大型映像表示装置発展の系統化調査

Systematic Survey on Large-Scale Display Systems


原 善一郎 Zenichiro Hara

■要旨

大型映像表示装置オーロラビジョン(海外名Diamond Vision)は、1980 年に米国のMLBオールスターゲームにおいて誕生した。今では屋内外の競技場はもちろん、街中や広場などの公共の場において、ニュース、広告など、映像を通じて人々に共通の情報を伝える手段として普及している。本報告は、このような大型映像表示装置の誕生と発展、そして現在に至る技術を系統的にまとめたものである。系統化では、オーロラビジョン誕生前の先行技術や、技術的背景としての各種平面ディスプレイの技術動向を整理し、大型映像表示装置との関係を調査した。さらに大型映像表示装置の第一世代、第二世代、そして現在の第三世代へと発展した経緯を紹介し、次の世代を目指して挑戦した技術開発を基にイノベーションについて考えている。 オーロラビジョンの誕生前、米国では1800 年代の後半から野球の実況を再現する野球盤が公共の場に設置され、試合の速報を人々に伝えていた。簡単な仕組みではあったが、多くの人々が見入ったとされ、後日、野球場に誕生する大型映像表示装置の潜在的ニーズが感じられる。白熱電球が普及すると、電光掲示板が登場し、ニュース速報、広告表示、競技場のスコアボードなどに使用された。ニュース速報は、1928 年に大阪の朝日新聞本社で電光ニュース装置が使用された。広告表示は、1958 年に大阪道頓堀に設置されたシネサインが動きのある画像を初めて表示している。競技場のスコアボードは、1958 年に竣工した国立霞ヶ丘陸上競技場に設置され、同年のアジア競技大会や1964 年の東京オリンピックで活躍した。その後、野球場においてモノクロの文字やアニメーション画像を表示するスコアボードが登場し、1970 年代には、国内外とも競技場において、濃淡のあるビデオ映像が表示できるようになる。何れも白熱電球を配列したモノクロディスプレイである。

大型映像表示装置は、サイズが巨大であり、平面ディスプレイとは独立して発展してきたが、最も早く実用化された平面ディスプレイでもある。この平面ディスプレイを構成する各種表示デバイスは、タイル状に配列することで、大型映像表示装置が構成された経緯がある。本報告では、表示デバイス全体について技術動向を俯瞰し、文字・数字の表示から画像の表示へ、そして平面テレビへの発展、さらに表示デバイスを配列することによる大型映像表示装置への影響を述べている。

大型映像表示装置オーロラビジョンは、オイルショックにより事業の継続に危機感を覚えた当時の船舶技術者を中心に開発・事業化された。屋外の直射日光下で十分な輝度のカラー映像を表示するには、高輝度発光素子の技術革新があり、さらに高価なオーロラビジョンの事業化には、船舶技術者が自ら世界の市場を奔走した。ここにイノベーションとは、技術開発に加えて、事業として社会に貢献するための活動が必要なことを考えさせられる。そして各社がこの市場に参入し、第一世代の大型映像表示装置の市場が本格的に立ち上がる。

第一世代の大型映像表示装置は、何れも十分な視距離を必要とした。これに対し第二世代の大型映像表示装置は、各社が独自の高解像度発光素子を開発し、視距離が短縮され、屋内を含む新たな市場に進出した。大型映像表示装置は、第一世代から第二世代へと各社が競い合う様に高解像度化・高輝度化し、コストが削減され、それぞれの特徴を生かしながら市場を拡大している。1993 年に実用的な高輝度青色LED(Light Emitting Diode)が開発されると、LEDの3原色が揃い、1995 年頃からLEDを適用した第三世代大型映像表示装置が開発された。各社が同様のLEDを使うようになり、コストが低下するにつれて世界的な競合が激化した。多数の企業がこの分野に参入したこともあり、各社の技術を個別に調査することは避け、LEDの時代における大型映像表示装置の技術動向と特徴的な技術について述べる。

大型映像表示装置は、第三世代に入ると、多様な発展を遂げるが差別化が難しくなった。その中で次世代の大型映像表示装置を目指して果敢に挑戦し、世界的に評価された開発事例がある。独創的ではあったが、事業としての実績は限定的であった。ここでは新技術への挑戦の価値とイノベーションについて考え、挑戦無くしてイノベーションは生まれないことを述べている。


■Abstract

Diamond Vision (Japanese name: Aurora Vision), a large-scale video display, was first introduced in 1980 at the Major League Baseball (MLB) All-Star Game in the United States. Today, it is widely used not onlyin indoor and outdoor stadiums, but also in public places such as streets and plazas, as a visual meansof sharing common information, including news and advertisements. This article systematically summarizesthe emergence and development of such large-scale video displays, and their technologies, from past topresent. The technologies that existed before the introduction of Diamond Vision and the technological trends of various flat-panel displays are organized to delineate the technological background, and the relationship of these factors with large-scale video displays is explored. Furthermore, the development of the first, second, and current third generation of large-scale video displays is introduced, and the technical innovation is considered with a focus on the technological developments in which these subsequent generations were pioneered.

In the United States, before the birth of Diamond Vision, baseball billboards were installed in publicplaces in the late 1800s to reproduce the actual scenes of baseball games and deliver breaking news fromthe games. Although this was a simple system, the billboards were viewed by many people, indicating the potential need for the large-scale video displays that were later introduced in baseball stadiums. Withthe popularization of incandescent bulbs, electric bulletin boards were developed and used for news bulletins, advertising displays, and scoreboards in stadiums. For news bulletins, an electric newsdevice was used at the Asahi Shimbun headquarters in Osaka in 1928. For advertising, a lighted advertising sign installed in Dotonbori, Osaka in 1958 was the first to displa0y moving images.Scoreboards for stadiums were installed in the Japanese National Stadium in Kasumigaoka, which was completed in 1958, and played an active role in the 1958 Asian Games and the 1964 Tokyo Olympics. Later,scoreboards displaying black-and-white text and animated images appeared in baseball stadiums, and inthe 1970s, both domestic and international stadiums began to display grayscale video images. These wereall monochrome displays comprised of an array of incandescent bulbs.

Large-scale video displays are huge in size and have developed independently from flat-panel displays,but they were also the earliest flat-panel displays to be commercialized. The various display devices that make up this flat display were also used for large-scale video displays, arranged in tile formation. This article examines the technological trends of display devices as a whole, and describes the development process from letters and numbers to images, and then to flat-screen TVs, as well as the impact of the arrangement of display devices on large-scale video displays.

The Diamond Vision large-scale video display was developed and commercialized mainly by the shipengineers of the time, who were concerned about the future of their businesses due to the oil crisis.The need to display color images with sufficient brightness under direct outdoor sunlight sparked technological innovation in high-brightness light-emitting elements, and in order to commercialize themore expensive Diamond Vision, the ship engineers themselves scrambled to find markets around the world.This suggests that innovation is not only a technological phenomenon but also requires efforts by businesses to ensure that products contribute to society. Then, companies entered the market, and the market for the first generation of large-scale screen video displays was established in earnest.

The first generation of large-scale video displays all required a sufficient viewing distance. On the other hand, the second generation of large-scale video displays saw companies develop their ownhigh-resolution light emitting devices, shortening the viewing distance and entering new markets,including indoor use. The large-scale video display market continued to expand, moving from first-to second-generation, as companies promoted new features and competed with each other to improve display resolution and brightness and reduce cost. With the invention of practical high-intensity bluelight-emitting diodes (LEDs) in 1993, LEDs became available in the three primary colors, and around1995, the third generation of large-scale video displays, which used LEDs, began to be developed. Ascompanies started to use similar LED technology and the cost decreased, global competition intensified.Since a large number of companies have entered this field, rather than scrutinizing each of their technologies individually, the discussion focuses on the technological trends and characteristic technologies of large-scale video displays in the LED era.

The third generation of large-scale video displays has seen diverse developments, but companies have found it difficult to differentiate their products from those of their competitors. In the midst ofthis, there is an example of a development that boldly rose to the challenge of pioneering the nextgeneration of large-scale video displays, to worldwide acclaim. However, despite its originality, the product has experienced limited commercial success. This article focuses on innovation and the value of pioneering new technologies, concluding that innovation cannot occur without a willingness to push boundaries.

■ Profile

原 善一郎 Zenichiro Hara
国立科学博物館産業技術史資料情報センター主任調査員

1981 年 3 月 九州大学大学院電気工学専攻修士課程了
  同年 4 月三菱電機(株)入社、長崎製作所勤務
1982 年〜 大型映像表示装置の研究開発に従事
1984 年〜1985 年 三菱電機応用機器研究所(当時)
1986 年~ 第二世代大型映像表示装置の開発
2001 年 主席技師長
2002 年 工博(長崎大学)
2011 年 R&D 100 Awards by R&D magazine
  (有機EL方式大型映像表示装置の開発)
2017 年 4 月 嘱託(大型映像表示装置関連業務)
2018 年 3 月 IEEE History Committee感謝状
  (大型映像表示装置のIEEEマイルストーン認定)
2021 年 4 月 国立科学博物館・産業技術史資料情報センター主任調査員

■ Contents

 1. はじめに
 2. オーロラビジョン誕生前の大型表示装置
 3. 表示デバイスの開発と大型映像表示装置
 4. 屋外用カラー大型映像表示装置の誕生と影響
 5. 大型映像表示装置の発展と多様化
 6. 青色LEDと第三世代大型映像表示装置
 7. 次世代技術への挑戦とイノベーション
 8. あとがき
 9. 謝辞
 系統図

 1 はじめに

屋外用カラー大型映像表示装置は、1980 年にMLBオールスターゲームにおいて誕生したオーロラビジョン(海外名Diamond Vision)に端を発する。今では、社会の発展に多大な貢献をした歴史的イノベーションとして、IEEEマイルストーンに認定されている。

IEEE(Institute of Electrical and Electronics Engineers)は、電気・電子・情報・通信分野の世界最大の学会である。IEEEマイルストーンは、この分野で達成された画期的イノベーションの中で、開発から少なくとも25 年以上が経過し、地域社会や産業の発展に多大な貢献をした歴史的業績を認定する。オーロラビジョンは、高価なシステムゆえ、市場の創造では開発技術者の努力にも注目する必要がある。市場の創造から拡大、そして現在の市場の成熟期に至る25 年以上の事業継続は、新たに参入した企業とお互いに刺激を与え合いながら、技術革新とコスト削減を実現した結果でもある。その概要は4章から6章で紹介する。

大型映像表示装置は、歴史を遡ると白熱電球を配列したモノクロ電光掲示板など、様々な先行技術が見えてくる。機能に着目すると、公共の場で人々に共通の情報を提供する手段であり、この機能には看板や電飾なども含まれる。看板は古代文明まで、電飾は16世紀に木の枝をろうそくで飾った宗教改革の頃まで、それぞれ遡ることができる。ここでは、表示が固定された看板や電飾と区別し、大型映像表示装置を公共の場で人々に共通の情報を提供する制御可能な手段と考え、19世紀後半に現れた関連技術とその後の発展について調査する。

図1-1は、本報告書の構成として、各章の位置付けを図示した年表である。

第2章では、屋外用カラー大型映像表示装置オーロラビジョンが誕生する前の大型表示装置の歴史を調査する。白熱電球が一般化する前の19世紀後半、野球の実況を再現する野球盤が見られた。白熱電球が一般化すると、ニュースを速報で伝える電光掲示板や広告用の表示装置、さらに競技場などのスコアボードが登場した。1960 年代後半には、屋内用のカラー大型表示技術が試作され、1970 年代にはモノクロの大型映像表示装置が実用化された。これら現在の大型映像表示装置に繋がる技術や社会的な背景について述べる。

第3章では、表示デバイスの技術動向を俯瞰する。各種表示デバイスは、1960 年代後半から1970 年代にかけて、数字や文字を表示する電卓や時計、家電製品のインジケーターとして実用化され、1980 年代には画像を表示するデバイスへと発展した。1980 年代の後半には、壁掛けテレビに必要な大画面化、高精細化が研究されている。1980 年に実用化された大型映像表示装置オーロラビジョンは、サイズは巨大だが、画像の表示には、当時研究されていたプラズマディスプレイの画像処理が生かされている。また各種表示デバイスは、大型映像表示装置の開発に影響を与えていることを実例とともに紹介している。

第4章では、オイルショックという環境の変化の中で、事業継続への危機感から誕生した大型映像表示装置オーロラビジョンの開発経緯を紹介する。非常に高価なシステムではあったが、開発に関わった技術者たちが世界の市場をまわり、野球場からサッカー場、さらに競馬場へと徐々に市場を開拓してきた。オーロラビジョンの誕生と市場への進出は、業界に刺激を与え、各社が大型映像表示装置を開発した。そして第一世代大型映像表示装置としての技術と市場が見えてきた。ここでは、それぞれの技術の概要と社会に与えた影響について述べている。

第5章では、第一世代の大型映像表示装置に続いて、各社が実用化した第二世代大型映像表示装置について調査する。第一世代の発光素子は、高解像度化とコスト削減の両立に課題があり、第二世代では、それを克服した技術革新が市場の拡大に貢献している。各大型映像表示装置は、高解像度化とともに高画質化技術にも進展がある。ここではそれぞれの発光素子の概要とともに代表的な高画質化技術について述べる。

第6章では、青色LEDの登場によって多様な発展を遂げた第三世代大型映像表示装置について、発展の経緯と特徴的な技術について調査する。4~5章で紹介した発光素子が各社の大型映像表示装置を特徴付けたのに対し、第三世代の大型映像表示装置では、同様のLEDが使われるようになり、差別化の質が変化した。さらに多数の企業がこの分野に参入してきた。ここではLEDの時代に見られる大型映像表示装置の特徴と技術動向について述べる。

第7章では、次世代の大型映像表示装置を目指して挑戦したいくつかの開発事例を紹介する。背景には、独自の発光素子の開発によって発展してきた大型映像表示装置が、LEDを採用した第三世代に入って、差別化が難しくなったこともある。何れも独創的で世界的に評価されたが、事業としての実績は一時的にとどまり、その後、中断あるいは終息している。ここでイノベーションの象徴でもあるIEEEマイルストーンを紹介し、新技術への挑戦の価値とイノベーションについて考えている。

なお、本報告書では、関係者のご厚意により貴重な情報や写真の提供を受けた。それぞれの出典は本文の参考文献欄に記載したが、本文では提供者の敬称は略させて頂いた。

図1-1.報告書の構成

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 2 オーロラビジョン誕生前の大型表示装置

大型表示装置は、公共の場で人々に共通の情報を提供する制御可能な手段である。映像が使用される前は、機能的には看板が含まれ、その起源は古い。国内では、明治以降、薄鉄板にペンキで描いた看板が現れ、大正時代にはネオンの広告が登場し、昭和時代には電球の点滅によって変化する電光掲示板が現れた。その後、大型表示装置は、発光素子の技術革新やデジタル化の進展により競技場で使用される電光掲示板や大型映像表示装置へと発展した。さらにビル壁面や道路沿いの電子看板、イベントで使用される移動型大型表示装置など、用途も多様化している。ここでは屋外用カラー大型映像表示装置オーロラビジョンが誕生する前の大型表示装置について、その歴史を振り返る。

2-1 屋外用大型表示装置前史

米国では、野球の人気が高く、現在のワールドシリーズが1903 年にスタートした頃、多くの人々が試合を楽しんだ。テレビやラジオが登場する前のリモート観戦である。当時は、野球場を模した野球盤上に試合の進行を表現した。これが制御可能な初期の大型表示装置で、多数の人々に見える十分な大きさであった。図2-1は、1888 年に出願された特許の説明図で、初期の発明とされる1)。実際の使用では、試合の速報を電話または電信で受け取ったオペレーターが野球盤を操作する。野球盤に開いた選手の位置を表す穴にピンを差して試合の進行を表わす簡単な仕組みではあったが、多くの人々が声を上げて見入っていた2)

図2-1.野球速報表示器1)

1890 年には、電気を使って、試合の進行を表す方法が特許として出願されている。図2-2は、モーターで指針を動かす特許の説明図である3)。野球や競馬などのスポーツの状況を視覚的に表現するもので、様々な場所に設置され、中央のオフィスから電気的に制御可能な初期のアイデアである。進行中のゲームの正確な状態が一目でわかる。

図2-2.電気式スポーツ表示器3)

時代が下って、1890 年代から1930 年代初頭には、重要な試合を再現する手段としてPlay-O-Graphが使われた4)。Play-O-Graphは、屋外用大型表示装置の一種でもある。ビルの壁面、劇場、オペラハウス内部などの人々が集まる公共の場に設置され、選手の進塁、打者のアウト・セーフが色付きランプで表示された。当時は、試合のリモート観戦手段として、非常に人気があった。試合の情報を送信する側と、表示部を操作して試合の進行を表現する側の少なくとも2人のオペレーターを必要とした。1911 年のワールドシリーズでは、試合会場の収容人員より多い約70,000 人がPlay-O-Graphで試合を観戦したとされる。Play-O-Graphは様々な名称の中で一般的な用語になった2)

図2-3および図2-4は、Play-O-Graphと、それを観戦する群衆である。当時の熱気や野球への関心の高さが伺える4)。ラジオが登場すると、野球の生放送が開始された。特にアナウンサーが効果音を交えて視覚要素を説明し、聴衆を捕らえるようになると、リモート観戦に群衆が集まる必要は無くなり、Play-O-Graphの人気は次第に衰えた。このような当時の野球のリモート観戦の様子から、後日野球場に設置される大型映像表示装置の潜在的なニーズが感じられる。

図2-3.Play-O-Graph4)

図2-4.Play-O-Graphに見入る群衆4)

(1911 年ワールドシリーズリモート観戦)

2-2 電光掲示板

建築物の壁面などでニュースや広告を表示する電光掲示板は、国内では1920 年代後半には設置されている。海外では日本より早いが、ほぼ同時期とされる5)。何れも黒地の板に必要な情報量に対応して白熱電球をマトリクス状に配列し、それぞれの点滅を制御して文字や記号による情報を表示した。

図2-5は、1928 年に利用が開始された日本初の電光掲示板である。この装置は、朝日新聞大阪本社と東京本社に設置されており、実際に稼働したのは、同年 11 月 5 日夜に大阪の朝日新聞本社でニュースが流されたものが日本初とされる。当時の新聞記事によると、「電光ニュース装置本社屋上に完成」の見出しで紹介されている5)。周辺には人だかりができて歓声があがり、光の号外との記載もある。この装置は、ロンドンにあるシンチレーシング・サイン社専売の「流動式電光ニュース速報装置」とされる。遠くからも見ることができた。

図2-5.日本初の電光掲示板5)

表示は、表示パターンに対応して穴を空けた絶縁物を電極にセットして通電の有無で電球の点灯を制御していた。スクロール表示は、絶縁物をテープ状にしてモーターで回していた。

白熱電球を配列した電光掲示板は、競技場などに設置されるスコアボードへ、さらに映像を表示する大型映像表示装置へと発展している。1958 年には、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場が開場しており、電光掲示板は同年に開催されたアジア競技大会でも使用された。当時の写真には、満員の観客とともに電光掲示板が写っている6)。競技場は、その後1964 年の東京オリンピックに向けて増築された。図2-6は、1964 年のオリンピックで使用された電光掲示板の写真である7)。選手の名前や国名などが表示されている。

図2-6.国立霞ヶ丘競技場陸上競技場の電光掲示板7)

2-3 広告用表示装置

1950 年代の広告は、表示が固定された広告塔やネオンサインが一般的であった。ここに発光素子を配列し、その点滅によって動きのあるアニメーションの様な広告表示を実現したのは、日本では1958 年に大阪道頓堀に、1959 年に東京渋谷駅前に、それぞれ株式会社東芝(以下、東芝)が開発して設置したシネサインが最初である8)9)

図2-7はシネサインの原理図である10)。その詳細は東芝から報告されている11)。画像は16 mm映写機から光電管3750 個を配列したスクリーン(受光盤)に投影される。光電管群のスクリーンは縦横1.1 m×1.56 m で、ここに投影された画像の各部を画素に分解し、それぞれの明暗に応じた電気信号を出力する。図2-8は光電管群のスクリーン(受光盤)の外観である。各光電管の出力はそれぞれ3750 個のサイラトロン(注)のグリッドに接続される。サイラトロンは、その陽極が壁面スクリーンに配列された電球につながれ、光電管群の信号に従って、電球の点滅を制御する。壁面スクリーンは、この電球3750 個が配列されている。電球に接続される導線も3750本である。サイズは縦横4.5m×6.75 m である。電球は、十分な輝度と寿命および屋外用としての耐候性が得られ、サイラトロンの寿命に影響しない適切な電力の仕様で、新たに設計・製作されている。シネサインは、広告塔やネオンサインに比べて表示が固定されず、文字や画像などを含めて多彩な広告を表示できる。東芝シネサインでは、壁面スクリーンの表示を室内でモニターできるように、縦横0.98 m ×1.335 m のモニター盤も備えている11)

図2-7.シネサインの原理図10)

図2-8.光電管群の外観(縦横1.1 m×1.56 m )11)

図2-9は東芝シネサインである。(a)はシネサインの外観、(b)は表示例である。1950 年代後半、半導体技術が未熟な時代に実際に使用されたシネサインは、小型光電管、サイラトロン、表示部の電球、映写機およびフィルムの製作を東芝の関係部門が協力して完成させたもので11)、大型映像表示装置の先駆的技術の一つと言える。当時は、照明学会においても話題になっている12)

(a) シネサインの外観(縦横4.5 m×6.75 m )

(b)シネサインの表示例

図2-9.東芝シネサイン11)

(注)サイラトロンは大電力の開閉器として使われたガス封入型の熱陰極線管である。

2-4 大型映像表示装置の発光素子特許

発光素子をマトリクス状に配列して大型映像表示装置を構成し、映像を表示する考え方は古くからある。1940 年には小型ブラウン管を配列して構成する大型表示装置のアイデアが提案され、米国特許が成立している。図2-10は、特許明細書(USP2195460)に記載された発光素子の説明図である。原理は陰極線型のランプとされる13)。陰極から放出された電子を陽極の蛍光面に衝突させることによって発光する。適切な蛍光体を選択することで自然色または白色のテレビジョン画像を生成するとの記載があり、後日実用化されたオーロラビジョンなどと同じ発想である。この特許は、最初に1936 年にドイツで出願されている。この時期は、テレビ放送の試験放送の段階であり、小型ブラウン管を配列した大型映像表示装置は、極めて先駆的な発想と言える。

図2-10.米国特許の発光素子13)

国内でも1960 年には同様の実用新案が出願され、その後に登録されている14)。図2-11は、明細書に記載された説明図で、1つの発光素子内に3原色を含んでおり、後日ソニー株式会社(以下、ソニー)で開発されたジャンボトロンと同様の構成である。カラーテレビ放送が開始された1960 年と同年の出願であり、これも先駆的な発想である。

図2-11.日本実用新案(1960 年出願) の発光素子14)

何れも超大型の映像表示用途を想定した発光素子のアイデアであるが、デジタル信号処理などの周辺技術が成熟しておらず、極めて高価なシステムになると予想され、実用化の動きは無かった。図2-11の発明者は、1985 年のつくば博における超大型映像表示装置ジャンボトロンの発光素子に関する特許の発明者の一人に名を連ねている15)

2-5 実用化された大型映像表示装置

ビデオ映像を表示できる大型映像表示装置は、1960 年代後半から1970 年代前半にかけて、白熱電球を画素としてマトリクス状に配列したモノクロの大型映像表示装置が国内外の野球場や競技場などに設置されている。その代表例を紹介する。

2-5-1 マンモステレビ

富士電工は、1969 年に後楽園野球場マンモステレビを設置した10)16)。ビデオを入力できるシステムは世界最初とされる。図2-12は表示例である。この時期は、濃淡のある中間調映像の表示は難しく、ここで言うビデオとは画素のON/OFFによって表現されるアニメーションの表示である。1970 年代後半には横浜スタジアムや所沢西武ライオンズ球場において中間調のあるビデオ映像を表示できるようになった17)

図2-12.後楽園に設置されたマンモステレビ8)

2-5-2 スチュワートワーナー社の電光掲示板

米国スチュワートワーナー社は、1966 年から電光掲示板を製造し18)、1972 年には米国アローヘッドスタジアムにモノクロのビデオ映像を表示できる最初の大型映像表示装置を設置した。大型映像表示装置は、マンモステレビが日本国内を中心に設置されたのに対し、スチュワートワーナー社は世界各国に設置した。特に米国では多数の野球場に設置し、アジアでも競馬場やビル壁面に設置している。電球を使ったモノクロ表示装置ではあったが、コンピュータを活用して多様なコンテンツを表示できた。図2-13,14は、それぞれ香港競馬場および米国のアローヘッドスタジアムに設置された大型映像表示装置である。1978 年には、アルゼンチンの国営企業との合弁事業としてアルゼンチン開催FIFAワールドカップの6スタジアムに大型映像表示装置を提供した18)

図2-13.香港沙田競馬場の大型映像表示装置19)

図2-14.米国アローヘッド・スタジアム19)

日本国内では、1980 年、新宿駅東口広場前に新宿情報ビル・スタジオアルタ(当時の名称)が竣工し、大型映像表示装置「アルタビジョン(当時の名称はビデオサイン)」が設置された。図2-15は、スチュワートワーナー社によって設置された国内初のビル壁面の大型ビデオ映像表示装置である。アルタビジョンは、1992 年 4 月に国産のカラー表示装置に更新されるまで、モノクロの文字・グラフィック画像や映像によって、人々に共通の情報を提供している。

図2-15.日本初のビル壁面大型映像表示装置20)

2-6 その他の大型映像表示装置

2-6-1 アイドホール(Eidophor)

大型映像表示装置には、初期のプロジェクタのアイドホール(Eidophor)がある21)22)。1939 年スイスの国立工業研究所のフイッシャーが発明し、1943 年に最初のプロトタイプが発表され、画像の投射に成功している。その後、1959 年に実用化された。図2-16はアイドホールの説明図である。(a)は、原理図を示しており23)、油膜被覆凹面鏡上に電子ビームで電荷像を形成し、この静電力によって生じる凹凸像がシュリーレン光学系を介して濃淡像としてスクリーン上に投写される。この方式は、油膜が入射光を物理的に振り分ける変調作用を利用しており、ライトバルブ(光弁)方式のプロジェクタである。(b)は、東海大学の2号館調整室に設置されていたアイドホール本体である。高さ1.88 m 、幅0.7 m 、奥行1.26 m 、重さ340kgであり、学校関係のアイドホールの活用は唯一とされる。1964 年から17 年間にわたって学生の教育に使用されており、この間の東海大学関係者の丁寧なメンテナンスが伺える。

(a).原理図

(b).外観

図2-16.アイドホールの説明図23)

その後、いくつかの応用製品が開発され、米国では、屋内の競技場などに設置されてビデオ映像を提供している。例えば米国のシアトルにあったキングドームでも使われていた。このシステムは1981 年にオーロラビジョンに更新されている。アイドホールは、屋内環境において、テレビ画像を大型スクリーンに投影する装置として優れていた。当時のブラウン管プロジェクターより80倍明るく、最大18 m 幅のカラー画像を投影できたとされる22)

図2-17は、万国博覧会(1970 年)に出展されたアイドホールの表示である。当時は多くの人々に映像を提供する手段として適していた。アイドホールは、真空装置を含めて大型で電源を入れてから真空排気に時間を要するなどの課題があった。1990 年代には、プロジェクションテレビ技術が進歩することで、小型で安価な液晶やDLP(Digital Light Processing)方式の大型プロジェクターが主力になり、アイドホールは過去のものとなった。

図2-17.万国博覧会(1970 年)のアイドホール24)

2-6-2 試作されたカラー大型映像表示装置

ソニーは、1968 年に縦1.5 m 、横2 m 、奥行き25 cmのカラービデオパネルと呼ばれる100型の大型映像表示装置を発表した25)26)。図2-18はカラービデオパネルの表示例である。この表示装置は、縦260列、横300列、計78,000 個の豆電球に赤、青、緑3色の色フィルターを付した光源で構成され、それぞれの光源を点滅させてカラー映像を再現する。映像信号は、PWM(Pulse Width Modulation)信号に変換し、周期60 Hzで繰り返されるパルス点火を実現している。半導体技術が十分に成熟する前、この時代では、画期的な技術への挑戦と言える。

図2-18. ソニーの100型カラービデオパネル25)

2-6-3 万国博覧会に出展されたシルエトロン

図2-19は、1970 年の万国博覧会において、三菱未来館にアトラクションとして展示されたシルエトロンである27)28)。観客が会場に設けられたステージに立って動く姿をカメラがとらえ、リアルタイムでスクリーンに5倍の大きさに映し出す。中間調は表示せず、影絵的な表示ではあるが、人物の動きをリアルタイムで映し出し、予めVTRに準備されたアニメーションと組み合わせて表示することもできた。図2-19において、(a)はカメラで撮影した人物の表示、(b)はVTRによるアニメーション画像の例である。画面は白熱電球を配列して10 m ×8 m のスクリーンを構成しており、毎秒 60フィールドの画像を表示できる。後日登場する大型映像表示装置にも影響を与えている。

(a) カメラによる人物像27)

(b) VTRによるアニメーション表示28)

図2-19. 電光映像装置シルエトロン

2-7 1970 年代までの大型表示装置総括

1970 年頃までの大型映像表示装置は、試作や展示品として1968 年のソニーのカラービデオパネルや1970 年の万国博覧会に展示されたシルエトロンが見られた。実用化されたものでは、1960 年代後半から富士電工のマンモステレビやスチュワートワーナー社の電光掲示板が設置されている。1970 年代になると、これらにビデオ映像が表示できるようになった。当時の発光素子は白熱電球である。その起源は、1950 年代後半にビルの壁面に設置されたシネサインや1920 年代後半の電光掲示板に遡ることができる。何れもモノクロ表示である。カラーの大型表示装置では、アイドホールが実用化されたが、投射型であり、明るい環境における応用は限定され、用途は主に屋内であった。大型映像表示装置は、白熱電球に限らず、各種の表示デバイスを配列することによって構成できる。次の章では、各種の表示デバイスについて、その技術動向を俯瞰し、大型表示装置との関係を調査する。

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 3 表示デバイスの開発と大型映像表示装置

各種平面ディスプレイにおいて、大型映像表示装置は、サイズは巨大だが最も早く実用化された平面ディスプレイでもある。平面ディスプレイを構成する表示デバイスは、マトリクス状に配列して大型映像表示装置が開発された経緯もある。その発展は、テレビ放送と無縁ではなく、ハイビジョン放送や地上デジタルテレビ放送(地デジ)が表示デバイスの大型化、高精細化を加速している。ここでは、テレビ放送と各種表示デバイスの発展経緯を俯瞰し、それぞれの大型映像表示装置との関係について述べる。

3-1 テレビ放送の表示デバイスへの影響

国内におけるテレビ放送は、1953 年に本放送が開始され、同年国産第1号の白黒テレビがシャープから発売された1)。カラー放送が1960 年に開始されると、東芝から前年に国産第1号として発表された純国産カラーテレビ受像機が発売され、カラーテレビ用ブラウン管が発展した。1960 年代後半から1970 年代は、各種表示デバイスが数字や文字を表示する電卓や時計、家電製品のインジケーターとして実用化され、壁掛けテレビの研究も始まった。1980 年代には、各表示デバイスは、数字や文字の表示用途から画像の表示用途へと発展した。1980 年に実用化された大型映像表示装置オーロラビジョンには、プラズマディスプレイの表示方式が生かされている2)3)。各表示デバイスは、液晶による2型から3型のポケットテレビサイズが実用化され、さらに1980 年代の後半には、壁掛けテレビに必要な、大画面化、高精細化の技術が研究されている。

1990 年代、ハイビジョン放送には画面の大画面化、高精細化が求められ、重量が重くなるブラウン管よりも平面ディスプレイが有利とされ、液晶テレビやプラズマテレビの実用化が始まった。それでも2000 年頃までは、テレビおよびコンピュータの表示端末には、主にブラウン管が使用された。2001 年頃から液晶テレビが市場に登場し、2003 年に地デジ放送が導入されると液晶テレビやプラズマテレビが急速に普及した。

図3-1は、JEITAの統計資料に基づくテレビの出荷台数の推移である4)。2003 年の地デジ放送の導入時期から、ブラウン管が急激にシェアを落とし、プラズマテレビは2008 年ごろをピークに年々世界シェアを落とし、2011 年 7 月、アナログ放送が終了する頃は、ほとんどが液晶テレビに代わった。このテレビの出荷台数からも表示デバイス発展の経緯が見て取れる。

図3-1.テレビの出荷台数の推移4)

注:PDPは2008 年までJEITAの統計に明記されたが2009 年以降LCDとともに平面テレビとされた。

3-2 ブラウン管

(1) ブラウン管の概要

ブラウン管は、1897 年にドイツのブラウンによって発明された。その動作原理からCathode Ray Tube(以下CRT)とも呼ばれる。1926 年に浜松高等工業学校(現静岡大学)の高柳健次郎が画像の電送・受像に世界で初めて成功し、走査線数40本のCRTを使って片仮名「イ」の文字を表示した。その関連業績を含む「電子式テレビジョンの開発、1924-1941 年」はIEEEマイルストーンに認定されている。図3-2は、高柳が開発に使用した受像用CRTである。

図3-2.高柳健次郎が使用した受像用CRT5)

(国立科学博物館)

図3-3はCRTの構造である6)。容器は、パネル部、ファンネル部、ネック部から構成される。パネル部は内面に蛍光体を固着し、イオン焼け防止、電位の安定化、輝度を倍増させるためにアルミ蒸着膜で被覆する。ファンネル部は、内面に導電性塗料を塗布し、電子銃から蛍光面までの電界を安定させる。ネック部は電子銃を収納する。電子銃は、カソードから放出された電子ビームを集束させる。電子ビームは、偏向ヨークの磁界で水平および垂直方向に走査され、蛍光面に照射されて画像を表示する。カラーCRTは蛍光面に赤、緑、青の蛍光体が規則的に塗り別けられ、その内側のシャドウマスクが各蛍光体と電子ビームを1対1に対応付けている。

図3-3.CRTの構造6)

CRT は、テレビの普及とともに大画面化・高画質化された。三菱電機は、困難とされた32型の壁を突破して37型CRTを開発し7)8)、1985 年に37型の大画面カラーテレビを発売した9)。図3-4は37型家庭用テレビの外観である。大画面のCRTでは、真空容器ゆえ、大気圧に対する強度を確保しつつ軽量化を必要とした。さらに電子ビームは、地磁気の影響を受けて色ずれを起こさないような補正と制御が工夫された。この37型の発売後、日本のメーカーが続々と超大型CRTを開発し、家庭において大画面で高画質のカラー映像を楽しむことが出来るようになった。

図3-4.37型家庭用テレビ10)

2000 年以降は、軽量・薄型の特徴を生かした液晶テレビが普及し始め、プラズマテレビが続いた。CRT は、徐々に平面ディスプレイに置換わり、2003 年に地デジ放送が導入されるとCRTは急激にシェアを落とした。国内では08 年頃から生産が終了し、2015 年には世界中で生産が終了した。

(2)CRTの配列

CRTは、発光効率が高く、屋外で高輝度を得るための光源として注目され、大型映像表示装置オーロラビジョンの高輝度光源管に応用された11)。白熱電球を配列したモノクロの電光掲示板やスコアボードが、高輝度光源管が開発されることで、屋外の直射日光下で十分な輝度のカラー映像表示装置へと発展した。しかも消費電力削減にも貢献した。この技術は、その後の大型映像表示装置の分野に大きな影響を与えている。高輝度光源管を配列したオーロラビジョンの詳細は4章で示す。

3-3 液晶ディスプレイ

(1)液晶ディスプレイの概要

液晶は、固体と液体の両方の性質を示す物質あるいはその状態を示す。1888 年にオーストリアの植物生理学者F. Reinitzerによって発見された。1968 年に米国RCA社の発表を契機に、ディスプレイへの応用研究が始まった。液晶ディスプレイ(LCD: Liquid Crystal Display)は、1970 年代前半に、米国、日本において、腕時計、電卓用に初めて実用化され、徐々に応用分野が拡大した。

図3-5は、液晶の一般的なTN(Twisted Nematic)モードの原理図である。液晶パネルは、2枚のガラス基板間の90°ツイスト配向された液晶層と、両側から互いに直交する2枚の偏光板で挟む構造である。外光(バックライト)は、直交する偏光成分から成り、液晶パネルへの入射時に片方が偏光板によって遮断され、残りが液晶層に達する。液晶層に電圧を印加しない状態では、液晶層に達した光の偏光成分は液晶分子の捩れに追従して90°回転し、出射側の偏光板を通過する。電圧を印加すると、液晶分子が垂直に配向し、液晶層を透過する光の偏向成分は直交する出射側の偏光板によって遮断される。こうして液晶層への電圧のON/OFFによって、光のON/OFF が制御され、ディスプレイに応用される。

図3-5.TN-LCDの動作原理6)

注:液晶の種類や動作原理には様々な方式があるが、詳細の説明は他書に委ねたい。

液晶ディスプレイは、1980 年代になると、文字・数字の表示用から画像表示用に各画素のON/OFF を直接制御するTFT(Thin Film Transistor:薄膜トランジスタ)を使ったパネルの開発が活発になった。1986 年には松下電器産業(当時)が世界で初めて3 型のa-Si-TFT(amorphous Silicon TFT)によるLCDカラーテレビを販売した。a-Si-TFTは、TFT 材料の一つである。1980 年代後半は大型化の技術開発が活発化し、数例の10型クラスのカラー液晶パネルが発表されている12)13)。図3-6は三菱電機が1986 年のエレクトロニクスショー(現在のCEATEC)に出展したa-Si-TFT の技術に基づく10 型液晶ディスプレイの表示例である。

図3-6. 10型液晶ディスプレイ(1986 年)5)

1988 年には、シャープが14 型液晶ディスプレイを開発した。14 型は、1988 年当時、TFT液晶の量産サイズが3型だった頃にテレビ用CRTに匹敵するサイズの試作に成功し14)、その後テレビ用液晶の開発が本格化した。「テレビ用14インチTFT液晶ディスプレイ」は、その後の液晶産業の発展に貢献したことでIEEEマイルストーンに認定されている15)。図3-7は14型TFT 液晶ディスプレイの例である。

図3-7.テレビ用14型TFT液晶ディスプレイ16)

液晶ディスプレイの大型化は、半導体技術に基づくTFT の歩留が低下して難しいとされ、プラズマディスプレイとは画面サイズ(概略40型以下は液晶)で棲み分けされると考えられていた。その後、液晶の製造技術が進歩して急激に大型化が進むと、液晶ディスプレイは、小型から大型まで、軽量・薄型・低電圧・低消費電力の特徴を生かして、ディスプレイのメインデバイスに成長した。

(2) 液晶モジュールの配列

液晶モジュールを配列した大型表示装置は、1983 年に製品名スペクタスとして三菱電機から発表されている17)。この種の大型表示装置は、公共の明るい環境で使用できる高解像度・高解像度の大型カラー映像表示装置として一定の需要があり、他の企業も参入した。図3-8は、改良されたスペクタスⅡの液晶モジュールである。駆動回路が実装され、液晶パネルの裏面には3波長蛍光灯が配置される。1996 年以降になると、LEDの大型映像表示装置が普及し始め、徐々に姿を消した。液晶モジュールを配列した大型表示装置の詳細は5章で示す。

図3-8.大型映像表示装置の液晶モジュール5)

3-4 プラズマディスプレイ

(1)プラズマディスプレイの概要

プラズマディスプレイ(PDP:Plasma Display Panel、以下PDP)は、ガラスのパネル内に封入されたガスの放電を利用する。1964 年に米国のイリノイ大学で基本原理が発明され、1970 年代にネオンガスの放電によるオレンジ色の数字や文字用のモノクロ表示装置として実用化された。1980 年代にはグラフィック画像を表示できるようになり、可搬型パソコンなどに使用された。1981 年当時、三菱電機では、艦艇用の情報システムを手掛けており、表示部の衝撃にCRTが耐えられないことから512×512画素のPDPが使用された。軍用では、図3-9のPhotonicsTechnology社の2048×2048 ドット(対角1.5 m )のパネルが知られており18)、この大画面・高精細の実績がその後の大型カラーPDP開発の根拠を与えた。PDPは、1987 年にはモノクロPDP搭載の可搬型パソコンが世界で1年間に数10万台のオーダーで販売されたが19)、その後は安価なLCDが急速に普及することになる。

1980 年代には、NHK 放送技術研究所が壁掛けハイビジョンを目指してDC 型カラーPDPを開発したが20)、輝度、効率、動作速度などに課題があり、富士通が開発した図3-10のAC型3電極面放電方式がその後のPDPの主流になった。 

図3-9.Photonics社のPDP18)

図3-10はPDPの基本的な構造を示す。前面および背面のガラス基板上にそれぞれ直交する向きに電極が形成されている。前面基板上の一対の表示電極(走査電極と維持電極)は、透明電極が用いられる。背面基板上にはデータ電極が形成されている。データ電極を仕切る隔壁は、高さは100μm強で、前面基板と背面基板の空間を支持し、内面には蛍光体がストライプ状に塗布されている。表示は、直交する走査電極とデータ電極間の書込みパルスによる放電がセル内の誘電体に覆われた表示電極側に壁電荷を蓄積する。表示電極対間の放電維持パルスによって、壁電荷の蓄積による表示電極対間の放電が維持され、発生した紫外線によって赤、青、緑に発光する。表示の制御は、放電維持パルス数を画像の濃淡に比例させるADS(Address Display Separation)である。この新しい階調駆動法の開発によって階調表示性能が大幅 に向上した。

図3-10.PDPの代表的パネル構造6)

PDP は、1992 年には富士通によって21 型フルカラーAC 型パネルが発表され、翌1993 年に量産が開始された21)。図3-11は21型PDPの表示例である。この発表が契機になり、業界においてPDPの開発および製品化が加速された。

図3-11.21型PDPの表示例22)

PDPは、TFT 液晶に比べて大型化に有利とされ、各社が40 型以上のパネル開発に取組んだ。1996 年に富士通が世界初の42型、1997 年に民生用42 型ワイドプラズマテレビを開発した。同年 12 月にはパイオニアが世界初の50 型民生用プラズマテレビを発売した。表示品質の向上と共に、テレビ用として使われるようになり、CRTに比べて薄形で軽量化され、奥行き寸法は10 cm 以下で家庭用にも浸透した。さらに大型化に向けて国際的な競争が激化した。

パナソニックは、2006 年に103V 型PDPを実用化した23)。さらに2008 年には世界最大の150型PDPを発表した。その後、消費電力などで有利な液晶パネルの製造技術が進歩して大型化が進むと、PDP は2008 年ごろをピークに年々世界シェアを落とし、2014 年には終息した。

(2)PDPの配列

図3-12(a),(b)は、1999 年のIDW’99において発表されたPDPユニットとそれを配列した大型表示装置の表示例である24)。(a)のPDPユニットは、10㎜ピッチの8×8画素を含む。(b)は、このPDPユニット4枚(2×2)を1モジュールとし、横8×縦6モジュール(128×96画素)で64インチサイズの表示装置を試作したものである。さらにPDPは、放電空間が広くなるほど発光効率が良くなることから、この構造によって、当時としては高効率のPDPに比べて2倍近い効率を実現していた。

(a).PDPユニット

(b)表示例

図3-12.PDPを配列した大型映像表示装置24)

当時の大型映像表示装置は、LED方式が普及し始めた頃である。高解像度の大型映像表示装置は、LEDの密度に対応してコストが高くなることから、高画素密度のPDPを配列する方式が注目された。特にPDPは周辺の封止部を短縮して高解像度の表示装置を実現できる。この発表は、その後LEDの価格が下落したこともあり、実用化はできなかったが、その技術は、IDW会場で実演されてTopics賞を受賞しており、先駆的な技術として注目された。

さらにAC型PDPの原理を応用したプラズマチューブアレイも提案されている。これは直径1mm程度の中空ガラス管内にPDPと同じ構造が作り込まれ、そのガラス管を配列して曲面、円筒などの表示装置を構成できる。この技術は、実用化された経緯があり、詳細は7章で紹介する。

3-5  蛍光表示管

(1)蛍光表示管の概要

蛍光表示管(VFD: Vacuum Fluorescent Display、以下VFD)は、1966 年に伊勢電子工業(現在のノリタケ伊勢電子)の中村正博士らが開発した日本人の発明による唯一の表示デバイスである。青緑色の見やすい表示を特徴とし、当初、丸型ガラス管に1桁の数字を表示するデバイスを並べて電卓の数字の表示に使われた。図3-13は、丸型ガラスVFDである。(a)は量産初期の丸型ガラス単桁VFDである。1970 年代には平型や丸形ガラス容器に多桁の数字を表示する方式が開発され、電卓から家電製品のインジケーターへと用途を拡大した。(b)は丸型ガラス多桁VFDである。これも電卓に使われた。その後、平型ガラスVFDが開発され、1970 年代後半には、文字やグラフィック画像の表示用VFDが開発されている。VFDは、使用可能な温度の幅(-60 ℃~+85 ℃)が広く、液晶などで制約のある環境でも安定して動作することから、1980 年代には車載用の速度計などにも使われるようになった。

(a) 量産初期の丸型ガラス単桁VFD25)

(b) 丸型ガラス多桁VFD5)

図3-13.丸型ガラスVFD

図3-14は平型VFDの代表的な構成例である。真空排気されたガラス容器内に、主な構成要素の陰極(カソード)、陽極(蛍光体)、グリッドなどがある。陰極が加熱されると、熱電子が放出され、正の電圧が印加された陽極の蛍光体に照射されて発光する。格子状のグリッドは熱電子の通過を制御する。さらに光も透過し、表示は格子状のグリッド側から見る。

図3-14. VFDの構造

同じ真空デバイスのCRTが陽極に数千から数万Vを印加するのに対し、VFDの陽極は数十Vである。蛍光体の形状や種類を変えることで、様々な情報を適切な色で表示することができる。図3-15はカラー表示用として試作されたVFDの見本で平型ガラス容器内に任意の発光形状と任意の色を形成できる。

図3-15.カラー表示用VFDの見本25)

(2)VFDの配列

VFDを配列した大型表示装置は、1982 年に開発に着手し、1984 年に画像を表示した。VFDは、当時、自発光でフルカラーの表示を実現できる唯一の表示デバイスであった。図3-16は当時のVFDで、図3-14と同じ構造である。発光部の周囲に非発光部があり、ライトガイドを使って個々の表示を拡大し、継ぎ目を軽減した。画像の表示には成功したが、発光素子間の継ぎ目が目立つ未熟な画質であった。それでもこの開発は、第二世代オーロラビジョン以降の開発に影響を与えている。

図3-16.大型映像表示装置用VFD 5)

VFDを配列した大型表示装置は、双葉電子工業も同様の試作例がある26)。その技術は、ソニーのジャンボトロンの発光素子に採用された。第二世代オーロラビジョンおよびジャンボトロンの発光素子の製造は、それぞれ伊勢電子工業および双葉電子工業が担った。

これらの詳細は5章で紹介する。

3-6 有機EL

(1) 有機ELの概要

有機EL(OLED:organic light-emitting diode)は、発光層が有機化合物の発光ダイオードを構成しており、有機発光ダイオード(OLED)とも呼ばれる。1950 年代初頭に発見され、1960 年代には発光現象が研究された。1987 年には、米国コダック社のC. W.Tang らが有機EL積層機能分離型デバイスを発明し、低電圧で高輝度が得られることを実証した。その後、実用化を目指して研究され、1997 年には東北パイオニアが世界で初めて量産に成功した。図3-17は世界初の有機ELディスプレイを搭載した車載用FM文字多重レシーバーである。2007 年にはソニー が世界初の11 型有機ELテレビを発売した。2010 年に撤退したが、2017 年には各社が高画質大画面の有機EL テレビに再参入している。

図3-17.世界初の有機ELディスプレイ27)

有機ELの代表的な構造およびプロセスを図3-18に示す。陰極および陽極に電圧をかけると、各々から注入された電子と正孔は、電子輸送層・正孔輸送層を通過して発光層で結合して発光材料が励起されて発光する。陰極には金属薄膜、陽極には透明電極が使われ、発生した光は反射面で反射され、透明基板を透過する。

図3-18.有機ELの構造およびプロセス

(2)有機EL の配列

有機ELは、マトリクス状に配列して大型表示装置を構成する有力な表示デバイスとされ、いくつかの試作例がある。一方、有機ELを配列すると、個々の有機ELパネル間に、封止部や電極が非発光部として露出し、パネル間の目地として目立つことになる。これらの非発光部を目立たなくする有機ELパネルの目地レス配列が課題であった。図3-19は、4枚の有機ELパネルを配列した表示ユニットの例である。有機ELパネルの構造と加工技術に工夫があり、パネル間に露出する封止部や電極を目立たなくしている。この表示ユニットをマトリクス状に多数配列した有機EL方式大型表示装置は、2009 年にスケーラブルな有機ELディスプレイとしてCEATECに出展して注目された。翌年には、その技術が発表された28)。この技術の詳細は7章で紹介する。

図3-19.有機ELの目地レス配列5)

3-7  電界放出ディスプレイ

(1) 電界放出ディスプレイの概要

電界放出ディスプレイ(FED: Field Emission Display、以下FED)は、強電界で放出された電子を蛍光体に衝突させて発光させる表示デバイスである。画素毎に電子源を持つ。電子源は表1に示すスピント(Spint)型、SED(Surface-conduction electron-emitter display)型、CNT(Carbon Nanotube)型がある29)


表1.電子源によるFEDの分類31)


スピント型は、尖った先端のエミッタに電界を集中させて電子を取り出す。ソニーの技術をエフ・イー・テクノロジーズ社が継承し、19.2 型のFEDディスプレイを公開した。図3-20は2008 年NAB(National Association of Broadcasting)にてVidy Awardを受賞した時の写真である30)。他の表示デバイスと比べて、特に動画の画質に優れており、発売が期待されたが、その後生産は断念された。

図3-20.19.2型FEDディスプレイ(2007 年)30)

SED型は、超微粒子膜で形成したスリット間に電圧をかけて電子を放出させる。キヤノンが東芝と共同で量産を目指して2005 年のCEATECに出展した。図3-21はこのCEATECの様子である。ブース正面にSEDを10 台並べる大量展示でアピールしている。翌年の2006 年には55 型の試作品も公開している。次世代薄型テレビとして期待されたが、2007 年には特許訴訟の影響もあって東芝が撤退し、2010 年にはキヤノンも開発を断念した。

図3-21.2005 年CEATECに出展されたSED5)

CNT(Carbon Nanotube)型は、鋭いCNT の先端に電界を集中させて低電圧で電子を引き出す。スピント型のエミッタをCNT に置換えた構造である。平面ディスプレイの開発例もあったが、実用化には至っていない。図3-22は文献に掲載された40型ディスプレイの例である32)

図3-22.40型CNT-FED パネルの試作例32)

FEDは、動画や暗部の階調表現力などCRTの優れた画質を踏襲し、表示デバイスを薄型軽量に構成してCRTの課題を克服できる優れた特徴があり、実用化の一歩手前まで開発が進んだ。そのFEDが事業化されなかった背景には、多額のリソースが必要であったことに加え、液晶・プラズマテレビの大型・高画質化と価格下落の急速な進展がある。

(2) FEDの配列

FED の配列は、CNT 型において、大型映像表示装置のための発光素子の開発例がある28)。図3-23はその試作例で、(a)はその構造、(b)は外観である。CNT方式は、LEDの価格が未だ高かった頃に画素当たりのコスト削減を目指して開発された。その後、LEDのコストが下がり、大型映像表示装置のLED 化が急激に進展したことから、実用化には至っていない。

(a)CNT 型発光素子の構造

(b)CNT 型発光素子の外観

図3-23.CNTによる大型表示装置用発光素子6)

3-8 電子ペーパー

(1) 電子ペーパーの概要

電子ペーパーは、読みやすい次世代の反射型表示装置として、各種方式が検討されている。背景には、電力あるいは紙の大量消費を抑制する社会的ニーズがある。目指すところは超低消費電力で紙の一部を置き換える見やすくフレキシブルな電子ディスプレイである。一般に情報の書き換えができて、印刷のような見やすい表示、軽量・薄型、無電力で長時間表示を保持できるなどの特徴がある。代表的な方式がE-Ink社のマイクロカプセル電気泳動方式である。図3-24はE-Ink社の研究開発に基づくマイクロカプセル電気泳動方式の説明図である34)。この方式は、流体を収めたマイクロカプセルの中で白色と黒色の粒子を電界によって移動させて白黒の表示を行なう。日本では、独自に同様の方式が開発された例もある35)

図3-24.マイクロカプセル電気泳動方式の説明図34)

(2) 電子ペーパーの配列

各種の表示デバイスは、マトリクス状に配列することによって、大画面の情報表示装置を構成できる。表示デバイスとして電子ペーパーの利用も例外ではない。図3-25は、2014 年の国際学会SID(Society for Information Display)において、E-Ink社のブースで紹介された電子ペーパーの配列例である。上部に照明があり、看板のような用途が想定され、4×4のデバイスが配列されている。個々のデバイス間は、目地を最小化するための工夫がある。

図3-25.電子ペーパーの配列(2014 年SID)5)

3-9 無機EL

(1) 無機EL の概要

無機EL(EL:Electro-Luminescence)は、無機化合物の発光層に電圧を印加すると発光(ルミネセンス)する現象を利用したディスプレイである。発光層の形成方法や駆動方法にいくつかの方式がある。図3-26は、モノクロ発光無機EL素子の代表的な構造である。ガラス基板の上に透明な行電極、絶縁層、EL発光層、列電極を積層しており、交流電圧を印加して発光する。

図3-26.無機EL パネルの構造6)

無機ELは、カラー化の研究はあるものの、実用レベルの輝度が得られるのはオレンジイエローである。駆動電圧が高く、コストが高いことが課題である。1970 年代にはテレビ画像を表示できるELテレビの試作例が報告されている36) 37)。図3-27は1970 年に紹介されたELテレビの試作例で、(a)は外観、(b)は表示例である。無機ELは視認性や耐環境性に優れた特徴を持ち、スペースシャトルに搭載されたり、ワープロに採用された実績はあるが、フルカラー化のニーズに応えきれず、平面ディスプレイの主役にはなれなかった38)

(a) EL テレビの外観

(b) 表示例(5 型CRT相当)

図3-27. ELテレビの試作例36)

(2)無機ELの配列

薄膜型の無機ELを配列した例では、55 mm×40 mmの1文字分のパネル(11×8画素)をモジュールとして、16行×47文字分を表示する1.6 m × 2.6 m の表示板が空港のフライト情報表示に用いられた例がある39)。図3-28は、フライト情報表示用のオレンジイエローに発光する薄膜ELの文字表示用モジュールである。空港のフライト情報表示板は、このモジュールを配列して構成されている。

図3-28.薄膜ELを用いた文字表示モジュール39)

3-10 マルチビジョン

表示装置を縦横に配列すると、大画面の表示装置を構成することができる。近年、駅や空港など、人通りが多い公共の場所には、液晶のマルチビジョンを良く見かける。その起源は、明確ではないが、1980 年ごろには公共の場でテレビ用CRTモニターを配列したマルチビジョンが使われている。1985 年には、つくば博でも活躍している。図3-29は、1980 年代に大阪のビルの壁面に設置されたマルチビジョンである40)。28型モニター49 台が使われている。家庭用テレビと同じく太陽光の下で十分なコントラストを得難く、昼間は音声のみが放送され、画像の表示は夜間の用途に限定されていた。

図3-29.CRTマルチビジョン40)

図3-30は、180 台のCRTモニターを配列した縦横5.4 m ×10.7 m のディスプレイである。福岡市内のキャナルシティ博多に設置され、世界的アーティストのナム・ジュン・パイクによるビデオアートとして知られている。1996 年の開業時に誕生したが、経年劣化により徐々に故障し、放映も一時中断さてれていた。最近、4年がかりで修理され、現在は1日に3回、1時間ずつ時間限定で放映されている。

図3-30.福岡キャナルシティのマルチビジョン5)

修理時は、CRTモニターの多くが故障しおり、CRTは既に世界中で生産が終了していた。日本では、必要なCRTの収集がリサイクル法により容易ではなく、韓国における中古市場より必要数を収集し、修理および改造が行われた。故障していたコントローラは、部分的な修理によりFPGAの動作解析が可能となり、オリジナルの設計思想を生かして現代の技術で再製作されている。このように復元には、ハードおよびソフトとも、キャナルシティ博多の関係者の相当な苦労があった。今後、さらにこの価値を将来に生かし続けることが課題である。

マルチビジョンは、表示装置の発展とともに用途も多様化している。今では、公共スペースでは、液晶マルチビジョンがデジタルサイネージに利用され、信頼性が求められる大画面の監視システムでは、DLP®方式プロジェクター(DLP:Digital Light Processing)のマルチビジョンが使用されている。さらに最近では、有機ELのマルチビジョンの設置例もある。

図3-31は、国内最大の大型有機EL曲面デジタルサイネージである。55型モニターが36面使用され、縦横約4 m ×約7 m の大型映像表示装置として、博多駅の人通りの多いコンコース内のスペースに設置されている。曲面と有機EL特有の高コントラスト映像は、高精細で臨場感のある映像として人目を引く。特にサイネージの前面に広がるスペースの効果的な活用と合わせて、新たなメディアとしての可能性が感じられる。

図3-31. 有機ELのマルチディスプレイ5)

3-11 表示デバイスの総括

表示デバイスは、様々な方式が開発された。長年にわたって主流であったCRT や大型化が期待されたPDP が終息し、特徴あるデバイスが生残った。今や液晶パネルと有機ELが主なデバイスに成長した。

液晶パネルは、低電圧・低消費電力ゆえ、テレビの他、携帯端末、車載用途、サイネージ等、小型から大型まで幅広く使われている。しかし価格の低下が他のデバイス以上に厳しい。

液晶産業の将来像は、1995 年頃から当時のEIAJ(Electronic Industries Association of Japan)で議論され、大型化だけでなく高度な技術を要するLTPS(Low Temperature Poly Silicon)-TFTによる高付加価値技術の開発(超高精細化、システム化など)、共同研究開発体制などが提言された。しかし、韓国、台湾では、技術が急速に高度化し、LTPS-TFT液晶パネルや、液晶パネル以上に高度な技術を必要とする有機ELも開発・量産が進展した。背景には、人材の海外流出や最新製造装置による技術ノウハウの流出があるとされる。

現在、テレビ用液晶パネルは、日本だけではなく韓国、台湾でも撤退する企業が現れ、シェアの上位に国の援助を得た中国企業が進出している。

有機ELテレビは、実用化で日本が先行したが、大型の量産技術が進まず、今や韓国のLG社が独占している。携帯端末などの小型では韓国のサムスンの独占状態が続き、現在は中国勢(BOE等)も参入している。日本では主に小型パネルが量産されている。

2014 年の国際学会SID(Society for Information Display)では、このような状況を象徴するような展示があった。図3-32および3-33は展示の一例である。

図3-32. LG社の有機EL展示5)

有機ELは、LG社のブース正面に大きく展示されていた。図3-32は、左から55型、65型、77型、さらに55型の4K曲面ディスプレイである(注1)。サムスン社は携帯端末用の小型に特化していた。大型の有機ELでは、前年に55型の4Kを展示して話題になった日本企業は撤退し、サムスン社も開発を凍結しており、一年で業界の動向が急変した。

図3-33. BOE社の98型の8Kディスプレイ5)

液晶パネルは、韓国企業2社による105型の曲面ディスプレイの展示が見られたが、大画面のインパクトはあまりなく、むしろ中国のBOE社が展示した98型の8Kディスプレイが目を引いていた(注2)。

このように大型有機ELはLG社の独壇場の感があり、液晶パネルは中国企業に勢いが感じられた。日本のテレビメーカは、有機ELパネルではLG社製、液晶パネルでは主に中国製を使用しているが、画質で差別化している。液晶テレビは、当初、視野角、応答性に課題があり、特にホールド型表示(1画面1 / 60 secの期間に表示が維持される)ゆえ、本質的に動画がぼけていた。そこで各種の動画質の改善対策が施されている41)。テレビは、画像を綺麗に見せる画像処理技術も重要であり、ここに日本が長年にわたって養った各社独自の技術が生かされている。

大型映像表示装置との関係を振返ると、液晶パネルと有機ELを含めて、各種表示デバイスは何れも大型映像表示装置への適用例がある。しかし現在はほとんどがLED方式に置換わっている。今後の表示デバイスの動向は、当面、液晶パネルと有機ELが重要な役割を果たすと思われるが、さらにその先を見通すことは難しい。実際に次世代技術としてマイクロLEDの技術も注目されており42)、この分野の研究開発が活発化している。今や表示装置は、小型から大型、さらに超大型まで、情報化社会における不可欠の技術・製品であり、国際的な競争が激しい分野でもある。今後の新たなブレークスルーが期待される。


(注1)4Kディスプレイとは、フルハイビジョンの4倍の画素数を持つ高解像度ディスプレイである。画素数は3840×2160で、4Kは横方向の画素数が約4000を表している。

(注2)8Kディスプレイとは、フルハイビジョンの16倍の画素数を持つ超高解像度ディスプレイである。画素数は7680×4320で、8Kは横方向の画素数が約8000を表している。

参考文献

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14)   武宏:国立科学博物館“液晶ディスプレイ発展の系統化調査” (2015)
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21)   篠田傳ほか:“大型プラズマディスプレイ開発の現状—大画面壁掛けテレビを目指して”, 応用物理, Vol. 65, No. 7, pp.723-727 (1996)
22)   「写真提供」篠田プラズマ株式会社社長篠田傳
23)   大竹桂一ほか:“103型7フルHDプラズマディスプレイの開発”, 2006 年映情学年次大 (2006)
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25)   「写真提供」ノリタケ伊勢電子株式会社龍田和典
26)   福田辰男ほか:“蛍光表示管を使用した大画面ディスプレイ”, テレビ学技報Vol. 9, No. 43, pp. 31-35(1986)
27)   「写真提供」東北パイオニア株式会社鈴木浩之
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29)   松川文雄編著:“ディスプレイデバイス(森北出版)”
30)   「写真提供」元テックゲートインベストメント桝谷均
31)   書籍29)のp.90, 表5.1を参考に筆者作成
32)   S. Uemura et al.: “Large Size FED with Carbon Nanotube Emitter”,SID 02DIGEST Vol. 33, No. 1, pp. 1132-1135 (2002)
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34)   面谷信:“電子ペーパーの基礎”, 映情学誌, Vol. 67, No. 10, pp. 881-886 (2013)
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38)   伊東純一:“フルカラー無機ELディスプレイの現状と将来の展望”, 表面技術, Vol. 56, No. 5, pp. 260-263(2005)
39)   J. Duncker: “A large information board using TFEL devices”, SID 83Digest, pp. 42-43 (1983)
40)   長谷美三雄:“大型ビルボード事業の現状と将来展開”月刊ディスプレイ, Vol.6, No.5, pp.29-33 (2000)
41)   栗田泰市郎:“ディスプレイの時間特性と動画表示画質”,日本視覚学会2012 年夏季大会,チュートリアル講演, pp. 154-163(2012)
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 4 屋外用カラー大型映像表示装置の誕生と影響

屋外用カラー大型映像表示装置オーロラビジョン(海外名Diamond Vision)は、オイルショックの影響で事業の継続に危機感を覚えた船舶技術者たちが生み出したイノベーションである。1980 年のドジャースタジアムで開催されたMLBオールスターゲームにおいてデビューした。技術的には、当時、モノクロの大型映像表示装置が実用化され1)、屋内用では、既に豆電球を配列したカラーディスプレイが発表されている2)。それでも屋外の太陽光下で十分な輝度のカラー映像を表示するには、発光素子と周辺技術の技術革新を必要とした。さらに非常に高価なシステムになることから、市場が本格的に立ち上がる前は、開発に関わった技術者たちが世界をまわって市場を開拓している。ここでは当時の深刻な危機感から生まれた大型映像表示装置オーロラビジョンと、その後の業界および社会に与えた影響について述べる。特に初号機の納入後、各社が参入する前の技術者たちによる地道な市場の開拓は、イノベーションについて考える教訓を与えている。業界では、各社が独自の発光素子と大型映像表示装置を開発して市場に参入し、市場の拡大に貢献しており、それぞれの技術の概要についても紹介する。

4-1 オーロラビジョンの誕生

1970 年代後半は、多数の人々に共通の情報を提供する手段として、ビデオ映像を表示するモノクロ電光掲示板が設置され始めていた。家庭では、人々が自宅のカラーテレビで気軽にスポーツを観戦できるテレビ時代でもあった。オーロラビジョンは、このような時代的背景の中で、競技場の観客に新たなサービスを提供するシステムとして誕生した。

4-1-1 開発の背景

オーロラビジョンの開発当時、三菱電機長崎製作所における船舶部門は、多様な船舶を対象に、モーターや発電機の制御装置、エンジンの遠隔制御装置などの舶用電機品の設計、製作を担当していた。事業は順調であったが、第二次オイルショックが船舶事業を直撃し、技術者の異動を含む構造改革と、新分野への進出が求められていた。当時の技術者は、日本初のマイコンショーに舶用機器のマイコン応用品を出展するなど、新技術の導入に積極的ではあったが、地理的ハンディゆえ新分野に繋がる情報が不足していた。本社のシステム商談に対応する部門には、各種の情報が集まることから、1978 年 6 月に新事業創出の期待を託された長崎製作所の船舶技術者が本社に駐在することになった。この異例の人事には、新分野の開拓を奨励していた所長のリーダーシップと、技術者の派遣を実現した課長の行動力、さらに派遣される技術者の並々ならない決意があった。

本社では、温室制御システム、自動倉庫などの各種システム商談があり、技術的な検討が進められていた。オーロラビジョン開発の契機になったのは、国内の野球場におけるスコアボードのフルカラー化の商談である。当時、野球場のスコアやファンサービスの表示用の電光掲示板は、白熱電球が使用され、一部でモノクロのビデオ表示が始まった頃である。本社において、将来この分野が伸びると判断され、技術的検討が開始された。

最初に検討されたのは、白熱電球にカラーフィルタを使ってカラー化する案である。この方式は、発光効率が大幅に低下し、太陽光の下で十分な輝度を得るには、消費電力が大きすぎた。計画が難航する中、本社に駐在中の技術者が小型のCRT (Cathode Ray Tube)を配列する案を着想した。

CRTは、発光効率が高く、大型表示装置の発光素子に適用すると消費電力が白熱電球の約10 分の1になる。早速CRTを専門とする技術者が加わり、計画が動き始めた。

4-1-2 試行錯誤の開発

開発は、本社を推進役として、技術者が組織を超えて取組んだ。発光素子は、京都製作所のCRT技術者が担当した。表示の制御は、平面ディスプレイの画像表示技術を研究する中央研究所(当時)の技術者である。既にELテレビ、プラズマディスプレイ、1970 年万国博覧会の三菱未来館に出展されたシルエトロンの開発などの実績があった。さらにスクリーンおよび画像の制御部は、新事業に挑戦する長崎製作所などの技術者が主な役割を果たした。本社に駐在中の技術者は、開発を加速するために1979 年 8 月に長崎製作所に帰任した。

図4-1はCRTの技術を応用したオーロラビジョン用の発光素子(光源管)の説明図である3)。一般のCRTが電子ビームを点状に絞るのに対し、光源管は、電子ビームを蛍光面全体に均一に照射する。その点灯は、電子ビームONの発光強度を一定にして、画像の1画面に対応する1フィールド期間(1 / 60 秒)に光源管のON/OFFを制御する。さらにON時間の累積時間幅が画像の濃淡に比例するように制御する。この方式は、当時研究されていたプラズマディスプレイの制御を応用したPWM(Pulse Width Modulation)である4) 5)

図4-1.オーロラビジョン用光源管の説明図3)

光源管は、直径約28.6 mmで設計された小型のCRTである。これを45 mmピッチで配列して画像を表示する。この計画は、発光素子の間隔が広く、混色が疑問視されるなど、実現に否定的な意見もあったが、本社と長崎製作所が開発費を捻出して赤・青・緑の3種類の光源管を開発した。この光源管と駆動回路および電源とともに表示ユニットを構成し、この表示ユニットを使って縦横約2 m ×1 m のプロト機を試作した。この頃、製品はオーロラビジョンと命名された。

プロト機の試作は、課題も見えたが新たなアイデアも生まれ、開発を大きく前進させた。図4-2はプロト機用に試作された光源管である。光源管の表示面は、透明なガラス内面の蛍光体が白く見える。昼間の点灯試験では、太陽光が直射すると、光源管表面の蛍光面の反射が大きすぎて画像が全く確認できなかった。そこで各光源管にひさしで影を作り、蛍光面への太陽光の直射を避けてコントラストを確保した。

図4-2.プロト機用に開発された光源管6)

図4-3は、ドジャース球団へのデモ機として使用されたオーロラビジョンのプロト機である。図4-2と同じ光源管を使用している。スクリーンは表示面に直射日光が当たらない場所に設置しているが、周囲は十分に明るかった。ここではひさしの効果によって画像のコントラストを確保している。

図4-3.オーロラビジョンのプロト機7)

表示ユニットは、オーロラビジョンのキーコンポーネントである。プロト機では、電子技術に豊富な実績のある事業所が試作した。開発が進み、実用化の設計段階では、本社から高い技術力を評価された長崎製作所が表示ユニットを担当することになった。こうしてオーロラビジョンは、実質的に長崎製作所で設計・製造することになった。

光源管の配列は、オーロラビジョンの画質および構造設計において重要である。図4-4は、画素配列の比較である。プロト機は、(a)の各色が同数のRGBデルタが採用された。これに対し量産では、船舶技術者が各色の発光効率のバランスを考慮して(b)の緑2本、赤、青各1本の光源管を格子状に配列するRGGBモザイク配列を提案した。すぐに研究所の技術者がシミュレーション画像を作成して各画素配列の画質を比較・評価した。こうしてRGGBモザイク配列の採用が決まった。この配列は、発光素子をマトリクス状に配列する表示ユニットの構造に適しており、さらに巨大スクリーンを構築するための構造設計にも役立った。当時、出願されていた実用新案「カラー画像表示パネル」には各種画素配列が提案されている8)。その中の一つにRGGBモザイク配列が含まれていた。それは権利化された訳ではなく、実際の製品に適用されたのはオーロラビジョンが初めてである。後日、新たに開発された第二世代オーロラビジョンにも引き継がれている。

(a)RGBデルタ配列(プロト機に適用)

(b)RGGBモザイク配列(製品に適用)

図4-4.光源管の配列9)

図4-5は、初号機と同じく光源管を45㎜ピッチで配列してRGGBモザイク配列を適用した表示ユニットである。初号機の表示ユニットは残されておらず、図4-5の表示ユニットは、同じ構造ではあるが、後日開発された直径35 mmの光源管が使われている。

図4-5.表示ユニット(光源管の配列45㎜ピッチ)7)

4-1-3 超短納期の初号機出荷

オーロラビジョンは、光源管にCRTを採用しており、高価な表示装置になることから、海外における実績が重視された。そして海外営業の関係者の尽力で、初号機の商談は、野球場における有用性を高く評価した米国ドジャースタジアムになった。1980 年 2 月、ドジャース球団の会長が長崎製作所で図4-3のプロト機を視察し、受注が正式に決定した。同年 7 月に開催されるMLBオールスターゲームに使うことが条件であった。一部で見切り発車的な設計は進められていたが、この受注を受けて正式に超短納期の設計、製造がスタートする。

超短納期の受注につき、CRTの製造を担当する京都製作所では、短期間の量産立ち上げとなった。図4-6は、初号機で使用された光源管である。ガラスを発光色と同じ色に着色することで発光色を透過させつつ外光の反射を抑制できる。製造は、急ごしらえの設備で手作業も多く、退職した元従業員などの協力も得て急場をしのいだ。それでも初期の製造能力では光源管の本数が不足することから、オールスターゲームではスクリーンのサイズを縮小して運用し(5.8 m ×8.7 m )、後日、正規サイズ(7.2 m ×10.8 m )に更新された。

図4-6.初号機に使われた光源管7)

大型スクリーンを担当する長崎製作所においても、必要な部品類、金型類の新規設計・製作、信頼性の検証、多彩なコンテンツを表示できる画像処理装置の開発など、解決すべき課題が山積しており、技術者は、残業の日々が続いた。オーロラビジョンは、風雨に曝される屋外環境で使用されるので信頼性についても十分な検証を必要とした。図4-7は、信頼性試験の一例として、当時の防水試験の様子を示している。

図4-7.信頼性試験の一例7)

米国への出荷では、スクリーンを据え付ける構造物や映像を送出するビデオ機器も手配した。さらに安全規格の取得では、手続きに長崎製作所の部長以下、本社および現地に出向中の技術者も巻き込み、三菱電機の総合力が発揮された。スクリーンは、当時の時津工場(長崎県)の奥に設置された鉄骨構造物に組み上げられた。5 月下旬に初めて大画面の画像を表示して画質を検証し、ドジャース球団副社長の立会い検査を受けた。そして直ちに米国へ空輸された。海外における製品名は、英語で発音しづらいAuroraを避けてDiamond Visionに決定した。

4-1-4 運用ソフトの開発とオーロラビジョンの誕生

オーロラビジョンは、ドジャースタジアムへの据え付け時、コンテンツの表示を制御するビデオシステムについて、球団関係者から今の仕様では観客を満足させる運用ができないとの厳しい指摘があった。現地の技術者たちは、球団が求める仕様の実現に向けて、操作室とビデオシステムの設計、製作、機材の配置とソフトの作り込みに取り組んだ。図4-8は、システムのブロック図である10)。操作室は、ビデオ機器および文字・グラフィック画像のコントローラ類が使いやすく配置された。図4-9は、これらのビデオ機器類が配置されたオーロラビジョンの操作室である。選手紹介やリプレイ、試合前、試合中のチームの状況に応じてコンテンツをタイムリーに放映する手順など、観客を盛上げる運用ソフトを創り上げた。現地の映像システム会社の支援も受けたが、未経験の仕様の実現には、外部のサポートを得難い洋上において、即断即決の問題解決に取組んだ船舶技術者たちの豊かな経験が役立った。さらに試合日程の都合で作業時間が制約される中、オペレータのトレーニングやリハーサルを繰返し、当日を迎えた。

図4-8.システムのブロック図10)

図4-9.オーロラビジョンの操作室11)

図4-10はオーロラビジョン設置直後のドジャースタジアムの様子である。光源管の容器は発光色と同色に着色し、各光源管にはひさしを設けた。オーロラビジョンは、太陽光が直射したときの画面が周囲の黒塗装よりも黒く、十分なコントラストを実現できている。優れた画質と球場のニーズを満足することで第一世代の大型映像表示装置オーロラビジョンが誕生した。

当時の新聞、雑誌類には、$3 M (当時の日本では7 億円)の価格が開示され、普及を危ぶむように高価なシステムであることが話題になった。設置後は、観客を盛上げることに役立ち、さらに翌1981 年ドジャースの16 年ぶりのワールドシリーズ優勝に貢献した。その優れた設置効果が認知され、他球団への導入にも役立ち、国内外における市場が立ち上がり始めた。

図4-10.設置直後のオーロラビジョン(レフト側)11)

図4-11.ドジャースタジアムの試合の様子11)

ドジャースタジアムのオーロラビジョンは、設置されて以降、フル稼働状態にあった。図4-11は、試合中に稼働しているオーロラビジョンの様子である。当時、ヨーロッパの論文誌DISPLAYSにオーロラビジョンの論文が投稿されており12)、この写真は、1983 年に出版されたDISPLAYSにおける日本の電子ディスプレイ特集号の表紙を飾った。

コラムについて

大型映像表示装置オーロラビジョンを生み出した船舶技術者たちは、画像を専門とする訳ではなかったが、発光素子の着想から開発、さらに具体的な商談において重要な役割を果たした。開発当初、非常に高価なシステムゆえ、他社が参入して市場が本格的に立ち上がる前は、開発に関わった技術者たちが世界をまわって市場を開拓している。この章のコラムでは開発から事業化に至る過程において、特に重要と思われる出来事を紹介する。コラムの写真は元三菱電機の船舶技術者の方々に提供して頂いた。

発光素子CRTの着想

本社に駐在した長崎製作所の技術者福嶋信夫は、白熱電球に代わってCRTを着想した。すぐに京都製作所の技術者小林弘男がサンプルを試作し、開発が加速している。福嶋は、英国の企業が紹介した対角約8インチの数字を表示する表示器を見て、電子ビームの照射が蛍光体を明るく発光させる技術をヒントにしている。EEV(English Electric Valve)社の特許明細書(特開昭59-63645)に開示された下の図は、福嶋が見た表示器と酷似しており、表示器を紹介した英国の企業とはEEV社と思われる。EEV社は、後日、大型映像表示装置Star Visionを開発している。

福嶋は、3色の光源管の配列(図4-4)も提案している。すぐに研究所の技術者倉橋浩一郎が画質を比較・評価して新たな画素配列の採用が決まり、製品化が前進した。CRTの着想から試作・製造、そして3色の配列の着想から具体化へ、イノベーションのベースになる重要な技術の実現には、技術者の組織を超えた迅速な連携があった。

開発を加速したドジャースタジアムの商談成立(1980 年 2 月 14 日)

ドジャース球団のオマリー会長が副社長とともに三菱電機長崎製作所を訪問し、1980 年 7 月のMLBオールスターゲームに使うことを条件に受注が正式決定した。

写真は商談成立時の記念にオマリー会長を中心に撮影された。前列左が本社で開発を指揮した久保田伸夫、後列の右が長崎における開発責任者の山地正城である。

オーロラビジョン誕生時の話題

週刊ベースボール1980 年 6 月 13 日((株)ベースボール・マガジン社の許可を得て転載)

オーロラビジョンの初号機出荷前の立会試験の様子を紹介している。価格が7億円でドジャー・スタジアムの名物になるだろうとの記載がある。1980 年 2 月に来日されたドジャース球団のオマリー会長との懇談と思われる様子も写っており、オーロラビジョン誕生時の雰囲気を伝える貴重な資料である。

海外ではLos Angeles Times July, 7 (1980)ほか、複数の新聞や雑誌にオーロラビジョンの納入経緯とともに価格$3 million(当時の日本では7 億円)が開示されている。何れもオーロラビジョンを世界初の革新的技術と評価しつつ、高価なシステムであることを話題にしている。

オーロラビジョン誕生(1980 年 7 月)とコンテナ型(1982 年)

オーロラビジョンは、球場に設置した後に、球場関係者から今の仕様では観客を満足させる運用ができないとの指摘があった。外して持って帰れと言われるほどの厳しいものである。その理由は、コンテンツの表示が未熟なことにあった。すぐに技術者たちが現地で奔走し、特急で操作室とともにコンテンツの運用手順を完成させ、本番直前に球場関係者が満足できる仕様を実現した。写真は、完成した操作室と開発責任者の山地正城である。

山地は、イノベーションの一環として、市場の開拓・商談の獲得に世界をまわっている。市場の開拓で重要な役割を果たしたコンテナ型オーロラビジョンは、山地自身がニューヨークの球団オーナーと対話し、その意見を直接聴いて閃き、日本から船舶技術者の一人藤田昇三をニューヨークに呼び寄せて具体化した。現地では、数十日の工期が3 日になり、雑誌などでも巧妙な設計として話題になり、その後の商談に大いに役立った。

4-2 大型映像表示装置の市場開拓

大型映像表示装置オーロラビジョンは、発表当時、新聞、雑誌に加えて、学会誌、例えばSID(Society for Information Display)が発行したInformation Display誌にも技術の概要が紹介された。何れもその価格$3 M を話題にしている13)。高価なシステムゆえ市場の開拓は必ずしも容易ではなく、初号機の開発に係わった技術者が活躍している。

野球場は、1981 年ドジャースの16 年ぶりのワールドシリーズ優勝によって、オーロラビジョンの優れた設置効果が認知されることになった。このときは、技術者の一人が球団の関係者と一緒にチームとファンを盛上げる運用ソフトを作り上げている。オーロラビジョンによる球場の雰囲気作りは、チームを勝利に導くために役立ったと思われる。

競馬場は、当初から有望な市場とされた。プロト機を試作したとき、さらに初号機の納入時には、日本中央競馬会や香港競馬場の関係者にコンタクトしていた。しかし、すぐに商談が成立したわけではない。後日、船舶技術者が海外営業の関係者と一緒にシンガポール競馬場へと商談に出向いている。

シンガポールは、国内外の4競馬場をマイクロ波で繋ぎ、競馬が開催されていない日は、他場の競馬を場内のテレビなどで実況中継して場外馬券売り場として運営されていた。商談では、海外営業の関係者が英語による説明後、突然に中国語で説明しはじめて商談を成立させている。オーロラビジョン導入のメリットを強調したと思われるが、会話の内容は分からない。

シンガポール競馬場のオーロラビジョンは、1981 年に納入されている。競馬が盛んな国柄でもあり、オーロラビジョンの設置後は、レースが開催されない日も観客を動員して他の競馬場の実況をオーロラビジョンに放映し、売上に大きく貢献している。この実績が突破口となって、香港競馬場、さらに日本中央競馬会の各競馬場へと、納入が次々と決まり、オーロラビジョン事業の安定化に貢献した。

1982 年には、松下通信工業が西宮球場にアストロビジョンを納入し、大型映像表示装置の市場が徐々に形成されてきた。この頃までに世界で約30セットのオーロラビジョンが納入されている14)。納入した国々は、米国、カナダ、英国、スペイン、南アフリカ、サウジアラビア、ドバイ、アブダビ、イラク、オーストラリア、シンガポール、香港、中国などである。

ドジャースタジアムにおけるオーロラビジョンの運用(1980 年)

初号機を納入したドジャースタジアムでは、オールスターゲーム後、船舶技術者の一人寺崎信夫が球団関係者と一緒に運用ソフトを作り上げている。この写真は、試合の進行や状況に応じたコンテンツの表示と、表示に連動した音響によってチームとファンを盛上げる運用を実現している様子である。1981 年ドジャースの16 年ぶりのワールドシリーズ優勝によって、その優れた設置効果が改めて認知されることになる。

競馬場への進出(シンガポール競馬場:1982 年 1 月)

有望な市場とされていた競馬場の突破口を開いたのがシンガポール競馬場である。シンガポールは競馬人気が高く、納入時の競馬場の写真では、観客が客席の上段まで満員状態である。この実績が香港競馬場、日本中央競馬会への納入に繋がった。写真は受注を成功させた関係者で中央が船舶技術者の福嶋である。

コンテナ型オーロラビジョンのデモ機と香港競馬場(1982 年 10 月)

香港競馬場では、コンテナ型オーロラビジョンが商談に活躍した。写真はトレーラに搭載されたオーロラビジョンである。直径35 mmの高輝度光源管が初めて採用された。シンガポール競馬場の実績とデモ機の画質が評価されて商談が成立した。その後の競馬場ビジネスが本格化した。

コンピュータの活用を本格化した香港競馬場(1983 年)

香港競馬場は、香港島のハッピーバレイと大陸側の沙田(シャティン)にある。一方が開催しているとき、他方は場外馬券場として運用されていた。沙田にはスチュワートワーナー社の大型映像表示装置(図2-13)が設置され、映像とコンピュータで二つの競馬場が連携したファンサービスを提供しており、香港競馬場は、映像とコンピュータの利用では当時世界有数の競馬場であった。1983 年にオーロラビジョンが導入されたのは、ハッピーバレイである。二つの競馬場の連携は、場内のシステムとの通信が重要であり、オーロラビジョン側のコンピュータは競馬場のディレクターによって米国DEC社のPDP-11が指定された。ソフトウェアの仕様も広範囲に及んだ。騎手紹介一つを見ても、特殊な漢字フォントの制作、文字サイズを調整した漢字と英字の併記など、他では見られない仕様があった。二つの競馬場の実況と映像の同期表示、さらに観客の目を引く映像や各種の映像機器を制御するソフトウェアは、技術者たちが指定されたPDP-11をベースに開発した。

この開発で中心的な役割を果たしたのが原口聡である。時間的にも納期の制約がある中で、シンガポールのソフトウェア会社を紹介され、国籍の異なる技術者たちの関係を大切にしてシステムを完成させた。苦労はあったが、結果的に競馬場関係者との信頼関係が生まれ、翌年の沙田競馬場の受注にも結実し、オーロラビジョン事業の発展に貢献した。この経験によって、オーロラビジョンにおけるコンピュータの活用が本格化し、さらに産業分野におけるコンピュータ活用への組織的な取り組みの道が拓かれた。

4-3 大型映像表示装置の業界への影響

オーロラビジョンは、高価な導入費用をその運用で回収するビジネスモデルによって、大型映像表示装置の市場を創出した。

市場に受け入れられると、初号機以降は、光源管の改良も始まった。着色ガラスに代わって、特定波長を吸収し、外光の反射を抑制する新しいガラスが開発された。この新ガラスを使って、高コントラストでばらつきが少なく、安定した品質が確立された。さらに初号機の直径28.6 mmの光源管に加えて、映像を近くから楽しむための直径20 mm、高輝度化して用途を拡大するための直径35 mmの光源管が開発された15)

図4-12は左から順に直径35 mm、28.6 mm、20 mmの光源管である。何れも新ガラスが採用されている。これらは野球場に続いて、競馬場、サッカー場、イベント会場など、徐々に用途を拡大している。

図4-12.量産された3種類の光源管6)

オーロラビジョンによる新市場の創出は、この分野に関心のある企業を刺激し、各社の参入が始まった。1982 年のアストロビジョンの納入に続いて、1983 年には東芝ライテックが大形力ラー表示装置用の発光素子CHD管を発表し、後日、スーパーカラービジョンを製品化した。海外でも英国企業における開発計画が紹介されている。1985 年のつくば科学万博では、ソニーがジャンボトロンを発表し、各社が大型映像表示装置を展示した。その後、各社の努力によって市場が本格的に立ち上がり、市場における競合が始まる。

1990 年代後半になると、青色LEDの実用化を契機に、各社がLED方式の大型映像表示装置を開発し、世界中から多数のメーカーが参入した。

4-3-1 アストロビジョン(1982 年松下通信工業)

松下通信工業は、カラー塗膜を付した白熱電球を発光素子として配列した大型映像表示装置アストロビジョンを発表した16)。白熱電球は、高輝度を得やすく耐候性も安定している。さらにCRTと違って低電圧で駆動できるので絶縁性に起因する不具合も少ない。

図4-13は発表されたカラー電球の構造を示す。カラー電球は、外面に3種類のカラー塗膜を設けて3原色を得ている。内面は、アルミ蒸着の反射ミラーによって発光効率を向上させている。表面は、太陽光下のコントラストを確保するために反射率を抑え、カラー塗膜は、紫外線、熱、風雨などで褪色しないように耐候性と安定性が考慮されている。白熱電球の発光素子は、発光効率に課題があるが、優れた冷却技術によって発熱を抑えている。スクリーンの前面に立つと、風の流れを感じるほどであり、通風と屋外用としての防水の両立に技術力が感じられる。3色の発光素子の配列は、RGBデルタ配列である。アストロビジョンの初号機は1982 年に阪急西宮球場に設置されており、この頃に移動型も開発されている16)。白熱電球は、応答性に課題があるが、太陽光の下でも十分な輝度が得られている。発光素子は、オーロラビジョンの3種類の光源管と同様に、視距離に対応して直径18 mm、28 mm、36 mmの3種類が開発されている。輝度は何れも1800 cd/m2である17)

図4-13.カラー電球の構造16)

図4-14は1985 年のつくば博に展示されたアストロビジョンである。メインステージの背景に設置されており、開会式やイベントなどでも活躍している。

図4-14.つくば博のアストロビジョン18)

4-3-2 スーパーカラービジョン(1983 年東芝電材)

発光素子をマトリクス状に配列し、その点滅によって動きのあるアニメーションの様な画像を表示したのは、日本では1950 年代後半の東芝シネサイン19)が最初である。この時代は、半導体の集積回路が誕生する前でもあり、シネサインは先駆的な技術開発であった。その東芝による大型映像表示装置の分野への進出は、シネサイン時代の大型映像表示装置への思いが世代を超えて受け継がれたようでもある。

東芝電材は、1983 年にCHD管(Color High brightness Dischargetube)と呼ばれる小型蛍光ランプを発光素子に採用した大型映像表示装置を発表している20)。CHD管は、輝度が高く色純度に優れ、応答性にも優れており、カラー画像を表示する大型映像表示装置の発光素子に適している。発光素子は、さらに改良されて、スーパーカラービジョンとして実用化された。用途は、競馬場などが想定されており、初期段階の輝度は3600cd/m2であった21)。移動型は、1985 年には公表されている22)。移動型については、同年 2 月 9 日の夕刊読売新聞によれば、広場のイベント用に準備されたトラックの上で、縦横4 m ×6 m のスーパーカラービジョンが人々を驚かせた様子が紹介されている。初号機の納入は、1986 年である。この頃は、国内の主要な企業がそれぞれ独自の発光素子を開発し、大型映像表示装置を市場に投入した時期でもある。図4-15はCHD管の構造、図4-16はその外観である。CHD管の配置、即ち3色の画素配列は、RGGBモザイク配列が採用された。この頃の輝度は、5000cd/m2である。この輝度を業界で初めて実現したのは、スーパーカラービジョンである23)。その後、各社がこの輝度を目標に設定して技術開発に取組むようになった。

図4-15.カラー高輝度放電管(CHD管)の構造23)

図4-16.カラー高輝度放電管(CHD管)の外観24)

4-3-3 ジャンボトロン(1985 年ソニー)

1985 年のつくば博では、ソニーが赤、青、緑の3 色の発光部を含む独自の発光素子トリニライトを開発し、これを配列した画面サイズ40 m × 25 m の超大型表示装置ジャンボトロンを出展した25)

ソニーは、大型映像表示装置の分野では極めて先駆的であり、1960 年にはトリニライトと同じ発想の発光素子の実用新案を提案し、1968 年にはカラービデオパネルと呼ばれる豆電球を配列した100型大型映像表示装置を発表している。これら1960 年代における大型映像表示装置の提案や試作から、1985 年のつくば博へのジャンボトロンの出展には、ソニーのこの分野進出への強い意気込みが感じられる。この計画は、当時名誉会長の井深大が推進している26)

発光素子トリニライトは、原理的には1960 年代の実用新案と同じく、陰極から放出された電子を制御電極で制御し、蛍光面に照射させて発光させる。蛍光表示管の技術を応用しており、蛍光表示管メーカーの双葉電子工業が協力して開発された。ジャンボトロンは、このトリニライト24 個を配列して約40 cm 角の発光ユニットを構成し、その内部に信号を受信して発光素子の点灯制御に必要な駆勤回路を内蔵した。画面は、この発光ユニット6300 個を配列している。

図4-17は、つくば博で使用された3色発光素子トリニライトの説明図である。(a)は正面および断面の構造を示す。表示面が82 m × 44 mmで内面に青・赤・緑の3色の螢光面が配置されている。カソードから放出された電子は、第一グリッドと第二グリッドを通過して蛍光体が形成された陽極に達して発光する。陽極は、蛍光面側から引出され、10kVが印加されている25)。(b)はトリニライトの外観を表す実際の写真、図4-18はトリニライトを配列した発光ユニットの写真である27)。つくば博で使用されたものと同じで、ひさしが十分に長く、太陽光下のコントラスト改善に役立っている。ひさしが長くなると視野角が制限されるが、ひさしの下面が鏡面の様に画素の発光を反射して視野角の低下を補っている。図4-19はつくば博に展示されたジャンボトロンである18)

(a)トリニライトの正面および断面の構造25)

(b) トリニライトの外観27)

図4-17.ジャンボトロンの発光素子トリニライト

図4-18.ジャンボトロンの発光ユニット27)

図4-19.つくば博のジャンボトロン(1985 年)18)

1985 年 8 月 15 日朝日新聞夕刊によれば、つくば博では、発光素子に偏光板を張り、限られた時期の特定の時間帯ではあったが、偏光メガネを使って3D表示(立体画像の表示)を実現している。偏光板は、透過率が高くはないため輝度を低下させるが、外光の反射を抑制できるので、コントラストが改善され、偏光板越しの通常の表示でも輝度の低下を感じさせない十分なコントラストを実現している。また屋外における3D表示は、大型映像表示装置の新たな可能性の提案としても先駆的である。つくば博のジャンボトロンは、巨大な画面で話題性もあり、市場へのアピールとして十分なインパクトがあった。この展示と同時期に高解像度ジャンボトロンが開発されており、すぐに実用化されて1985 年内に市場に投入されている。

ジャンボトロンの製品一号機は、1985 年に米国カリフォルニア州にある教会に屋内用として納入され、同年の11 月に引渡しが完了している28)。発光素子は、内部に画素ピッチ22 mmの8画素を含む高解像度の発光素子である。商談では、当時の取締役会長であった盛田昭夫によるトップセールスが貢献している26)。1985 年には、製品一号機に続いて国内で2か所に納入され、その後、アジア、ヨーロッパ、北米諸国へと次々に納入が決まっている。高解像度発光素子の詳細は次の5章で紹介する。

4-3-4 英国EEV社のStar Vision

大型映像表示装置は、日本だけではなく海外の企業も興味を持ち、実際の参入例がある。英国EEV社(English Electric Valve)は、社内に蓄積した豊富なCRT関連技術を利用して日本が活躍する市場でも成功できると考え、大型映像表示装置Star Visionの開発に着手した29)。当時、フットボール場に競技のリプレイや広告などを表示できる巨大なディスプレイの設置が検討されていた。図4-20 はEEV社が検討していたStar Visionの発光素子である30)。その概要は英国のFinancial Timesに紹介されている。図4-21は、EEV社から出願された特許明細書における発光素子の説明図である31)。この図では、便宜的に1本の管球に5画素を含む構成としているが、明細書によれば、画素数を増やすことも、3色を配置することもできる。図4-20によれば、オーロラビジョンの光源管と違って1本の管球に8個の蛍光体が含まれ、電子源は1本の細いワイヤー状カソードが8画素に共通して使用される。画素のサイズは約 1インチ四方である。このシステムは、共通の管球に8画素と1本の共通ワイヤー状カソードを使用したことで、大幅な消費電力の削減と軽量化が可能とされた。

図4-20. EEV社の発光素子30)

図4-21. EEV社の発光素子説明図31)

図4-22はStar Visionの発光素子を配列したときの3原色の画素配列である32)。発光素子は、色の配置が異なる2種類を必要とするが、Star Visionの発光素子の構造から、オーロラビジョンと同じRGGBモザイク配列が有利であったと考えられる。

図4-22.Star Visionの画素構成33)

図4-23はコンサートに使用されたStar Visionの利用風景である34)。Star Visionの市場への影響については不明であるが、少なくともLighting & Sound International誌(1987 年)に掲載された写真では、スクリーンが設置されたコンサート会場に多くの観客が集まっており、イベント会場では、Star Visionが重要な役割を果たしていることが見て取れる。

図4-23.Star Visionを利用したコンサート34)

4-4 大型映像表示装置の社会への影響

大型映像表示装置は、スポーツやイベントの楽しみ方への影響に加え、各社の大型映像表示装置が街中に設置されるようになり、社会にも影響を与えている。

4-4-1 カラー化の影響

野球場、競馬場、サッカー場などの大規模な競技場では、1970 年代には、モノクロの大型映像表示装置が設置されていた。1980 年ドジャースタジアムにおいてカラー大型映像表示装置オーロラビジョンが設置されると、1981 年には、後楽園野球場、米国のシアトルキングドーム、シンガポール競馬場に納入された。1982 年にはスペインにおけるサッカーのワールドカップに10セットが納入され、モノクロの大型映像表示装置を更新する様に、次々とオーロラビジョンが設置された。こうして大型映像表示装置は、屋外の明るい環境における高輝度のカラー映像によって、観客を盛上げるシステムとして認知された。

大型映像表示装置は、カラー化されて競技場に設置されると、競技場がコンサート会場などとしてスポーツの試合以外の目的でも使用されるようになった。また、野球場がボクシングの試合に活用されたり、競技場の用途も多様化した。さらに広場などを使ったイベント会場でも効果的に活用され、大型映像表示装置は、その応用範囲が広がり、徐々に市場に浸透した。

4-4-2 市場拡大に貢献したコンテナ型

市場拡大に貢献した技術にコンテナ型大型映像表示装置がある。コンテナ型は、技術者が野球場のオーナーと直接対話しているときに閃いている。ここでは、据付工事を短縮できなきなければ、野球場には使えないとの意見が出された。そこでコンテナ型を着想し、そのアイデアに基づいて、数日で設置出来ることを条件に受注している。野球場におけるオーロラビジョンの設置期間は、準備を含めて数十日を必要とした。これがコンテナサイズにすべての機器を事前に組み込み、トレーラーで移動・設置することで、現地工事は、準備と後片付けを含めて3 日以内に短縮されている。これがその後のデモ機を使った商談や移動型によるイベント会場における活用などに役立っている。

オーロラビジョンの表示ユニットは、ガラス製のCRT光源管を使ったデリケートな機器ゆえ、事前にトレーラー3台を使ってコンテナ型オーロラビジョンの輸送・設置試験を実施し、スクリーン内の各部に配置されたユニットおよび光源管の振動を測定するなど、十分な信頼性を検証している。図4-24の(a)は、輸送試験の様子、(b)は輸送後の組立試験の様子である。これらの試験の後、実際に野球場に設置された。同図(c)は野球場における実際の設置の様子である。

(a)コンテナ型オーロラビジョンの輸送試験7)

(b)コンテナ型オーロラビジョンの組立試験7)

(c)コンテナ型オーロラビジョンの設置7)

図4-24.コンテナ型オーロラビジョン(1982 年)

コンテナは、船舶技術者にとって物流ツールでもあり、コンテナ型のアイデアは船舶技術者が生み出したイノベーションの一環でもある。コンテナ型は、製造上の標準化に役立ち、さらに商談のためのデモ機としても活用され、大型映像表示装置の受注と応用範囲の拡大に大きく貢献している。特に1982 年のサッカーワールドカップでは、地理的に離れたスペイン各地に10セットのスクリーンを同時期に竣工させる必要があり、コンテナ型が大いに役立った。

4-4-3 イベント会場における活用

各種イベントでは、会場の後方にいてもオーロラビジョンを見て、最前列にいるようにイベントを楽しむことができる。イベント用途の先駆けとなったのは、1981 年 7 月の英国皇太子の結婚式にBBC(British Broadcasting Corporation)とタイアップして使用された移動型オーロラビジョンである。トレーラーで移動可能な構造として設計され、会場に設営された。会場の周辺に集まった観衆が日中にライブ映像楽しむことができて好評を得ており、その後のヨーロッパ市場の開拓にも役立っている。

図4-25は1983 年 5 ~ 6 月に開催された世界最大のコンサート1983 US Festivalにオーロラビジョンが使用されたときの会場の様子である。大型映像表示装置が初めて大規模イベントに使用され、4 日間で約65万人が集まった。オーロラビジョンは、コンテナ型によって設置が効率化され、イベントへの活用に大いに役立った。図4-26は、トラック上にオーロラビジョンを搭載した状態で映像を表示する初期の移動型表示装置の例である。

図4-25.1983 US Festivalのオーロラビジョン7)

図4-26.移動型オーロラビジョン(1983 年)7)

4-4-4 ビル壁面への活用

ビル壁面は、公共の場で人々に共通の情報を提供する手段として、大型映像表示装置の活用には適している。ニュースなどの速報表示は、1928 年に朝日新聞大阪本社・東京本社に初めて設置されており、1950 年代後半には、ア二メーションの様な表示を実現した東芝シネサインがビル壁面に設置されている19)。1980 年には、Stewart-Warner社が新宿のスタジオアルタにモノクロのビデオ映像を表示できる日本初の大型映像表示装置を設置しており、映像によって人々にニュースや広告などを提供する時代になった。

大型映像表示装置は、発光素子の技術革新によってフルカラー化されると、ビル壁面への応用が本格化した。1987 年には、大阪のトンボリーステーションにアストロビジョンが設置され35)、続いて同年、渋谷の109ビルにジャンボトロンが設置されている。ビル壁面では、これらがカラー大型映像表示装置の走りと言える36)。1992 年には新宿のスタジオアルタもフルカラーのアストロビジョンに更新され、オーロラビジョンを含めて各地のビル壁面に大型映像表示装置が設置されるようになった。

近年、大型映像表示装置は、国内では渋谷のスクランブル交差点付近に多数設置され、各地の都市にも設置されている。世界中から人が集まる米国のTimes-Squareでは、4Kスクリーンも稼働している。これらビル壁面の大型映像表示装置は、都市の景観にも影響するほどに普及している。何れも大型映像表示装置がカラーされ、屋外において高画質の映像を提供できるようになったことによる。

4-5 第一世代大型映像表示装置の総括

屋外用のカラー大型映像表示装置は、1985 年のつくば博の頃には、国内における主な製品が出そろった感がある。何れも初号機が出荷され、あるいは移動型によりイベントや商談に活用され、市場拡大への活動が本格化している。一方、オーロラビジョンは、初号機の出荷後、高価なシステムゆえ、一部の関係者には製品寿命は長くはないと予想する人もいた。市場の創造から拡大に向かうには、新たな技術革新が求められており、次の章において、第二世代大型映像表示装置の開発について述べる。

参考文献

1)    橋本健:“巨大画像表示装置”, テビ学技報, IPD32-4, pp. 73-77 (1978)
2)    島田聰:“CRT等を用いた大面積表示”, テレビジョン, Vol. 27, No. 5, pp. 53-62 (1973)
3)    倉橋浩一郎:“発光素子配列型ディスプレイ”, テレビ学誌, Vol. 38, No. 1 (1984)
4)    K. Kurahashi, et al.: “Plasma display with grey scale”, SIDDigest(1973)
5)    K. Kurahashi, et al.: “An Outdoor Large Screen Color Display System”, SID 81 DIGEST, pp. 132-133 (1981)
6)    筆者撮影
7)    三菱電機資料
8)    実開昭48-87975:カラー画像表示パネル
9)    図4-3および図4-5を基に筆者作成
10)   文献5)のFig.1を基に筆者作成
11)   「写真提供」元三菱電機の船舶技術者たち
12)   N. Fukushima, et al.: “A light-emitting tube array for giant colour display”, DISPLAYS, Vol. 4, No. 4, October, pp. 207-211 (1983)
13)   Information Display September-October 1980, “World’s Largest Television Screen Unveiled At All-Star Game was Made By Mitsubishi”
14)   山地正城ほか:“大形カラー映像表示システム : オーロラビジョン”, テレビ学技報, IPD76 −1, pp. 25-29(1983)
15)   吉岡加寿夫ほか:“映像表示システム<オーロラビジョン>”, 三菱電機技報Vol. 57, No. 6, pp. 17-20(1983)
16)   高田朝男ほか:“大型映像表示装置(アストロビジョン)”, テレビ学技報, IPD76 −2, pp. 31-36 (1983)
17)   高田朝男ほか:大型カラー映像表示装置“アストロビジョン” National Technical Report Vol. 30, No.1,Feb. pp. 120-129 (1984)
18)   イメージプロ小野企画代表 小野志郎氏提供
19)   永田潔ほか:“東芝シネサイン”, 東芝レビュー, Vol. 12, No. 10, pp. 1110 ~ 1118 (1957)
20)   神谷文夫ほか:“CHD 管使用による大形力ラー表示装置”, テレビ学技報, IPD76−3, pp. 37-42 (1983)
21)   岡田茂ほか:“放電管方式大画面カラー映像表示装置”, テレビ学技報, Vol. 11, No. 13, pp. 25-30(1987)
22)   井手勝幸ほか:“移動形カラー映像表示装置 (スーパーカラービジョン) の開発”, 照明学会全国大会, p. 49 (1985)
23)   柴野信雄ほか:“放電管を使用した屋外大型ディスプレイ装置”,テレビ学技報, IYD89-19, pp. 21-24 (1989)
24)   「写真提供」東芝ライテック(株)
25)   大越明男ほか:“科学博の野外巨大カラー映像装置:ジャンボトロンの開発”, TV学技報, ED870, pp. 85-91 (1985)
26)   「情報提供」元ソニー張間廣信
27)   「写真提供」元ソニー張間廣信
28)   児玉保:“ソニーの高解像度新型ジャンボトロン”, 放送技術, 昭和61. 1, pp. 78-84 (1986)
29)   Financial Times, December 10, p.29 (1982)
30)   Financial Times, December 10, p.29 (1982)に紹介された図を参考に筆者作成
31)   特開昭56-050375:表示装置
32)   Peng Seng Toh et al.:“True-color picture element for large screen display”, Proc. SPIE 1910, pp. 307-313, 27 August (1993)
33)   文献32)のFig. 4を参考に筆者作成
34)   Star Vision in the Piazza: Lighting & Sound International, Vol.2,No. 7, p. 11, July (1987)
     https://www.lsionline.com/downloads/magazine-vault-issues/lsi-issue19.pdf:2021 年 9 月確認)
35)   長谷美三雄:“大型ビルボード事業の現状と将来展開”月刊ディスプレイ, Vol. 6, No. 5, pp. 29-33 (2000)
36)   「情報提供」フリージャーナリスト川田宏之

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 5 大型映像表示装置の発展と多様化

屋外用カラー大型映像表示装置オーロラビジョンは、屋外の大規模な競技場用として実用化された。その有効性が認知されると、体育館やイベントホールなどの屋内で使える近距離用のニーズが顕在化した。さらに競合する企業が参入すると、高輝度化や高解像度化の技術開発が活発になり、徐々に用途を拡大しつつ、課題も見えてきた。ここでは、大型映像表示装置の用途拡大において直面した課題と、そこから誕生した新技術を紹介する。

5-1 市場の創造から第二世代の需要拡大へ

屋外用カラー大型映像表示装置の初号機は、約75 ~ 200 m 程度の視距離で使用されていた1)。大規模な競技場には適していたが、用途を拡大するには、比較的近距離から見ることのできる高解像度大型映像表示装置の開発が求められた。

5-1-1 第一世代大型映像表示装置の課題

オーロラビジョンの初号機は、直径28.6 mmの光源管を45 mmピッチで配列した。このような離散的な画素から連続的な画像を得るには、十分な視距離を必要とした。その後、映像を近くから楽しむために直径20 mmの発光素子が開発され、さらに高輝度化して用途を拡大するために直径35 mm光源管も開発された2)。図5-1は、それぞれの光源管を配列した表示ユニットである。(a)は直径20 mmの光源管を24 mmピッチで配列しており、視距離を短縮できる。(b)は直径35 mmの光源管を初号機と同じ45 mmピッチで配列しており、視距離が短縮されるわけではないが、画面を高輝度化できる。一方、各光源管はサイズを変えてもコストが下がる訳ではなく、高密度で配列して解像度を上げると、画面の面積当たりのコストが飛躍的に高くなる。結果的に直径35 mmの光源管は、高輝度化することで競馬場などの市場に広く浸透したが、直径20 mmの光源管は市場が限定的であった。即ち、大型映像表示装置を屋内でも使える近距離用へと用途を拡大するには、高解像度化とコスト削減を両立させるための技術開発が必要となった。

(a) 直径20 mmの光源管の表示ユニット

(b) 直径35 mmの光源管の表示ユニット

図5-1.オーロラビジョンの表示ユニット3)

図5-2は、1素子に3色を含む3色光源管の試作例である。この3色光源管は、3色の混色に優れ、視距離が短縮されるなどの付加価値を狙ったものである。単色管に比べて、同等のサイズに電子銃3本を密に実装するなど、難しい技術を必要としたが、コストが下がる訳ではなく、計画はシミュレーションによる画質の検証と発光素子の試作に止まった。

図5-2.3色光源管4)

5-1-2 近距離型オーロラビジョンの開発

三菱電機は、1982 年に蛍光表示管(VFD)を配列した高解像度の近距離型オーロラビジョンの開発に着手した。第一世代のオーロラビジョンは、本社を中心に京都、尼崎(中央研究所)、そして長崎の技術者が組織を超えて取組んだ。これに対し、近距離型オーロラビジョンは、長崎製作所で独自に開発した。製品として市場に投入できた訳ではなく、詳細を紹介することに遠慮もあるが、その後の開発に大きな影響を与えた歴史の一コマとして、概要を紹介する。

(1)開発の背景

近距離型オーロラビジョンの開発当時は、他の企業が参入する前であり、オーロラビジョンの事業が本格的に軌道に乗る前でもあった。当時の技術者は、限られたメンバーで世界の競技場向けオーロラビジョンの受注活動・設計・製造・試験、そして現地調整に追われていた。その傍らで、近距離型オーロラビジョンの開発は数人の技術者で計画された。一方、当時は事業の立上げが優先され、開発技術者は頻繁に商談に駆り出された。結果的に入社2年目の新人技術者が主要な役割を果たすことになるが、実態は、実験室の片隅で細々と試行錯誤を繰返す地味な開発であった。

発光素子はVFDである。VFDは、当時、自発光でフルカラー表示を実現できる数少ない表示デバイスであった。その製造は、伊勢電子工業(当時)に依頼した。

(2)近距離型オーロラビジョンの概要

図5-3はVFDの外観である。真空のガラス容器内に赤、青、緑の3色の蛍光体による16 × 16の発光部が3 mmピッチでマトリクス状に形成されている。3色の配置は、第一世代オーロラビジョンに倣ってRGGBモザイク配列とした。表示は、カソードから放出された電子をメッシュ状のグリッドで制御し、陽極に衝突させて蛍光体を発光させる。

図5-3.VFDの外観4)

VFDは、発光部の周辺に非発光部が存在する。これを多数配列して画像を表示するには、個々の発光素子の発光部をライトガイドで拡大して非発光部を目立たなくすれば良い。しかし現実的には、発光素子間に生じる非発光部を光学的に見えなくすることは難しく、実験を繰返しながら適切な手法を検討した。ライトガイドで表示デバイス間の継ぎ目を目立たなくする事例は、その後、VFDや液晶を配列した大型表示装置の開発例が報告されている3)6)

VFDは、独立した画素を直接駆動するオーロラビジョンの画像の制御方式は使えず、行電極と列電極の2種類の電極で表示を制御する。図5-4はVFDの制御電極と駆動信号の関係を示す。(a)は制御電極の構成、(b)は制御電極に印加する駆動信号のタイミングを表す。画素を駆動する信号は、行電極(X1 ~ 16)のグリッドに周期的に走査信号を印加し、蛍光体が塗布された陽極を構成する列電極(Y1 ~ 16)には、画像の濃淡に対応する時間幅のデータ信号を印加する。十分な輝度を得るために陽極の駆動電圧は100Vを超え、市販の駆動回路は使えなかった。

(a)VFDの制御電極

(b)VFDの駆動信号

図5-4.VFDの制御電極と駆動信号7)

ここではVFDを配列して表示ユニットを構成し、テレビ信号を各表示ユニットで分散して制御する新たな信号処理技術を開発した。さらに画素の駆動に必要なハイブリッドIC、発光部を拡大して周辺の非発光部を目立ち難くするライトガイドなども開発した。

(3)近距離型オーロラビジョンの表示

図5-5は、試作した近距離型オーロラビジョンである。(a)は、VFD8個を配列した表示ユニットで、個々のVFDの前面にライトガイドを装着している。写真では、VFDが見えるように右上のライトガイドを一つ外している。この表示ユニット25 個を配列して縦横約1 m × 2 m のスクリーンを試作し、1984 年に画像を表示した。(b)は、画像を表示した例である。

(a)表示ユニット4)

(b)表示例3)

図5-5.近距離型オーロラビジョン

スクリーンの左側がライトガイドを装着した画像、右側がライトガイドを外してVFDを直視した画像である。発光素子の継ぎ目が目立つ未熟な出来ではあったが、第二世代オーロラビジョンの試作的位置付けとして、貴重な成果が得られた。

(4)大型映像表示装置の構成方法の革新

図5-6はオーロラビジョンの構成方法の比較を示す。(a)は第一世代オーロラビジョンの構成である。当時、各種平面ディスプレイが壁掛けテレビを目指して研究された時期であり、画像の表示方式は、プラズマディスプレイの制御方式を参考に設計されている8)。さらにビデオシステムとコンピュータシステムを含む基本構成は特許が成立している9)。画像は、画素のON時間の累積時間幅が画像の濃淡に比例するPWMである。画素は、1フィールド(1 / 60 秒)毎に画像の濃淡を表す階調数に応じてON/OFFが制御されるので、制御に必要な信号は、表示コントローラから大面積のスクリーン全体に高速のパルス信号として伝送される。特にパルス信号は、高速になると波形が乱れ、ノイズの影響を受けやすい。そこで表示コントローラの行・列の選択回路からスクリーンへの伝送や表示ユニット内の回路は、ノイズに強い12V系の電源で動作するロジック回路が使われた。

(a)第一世代オーロラビジョンの構成

(b)近距離型オーロラビジョンの構成

図5-6.オーロラビジョンの構成方法の比較7)

このような構成は、表示ユニットの発光素子がオーロラビジョンの光源管のように画素を表示ユニットの外から直接制御するような表示デバイスには適していたが、液晶やVFDのように画素がマトリクス状に配列され、行電極と列電極の2種類の電極で画素を駆動する表示デバイスには適さない。

これに対し(b)は、近距離型オーロラビジョンの構成である。表示ユニットには、画像メモリと周辺の制御回路および駆動用ICを実装している。画素のON/OFFは、表示ユニット毎に独立して制御される10)。この新しい構成方法では、画像データは表示コントローラから各表示ユニットへバッファメモリ(BM:Buffer Memory)で低速に変換して伝送される。画像メモリは、表示ユニットの32 ×64の発光部に対応して安価な小容量のメモリで良く、バッファメモリも走査線の1本分の容量で十分であった。外部のノイズの影響は小さく、表示ユニットのロジック回路は画像メモリの制御に適した5V系とした。この構成は、VFDだけではなく、液晶その他、各種の表示デバイスに適用できる。第一世代オーロラビジョンでは、表示コントローラと表示ユニットは一体で開発されたが、新しい構成では、インターフェースを合わせておけば、両者は独立して開発できる。近距離型オーロラビジョンでは、表示コントローラの主要な機能を流用し、表示ユニットの開発に専念できた。この構成は、その後のオーロラビジョンの開発において設計の効率化と技術の発展に大きな影響を与えている。

5-1-3 類似技術の開発例

VFDを配列した大型映像表示装置は、1986 年に双葉電子工業からも類似の開発例が報告された5)。図5-7は、そのVFDの構造と大型映像表示装置の表示例である。VFDは、前面にライトガイドを装着して配列したときの継ぎ目を目立ち難くしている。考え方は、三菱電機の近距離型オーロラビジョンと同じであるが、発光素子のVFDに特徴がある。(a)は、VFDの構造である。通常のVFDと異なり、電子は、蛍光体の裏面から照射され、前面側に発光する。フェースプレート内面に蛍光体を形成し、陽極は、アルミ薄膜を100μmピッチで線幅10μmのストライプ状にして透過性を持たせている。この方式は、発光部とライトガイドとの距離がガラスの厚み程度に短縮され、光の利用効率は高い。さらに画素は縦横に3分割され、各画素内の色は混色しやすい。また、カソードには、補助カソードを設けてカソード端部の温度低下による電子放出の減少を補っており、発光部周辺の非発光部は短縮される。これらの工夫によって、ライトガイドの効果的な利用が可能になり、画面における発光素子間の継ぎ目は目立ち難くなる。

(a) VFDの構造

(b) 表示例

図5-7.VFDの構造と表示装置の表示例5)

(b)は、大型映像表示装置の表示例である。この表示装置は、学会では発表されたが5)、三菱電機の近距離型オーロラビジョンと同じく、製品化には至っていない。VFDの蛍光体は、CRTと違って低電圧で駆動できるが、高輝度化と長寿命化の両立に課題があった。その後、双葉電子工業は高電圧を印加するジャンボトロンの発光素子開発に専念したと考えられる。

伊勢電子工業および双葉電子工業は、それぞれ三菱電機およびソニーと共同開発に取組み、VFD技術がオーロラビジョンとジャンボトロンに使われた。

5-2 液晶を配列した大型表示装置

3章で紹介した各種平面ディスプレイは、何れもタイル状に配列することで、大型映像表示装置を構成できる。その中で、比較的近距離から画像を観視できる屋内用の大型映像表示装置として、液晶を配列した大型映像表示装置が3社から製品化されている。ここではそれぞれの概要を紹介する。

5-2-1 三菱電機のスペクタス

三菱電機では、オーロラビジョンの開発とは別組織の相模製作所(当時)が屋内で使える近距離用のニーズに対応するために液晶パネルを配列した大型映像表示装置を開発した。このシステムは、駆動回路、照明装置が一体化されたモジュールを配列しており、1983 年に発表され11)12)、スペクタスと命名して商品化された。製品は、翌年の1984 年から出荷されている。

図5-8はスペクタスのスクリーン構成および表示例である。液晶パネルは、約60 mm×460 mmで、8×64画素を7.2 mmピッチで配列している。各画素は、赤、青、緑の3色を含む。液晶は透過形TN液晶で、応答速度は約30 msである。液晶パネルの画素は、パネルの外部から各画素を直接駆動するスタティック駆動である。この駆動は、パネルの外部に取り出す電極は増えるが、高コントラストと広視野角を実現できる。液晶パネルの背後の照明装置は、3波長タイプの特殊蛍光ランプ、拡散板、反射板および拡散反射板から構成され、スクリーン全体が均一な表示を実現している。各画素の赤、緑、青は光学フィルタにより生成される。

(a) スペクタスのスクリーン構成

(b) スペクタスの表示例

図5-8スクリーンの構成および表示例11)

液晶は、表示面に偏光板があり、テレビ用のCRTなどと違って、表示部に入射した外光は反射が抑制される。従って、液晶を配列した大型表示装置は、コントラストに優れており、地下街、銀行、空港、競艇場、文化会館など、人が集まる屋内の明るい環境で使用される大型表示装置として一定の需要があった。

三菱電機では、1987 年にはゲストホスト型液晶を使って性能を改善した大型表示装置「スペクタスⅡ」を開発した13)。輝度は250 cd/m2から300cd/m2以上に改善され、さらにコントラストおよび視野角も改善され、需要の拡大に貢献している。図5-9はスペクタスⅡである。(a)はモジュール構成、(b)はスクリーンの表示例である。

(a)スペクタスⅡのモジュール

(b)スペクタスⅡの表示例

図5-9.スペクタスⅡのモジュールと表示例3)

この分野には、松下通信工業・松下電子部品、東芝などが参入した。

5-2-2 松下通信工業の液晶アストロビジョン

図5-10は、松下通信工業・松下電子部品が1984 年に発表した液晶式大型力ラー映像表示装置である。(a)は表示部の構造、(b)は表示例である。液晶は、ゲストホスト型が使用されている14)。三菱電機のスペクタスは、各画素間に液晶パネル間の継ぎ目に相当するギャップを設けて継ぎ目を目立ち難くしており、画素の開口率、即ち輝度が制約されて輝度は低下する。これに対し、この液晶アストロビジョンは、継ぎ目を容認して画素の開口率を拡大しており、輝度は高くなる。

(a)表示部の構造

(b)表示例

図5-10.液晶大型力ラー表示装置の構造と表示例14)

1984 年の発表段階では、液晶パネル間の目地は容認されているが、この翌年には表面にライトガイドを装着して継ぎ目を目立ち難くし、つくば博に出展している6)。液晶は、自発光ではなくバックライトの光を液晶層で画素のON/OFFを制御しており、カラーフィルタで色を出している。その後、松下通信工業から液晶アストロビジョンとして製品化されている15)

5-2-3 東芝の液晶式スーパーカラービジョン

東芝は、ゲストホスト型液晶を使った大型映像表示装置を開発している。液晶式スーパーカラービジョンである。図5-11は、1991 年に発表された大型映像表示装置で、(a)はゲストホスト型液晶の構造、(b)は液晶モジュール、(c)は表示例である16)

(a)ゲストホスト型液晶の構造16)

(b)液晶モジュールの外観17)

(c)表示例16)

図5-11.液晶式スーパーカラービジョン

液晶モジュールは、三菱電機製のスペクタスの構造に近く、液晶パネルをマトリクス状に配列するときのつなぎ目が目立ち難い設計条件を実験によって見出している。例えば、画素間のブラックマトリクスの幅に対し、隣接するパネルの画素間に生じるブラックマトリクスの幅を1.2倍以下に設計している。ライトガイドは必要としない17)

5-2-4 液晶を配列した大型映像表示装置の終息

液晶を配列した大型映像表示装置は、屋内の比較的明るい環境で、しかも近距離から画像を観視できる大型映像表示装置である。3社が独自の技術に基いて製品化しており、後述する第二世代大型映像表示装置の高解像度タイプと並行して市場に浸透した。各社とも一定の出荷実績がある。LED方式大型映像表示装置が登場すると出荷数が減り、三菱電機では1996 年の出荷を最後に市場から姿を消した。松下通信工業や東芝でも、時期は不明であるが、同様と思われる。

5-3 第二世代オーロラビジョンの誕生

三菱電機は1985 年にVFDの製造技術とCRTの原理を応用した新しい発光素子の開発に着手した。近距離型オーロラビジョンが長崎製作所で独自に開発したのに対し、第二世代オーロラビジョンの開発は伊勢電子工業との共同開発であり、当時の三菱電機応用機器研究所も重要な役割を果たした。

(1) 第二世代オーロラビジョン開発の背景

近距離型オーロラビジョンは、ライトガイドによる発光素子間の継ぎ目の解消が不十分で、画質に課題があった。表示デバイスのVFDは、輝度と寿命が十分ではなく、高輝度で発光させると発熱もあり輝度が急激に低下した。

三菱電機は、VFDの課題を解決する次世代表示デバイスを構想し、1985 年の前半に伊勢電子工業に共同開発の提案に出向いた。驚いたことに伊勢電子工業では、近距離型オーロラビジョンで顕在化した高輝度化と長寿命化の両立を目指して、高電圧を印加する独自のVFDを検討していた。初回の打合せ時にこの試作品を三菱電機に紹介してくれた。あとで分かったことだが、三菱電機の技術者が1984 年末に某学会の会場で伊勢電子の常務に出会い、近距離型オーロラビジョンの写真(図5-5)を紹介していた。この写真が「三菱の新しい表示装置は実用化に近い」という情報として伝わり、伊勢電子では、次期テーマとして高電圧を印加するVFDを検討していたのである。偶然とはいえ、写真の影響は大きかった。当時は、VFDの技術を利用したジャンボトロンが登場する時期でもあり、三菱電機と伊勢電子工業は、すぐに共同開発に合意し、新発光素子の開発が開始された。

(2)発光素子FMCRTの概要

発光素子は、1辺60 mmの正方形に15 mmピッチで16の発光部を含む。画素配列は第一世代と同様のRGGBモザイク配列である。光源管の配列が45 mmピッチの第一世代オーロラビジョンに対して解像度が大幅に向上する。開発のコンセプトは、高解像度化とコスト削減であり、画素当たりのコストは、第一世代オーロラビジョンの10 分の1を目指した。この発光素子は、フラットなガラス面に画素がマトリクス状に形成され、CRTのように高電圧を印加することからFlatMatrix CRT(FMCRT)と命名された。図5-12はVFDと試作したFMCRTの外観、図5-13はそれぞれの等価回路の比較である。

図5-12.VFDと試作した新発光素子の外観4)

(左:VFD,右:FMCRT)

図5-13. VFD(左)と新発光素子(右)の等価回路7)

VFDの技術は、平面のガラスを貼り合せた容器や内部構造、さらに製造技術に使われている。フェースガラスの内面に蛍光面の陽極を形成し、対面のガラス基板側にカソードを配置する。カソードは、VFDの線状カソードで、電池式電卓のVFDに使われており、CRTの電子銃に比べて消費電力を大幅に削減できる。カソードから放出された電子は、制御電極で制御され、陽極の蛍光面に衝突することで発光する。各ガラスは低融点ガラスで封止される。CRTの原理は、高電圧を印加する陽極と蛍光体をアルミで蒸着した蛍光面に使われている。これが発光効率を高め、VFDが課題とした高輝度化と長寿命化の両立を実現している。

VFDがグリッドと陽極を制御するのに対し、FMCRTは陽極に一定の8kVを印加し、カソード周辺の2種類の制御電極を制御する。図5-14はFMCRTの略図と駆動の説明図である。特徴は、(a)の断面の略図に示すようにX電極がカソード背面に印刷され、Y電極が蛍光体とカソード間にカソードを囲むように配置される。X,Y電極は、(b)のマトリクスを構成し、VFDの制御と同様に、それぞれ走査信号と画像データに対応する時間幅のデータ信号を印加する。(c)は、各電極に印加する電位の関係を示している。陽極の8kVはゼロボルト(GND)を基準にしている。カソードを加熱する交流電圧Efは平均の電位をNとする。X,Yの両電極に印加される走査信号とデータ信号は、何れもGNDを基準とする同程度の電圧のパルスで、電位Nに対してON, OFFの電位が定義される。X,Yの両電圧がONのときカソードから放出された電子が陽極の蛍光体に達して発光する。片方あるいは両方がOFFのときは電子が放出されない。輝度は主に陽極電圧に依存し、制御は一般のVFDと同程度の電圧パルスで良く、市販のVFD用の駆動回路が使われる。ここでY電極の駆動パルスは、輝度のばらつきを補正するために波高値が微調整される。

(a)断面の略図

(b)電極のマトリクス構成

(c)駆動電圧の電位

図5-14. FMCRTの略図と駆動の説明図7)

(3)FMCRTの発光と課題

図5-15は1985 年に試作した最初のサンプルの点灯例である。FMCRTは、狭い容器内に含まれる電極が多く、陽極には8kVの電圧を印加する。最初の点灯では、電極の隙間からの電子の漏れ、管内の微細な突起からの放電、管内の絶縁部への帯電による異常発光などの不具合現象が多発した。これらを一つ一つ対策して完成度を高め、1985 年の秋には、FMCRTを16 個配列した表示ユニットのデモ機を社内公開している。一方、不具合現象は、厄介ではあったが、新たな電極構造の着想に役立った例もある。例えば図5-14(a)において、カソード背面のガラスに印刷されたX電極は、当初、十分なサイズではなく、X電極周辺の絶縁物表面が負に帯電してカソードからの電子の放出を妨げた。これはX電極のサイズを微調整して改善した。この静電気の帯電にヒントを得て、X電極の近傍に第二の電極を印刷して背面電極だけで電子を制御できると考えた。即ちX電極とY電極の両電極をカソードの背面に印刷し、これらを1枚のシールド電極でカバーするアイデアである。内部の金属パーツが大幅に削減され、信頼性の向上とともにコストを削減できる18)。後日、新たなFMCRTに適用し、その後、全てのFMCRTに適用することになる。

図5-15.サンプルの点灯例4)

(4)オーロラビジョンマークⅡ

FMCRTの制御は、近距離型オーロラビジョンの構成方法(図5-6)を流用した。特徴的な設計として、表示ユニットの基板には16 個のソケットを並べておき、各FMCRTにはプラグを装着した。このプラグおよびソケットにより、16 個のFMCRTは表示ユニットの基板に任意に着脱できる。この着脱は、第一世代のオーロラビジョンも同じであるが、ここではプラグ側にロックピンを設けている。挿入時はカチット音がして固定され、所定の力以上で引く抜くことができるので、メンテナンスに便利である。この設計は、その後の第二世代オーロラビジョンの全機種に引き継がれた。さらに表示ユニットは、駆動回路として市販のVFD用の駆動回路を使い、陽極の駆動は、表示ユニット内に高電圧を発生する電源を実装している。図5-16は16 個のFMCRTを配列した表示ユニットの外観である。発光部は、発光素子内外で画素が均等に配列され、発光素子間、あるいは表示ユニット間の継ぎ目は目立たない。

図5-16. 表示ユニットの外観3)

FMCRTを開発することによって、1986 年 6 月には、輝度1300cd/m2の屋内用オーロラビジョンマークⅡが実用化された19)。図5-17は第二世代オーロラビジョンとして初めて製品化されたオーロラビジョンマークⅡの製品展示説明会のときの記念写真である(1986 年 6 月)。写真右上が製品化時のFMCRTである。スクリーンには、このFMCRTは3072 個が配列されており、表示ユニットとしては192 個である。初号機は1986 年内に米国に出荷されている。競技場やイベント会場、体育館などで使用されたが、1990 年の出荷を最後に、新たに開発された後述の屋内高解像度型に置換わった。

図5-17.オーロラビジョンマークⅡ3)

5-4 CRTを応用した第二世代 大型映像表示装置

大型映像表示装置は、各社とも単色あるいは1画素の発光素子を配列する方式から第二世代の高画素密度の発光素子を配列する方式に発展し、それぞれ大型映像表示装置の市場拡大に貢献している。ここではCRTを応用した各社の技術を調査する。

5-4-1 三菱電機

(1)屋外高輝度型

三菱電機では、第二世代大型映像表示装置としてオーロラビジョンマークⅡを実用化すると、FMCRTのシリーズ化の一環で、屋外で使用するために屋外高輝度型FMCRT-HB(HB: High Brightness)を開発した。図5-18 (a)はHBの構造である。HBは、1辺が約80 mmの正方形で16の発光部を含む。制御はオーロラビジョンマークⅡと同じである。過酷な屋外環境で、しかも4000 cd/m2の高輝度で使用され、発熱もある。発光素子の設計に特徴があり、直射日光下の高画質化対策も必要とした。

(a) 屋外高輝度型FMCRT-HBの構造3)

(b)屋外高輝度型FMCRTの外観4)

図5-18.屋外高輝度型FMCRT-HB

HBの設計では、高輝度・長寿命化を目指し、各発光部は4ドット毎に規則的に面積を拡大した20)。これは、本来等ピッチで配列すべきドットが不等ピッチ化されるので、画質への影響を心配して反対意見も多かったが、輝度・寿命を優先して採用された。RGGBの4ドットを1画素として、画素ピッチは40 mm、ドットピッチは平均20 mmとなる。心配された不等ピッチ化の画質への影響は、適切な視距離で見る限りほとんど無かった。理論的にも不等ピッチ化によって生じるモアレなどの画質劣化も無く、逆に輝度が高くなることによる画質の改善効果が大きかった21)。不等ピッチ化の詳細は7章に示す。その後のFMCRTの開発では、全機種に採用された。さらに高輝度化対策として陽極電圧を8kVから10 kVへと高めた。高電圧化すると、管内の突起部や異物からの放電が増える傾向にあり、発光素子内部の電極は表面が滑らかな絞り加工にして管内放電を軽減した。

この開発では、当初、FMCRT-HBを配列した表示ユニットの前面にひさしを設けた状態で3 m × 4 m 程度の試作スクリーンに画像を表示した。開発担当者は、ひさしの効果もあり画質に満足気味であったが、第一世代の開発者からは、太陽光下での黒が十分ではなく、「使いものにならない」という厳しい指摘があった。そこで直射日光下のコントラスト改善対策として、各発光素子の前面にレンズ・フィルタを装着することになった。レンズは、アクリル製で(後日ポリカーボネート製に変更)、発光素子側にフィルタを印刷し、接着剤で発光素子の前面に接着した。フィルタは、蛍光体と同じ色のカラー塗膜で、発光色を効率的に透過させて外光の反射を抑制する。レンズはカラーフィルタによる輝度の低下を補う。

図5-18(b)はレンズ・フィルタと一緒に撮影した発光素子の外観である。フィルタの印刷およびレンズの接着工程は、長崎製作所のユニット組立ラインに隣接して立ち上げた。屋外の過酷な環境を想定した信頼性試験では、レンズ・フィルタが剥がれるなどの課題もあった。ここでも試行錯誤を繰返し、安定した品質の工程を確立できた。こうして屋外用の高輝度で高コントラストの大型映像表示装置を実現した22)

図5-19は、屋外用FMCRT-HBを16 個配列した表示ユニットである。屋内型と同様に表示ユニットの基板には16 個のFMCRTを自在に着脱できる。屋外の高輝度用途ゆえ、風雨にさらされる過酷な環境で防水性と信頼性を維持できるように特殊なパッキンを製作した。十分な信頼性試験を実施したが、初期段階では、いくつかの不具合現象も経験した。これは高輝度による発熱や10kVの高電圧、さらに湿度の影響によるもので、詳細は後述する。各不具合は原因を究明し、それぞれの対策は、加速試験を含めて十分に検証した。その結果、高い信頼性を確立し、このFMCRT-HBの開発によって、第二世代オーロラビジョンの事業が本格化した。後日、LED方式の第三世代になると、三菱電機を含めて各社の製品は次々とLED方式に移行するが、最後まで存続したのがこのFMCRT-HBであった。

図5-19.屋外高輝度型の表示ユニット3)

(2)屋内高解像度型

図5-20は屋内高解像度型FMCRT-HR(HR: High Resolution)の説明図である。(a)は構造の説明図、同図(b)は外観である。屋内高解像度型は、画素数を4倍化して1辺60 mmの正方形に64の発光部を含む。第一世代オーロラビジョンの反省が高解像度化してコストが高くなったことである。FMCRT-HRでは、高解像度化とコスト削減の両立に向けて、内部構造を簡素化した。例えば、X,Y電極を印刷で形成して金属部品を削減し、さらにカソードは2画素で共有した。そして印刷した制御電極は、カソードとともにシールド電極でカバーした。この案は、当時、伊勢電子の技術者がいくつかの電極構造を検討しており、その中に1本のカソードの両側に電子を2画素に偏向して制御する電極を設ける案があった。それに三菱電機の技術者が偏向用の電極をカソードの背面に印刷する案を提案した。そして三菱電機と伊勢電子の共同の特許を出願した23)。共同開発においては、その後、大半の特許を共同出願することなった。この特許の共有の結果、議論が活発になり開発が加速した。こうして部品点数を大幅に削減して内部を簡素化し、高画素密度化によるコスト上昇を抑制してFMCRT-HRを実用化できた24)。図5-20(b)において、フェースガラス表面がマイクロレンズ状なのは鏡面反射を避けるためである。

(a) 屋内高解像度FMCRTの説明図7)

(b) 屋内高解像度型FMCRTの外観4)

図5-20.屋内高解像度型FMCRT-HR

(3)高付加価値化およびコスト削減

屋外用新FMCRTとして 高付加価値化およびコスト削減に取組んだ。FMCRTの高付加価値化では、屋外用の高解像度タイプのFMCRT-HG(HG : High Grade)を開発した25)。HGは、HBの画素ピッチ40 mmに対し、25 mmにして解像度を高めており、輝度は5000 cd/m2を実現している。さらに容器サイズは、約50 mm × 200 mmの長方形にして真空に対する応力を強化し、表示部の面積を拡大した。発光素子内には64画素を含み、画素当たりのコストを削減した。

コスト削減では、屋外高輝度型FMCRT-HBと同等の仕様でサイズを2倍化し、電極構造を簡素化した新発光素子FMCRT-WHBを開発した26)。WHBの画素ピッチはHBと同じ40 mmである。輝度は6000 cd/m2とし、寿命は、輝度2500 cd/m2を維持できる実用的な使用時間の20000 時間とした。

HGとWHBは、何れも長方形である。制御電極は、印刷などによって行電極と列電極をカソードの背面に形成し、カソードおよび制御電極を1枚のシールド電極でカバーした。構造が簡素化され、さらに表示部の面積を拡大して画素が増えており、画素当たりのコストを削減している。内部構成は、HG、WHBともに共通の図5-21で表わされる。

図5-21.屋外用新FMCRTの説明図7)

図5-22は、各FMCRTの外観である。左から屋内高解像度型HR、屋外高輝度型HB、屋外高解像度型HG、さらに屋外高輝度型のダブルサイズ版WHBである。これらの設計には、画素が適度に分離したRGGBモザイク配列が役立った。さらに各FMCRTは4画素毎に規則的に画素面積を拡大し、高輝度・長寿命化を図った。これらの発光素子は、メンテナンスに適したサイズの表示ユニットを構成する。さらに図5-6(b)の構成方法に従って大画面のオーロラビジョンが構成される。

図5-22.各FMCRTの外観4)

こうして第二世代オーロラビジョンは、第一世代の課題であった高解像度化とコスト削減の両立を実現し、屋内用途から屋外用途まで市場を拡大した。第二世代オーロラビジョンは、1996 年に開発されたLED方式オーロラビジョンと並走し、2002 年の最後の出荷まで続いたのは、画質とコストに競争力があったことによるもので、大型映像表示装置の事業に貢献した。

5-4-2 ソニー

ソニーは、1985 年のつくば博に野外巨大カラー映像装置ジャンボトロンを出展した。この世界最大の野外巨大カラー映像装置は、市場へのアピールとして、十分なインパクトがあり、同時期に開発・実用化された高解像度の発光素子トリニライトを配列したジャンボトロンが次々と市場に投入されている。

(1)屋内型トリニライト

ジャンボトロンの初号機を1985 年のつくば博の展示とすると、製品一号機は、同じ年に米国カリフォルニアの教会に屋内型として設置されたジャンボトロンである27)。発光素子のトリニライトは、内部に8画素を含み、各画素は22 mmピッチで配列されている。図5-23は、屋内型のトリニライトの説明図で、(a)は概略の構造、(b)は外観の写真である。各画素はそれぞれR,G, Bの3色を含む。

(a)発光素子の説明図28)

(b)発光素子の外観29)

図5-23.屋内用トリニライト

詳細な内部構造の説明は、1984 年 12 月に出願された特許(特公平6-1674など)の明細書に詳細な図とともに記載されている。つくば博のトリニライトが陽極を蛍光面側から引出したのに対し、ここでは裏面の排気管から引出している。この構造によって高電圧を印加する発光素子の信頼性は改善される。その後、このトリニライトは、屋内外共用に改良されて屋外でも使用されている。この陽極を裏面の排気管から引出す構造は三菱電機も同じ時期に着想しており、特許を出願したが(特開昭61-250961)、トリニライトの出願がやや早かった。細部の構造が異なっており、特許に抵触することは無かったが、技術的に競合する技術者は、同時期に同様のアイデアを着想することを実感させられる。

(2)屋外型トリニライト

トリニライトは、前述した画素ピッチ22 mmの機種とつくば博に出展された機種の中間的な仕様として、画素ピッチ50 mmの屋外型も開発された。図5-24は屋外用トリニライトの説明図である。同図(a)は概略の構造、(b)は外観の写真である。(a)に示されるように、2画素が1 個の真空容器に配置されている。詳細な内部構造は、前述の特公平6-1674などの特許明細書に記載されている。

(a)発光素子の説明図31)

(b)発光素子の外観29)

図5-24.屋外用トリニライト

画素ピッチ50 mmの屋外型トリニライトは、当初の輝度は2,700 cd/m2あったが、その後は各社から4000あるいは5000cd/m2の機種が実用化され、トリニライトも、その後は5,000cd/m2に改良されている30)。蛍光体は、色ごとに発光効率や寿命が異なるが、改良後は蛍光面の3原色の面積を調整し、さらに各蛍光体の電流密度と発光の分布を改善して、良好な輝度および発光効率を実現している31)

(3)屋内型高解像度トリニライト

ジャンボトロンは、屋内型および屋外型のトリニライトを実用化すると、さらに高解像度の機種開発に着手し、1989 年に発表している32)33)。ホテルやショッピングモールあるいは会議場などに設置して、比較的近距離から見ることを想定している。

図5-25は、最も解像度が高いジャンボトロンの発光素子である。1つの発光素子内に16画素が15 mm ピッチで配列されている。当時の屋内用としては十分な輝度1400 cd/m2である。

図5-25.ジャンボトロンの高解像度発光素子32)

画素ピッチが短縮されると、電子ビームの精細な制御が必要になる。さらに解像度が高くなると、一般にコストが上がることから、設計ではコスト削減の工夫として内部構造の簡素化も必要となる。

図5-26は、高解像度発光素子の電極構造の説明図である。フォトリソグラフィで微細加工した3枚のメッシュ状平面電極板G1,G2,G3で2枚のセラミックスペーサーを挟み込む積層構造である。これらの電極は一体化して構成されるので内部構造は簡素化される。制御は、中央のG2が電子を制御し、G1及びG3 は一定電圧が印加される。他のトリニライトが各画素に対応してカソードを配置するのに対し、高解像度トリニライトでは、1本のカソードを赤、青、緑の3画素で共有し、部品点数が大幅に削減されている。

図5-26.高解像度発光素子の内部構造32)

(4)高付加価値化

トリニライトは、既に実用化した画素ピッチ22 mmおよび50 mmの機種に続いて、次の高付加価値機種として、輝度および解像度を改善した機種が開発されている30)。屋外用は画素ピッチ35 mmで輝度5000 cd/m2、屋内外共用は画素ピッチ17.5 mmで輝度4000 cd/m2である。それぞれ発光素子としての完成度が上り、市場では従来のジャンボトロン以上に販売されている。

さらにジャンボトロンの高解像度化を目指して高密度を有する屋内用のCRTマトリックスユニットが開発されている。図5-27はその略図で、(a)はCRTマトリクスユニット、(b)は各CRTの構成である34)。各CRTは、一辺が約60 mmの正方形の表示部に画素が7.5 mmピッチで64画素が配列されている。各画素は、赤、青、緑の3色を含む。画素密度は、図5-25の高解像度機種に比べて4倍になり、素子間の継ぎ目が目立ち難い様に、ファンネル部は極限まで薄く設計されている。ただしこの開発は試作にとどまり、実際に製品化されたわけではない。

(a)CRTマトリクスユニット

(b)CRTの構成

図5-27. CRTマトリクスユニット34)

5-4-3 その他

図5-28は富士通から特許出願された発光素子の説明図である35)。1素子内に複数の画素が含まれ、各発光部に対応して電子銃を備えている。実用化された訳ではないが、特許は1981 年に出願されており、この時期、様々な企業が大型映像表示装置の製品化に興味を持ったことが伺える。

(a)発光素子の表示面

(b)発光素子の断面図

図5-28.特許が出願された発光素子35)

5-5 放電管を応用した 第二世代大型映像表示装置

東芝電材が開発したCHD管は、屋外大型映像表示装置として業界初の5000cd/m2を達成した。放電管を応用した第二世代大型映像表示装置では、管内に複数の発光部を含む高解像度の発光素子が開発され、輝度は5000cd/m2を維持している。ここでは第二世代大型映像表示装置における各社の発光素子開発例を紹介する。

(1)東芝ライテック

東芝ライテックは、赤、青、緑の3種類の放電管を配列する第一世代の大型映像表示装置を、発光素子内に複数の発光色を含む第二世代の大型映像表示装置へと発展させている36)。図5-29は第二世代の発光素子MCD管(MCD管:Multi Colored Discharge Tube)である。(a)は構成図、(b)が外観を示す。MCD管は、1辺20 mmの正方形に4発光部を含み、22 mmピッチで配列される。画素を密度化することによって高解像度の表示を得ている。さらに発光素子の容器を金属で構成して開口率を高め、輝度4000 ~ 5000cd/m2を実現している。低圧の水銀蒸気の放電による紫外線で蛍光体を励起して発光させるもので、高輝度を得やすく低電圧で駆動できるなどの特徴がある。

(a) 発光素子MCD管の構成図36)

(b) 発光素子MCD管の外観38)

図5-29. 発光素子MCD管

図5-30は発光素子LMCD管(LMCD管:Large MCD Tube)の外観である。画素ピッチは39 mmで輝度は5000cd/m2である37)。開口率が高く、高輝度を得やすい。野球場などへの納入実績がある。市場には、MCD管以上にLMCD管が多く出荷されたとされる。理由は分からないが、三菱電機の屋外用途において画素ピッチ25 mmのHGより画素ピッチ40 mmのHBが高開口率で長寿命の表示装置として市場に多く出荷された状況に類似している。

図5-30. 発光素子LMCD管の外観38)

(2)松下通信工業・松下電子工業(当時)

松下通信工業・松下電子工業(当時)は、RGBトリオ配列の2画素を一体化した高密度・高輝度の蛍光放電方式の発光素子を開発し、高輝度大型映像表示装置アストロビジョンとして実用化した39)。図5-31は、発光素子の説明図である。(a)は構成図、(b)が外観を示す。画素ピッチは18 mmで、輝度5000cd/m2である。発光素子は、後方に共通陰極を設けている。独立した陽極をもつ放電路6本で形成されており、各々の放電路の放電電流は独立して制御できる。(a)の構成図は、特許明細書にも記載があり、内部構造の詳細もこの明細書が参考になる40)。同一方式で画素ピッチ14 mmのものも実用化されており、これが放電方式では最も画素密度が高く、高解像度の表示を実現している41)

(a) 構成図39)

(b) 発光素子の外観42)

図5-31.RGBトリオ配列の蛍光放電方式発光素子

(3)松下電工

松下電工(当時)は、10 ~ 50 m の比較的近距離用で、昼間でもきれいに見える大型カラー映像ディスプレイの実現を目指して、放電を利用した小型で高輝度の発光素子を開発した43)。図5-32は小型発光素子と表示装置の表示例である。(a)は、発光素子の構造で、表示面に沿ってUの字状に屈曲した4本の独立した放電路により各色を発光し、この放電路に対応して共通のカソードを設けている44)45)。この放電路はセラミックで成形しており、表示面の板ガラスと気密封着して放電チャンバーを形成している。1辺が23 mmの発光素子は25 mmピッチで配列され、輝度は5000cd/m2である。(b)は1989 年の世界デザイン博に展示された大型映像表示装置Skypixの表示例である。Skypixは、そのほか1990 年の国際花と緑の博覧会のメインホールに設置され、6カ月間にわたって活躍している。

(a)発光素子の構造45)

(b) 大型映像表示装置Skypixの表示例4)

図5-32. 放電を利用した小型発光素子と表示例

5-6 発光素子における画素配列の特徴

独自技術で開発されたCRT方式あるいは放電方式の発光素子は、それぞれをマトリクス状に配列して大型映像表示装置が構成される。その画素配列は、図5-33 (a)のRGBトリオ配列と(b)のRGGBモザイク配列に大別される。これらは、何れもCRT方式、放電方式それぞれに採用されており、発光素子を設計する上で重要なパラメータでもある。画質にも特徴が生まれることから、ここでは画素配列の特徴を比較する。

(1) RGBトリオ配列とRGGBモザイク配列

図5-33は、代表的画素配列と制御の比較を示す。(a)は、RGBトリオ配列である。3色(R,G,B)が近接して混色しやすく、各画素が映像信号の走査線あるいは標本点に対応して制御される。これは分かりやすい。これに対し(b)は、RGGBモザイク配列である。画素内の各色が分離しており、混色に課題があるが、一般に、視感度が高い緑の影響で解像度が高く感じると言われている46)。さらに画素の駆動は、映像信号の標本化周波数を高速化して各色を個別の画素のように、画像の走査線あるいは標本点に対応させて制御する。その結果、標本点の密度が高くなり、確かに実質的な解像度は高くなるが、どの程度高くなるのか定量的な考察が少なく、このことがRGGBモザイク配列の解像度を分かり難くしている。大型映像表示装置では、この問題を明らかにするために画素配列と画質の関係が理論的に考察されている47)。この文献によれば、(b)の配列は、(a)の配列と比較して、標本点および走査線の密度が高くなり、見かけの画素数が約2倍に増加する47)。これは(b)の実線の画素に対し、破線のように隣接画素が縦横斜めに重複することに対応する。即ち、トリオ配列は混色を優先する用途に適するのに対し、RGGBモザイク配列は、十分な視距離で高解像を得る用途に用途に適している。

(a).トリオ配列

(b).RGGBモザイク配列

図5-33.代表的画素配列と制御の比較7)

(2)RGGBモザイク配列の効果

図5-34はトリオ配列とRGGBモザイク配列を適用した発光素子の比較である。発光部の白っぽい蛍光体は、外光を反射して画像のコントラストを低下させる。コントラストの改善は、5-4-1で述べた屋外高輝度型のレンズ・フィルタが効果的である。

図5-34.トリオ配列とRGGBモザイク配列4)

各画素配列は、何れもカラーフィルタによって発光色を透過させつつ外光の反射を抑制できる。ただし輝度もある程度低下する。ここでRGGBモザイク配列は、3色が適度に分離しており、各色へのレンズの装着に適している。レンズは輝度の低下を補うことでフィルタを濃い目に設定できる。このレンズ・フィルタによって、RGGBモザイク配列は、明るい環境下で輝度を維持したままで黒レベルが低下し、高コントラストの映像を表示できる。図5-35は、スクリーンが並べてあり、非点灯時の画面の黒さを比較できる。中央の表示装置は、レンズ・フィルタを装着した例である。屋外の明るい環境において、画面の黒が周辺の黒塗装よりも黒く、レンズ・フィルタがコントラスト改善に効果的であることを示している。

図5-35.スクリーンの黒レベル比較3)

5-7 CRT方式特有の設計

CRT方式は、放電管などの他の方式と比較して、約10kV程度の高電圧を使用ことによる課題が指摘されている。例えば、屋外におけるガラス表面への塵埃の附着や防水・信頼性、さらにコストである48)。CRT方式を採用した三菱電機やソニーは、同様の課題に直面し、それぞれの努力で解決している。ここではCRT方式における設計上の特徴と特に注力した寿命および信頼性について紹介する。

(1)カソードの設計

各発光素子は、高解像度化とコスト削減の両立が課題である。特にCRT方式は、線状カソードの端部の温度が低く、カソード端部からは十分なエミッションを得難い。そこで各発光部に1本のカソードを設けてカソード全体のエミッションを利用してきた。一方、高解像度の発光素子では、カソードの効率や部品点数削減によるコスト削減を考慮した工夫がある。それぞれの特徴を紹介する。

トリオ配列を採用したジャンボトロンは、図5-25に対応する高解像度型の設計において、1本のカソードをR,G,Bの3画素で共有している。カソードは、中央と両端部では、温度の違いによって電子の放出量が異なる。そこで図5-36に示すように共通のカソードから放出された電子がG1メッシュに至るまでに均等になるように設計されており、電子はG2メッシュ(図5-26)によってON/OFFを制御している。

図5-36.3画素によりカソードの共有32)

これに対しRGGBモザイク配列を採用したオーロラビジョンは、1本のカソードを2画素で共有している。カソードから放出された電子は、カソードの背面に印刷で形成した2種類の制御電極(X電極とY電極)で図5-37のように制御される。ここでは、走査電極xiとデータ電極yjが共に正のとき、開口部1から電子が放出されることを示している。即ち、電子は、X電極(走査電極)とY電極(データ電極)の両者がカソード電位に対して正のときにカソードの中央付近から放出された電子がシールド電極の開口部を通って陽極に達する。X,Y電極の片方、あるいは両方が負の場合は、電子は放出されない。画像の制御では、X電極に走査信号、Y電極にデータ信号を印加している。

図5-37.2画素によりカソードの共有7)

ここで複数の発光部によるカソードの共有は、CRTでは、電極構造に相当な工夫が必要になるので、CRT方式特有の設計として紹介した。ただしカソードの共有は放電方式でも同様な工夫がある。東芝ライテックあるいは松下電工Skypixの発光素子は、何れも共通のカソードを4つのアノード(発光部)で共有している。アストロビジョンにおいては共通のカソードを6つのアノード(各3色の2画素)で共有している。何れも高解像度化に対応した部品点数の削減であり、消費電力の削減にもなる。

(2)信頼性

発光素子の信頼性において、陽極に10kV程度の高電圧を使うトリニライトやFMCRTは、同様の課題に直面している。特に屋外用途では、ガラス封止部が剥離して破壊に至る不具合に悩まされた。原因は、高輝度で使用することで発熱し、高電圧でガラス内のナトリウムイオンが移動して封止部に蓄積したことによる。高温・高湿のもとでは、この封止部が剥離して真空不良に至る。湿気(気体のH2O)は、封止部にとって危険である。この問題は、ガラスの厚みを増して容器の真空応力を低減し、さらに封止部を強化して応急的に対策した。恒久対策ではガラスの材質を光学ガラスに変更した。光学ガラスは、ナトリウムイオンの移動が激減し、管内のアウトガスによるカソードの劣化も軽減できた。この不具合は、第二世代オーロラビジョンが本格的に立ち上がる前に顕在化した。現地では、不具合の都度、迅速に表示ユニットあるいは発光素子を交換した。並行して研究所を巻込んで総合的に対策し、影響を最小限にとどめることができた。結果的に第二世代は、高輝度・高信頼性の表示デバイスとして、その後の事業に貢献した。

(3) 寿命

第一世代のオーロラビジョンの寿命は、輝度の半減時間で定義され、8000 時間であった。白熱電球を配列したオレンジ色のモノクロタイプの寿命2000 ~ 3000 時間より長いとされた46)。電球方式のアストロビジョンでは、5000 時間以上と推定した報告もある49)。第二世代のFMCRTは、同じCRTの原理に基づくものであり、当初は8000 時間とした。

寿命の低下要因は、蛍光面の発光効率の低下とカソードの電子放出能力低下に大別される。前者は、蛍光面の効率の低下とガラスの透過率の低下(ブラウニング)であり、電子衝突の累積値に依存する。後者は、カソードの劣化であり、主に真空度の低下に起因する。カソードの電子放出能力の低下は、発光素子ごとに微妙な違いがあり、画面の輝度むらとして顕在化する。この画質への影響は深刻である。特にトリニライトやFMCRTは、真空容器の内蔵物が多く、しかも高電圧を使うので、使用中の発熱でアウトガスが増えて真空度が低下する。このため長寿命化の対策は設計的にも工夫した。

設計では、まずFMCRTは画素面積を4画素毎に規則的に拡大して蛍光面の負荷を軽減した。さらに背面電極による電極構造の簡素化、ゲッタの効果的配置によるアウトガスの吸着により真空度の低下を大幅に軽減した。ガラスも材質を光学ガラスに変更した。この結果、高い信頼性を誇り、ばらつきが少なく、屋外で実用上差し支えない輝度として、2500cd/m2以上を維持できる有効な使用時間は20000 時間を超えた26)

寿命の一時的な低下要因には、発光素子表面への塵埃の附着による輝度の低下がある。メンテナンス時に清掃すれば回復するが、ユーザーにとっては印象が悪い。三菱電機では、塵埃の附着による輝度の経時変化を実測した。発光素子は、陽極に10kVを印加すると、表面は静電気によって約10kVに帯電し、主にカーボン系の黒い塵埃を吸着して輝度を低下させる。表面にポリカーボネート製のレンズ・フィルタを装着すると、輝度の低下は半減した。表面に透明なITO(Indium Tin Oxide)膜や光触媒を使うと、さらに効果的であった。最終的には効果とコストを考慮して、ITO膜を使用した。

寿命による輝度低下の弊害として、輝度のばらつきがある。図5-38は、発光素子ごとの輝度のばらつきのシミュレーション画像の例である。輝度は、30 %程度のばらつきが発生すると、画質が著しく低下することを示す。第二世代のオーロラビジョンは、初期段階で、この種の画質の低下が実際に見られた。図5-39は、前述の対策によって寿命を改善した成果として、市場で8000 時間経過時の表示例である。使用時間に対応する全体的な輝度の低下はあるが、改善後は、ばらつきが少なく、良好な画質を長時間にわたって、維持していることを示す。

図5-38. 発光素子ごとのばらつきの例7)

図5-39.市場で8000 時間経過時の表示例3)

(4)特徴的駆動技術

大型映像表示装置は、画像の濃淡を1フィールド(日本のテレビ信号の規格は1 / 60 sec)内の画素の発光時間幅で制御する。FMCRTでは、画像を走査信号X1~Xnとデータ信号Y1~Ynの2種類の信号によって制御され、デジタル化された最小の時間幅をTqとすると、発光時間幅はその整数倍である。ここでCRT方式は、電子線の制御に対する表示の応答が速いので、最小の時間幅Tqをさらに細分化して、Tqの幅を制御することができる。この場合、表示の階調制御とは独立して画面の明るさを制御できる50)。大型映像表示装置は、太陽光下の表示と夜間の表示では、輝度の設定を変えており、この機能は、第一世代から受け継がれている。

一般に高輝度、大面積の画像は、人間の視覚特性から、フリッカが知覚されやすい。図5-40は、n階調の表示において、駆動パルスを時間軸上で均等にm分割し、各1/mフィールドの期間に近似的にn/m階調を表示し、1フィールドの期間の累積幅がn階調になるように駆動する例である。見かけの表示周波数はm倍になりフリッカが解消する。この方式はテレビカメラで直接撮影されるイベント会場の背景などの用途に適する21)。例えば、1986 年のNHK紅白歌合戦のステージの背景に利用され、その後の24 時間テレビにおけるメインステージでも利用された。最近は、シャッタースピードの速いカメラでも高画質の撮影が求められており、見かけの表示周波数を高める駆動は、業界にも影響を与えている。1985 年のつくば博における大型映像表示装置前の広場では、画面撮影時の注意としてシャッター速度1 / 60あるいは1 / 30を推奨するアナウンスが流れていたが、図5-40の駆動を適用すると、シャッター速度の指定は大幅に緩和される。

図5-40. 階調制御とフリッカレス表示7)

このような制御は、電子を高速で制御できるCRT方式の発光素子の制御に適している。さらに、その後のLED方式の大型映像表示装置では、一般的な技術として定着してきた。

5-8 第二世代大型映像表示装置の総括

大型映像表示装置は、市場が本格的に立ち上がる前の1983 年には、液晶を使った大型表示装置が発表され、各社がそれに続いた。液晶方式大型表示装置は、一定の需要はあったが、輝度は高々300cd/m2程度で、市場は屋内に限定された。青色LEDが開発されてLED方式の大型映像表示装置が登場すると、その役割を終えたが、屋内の市場開拓に役立っている。

大型映像表示装置の市場拡大には、各社が開発した第二世代の大型映像表示装置が貢献している。ここでは、各社独自の発光素子を紹介した。発光素子は、CRT方式と放電方式に大別され、それぞれに特徴がある。各方式ともRGBトリオ配列とRGGBモザイク配列があり、各社の考え方に基いて採用されている。発光素子の設計では、電極構造を決める上で、画素配列が重要なパラメータでもあり、第二世代大型映像表示装置の開発では、画素配列の理論的な検討が進んだ47)

ここでCRT方式と放電方式について、優劣を論じるつもりはないが、第一世代の発光素子を含めて共通的な二つの特徴がある。第一に屋外の直射日光の下で、さらに風雨に曝される環境で、発熱を伴う高輝度で使用されること。第二に大型映像表示装置は、数万個の発光素子が配列されており、全てが直接見えることである。このような特徴ゆえ、開発・製造に関わった技術者は、材料の選定から性能・信頼性の試験では、加速試験の工夫を含めて、長期の検証を必要とした。さらに均一性を維持しつつ、寿命を終えるまで安定して動作するには、設計および製造技術の工夫があり、新たな設備の導入も必要とした。大型映像表示装置を総括するに当たって、発光素子の様なキーデバイスの開発では、技術が広範にわたることを記しておきたい。

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22)   寺崎信夫ほか:“高輝度・高解像度・屋外カラー映像表示装置<オ-ロラビジョンマ-ク2-HB>”, 三菱電機技報, Vol.63,No3, pp. 199-204 (1989)
23)   特公平6-24103:蛍光表示装置
24)   原善一郎ほか:“高分解能大画面ディスプレイ用発光素子”, テレビ学技報, IPU91-26, IDY91-87, pp. 15-20(1991)
25)   原善一郎ほか:“屋外近距離用オーロラビジョン”,三菱電機技報, Vol. 69, No. 11, pp. 1000-1004(1995)
26)   原善一郎ほか:“オーロラビジョン用新発光素子”, 三菱電機技報, Vol. 74, No. 12, pp. 40-43 (2000)
27)   児玉保:“ソニーの高解像度新型ジャンボトロン”放送技術, 昭和61. 1 pp.78-84 (1986)
28)   文献27)の図2を基に筆者作成
29)   「写真提供」元ソニー張間廣信
30)   袖岡淳:“21世紀に向けてのジャンボトロンの展開”,月刊ディスプレイ, 5 月号, pp. 23-28 (2000)
31)   大越明男ほか:“大画面表示用素子の高輝度化”, 応用物理, pp. 1517-1518 (1987)
32)   林正健ほか:“15 mmトリオ・ピッチジャンボトロン素子”テレビ学技報, Vol. 13, No. 40, pp. 13-16(1989)
33)   Hayashi et al. “A 15-mm Trio-Pitch Jumbotron Device”, SID 89Digest,pp. 98-101 (1989)
34)   S. Shimada et al.: “New Development Methods for the indoor Use High-Density Jumbotron”, IDRC, pp.163-166 (1991)
35)   特開昭57-189452:カラー光源管, 特開昭58-16457:カラー光源管など
36)   中島淳一ほか:“3色発光型放電管による大型映像表示装置”,テレビ学技報, Vol. 15, NO. 2, pp. 7-10(1991)
37)   中島淳一ほか:“放電管方式の大型映像表示装置”, 照明学会誌, 80巻, Appendix号, pp. 333-334 (1996)
38)   「写真提供」東芝ライテック(株)
39)   望月久仁子ほか:“高輝度放電管大型映像表示装置”アストロビジョン”,National Technical Report Vol.38,No. 4, Aug, pp. 78.84 (1992)
40)   特許第2723624号:蛍光ランプ(1989 年出願)
41)   林紀寿, “大画面ディスプレイの迫力”, エレクトロニクス, 1994 年 11 月号, pp. 118-121
42)   「写真提供」パナソニック 林紀寿
43)   Yoshiyasu Sakaguchi et al.; Large - Area Color Display “Skypix”,SID 91Digest, pp. 577-579 (1991)
44)   塩浜英二ほか:“大形カラーディスプレイ用高輝度光源素子”, テレビ学技報告, IPD89-32, pp. 65-71 (1989)
45)   新居宏壬ほか:“発光素子配列型ディスプレイ”,テレビ誌, Vol. 45, No. 2, pp. 151-159 (1991)
46)   倉橋浩一郎ほか:“オーロラビジョン: 巨大画面カラーディスプレイシステム”, テレビ学技報, IPD49-3, pp. 31-36(1980)
47)   原善一郎ほか:“大画面ディスプレイにおける画素配列と画質”, 信学論C-Ⅱ, Vol. J77- C-Ⅱ, No. 3, pp.148-159 (1994).
48)   橋本健:“マンモステレビの問題点”, テレビ学技報, IPD76−4, pp. 43-48 (1983)
49)   高田朝男ほか:“大型カラー映像表示装置アストロビジョン”, National Technical Report, Vol. 30,No.1, Feb pp. 120-129 (1984)
50)   原善一郎ほか:“大型ディスプレイ”,映情学誌, Vol. 55, No. 8 / 9, pp. 1067–1070 (2001)

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 6 青色LEDと第三世代大型映像表示装置

LEDを画素としてマトリクス状に配列し、画像を表示する技術は、1970 年代の後半には既に研究されている。当時、主な表示デバイスはCRTであったが、重量および強度とともに、表示に高電圧を必要とすることが課題とされた。これらの課題への対策として、壁掛けテレビが研究されており、その候補として、液晶、プラズマ、ELなどの表示デバイスとともに、LEDを利用したディスプレイが検討されていた。ここでは、LEDを使った画像表示技術を振返り、青色LEDが開発されて大きく変化し、成熟期に入った大型映像表示装置の概要について紹介する。

6-1 LEDにおける画像表示と 青色LEDの影響

(1) LEDにおける画像表示

LEDを利用した平面表示装置は、1978 年には三洋電機がテレビ画像を表示した研究を報告している1)。当時、最も明るいとされたGaP緑色LEDを使用している。図6-1は、この文献に紹介された平面ディスプレイである。(a)はLED表示装置の構造、(b)はテレビ画像の表示例である。有効画面サイズは縦横120 mm×160 mm、LEDのチップサイズは0.3 mm角で、画素数は縦横240×320である。表示は、緑のモノクロであったが、画像の濃淡は16階調で、PWM(Pulse Width Modulation)駆動である。テレビ画像の表示に必要な逆ガンマ補正などの技術は、既にこの時期に開発されている。

(a)LED表示装置の構造

(b)テレビ画像の表示

図6-1.LEDを配列したモノクロの画像表示例1)

翌年には東芝から図6-2のような多色LEDパネルが発表されている2)。ここでは画素ピッチ1.7 mmの中に約0.3 mm角の赤・緑の2種類のLEDが実装されている。さらに1983 年には同じく東芝からLED大型多色モジュールが試作され、画像表示用途としてのLEDの可能性が注目されている3)。当時の緑LEDは黄緑である。さらに実用的な青色LEDは存在しなかった。フルカラー化は進展しなかったが、1980 年代の前半には、LEDを配列したマルチカラーのディスプレイに画像を表示する技術が開発され、情報表示板として活用されている。また、これらの技術は、近年話題になっているマイクロLEDやミニLEDの考え方の起源になっているようにも思われる。

図6-2.多色LEDパネル2)

(2) 青色LEDの影響

LEDを配列した大型表示装置は、1990 年代初めには、2色(赤、黄緑)のLEDを使った映像システムが国内外に設置されている4)。LEDは、1993 年に日亜化学工業が世界に先駆けて高輝度青色LEDを開発・実用化したことで3原色がそろい、1995 年頃からカラー大型映像表示装置への応用が始まった4)5)

当初は青色LEDも高価であり、大型映像表示装置が一気にLEDに置換わった訳ではないが、約5年程度の重複期間を経て、次第にLEDに置換わった。それまで大型映像表示装置は、各社が開発した独自の発光素子の特性によって特徴付けられていたが、青色LEDの登場によって、各社が同じような特性のLEDを使うようになり、差別化技術が発光素子から画質や組立性、保守性などへと変化した。

6-2 LED方式大型映像表示装置の開発

LED素子の代表例を図6-3に示す。左から順に砲弾型、面実装型、3 in 1型である。砲弾型は、レンズによって正面輝度は高くなるが、視野角が制限される。面実装型は、視野角は広いが輝度に制約がある。3 in 1型は、1素子内に3色のLEDを実装しており、少し遅れて実用化された。2000 年には、構造や指向特性などの概要が紹介されている6)

図6-3.代表的LED素子7)

(左から順に砲弾型、面実装型、3 in 1型)

LED方式オーロラビジョンは、第二世代のFMCRT方式が多く出荷されている中で、軽量・薄型・高解像度という特徴を生かして、FMCRTでは実現が難しい屋内用の高解像度機種の開発に着手した。業界では、砲弾型LEDが主流であったが、オーロラビジョンでは正面輝度を抑制して広視野角化した面実装型LEDを使用して1996 年に屋内型高解像度フルカラーLED表示装置を製品化した8)。その初号機は、1996 年に福岡市のデパートに設置された。当時のLEDは、純緑色LEDは未だ開発されておらず、安価な黄緑LEDを使用していた。この場合、色の再現範囲は原理的に狭くなるが、独自の色変換技術を開発することで、黄緑LEDでも自然な色を表現している。

1998 年頃には、LED方式が一般化し、大型映像表示装置の市場には多数の企業が参入していた。この頃のLED方式オーロラビジョンは、特に米国において、他の製品と比較されることが多かった。安価な黄緑LEDを使っていたが、高精細・広視野角に加えて、色変換による自然な色の表現力が他社製品以上に評価され、米国のアリーナに多数設置された9)

6-3 LED方式大型映像表示装置の画素配列

画素配列と画質の関係は、大型映像表示装置の設計を対象に検討した論文「大画面ディスプレイにおける画素配列と画質」がある10)。最近は、モバイルディスプレイを対象にPenTile matrixとして知られる各種画素配列があり11)、コスト削減と高輝度・低電力を満たすために検討されている12)。一方、LEDを配列した大型映像表示装置は、設計の自由度が高く、様々な配列が考えられるが、配列や制御が異なると、解像度の考え方が混乱する場合がある。ここでは画像の高精細化を検討するに当たって、改めてLEDの画素配列と制御の関係を整理する。

6-3-1 代表的画素配列と制御

白を表示する最小単位を画素(ピクセル)と定義する。画素数や解像度の考え方は、図6-4を使って説明できる。(a)はLEDのパッケージ内に赤、青、緑を含む3 in 1型LEDの配列である。(b)は赤が2個、青と緑が各1個を含む単色LED4素子で画素を構成している。4素子構成以外に、必要な輝度に応じて、3素子や5素子の構成もあり得る。(a)の3 in 1型は、3色が一体なので標本点と走査線は3色共通である。(b)も各画素を画像信号の標本点と走査線に対応付けて制御できる。このような制御をピクセル制御とする。ピクセル制御では、(a)と(b)は同じ9画素で、解像度も同じである。

(a) 3in1素子の配列      (b) モザイク配列

図6-4.画素配列とピクセル制御13)

6-3-2 サブピクセル制御と解像度

3色を含む画素を標本点と走査線に対応付けるピクセル制御に対し、画素の構成要素の各色(サブピクセル)を標本点と走査線に対応付ける制御がある。サブピクセルレンダリングと呼ばれることもあるが、ここではサブピクセル制御と呼び、図6-5を用いてその特徴を説明する。

(a)標本点・走査線の関係  (b)画像の動きの影響

図6-5.画素配列とサブピクセル制御13)

サブピクセル制御は、画素を構成する各LEDは、赤が2個、青と緑が各1個を含む単色LED4素子で構成され、それぞれが画像信号の標本点あるいは走査線に対応する。図6-4と比較して、同じLEDの構成でも標本点や走査線がそれぞれピクセル制御の2倍になり、高速の処理が必要である。解像度は、ピクセル制御では難しい細部の表現が可能になる。これは、隣接画素が重複して、実質的画素が増加することに対応する10)。一方、縦、横、斜めの細線は、必ずしも3原色を含まず、細部は色が変わることがある。図6-5(b)を使って説明する。即ち、縦と斜めの細線は、画像信号が白であっても表示は変色する。隣接する細線は、補色の関係にあり、画像が動くことで変色が解消され14)、本来の画像信号の白に見える。このようにサブピクセル制御は、実質的な解像度が高くなり、細部の変色も画像が動くことで軽減され、高精細の大型映像表示装置にとって効果的な制御である。

一つ補足がある。4素子構成の色は、第二世代の発光素子では2個の緑が使用された。三菱電機のLED方式では現在は赤を2個使っている。これは純緑色LEDが高価なとき、シミュレーション画像によって赤2個と緑2個の画質の差が小さいことを確認し、コスト削減案として提案された。実際にスクリーンで画質を評価すると、人の肌色や競馬における馬の毛並など、赤みの多い画像の表現に優れており、純緑色の価格が下がった現在も使われている。業界ではもちろん緑を2個使った例もある。

6-3-3 画素配列と色変換

モザイク配列は、サブピクセル制御によって解像度が高くなる。一方、あまり注目されないが、緑単色の画像など、素子数が少ない色では画質に課題がある。図6-6は、この関係を示す。(a)は白表示に対応し、(b)は緑単色の表示である。即ち、4素子構成のモザイク配列は、(a)の白表示のように各色が点灯する場合は良いが、(b)のような素子数が少ない緑単色の点灯では、表示が離散的になる。

(a) 白表示     (b)緑表示    (c)色変換適用

図6-6.色変換と解像度の関係13)

ここで色変換の効果を検討する。LEDは、図6-7のように色の再現範囲が十分に広い。表示色の違和感を解消し、画像をハイビジョンの規格相当の色で表示するには、色変換による補正が必要となる。緑色を補正する色変換では、赤および青を少し点灯させる。この結果、図6-6の(c)に示されるように、緑色LEDの隙間に他の色がわずかに点灯することによって、色の補正に加えて、離散的な表示が滑らかな表示に変化する。このように各色が分離したモザイク配列に色変換を適用すると、解像度の改善効果が得られる。色変換は、LEDディスプレイに限定されず、プリンタや各種ディスプレイにも共通の技術であり、各社が独自のアルゴリズムを開発している。ここでモザイク配列のサブピクセル制御において、色変換による解像度の改善は、独自の特許として成立している15)

図6-7.色再現範囲13)

6-4 大型映像表示装置の高精細化の動向

青色LEDに続いて純緑色のLEDが登場すると、表示装置の色表現能力が格段に改善された。さらに価格が下落すると、大型映像表示装置のLED化が加速し、この分野に世界中のメーカーが参入した。国内では、アストロビジョン、スーパーカラービジョン、ジャンボトロンなども次々とLED方式へと移行した。FMCRTを使った第二世代オーロラビジョンは2002 年の出荷を最後に終息し、屋内外とも全てLED方式となり本格的にLED方式の第三世代に移行した。

大型映像表示装置は、LEDを豊富に使用することで画面の高精細化・超大型化が進展した。ハイビジョンの用語が定着しつつある時期でもあり、2000 年には本格的なハイビジョン対応の屋内型スクリーンが登場した。図6-8は、札幌メディアパークに設置された縦横3.8m×6.9 mのハイビジョン対応の高精細スクリーンの例である。画素配列はRが2個のモザイク配列である。モザイク配列では、ほとんどがサブピクセル制御を適用して解像度を高めている。個々のLEDは4 mmピッチで配列されており、ハイビジョン相当の標本点と走査線に対応する。周囲はガラス張りの環境であり、太陽光が入射しても良好な画質が得られるように、屋内型では十分な輝度の2,500 cd/m2とされた。

図6-8.ハイビジョン対応のスクリーン16)

その後、市場では大型映像表示装置の高精細化が求められるようになり、翌年 2001 年にはビル壁面の日本初大型映像表示装置として知られる新宿の「アルタビジョン」が3代目に更新され、世界初のハイビジョン放映を開始した。ここでは縦横7.424 m ×13.056 m のスクリーンにLEDが8 mmピッチで配列されている。「アルタビジョン」は、さらに2014 年に4代目更新された。ここでは高精細化がさらに進展し、日本初のフルハイビジョンを表示できるようになった。図6-9は、「アルタビジョン」のフルハイビジョン表示である。サイズは縦横7.204 m ×12.806 m で、3 in 1型のLEDを6.67 mmピッチで縦横1,080×1,920 個配列している。屋外の直射日光下でも鮮明な画像を表示している。

6-5 大型映像表示装置の超大型化

超高精細化は屋内型から屋外型にも展開した。屋外の大型映像表示装置は、ハイビジョンを超える解像度になり、そのサイズも超大型化した。さらにスクリーンの高解像度化に伴い、ばらつき補正や色度変換に加え、映像の輪郭部をシャープに保つ高画質化技術が開発され、高画質の超大型スクリーンが次々と設置されるようになった。以下、代表的な設置例を紹介する。

(1)世界最長の大型映像表示装置

図6-10は、2003 年 8 月に香港のシャティン競馬場に設置された当時世界最長の大型映像表示装置である18)。オッズやレース結果などの表示盤が超大型スクリーンに統合されている。スクリーンは、縦横8m×70.4 mで、4個のLED(B,R,R,G)を1画素として20 mmピッチで配列し、縦横400×3520の画素数で約563万個のLEDを使用した。オッズなどの情報は、レースの進行に合わせて、映像とともにタイムリーに表示される。通常は3~6種類の映像や情報画像が同時に表示され、充実した情報提供が観客にも好評である。

図6-10. 香港シャティン競馬場18)

世界最長のスクリーン(当時)

(2)最大級の超大型舞台用スクリーン

図6-11は、2003 年 3 月、ラスベガスのシーザーズパレス円形劇場「コロシアム」に納入された屋内型オーロラビジョンである18)。表示部は、縦横10.24 m ×33.28 m である。半径約33mの凹面構造で、当時の屋内用としては、北米最大のハイビジョン対応の大型ディスプレイである。各画素は、4個のLED(B,R, R, G)を1画素として16 mmピッチで配列している。個々のLEDの配列は8 mmピッチである。表示ユニットは、スクリーン背面より交換できる。各LEDの輝度は個別に調整して高い均一性を実現している。

図6-11.コロシアム納屋内型スクリーン18)

(縦横10.24 m ×33.28 m , 16 mmピクセルピッチ)

映像信号は、3系統のデジタルハイビジョン信号を入力して同時に3画面まで表示できる。画面は、解像度が非常に高く、6台のコントローラを同期して分割制御し、多彩な表示を実現している。さらにオーロラビジョンは、表示部の画面の繰り返し周期を増やしている。このような制御は、テレビカメラの撮像周期(1 / 60 sec)とは干渉せず、高画質の撮影ができるので、舞台用スクリーンに適している。

(3)世界最大の大型映像表示装置

図6-12は、2006 年 9 月に東京競馬場に設置された当時世界最大の大型映像表示装置である19)。東京競馬場では、1984 年にオーロラビジョンを設置して以来、4代目である。デジタルハイビジョン映像やパソコンの画像を同時に最大4 画面まで合成して表示できる。スクリーンは縦横11.2 m ×66.4 m である。4個のLED(B, R, R, G)を1画素として、画素ピッチは25 mmで約476万個のLEDが使用されている。翌年 2007 年には、東芝がこのサイズに匹敵する大型映像表示装置を京都競馬場に設置しており20)、この分野における企業間の競争の一端が伺える。

図6-12.東京競馬場のスクリーン19)

(当時世界最大)

図6-13は、2009 年に米国ダラス・カウボーイズの新スタジアム(AT&Tスタジアム)に設置された当時世界最大のスクリーンである。表示部は、縦横21.76 m ×48.32 m が2面、縦横8.7 m ×15.36 m が2面の4面構成である。4個のLED(B, R, R, G)を1画素として10 mmピッチで配列している。さらにスタジアムを取り巻くように2段の帯状映像装置(リボンボード)が設置されている。画面の情報量(画素数に対応)がハイビジョンの情報量を超えており、表示は、ハイビジョン信号(走査線1080本の順次走査)を複数のコントローラが並列して制御している。最近は4K信号を直接入力するコントローラもある。

図6-13.米国ダラス・カウボーイズAT&Tスタジアム

世界最大スクリーン(2009 年当時)17)

図6-14.は、2010 年、アラブ首長国連邦ドバイ中心地のメイダン競馬場に設置された大型映像装置である。スクリーンは、縦横10.88 m ×107.52 m 、面積約1,169.8 m 2で、4個のLED(B, R, R, G)を1画素として10 mmピッチで配列している。当時世界最大・最長であった。

図6-14.アラブ首長国連邦ドバイ・メイダン競馬場

世界最大・最長(2010 年当時)21)

6-6 大型映像表示装置の超高精細化

大型映像表示装置は、2000 年以降、画面が高精細化されハイビジョンへの対応が増えた。1素子に3色を含む3 in 1型は、LEDの高密度の実装にも適しており、屋内を中心に普及した。オーロラビジョンは3 in 1型の防水タイプを開発し、屋外のビル壁面や線路脇などの比較的小規模なサイズで高精細スクリーンを実現した。最近は、屋内外ともに3 in 1型が増えており、表面の反射を抑制して明るい環境でも色鮮やかな高コントラスト表示を実現している。この技術を適用したフルハイビジョン放映に対応した高精細型が2014 年に4代目アルタビジョンとして納入された。表示例は既に紹介した図6-9である。

図6-9.フルハイビジョン対応のスクリーン17)

2014 年には4Kの試験放送が始まり、超高精細4Kテレビが家庭にも普及し始めた。同年 11 月にはニューヨークのタイムズスクウェアに縦23.68 m 、横幅は総幅延長 100 m を超える世界最大の4Kスクリーンが設置された。3 in 1型LEDを10 mmピッチで配列している。

2017 年 10 月には「SOGO 香港・CVISION」向けに香港最大の大型映像装置が納入された。画素は3 in 1型LEDを10 mmピッチで配列しており、画面サイズは、縦19.2 m ×横71.68 m である。この画面は4Kを超える超高精細スクリーンである。図6-15は表示例である。

図6-15.香港最大の大型映像表示装置7)

(画素数が4Kを超える超高精細スクリーン)

6-7 大型映像表示装置の多様化

LED方式の大型映像表示装置は、超大型化・超高精細化に加え、用途も多様化している。

(1)超横長スクリーン

屋内外の大規模な競技場では、従来のビデオ表示をメインとする表示装置に加え、超横長の表示装置リボンボードが設置され、スポンサーのコマーシャルや競技を盛上げるファンサービスなどのコンテンツが提供されている。三菱電機では2003 年に米国に初めて出荷し、2006 年ごろには国内外の競技場への設置が増えてきた。リボンボードは、縦1 m 程度で横は100 m を超えるサイズもある。前述の米国ダラス・カウボーイズのAT&Tスタジアムで周囲を取り巻くように設置されたリボンボードもその一例である。図6-16は野球場の2階席部分に設置されたリボンボードの例である。少しずつ角度を持たせて球場を取り巻くように設置することができる。サッカー場などでは、ゲームに応じてグラウンドを取り巻くように設置可能な可搬型もある。

図6-16.野球場に設置されたリボンボードの例7)

コントローラは、超横長スクリーンを制御するハードウェアとコンテンツをPC上で短冊状に折り返して描画し、これをコントローラから連続的に出力するソフトウェアを開発することで、動画・静止画・流し文字・アニメーションなどが混在した超横長のコンテンツを表示できるようになった22)

(2)他分野への応用

競技場などの分野で蓄積された大型映像表示装置の技術は、道路や交通分野など、社会インフラを支える技術としても重要な役割を果たしている。図6-17は、大型映像表示装置の技術を適用したETC車線表示板の例である。見やすい表示、安心して使える高い信頼性、軽量、薄型、低消費電力など、LED方式大型映像表示装置の特徴が生かされている。その他、駅ホームの発車標や時刻表、さらに列車内外の情報表示装置として、応用分野の多様化が進んでいる17)

図6-17. ETC車線表示板への応用例17)

6-8 第三世代大型映像表示装置を 支える要素技術

6-8-1 新画素配列と直射日光下の高画質化技術

大型映像表示装置は、配列するLEDの素子数を減らして画質を維持できれば、コストを削減できる。このような考え方による画素配列は、米国の大型LEDディスプレイを製造販売しているメーカーDaktronics社も特許を出願している23)。オーロラビジョンは、省エネと高コントラストを特徴としており、その特徴を生かしてLEDの素子を減らした新画素配列を提案している24)25)。図6-18は、画素を構成するLED4素子のうち1素子を削除し、スペース領域を黒くして外光の反射を抑制している。一方、画素構造は、スペース領域が格子状に配列されると、視距離が近いと、ノイズとして目立つことがある。そこで(a)の様に全体を45°回転してスペース領域を千鳥格子状に配置した。さらに(b)のように面実装型でレンズ付きの黒く見えるLED素子を使うことで、表示ユニットのコントラストを改善した。

(a)1素子削除と45°回転13)

(b) LED素子(左)および表示ユニット(右)7)

図6-18.新画素配列と表示ユニット

この配列は、X配列と称し、素子数を減らすことによる画質の低下は、コントラストの改善によって補われる。即ち、X配列は、画質を維持しながら素子数を減らしてコストを削減できる。さらに3色が分離しており、LEDチップの放熱に優れ、結果的に省エネにも効果がある。

図6-19は、ZOZOマリンスタジアムへの適用例である26)。高コントラストの画像と省エネが特徴であり、この配列は他の競技場にも普及している。

図6-19.新画素配列の適用例26)

(ZOZOマリンスタジアム© CHIBA LOTTE MARINES)

6-8-2 ばらつきの補正と表示ユニット間の色合わせ

LEDは、色や輝度の製造ばらつきが大きく、特性が温度によって変化する。大型映像表示装置は、一般に同じ製造ロットで輝度を選別したLEDを使用し、さらに輝度のばらつきを補正して輝度を均一化している。表示ユニットを組込むモジュールでは、温度分布を均一化するために冷却してばらつきを抑制している。一方、スクリーンの組立・解体を伴うレンタル用など、製造ロットの異なる表示ユニットが混在する場合は、色変換により表示ユニットの色を周辺の表示ユニットの色に合わせている。この機能は、保守において、表示ユニット交換時の画面の均一性の確保にも役立つ。

輝度ばらつきは、発光素子を配列した大型映像表示装置においては本質的な問題である。従って、ばらつきの画質への影響は、事前に把握しておく必要がある。

図6-20は、第二世代のFMCRT方式大型映像表示装置の開発段階で検証したシミュレーション画像による輝度ばらつきの画質への影響である。2×2は画素(緑2 個、青・赤各1 個)ごと、4×4あるいは8×8は発光素子ごと、16×16は表示ユニットごとの輝度ばらつきを想定している。さらに輝度ばらつきは10 %、20 %、30%と変化させており、図6-20では、代表例としてばらつき30 %と10 %を示している。輝度ばらつきは、画素、発光素子、表示ユニットなど、ばらつきの範囲によって、それぞれ印象が変わるが、何れも10 %では目立ち難くなる。ただし、10 %での目立ち難さには条件がある。シミュレーション画像では、輝度ばらつきは何れも画面上にランダムな発生を想定した。これに対し、実際のスクリーンでは、構造上の問題などによって規則的な輝度ばらつきが発生することがある。この場合、5 %程度でも知覚される場合があることには注意しておく必要がある。

(a) ばらつき30 %(±15 %)の画像

(b)ばらつき10 %(±5 %)の画像

図6-20.輝度ばらつきの画質への影響13)

輝度の補正を振返ると、第一世代のオーロラビジョンは、陽極電流をアナログ補正して輝度を調整しており、輝度ばらつきは10 %以下を目標に設定された。第二世代のFMCRT方式は、最初は陽極電流の補正であり、この目標を踏襲した。FMCRT方式の後半、そしてLEDの世代になると、センサーの感度が上り、補正もデジタル化された。この結果、輝度ばらつきは、高い目標へと補正の精度が改善されている。

6-8-3 高速信号処理による高画質及び省エネルギー

大型映像表示装置は、テレビ信号の周期1 / 60 secを均等に分割して駆動パルスを分散し、表示周波数を4倍化した。この技術によって舞台背景など、テレビカメラで撮影される環境でも映像の表示周期と撮像周期との干渉のない映像を撮影できるようになった。その後、LED方式では、発光の応答速度が速いことを利用して表示周波数をさらに高めている。シャッター速度の速いカメラで撮像しても良好な撮影ができる。

省エネでは、照度センサーにより周囲の明るさに基づいて輝度を自動調整し、消費電力を低減している。また、映像データを1フレーム単位で監視し、設定された電力値を超える表示期間は、リアルタイムに輝度を低下させ、輝度の低下を知覚することなく受電容量を抑制できる。この機能は、1日の運営時間が長い広告媒体としての応用では効果的である。

6-8-4 信頼性と耐候性

大型映像表示装置は、屋外の過酷な環境下でも安定した動作が求められる。第一世代から第三世代までの各表示ユニットの開発では、それぞれ独自の環境試験により信頼性を検証してきた。特に第三世代では、LEDの優れた耐候性により稼動時間が50000 時間以上の安定した動作が必要であることから、各電子部品の信頼性は、今まで以上の信頼性の検証を必要としている。その結果、長時間にわたって輝度むらが抑制され、高画質を維持できている。

6-9 第三世代大型映像表示装置の業界動向

大型映像表示装置の業界は、LEDの時代になって、その動向も変化した。第二世代までは、国内メーカーが世界の市場で事業を展開し、三菱電機、ソニー、パナソニックさらに東芝などがお互いに切磋琢磨してきた。第三世代の時代になると、世界の市場では、中国メーカーを含む海外の企業が事業を展開している。例えば米国のDaktronics社は、米国市場で事業を拡大し、世界市場にも進出している。日本国内では一部の分野で競合する場合もあるが、舞台は主に世界市場である。

最近では主力メーカーが撤退したり、新たなメーカーが参入したり、動きが激しくなった。大型映像表示装置は、事業の特性上、設置後のメンテナンスも重要であり、中国企業が日本に進出するにしても日本企業とのコラボが得策と思われる。日本企業は、表示ユニットの自社生産から中国メーカーからの購入に切り替える例が増えた。そして表示システムとしての付加価値で差別化する方式に転換し、コストも下がった。

三菱電機では、表示ユニットの自社生産を維持し、コスト削減の努力も続けている。価格が下がると、大型映像表示装置を設置する裾野が広がり、野球場では地方の球場にも設置され、広告用表示板やビル壁面の表示装置も地方都市でも見られるようになった。今後は、ますます差別化が難しい時代になるが、日本生まれの技術につき、今後の国際市場における事業の維持拡大を期待したい。

参考文献

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21)   広報発表2010 年 1 月 28 日(双日・三菱電機)
     https://www.sojitz.com/jp/news/docs/100128_j.pdf(2021 / 11/ 27 閲覧)
22)   室園透ほか:“オーロラビジョンの最新技術動向”, 月刊ディスプレイ, Vol. 14, No. 2, pp. 32-38 (2008)
23)   米国特許US7,907,133:Pixel interleaving configurations for use in high definition electronic sign displays
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26)   原善一郎:開発物語 オーロラビジョン, 電子情報通信学会通信ソサイエティマガジンNo. 54, pp. 148-155 (2020)

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 7 次世代技術への挑戦とイノベーション

大型映像表示装置は、各社が独自の発光素子を開発し、それぞれの特徴を生かしながら市場を拡大してきた。青色LEDの登場後は、発光素子による差別化が難しくなった。世界中から多くの企業が大型映像表示装置の分野に参入した結果、世界的な競争が激化し、市場は成熟期に入った。その中でも次世代の大型映像表示装置を目指して、新技術に果敢に挑戦した例がある。ここでは独創的な開発事例を紹介し、イノベーションについて考える。

7-1 反射型大型映像表示装置

7-1-1 背景

2000 年当時、LED方式大型映像表示装置が市場を席捲する中、三菱電機では新しいコンセプトの反射型表示装置を検討していた。当時、反射型表示デバイスの研究は、E-ink社、Xerox社(PARC)などの電子ペーパーが知られていた。その中でイスラエルのベンチャー企業が、独自に開発した反射型表示デバイスを三菱電機に提案してきた。この表示デバイスは各種反射型表示デバイスの中でフルカラー表示に優れていた。類似技術を開発するメーカーが少なく、三菱電機では技術的に差別化できると考え、この技術を導入して大型表示装置の共同開発に着手した。開発・製造は、英国、イスラエル、日本、台湾の技術者が参加した。

7-1-2 反射型大型映像表示装置の概要

表示素子は、技術導入によって開発したデジタルインクと称する反射型表示デバイスである。これは反射型液晶の一種コレステリックLCD(Cholesteric LCD:ChLCD)で、材質に特徴がある。液晶材料は英国の研究者が担当し、液晶の制御・駆動はイスラエル、表示装置の構成は三菱電機、液晶パネルの設計・製造は台湾の技術者がそれぞれ担当した。液晶パネルの基本構造は、三菱電機が提案し、共同で特許を出願した1)。そして2002 年に世界初のフルカラー反射型大型表示装置として実用化された。その概要は、いくつかの発表例に紹介されている2)3)

表示部は、他の大型映像表示装置と同様に、反射型表示素子をモジュール化してマトリクス状に配列し、モジュール単位で任意のサイズを構成できる。

図7-1は表示デバイスの原理図である。表示は、液晶に印加される電界で外光の反射と透過の2つの表示モードを制御し、3層の液晶が外光からそれぞれ赤、緑、青の3色を選択的に反射する。必要な色を反射することで、任意の色を表示する。動画は表示できないが、各色の反射率を制御してカラー画像を表示できる。

表示部は、画素ピッチ5 mmで、LEDに例えると、3 in 1素子に対応して各画素が3原色を表示する。画像は4096色を表示できる。図7-2は表示例である2)。画面サイズは縦横1 m ×2 m (192×384画素)で、広告用のコンテンツなどを数秒~数十秒程度の更新周期で表示する。画像は、視距離1 m 程度でも見ることができる。消費電力は少なく、自己発熱は無視できるが、直射日光による温度上昇を抑制するために、冷却ファンが実装されている。

ChLCDは、電源を切っても表示が残る電子ペーパーの一種である。反射型液晶の特性上、表示面の照度が重要であり、夜間は照明を必要とする。さらに液晶の特性は温度にも依存しており、寒冷地ではヒーターによる暖房を必要とする。それぞれが電力を消費するが、表示の更新時以外、通常はほとんど電力を消費せず、照明、暖房、冷却ファンなどの付属品の電力を含めてもLEDなど、他の自発光の表示方式に比べて低消費電力である。

図7-1.反射型デバイスの原理図4)

図7-2.電子看板の表示例2)

7-1-3 反射型大型映像表示装置開発の成果

反射型大型表示装置は、世界初のフルカラーデジタル看板として超省エネの特徴を生かし、市場に投入された5)。関連技術として画素ピッチ0.5 mmの高解像度の表示デバイスも開発された。列車の行先表示板に適用され、さらに時刻表への応用が検討された。行先表示板や屋内型の情報表示板としての納入実績はある。図7-3は、列車の行先表示板への高解像度の表示デバイスの応用例である。図7-4は建物の壁面における情報表示板を想定した高解像度表示デバイスの展示例である。

反射型大型表示装置は、LEDの派手な表示が主流のなかでは、表示が地味であった。また晴天下では、外光の反射も大きく高画質が期待されたが、視距離が遠くなると表示が暗く見えた。これは周囲の明るさの影響で、人間の目の瞳孔が絞られ、同じ明るさの画面が相対的に暗く見えたと思われる。逆に夜間あるいは屋内の一定の照明下で使うような用途では、周囲の照度の影響を受け難く、安定した表示が得られている。照明の下で使用された図7-3の行先表示板は好例である。しかし、結局、市場は限定的であった。

図7-3.行先表示板への応用例6)

図7-4. 建物壁面の情報表示板を想定した展示例7)

反射型表示デバイスは、その潜在的可能性ゆえ、他にもいくつかの応用例が検討されたが、その後、液晶メーカーの事情などが重なって事業は終息した。

技術者が国を超えて協力して生まれた製品につき、そのユニークな開発手法は、次世代の技術開発の一つの提案でもあった。その超省エネ思想の大型表示装置は、将来、改めて生かされる可能性はある。

7-2 プラズマチューブアレイ (Plasma Tube Array)

7-2-1 背景

2000 年代に入ると、大型映像表示装置は、ほとんどがLEDを配列して構成されている。LED方式は、解像度を上げてLEDの密度が高くなるとコストも高くなる。一方、各種表示デバイスの大型化には、製造・設置の制約がある。これらの問題への対応策としてAC型PDPの発光原理を応用したプラズマチューブアレイの開発例がある8)9)

プラズマチューブアレイは、篠田プラズマ株式会社が取組んでいる。大型表示デバイスのコスト・製造・設置の制約を超えて、次世代の大型映像表示装置の実現を目指したもので、軽量で曲面表示に適している。その技術は、AC型PDPの技術開発を主導した技術者が開発したものある。国際的な評価も高く、開発技術者たちは、2010 年 5 月に開催された国際学会SID(Society for Information Display)において、Special Recognition Awardを受賞している。

7-2-2 設計の考え方

プラズマチューブアレイは、直径1 mm程度の中空ガラス管内にPDPと同じ放電ガス、蛍光体、放電保護膜が作り込まれており、隔壁で仕切られたPDPの放電セルと同じ構造である。ガラス管は、R,G,Bの蛍光体に対応して3種類ある。そのガラス管をR, G,Bの順に多数配列している。各ガラス管は、両側から背面電極シートおよび前面電極シートで挟まれており、両電極シートに形成されたアドレス電極と表示電極対は、PDPの電極構成と同じ三電極面放電構造である。

図7-5はプラズマチューブアレイの構成図である8)。PDPの特性は、大画面ほど発光効率が良くなることから、放電空間が広いプラズマチューブアレイに適している。

図7-5.プラズマチューブアレイの構成図10)

7-2-3 表示装置の概要

画面サイズは、配列するチューブの本数次第で任意のサイズを構成できる。実際には現地への運搬・設置の都合から、運搬に適した単位画面(縦横約1 m ×1 m )のモジュールを接続して大画面を構成している8)。ガラス管と樹脂シートを組合せて曲げても安定した動作を維持できるので、曲面表示、円筒表示も可能である。これは表示部の曲がる構造とともに軽量・薄型に適した部品構成ゆえに実現している。ガラス管は、図7-5の構成図に示される様に、断面が四角に近い形状である。放電の広がりを最適化して発光効率を改善し、一般のPDPの約2倍の発光効率を実現しており省エネでもある。図7-6は、『SHiPLA』として製品化された表示装置の表示例である。

図7-6.大画面ディスプレイ『SHiPLA』の表示例11)

7-2-4 プラズマチューブアレイ開発の成果

プラズマチューブアレイは、屋内向け100 ~ 300型の超大画面・省エネ型の大型映像表示装置を実現した。広告用途として、いくつかの納入実績もある。その後、資金繰りが難しくなり、残念ながら事業を中断している。PDPから派生した技術でもあり、PDPが2014 年頃に終息したことから、そのあおりを受けたとも考えられる。

プラズマチューブアレイは、大型映像表示装置の市場が成熟しつつある時代において、新たな発想に基づく独創的な次世代ディスプレイの開発例である。その考え方や新たな応用の可能性は消えてはおらず、今後、姿を変えて生かされる可能性は十分にある。

7-3 有機ELを配列した大型映像表示装置

7-3-1 背景

各種表示デバイスは、年々大型化してきたが、大型化には製造・設置の制約がある。超大型の分野は小型の発光素子を配列する方式がその役割を担っている。

発光素子の候補として、有機ELは1990 年代後半から検討されており、特許も出願されている12) 13)。2007 年には画素サイズ3 mmで緑単色の有機ELを配列した大型表示装置の開発例も報告されている14)。この論文では、有機ELパネルをマトリクス状に配列した大型表示装置を試作している。さらに乗客情報ディスプレイなどの用途を提案した先駆的な試みである。一般に表示デバイスの配列では電極や封止部などが目立たない様な工夫を必要とするが、ここでは、有機ELパネルの薄さを利用して、端部を互いに重ね合わせてパネル間の継ぎ目、即ち目地の解消を目指している。しかし現実には、パネルの重ね合わせによる段差があり、目地の解消も不十分で、表示デバイスの目地レス配列の難しさを改めて示している。

以下、発光素子配列型大型表示装置において、表示デバイスの目地レス配列への挑戦例と課題を示す。さらに三菱電機が東北パイオニア社と共同で開発した有機EL方式大型表示装置について、目地レス配列を実現した発光素子構造、電極端子の技術および表示例を紹介する。

7-3-2 発光素子の目地レス配列への取り組み例

図7-7は、有機ELを実験的に配列した例である。発光素子間には非発光部の電極端子部と封止部が露出する。この発光素子間の目地を解消することは、各種表示デバイスの配列における共通の課題でもある。ここでは目地を解消するために取組んだ事例とそれぞれの課題を説明する。

図7-7.有機ELの配列15)

(1)目地の光学的解消

表示部をライトガイドで拡大して表示部周囲の非発光部を見え難くする。4章の蛍光表示管を配列した二つの開発例と液晶を配列した大型表示装置への適用例がある。この方法は目地を軽減できるが、目地の完全な解消は難しく、視野角も制限される。

(2)目地幅の最小化

前述の図7-2の反射型表示装置がその例である。反射率を確保するために画素の開口率を100 %近くに設計される。さらにパネルの端部を重ね合わせて目地を目立ち難くしている。端部の重ね合わせは、文献14)の考え方と同じである。表示素子周囲の封止幅と表示素子間のギャップを最小化して目地幅を1画素幅以内に設計しているが、目地は解消されない。

(3)表示デバイス内外の画素の等ピッチ配列

図7-8は、第二世代オーロラビジョンの発光素子である。画素ピッチは15 mmで、各画素間に発光素子を配列するときに生じる目地幅相当のギャップ5 mmを挿入した。ここで表示デバイス内外の画素ピッチを一定にして各画素を等ピッチで配列すると、目地は解消されるが、画素の開口率は制約される。この画素間のギャップ5 mmは、主にガラスの封止幅と発光素子配列の公差に依存し、画素を高密度化しても画素間のギャップが短縮される訳ではない。図7-9は、画素ピッチ15 mmの発光素子と高解像度発光素子の試作品を対比して示す。高解像度発光素子は、画素ピッチを短縮しても目地幅相当のギャップ5 mm を必要とし、画素の開口率が著しく低下する。

図7-8.FMCRTの外観15)

図7-9.FMCRTの高解像度試作例との対比6)

(4)画素の不等ピッチ配列

FMCRTは、図7-10の様に発光素子の高輝度・長寿命化のために画素面積を4画素毎に拡大した。有機ELの設計では、この考え方を用いる。

図7-10.不等ピッチ画素配列の各FMCRT6)

本来、各画素間に発光素子間の目地幅相当のギャップを設けて画素を等ピッチで配列すべきであるが、これを有機ELの3 mmピッチに適用すると、画素の発光面積、即ち開口率は極端に低下する。ここではギャップを2画素毎に設けて画素配列を不等ピッチ化した。反対意見も多いが、十分な輝度・寿命を得るには必要な考え方である。

画素面積を拡大して不等ピッチ化するときの画質への影響について、理論的詳細は文献16)に譲り、ここでは図7-11の座標系における画像のスペクトル構造を検討する。x0,y0およびα,βをそれぞれx,y方向の画素ピッチおよび画素寸法とする。各画素間には目地幅と同等のギャップgpが設けられる。斜線部は、開口率の拡大を示す。x方向の拡大幅Δαによる画像の特徴を表すために不等ピッチ率rp=(x0-⊿α)/x0を定義し、Δαを拡大して画素配列を不等ピッチ化すると、図7-11の表示部における画像のスペクトルは、rpをパラメータとして図7-12で表わされる.

図7-11.画素面積拡大による不等ピッチ画素配列4)

図7-12において、(a)の実数部は、画像の基本周波数成分(Basic spectrum)に高調波(High order harmonics)が付加された離散的な画像のスペクトル構造を表す。ナイキスト領域(Nyquist Limit)が画像として再現可能な基本周波数領域に対応する。不等ピッチ化(高開口率化)によって、高調波が減衰するが基本周波数領域内に折り返すことはない。即ち、モアレなどの妨害は生じないと考えられる。一方、(b)の虚数部は、不等ピッチ化によってナイキスト領域よりも低域に高調波が生じている。これが2画素毎の画素構造の目立ちに対応し、画素面積の拡大によって高調波も増えている。この高調波は、画像の基本周波数成分(実数成分)には影響を与えていない。従って視覚がフィルタの役割を果たして除去されると、適切な視距離からは目立たなくなると考えられる。

(a) 空間周波数スペクトルの実数成分

(b) 空間周波数スペクトルの虚数成分

図7-12.不等ピッチ配列の画像スペクトル構造4)

図7-13は、等ピッチの画像と画素を拡大して不等ピッチ化したときの画像の比較を表すシミュレーション画像である。画素ピッチは、有機ELパネルの設計と同じく3 mmを想定している。(a)は、近距離からの観視に対応し、不等ピッチ化すると輝度が高くなるが画素構造が目立ち易くなることを示す。(b)は、視距離が遠くなったときの観視に対応し、画素構造は目立たず、高開口率化によって輝度が高くなり、画質に好印象を与えていることが分かる16)17)。これは視覚のフィルタによって、不等ピッチの目立ちに対応する高調波が除去されることを示している。

(a)近距離から観視(左:等ピッチ 右:不等ピッチ)

(b)十分な視距離から観視(左:等ピッチ 右:不等ピッチ)
図7-13.シミュレーション画像の例4)

特に有機ELの発光素子は、寿命に課題があることから、不等ピッチ化によって画素の開口率を拡大する設計は、輝度・寿命の改善にとって重要である。

7-3-3 有機ELによる発光素子設計の考え方

有機ELの設計は、不等ピッチ配列により4画素毎に画素面積を拡大し、輝度・寿命を改善する。発光素子内には、隣接する発光素子の画素間ギャップgpと同寸法のスペースを縦横2画素ごとに設ける。図7-14は、画素間ギャップgpが封止部、電極取出し部、発光素子配列の公差を含むことを示す。

図7-14.隣接発光素子の画素間ギャップ4)

図7-14において、封止部は、必要な信頼性を確保できる最低幅であり、発光素子内部への外気や水分の浸入を防ぐ。図7-15は発光素子のイメージ図である。画素面積拡大と画素間ギャップgpの関係を示す。電極は、一般にはパネルの端部から引出されるが、図7-15では、パネルの裏面中央から引出している。この電極の配置は、すでに提案例はあったが12)13)、加工技術が課題であった。この加工を実現できれば、発光素子を目地レス配列するために必要な画素間ギャップgpは、電極の引き出しにも利用され、パネル端部の電極の取り出しスペースは不要となる。この結果、画素間ギャップgpも短縮される。

図7-15の発光素子では、電極はパネルの裏面中央から電極を取り出している18)。電極をパネルの中央部から引出す案は、その加工方法が分からないまま、開発は、電極をパネルの端面から取り出す案で着手した。この方法でも、有機ELパネルを高精度で配列するには、外形寸法は高精度を必要とした。パネルの加工方法は、パネルの精度を確保するために、周辺を削ることを議論したとき、パネルの裏面中央を削って電極を取り出すアイデアを着想した。その好ましい副次効果として、パネル内の輝度むらが半減して目立たなくなった。高輝度の有機ELでは、駆動電流が比較的大きく、配線上の電圧降下が輝度に影響することが懸念された。ここで電極をパネル裏面の中央から取出すと、電流は中央から両端に向かって分流され、電圧降下の影響が軽減される。

図7-15.有機ELパネルの電極取出し構造4)

7-3-4 電極の取り出し技術と試作

図7-16は2008 年 9 月の一次試作の例である。16枚の有機ELパネルを配列したユニット2台が試作された。ここでは、研究用設備を使用して有機ELパネルを加工し、有機ELの目地レス配列を実証した。一方、量産試作は、ある程度の設備を必要とする。短期間の入手が困難な製造設備がリーマンショックの影響で在庫の設備が発生したものを入手できて、翌年のCEATECに出展することができた。図7-17は2009 年のCEATECにおける155型スクリーンの表示例である。有機ELパネルは2880枚が配列されている。

図7-16.有機ELのユニット試作例15)

図7-17.2009 年CEATEC出展15)

7-3-5 有機EL方式大型表示装置開発の成果

有機EL方式大型映像表示装置は、画素ピッチ3 mmである。これまで困難とされた有機ELの目地レス配列を実現し、国際学会SIDで発表した19)。さらにオーロラビジョンOLEDとして実用化され、2010 年には初号機が出荷されている。2011 年には日本科学未来館の球体ディスプレイGeo Cosmosが設置された。当時は、技術的には高く評価され、Diamond Vision OLEDとして米国R&D magazine社が主催するR&D100賞にも選定されている。海外への納入実績もある。

図7-18はGeo-Cosmosである。有機ELは、視野角が広く、Geo Cosmosの様な球形ディスプレイでは、見る人にとって角度がある地平線近くの表示においても高品質の表示を実現できた。

図7-18.日本科学未来館Geo Cosmos20)

※Geo-Cosmosの制作は、日本科学未来館の企画コンセプトに基づき、株式会社電通の下、株式会社ゴーズ(画像処理・送出システムなど)、株式会社GKテック(球体設計・製作)、三菱電機(有機ELディスプレイシステム)を合わせた4社の総合力を結集して完成させた。

図7-19は、屋外の太陽光下における表示実験の例である。有機ELは、表面の円偏光板によって、外光の反射が大幅に制約される。画像のコントラストは高くなり、明るい環境でも表示を見ることができる。有機ELは寿命に課題があったが、明るい環境でも輝度を抑えて使うことができた。こうしてGeo-Cosmosは、関係者の適切なメンテナンスもあって、使用時間は10 年に達した。

図7-19.太陽光下での表示実験15)

一方、オーロラビジョンOLEDが実用化されて間もなく、LEDの価格が急激に下落した。高解像度表示装置としてのコスト競争力が次第に失われ、やがて事業は終息した。各種の表示デバイスは、多数配列することで大画面の表示装置を構成できることから、ここに紹介した目地レス配列の技術は、様々な応用が可能である。LEDと差別化できる新たな発光素子を開発できれば、後日、生かされる可能性はある。

7-4 技術開発とイノベーション

この章で紹介した3例の技術開発は、何れも世界初への挑戦である。ここではIEEEマイルストーンを参考に、イノベーションについて考える。

7-4-1 新技術への挑戦とイノベーション

イノベーションは、IEEEマイルストーンによれば、開発成果の社会や産業への貢献と、その継続が重要である。この章の開発例は、製品を市場に投入できたことは貴重な成果であったが、社会への貢献が一時的にとどまった。主な理由は、競合する技術の急速な発展と製品価格の下落により、性能およびコストが競争力を失ったことにある。それぞれの開発は、難しい技術課題を克服しており、業界における技術的評価は高かった。このような革新的技術への挑戦は、その経験や技術の蓄積を未来への財産として次に生かすことができれば、開発の成功と同じく価値がある。

5章で紹介した蛍光表示管方式の近距離型オーロラビジョンは、製品化されることなく、当時どこにも発表されることはなかった。しかし、開発に関わった技術者は、得られた技術を第二世代大型映像表示装置の開発に生かし、その後の技術開発にも貢献している。即ち、この章の開発例は、事業の中断・終息という厳しい現実はあるが、将来に繋がる経験が蓄積され、次世代を担う技術者が育っている。見方を変えればイノベーションの途上にあるとも言える。

7-4-2 大型映像表示装置とIEEEマイルストーン

表示装置の業界において、1970 ~ 1980 年代は壁掛けテレビを目指した技術革新の時代である。オーロラビジョンは、この技術革新が盛んな時代、所属も専門分野も異なる技術者たちの協力によって開発された。イノベーションとして評価されたのは、あくまでも結果である。確かなことは、技術者が技術的難題に挑戦し、さらに市場開拓の難題に直面し、大きな責任を担いながら、人知れず苦労したことである。

オーロラビジョンは、誕生した当時、非常に高価ゆえ製品寿命は数年と考える人もいた。特筆すべきは、初号機を開発した技術者たちが、海外営業の関係者の協力を得て自ら世界の市場を開拓し、高価なシステムを事業として軌道に乗せたことである。新規参入する企業が現れ、お互いが競い合うように技術革新が繰り返されると、大型映像表示装置は第一世代から第二世代へと発展した。1990 年代後半、LEDを採用した第三世代になると、世界の市場に多数の企業が参入し、差別化が難しくなり、撤退する企業も現れた。オーロラビジョンは、第三世代においても技術者が世代を超えて性能向上とコスト削減に取組み、約40 年にわたって事業を継続している。そして『屋外用カラー大型映像表示装置』として2018 年 3 月にイノベーションの象徴でもあるIEEEマイルストーンに登録された。評価の対象は1980 年の初号機である。それがスポーツ・各種イベントの楽しみ方や、その後の社会に影響を与えたことなどが評価された。その原点には、技術者たちの新技術・事業に挑戦する熱い思いや、その思いを具体化する比較的自由な環境があった。

この章で紹介した大型表示装置は、何れも開発に取組んだ技術者たちの熱い思いは共通しているが、結果は厳しい現実があった。その背景には、代替技術が発展する中での開発品の完成度や社会環境の変化など、様々な要因がある。それでも筆者は、変化に対応して新たな価値を創出する技術開発への挑戦と、それを奨励する環境があることを願っている。このような挑戦は、貴重な経験の蓄積と技術者の成長をもたらし、そして何よりも挑戦無くしてイノベーションは生まれないのである。

以下にIEEEマイルストーンとして贈呈された銘板と、そこに刻まれた文面を紹介する。図7-20は贈呈された銘板である。

図7-20.贈呈された銘板15)

≪銘板に記載されたCitation≫

Mitsubishi Electric developed the world's first large-scale emissive color video Display System and installed it at Dodger Stadium, Los Angeles, California in 1980. It achieved bright, efficient, high-quality moving images using matrix-addressed cathode-ray tubes (CRT) as pixels. With increased dimensions and resolution, the system has entertained and informed millions of people in sports facilities and public spaces worldwide.

図7-21.贈呈式の記念撮影15)

図7-21はIEEE会長から三菱電機社長への銘板贈呈後の記念撮影である。何れも2018 年 3 月の役職で、前列左から(何れも当時)

James A. Jefferies IEEE会長、

柵山正樹三菱電機社長

後列左から

尾上孝雄IEEE Japan Council Vice Chair、

福永博俊 長崎大学理事・副学長(IEEE福岡支部元Chair)、

浅野種正IEEE福岡支部Chair、

漆間啓三菱電機社会システム事業本部長、

藤田正弘三菱電機開発本部長、

田中光顕三菱電機長崎製作所長である。

参考:日本におけるIEEEマイルストーン一覧

https://ieee-jp.org/activity/jchc/milestone_jusho.html

世界におけるIEEEマイルストーン一覧

http://ethw.org/Milestones:List_of_Milestones

大型映像表示装置のIEEEマイルストーン申請

http://ethw.org/Milestones:Outdoor_large-scale_color_display_system,_1980

参考文献

1)    US Patent 7,551,245: Display Panel And Large Display Using Such Display Panel
2)    前嶋一也ほか:“大型映像表示装置”, 三菱電機技報, Vol.78, No.5, pp.327-331 (2004)
3)    David Coates: “Low-Power Large-Area Cholesteric Displays”,Information Display Vol. 25, Issue. 3, pp. 16-19 (2009)
4)    筆者作成
5)    麻生英樹:“電子看板/掲示板システム”, 三菱電機技報, Vol.78, No.5, pp.44-48 (2004)
6)    筆者撮影
7)    「写真提供」元テックゲートインベストメント桝谷均
8)    粟本健司ほか:“曲がる超大画面薄型ディスプレイ”,映情学誌, Vol. 61, No. 3, pp. 283-293(2007)
9)    粟本健司ほか:“超軽量フィルム型大画面プラズマチューブアレイ”, 映情学誌, Vol. 63, No. 12, pp.1753-1756 (2009)
10)   文献3)の図4を基に筆者作成
11)   「写真提供」篠田プラズマ株式会社社長篠田傳
12)   特許第4366743号:平面表示装置
13)   特許第4115065号:画像表示素子及び画像表示装置
14)   Mark Aston, “Design of large-area OLED displays utilizing seamless tiled components”, Journal of the SID 15 / 8, pp. 535-540 (2007)
15)   三菱電機資料
16)   原善一郎ほか:“画像の時空間モデルによる平面ディスプレイの画質解析”, 映情学誌Vol. 55, No. 3, pp. 422-430(2001)
17)   原善一郎ほか:“平面ディスプレイの目地レス配列技術と大型表示装置への応用”, 映情学誌Vol. 67, No. 12, pp.1208–1032 (2013)
18)   特許第5271171号など:画像表示素子の製造方法
19)   Z. Hara et al.: “The High Performance Scalable Display with Passive OLEDs”, SID 10 DIGEST, pp. 357-360 (2010)
20)   三菱電機広報発表:2011 年 6 月 1 日社会No.1106
     http://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2011 / 0601_zoom_01.html(2021 / 12/ 09 閲覧)

IEEEマイルストーン贈呈式

大型映像表示装置オーロラビジョンの開発は、三菱電機の本社を推進役として、京都製作所、中央研究所(当時)、長崎製作所の技術者が組織を超えて取組んだ。各技術者は、特にイノベーションを意識した訳ではなかったが、開発は、未経験の技術ゆえ、山積した課題への挑戦となった。初号機の開発、製造、そして出荷は、設計・製造の難題が顕在化し、技術者は大きな責任を担いながら苦労している。初号機の納入後は、ユーザーの満足を得るために奮闘したが、結果的にユーザーの信頼を得て、その後の事業化に役立っている。

2018 年に開催された贈呈式は、開発着手から40周年の節目の年でもあり、初号機の開発に関わった技術者たちが北海道から九州まで全国から集まった。会場では、技術者たちが数十年ぶりに再会し、忘れかけていた苦労が甦った。当時の思い出を話題に、三菱電機社長やIEEE会長(何れも当時)との懇談も見られた。この写真は、IEEE会長(左端)と初号機の開発に関わった技術者たちの記念撮影である。

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 8 あとがき

大型映像表示装置は、1980 年に屋外用カラー大型表示装置として、オーロラビジョンが誕生した。この系統化調査は、1980 年を起点にすると、この稿を作成する時点では、40 年ほどの歴史である。歴史を遡る上でIEEEマイルストーンの審査過程で匿名の研究者から寄せられたコメントが役立った。特にコメントに記載されたスコアボード、広告、大画面のビデオ表示などの関連技術の歴史が参考になった。また、大型映像表示装置の関連技術として、各種表示デバイスの発展を俯瞰した。それぞれの専門分野の方々から見て拙い調査であることはご容赦願いたい。

調査を開始して、すぐに見えたのは、オーロラビジョン誕生の1980 年には、白熱電球を配列したモノクロの大型映像表示装置が競技場やビルの壁面などで使用されていたことである。時代を遡ると、1920 年代後半には、ビルの壁面にニュースなどの速報表示装置が設置され、その後、画像を表示できる広告用表示装置や競技場のスコアボードが設置されている。この様に大型映像表示装置の機能や技術は、古くから知られており、オーロラビジョンの誕生は歴史の必然のようにも見える。一方、オーロラビジョンを開発・事業化した三菱電機の技術者は、画像を専門とするわけではなく、技術開発と市場開拓の難題を克服している。その活動は、歴史の流れとは別に注目に値する。

オーロラビジョン初号機の開発は、お互いに全く縁のなかった異分野の技術者たちが組織を超えて協力した。その成果はMLBオールスターゲームに利用され、開発は成功したが、価格が当時の新聞や雑誌で話題になるほど高価なシステムであった。革新的技術も価格が合わずに市場に浸透しなかった例は多い。オーロラビジョンもその可能性が危惧されていた。ここで開発に関わった技術者たちが世界の市場に出向き、2~3年で高価なシステムが受け入れられる市場を開拓したことは、その後の大型映像表示装置の発展に重要な意味を持つ。

第一世代の大型映像表示装置は、オーロラビジョン誕生後の約5年間に、アストロビジョン、スーパーカラービジョン、さらにジャンボトロンが発表された。当時の各企業の技術者はほとんどが退職されており、各社の開発の経緯は分からなかったが、既に構想を持っていた各社がオーロラビジョンに刺激を受けて構想を具体化したと思われる。この頃から市場の競争が本格化した。そして各企業が競い合うように技術が発展し、大型映像表示装置は、第一世代から第二世代、そして現在の第三世代へと事業が継続され、IEEEマイルストーンに認定されるに至った。一方、大型映像表示装置は、第三世代のLED時代になると、国際的な競争が激化し市場も成熟してきた。

各種表示デバイスの世界では、CRTやPDPなどの歴史を創った技術は、社会環境の変化や競合技術の発展によって競争力を失い、やがて終息した。テレビ用表示デバイスとして世界の技術開発をリードした日本の液晶や有機ELは、今では中国製や韓国製が主流になった。このような動向は、先端的技術とは言え、国際的な競争の下では、生き残りの難しさと新たな価値の創出が必要なことを示しており、大型映像表示装置も例外ではない。

大型映像表示装置は、情報化社会において重要な技術である。7章で紹介した革新的技術への挑戦例は、事業の中断・終息という厳しい結果ではあったが、このような挑戦無くして新たなイノベーションは生まれない。長年、大型映像表示装置の開発に関わった技術者の一人として、新技術に挑戦する姿勢や挑戦を奨励する雰囲気が次の技術革新に生かされ、新たな発展に繋がることを期待している。

筆者は生徒や学生に講義をしたことがある。講義の最後には、光の3原色の例えを紹介している。これはイノベーションを考える上で必要な教訓でもあり、ここに改めて紹介したい。

小学生には、県の教育委員会に委託された理科教育の一環で、図8-1を使って次のような説明をした。『赤は一人で頑張っても赤のまま。緑が協力したら黄色が生まれる。さらに青が加われば白が生まれ、各色が仲良く協力することで無限の色が生まれる』。小学生には、一人で遊ぶより二人あるいは三人で、友達と一緒に遊ぶ方が楽しいですよと言う意味で良い。しかし、本質は、新たな価値の創出には、単独で考えることには限界がある。3原色の例えは、その限界は他者との良好な協力関係で突破できる可能性があることを教えている。学校の先生方に喜んで頂いた。

大学や高専の学生には、企業における技術開発の具体例を講義した。その最後では図8-1,2を使って、小学生への説明に次のように追加した。『赤と青と緑は、お互いに最も遠い関係にある。近い関係は、すぐに仲良くなって混色するが、生まれる色は類似の色ばかり。逆に遠い関係は、協力することに難しい壁もあるが、その壁を越えて協力できれば、多様な色が生れる』。即ち、3原色の例えは、人と人との関係、組織と組織との関係など、異分野・異業種の技術者が協力すれば、単独では想定できないような、新たな価値を生み出す可能性があることを教えている。

最後に、屋外用カラー大型映像表示装置は、高々40 年の歴史ゆえ、開発に関わった方々の実名を挙げることには遠慮もあった。しかし、この報告書では、限定的ではあるが、特に重要と思われる活動をされた方々を可能な限りコラムで紹介させて頂いた。何れも1979 年から1983 年頃の大型映像表示装置の技術開発および市場の開拓において、重要な役割を果たされ、その後の事業発展の基礎を築いた方々である。次の世代に刺激を与え、将来の技術開発が今以上に活発になることを願っている。

図8-1. 光の3原色

図8-2. 3原色のCIE色度図

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 9 謝辞

本報告書をまとめる当たり、まず、この調査の機会を与えて頂いた三菱電機の関係者の皆様に感謝します。そして多くの方々から資料および情報を提供して頂いた。特に以下の方々には、この場を借りて深く感謝申し上げたい。

元三菱電機の船舶技術者で山地正城氏、福嶋信夫氏、寺崎信夫氏は、オーロラビジョン誕生時の経験と当時の写真を提供して頂いた。

IEEE History Committeeの関係者は、IEEEマイルストーンの審査過程で、貴重なコメントを寄せて頂いた。それが大型映像表示装置の歴史を遡る上で大変役立った。

各種大型映像表示装置の調査は、コロナ禍の影響もあって、主に文献を参考にした。ここで特に元ソニーの張間廣信氏、東芝ライテックの中島淳一氏、パナソニックの林紀寿氏には、発光素子の写真を提供して頂き、さらに開発に関わる経験を共有できた。このことが調査の参考になった。

篠田プラズマ株式会社社長篠田傳氏および元テックゲートインベストメント桝谷均氏には、開発された製品の貴重な写真を提供して頂き、さらに新技術の開発と事業化の難しさを共有させて頂いた。

技術動向の調査では、三菱電機大土井雄三氏に各種表示デバイスの調査で有益な助言を頂いた。建物の壁面に設置される映像表示装置の動向の調査では、フリージャーナリスト川田宏之氏に貴重な情報を提供して頂いた。

さらに以下の方々には写真を提供して頂いた。

ノリタケ伊勢電子株式会社 龍田和典氏

東北パイオニア株式会社 鈴木浩之氏

イメージプロ小野企画代表 小野志郎氏

改めて感謝申し上げます。

有難うございました。


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 大型映像表示装置の系統図

画像をクリックするとPDFが開きます。

大型映像表示装置技術の系統化調査 産業技術史資料 所在確認

名称 製造年 製造社 所在地 選定理由
1 CRT 光源管のサンプル 1979 年 三菱電機(株) 長崎製作所 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷 517-7 オーロラビジョンのCRT 光源管として初めて試作されたサンプルである。このサンプルは、CRT の有効性を証した。さらにプロト機(1 m ×2 m の画面)に使用され、技術課題の検証、開発の加速、オーロラビジョン初号機の開発に役立った。
2 第二世代オーロラビジョンの CRT 光源管 1980 年 三菱電機(株) 長崎製作所 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷 517-7 オーロラビジョン量産時のCRT 光源管である。外光の反射を抑制するガラスを開発して屋外用の高輝度・高精細度の光源管を実現した。オリジナルの径 28.6 mm に加え、高解像度用の 20 mm、高輝度用の 35 mm の 3 種類が市場の創造に役立った。
3 蛍光表示管と FMCRT の試作サンプル 1983〜1985 年 三菱電機(株) 長崎製作所 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷 517-7 蛍光表示管はオーロラビジョンの新しい制御方式、FMCRT はオーロラビジョンに必要な性能を開発検証した。これらの試作サンプルが第二世代オーロラビジョンの実用化に役立った。
4 第二世代オーロラビジョンの発光素子 1988〜1998 年 三菱電機(株) 長崎製作所 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷 517-7 量産された第二世代オーロラビジョンの発光素子である。高解像度化とコスト削減の両立させて屋外用高輝度型から屋内用高解像度型へと 5 種類の FMCRT が開発され、市場の拡大に貢献した。
5 第二世代屋外用高輝度型オーロラビジョンの表示ユニット 1988 年 三菱電機(株) 長崎製作所 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷 517-7 発光素子は容易に着脱できてメンテナンスに役立った。初期段階で直面した故障などは、この構造によって迅速に交換して応対対策し、並行して恒久対策を施した本格的な高品質改善策であった。
6 有機 EL 大型映像表示装置表示ユニット 2011 年 三菱電機・東北パイオニア 三菱電機長崎製作所 〒851-2102 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷 517-7 有機 EL を配列して実用化された世界初の大型映像表示装置の表示ユニットである。小型有機 EL パネルを 4 枚実装しており、各パネル間の継ぎ目が目立たない構造は業界の注目を集めた。
7 第一世代スーパーカラービジョン用発光素子 CHD 管 1985 年頃 東芝ライテック(株) 東芝ライテック(株)横須賀事業所 神奈川県横須賀市船越町一丁目 201 この分野初めて故障を利用して実用化された大型映像表示装置用の発光素子 CHD 管(Color High brightness Discharge tube)である。輝度は初めて 5000 cd/㎡ を達成し業界に影響を与えた。
8 第二世代スーパーカラービジョン用発光素子 MCD 管 1991 年頃 東芝ライテック(株) 東芝ライテック(株)横須賀事業所 神奈川県横須賀市船越町一丁目 201 放電を利用した第二世代大型映像表示装置用の発光素子である。素子内に 4 発光色を含み、1 本の陰極を 4 本の放電路で共有した。屋外の中距離高解像度機種として開発され、輝度は 4000〜5000 cd/㎡ を達成した。
9 第二世代スーパーカラービジョン用発光素子 LMCD 管 1996 年頃 東芝ライテック(株) 東芝ライテック(株)横須賀事業所 神奈川県横須賀市船越町一丁目 201 第二世代大型映像表示装置用の発光素子である。素子内に 4 発光色を含み、1 本の陰極を 4 本の放電路で共有した。屋外の長距離高解像度機種として開発され、輝度は 5000 cd/㎡ を達成した。
10 蛍光表示管(量産初期の丸型ガラス単軸蛍光表示管) 1967 年頃 リコケ伊勢電子株式会社 本社 〒519-2736 三重県度会郡大紀町打見 670 番地 5 日本で開発・製造された唯一の蛍光表示デバイスである。特に量産初期の丸型ガラス単軸蛍光表示管は、その後の蛍光表示管の発展に寄与する重要な製品である。
11 第二世代アストロビジョン用発光素子 1990 年頃 パナソニック(株) パナソニック株式会社歴史文化コミュニケーション室 〒571-8501 大阪府門真市大字門真 1006 放電管を使用して第二世代大型映像表示装置を実現した。発光素子は、共通の陰極を 6 本の放電路で共有しており、この分野で現存する最も高精細の放電方式発光素子である。
12 世界初の有機 EL ディスプレイ 1997 年 東北パイオニア 東北パイオニア 〒992-1128 山形県米沢市八幡原四丁目 3146-7 1997 年に東北パイオニアが世界で初めて量産に成功した有機 EL ディスプレイである。車載用 FM 文字多重レシーバーに搭載して実用化された。
13 ジャンボトロン用発光素子 1985 年頃 ソニー・双葉電子 双葉電子工業株式会社 〒297-8588 千葉県茂原市大芝 629 1985 年のラスベガスで発表されたジャンボトロンは、世界に普及したジャンボトロン用発光素子(JTS-1, JTS-2, JTS-8)の原点サンプルである。ジャンボトロンは、特に欧米で最も良く知られる大型映像表示装置に成長した。
14 ジャンボトロン・システム JTS-17 1998 / 03 ソニー 横浜国際プール 〒224-002 横浜市都筑区北山田 7-3-1 画素ピッチ 17.5 mm のトライカラを使用したジャンボトロンである。稼働できる状態で残る数少ない事例である。
15 ジャンボトロン・システム JTS-17 1996 / 08 ソニー ぐんまアリーナ 〒371-0047 前橋市関根町 800 番地 ALSOK ぐんま総合スポーツセンター内アリーナに設置された画素ピッチ 17.5 mm のトライカラを使用したジャンボトロンである。稼働可否は不明だが現存する少ない事例である。
16 CRT マルチビジョン(ナムジュン・パイクのビデオアート作品) 1996 年 作家(ナムジュン・パイク) キャナルシティ博多 福岡市博多区住吉 1-2 アート作品とされるが、稼働可能な状態で現存する(おそらく)唯一の CRT マルチビジョンである。世界中で CRT が製造中止になった今も丁寧にメンテナンスして稼働し続けている。

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