り込み、内部では全体の複雑な形状は認識されない。氷荷重を計算するためには水線面形状のみが重要となる。図7.18に氷荷重推定プログラムの対象構造物を示す。

図7.18 氷荷重推定プログラムの対象構造物(水線面形状)7-2)

iii) 解析モデル

計算手法はフィンランドのVTT(Technical Research Centre of Finland)で開発された「構造物-氷盤-地盤の連成挙動解析プログラム PSSII 2.0(1995)」をベースにして、局部氷盤破壊モデルの改良を行ったものである。

7.6 氷海域における地震基礎研究

1) 氷海域での地震影響

氷海域の中ではオホーツク海が地震地帯であるが、このような海域に建設される海洋構造物には氷荷重とともに地震荷重が作用する。オホーツク海の結氷期間は地球温暖化の影響もあり年々減少しているが、冬季に氷荷重と地震荷重が重複して作用する確率は依然として存在する。サハリンには多数の活断層が南北に縦走しており、特にこれらの活断層に隣接している東部沿岸海域に建設する石油生産施設は、海氷の影響を考慮した耐震設計とする必要がある。

氷海構造物に作用する氷荷重と地震荷重の複合荷重は、従来から設計者を悩ませて来た問題であった。すなわち、以下の選択肢である。

① 設計地震荷重および設計氷荷重(再現期間100 年をもとに設定した設計地震荷重と設計氷荷重を合算)

② 設計地震荷重または設計氷荷重のいずれか大なる荷重で設計

③ 設計地震荷重および設計地震荷重発生時に推定される氷象に基づく氷荷重(平均年間最大氷厚に基づく氷荷重)

同時発生確率が極めて低い①は常識的に考えられない選択肢であるが、設計地震荷重または設計氷荷重の何れか大なる荷重という②は設計者が選択してきた設計方針であり、API(米国)やCSA(カナダ)の規準でもそのようになっている。しかし、海氷が存在する冬季に地震が発生する確率が存在する以上、そのときの設計氷荷重は100 年確率の氷荷重(例えば氷厚2 mに基づく荷重)ではないが、年間最大氷厚(例えば、氷厚1 mに基づく荷重)であろうと想定することができる。そこで、本研究では複合荷重Fとして以下の式が提案された。

【設計地震荷重】>>【設計氷荷重】の海域においては②の選択、或いは③においてεi =1の設定で設計地震荷重のみを考慮することは許容される。しかし、何れかの大なる荷重の選択の合理性、或いは安全性への影響が不明確であることが本調査研究の出発点になっている。

このような背景の元、1996 年からオホーツク海域を対象として氷海構造物への地震影響の研究が以下の手順で行われた。

i) 氷海用石油生産施設の設計条件の設定

ii) 概念設計による研究対象の氷海構造物の設定

iii) 氷海構造物の構造形式として、鉛直壁構造と傾斜壁構造、そして重力式および重力杭併用式構造を選択

iv) オホーツク海の地震および海氷の状況調査

v) 地震荷重および氷荷重の把握

vi) 構造物の支持地盤の解析、部材耐力の解析

vii) 構造物-地盤-海水-海氷の連成振動解析モデルおよび解析手法の確立

viii) 大型氷海振動水槽と大型水中振動台による実証実験の実施

ix) 研究成果を「耐震設計ガイドライン」へ集約

2) 地震影響のための設定条件

検討のために設定された主な項目を表7.5、重力式鉛直壁構造物の地震時氷荷重連成振動モデルを図7.19に示す。

図7.19 地盤に対して剛性が非常に高い重力式鉛直壁構造物の地震時氷荷重連成振動モデル7-2)

表7.5 地震影響のために設定された主な項目

構造物条件

構造形式

鉛直壁、傾斜壁

基礎形式

重力式、重力杭併用式

海象氷象条件

水深

30 m

氷厚

平坦氷2 m

地震水平震度

0.2

海底地盤

砂質土

地震入力動

弾性設計用

レベルI 0.2 G

弾塑性設計用

レベルII 0.6 G

加振周波数

0.7 Hz

解析手法

NKK-VTTモデルを改良

3) 氷海域耐震設計マニュアル

氷海域に設置される構造物への地震影響は、振動実験と解析により行われ、それらの知見が以下に示す「耐震設計マニュアル」としてまとめられた。諸条件の設定のための海域は地震地帯であるオホーツク海としたが、地震の影響がある氷海での構造物設計のための初めてのマニュアルとなったことの意義は大きいものであった。

第1章 総則

1.1 目的

1.2 適用範囲

 1.2.1 適用海域

 1.2.2 構造形式

1.3 関連指針・基準等

第2章 設計方針

2.1 耐震設計の考え方

 2.1.1 強度設計(弾性設計)

 2.1.2 靭性設計(弾塑性設計)

2.2 限界状態設計法

2.3 設計フロー

第3章 設計条件

3.1 機能条件

3.2 自然環境条件

 3.2.1 地震

 3.2.2 海氷

 3.2.3 海底地盤

第4章 地震荷重

4.1 海氷下の地震荷重

 4.1.1 定着氷盤における地震荷重

 4.1.2 移動氷盤における地震荷重

 4.1.3 堆積氷における地震荷重

4.2 地震による動水圧

 4.2.1 動水圧に対する海氷の影響

 4.2.2 動水圧の計算方法

第5章 安定性及び耐力

5.1 安定性

 5.1.1 構造物の安定性

 5.1.2 基礎地盤の安定性

5.2 構造耐力

 5.2.1 部材の耐力

 5.2.2 構造物の耐力

5.3 上載装置・配管類の耐震

5.4 構造物の使用性能

第6章 地震挙動解析

6.1 地震による海氷-海水-構造物-地盤の連成振動

 6.1.1 解析モデル

 6.1.2 諸特性及び諸係数

6.2 海氷-海水-構造物-地盤の連成振動実験

第7章 構造計算(断面設計)

7.1 安全照査式

7.2 断面力計算

第8章 安全性評価

8.1 破壊モード及び破壊確率

8.2 氷海構造物の信頼性

7.7 氷海構造物設計ガイドライン

JOIA氷荷重研究プロジェクトの研究成果を総括的にまとめたのが「氷海構造物設計ガイドライン」である。目次を以下に示す。氷海構造物の設計に際して、自然環境荷重(風荷重、波荷重、流れによる荷重、地震荷重、氷荷重)を算定できる手引きを提示したものである。

第1章 序

1.1 組織(JOIA設計技術WGの活動成果)

1.2 基本的考え方

1.3 適用範囲

第2章 定義

2.1 定義

第3章 環境条件

3.1 気象

3.2 風

 3.2.1 基本的考え方

 3.2.2 風速

 3.2.3 サハリン沿岸域におけるデータ

3.3 波

 3.3.1 基本的考え方

 3.3.2 波浪の表現

 3.3.3 波浪データの取得

 3.3.4 設計波浪の決め方

3.4 流れ及び潮位

 3.4.1 流れ

 3.4.2 潮位

3.5 氷象

 3.5.1 氷海域 

 3.5.2 氷象の形状

 3.5.3 氷象の強度

3.6 地震

 3.6.1 基本的考え方

 3.6.2 地震危険度の評価

 3.6.3 地震動の評価

第4章 環境荷重

4.1 一般

 4.1.1 常時荷重

 4.1.2 作業時荷重

 4.1.3 事故荷重

 4.1.4 環境荷重

4.2 環境荷重

 4.2.1 風荷重

 4.2.2 波荷重

 4.2.3 流れの荷重

 4.2.4 地震荷重

 4.2.5 氷荷重

 4.2.6 地震荷重への氷-構造物相互作用の影響

第5章 荷重の特性値

5.1 荷重の特性値

 5.1.1 風荷重 5.1.2 波荷重

 5.1.3 潮流荷重

 5.1.4 地震荷重

 5.1.5 全体氷荷重

 5.1.6 局部氷荷重(P-A curve)

5.2 荷重の組み合わせ及び荷重係数

第6章 計算例

6.1 計算例で取り上げた構造物

6.2 風荷重

6.3 流れの荷重(流れによる流体力)

 6.3.1 重力式鉛直壁構造物

 6.3.2 重力式傾斜壁構造物

 6.3.3 重力-杭併用式鉛直壁構造物

6.4 波浪荷重

 6.4.1 設計条件

 6.4.2 波浪解析

 6.4.3 不規則波による波力の計算

 6.4.4 計算結果

6.5 氷荷重

 6.5.1 氷荷重算定の手順

 6.5.2 氷荷重算定式の選択

 6.5.3 対象となる海域における氷象条件に対する確率密度関数の設定

 6.5.4 氷荷重の確率分布(累積相対頻度)

 6.5.5 氷荷重の特性値

 6.5.6 氷荷重の特性値に関するコメント

Appendix 

Appendix A 現存する指針等の概要

Appendix B 代表的な波スペクトル

Appendix C リッジ諸元の統計的性質

Appendix D 平坦氷の強度(参照強度)

Appendix E Molikpaq実測値による既存氷荷重推定式の評価

Appendix F 傾斜構造物に対する平坦氷荷重推定式のレビュー

Appendix G キール(非固結層)荷重の算定法に関するレビュー

Appendix H 重力・杭併用式鉛直壁構造物の連成振動応答解析

Appendix I 地震荷重と氷荷重の同時生起確率に関する検討

Appendix J 再現期間に関する基準等のレビュー

Appendix K リッジ遭遇確率の算定法

Appendix L 提案したP-Aカーブの導出

7.8 むすび

1993 年に始まったプロジェクトは2000 年に終了した。技術調査に始まり、実海氷野外実験、氷海水槽実験、および地震影響実験の実施、氷荷重推定プログラムの構築、そして氷海域耐震設計マニュアルと氷海構造物設計ガイドラインの作成まで、約50の研究機関と企業(オブザーバー参加を含む)、100名を優に超える研究者と技術者が参加した過去に例を見ない氷工学研究のプロジェクトであった。プロジェクト初年度から国内外で注目され、海外からも氷研究者が実験やデータ解析に参加した。実験手法、解析手法、積極的なデータの公表など高い評価を得た結果が国際基準であるISO19906(Petroleumand natural gas industries - Arctic offshorestructures、石油及び天然ガス工業-北極海オフショア構造物設計指針)策定への日本の参加へと繋がり、プロジェクトの研究成果が基準に反映されるに至った功績は大きいものであった。

しかしながら、プロジェクトが終了した2000 年以降、氷海構造物の建造や氷海域でのインフラ建設への日本企業の貢献は、当初の見込みには至らない残念な結果となった。

技術的研究開発の面からは、本プロジェクトの最終目的は、氷海構造物に作用する氷荷重を合理的に推定する手法を確立し、その開発された手法を用いて、氷海構造物の設計と建造技術を確立することであった。開発された氷荷重の推定手法は、氷盤の破壊による氷荷重発生の動的性質を考慮した構造物-基礎地盤連成系を視野に入れたものであり、変動する荷重を受ける着底型建造物の挙動解析に応用が可能となるものであった。

まとめとしてJOIA氷荷重研究プロジェクトの全体系統図を図7.20に示す。

参考・引用文献

7-1)   Sodhi, D.S., K. Kato and F.D.Haynes (1983): “Ice force measurements on a bridgepierin the Ottauquechee River, Vermont,” CRREL Report 83-32, December 1983.
7-2)   平成5 年度~同12 年度「海洋石油開発技術調査 極限海域における海洋構造物の基礎調査研究 海洋構造物に及ぼす氷荷重に関する研究」成果報告書,(社)日本海洋開発産業協会.
7-3)   Joensuu, A. and Riska, K. (1989): “Contact between ice and a structure,”Otaniemi,Helsinki University of Technology, Laboratory of Naval Architecture and Marine Engineering.

解説:海外への研究成果の公表

プロジェクトの研究成果は積極的に国内外に発表された。実験が軌道に乗り解析が進み始めた1997 年からの論文発表数を下表に示す。国外では主に下記のシンポジウムで定期的に公表された。特にISOPEはJOIAプロジェクトに注目し、毎年”JOIA Ice ResearchSession”を開設し、海外の研究者がJOIAプロジェクトの成果を継続的に議論する場となった。

• International Society of Offshore andPolar Engineering Conference (ISOPE)

• International Association forHydro-Environment Engineering and Research (IAHR)

 - IAHR International Symposium on Ice

• International Union of TheoreticalandApplied Mechanics Conference (IUTAM)

また、ダートマス大学(米国Dartmouth College)やCRREL(米国陸軍寒冷地理工学研究所)とのJointSeminarの開催、網走での実海氷野外実験サイトでの海外研究者への公開実験の開催など、研究成果の積極的な公表がISO19906(Petroleum and natural gas industries -Arctic offshore structures、石油及び天然ガス工業-北極海オフショア構造物設計指針)の作成への日本の参加へと結びついたのである。

JOIA氷荷重プロジェクトの国内外学会での論文発表数

1994

1995

1996

1997

1998

1999

2000

2001

合計

国際学会

5

8

19

9

11

11

63

国内学会

1

5

10

6

3

11

4

40

合計

1

5

15

14

22

20

15

11

103

ISOPE JOIA Ice Research Session in 2000

JOIA-DartmouthCollege Joint Seminar

 JOIA-CRREL Joint Seminar

 実海氷野外実験サイトでの公開実験(能取湖)

(写真提供:黒川 明 氏)

図7.20 JOIA氷荷重研究プロジェクトの全体系統図

図7.21 JOIA氷荷重研究プロジェクトの全体系統図(図7.20の続き)

プロジェクトに参加した人々

JOIA氷荷重研究プロジェクト(1993 ~ 2000 年度)には約50の研究機関と企業(オブザーバー参加を含む)、携わった研究者と技術者は優に100名を超える大プロジェクトであった。2018 年10 月、プロジェクト同窓会が開催された。佐伯 浩委員長(プロジェクト実施時北海道大学教授)、平山健一副委員長(同岩手大学教授)、兵藤正幸副委員長(同山口大学教授)、米国からDevinder Sodhi博士ら23名が集う会となった。

2021 年時点でプロジェクトに参加した人々の多くはすでに現役を退いている。日本では大学や研究機関で雪氷に関する工学的な教育が少なくなり、企業においては氷海技術への関与が後退している。地球温暖化による北極海の海氷の減少、それに伴う北極海航路の出現、石油・天然ガス資源の開発、そして北極海沿岸国や中国および韓国による北極域へのビジネス進出の中、日本の氷工学研究の再興を願う。

JOIA氷荷重研究プロジェクトに参加した人々(2018 年10 月に23名が参加したプロジェクト同窓会)

(写真提供:赤川 敏 氏)

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 8 氷海構造物

8.1 氷海構造物の形式

本項で言う氷海構造物とは、氷海域の洋上に設置される、主に石油・天然ガスの開発に使われる施設である。図8.1は氷海構造物の大まかな分類である。氷海上で稼働する施設は、資源の開発や輸送はもちろんのこと、安全性を確保するものでなければならない。このような観点から、水深、氷厚や氷の移動速度などの氷象条件、氷山の存在の有無、建造場所から設置場所までの距離、そして経済性などを考慮して構造物の形式が決定される。基本的には、人工島(Artificialisland)、着底構造物(Bottom-mounted Structure)、浮体構造物(Floating structure)に分類される。

図8.1 氷海構造物の形式:概略的に人工島、着底構造物、および浮体構造物に分類される。5-4)

人工島は、主に水深の小さい(15 m程度まで)沿岸域に設置される。海底から砂利(gravel,、sand)を積み上げて島のように形成した構造物であることから、氷力に対しては大きな抵抗力を持つものの、大量の砂利を必要とする。

着底構造物は、大きく杭式と重力式に分けられる。水深、海底地盤の状況、氷力の大きさなどを考慮して最も適した形式が選択される。重力式の場合、水深が大きくなると安定性を確保するために基礎形状が大きくなる場合がある。

浮体構造物は、水深が大きい沖合に設置される場合が多い。他の構造形式に比べて移動が可能なことから、開発が終了した海域からの移動が可能であることが利点とされる。船型の場合、氷山からの緊急避難が可能な構造とすることができる。

8.2 ボーフォート海の石油・天然ガス

1960 年代後半に北極海のボーフォート海(Beaufort Sea)に面するアラスカ・カナダ北端のノースロープ(NorthSlope、図8.2)で化石資源が発見されて以来、北極圏での石油・天然ガス資源の探査と開発が行われるようになった。1970 年代から80 年代には、米国とカナダのボーフォート海で140以上の探鉱が行われた。図8.3はカナダ側ボーフォート海の石油・天然ガス開発鉱区である。 

図8.2 アラスカおよびカナダ北端のノースロープとボーフォート海(点線枠は図8.3の地域を示す。)

図8.3 1970 年代から80 年代におけるカナダ北端のノースロープとボーフォート海での石油・天然ガスの探鉱地点8-1)(図8.2の点線地域)

当初、陸域だけで行われたが、次第に海域にもおよび、点在する島を利用し、またはごく浅い海域では近隣の陸域からの土砂の運搬、および浚渫土砂を使った埋め立て土盛により人工島を造成し、そこから試掘を行った。この場合の氷象は、岸や浅瀬に凍り付いて動かない定着氷(landfastice)や一冬で融けてなくなる一年氷(first-yearice)である場合が多いことから、移動氷板による氷力は比較的小さなものであった。開発海域が沖合に出るに従って水深が増大し、かつ海氷(流氷)の状況も厳しくなることから、図8.1に示すような各種の構造形式が考えられるようになった。構造形式の選定にあたっては、陸域から構造物設置海域までの距離、設置海域の水深、投入土砂量、氷厚、氷の移動量、氷山の有無、結氷期間などにより総合的に評価された。

8.3 氷海構造物の移り変わり

1) 土盛式人工島

1970 年代、浅海域では土盛式人工島が建設された。設置周辺海域の海底地盤から浚渫した砂利や陸域から運搬した砂利を海底地盤上に土盛りすることにより、探鉱のための諸施設を設置した。水深はせいぜい十数メートルまでが限度であった。しかし、水深が大きくなるにつれ、大量の砂利が必要なこと、その入手が困難なこと、厳しい自然環境下での現地工事が長期化すること、土砂の採取と海中投入による環境破壊を伴うことなどの不都合が生じた。さらには移動(移設)できないことから、その都度、人工島の建設が必要となり、コスト高となることなどが問題となった。図8.4はカナダ沖ボーフォート海に設置された土盛式人工島である。

図8.4 1970 年代後半にボーフォート海に建設された土盛式人工島8-1):写真は波浪や海氷による外力に対してサンドバックで周辺を保護する構造である。

2) 浮体式ドリルシップ(Floating Drillship)

1970 年代半ばには、土盛式人工島では対応できない水深の海域のために、浮体式のドリルシップが開発された。

図8.5はカナダのDome Petroleum社が夏季のボーフォート海に配備したドリルシップである。係留索により固定されているため船の向きを変えることができないことから、移動氷板の衝突に対する対応が困難である。従って、氷の影響を最小限に抑えるために、ドリルシップの周辺の氷をサポート船により破壊・除去する必要がある。しかし、この構造により水深60 m程度までの探鉱が可能となった。

図8.5 浮体式船型ドリルシップ 8-1):氷の影響を軽減するためにサポート船が必要。

図8.6は1983 年に建造された逆コーン型の浮体構造の ”Kulluk”である。設計はGulf Canada Resources社、建造は三井造船(株)である。衝突した氷板を下向きに曲げ破壊する構造形式である。これにより冬の初期まで稼働が可能となった。構造は「8.7 Kulluk」で詳述する。

図8.6 逆コーン型の浮体構造のKulluk 8-1):建造は三井造船(株)。

3) ケーソン式人工島(Caisson Structure)

前述の土盛式人工島は、通年稼働が可能であるが水深十数メートルまでの浅海域に限られることや投入土砂の経済性の問題があった。浮体式ドリルシップは、水深がより大きい海域には設置できたものの、氷厚や氷力などの海氷条件が厳しくない期間のみで、通年稼働が難しいことが問題であった。

1980 年代に入ると特殊ケーソン構造の人工島が登場する。これにより、より水深が大きく、かつ氷の条件の厳しい冬季を含め通年稼働が可能となった。以下に代表的な5タイプの特殊ケーソン構造物、表8.1にそれらの諸元を示す。

① Tarsiut Caisson

② Single Steel Drilling Caisson (SSDC)

③ Caisson-Retained Island (CRI)

④ Molikpaq

⑤ Super CIDS

表8.1 1980 年代からボーフォート海で活躍したケーソン式人工島(参考文献8-1)に著者編集と追記)

構造物名称

① Tarsiut

② SSDC

③ CRI

④ Molikpaq

⑤ Super CIDS

年稼働日数

365

365

365

365

365

底盤面積 m2

7,947

18,590

10,875

12,383

8,551

耐波高 m

12

12.2

15

12.2

5.2

耐平坦氷厚 m

5.6

10

3

10

2

設計氷荷重 MN

560

900

436

640

640

設計氷圧力 MPa

4.1

8.3

0.7

2.3

2.3

所有会社

DOME

DOME

ESSO

GULF Oil

Global Marine

日本の建造会社

日立造船(株)

旧石川島播磨

重工業(株)

旧日本鋼管(株)

8.4 SSDC(鋼製掘削用ケーソン)

1) 原油タンカーから氷海用石油掘削リグへ

SSDCとはSingle steel drilling caissonの略である。1982 年に日立造船(株)により建造(正確には改造)され、ボーフォート海で活躍した石油掘削リグである(図8.7)。元々は、1972 年に川崎重工業(株)坂出造船所で建造された原油タンカー”Ujigawa Maru” (最大積載量232千トン、全長320 m)であったが、Canadian MarineDrilling社が取得し”World Saga”と改名、1983 年4 月に日立造船(株)堺造船所で原油タンカーから氷海用石油掘削リグに改造された(図8.8)。全長320 mの船体は切断され、船尾側の二分の一が耐氷のため7,000トンの鋼材と13,000トンのコンクリートにより船体壁厚が内側に1 m耐氷補強された。補強された船体上には油井やぐら、クレーン、ヘリポート、居住施設など約4,000トンのトップサイドが搭載され、氷海用掘削リグとして生まれ変わった。船首側の二分の一はスクラップとなった。

図8.7 1980 年代中頃からボーフォート海で探鉱に活躍したSSDC8-1)

図8.8 SSDCとMATの寸法諸元8-1):1972 年に川崎重工業が建造した原油タンカーを日立造船で切断・補強し氷海用石油掘削リグに改造した。

”World Saga”は氷海用掘削リグ”SSDC”と命名され、1983 年8 月から2000 年代初期までボーフォート海で活躍した。SSDCの誕生により、水深30 m程度の氷海域での通年稼働が可能となった。SSDCは米国船級協会(American Bureau of Shipping)によりMODU(Mobile Offshore DrillingUnit)に船級登録された。改造設計は米国企業であったが、タンカーを氷海掘削リグへ改造するという日立造船(株)のscrap andbuild技術の工学的・技術的意義は大きいものであった。

2) 潜水型バージ ”MAT”

図8.9は1986 年に日立造船(株)でSSDC用に建造された潜水型バージ(Submersiblebarge)“MAT”である。鋼製層を高密度ウレタンで接着させた新しい構造である。従来はSSDCを設置する場合、海底地盤を掘削成形、またはbermと呼ばれる盛り土のような地盤形成をしなければならなかったが、MATを海底に設置することにより、海底地盤作業が大幅に削減されると共に、移動氷盤からの氷力に対する抵抗力が向上したことから、通年の稼働が可能となった。図8.10にMATとSSDC設置の概念図を示す。

図8.9 SSDC用に建造された潜水型バージMAT8-1) :鋼製層を高密度ウレタンで接着させた新しい構造。

図8.10 氷海でのMAT/SSDCの概要図8-1):海底地盤作業が大幅に削減されると共に、流氷からの氷力に対する抵抗力が向上した。

8.5 Molikpaq(移動式人工島)

1) 世界初の移動式人工島

氷海での資源開発のための構造物は、1970 年代において、浅海域(水深0~十数m)では土盛式人工島や氷板上に海水をスプレーすることにより人工的に氷の地盤を形成するアイスアイランド(IceIsland)が構築された。その後、沖合展開が可能な浮体式ドリルシップが登場したものの、より深い海域での係留と氷力への耐性に対する問題があったため、通年稼働ができなかった。そこで、1980 年代に入り登場するのが前出のSSDCと特殊ケーソン構造の移動式人工島である。ケーソン方式は、人工島の内部に土砂を投入し、この土砂のせん断により氷力に抵抗して人工島を海底地盤に保持しようとするものである。

“Molikpaq”は特殊ケーソン構造の人工島で、ボーフォート海での冬季の氷荷重条件にも耐え得る通年稼働が可能な世界で最初の鋼製石油掘削用着底式氷海構造物である。Gulf Canada ResourceInc.が発注、IHI(株)愛知工場で八角形ドーナツ状の鋼製ケーソンと鋼製箱型デッキを製作、トップサイドモジュールはカナダで製作され、IHI愛知工場へ輸送された後、据え付け、相互の結合などが行われた。1984 年に竣工し、同年ボーフォート海に曳航され、同海の数鉱区で稼働した(図8.11)。

図8.11 カナダボーフォート海で衝突する海氷の中で稼働するMolikpaq 8-2)

2) Molikpaqの移動と据付け

Molikpaqは大きく分けると下部から、人工島を形作る鋼製ケーソン部、デッキ部、トップサイドモジュール部により構成されている(図8-12)。ドーナツ状のケーソンの内部はバラストタンクになっており、約85000tonのバラスト容量がある。掘削現場に着底後、バラスト水を注入して基礎ならし済みの海底地盤に着底し、鋼製ケーソンの囲まれた中空部に砂を入れて移動氷盤からの水平力に抵抗する。別の地点へ移動する場合は、内部の砂の一部を排除し、バラストタンクからバラスト水を抜いて浮上させ曳航移動する。このように移動が可能なことから、高い稼働率で石油開発を行うことができる。図8.13に移動と据付けの概念を示す。

図8.12 Molikpaqの正面図8-3):下部構造から、人工島を形作る鋼製ケーソン部、デッキ部、トップサイドモジュール部。

図8.13 Molikpaqの移動と据付けの概念図 8-3)

3) 設計上の特徴

Molikpaqは、特殊ケーソン構造の人工島で、ボーフォート海での冬季の氷荷重条件にも耐え得る通年稼働が可能な世界で最初の移動式人工島であることから、設計上多くの特徴を有している。

Molikpaqの構造要目を表8.2に示す。


表8.2 Molikpaqの構造要目8-3)

項構造目

諸元

底部長

111.00 × 111.00 m

コアエリア長

74.40 × 74.40 m

高さ(深さ)

29.00 m (トップデッキまで)

着底時最大喫水

21.34 m

移動時最大喫水

16.79 m

総トン数

42317 ton

バラスト水容量

106250 m3

居住人員数

100名

最大掘削深度

6000 m

稼働水深

15 ~ 40 m

船級

ABS A1 Caisson Drilling Unit


以下、参考文献8-3)から設計上の特徴をまとめる。

i) 移動着底型の人工島であり、結氷海域において水深15 ~ 40 mの範囲で一年中稼働することを目的として建造された世界で初めてのリグである。

ii) ケーソン部はマイナス50 ℃での氷圧に耐え得るように低温用高張力鋼が用いられ、底部の一部には、70 kgf/mm2(686 MPa)の高張力鋼(Class70)を使用している。また、ケーソンの周囲で成長した氷による圧縮力の影響を小さくするため、ケーソンの外壁には適度の勾配をつけている。

iii) ケーソンの水線付近には、氷がつきにくく、耐衝撃性・耐摩擦性・耐低温性に優れている特殊ウレタン樹脂を塗装している。

iv) バラストタンク内やコアエリア内の海水および砂の凍結防止をはかるため、バラストタンク上部とデッキ下部に防熱を施し、ホットエアを供給している。また、凍結防止対策として、暴露部のパイプにはヒートトレースと防熱が広範囲にわたって施されている。

v) デッキは、ケーソンからの水平方向の氷圧力を受けないようにケーソンと完全に独立した構造とし、周辺をラバベアリングで支持している。ラバベアリングはせん断変形によりケーソンの変位を吸収する。

4) 建造法

世界初の氷海用移動式人工島、IHI愛知工場の建造ドック幅を超える構造物寸法、納期厳守などの困難を克服しての建造には多くの解決すべき課題があった。それらを克服して竣工に至った建造法について参考文献8-4)を引用してまとめる。図8.14はIHI愛知工場で建造中のMolikpaqの写真である。

図8.14 IHI愛知工場で建造中のMolikpaq 8-3):ケーソン幅111 mがドック幅92 mを超えているため、ケーソン左側がドックからはみ出ている。

ケーソンのサイズは、111 × 111 m、IHI愛知工場の建造ドックの幅92 mより大きいことから以下のような建造法が採用された。

i) ドック内にポンツーン(台船)を新設して、その上でケーソンの建造を行った。ポンツーンの寸法は、愛知工場のドックの幅(92 m)と深さ、およびポンツーンからケーソンを浮上分離させる時の岸壁の水深から決定された。

ii) ポンツーンのデッキレベルをドックサイドの地上面レベルと同一にするため、ポンツーンは架台と架台の上に高さ調整用に並べられた盤木の上に設置された。このような高さ調整可能な仮設構造とすることにより、ドック幅を超えるケーソンをポンツーン上で建造することが可能となった。

iii) 2基のゴライアスクレーンを有効に使用するため、建造するケーソン(八角形)の位置をドックに対して非対称とした。これにより、すべての工事をドック内で効率的に行うことが可能となり、納期の厳守へと繋がった。

iv) ケーソンの進水は、ケーソン建造工程の中で最も重要であり、時間的な制約からやり直しのできない作業であった。架台として使用していたポンツーンをケーソンと一体で浮上させ、ドック外へ引き出した。この過程において荷重状態が複雑に変化することからケーソン、盤木、およびポンツーンを一体とした骨組構造とし、進水工程中の各種荷重条件に合わせて構造解析を行い、安全を確認した。

v) デッキの据え付けは、ケーソン進水後に行われた。大ブロックデッキは、3000tonf(29.4 MN)級フローティングクレーンで吊り上げられ、ケーソン上に設置された59 個のラバベアリング上に搭載された。

5) Molikpaqの氷荷重測定

Molikpaqでは、所有者のGulf Canada Resources、建造したIHI(株)、およびアメリカ、カナダ、イギリスの石油会社が参加して、氷荷重計測に関する国際的な共同プロジェクトが実施された。このプロジェクトにより、ボーフォート海AmauligakI-65サイト(図8.3参照)において、1986 年に数多くの貴重な氷荷重の実測データが取得された。これらのデータは、氷海構造物に作用する氷荷重の推定確度の向上に寄与する情報を含んでおり、また、氷荷重推定に関する研究の方向性を強く示唆する情報も含んでいた。8-4)

なお、本稿では上記の氷荷重測定の詳細には踏み込まないが、実機での氷荷重の測定と言うことにおいて多くの興味深い結果が得られている。荷重測定法と測定結果についてはTimco(2002)8-1)、実機と模型実験の荷重の比較については加藤一行(1995)8-4)に詳しい。

6) 北極海、そしてオホーツク海へ

Molikpaqは、世界初の北極海用移動式人工島型石油掘削装置として、Gulf Canada Resource Inc.が発注、Swan Wooster Engineering社(SWS、カナダ)が概念・基本設計、旧石川島播磨重工業株式会社(現IHI株式会社)とSWSが詳細設計を行った。建造法、低温用鋼の溶接法、特殊塗装、防熱の施行法などの技術検討は、発注者とSWSの協力のもと、IHIのあらゆる分野の知識と経験に基づいて行われた。8-4)

1984 年4 月竣工、同年6 月11 日にIHI愛知工場を離岸し、3隻の大型曳船により曳航され、8 月上旬にカナダボーフォート海に到着し、TarsiutP-45サイト(図8.3参照)で掘削を始めた。それ以後の同海域での操業実績を表8.3に示す。

表8.3 カナダボーフォート海でのMolikpaqの操業実績(参考文献8-6)を著者編集)

油井名

オペレーター

操業開始日

操業終了日

水深(m)

W. TARSIUT P-45

Gulf

1984.9.25

1984.12.24

22

AMAULIGAK I-65

Gulf

1985.9.24

1986.1.21

23

AMAULIGAK I-65A

Gulf

1986.1.28

1986.3.20

23

AMAULIGAK I-65B

Gulf

1986.3.20

1986.9.19

23

AMAULIGAK F-24

Gulf

1987.10.1

1988.8.12

32

AMAULIGAK 2F-24

Gulf

1987.12.22

1988.1.29

32

AMAULIGAK 2F-24A

Gulf

1988.1.30

1988.2.17

32

AMAULIGAK 2F-24B

Gulf

1988.4.15

1988.8.7

32

AMAULIGAK CH NO.1

Gulf

1988.8.12

1988.9.7

32

AMAULIGAK 2F-24BST

Gulf

1988.6.27

1988.8.7

32

ISSERK I-15

Imperial

1989.11.11

1990.1.8

12

Piltun-Astokhkoye

Sakhalin Energy

1990.7.1

操業中

30

その後、オホーツク海のサハリン2プロジェクトの使用に供するため、韓国の大宇造船でサハリン設置海域仕様に改造された後、1998 年9 月にはサハリン沖へ移送された。2021 年時点でピルトン-アストフスコエ-A鉱区(海岸から16km)で稼働している。Molikpaqにより生産された石油と天然ガスはパイプラインでサハリン南端のプリゴロドノエの製油所へ運ばれ、そこから日本や韓国へ出荷されている。

図8.15にボーフォート海からサハリンまでのMolikpaqの移送経路、図8.16にMolikpaqの稼働地点とプリゴロドノエまでのパイプライン経路を示す。

図8.15  Molikpaqのボーフォート海からサハリンまでの移送経路。途中、大宇造船で改造。

図8.16 Molikpaqの2021 年時点の稼働地点8-5):石油と天然ガスはプリゴロドノエまで運ばれ、精製後日本へ出荷されている。

8.6 SuperCIDS(移動式人工島)

1) 世界初のハイブリッド構造人工島

Super CIDS (Concrete Island Drilling System)は、北極海向けの移動式人工島である。米国の Global Marine DevelopmentInc.(GMD社)が設計し、旧日本鋼管(株)(現JMU(株))が建造した鋼とコンクリートの複合型海洋石油掘削リグである。新たに開発された軽量高強度コンクリートの函体を鋼製構造物で上下から挟んだ複合構造物(ハイブリッド構造物)であり、それまで世界で例を見ない特殊な構造であった。1983 年9 月に旧日本鋼管(株)に発注されたが、契約工期が9か月という非常に短いものであったことも世界の注目をあびた。当初の計画通り1984 年5 月30 日 Glomar BeaufortSeaと命名されてGMD社へ引渡された。8-7)

なお、大きな氷力が作用する浮体コンクリート構造部は、五洋建設(株)と清水建設(株)の共同企業体によって7ヶ月という短期間で建造された。

ボーフォート海で稼働中のSuper CIDSを図8.17に示す。

図8.17 アラスカ、ボーフォート海で稼働中の移動式人工島Super CIDS 8-8)

2) 構造上の特徴

全体構造は、以下に示す海底面から三段重ねの構造となっている。

i) 海底面と接する鋼構造のマッドベース(Steel mud base:SMB、7.6 m厚)

ii) 浮体コンクリート部(Concrete basic brick:BB44、13.4 m厚、)

iii) 掘削設備や居住区を搭載する鋼製デッキバージ(Deck storagebarges: DSB、7.9 m厚)

この3構造体それぞれが浮体構造となっており、マッドベースと浮体コンクリートの内部に海水を注水することにより沈設、排水することにより浮上して移動することが可能である。構造要目を表8.4、三層構造の概念図を図8.18に示す。

図8.18 SuperCIDSの三層構造の概念図8-7):最底部の鋼構造マッドベース、中間部の浮体コンクリート部、最上部の鋼製デッキバージ。

表8.4 Super CIDS構造要目8-7)

船級

ABS, Mobile Offshore Drilling Unit

主要寸法

94 m × 89 m × 30 m

総重量

約56000 ton

設計条件

外気温度:マイナス50~+26 ℃

海水温度:マイナス3 ℃

氷厚:1.95 m(冬期一年氷)

   7.5 m(夏期多年氷)

水深:10.5 m~16.5 m

波高:5.1 m(有義波)

風速:70 knots(36 m/秒)

主要構造と建造所

Deck storage barge(DSB)

津製作所二号ドック

Concrete basic brick(BB-44)

津製作所修理ドック(五洋建設(株)・清水建設(株)共同企業体が建造)

Steel mud base(SMB)

鶴見製作所中央定盤

2) 世界初の凍結融解抵抗高強度軽量コンクリート

Super CIDSの構造材料において特筆すべきもののひとつに、凍結融解抵抗を備えた高強度軽量コンクリートの採用がある。移動氷盤が直接作用(衝突)する浮体コンクリート部(BB-44)は、鋼構造マッドベース(SMB)と鋼製デッキバージ(DSB)にサンドイッチ状に挾まれて中央に位置し、ここで氷圧力を受ける。構造は図8.19に示すように八角形の函体となっている。構造部材としては函体の外郭をなす底版、外壁、頂版のほか、外壁と一体となって外圧に抵抗するせん断壁、内壁およびハニカム構造を形成するサイロとコネクションウォールが主要なものである。このうち、せん断壁と内壁が高強度普通コンクリート、その他は全て高強度軽量コンクリートが使用され、いずれもASTM(AmericanSociety for Testing and Materials:米国試験材料協会)で規定された厳しい凍結融解抵抗性が要求された。凍結融解抵抗を備えた高強度軽量コンクリート構造物は過去例がなく、SuperCIDSが世界で最初の試みであった。頂版、底版および外壁の水平方向には、ひび割れ防止のためにコンクリート応力で35 kgf/cm2(3.5 MPa)相当の有効プレストレスが導入され、さらに外壁、せん断壁、内壁には、頂版と底版に支持されたI型梁として氷圧に抵抗するよう鉛直方向にφ32またはφ36の異形PC鋼棒でプレストレスされた。8-7)

浮体コンクリート部のハニカム構造8-9)

ハニカム構造の施工写真8-10)

図8.19 Super CIDSの浮体コンクリート部

浮体コンクリート部(BB-44)に使用されたコンクリートの設計基準強度と単位体積重量を表8.5に示す。2021 年時点の高強度コンクリートの定義は、設計基準強度60N/mm2(土木学会コンクリート標準示方書)であるが、1980 年当時では高い強度を有していた。


表8.5 浮体コンクリート部のコンクリート仕様8-9)

項 目

要求性能

単位体積重量

軽量:1.84 t/m3以下

普通:2.48 t/m3以下

設計基準強度

軽量:45.7 N/mm2以上

普通:2.48 N/mm2以上

コンクリート中の総塩分量

塩素としてセメント重量の0.06%以下

空気量(打設時)

7±2%

凍結融解耐久性指数

凍結融解300サイクルで80%以上:ASTM C666 A法より

3) 耐氷構造物

Super CIDSにコンクリート構造が採用された理由として、経済性以外の技術的な面を挙げると以下のようになる。8-9)

i) 低温下での優良な強度特性、特に低温脆性の問題が少ない。

ii) 凍結融解に対して十分耐え得る。

iii) 氷による局部集中荷重に耐えうる構造である。

iv) 波浪や飛沫に対して耐久性のある構造ができる。

v) 氷力や波力による水平力に対して水平抵抗を得るための重量を満たすことができる。

vi) 北極海の厳しい自然環境下において維持管理が容易である。

4) 工事および施工管理体制

1983 年9 月7 日に発注され、納期が1984 年5 月30 日、世界初の北極海用ハイブリッド構造物の工期が9ヶ月というのは驚くべき短さである。さらに、凍結融解抵抗を備えた高強度軽量コンクリート構造物である浮体コンクリート部の工期は実質7ヶ月であることを考えると、工程管理や品質管理などの施工管理が重要となる。図8.20は工事・施工管理の体制である。

図8.20 浮体コンクリート部の工程管理および品質管理体制(参考文献8-9)から著者作成)

通常よりも複雑で厳格なチェック体制は以下に示す背景による。8-9)

i) 浮上して移動する人工島であるためUSCG(米国沿岸警備隊)およびABS(米国船級協会)による検査に合格し、船として認定を得る必要があった。

ii) オーナー側に関係団体が多く、しかも各団体の常駐検査官がそれぞれの立場から厳しい検査を行った。

iii) 基本設計でオーナー側から提示された図面はわずか10枚で、それからすべての詳細設計図を作成する必要があった。

5) まとめ

本項は、内容の多くを渡辺博司(1984)8-7)と大野芳郎等(1985)8-9)に依っている。渡辺博司氏は論文の最後【おわりに】を以下のように結んでいる。なお、Super CIDSは1984 年度石油学会技術進歩賞と土木学会技術賞を受賞した。

【おわりに】

完成後、2万馬力のタグ2隻にえい航されて本人工島は1984 年6 月初め出航し、約2カ月後アラスカボーフォート海に到着した。同年11 月より開始された試掘は順調に進み、すでに2本の試掘が行われた。本リグは、現在まで何のトラブルもなく安全に操業されている。

この海洋構造物は、

i) 非常に短納期であったこと、

ii) 凍結融解抵抗性に優れた高強度軽量コンクリートを高い精度で製作するなど、技術的に難しいコンクリート構造物であったこと、

iii) 巨大な構造物同志を洋上で重ねあわせるStacking 工事があったこと、

iv) また、造船所と建設会社の連携という従来なかったformationでお互いの技術を持ち寄って、一つの新製品をまとめたこと、

など、われわれにとって初めての極めて意義深い経験であったが、多くの関係の方々の御尽力と御協力により無事完成することができた。

この度、石油学会技術進歩賞の表彰を戴いたことを励みとし、関係者一同、今後共このような新しい技術に挑戦して行きたいと考えている。

 世界初という難事業を短期間で成し遂げた感慨と技術者の挑戦者魂を感じさせる文章である。


8.7 Kulluk(浮体式掘削装置)

1) 世界初の移動浮体式掘削装置

KullukはConical Drilling Unit (CDU)と呼ばれ、三井造船(株)が建造した北極海向けとしては世界初の移動可能な浮体式石油掘削装置である。掘削用資材の供給に不便な極地で、当時の船型リグで年間120 日程度であった連続使用を200 日以上の長期間可能にすることを目的として建造され、1983 年4 月にGulfCanada Resources, Inc.に納入された。8-11)

前出のSSDC(日立造船)、Molikpaq(IHI)、SuperCIDS(JMU)が着底式構造物であるのに対し、Kullukはほぼ円形の浮体式構造物であり、係留ワイヤロープにより固定される。

図8.21はカナダボーフォート海で稼働中のKullukである。図8.22にKullukの一般構造図、表8.6にKullukの構造要目を示す。

図8.21 カナダボーフォート海の海氷中で稼働するKulluk 8-11)

表8.6 Super CIDS構造要目(参考文献8-11)を元に著者作成)

船級

ABS, +A1, Barge, Drilling Unit

構造形状

逆コーン形浮体構造

主要寸法

全長83.78 m ×全幅84.48 m

半径

40.50 m(メインデッキレベル)

深さ

18.50 m

喫水

12.50 m(移動時最大)

総トン数

29147トン

最大搭載人員

108名

最大掘削深度

6100 m

移動水深

24 ~ 55 m

氷厚

1.2 m

温度

外気:マイナス50 ℃

海水:マイナス2 ℃

船体構造:左記規則を満足

a) Arctic Pollution Prevention Class 1V

b) ABS Ice Strengthened Class 1AA

2) 構造上の特長

Kullukは浮体式、横断面形状で逆コーン形、平面形状で24角形(図8.22(図右上))など、当時、それまでにない特徴を有した氷海向け石油掘削装置であった。その構造上の特徴を参考文献8-11)から以下にまとめる。

図8.22 Kullukの一般構造図8-11):正面図(図左)、平面図(図右上)。横断面形状で逆コーン形、平面形状で24角形。

i) 船体形状
図8.22(図左)に見るように、逆コーン形(inverted-coneshaped)形状が特徴である。衝突する移動氷板を下向きに曲げ破壊することにより氷力を軽減する形状となっている。

ii) 船殻構造
船底からメインデッキまで各デッキは、各15度のセグメントに分割されている。セグメントの一辺一辺には、ムーンプールから外板にいたるまで放射状に強固なウェブプレートを持ち、氷圧に対して強い構造となっている。

iii) 係留装置
12台のウィンチ、3.5インチ(89 mm )径のワイヤロープにより放射状に係留。

iv) 破壊氷片からのライザー管の保護
破壊されて海中を浮遊する氷片からライザー管を保護するために、船底周辺にアイスデフレクター、船底中央部にアイスシールドを配置。

v) 耐寒鋼板
外気温マイナス50 ℃、海水温マイナス2 ℃の条件下での構造部には、氷力に対して十分な靱性を有する高張力鋼を使用している。溶接部においても鋼板と同等の靱性を有する。

vi) 外板部の防蝕対策
耐衝撃性、耐摩耗性、耐極低温性、耐海水性、および耐久性に優れた100%ソリッドポリウレタンコーティングを1 ~ 2.5 mm 塗装。

vii) 暴露部および内部の防蝕
メインテナンスフリーを目標とする重防食仕様の基礎塗料アルカリシリケート溶液と亜鉛末からなる無機質亜鉛末塗料とエポキシ塗料。

viii)居住区
定員108人用居住区は、定員2名用の55室、オフィス、食堂、映写室、娯楽室、治療室、売店などを完備。極地での作業員の良質な生活環境を確保する設計。

3) Kullukの操業実績とその後

Kullukは1983 年4 月に三井造船玉野事業所を離れ、アリューシャン列島で掘削用機材を積込み、同年8 月にカナダボーフォート海で掘削作業を開始した。同海域におけるその後の操業実績を表8.7に示す。1983 年8 月から1989 年9 月までの6 年間に10カ所の油井の掘削を行った。

表8.7 ボーフォート海でのKullukの操業実績(参考文献8-6)を著者編集)

油井名

オペレーター

掘削開始日

掘削終了日

水深(m)

PITSIULAK A-05

Gulf

1983.8.22

1984.7.26

27

AMAULIGAK I-44

Gulf

1983.10.7

1983.11.15

20

AMAULIGAK J-44

Gulf

1983.11.16

1984.9.23

31

NERLERK J-67

Dome

1984.9.26

1985.10.24

45

AKPAK P-35

Gulf

1984.10.17

1985.11.8

41

AKPAK 2P-35

Gulf

1985.7.8

1985.8.14

41

AAGNERK E-56

Gulf

1985.10.28

1986.6.26

20

AMAULIGAK O-86

Gulf

1988.6.30

1988.8.26

20

IMMIUGAK N-05

Gulf

1989.6.1

1989.6.10

32

IMMIUGAK A-06

Gulf

1989.6.16

1989.9.22

53

Kullukは1983 年から1993 年までGulf Canada Resources,Inc.により運用され、その後約10 年間は操業停止状態が続いた。2005 年にシェル石油に売却され改修工事の後、アラスカノースロープ沖で操業を行った。2012 年12 月にノースロープから冬期間の母港であるシアトルへ向かう途中、タグボートの引き綱が切れたことにより座礁した。その後、修理のためシンガポールへ移送されたものの、2013 年に所有者のシェル石油はKullukの解体を決定し、2014 年3 月に中国で解体された。

8.8 サロマ湖のアイスブーム (流氷流入制御施設)

1) 日本最大の汽水湖サロマ湖

サロマ湖は、北海道の北東のオホーツク海に面した海岸線に位置し、北見市、佐呂間町、湧別町の3市町にまたがる、湖水面積150.96 km2、湖水面標高0.0 m、最大水深19.6 m、平均水深8.7 m、湖周囲長92 kmの汽水湖である。湖水面積では琵琶湖、霞ヶ浦に次いで日本で3番目に大きく、汽水湖では日本最大である。図8.23に見るように、サロマ湖はオホーツク海とは長さ25kmの細長い砂州によって隔てられているが、砂州中央部の第1湖口(幅約250 m)と第2湖口(幅約50 m)により外海と通じている。漁業法上は海面に指定されており、ホタテガイ、カキの養殖が盛んであり、そのほかサケなどの魚類やホッカイシマエビなどを産出し、天然の栽培漁業の場となっている。

図8.23 サロマ湖の第1湖口と第2湖口の位置:砂州中央部の第1湖口(幅約250 m)と第2湖口(幅約50 m)により外海と通じている。

2) 流氷の流入と養殖被害

オホーツク海沿岸には1 月下旬から2 月上旬にかけて流氷が到来するが、サロマ湖へは湖口から大量の氷が流入することがある。サロマ湖は冬季に結氷するが、流氷の到来時に湖内が充分結氷している場合は、その氷盤によって湖内への流氷の流入を阻むことが可能となる。しかし、湖内結氷前に流氷が到来した場合、図8.24に示すように流氷が湖内へ流入し、養殖施設に被害をおよぼすことがある。

図8.24 アイスブーム設置前のサロマ湖第1湖口からの流氷の流入写真(参考文献8-12)を著者編集)

サロマ湖の全面結氷時期は1970 年代以降遅くなっており、1960 年代は12 月中旬から下旬であったものが、1990 年代には1 月下旬から2 月初旬となった。1974 年には湖面が全面結氷しなかったことから、流氷の流入により養殖施設に23 億円の被害が生じ、それ以降も同様の被害が頻発した(図8.25)。このことから流氷の流入をくい止める方策が検討され、氷盤流入制御施設として流氷防護柵アイスブーム(IceBoom)が設置された。アイスブームの主要施設が完成した1998 年以降、図8.25に見るように、流氷による養殖施設の被害は報告されていない。

図8.25 サロマ湖での流氷流入による養殖施設およびホタテ、カキ等の被害額(参考文献8-13)8-14)を元に筆者作成)

また、沿岸に着岸した流氷は、春先(3 月から4 月)に離岸するが、湖内に流入した流氷(氷塊)が居座ることにより漁港からの出港が妨げられ、さらに出港のための砕氷作業が必要であったことから、大きな減収を余儀なくされていた。設置後はこれらの問題がなくなり、海明け直後からオホーツク海での漁業操業が可能となった。

3) 世界初の流氷制御アイスブームの構造

サロマ湖のアイスブームは、北海道開発局の事業として行われた。設計は同局網走開発建設部、施工は(株)西村組(北海道湧別町)で、1994 年に着工、1998 年に運用を開始、2001 年に関連施設を含めて完成した。

サロマ湖のアイスブームは、第1湖口の湖内側水域に建設された。湖口から約400 m湖に入った地点を中心に、ほぼ半円を描くように14本の支柱を110 m間隔で打ち込み、支柱と支柱を直径1.2 mの円筒フロート(浮き)と一体の長さ130 mのロープで連結して流氷を受け止めるもので、1枚のネットで約500トンの荷重に耐えられる施設である。

アイスブームは浮体構造で、メインワイヤー、フロート、ネットワイヤー、下部チェーン等で構成されており、流氷の環境力を受け止め、これを張力として固定構造に伝える。固定構造は4本の鋼管杭と上部コンクリートからなり、メインワイヤーを介して伝達される張力を水平力として負担する。8-15)

表8-8にサロマ湖アイスブームの設計条件、図8.26にアイスブームの構造を示す。

図8.26 アイスブームの構造:図上は全体概念図、図下は支柱とフロート付きロープの連結図(参考文献8-14)を元に著者作成)

表8-8 サロマ湖アイスブームの設計条件8-14)

項目

諸元

流速

一般型区間

1.0 m/sec

特殊型区間

1.4 m/sec

風速(水面上10 m)

20 m/sec

波高(有義波高)

4.1 m

周期

12.5 sec

氷状

未結合氷片

氷片代表径

5 m

氷厚

2 m以上

流氷の影響域の長さ

1250 m

4) 流氷制御のためのアイスブームとして高い評価

サロマ湖のアイスブームは、世界で最初の流氷(海氷)を対象とした氷制御構造物であった。それまでのアイスブームは、河川で結氷初期に流下してくる小氷片を捕捉して氷板の発達を促進させる構造物として米国やカナダで使用されていたが、諸外国の経験では流速0.7 m/sec以下の流れであれば有効とされていた。河川氷に比べて厚くかつ大きな流氷を1 m/sec以上の流れや波力の影響を受ける自然条件の下で制御するためには、それまでの経験や設計法の範囲を超える新しい設計法の開発が必要であった。また、漂砂、海水交換、公園立地等への影響も考慮する必要があった。1991 年に設置された「サロマ湖漁港流氷流入対策調査委員会」において検討が進められたが、構造、設計法、使用材料、フロートの形状など、一連の技術開発は佐伯浩博士(当時、北海道大学工学部教授)を中心とする研究グループの研究成果に基づいたものであった。1992 年に開催された国際水理学会アイスシンポジウム(IAHR IceSymposium)の特別講演で公表された設計法は、氷工学の先進諸国から高い評価を受けることとなった。8-14)

図8.27に見るように、アイスブーム設置後、サロマ湖への流氷の流入は見事に抑えられており、その役割を十分に果たしている。

図8.27 アイスブーム設置後のサロマ湖第1湖口からの流氷の流入状況写真:第1湖口からの流氷の流入が制御された。(参考文献8-12)を著者編集)

8.9 むすび

これまで見てきたように、1980 年代は氷海用石油掘削装置の建造において日本の造船会社が大いに活躍した時代であった。また、1998 年にはサロマ湖に世界初の流氷制御アイスブームが建設された。世界情勢と併せて時系列で辿ると以下のようになる。

- 1956 年:日本が世界一の造船建造量となる

- 1973 年10 月:第一次オイルショック

- 1979 年1 月:第二次オイルショック

- 1982 年3 月:世界初のタンカーを改造したSSDC(Single Steel Drilling Caisson)

- 1983 年4 月:世界初の移動式浮体構造Kulluk

- 1984 年4 月:世界初の移動式鋼製ケーソン構造Molikpaq

- 1984 年5 月:世界初の移動式ハイブリッド構造Super CIDS(鋼とコンクリートの複合構造)

- 1985 年9 月:プラザ合意による急激な円高

- 1998 年:世界初の流氷(海氷)制御を目的とした大規模アイスブーム

日本の造船業は、1960 年代から1970 年代半ばにかけて急速に建造量を伸ばしたものの、2度のオイルショックによる造船需要の減退により構造不況産業となった。それに追い打ちをかけたのが1985 年のプラザ合意による急激な円高であり、設備処理や人員の合理化という構造調整を迫られ、1988 年には新造船竣工量で韓国とほぼ並ぶまでに減少した。オイルショック後の造船不況の打開策として海洋構造物、その中でも新たな資源開発の対象として注目されていた氷海域での石油掘削施設の建造に新たなビジネス分野を見いだそうとしたが、海洋構造物への経験不足、オイルメジャーの厳しい発注条件(仕様、工期など)への対応、そして円高による価格競争力の低下など、厳しい事業環境への対応が難しかったことが、その後の氷海構造物の受注に結びつかなかったと考えられる。日本の造船業は、品質の高さ、高度な研究開発力、工期厳守など世界から高い評価を得ていたにもかかわらず、氷海構造物への進出時期が世界の政治経済の激動期と重なったことは不運であった。

参考・引用文献

8-1)   Timco, G. W. and Johnston, M. E. (2002): “Caisson Structures in the Beaufort Sea1982-1990: Characteristics, Instrumentation and Ice Loads,” Canadian Hydraulics Centre, NationalResearchCouncil of Canada, Technical Report, CHC-TR-003, November 2002.
8-2)   IHI(株)ホームページ, 2021 年10 月3 日閲覧,https://www.ihi.co.jp/offshore/morikpaq_e.htm.
8-3)   石川島播磨技報 (1984):「北極海用移動式人工島型石油掘削装置:MOLIKPAQ」, 第24巻 第6号, pp.445-450.
8-4)   加藤一行, 熊倉 靖(1995) :「石油掘削用氷海構造物 (MOLIKPAQ)の氷荷重の推定」,日本造船学会論文集 第177号, pp.141-146.
8-5)   Gazpromホームページ,2021 年9 月15 日閲覧,
     https://www.gazprom.com/f/posts/39/ 853008/map_sakhalin_2_e2016-10-17.png.
8-6)   “Oil and Gas Exploration & Development Activity Forecast, Canadian BeaufortSea2013-2028, Updated,” Beaufort Regional Environmental Assessment, March 2013.
8-7)   渡辺博司(1986):「北極海向け移動式人工島Super CIDSの建造」, 石油学会誌, 29 (3), pp.201-211.
8-8)   清水建設株式会社ホームページ,2021 年5 月9 日閲覧,https://www.shimz.co.jp/works/jp_har_198403_supersizzu.html.
8-9)   大野芳郎, 鈴木智郎, 丹羽元和, 井畔瑞人(1985):「北極海向け移動式石油掘削人工島の建設 -コンクリート構造部に関して-」, 土木学会論文集,第354号/V-2, pp.43-52, 1985 年2 月.
8-10)   「北極海向け移動式人工島を受注」, 話題のプロジェクト①, 清水建設社報1983 年11 月.
8-11)   「世界初の氷海域用海底石油掘削装置 ”KULLUK”の概要」, 船の科学, Vol.36, 1983-7, pp.69-75, 1983 年.
8-12)   国土交通省北海道開発局網走開発建設部ホームページ, 2021 年8 月31 日閲覧,https://www.hkd.mlit.go.jp/ab/tikkou/v6dkjr0000001dni.html.
8-13)   「(3)漁港における主要技術 ①アイスブームによる流氷流入対策」, 北海道開発局ホームページ,2021 年8 月10 日閲覧, https://www.hkd.mlit.go.jp/ky/ki/kouhou/mokujisyousai.pdf.
8-14)   平山健一 (1995):「流氷の侵入をストップ -北海道サロマ湖の防氷堤アイスブーム」, プロジェクトリポート, 土木学会誌pp. 6-9.
8-15)   関口浩二, 遠山哲次郎, 荒田 崇, 清水敏晶 (1997):「サロマ湖湖口部アイスブームに作用する氷力に関する研究」, 土木学会海洋開発論文集, Vol. 13,pp.853-858.

「サロマ湖 流氷から養殖施設守れ」

2013 年11 月28 日付け 北海道新聞

流氷被害ゼロと漁業の生産性向上

サロマ湖第1湖口地区の最初のアイスブームが完成した1998 年以降、流氷による養殖施設の被害は報告されていない。20 億円を超えた1974 年の損失を取り戻すことはできないが、決して繰り返さないという決意をアイスブームの設置という結果で示すことができた。また、アイスブーム誕生前は漁業関係者が流氷を砕いていたが、その労力を本業にあてることができるようになった。経済的なリスクの軽減だけではなく、生産性の向上にも貢献することができている。

本業に集中できるようになりました! (地元漁師の声)

流氷が湖内に入ってくると、ホタテ稚貝の養殖のために海に垂らしているロープが切られてしまいます。そうなるともう、ぶらさがっていたホタテ稚貝は回収できません。だから、流氷の季節になったらユンボを載せた船で氷を砕きにいっていたんです。これが本当に大変で......。30人で一斉に作業しても丸1 日かかっていましたから。その作業がアイスブームのおかげで必要なくなったんです。しかも、養殖施設が被害を受ける心配もなくなりましたから。感謝しかありませんよ。

流氷をくい止めるネット。冬季以外は陸揚げされ、次の流氷期の出番を待つ。

株式会社西村組ホームページより

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 9 日本の砕氷船

9.1 北極域研究船

1) 日本初の北極域調査研究砕氷船

2020 年12 月、政府は砕氷機能を有する「北極域研究船」の新規建造を決定した。建造期間5 年、就役は2026 年を予定している。「宗谷」に始まる南極観測船は周知のところであるが、北極域を対象とした砕氷機能を備えた研究のための船は日本初である。その北極域研究船の建造が、2021 年8 月27 日、国立研究開発法人海洋研究開発機構(以後、JAMSTEC)からJMU(株)に発注された。2021 年夏にJAMSTECの海洋地球研究船「みらい」が北極海観測を実施しているが、砕氷船ではないため氷海に入ることはなかった。北極域研究船は、厚さ1.2 mまでの平坦氷を連続砕氷できる能力を有することから、北極海の海氷観測や生物・資源調査、北極域での気象観測など多くの新しい観測が期待されている。表9.1に北極域研究船と現役の南極観測船2代目「しらせ」の主要項目を示す。砕氷能力は「しらせ」の方が若干高いものの、ほぼ同規模の船舶となる。図9.1は北極域研究船の完成予想図である。

図9.1 北極域研究船の完成予想図9-1):現役の南極観測船2代目「しらせ」とほぼ同規模の船舶となる。

表9.1 北極域研究船と南極観測船2代目「しらせ」

項目

北極域研究船9-1)

2代目しらせ9-2)

運用者

JAMSTEC

海上自衛隊

建造企業

JMU

JMU

就役

2026 年(予定)

2009 年5 月

建造費

約335 億円

376 億円

総トン数

13000トン

12650トン

全長

128 m

138.0 m

全幅

23 m

28.0 m

深さ

12.4 m

15.9 m

喫水

8 m

9.2 m

砕氷能力※1

平坦1 年氷1.2 m

同1.5 m

耐氷能力

PC 4※2

PC 2※3

乗員

99名

259名※4

※1:船速3.0 knot(約5.6 km/h)における砕氷能力

※2:PC (Polar Class) 4は、多年氷が一部混在する厚い一年氷がある水域を通年航行可能であること。

※3:PC 2は、中程度の厳しさの多年氷が存在する氷水域を通年航行可能であること。

※4:内訳(乗組員179名、観測隊員等乗客80名)

2) 北極域研究船の主要要件と社会経済効果

日本初となる北極域専用の研究船の建造のために、文部科学省は北極域研究船の利活用方策・費用対効果等に関する有識者検討会を組織し、「北極域研究船の利活用方策・費用対効果等に関する検討結果(報告書)」9-3)を公表している。それによると北極域研究船に以下のような性能を要求している。

i) 海洋地球観測船「みらい」による観測項目を維持する観測設備と科学魚群探知機等の新たな設備の搭載。

ii) 海氷域における必要十分な砕氷・耐氷性能と通常海域を含む観測性能を両立するための船型。

iii) 安全性かつ効率的な運航に資する先進的な氷海航行支援システムの搭載。

iv) デュアルフューエル(舶用燃料油と液化天然ガスの二元燃料)機関の採用による環境負荷低減、低燃費の工夫。

v) 十分な定点保持機能と効率的な推進システム。

vi) 遠隔操作型の無人探査機(ROV)や自律航行可能な無人探査機(AUV)等の運用設備。

vii) 安全確保、海氷等観測用のヘリコプターの運用機能。

viii) 十分なラボスペース、優れたネットワーク等の研究・分析環境。

ix) 国際プラットフォームとしてジェンダー等に配慮した居住環境。

x) 豪雨等による自然災害発生時の被災地支援対応。

上記、iv) デュアルフューエル機関の採用、ix)国際プラットフォーム、x) 自然災害発生時の被災地支援対応などの機能が求められていることは、時代の要請にかなうものである。また、同報告書では、北極域研究船の建造により以下のような社会経済的効果が期待されるとしている。

現在は北極域を航行する船舶が少ないため氷海航行に適した船舶の建造や航海機器の開発に必要な情報が不足しているところ、船体構造応答計測システムを備える北極域研究船の運用により、北極域及びその他海域航行中の気象・海象、船体負荷、機器稼働状況等のデータを取得可能となる。これにより、我が国の造船業において、氷海内外の双方で燃費・安全性等の面で高い性能を有する船舶の設計・建造能力の向上に寄与し、北極海航路航行船や舶用機器の受注が増加することが期待される。

また、船体構造応答計測システムの運用により、船体への負荷の蓄積をモニタリング可能となり、メンテナンスの最適化による費用削減につながるとともに、海難事故の防止や、適切な船舶規則の策定等に 向けた我が国のプレゼンス向上に寄与すると見込まれる。

3) 北極域研究船の費用

報告書9-3)によると、主要要件を実現するために必要な建造・運用・維持費を表9.2のように見積もっている。ドイツと英国の同規模の砕氷研究船の例を挙げて、日本初となる北極域研究船の費用は妥当なものであるとしている。

• ドイツ:建造費270 億円、年間運用費28.6 億円

• 英国:建造費303 億円、年間運用費26 億円


表9.2 北極域研究船の費用9-3)

費用項目

金額

備考

総建造費

約335 億円

本体建造費と観測機器類の整備費等

観測機器の整備費

約10 億円

ROV、AUV等

総運用費

約780 億円

年間運用費約26 億円

大規模修繕費

約30 億円

運用30 年間の経費

約1,155 億円

年平均約38.5 億円

9.2 南極観測船

1) 日本の南極観測船の特殊性

南極観測船の歴史は、「宗谷」に始まり、「ふじ」、初代「しらせ」、そして2021 年時点で現役なのが2代目「しらせ」である。根津和彦(2010)9-2)によると、これら日本の南極観測船に求められる特殊性を以下のように述べられている。

南極観測船の一番の役割は観測隊員と観測活動に必要な物資を確実に南極へ届けることである。昭和基地のあるリッツォ・ホルム湾は海氷の状況が厳しく、南極の夏場でも連続砕氷能力1 m程度の砕氷船では突破が厳しい定着氷が広がっている。諸外国の基地は夏場には海氷も消失し、物資の輸送も比較的容易に行えるところが多いが、日本の南極観測船には十分な砕氷能力が求められる。

大量の物資を輸送することも求められており、日本から豪州を経ての年1回の航海で1 年間に必要な1,000トンを超える物資を輸送する必要がある。南半球に位置する諸外国は砕氷船による複数回の往復で分散して物資を輸送することができる。また、米国の基地などでは飛行機による輸送が威力を発揮しているが、昭和基地近辺に滑走路を確保することは地理的条件及び付近の氷の性状等から容易ではない。即ち、日本の南極観測船はリッツォ・ホルム湾の定着氷を突破できる砕氷能力、1,000トンを上回る物資の輸送能力、2機以上のヘリコプターを搭載できる能力が最低限必要である。さらに、観測機能を合わせ持つが、これらの条件をすべて満たす砕氷船は諸外国にも例を見ない。

2) 宗谷

「宗谷」は、1938 年耐氷型貨物船として川南工業株式会社香焼島造船所(長崎県)で建造され、太平洋戦争を経験し、その後引揚船、灯台補給船となり(図9.2)、1956 年11 月からは日本初の南極観測船として1962 年4 月まで、6次にわたる南極観測に活躍した。その後1978 年に退役するまで海上保安庁の巡視船として就役した。1979 年から、「船の科学館」前に係留され保存展示されている。

図9.2 南極観測船への改造工事に着手直後の灯台補給船「宗谷」9-4)

3) 南極観測船 「ふじ」~初代「しらせ」

灯台補給船「宗谷」の改修により日本の南極観測が始まるのであるが、本格的な南極観測船が建造されたのは1965 年竣工の「ふじ」が初めてである。「ふじ」は18 年間就役し、1982 年に初代「しらせ」が竣工した。

これら2船の大きな違いは、連続砕氷能力が1.0 mから1.5 mに増強されたことである。これは「ふじ」が18回の南極航海のうち、昭和基地へ接岸できたのが6回のみであり、さらに、厚い氷に囲まれて動けなくなる状況を経験したことによる。初代「しらせ」の設計時点では、日本には氷海水槽がなかったことから、その船型開発には当時ロシアを中心として体系化されてきた砕氷抵抗の理論評価手法が用いられ、また独ハンブルグ船舶研究所の氷海水槽での試験により、船体形状の検討が行われた。初代「しらせ」は砕氷能力が増強され、昭和基地への接岸はほぼ確実に行われるようになった。9-2)

表9.3(次頁)に「宗谷」以降の南極観測船の主要要目を示す。

表9.3 「ふじ」以降の南極観測船の主要要目(参考文献9-2)9-5)をもとに著者作成)

船名

「宗谷」

「ふじ」

初代「しらせ」

2代目「しらせ」

就役

1956

1965

1982

2009

南極観測船運行年数

7 年

18 年

25 年

現役

観測事業への参加

第1 ~ 6次隊

第7 ~ 24次隊

第25 ~ 49次隊

第51~

全長

84 m

100 m

134 m

138 m

最大幅

12.8 m

22 m

28 m

28 m

深さ

7.0 m

11.8 m

14.5 m

15.9 m

喫水

5.8 m

8.3 m

9.2 m

9.2 m

基準排水量

2736 ton

5250 ton

11650 ton

12650 ton

満載排水量

4235 ton

9120 ton

18990 ton

20370 ton

輸送貨物

400 ton

400 ton

1000 ton

1100 ton

最大速力

14 kt

17 kt

19 kt

19 kt

最大出力 馬力

2400

11900

30000

30000

連続砕氷能力(3kt時)

1 m

1 m

1.5 m

1.5 m

乗員数

94

182

174

179

4) 南極観測船 2代目しらせ

① 日本の氷海水槽実験の成果

初代「しらせ」は1983 年から25回にわたって南極観測の輸送支援を実施し、2008 年に退役した。2009 年には2代目「しらせ」が竣工した。2代目「しらせ」の連続砕氷能力は、初代「しらせ」の接岸実績から1.5 mで十分と判断され、能力増強は行われなかった。しかし、2 m以上の氷厚の多年氷や乱氷帯ではラミング砕氷(助走して海氷に突進し、助走時の運動エネルギーを利用して砕氷する航法)を行うが、ラミング性能が氷海域の航海時間や燃料消費量におよぼす影響は依然大きい。2代目「しらせ」ではさらなる氷海航行スケジュールの安定化を目指して、ラミング性能の向上にも着目して船型が検討された。この船型開発は、同船を建造した旧ユニバーサル造船(株)(現JMU)の氷海水槽を使用した模型実験により行われた(図9.3)。9-2)

図9.3 ユニバーサル造船(現JMU)の氷海水槽での2代目「しらせ」の模型実験9-2)

② 船首形状

海氷は圧縮で割るよりも曲げで割る方が小さな力で割れるため、砕氷船の喫水付近の船首角(水平線に対する傾斜角)や船首部フレームラインの傾斜角を小さくして、前進時に氷板を下方に押し曲げて砕氷し易くしている。ただし、過度に船首角を小さくすることは、氷板に乗り上げ過ぎたり、船体と海氷の接触面積の増大によって摩擦抵抗の増大を招いたりすることになる。「ふじ」、初代「しらせ」、2代目「しらせ」の船首形状を図9.4に示す。「ふじ」の計画当時、船首角は25 ~ 30 度の範囲が良いと考えられ、船首角は30 度に計画された。初代「しらせ」計画時には氷海水槽試験の結果も踏まえて船型の最適化が行われ、船首角を21 度まで小さくして砕氷能力を上げた。2代目「しらせ」の船首角は19 度で初代「しらせ」と大差はないが、ラミング時の進出距離を延ばすために氷板に貫入しやすい水線形状が採用された。9-2)

図9.4 「ふじ」、初代「しらせ」、2代目「しらせ」の船首形状9-2):船首角は「ふじ」30度、初代「しらせ」21度、2代目「しらせ」19度。

③ 砕氷補助散水装置

砕氷性能を上げるための工夫として、2代目「しらせ」には散水装置が装備された。昭和基地周辺は積雪が多い海域であるが、氷の上に積雪がある場合、ラミング時の進出距離は積雪がない場合に比べて半分以下になることもある。散水装置は船首部水面上にあるノズルから氷板へ散水し、積雪や海氷と船体との摩擦抵抗を低減する装置で、特に氷上に乾いた雪が深く積もっている時には効果が大きい。これにより積雪の多い南極航海における砕氷性能が向上した。図9.5は開水面(氷のない海面)での散水装置作動状況である。9-2)

図9.5 2代目「しらせ」の砕氷補助用散水装置 9-2):船首部水面上にあるノズルから氷板へ散水し、積雪や海氷と船体との摩擦抵抗を低減する装置。

④ 二重船殻構造

初代「しらせ」では、自船航行用燃料や昭和基地へ輸送する各種燃料タンクが船体外板に接しているため、他船との衝突や座礁によって外板が損傷すると燃料が流出する構造になっていた。2代目「しらせ」では燃料タンクと船体外板の間に空間を設ける二重船殻構造を採用することによって船体外板が破損しただけでは燃料が流出しない構造である。9-2)

図9.6は2代目「しらせ」で採用した二重船殻構造である。

図9.6 2代目「しらせ」の二重船殻構造 9-2):船体外板が破損しただけでは燃料が流出しない構造。

本項の南極観測船に関する記述の多くは根津和彦(2010)(参考文献9-2))に依っている。同文献の一読を勧める。

9.3 北極海航路

1) 増加する船舶の航行

北極海の海氷の急激な減少により、北極海を物資の輸送や北極海クルーズに利用する北極海航路が注目されている。2000 年代に入り、徐々に北極海航路の海運が始まり、年を追うごとに通航船舶は増加している。北極海の海氷は様々な気象の影響を受けるため、年により開通期間に増減はあるが、2021 年時点では概ね8 月頃~10 月頃の期間に航行可能となっている。図9.7に北極海航路を示す。北極海航路にはロシア側航路(北東航路)とカナダ側航路(北西航路)があるが、2021 年時点で日本へ物資を運んでいるのはロシア側航路である。例えば、ロッテルダムと横浜間の航行距離は、スエズ運河経由の南回り航路では18,400kmであるのに対し、北極海ロシア側航路では11,100 kmとなり、40%ほど短く、輸送日数短縮、燃料節約、海賊回避などの利点があるとされている。しかし、2022 年時点ではロシアの砕氷船による先導や砕氷仕様船舶の必要性などの費用増による経済性、そして船舶航行による北極環境への負荷が問題視されている。

図9.7 2020 年時点の北極海航路9-6):図中左の破線がロシア側航路(北東航路)、図中右の実線がカナダ側航路(北西航路)である。

表9.4は2017 年から2020 年までの6 月から12 月の期間、ロシア側航路を航行した船舶の航行種別および船種別の航行実績である。ロシア側航路を横断する航行数は、2017 年には49航行であったのに対し2020 年は133航行となっており、毎年増加している。中でも北極海航路内の港湾へ寄港しない欧州・アジア間のトランジット航行は、2020 年には2019 年の2倍(65航行)に急増している。船種別では貨物船やタンカーが大きく増加している。これは、2017 年12 月に稼働を開始したヤマル半島のLNG基地に寄港するLNGタンカーの増加による。


表9.4 北極海ロシア側航路(北東)の航行種別・船種別の航行実績9-6)

西暦

2017 年

2018 年

2019 年

2020 年

総航行数

49航行

60航行

87航行

133航行

航行種別

北極海航路内寄航航行※1

20

31

55

68

トランジット航行※2

29

29

32

65

船種別

貨物船, タンカー

32

48

76

109

クルーズ船

3

1

4

1

その他(タグ等)

6

10

7

23


※1 北極海航路内寄航航行:北極海航路内の港湾に寄港する船舶。

※2 トランジット航行:北極海航路内の港湾に寄港しない、北極海航路を単なる航路として利用する船舶。


このように、海氷の減少や北極域での資源開発の活発化により、北極海航路を航行する船舶は増加しているが、北極海を挟んだ隣国同士の米国とロシア、そして北極海を「氷上のシルクロード」と位置づけてヤマルLNGプロジェクトにも出資する中国など、北極域での資源開発への関与を狙う国々の政治的思惑にも大きく影響を受ける航路である。

2) 砕氷LNG船 -ヤマルLNGプロジェクト-

北極海航路の利用が盛んになるにつれ、砕氷性能または耐氷性能を備えた船舶の需要が増大する。ヤマルLNGプロジェクトでは、生産されたLNGは砕氷型LNG船で欧州や東アジアへ輸送される。この輸送には(株)商船三井が大きな役割を果たしており、2024 年までに同社が保有・管理する砕氷型LNG船は14隻になるとされる。しかし、これらの船舶はすべて韓国および中国の造船所で建造されている。北極海向け商船の建造では、日本の造船会社の実績が未だないのが現状である。

9.4 むすび

日本の砕氷船は、戦前にも樺太に配備されていたと言われるが、灯台補給船から南極観測船に改修された「宗谷」が一般的に知られる最初の砕氷船であろう。その後「ふじ」、初代「しらせ」、2代目「しらせ」と続き、2021 年に初めて北極域での研究調査を目的とする砕氷機能を備えた研究船の建造が決定された。日本の造船会社は、南極観測船の建造を通して着実に砕氷船技術を蓄積してきたにもかかわらず、海外向けの砕氷船舶の建造実績はないのが現状である。

日本の造船業界は、かつては世界市場の50%を占有し、日本は世界第一の造船大国であったが、2020 年の工事量では韓国、中国に次ぐ第三位となっている。政府からの支援や指導を受ける形で統合を進めて巨大造船会社を誕生させる韓国や中国に比べ、日本企業は経営体力が劣っており、それが北極航路向け輸送船舶の受注に消極的な原因ともなっていると考えられる。

参考・引用文献

9-1)   国立研究開発法人海洋研究開発機構ホームページ, 2021 年9 月23 日閲覧,http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20210827_2/.
9-2)   根津和彦(2010):「新南極観測船「しらせ」」, 日本マリンエンジニアリング学会誌, 第45巻, 第2号, pp. 32-37.
9-3)   「北極域研究船の利活用方策・費用対効果等に関する検討結果について(報告書)」, 北極域研究船の利活用方策・費用対効果等に関する有識者検討会, 2020 年12 月.
9-4)   船の科学館ホームページ, 2021 年11 月23 日閲覧,https://funenokagakukan.or.jp/soya/history/road.
9-5)   第24回南極地域観測統合推進本部外部評価委員会配付資料, 「資料2 南極地域観測事業の概要」(2019 年5 月24 日).
9-6)   「衛星AISを用いた北極海の航行実態把握に関する共同研究の成果について」, 国交省国土技術政策研究所, 2021 年3 月23 日プレスリリース.

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 10 おわりに

日本の雪氷研究が系統的に始まったのは、積雪地方農村経済調査所(山形県新庄市)の雪害研究や北海道大学の中谷宇吉郎博士による雪の結晶の研究に着手した1930 年代であろう(4章)。当初は雪の研究が主であったが、1956 年に始まる南極観測や1960 年代の北極海での石油・天然ガス資源の発見により、氷の工学的研究が急速に発展することとなる。「宗谷」の砕氷船への改造や「ふじ」に始まる南極観測船の建造により、日本の砕氷船技術は大きく発展した(9章)。北極海での石油資源開発は、大学や産業界が海氷と構造物の力学的相互作用や耐氷構造物の設計・建造のための工学的研究を始める契機となった。

1970 年台以降、北海道大学、岩手大学、東京大学などにおいて氷の工学的研究が進み、企業の研究者・技術者が米国、カナダ、ドイツの研究機関で研究を行った(5章)。具体的にはU.SArmy Cold Research Engineering Laboratory、National Research Council Canada、HamburgischeSchiffbau-Versuchsanstaltなどである。このような研究の積み重ねが1980 年代、日本の造船会社によるSSDC(日立造船)、Kulluk(三井造船)、Molikpaq(旧石川島播磨重工業)、およびSuperCIDS(旧日本鋼管)が数々の世界初となる氷海用石油掘削装置の建造に結びついたと言えよう(8章)。ほぼ時を同じくして、旧運輸省船舶技術研究所(現海上安全技術研究所)、旧日本鋼管、三菱重工業が氷海構造物研究のための氷海水槽の稼働を始め、日本の研究と建造の体制が整ったのも1980 年代であった(6章)。その後、産学官が協力して日本の氷海技術の更なる展開を目指して1993 年に始まったのがJOIA氷荷重研究プロジェクトであった(7章)。世界最大規模の実海氷氷盤貫入実験、氷海水槽を使った先駆的な実験と解析などの数々の研究成果、国際会議での特別セッションの設置、海外研究者との共同研究の実施など多くの成果を上げ、ISO19906(氷海構造物設計指針)作成への参加にも繋がった。

しかし、このような研究開発の成果と建造の実績にもかかわらず、その後の氷海構造物市場において日本企業が優位に立つ状況には至らなかった。それには氷海用構造物特有の市場構造があったように思われる。原油価格に左右される市場と市場規模予測の難しさ、海洋石油構造物特有の高度な建造仕様と厳しい工期、台頭する韓国や中国との競争などである。同時に日本が、いわゆる重厚長大産業から軽薄短小産業への構造転換の時代でもあった。高度な建造技術や品質の良さ、工期厳守の信用力などを持ってしても氷海ビジネスには難しい現実があった。

2021 年9 月16 日、北極海の海氷は年間最小面積4.72百万km2を記録した。北極海の海氷は毎年9 月に最小面積、3 月に最大面積となるが、2021 年9 月の月平均面積は4.92百万km2となり、衛星記録のある過去47 年間で12番目に小さい面積となった。驚くべきは、2007 年から2021 年までの15 年間の各年9 月の海氷面積が、1974 年からの観測記録の最小面積15位までを独占していることである。面積だけではなく氷厚も減少していることから、海氷量(体積)で見ると、減少量は非常に大きなものとなる。

地球の温暖化は否定しがたい事実であり、地球上で温度の上昇が最も顕著に現れる北極域では海氷が急速に縮小している。今後、夏の海氷の減少に伴って北極海航路を利用する船舶は増大するであろう。北極海での資源開発を目的のひとつとして海氷の研究を行い、獲得した化石資源を使うことによって地球温暖化が進み、結果として海氷がなくなるとしたら、海域氷工学にとっては何とも皮肉な帰結である。

しかし、海氷が減少する北極海は、日本の新しい技術が貢献できるフロンティアでもある。2026 年就役予定の北極域研究船、氷の北極海に入ることができる船舶を持つ研究者や技術者、そして企業の期待は大きい(9章)。日本にはすでに自社で衛星を所有し、北極海の海氷情報を国内外の船舶に提供している先進企業がある。企業の研究者や技術者の参加機会が増える北極域研究船、新たな極域技術が芽生えることを期待したい。

著者が海氷に出会ったのは1970 年代後半、大学の卒業研究であり、その後現在まで40 年以上にわたり氷工学に関わることとなった。従って、本書は主に、1970 年代以降の工学的研究や技術開発に焦点が当たる結果となった。ご理解いただければ幸いである。


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 11 謝辞

本著書の執筆にあたり、助言および資料提供いただいた方々に感謝します。

- 赤川 敏氏

- 太田 真氏

- 木岡 信治氏

- 黒川 明氏

- 小林 正典氏

- 前野 紀一氏

- 山内 豊氏

- Dr. Robert Frederking (Canada)

- 株式会社 IHI 

- 国立研究開発法人海洋研究開発機構

- 清水建設株式会社

- ジャパンマリンユナイテッド株式会社

- 中谷宇吉郎 雪の科学館

- 三菱重工業株式会社

- 公益財団法人日本海事科学振興財団 船の科学館

- 京都外国語大学

- 国際日本文化研究センター

- 株式会社西村組


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 海域氷工学の系統図

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海域氷工学 産業技術史資料 所在調査表

名称 製造年 建造者・建設者 現存所在場所 選定理由
氷海構造物
1 SSDC: Single steel drilling caisson 1983 年 日立造船(株) Herschel Island, Canada 世界初のタンカーを改造した着底式石油掘削リグ。原油タンカーとして 1972 年建造、1983 年に氷海用石油掘削リグに改造された。
2 Molikpaq 1984 年 (株)IHI ロシア、サハリン沖 世界初の鋼製桁ケーソン構造の移動式氷海用石油掘削人工島。ボーフォート海での冬季の氷荷重条件で通年稼働が可能。
3 Super CIDS: Concrete Island Drilling System 1984 年 ジャパンマリンユナイテッド(株) ロシア、サハリン沖 世界初のハイブリッド構造の移動式氷海用石油掘削人工島。軽量高強度コンクリート固体と鋼製構造物で成した特殊構造物。
4 流氷制御アイスブーム 2001 年 国土交通省北海道開発局 北海道サロマ湖 世界初の流氷制御を目的とした大規模アイスブーム。オホーツク海からサロマ湖への流氷の流入を阻止する構造物。
南極観測船
5 南極観測船「宗谷」 (1957 年〜1962 年) 1956 年 文部科学省 東京都品川区青海北ふ頭公園 日本初の南極観測船。日本の南極観測事業の礎を築いた船で、6 次にわたる南極観測に従事。
6 南極観測船「ふじ」 (1965 年〜1983 年) 1965 年 文部科学省 愛知県名古屋市港区港町 1 丁目 9 二代目南極観測船、日本では初となる極地用の砕氷艦。自衛艦としては初のヘリコプター搭載艦。
7 南極観測船 初代「しらせ」 (1983 年〜2008 年) 1982 年 文部科学省 千葉県船橋市千葉県船橋市高瀬町 2 三代目南極観測船。自衛艦としては初の基準排水量 1 万トン越え、昭和基地まで建造された「輸氷艦」として最大。現在は気象観測船 SHIRASE。(一財)WNI 気象文化創造センター所有。
8 南極観測船 2 代目「しらせ」 (2009 年〜) 2009 年 文部科学省 横須賀地方隊所属 四代目南極観測船。砕氷能力を向上させた曲面形氷艦。砕氷補助設備として船首散水装置を装備。
研究用氷海構造物実験施設
9 氷海水槽 1981 年 海上技術安全研究所 東京都三鷹市 日本初の氷海水槽。水槽は長さ 35.0 m、幅 6.0 m、水深 1.8 m。砕氷船の他、氷海構造物、氷海流出油回収の研究を実施。
10 氷海水槽 1982 年 ジャパンマリンユナイテッド(株) 三重県津市 日本の民間企業初の氷海水槽。水槽は長さ 20.0 m、幅 6.0 m、水深 1.8 m。日本のほぼすべての砕氷船の研究を実施。
流氷観測機器・設備
11 C-バンド広域流氷観測レーダー 1965 年 北海道大学 北海道紋別市 世界初の流氷観測レーダー。その後アラスカ、カナダ、バルト海にも流氷レーダーが設置され、海氷観測の先駆的役割を果たす。
12 X-バンドドップラーレーダー 2005 年 北海道大学 北海道紋別市 高解像・高分解能での観測が可能で、天候に左右されずに流氷域を検出し、高精度な流氷情報を発信して海洋防止に寄与している。

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