「Honda Collection Hall」 に対する検索結果 : 151

情報所有館 : Honda Collection Hall 

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RC143

ロードレース世界選手権125ccクラス参戦車。35度前傾させたエンジンの最高出力は23PS以上/14,000rpm。フロントフォークはテレスコピック式で、東京大学の風洞実験室などで検討を重ねたフェアリングを装着している。次期マシン開発の遅れから、翌1961年の第1戦スペイングランプリもこのマシンで出場し、T.フィリス選手によってホンダ初のグランプリ優勝が達成された。 年代:1960


RC161

ロードレース世界選手権250ccクラス参戦車。DOHC4バルブ4気筒エンジンを搭載し、最大出力は38PS以上/14,000rpm。スパーギヤによりカムシャフトを駆動させている。1960年の第4戦西ドイツグランプリで田中健二郎選手が3位に入り、ホンダはグランプリ初の表彰台を獲得することとなった。 年代:1960


2RC143

ロードレース世界選手権125ccクラス参戦車。この年投入されたダブルバックボーン・フレームを持つRC144のエンジンがパワー不足のため、急遽このフレームにRC143の改良型エンジンを組み合わせた。年間11戦中8勝を記録し、初めてマニュファクチャラーズチャンピオンを獲得するともに、この年4勝を挙げたT.フィリス選手がライダーズチャンピオンに輝いている。 年代:1961


RC162

ロードレース世界選手権250ccクラス参戦車。最高出力は45PS以上/14,000rpmで、レースの高速化に備え、潤滑方式はドライサンプを採用している。第2戦西ドイツグランプリでは、高橋国光選手が日本人初の優勝を達成した。またこのマシンは出場した10戦で全勝しており、マニュファクチャラーズチャンピオンを獲得した。 年代:1961


ドリーム CL72 スクランブラー

1960年11月に発売されたスポーツモデルCB72がベースのスクランブラー。360度クランクのタイプIIのエンジンを搭載し、ギヤ比を低速域寄りに変更している。軽量化のためキック式とし、地上高を稼ぐためシングルクレドールフレームを採用。前後19インチのブロックパターンタイヤで優れた走破性を確保し、アップマフラーやワイドなハンドルを装備している。 年代:1962


CA100

C100をベースとしたスーパーカブ輸出モデル。当時、オートバイに対して好印象を持っていなかったアメリカ市場進出に際し、ホンダは「You meet the nicest people on a HONDA」をキャッチフレーズに、オートバイの楽しさや手軽さをアピール。このキャンペーンも功を奏し、スーパーカブはアメリカでもヒット商品となった。 年代:1962


ジュノオ M85

ホンダ2作目のスクーター。搭載された125cc水平対向2気筒エンジンの最高出力は12PS/7,600rpmで、鋼板製モノコックフレームのフロント部分にマウントされていた。左手のグリップで変速を、右手のグリップでアクセル操作ができるバタリーニ式オートマチックを採用していた。 年代:1962


RC112

第1回全日本グランプリロードレース参戦車。空冷4サイクル2気筒DOHC、50ccエンジンを搭載し、最高出力は10PS以上/17,500rpm。9速のトランスミッションを備え、最高速度は140km/hにも達した。鈴鹿サーキットのオープン記念大会でもあったグランプリでデビューし、T.ロブ選手が優勝を飾った。 年代:1962


RC171

ロードレース世界選手権350ccクラス参戦車。バックボーンタイプのフレームに搭載された、4サイクルDOHC4気筒エンジンは、最高出力50PS以上/12,500rpmを発揮する。北アイルランドのアルスターグランプリから出場し、最終戦まで4連勝を記録。マニュファクチャラーズチャンピオンを獲得するとともに、J.レッドマン選手がライダーズチャンピオンを手にした。 年代:1962


CR110 カブレーシング

4サイクルDOHC4バルブ単気筒、50ccエンジンを搭載した市販ロードレーサー。最高出力は8.5PS/13,500rpmで、8段変速機を備えている。1962年のマン島TTレースにワークスマシンとともに出場し、9位入賞した。 年代:1962


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