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情報所有館 : 福島県立博物館 

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ワラダ

蚕を飼育するための飼育かごのこと。藁製だったり、竹カゴに筵を敷いたものであったりする。福島県内では円形、群馬などの北関東では四角形のものが多い。製作年代:不明


柴まぶし

まぶし(蔟)とは、成長して熟蚕となった蚕が繭をつくるための巣のようなもの。古くは、山間部などでは木の枝(粗朶)が使われた。これもそうしたまぶしの一種。しかし、次第に藁が主力となっていくことで、姿を消していった。製作年代:不明


ムカデまぶし

まぶし(蔟)とは、成長して熟蚕となった蚕が繭をつくるための巣のようなもの。藁縄に15cmほどの藁を挟み込んで作ったまぶしで、その姿がムカデにみえることからこの名がついた。かさばり、保管上に難点があることから、次第に使われなくなったという。製作年代:不明


折藁まぶし

まぶし(蔟)とは、成長して熟蚕となった蚕が繭をつくるための巣のようなもの。古くは木の枝を用いた粗朶まぶしが中心だったが、次第に藁製のまぶしがとってかわった。折藁まぶしは、藁を手折りまとめた簡単な作りのもの。後には、まぶし折機の登場によって、量産も可能になった。製作年代:不明


生糸標本

生糸は蚕の繭から取ったままで、撚ったり精錬していない糸のこと。製糸は釜などで繭を煮ながら枠に巻き取る手挽き法で行われたが、江戸時代後期には座繰機があらわれ、機械製糸の生産高が増えてく。これにより、製糸業は家内工業から工場生産へと移って行った。生糸は一捻り約70gに作ったものを1綛(かせ)とし、30綛を1括とした。内地向けには約18括を1梱(こり)、輸出向けには約29括を1俵として梱包した。製作年代:不明


繭標本1

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:昭和4年


今昔繭標本

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。製作年代:不明


生糸見本

生糸は蚕の繭から取ったままで、撚ったり精錬していない糸のこと。製糸は釜などで繭を煮ながら枠に巻き取る手挽き法で行われたが、江戸時代後期には座繰機があらわれ、機械製糸の生産高が増えてく。これにより、製糸業は家内工業から工場生産へと移って行った。生糸は一捻り約70gに作ったものを1綛(かせ)とし、30綛を1括とした。内地向けには約18括を1梱(こり)、輸出向けには約29括を1俵として梱包した。製作年代:不明


繭かけ合わせ標本6

明治になると、ヨーロッパや中国を原産とする蚕種が入るようになり、これらと日本種を交配し、より品質のよい蚕品種を作り出す試みが行われるようになった。明治38年には外山亀太郎が蚕における雑種強勢(交雑第一世代が親より優れた性質を持つ現象)を発見、政府は原蚕種製造所(後の蚕業試験場)を設立し、この研究を推進した。こうした一代限りの交雑種の利用は大正に入ると急速に普及し、蚕品種の生産性も格段の進歩をみることとなり、様々な奨励品種も誕生した。資料は日1号・支4号、欧7号・支7号、日128号・支1128号それぞれを掛け合わせたものの標本。製作年代:不明


検尺器

生糸の繊度(太さ)を測定するための道具。生糸は直径を計るのが困難なため、一定の長さに対する重さで、太さを表した。レバーを回すことで糸を巻き取り、その重さを計ることでデニール算出した(長さ450mの糸が0.05gあるものが1デニールと定められている)。製作年代:不明


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