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情報所有館 : 歯の博物館 

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明治、大正時代の歯科用足踏みエンジン

1872年にニューヨークで売り出された足踏みエンジンはむし歯の治療、歯の清掃・研磨、歯科技工の作業などに用いられた。それ以前にも個人的には使われていたが、公表はされなかった。日本にも明治初期(明治12・3年頃)輸入され、盛んに使用し、国産でも作られるようになった。日本では歯科技工用を含めると、1955(昭和30)年頃まで使われていた。展示品の本体は1900年頃のものと思われる。狭い口腔内で作業をするので、歯科医が把持する部分の機器は交換が可能になっている。その交換部品(ハンドピース)のうち当館には1890年特許のS.S.ホワイト社ライトアングル及びコントラアングルなどがある。 年代:共に1900年頃


1900年頃のDistributing Panel(アメリカ、リッター社製)

1900年頃の治療室は歯科用椅子にうがいをした水を吐く“唾吐き”が付いており、足踏みエンジンが置いてある程度だった。その頃アメリカのリッター社はDistributing Panelを発売した。これは歯科治療に必要な電機系を板上にまとめた歯科用ユニットの原形である。また、その頃の建物の壁面には電気の配線はされていなかった。当博物館にはDistributing Panelが展示してある。それ以後これを基として歯科用ユニットが開発された。このPanelは非常に数少なく珍しいものである。エアーコンプレッサーと連結され、温度調節可能なエアーシリンジ、電気焼灼器、照射ランプ、時計などが備えられている。年代:1900年頃


大正時代の歯科診療ユニット(アメリカ、S.S.ホワイト社製)

歯科用設備はアメリカで発達した。当博物館にはアメリカのS.S.ホワイト社、1915(大正4)年に発売された歯科用ユニットが展示してある。スピットン(唾吐き)は排水管と連結され、電燈、電気エンジン、ブラケットなどが組み込まれている。年代:1915年


昭和初期の歯科診療ユニット

昭和初期の歯科用ユニットにはエアーシリンジなど、エアーコンプレッサーと連結され照明にも進歩が見られ、シャンデリア等が付属している。


昭和中期の歯科診療ユニット

昭和中期のユニットで日本のモリタ社。1957(昭和32)年製。エアータービンはまだ付属していない。戦後の日本の技術力を示したものであった。年代:1957年


大正時代の歯科診療電気エンジン(アメリカ、リッター社製)

足踏みエンジンに代わってモーターの回転を利用して歯や骨を切削出来るセットが発売された。これは世界中の歯科医により使われるようになった。回転数は12000回転くらいまで上がった。当館のスタンド型の電気エンジンは初期のものでリッター社、4000回転。1918(大正7)年に特許を取っている。大正7~8年頃の製品である。他にユニットに取り付けたもの数個ある。年代:1920年頃


大正時代の歯科用レントゲン撮影装置(アメリカ、リッター社製)

W.C.レントゲンによりレントゲン線が発見されたのは1895(明治28)年である。当博物館にある装置は1921(大正10)年製のもので装置として初期のものである。高圧電流が流れる線が露出しているタイプである。アメリカ、リッター社製。年代:1921年


大正時代の歯科診療用椅子(チェアー)(アメリカ、リッター社製)

歯科の治療用の専用の椅子が普及したのは1800年代の後半のことである。当博物館には大正時代に製造されたアメリカ・リッター社製の歯科用椅子が展示してある。それ以外の歯科用椅子も展示してある。年代:1910年頃


大正時代の旅行用軽便木製治療椅子

少数の権威ある歯科医を除いて大部分の歯科医が診療所を定めて診療するようになったのは日本でも、外国でも1800年後半以後のことであり、場所を移動して診療している人が多かった。この椅子は歯科医用の軽便治療椅子(移動用)で現在では大変珍しいものである。昭和初めの中井商店のカタログに載っているので当時でも需要があったらしい。


1800年代西洋の歯科用手用ドリル

人の歯に穴をあけたり、入れ歯の加工に用いられた。当館に二点あり、切削用ドリルと支えが連なっているのは「Merryのドリル」とも呼ばれるものである。年代:1850年頃


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