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情報所有館 : 瀬戸蔵ミュージアム 

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磁胎七宝衣に花蝶文耳付花瓶

六代 川本半助。「川本半助」染付銘。高さ30.5cm。瀬戸の郷地区で「真陶園」「山半」と号して磁器生産を行った窯屋の六代目。天保15年(1844)、四代半助の長男として生まれ、慶応元年(1865)六代半助を襲名します。製磁技術の開発に熱心で、黒・茶の色釉を発明しています。本作品は磁製の素地外面に有線七宝を施したもので、衣の部分には上絵が施される大変手の込んだ作品です。陶磁胎七宝は江戸時代末期に開発され、その後明治時代盛んに生産されますが、明治10年代後半にはその姿をほとんど消してしまいます。年代:明治時代前期


染付草花図向高

加藤紋右衛門(六代)。「還情園池紋製」染付銘。高さ65.3cm。この作品は磁器製の小便器で、こうした磁器製便器は陶器製便器が製作され始めた頃と同時期の明治中期に生産が始まりました。磁器製便器は、焼成した窯の名前から「丸窯便器」ともよばれ、手描きの染付による花鳥文や祥瑞文が施され、高級品として市場に登場しました。年代:19世後期~20世紀初め


銅版染付杵兎文敷瓦

加藤治右衛門。幅24.5cm。明治時代になって西洋文化の流入による日本人の衛生意識の高まりとともに、建築用材としてタイルが使用されるようになりました。この動きに目を付けた瀬戸の窯屋が日本の中でいち早く生産に取り掛かったのが本業敷瓦です。「本業」とは瀬戸では陶器を指す言葉で、「本業敷瓦」は「陶器製タイル」ということになり、陶器製の素地の上に化粧土をかけて焼き上がりを白くし、磁器製品らしく仕上げ、明治20年代から普及しだした絵付方法である銅版転写の技術を駆使して、量産を可能にした国産の量産タイルの第一号ともいえるものです。年代:20世紀初め


染付千羽鶴段重

庄平窯。山田良治画。高さ24.5cm。磁器製の四段重で、大正から昭和にかけて染付画の名人と謳われた山田良治の手による千羽鶴が細密に描かれた作品です。年代:20世紀


防衛食器

戦時中つくられた缶詰の代用品です。昭和18年(1943)頃から試作が始まりました。中身は、大豆、にしん、こんぶなどが入れられたようです。封の方法は、まず容器に食品を入れ、ゴムパッキンを挟んで蓋をします。圧力ばさみで蓋と容器を密着させたまま、熱湯、冷水の順に浸します。すると容器の中は真空状態となり、密閉保存される仕組みです。缶を開けるときは、蓋の中央にあるくぼみを突きます。そこは薄いガラス状の被膜になっているため孔が開き、容器の中に空気が入って蓋が開きます。年代:昭和18年(1943)頃~昭和20年(1945)頃まで


陶製鏡餅

昭和14年(1939)頃、食料の供給減少などの情勢をうけて、代用品の鏡餅が流通するようになりました。「三分搗きの黒い米の時代に、ネズミにかじられない白い餅が飾れる」と好評だったそうです。年代:昭和14年(1939)頃


陶貨(一銭、五銭、十銭)

太平洋戦争中、お寺の鐘や家庭の金属製品などを武器の材料としての回収が進められるとともに、様々な代用品がつくられました。昭和18年(1943)頃、硬貨もまた将来の原料不足を見越して、やきものによる代用貨幣の開発が始められました。試作は、瀬戸・有田・京都で進められ、昭和19年(1944)から順次生産に取り掛かりますが、終戦を迎え流通することはありませんでした。瀬戸では一銭・五銭・十銭が生産され、その数量は約1300万枚。そのほとんどは占領軍の進駐の前に粉砕処理されました。そのため現存するものはわずかで、流通しなかったことも含め、「幻の陶貨」と呼ばれています。年代:昭和20年(1945)


風に向かって立つ男女

光和陶器株式会社。高38.6cm。男女一対のこの作品は風になびく髪の毛や服の様子が細かく表現され、石膏型による鋳込成形の技術の高さが感じられます。戦後、大型のノベルティが生産されるようになりますが、その中でも30センチを超える見栄えのする作品の一つです。年代:昭和時代


白頭鷲

光和陶器株式会社。高46.0cm。瀬戸では装飾用のやきものの置物をノベルティと呼びます。ノベルティは主にアメリカ向け輸出品として生産され、その種類は多彩で、人形・鳥・動物・花・装飾付食器や花瓶など様々です。本作品は大手ノベルティメーカー・光和陶器が昭和時代に製造したもの。鳥の羽根や土台の岩や木など写実的な表現が特徴的です。ノベルティの製作は原画から原型師が粘土で製作した原型をもとに石膏型をおこし、泥漿を流し込んで形をつくります。複雑な鳥は頭、胴、羽、脚など細かく部品に分けて成形し、粘土で接着して焼成。焼成後に上絵付を施してさらに焼成して完成させます。年代:昭和時代


アン王女

テーケー名古屋人形製陶株式会社。高37.0cm。瀬戸ではレース状の飾りのついたノベルティをレース人形と呼びます。レース人形は粘土を着けた布レースに襞を寄せて、人形のボディに接着して本焼成したもので、ノベルティの中でも高級な花形商品として輸出されました。通常は衣類の表現の一部にレース飾りが使用されるますが、本作品は衣類そのものを全てレースで再現したもので、総レース人形と呼ばれます。元々はアメリカで始まったレースドールの技術を取り入れ、テーケー名古屋人形製陶がノベルティの技術を活かして瀬戸市では初めて開発しました。年代:平成3年(1991)


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