「明治薬科大学明薬資料館」 に対する検索結果 : 30

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ミイラ

中国から伝わった「木乃伊」は「乾燥した人間の肉」のこと。西洋で薬物とされていたミイラが中国にもたらされた際に、「ムミア(mumia)」あるいは「モミイ(momie)」などと呼ばれていたものを「木乃伊」と記した。また同時に、アラビア原産のカンラン科の低木「ミルラノキ」から分泌される樹脂は死体の防腐処理のために使用された没薬であり、「ミルラ(myrrha)」と呼ばれていたため、この2つが日本では混同されてしまい、「木乃伊」は「ミイラ」という言葉になったといわれている。エジプト・ミイラは薬物ミイラの最上品とされ、『六物新志』には「凝血ヲ融通ス」とあり、止血剤とし用いられていた。年代:江戸


薬味箪笥

88×73cm、木製。小さな引き出しが数十個設けてあり、引き手が付いた表板には薬の名称を書いた紙を貼り付け、必要な薬がすぐに取り出せるようになっている。たくさんの種類の薬を収めていることから「百味箪笥(ひゃくみだんす)」、あるいは引き手金具が目のようにみえることから「百目箪笥(ひゃくめだんす)」という別名がある。薬味箪笥は、軽くて湿気を通さず、発火しづらく、虫がつきにくいなどの特長がある桐を材料として作られていて、薬の保存という面からも大変理にかなった収納家具である。年代:江戸


截丸器

こねた薬を細長いひも状にのばして写真下の溝の上に横向きで置く。その上に写真上の両端を持って溝どうしを合わせるようにかぶせ、前後に動かす。薬は丸形に切れて下に落ちていく。


ラヴォアジェ「化学原論」

「近代化学の父」ラヴォアジェ(1743~1794)が著した。近代元素観の確立等多くの業績が収められた化学史上の画期的な著作。年代:1789年


ウッドヴィルの「薬用植物学」

ロンドン(1790~1794年)。名だたる植物画家サワビーの銅板彩色画274点が圧巻である。1880年代までは、イギリス薬局法掲載の植物に関する模範的な書物であった。


「パラケルスス全集」

ラテン語版・全2巻/ジュネーブ(1658年)。「近代医化学の父」パラケルスス(1493~1541年)は、古代・中世の医学を厳しく批判し、「錬金術とは黄金を作るのではなく人類を救う医薬を作ることである」として近代薬学の道をも切り拓いた。年代:1658年


マッティオリ「ディオスコリデス註解書」

初版/ヴェネツィア(1555年)。マッティオリは16世紀イタリアの医学者、本草学者。この書はルネッサンス後期のイタリア本草学における最高の業績と評価されている。図版は、植物504点、動物58点、計562点に及ぶ。


ディオスコリデス「マテリア・メディカ」(ウィーン写本)ファクシミリ版

「薬物学の父」といわれるペダニオス・ディオスコリデス(紀元後1世紀)は、ローマ皇帝ネロとウェスパニアヌスの時代(54~79年)の軍医で、各地を転戦しながら薬物を研究し、最初の科学的な薬学書である『マテリア・メディカ』(薬物誌)全5巻を著した。『マテリア・メディカ』は植物を中心とした600種の薬物を取り上げ、特徴や薬効によって分類している。この本はルネッサンス以後までも大きな影響を与え続け、薬物学における最高権威といわれた。原本は存在しないが最も古い写本がウィーンのオーストリア国立図書館にあり、「ウィーン写本」と呼ばれている。年代:1970年


植物内部形態図の銅製鋳造原版

伊吹高崚先生(明治27年生、昭和35年没)は大正3年に明治薬学校を卒業ののち昭和5年より笹塚の東京女子薬学専門学校で教鞭をとっておられた。植物形態図の銅製鋳造原版は、講義用のプリントを腹案として薬用植物学総論の出版を計画して作られたものと言われている。年代:昭和31年頃


直示天秤

被測定物質の質量を数字と目盛の質量単位で直接読み取ることができる下皿式天秤。化学天秤として用いられ、秤量100ミリグラム、読み取り限度0.1ミリグラムである。


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