「新聞博物館(熊本日日新聞社)」 に対する検索結果 : 31

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「新聞博物館」(熊本日日新聞社)

熊日創立45周年を記念し、1987(昭和62)年10月1日に開館した日本初の新聞博物館。鉛活字時代の製作機器をはじめ、世界初の活版印刷機「グーテンベルクの印刷機」(複製)、「マリノニ型輪転機」、「ワープロ国産1号機」など珍しい機械を展示。また、新聞の歩みや熊本が生んだ新聞界の先駆者の遺品や遺墨、過去に発行された号外なども展示している。

情報所有館 : 新聞博物館(熊本日日新聞社) 


グーテンベルクの印刷機(レプリカ)

ドイツ人グーテンベルクによって1445年頃に発明された活版印刷機の複製(ドイツにある実物の80%大)。グーテンベルクの活版印刷は、以下の3項目を合わせて活版印刷の発明とされる。(1)ブドウ搾り機にヒントを得て、プレス部を改良した印刷機を製作。(2)鉛活字の鋳造方法を確立し使用。(3)油性ワニスを原料にした金属活字用のインキを製造使用するなどの印刷工程。

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42行聖書(複製)

グーテンベルクが、グーテンベルク印刷機を使って、最初に印刷したといわれる初の印刷聖書で、170冊程度印刷された。冒頭の9ページが40行、10ページ目が41行、11ページ目以降はすべて42行であるために、「42行聖書」と呼ばれている。

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「マリノニ型輪転機」

マリノニ輪転機は1890(明治23)年、東京朝日新聞がフランスのマリノニ社から輸入し、国内で初めて稼働した輪転機。明治30年代末以降、マリノニ輪転機を参考にした国産の「マリノニ型輪転機」を数社が開発。各新聞社に盛んに導入され、以後約50年間、主力機として稼働した。日本の新聞用紙のサイズは、マリノニ輪転機で印刷された新聞の寸法(546mm×406.5mm)をもとに決められた。1949(昭和24)年 谷口精機製作所製昭和50年代まで「新聞之新聞社」で稼働

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ワープロ国産1号機 JW-10

1978(昭和53)年に東芝が開発し、翌年2月に630万円で発売した、初の業務用日本語ワードプロセッサ。当時、コンピュータで取り扱える日本語の文字は、カタカナが当たり前で、漢字を含む日本語が利用できるワードプロセッサが望まれていた。しかし、技術の進歩はめざましく、JW-10は発売から十数年で姿を消してしまった。 ㈱東芝より寄贈

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万年活字鋳造機

林栄社が米国製トムソン自動活字鋳造機を研究し、1926(大正15)年に完成させた硬質活字鋳造機。翌年、大阪毎日新聞がこの鋳造機6台を導入。普通の鉛活字の鋳造に使い、順調に稼働した。また、価格もトムソン鋳造機の約2割と非常に安かったため、広く普及した。

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文選台(活字棚)

文選とは、活版の工程の一つで、原稿を読みながら、約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると、1分間に40字ほど拾うことが出来た。なお、本文用活字は、1回のみの使用のため、使った分は活字鋳造機で作り直して、補充した。1933(昭和8)年 林栄社製(熊日で昭和57年まで使用)

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文選作業(昭和40年代)

文選とは、活版の工程の一つで、原稿を読みながら、約4000種類の活字が並べられた活字棚から活字を1本1本拾って、文選箱に納める作業で、昭和50年頃まで行われていた。ベテランになると、1分間に40字ほど拾うことが出来た。なお、本文用活字は、1回のみの使用のため、使った分は活字鋳造機で作り直して、補充した。1933(昭和8)年 林栄社製(熊日で昭和57年まで使用)

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大組み台

大組み台には、新聞1ページ分の素材が揃えられ、整理記者の指示に従って、大組み担当者が本文活字、見出し、写真、広告などを1ページに組み上げていく。

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大組み作業(昭和50年代)

大組み台には、新聞1ページ分の素材が揃えられ、整理記者の指示に従って、大組み担当者が本文活字、見出し、写真、広告などを1ページに組み上げていく。

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